2021年10月21日 (木)

3996 ガソリン200円時代

石油価格の高騰が続いています。コロナ時代の消費低迷による低価格時期が続いたこともあって、ここ数か月の経済活動の活発化による石油価格の値上げは、見かけ経済活動の再拡大に冷や水を浴びせる懸念もありそうです。
しかしながら、考えてみなければならないのは、値上げが続いても、この国の石油価格のレベルは、欧州地域に比べると3割程度低いと言う事実です。原油の輸入価格にそれほどの差があるとは思えないので、価格差は間違いなく価格に含まれる「税金」の割合の違いでしょう。この国の石油価格にも当然の事ながら、消費税の他にもガソリン税(2種)や石油税などが半分程度含まれては居ますが、欧州のそれにはさらに炭素税などの形で、更に多額の税金が含まれているという事なのでしょう。
結果としては、欧州では既にガソリン価格としては、1リッター当りでは200円を超えている訳ですが、だからと言って欧州の経済活動が石油価格によって抑制を受けているかと言えばそうではないでしょう。経済は、「それ」を織り込んで前に進むからです。勿論、石油価格の高騰は、必要な消費と不用不急の消費を分別する方向に働くでしょう。その結果、いわゆるレジャーとしての単なるドライブなどは抑制される一方、石油や電力を多く使う輸送や移動のためのコストは石油価格に連動する形で、1-2割はアップするでしょう。
しかし、前述の様に人々は、そして経済活動はそれ(高い石油価格)を「織り込む」のです。値上げの結果、石油がより必要な消費の比重が高まる事は、結果としては無駄な石油の消費を抑制すると言う意味で、好ましい事だとも言えるのです。残念ながら、石油価格の上昇は、他の物価にも上昇圧力を加えるでしょうが、それもやはり不要不急の消費を抑え、必要な消費の比重を高める事に寄与するでしょうし、例えばごみや食べ残しなど環境負荷の原因も自動的に縮小する筈なのです。炭素税としての石油税アップ、その税収を100%環境改善への振り向ける「目的税化」に賛成する所以です。

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2021年10月17日 (日)

3995 空飛ぶ車を諦める

相変わらず、ネットには空飛ぶ車(Flying Automobile=以下FA)のニューズが引きも切らずにアップされています。一体、誰が自信を持って、近い将来、空に今のバイクやタクシーの様に空飛ぶ車が行き交うとでも言うのでしょうか。そんな世の中は危なくて道も歩けません。平面を走る車でさえ、車同士、車対人、或いはコンビニなどに突っ込む自損事故などの多数の交通事故を起こしているのに、3次元の自由度を持つFAの事故の確率は、交通事故のそれの累乗に上る筈です。航空路が厳密に規定されている、旅客機=定期航空路線でさえも、一定の確率で事故を起こしている事を想えば、無秩序に小型のFAが飛び交う社会など全く想像できないのです。
例えば、複数のモーターとプロペラを持つ、大型ドローンの様なFAであっても、たった一つのモーターの停止でも、機体の姿勢が崩れて墜落するでしょう。有翼のタイプであっても、FAの小さな翼の小さな揚力程度では、低速で動力が失われると滑空は出来ませんので、やはり墜落は免れないでしょう。残されたFA実用化の唯一の可能性は、ホバークラフトタイプの地上数センチに浮上して移動するタイプでしょう。ならば、タイヤを備えている今の車と変わるところはありません。それどころか、ホバークラフトは浮上しているが故に、急ブレーキが全く効きません。そんなFAが地上を動き回る社会など全く想像できないでしょう。
このブログでも、何度となくFAに対する否定的な意見を述べていますが、勿体ないのは、企業やベンチャーが費やす莫大な開発費と優秀人材の浪費です。技術者は、当面のターゲットが与えられさえすれば、種々の課題を克服してある答えを導きます。しかし、それらの技術者と言えども社会インフラを変えるビジョンや実際の行動を起こせる訳でもないでしょう。FAを開発し、それを社会に投げつけ、社会や利用者にインフラ整備や法令整備を丸投げするのは、全くの無責任と切り捨てるしかないのです。SDGsでの望ましいゴール(目標ではありません)を示すまでもなく、社会には他に解決すべき課題が山積なのです。実用化が「事実上出来ない」、おもちゃのFAでお金と暇を潰している時ではないのです。

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2021年10月11日 (月)

3994 公共インフラの劣化

3993の続きです。3993で言及した、水道インフラの他に、道路・橋梁・トンネルインフラや下水道或いは、ダムなど各種の公共建造物の経年劣化は、この国が直面している喫緊で、最大の問題の一つと言えるでしょう。というのも、この国の政治制度では、インフラの新規建造に当たっては、それなりに熱心に検討し、予算も付けるのですが、一方でそのインフラの維持に関しては、計画的に予算化されるケースは少なく、多くは問題が発生してからの後追い対策、後追い予算で対応する場合が多いのです。確かに、4車線化されている高速道路では、部分的な対面通行としたうえで、橋梁や路盤の改良工事は行ってはいますが、地震国であり、水害国でもあるあるこの国の道路の劣化スピードにはとても追いついていない状況です。増してや、他のインフラにおいておやでしょう。
インフラの構造に多用されているのは、言わずもがなですが圧倒的にコンクリートと鉄材でしょう。コンクリートは、経年と共にある程度は強度が増すと言われてきたのですが、一方で酸性雨による脱灰や鉄筋の劣化によって、想定以上のスピードで劣化が進行する場合も多いのです。実際、投稿者にも身近なインフラである橋梁などを観察しても、建造後20-30年程度経過したコンクリートの橋台には、かなりの劣化(ひび割れや脱灰)が観察されるのです。酷いものは、最近補修が行われましたが、劣化部の表面をモルタルで覆った程度の補修でした。
鉄の劣化に関しては、少し議論が必要でしょう。かつての稚拙な技術で製鉄され、橋梁などに使われている鉄材は、実は腐食に関しては耐久性が高い事が知られています。世界で最古と言われる英国の鉄橋が、まだ使用に耐えている事でも証明されています。確かに表面は錆びている様に見えますが、そこで腐食は止まり内部までは進行しないのです。しかし、新しい製鉄技術で作られた鉄鋼は、不純物が少ないものの、一旦腐食が進むとそのままのスピードで腐食が進行する様なのです。実際に国内では、いくつかの橋梁で、トラス部材が腐食の進行(減肉)により破断に至った事例が報告されても居るのです。
インフラや機械設備に関しての常識として、その適正な維持のためには、建造価格に対し、年々低い方の数%程度の維持費を掛けないと、劣化の進行を止める事は出来ないのです。この国の、何千兆円のインフラが存在するか知りませんが、年間たった百兆円ほどの予算で、しかもその内のかなりの割合が、借金の利払いと医療費などに消えてしまうこの国の国家予算では、その内でもインフラの維持に使われる予算など、焼け石に数滴の水と表現するしかないでしょう。今後予算不足のために必要な保守や修理が出来ずに、仕方なく朽ちるに任せて放置される「危険な」公共インフラがますます増えそうな予感がします。残念ながら・・・。

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2021年10月 9日 (土)

3993 水道橋の崩落に思う

W歌山市の水道橋の崩落の実況映像は、かなり衝撃的なものでした。その原因としては、導管を吊っている吊り金具の破断だと想像できます。当然の事ながら吊り金具には、常に水道水に満たされた、重い鉄管を吊り下げる荷重が掛かっています。それは、吊り金具に対しては引っ張り荷重を生じさせますが、エンジニアリングの常識として、それによって生ずる応力は、破断応力に対しては数倍の「安全率」を見込んで設計されている筈です。
事故のプロセスとしては、間違いなく金具が腐食によって肉厚が痩せ、結果として設計応力を超えてしまい、最終的には破断に至ったものでしょう。金属腐食は、引っ張り応力下においては、粒界腐食が進行(=応力腐食割れ)し易い傾向にあり、外観検査だけでは発見不可能な、クラック長さ(深さ)が知らない内に拡大するのです。これを検知するには、浸透探傷や超音波検査などで詳細に金具内部の亀裂を検査する必要がありますが、あの水道橋を写真で見る限り、その様な詳細検査が可能となる様な、検査員のアクセスは出来にくそうに思えます。つまりは、並行する橋から眺めて、外観上腐食の程度を確認する、いわば殆どホッタラカシ状態にあったと想像できます。水道橋に限らず、水道管などの水道インフラの経年劣化の進行が問題になりつつあります。つまりは、背景には高度成長期の市街地域の拡大に伴って、延長、拡張された水道インフラが、揃って寿命を迎えているとの事情があるのです。
ではどうするべきかですが、先ずは金属内部の亀裂を早期に検出できる技術を磨くべきでしょう。内部亀裂は、プリミティブな方法としては「浸透探傷検査」がありますが、超音波や渦電流を使った技術が実用的でしょう。それをコンピュータによる画像化技術と組み合わせれば、検査員の習熟度が低くても十分対応可能と思われます。例えば、安全率が2として設計してあるインフラの場合、部材の肉厚が半分になる以前に補強や部材更新といった修理を行えば、破壊・崩落と言った重大事故は防止できることになります。

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2021年10月 8日 (金)

3992 地震の巣に住んで

この国は間違いなく地震の巣窟です。何しろ、ユーラシア、北米プレートの下に、太平洋、フィリピン海プレートがこの国の真下に潜り込んで鬩ぎ合っている訳ですから、常に地震の恐怖に向き合って行かざるを得ない宿命にある訳です。太平洋プレートからのストレスは、先の東日本大震災で、かなりの程度解放されたのでしょうが、一方フィリピン海プレートで生じている歪の開放される時は、目前に迫っていると推測されています。昨晩の地震も太平洋プレートとフィリピン海プレートの境界が関わる地震である事は間違いないでしょう。
各大陸プレートは、相対的に年間数センチの速度で衝突し、ストレスを蓄えている訳で、その歪が数メートルに達した時、耐えきれなくなったプレートが、「定期的に」大きく跳ね返るのが、地震のメカニズムなのです。その頻度は、各プレート間の相対速度に関わっているのでしょう。例えば太平洋プレートの潜り込みは年間8cm程度、一方でフィリピン海プレートのそれは、年間3-5cmと言われているので、大地震の頻度もかなり異なるのでしょう。その頻度は、かなり明確に記録されている中世以降の歴史を眺めれば、、概略は分かっていながら、人は何故沿岸の都市に密集して住んでいるのでしょうか。比較的人口密度の低い東日本であれだけの被害を受けながら、人々は東南海トラフの蠢きに比較的楽観している様にしか見えません。
関東大震災の悲劇から既に100年近く経過していますが、次に東南海トラフがストレスを解放する時期は、かなり迫っている筈なのです。昨晩の程度の小さな地震でさえ、都市部では鉄道や水道管などのインフラに被害が出ています。「本物」の時期関東大震災や東南海大地震が起こった場合、この国の東海道トランクラインは寸断され、経済活動の多くは停止してしまうでしょうし、都市部の住宅が壊れ、避難難民となってしまった大勢の人々の受け入れ先は、現在のところ全く見込みが立っていないのです。
大地震で現在の主要な輸送インフラである道路網や鉄道網が寸断された場合、残されるのは津波が治まった後の海上交通しか無さそうなのです。造船大国でもあったこの国は、大型フェリーや病院船や避難用のポンツーンなどの、海上インフラをもっと拡充させるべきだと、素人ながらも強く思っている今日この頃ではあります。

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2021年10月 5日 (火)

3991 何故山に登るのか2

続きです。山に登るのには、当然の事ながらそれに伴う楽しみがあるからです。先ずはアクセスの楽しみです。名山と呼ばれる高い山や山塊の奥に位置する山にアクセスするには、高速道や国道や県道、最後は林道を辿って近づくのですが、その道中は大抵の場合初めて走る道であり、車窓から見る風景は常に新鮮です。勿論、狭まった谷合を清涼な水が流れる渓流は、日本各地に見られる「原風景」ではありますが、やはり土地土地によって、独特の風景が観察出来て楽しいものです。取り分け、有名・無名の滝は、必ず車を降りて近づきたくなります。
山に入ると、多くの木々や植物、花をつける山野草などを目にします。その木々や植物に依存して生きる、動物や鳥や昆虫の観察も楽しみです。クマに出会いたくはありませんが、鳥やチョウなどは苦しい登りでは間違いなく癒しになります。技術用語に多くのメモリーを占められている元技術屋とって、樹木や山野草の名前を憶えるのは苦手なのですが、それでも十回くらい目にし、名前を口すると何となく覚えられて親しみも湧いてくるものです。その中で気づくのは、この国ではかなりの奥山にも人間の手が入っていて、針葉樹が密に植林されている事と、しかしながらその後の枝打ちや下草狩りなどの手入れが行われていない放置林の多い事です。いずれにしても、広葉樹林や混交林や自生している植物の中を歩くのは、人間にも強い癒しになるのは間違いないでしょう。
登山ルートは、当然の事ながら低い標高では比較的緩やかな林間の道、標高が上がると灌木の間の道、更に標高が上がると森林限界を抜けて、岩場が多くなるのが普通です。尾根に出て、気温も下がってきて涼やかな風に当たると、それまでの苦しい登りが報われる感じがします。更に標高を稼げば、周りの山々を眺め、さも自分が神様にでもなって作った様な気持ちになる瞬間が、最も好きだと言いいます。取り分け、シーズンがやや外れ、誰も居ない時に頂上を踏むのが好きです。山に登る時は、レジ袋を持っていき、登山道で見つけたPETボトルなどのごみを拾って帰るのは、環境人間としての密かな自負でもあります。
登山道で誰にも会わず、山中で数キロ以内には誰も居ないと思った時、心細さを感ずると同時に、自分は自分の意志でここを歩いていて、精神的にも完全に自由だと思える瞬間も、山で感ずる快感でもあります。

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2021年10月 4日 (月)

3990 何故山に登るのか

山に入っていたので久し振りの投稿です。登山は、投稿者のほぼ唯一の趣味です。40代半ばで、会社のトレッキングツアーで富士山に連れて行って貰ったのが最初の本格的な登山の始まりでした。それまでにも、学生時代にいくつかの地元の山に登った経験はありましたが、ホンのお遊びの様なものだったのです。富士山では高山病らしきものになりながらも、頂上までたどり着き、高曇りではありましたが、お鉢巡りの時に眺めた「下界」の景色の素晴らしさが、山にハマるきっかけとなったのは間違いないでしょう。
それから二、三度山岳部の山行に混ぜて貰って、登山の基礎などを教えて貰いました。初めて単独で向かったのは、確か「笠ヶ岳」だった様に思い返しています。笠新道の登りの苦しさと、朝テント場から眺めた日本晴れの景色は、その後の登山人生の中でも最も美しい景色として目に焼き付いたのでした。北アルプスの険しい山々、焼、乗鞍、御嶽の山々、遠くには中央アルプスや南アルプスも望めましたし、更にその先には富士の頂上までも見えたのでした。G-グルで測定すると、なんと100㎞ほどの距離になります。
その後は、当時住んでいた岐阜からアクセスの良い、北ア、中央ア、南アなどの百名山の山々を、1、2泊のテント泊で歩いてきたのでした。30/100名山を超えた頃、生きている内に是非百名山を踏破したいと明確に思う様になりました。しかし、その当時は、働き盛りで滅茶苦茶忙しい時期でもありました。精々、年に2、3回山行に出かけるのが精いっぱいだったのでした。別に登山したいからではなく、人生の見直しの中で50歳過ぎに早期退職しましたし、その後数年の中小企業勤めを経て55歳で完全なフリーランスになってからは、少し名山ハントのペースが上がって来たのです。60歳の時に、秋田にUターンし、自由時間がさらに増えて以降は、名山ハントのピッチもさらに上がり、今日現在95/100まで到達できたのです。
さて、何故山に登るのか?、改めて自分に問うならば、それは「心が欲し、山が呼んでいるから」としか答えられないのです。百名山を目指す単独登山では、ほぼ毎回未知の山の未知のルートを一人で歩く訳で、真夏のハイシーズンを外れると、めっきり登山者も少なくなります。そんな時、山深いルートに立っていると、たぶん半径5㎞には、誰も人が居ないだろうと確信できる瞬間があるのですが、たまらなくココロ細くなると同時に、自然と一体化している自分を発見するのです。それにつけても、古希を超えても3000m級の山に登る事が出来る、「ほぼ」健康体に先ずは感謝すべきなのでしょう。

 

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2021年9月24日 (金)

3989 水素社会への展望

最初に宣言しておきますが、投稿者は水素社会に否定的な立場を取っています。理由はいくつかありますが、最も重要な理由は、水素社会には「重厚長大」システムが必須であると言う点です。つまり、CCSと組み合わせて水素を化石燃料からの改質で作るか、或いはどこかの砂漠で作られる安い太陽光発電の電力を使って電気分解で作るにせよ、安価な水素を得るためにはそれを大量に作って、大量に運ばなければならないでしょう。流通についても、現在の石油同様、タンカーやタンクローリーなどで運搬し、水素ステーションで販売する流通網の整備が必要です。結局、莫大なインフラ投資と長い普及期間を要する「巨大システム」を構築しなければならないのです。
一方で、再生可能型エネルギーの本質はといえば、大元のエネルギー源が太陽光である事から考えても、「分散型であるという必然性」からは逃れられません。つまり、水素社会は事の本質と最初から矛盾している訳ですから、温暖化防止の解決策とはなり得ない要素を内在している訳です。大規模システムは、一度構築されると、それを維持するためには製造から流通まで「途切れの無い」流れが求められるでしょうし維持投資も必要です。現在石油に関しては、システムの維持のために、数か月分の消費量を支える「備蓄基地」を設けていますが、水素を数か月分備蓄する様な巨大な備蓄施設など、地震などのリスクを考えると全く想像できません。また流通の段階でも、石油に比べて引火性が格段に高い水素爆発の危険性は、F島の原発の悲劇的な水素爆発事故を想像すれば十分でしょう。
常温で液体の石油と常温では気体で、それを液化するためにはマイナス2百数十℃まで冷却しなければならない水素とは全く次元の異なる燃料だと言えます。水素は、使用時にCO2を排出しないだけで、純粋な再生可能型エネルギーなどではなく、石油の延長線上のハードなエネルギーなのです。

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2021年9月22日 (水)

3988 超高齢化社会

敬老の日の報道によれば、この国は、世界で最も超高齢化社会が進んでしまった国だという事のようです。2位を大きく引き離している様ですから、他の高齢化社会の道を進んでいる国々の行く末を占う、超高齢化社会のパイロット的な国になるのでしょう。なにしろ65歳以上の高齢者がほぼ3割に達し、そのスピードはまだまだ衰えない様ですから、この傾向には当分歯止めが掛からないと思われます。その中で、高齢者の一人として考える事は、やはり「生涯現役」をどうしたら貫けるかという一点だけです。高齢者層は、今のままでは明らかに現役世代の過度のオーバーヘッド(重石)になるからです。
生涯現役を貫くには、先ずは身体の健康の確保が必要でしょう。取り分け、目、歯、足腰の3要素が重要です。目は情報の殆どがインプットされる入り口器官であり、そこからの情報は脳を刺激してくれるでしょう。歯は、消化器官の入り口であり、咀嚼力の維持は内臓の健康にも影響を与えるでしょう。足腰は、最も老化の影響が出易い部位でしょう。筋肉は、放っておけばドンドン痩せて行きますし、それは同時に骨の強度をも低下させるでしょう。つまりは、これらの器官や部位を意識して機能を温存し、或いは逆に少しは鍛えつつ、身体の健康を維持していくしかないのです。
次に重要な事は、生涯に亘ってやるべきことを確保しておくことです。勿論、何らかの収入があれば理想的ですが、目的は「生涯現役を貫くこと」ですから、それが必須条件ではありません。勿論、最低限暮らしていくだけのお金は必要ですが、余分なお金はむしろ生涯現役生活にとっては邪魔でさえあります。つまり、なんら苦労しなくても生活が満たされてしまうと、生きるための努力が疎かになり、心身の老化を早めてしまうからです。老後は時間だけはたっぷりある訳ですから、狭い庭やベランダで目いっぱい家庭菜園を始めれば、いくらかは食費の足しくらいにはなるでしょうし、少し広い家なら薪ストーブでも入れて、春から秋口までは、伐採木を貰ってきて薪づくりに勤しむのも良いでしょう。薪づくりは、理想的な腕や足腰の筋トレでもあります。
街中で数キロ程度の移動であれば、移動は徒歩か自転車しか使わない様にします。ウォーキングこそは、人間の最も基本的な運動ですので、1日1万歩もあるけば体力や心肺機能は十分維持できるでしょう。投稿者は加えて、登山を趣味にして、心肺機能にさらなる負荷をかけています。頭脳労働も重要です。投稿者は読書と数独(ナンプレ)が好きですが、最近はZOOMでどことも繋がりますから、付き合いを広く構えれば、種々の情報や刺激も得られる筈なのです。体を鍛え、脳を活性化すれば、自動的に生涯現役が実現可能だと信じて実践しています。

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2021年9月21日 (火)

3987 オーバーシュート

天体の運行、例えば地球の自転、公転や月の満ち欠けを含み、多くの自然現象や自然のシステムはある幅の「周期」と「振幅」を内在しています。植物は、まさに1年周期である季節に完全に連動していますし、それに依存する多くの生き物も同様でしょう。人間が作る社会も、その意味で生き物であるヒトが形成するシステムであると言う意味で、ある種の周期を内在しているのでしょう。よく言われる社会の周期の例として、景気の変動(30年周期説など)が挙げられます。確かに、数多くの学者が、色々な理論を展開して、景気に周期が存在することを訴えています。
ここで取り上げたいのは、種々の周期のサイクルには、何らかの(或いは複数)のファクターが関わっていて、それがサイクルを加速したり、あるいは減速したりして、波を作り出しているという原則です。例えば、地球の季節は、たまたま地軸が23.5度程度傾きながら、しかも自転しながら太陽の周りを公転しているというファクターに支配されて、太陽光の受け方が季節に緯度によって大きな差が生まれる事になります。一方で、生き物が関わる周期(或いは振動現象)には、生き物のDNAに刻まれているであろうファクターによって生ずる場合も多いでしょう。例えば、ある生き物の個体数です。DNAは、その存続のために個体数を増やそうと働くのですが、一定以上増えてしまうと、存続のための個体数を残して、さながら仕組まれた様な大量死を引き起こすのです。
いきなり、工学の話になりますが、自動制御の概念にフィードバックという用語があります。系の変化量を検知して、それがある限度を超えない内に、マイナス(あるいはプラス)の制御信号を出して、目的量の振れ幅を許容範囲内に収める操作を指します。自然界でも、多くの場合は同様の作用が組み込まれているのですが、それが時として「暴走」していまう事があります。自動制御で言うところの「おアーバーシュート」です。それが限度を越してしまうのが「暴走」なのです。オートマ車の暴走事故ではありませんが、暴走は悲劇的な結果を引き起こす場合が多いのです。今地球は、人間が引き起こしたファクターによる温暖化の登り坂に差し掛かっています。遅蒔きながら、かつ不十分ながら、人間社会は温暖化にブレーキを掛けようと藻掻いては居ますが、もしかすると今はオーバーシュート(ついには暴走)過程の入り口に差し掛かっている可能性もあるのです。温暖化の「暴走」が引き起こす悲劇は、あまり想像したくはありませんが、人類にも多くの生物にも多大な犠牲を強いずにおかない事は間違いないでしょう。

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2021年9月20日 (月)

3986 食品ロスを考える

食品ロスは、この国だけでも年間600万トンを超えるとのデータがあります。一人当りにすると、48kgにも相当する量です。ざっと言えば、食べられる食品の3割程度を生ごみとして廃棄している勘定です。深く考えずとも、食品が私たちの食卓に並ぶまでには、多くの人々が関わり多くのエネルギーを費やしている事は自明でしょう。
エネルギーだけを見ても、農家での耕作や収穫に使う農業機械のエネルギー、肥料や農薬を製造するエネルギー、家畜の飼料を作り運ぶためのエネルギー、出来た農産物を冷凍(冷蔵)するエネルギー、それを運んで流通させるためのエネルギー、家庭で食品を保冷するためのエネルギー、それを調理するためのエネルギー、食べ残しや生ごみを集めるためのエネルギー、そしてそれを焼却処理ためのエネルギー、灰を埋め立てるためのエネルギーなどなどです。つまり、これらのエネルギーの3割は、無為に消費されているとも言えるのです。
簡単な暗算程度ですが、上で述べた食糧供給に関わるエネルギーだけでも、たぶん国内の消費エネルギーの内10%は軽く上回っていると見ています。という事は、もし食品ロスを無くす事が出来るなら、この国の消費エネルギーの4-5%は、黙っていても削減できる計算です。温暖化の主たる原因となっている化石燃料の消費を減らさなければならない昨今、先ずは食品ロスを無くす事から始めてはどうでしょう。それでなくとも、世界には日々の食料にも事欠く人々や難民が数多くいる事に思いを馳せなければならないでしょう。今日は短く。

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2021年9月18日 (土)

3985 持続可能性とは

SDGsでもそうですが、環境保全の基本になっているのは、当然のことながら「持続可能性」です。ところが、この言葉が結構曖昧な部分が多いのも否定できません。というのも、この言葉の背景にある時間軸の定義が何処にも無いのです。例えば、数年単位の短い時間軸で見ると、人間活動の殆どのものが持続可能ではないと判断されるでしょう。環境に対して加えられた「改変」が数年で回復される筈もないからです。例えば、気を1本切り倒して、その跡に新たに植林したとしても、元の様な立派な木に成長するには、少なくとも数十年は必要とするでしょう。つまり、森林に関しては考えるなら、持続可能性は多分家族で言えば3世代を跨いでのタイムスケールで考えなければならないでしょう。
化石燃料を含むエネルギー問題に関して言えば、そのタイムスケールはもっと長く取らなければならないでしょう。化石燃料の採掘による「環境の改変」は本格的には、18世紀の産業革命に嚆矢を見出す事が出来ます。石炭の採掘のためには、地下をアリの巣の様に掘り返したり、或いは露天掘りで地形が変わるほど地面を掘り下げたりした上に、それを運び出して都会の空が常にスモッグに覆われるくらい大量に燃やしたのでした。石油や天然ガスの採掘では、地表の状態は一見変わりませんが、地下にはそれらを押し出すために大量の海水が押し込まれたりしているのです。石油や天然ガス使用量は、石炭の比ではなく、それこそ天文学的な量に上るのです。化石燃料が出来るまでに、何億年を要したかは浅学にて承知していませんが、それを数百年というタイムスケールで、資源の枯渇や燃焼で生ずるCO2やNOxやSOxなどによって深刻な温暖化及び大気汚染を引き起こしている状況は、完全に持続可能ではないと断言できます。
ここで、人間の営みが引き起こす環境改変に関して、持続可能を考える上で、改めてタイムスケールを定義するとするなら、やはり世代間での直接的なリレーが可能な3世代程度とするのが適当と言えそうです。祖父、祖母世代は、自分が子供時代を過ごした環境を、孫世代にそのまま引き継ぐことを使命と考えて行動する訳です。戦後70年余りを掛けて、都市への人口集中と都市インフラ=エネルギー依存社会を積み上げて来たのであれば、今後70年余りを掛けて、逆の流れを作る必要があるのでしょう。多分、時間はそれ以上掛かるのでしょうが、少なくとも昭和世代は、その流れを作る責任からは逃れられないと思うのです。何故なら、昭和世代は環境に協力に働きかけて、それを改変し過ぎたと思うからです。関東平野を新幹線で通るたびに、昔は田園や里山が広がっていたであろう平野が、野を超え、山を越えて道路や建物に完全に覆いつくされている姿を目にする時、今後我々が、この風景を「元に戻す」のに一体何年、何百年掛かるのだろうかと溜息が出ます。持続可能性を担保するためには、我々はかつて存在した「残すべき環境」を正確に記録した上で、常にそこに戻る努力を続けなければならないのです。そのためには、今あるインフラを壊して、元の野原や里山に戻す工事(環境修復工事)も必要になるかも知れません。ただ、その際化石燃料を使わない様な工法を併せて考えないと、環境を修復するのに、逆に環境に大きな環境負荷を発生させるという矛盾を抱える事になってしまいます。さて、ここでは、持続可能性を評価するスパンは一応3世代分(70-80年程度)と定義しておきましょう。

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2021年9月17日 (金)

3984 レッテンバッハ村のこと

レッテンバッハ村を少し詳しく紹介しましょう。一度直接訪問したいとは思いつつ、主に先立つものが無い事が理由でまだ実現していませんが、この村を知ったのは10年ほど前に村長が日本に来た際に講演を聞き、短時間話をしたことが始まりでした。彼の話や資料によると、南ドイツの白鳥城(ノイシュバインシュタイン城)に程近い人口2000人余りだったこの村は、かつて州政府の指導により隣接する村と強制合併させられたようでした。しかし、合併によるメリットを殆ど感じられなかった村人は、村長を中心に声を上げ立ち上がって、州政府に掛け合って合併解消を勝ち取ったのでした。
その上で、村を立て直し活性化するために、コミュニティとしての自給自足を図りながら、村の自立を進めたのでした。例えば、建築士の資格を持つ村長は、自分で図面を引きながら、村の公共施設の充実を進めたのでした。豊富な森林や林業や製材所は元々村にありましたので、村人が力を併せれば、村営のスーパーであれ、集会所であれ、保育園であれたいがいの施設を建てることは容易でした。村には、農機具の修理工場や以前に進出していた工具工場など、高度ではないまでも工業のベースもあったのでした。そこで、村長の指導の下、工場は大型農機具や林業機械の改造などまで行える様に力を蓄え、潰れかけいたパン屋にテコ入れし、村営スーパーも充実させて、殆どの食料品や日用品が村内で手に入る様にしたのでした。その際、村は立派な地域通貨(見た目は2ユーロ硬貨に似ている)も作って、村内の買い物なら全てそれで決済できる様にもしたのでした。
次に着手したのはエネルギーの自給です。村内の屋根という屋根には、村が(州政府から引き出した)補助金を出して、太陽光パネルを載せる政策を打ち出しました。生まれた電力は、公共施設や家々で使い、余った分は村内の充電設備に回し、EVの充電にも使える様にしました。春先には、多くの畑ではナタネの栽培を行い、絞ったナタネ油はトラクターやディーゼル車の燃料として、村営の燃料スタンドで販売も始めました。当然の事ながら、昔からある林業から出る製材屑も無駄にはしません。チップやペレットに加工して、村の自前のバイオマス燃料としてしっかりと活用する仕組みも整備したのです。
そうこうしている内に、これらの優れた取組みを見学するために、国内外からの視察団や観光客が増えてきたため、村は立派な村営のホテルを建てたのです。勿論村内材を使った木造です。その結果雇用のニーズも増加したため、都会からは若い家族連れの移住も増え、人口も1.5倍くらいに増えて数千人規模に膨れ上がったのでした。村には、若者と子供がグンと増えて賑やかになり、人口ピラミッドもそれまでの高齢化型から裾野が広い「安定型」に近づいたのでした。
2982で紹介した様に、個人の力だけで自給自足の実現はかなり困難で、出来る事も限られてはいますが、色々な特技を持った村人が力を併せれば、村全体としての自給自足は十分に可能となるのです。この国でも、少なくとも数十年前までは、村々には鍛冶屋があり、大工さんや左官屋さんもあった筈です。大工さんは、簡単な図面だけで地元産材を使って建物を建てたことでしょう。勿論、食料はほぼ100%が自給自足だった筈で、コメや野菜や山菜などは近くの町の市場に出荷もしていたことでしょう。多分(この頃の経験を持つ高齢者が健在である)今なら、頑張れば日本にも「レッテンバッハ村モドキ」を作ることも十分可能だと思うのです。そして。その知恵を後世に引き継ぐことも可能となるでしょう。今ならまだ間に合いますが、団塊の世代が大幅に減ってしまう10年後以降は、それが無理になる可能性が大なのです。残念ながら。

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2021年9月15日 (水)

3983 お金再考

縄文の生活や自給自足家族の事を書いて、改めて価値とは、お金とは何かを考えてみます。お金とは、言わずもがなですが「価値交換の手段」に過ぎません。お金自体を食べる事も出来ず、手品師でもない限り道具としても使えません。しかし、現代の世の中では、お金はほぼあらゆるモノに交換できますし、犯罪でない限りあらゆるサービスを受ける権利とも交換できるでしょう。その交換の権利は、紙幣や貨幣を発行している政府によって保証されてもいるので、紙に印刷されただけのお金が価値を持って流通しているのです。
しかし、一方ではお金への価値偏重が、マネーロンダリングが蔓延する原因ともなっていると思うのです。マネーロンダリングは、主にテロや犯罪に関わるダークなイメージで語られますが、投稿者はそれをもっと広く捉えています。つまり、環境悪化や持続可能ではないビジネスで稼いだお金も、実はロンダリングされていると見るのです。例えば温暖化です。温暖化が主にCO2の過剰な排出に起因すると仮定して、石炭や石油や天然ガスを掘り出して、流通させるビジネスは、まさに環境の悪化を元手にお金を稼いでいる訳ですから立派なマネーロンダリングに相当するでしょう。化石燃料を使う機械(車や航空機など)を作っているメーカーも同罪に当たるでしょう。
勿論現代社会では農家でもない限り、お金が無ければ食べ物も手に入らず、飢え死にするしかありません。問題は、お金に頼る程度だと思うのです。100%依存する、いわゆる「拝金主義」は論外にしても、その割合を少しずつ下げる努力は必要でしょう。具体的には、物々交換や労働とモノを交換する仕組みが考えられます。その際、お金ではなく、その地域だけで使える「地域通貨」を交換手段とするのも良いでしょう。お金と地域通貨の違いはと言えば、それは上で述べたマネーロンダリングが出来ない(出来にくい)という1点です。地域通貨を使って、お金の様に食糧も買えますし、車での移動や買い物を頼むようなサービスも買える仕組みも出来るからです。
要は、一度お金に姿を変えれば、それが動いた背景は黒だろうが灰色だろうが無関係になりますが、地域通貨であれば、価値交換の過程を地域の衆人が見ている訳で、誤魔化し様もないでしょう。つまり、背景がクリアに見える価値交換の手段だと言えるのです。勿論、それを公的な立場で監視するシステムは必須でしょう。お金に絡んで多くの不正が発生する様に、地域通貨だって放置すれば、良からぬことを考える輩も出てくるからです。好事例として、投稿者が感心しているのは、南ドイツにある人口数千人の「レッテンバッハ村」の仕組みです。この村は、かなりの部分で国や他の地域から「独立」しており、物資の自給自足率も非常に高いのです。続きます。

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2021年9月14日 (火)

3982 自給自足の難しさ(若者への応援)

地元の放送局で、限界集落に暮らす若い夫婦と子供たちの様子が、定期的に紹介されています。その若い夫婦は、古い農家を無償で借りて、自給できる程度の農業を営む中で、自給自足生活を理想として、工夫を重ねながら、子育てを行っているのです。子供たちは、当然の事ながら、山や川の自然の中で、身近な動植物を相手に遊び、親を手伝い、下の子の面倒を見る中で、逞しく、しかし心優しくのびのびと育っている様子が毎回の放送で伝わってきます。
ところが、今回の放送の中で母親が吐露していたのは、お金の心配の事でした。暮らし向きは、自給自足で賄えてはいますが、子供たちの将来に向けての蓄えが出来ていないというのです。つまりは、暮らしにお金が殆ど掛からないが、教育には全ての面でお金が必要だと言うのです。義務教育でさえ、例えば給食費や教材費を納めなければなりませんし、高校に通う頃になれば、更に高い学費や通学のための交通費か或いは寮費なども必要になる事でしょう。
今の時代、お金の代わりにモノを納める「物納」という仕組みは存在しないのです。自給自足農家が、お金を手にするためには、労働を提供して(アルバイトで)お金を稼ぐか、余分の農作物を作って、地元のマーケットや或いはネットで販売して代金を得るしかないでしょう。そこに出すのさえ、運ぶための車のガソリン代や手数料や配送料金の心配をしなければならないのです。少数とは言いながらせっかく、自給自足の理想を掲げた若者が存在するのに、現代の社会の仕組みが、大きな壁となって立ちはだかっているのです。
それを救う方法は、いくつか考えられそうです。例えば、それなりに裕福な年寄りが、スポンサーになってこの様な若者のスポンサーになるのです。現代の大多数の年配者は、昭和の時代は必死に働き、それなりの個人的な蓄えや、社会的蓄積を積み上げて来た筈です。取り敢えず、竟の棲み家があり、食べるていくには十分の年金があり、自分が入る墓の手当てが済んでいるなら、余裕分は若い世代への応援として提供できる筈なのです。良く聞かれる言葉に「老後の蓄えが十分か不安」などがありますが、年寄りがある年齢以上になると、抵抗力が低下する結果、病気を貰うのは「自然の理」以外のナニモノでもないでしょう。つまりは、これは自然死だとも言えるでしょう。問題は、人間は何歳に到達すると自然死を受け入れられる様になるかですが、それを90歳と言ってしまうと、世の中は寝たきりの老人で満ち溢れてしまうでしょう。70歳になって最近感ずるのは、人生は80年も生きれば大満足かな、といった感慨です。つまりは、体が自由に動かせる年齢まで生きれば、それで十分だと思うのです。ネット社会にもなったので、ぜひ公的クラウドファンディングの様な、上手い仕組みが出来る事を期待しています。以上、ある自給自足夫婦の紹介番組からの連想でした。

 

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2021年9月11日 (土)

3981 縄文の暮らし2

私たちが何となく縄文人の暮らしに憧れるのは、それがほぼ完ぺきな形の自給自足であり、しかもそれが数千年にも亘って「持続可能」であると言う点だと思うのです。かつて、例えば四大文明などと呼ばれる地域が、栄華を誇っていた時代もありましたが、それらは全て滅びました。その原因は、その文明が地域の資源、森林資源や水や鉱物などを使い尽くしたか、或いは自らが出した廃棄物による自家中毒(耕作地の塩害なども含む)によって、最早文明を維持することが出来なくなったことにあると見ています。
一方、縄文人はと言えば、自給自足が可能な地域に、比較的少人数の集落を築き、環境が許す範囲内で質素に、しかし文化としては豊かに、暮らしを続けていたと想像されるのです。山内丸山でも、蔦植物を編んだ籠や、骨から精巧に作られた釣り針、実用品を超える出来栄えの土器や木工品、素晴らしい出来栄えの石器などが出土していて、その文明や技術力の高さが分かります。文字は残されてはいませんが、当然の事ながら豊かな語彙の言葉を含む文化レベルは、かなり高かったことは容易に推測できます。言葉は、自分たちの集落の文化を伝承すると同時に、例えば他の集落との交易や或いは諍いを未然に防ぐ際ののコミュニケーション手段でもあったことでしょう。
縄文時代と言えば、学校で習ったのは、貝塚であるとか、素朴な縄目模様の土器だとか、稚拙な作りの土偶程度の証拠で、採集生活を送っていた程度でしたが、そうではなくて、縄文の暮らしは、一言で言えば文化的でしかも持続可能であったことは、近年の各地の縄文遺跡群からの発掘物でも明らかなのです。その意味で、私たちはもっと縄文人の暮らしぶりを知り(想像し)出来る範囲内で、それに学ぶことも必要だと思うのです。学べき点は、彼らの「持続可能ぶり」に他なりません。今、今後100年間に亘ってそれが持続可能であるか否かという吟味をしたと仮定すれば、私たちの暮らし方の殆どは否定されてしまうでしょう。ましてや千年後においておや、でしょう。勿論、爆発的に増えてしまった人口を抱えて、例えば地域農業や里山や里海の恵みだけに頼って暮らしが立てられるかと問われれば、否とはなるのでしょうが、たった一二歩だけでもそれに近づく事は可能でしょう。私たちは、もっと縄文の暮らし方、或いは自給自足に近い中山間地の暮らしの知恵にもっと学び、持続可能性を追求すべきでしょう。

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2021年9月10日 (金)

3980 縄文の暮らし

仕事で青森に出かけた帰路、三内丸山遺跡に立ち寄りました。今から6000年ほど前の縄文集落跡で、凡そ1700年ほど続いた集落の様です。今は海岸からはかなり離れてはいますが、当時は「縄文海進」の頃ですから、たぶん海岸に近い丘陵地にあった集落なのでしょう。湿地に埋もれていた遺構は、保存状態も良く生活に密着した貴重な品々が、殆ど原形を保ったまま発掘された様です。
当然の事ながら、1700年の間には、人々の知恵や文化も随分進み、初期の素朴な発掘品と後期の複雑で意匠を凝らした発掘品とは、雲泥の開きが感じられました。注目すべきは、同じ集落が争いによる破壊も無しに、1700年間も存続したという事実でしょう。一説によると、日本の歴史は2600年ほど遡れる様ですが、当然の事ながら縄文の時代は「有史以前」に当たる訳です。しかし、確かに縄文人はそこに暮らし、豊かで文化的な暮らしを送っていたのでした。
実のなる広葉樹を植え、川や海際で魚や貝を獲り、当然何らかの形での農業も始めていたことでしょう。この地域の自然が与える恵みは、この人口500人ほどの集落を支えるに十分だったのでしょう。その後は地球の寒冷化が進み、北国である青森は住みにくい地域となって、ここに住んだ住民も南に移住を余儀なくされたと想像しています。勿論、人口の少なかったこの時代と、ヒトが満ち溢れるまで増えてしまった現代の暮らしを直接比較する事は出来ませんが、一歩でも二歩でもそちらの方向に踏み出す事は、十分に可能だと思うです。いまだに私たちは、たんぱく質のかなりの部分を海産物に頼っていますし、縄文以降に始まった農業(稲作)も、私たちの食生活の柱になっても居ます。三内丸山で見つかった、土器に漆を塗る技術(漆器)も立派に現代に引き継がれてもいます。
ここで強調しいたいのは、現代の技術や文化を概観するに当たって、産業革命以降の科学技術や文化だけに注目するのでなく、そのベースには縄文時代やそれ以前から、人から人へと連綿として受け継がれてきた、知恵や文化の土壌があって、その上に花開いているという認識が必要だと言う点です。勿論、縄文の知恵の多くは、現代社会にも大いに参考になり、持続可能性を上げ、環境負荷を下げるのに大いに役立つ筈なのです。続きます。

 

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2021年9月 9日 (木)

3979 広い意味での環境問題

このブログは、投稿者が技術屋から環境人間として、完全に脱皮した頃(15年余り前)から書き始めました。4000題ほど書き進めて思う事は、「環境」という概念のだだっ広さです。かつて環境問題と言えば、公害に代表される様なローカルな環境に着目し、その悪化だけが問題にされたのでした。川や湾内にとどまっていた水質汚濁や工業地帯や幹線道路沿いだけに限られていた大気汚染も、やがては海洋全体の汚染や地球を取り巻く大気圏全体の問題に広がってきたのでした。つまり、環境は水や大気や土壌で繋がっている地球全体として捉えるべきだと言うしかないのです。それどころか最近は、無計画に打ち上げられ、その後用済みになった無数の人工衛星やその破片が「宇宙ゴミ」として宇宙空間を汚染しても居るのです。
最近そこに新たな環境問題が加わった様な気がします。それは、地球上の生物を取り巻く、細菌(微生物)環境です、ウィルスが「生物か否か」については、議論がありますが、ここではそれも含めて考えます。細菌やウィルスなどが、ある地域だけに限定される「風土病」である間は、確かにローカルな問題にとどまりますが、それが黒死病(ペスト)やスペイン風邪や今回のCOVID-19の様に、人流によって世界各地に拡散してしまうと、これは新たな環境問題として浮上したと考えるしかありません。人々の接触や、もしかすると空気(エアロゾル)感染によって広がるパンデミックも、やはり人類や種々の生物を取り巻く一つの「環境要素」に他ならないでしょう。
今は、日常目にする人同士の感染や身近な動物達への感染程度しか問題にはなっていませんが、例えばある種の樹木や農作物を壊滅させる様な、新たな病原菌(やウィルス)や未知の微生物が、新たな環境問題としてクローズアップされないとは断言できないでしょう。何しろウィルスは、あらゆる生物の細胞(遺伝子)に取り付いて、自己増殖を繰り返す中で、自らも変異を繰り返しながら、宿主に病変を起こし、最悪の場合にはこれを死に至らしめるのです。
投稿者、環境を深く考える中で、環境問題とは単に温暖化や廃棄物処理の問題に留まらず、それそこそ範囲を限定できない、しかも底も見えない膨大な問題群の集まりに見えて来たのでした。その軽減のためには、どうやら特に私たち人類は、その活動を出来るだけ縮小し、「環境が許す範囲内」で、ひっそりと暮らしていくしかない様なのです。何度も書きますが、それは決して物質的満足に依拠するものではなく、主として精神的満足感で完結できる様な生活スタイルになるのでしょう。
間違いなく

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2021年9月 3日 (金)

3978 コロナとの共存

コロナウィルスは、なかなか「撲滅」出来ないことが明確になってきました。専門家も、撲滅ではなく「共存」することになると発言する様にもなってきたのです。普通の風邪症状や強い症状を示す、普通のコロナウィルスも。かつては今の新型コロナウィルスの様な存在だったのでしょう。それが感染を繰り返す内に弱毒化し、「普通のコロナウィルス」になってしまったというのが事実に近いストーリーだと思っています。
今猛威を奮っている「デルタ株」が、感染力は強いままだとしても重症化率も致死率も低い別の株に置き換わった時期が、やっとコロナとの「共存」が始まる時期だと言えるでしょう。現在まだその兆候が見えない様ですので、新型コロナ(デルタ株)の天下がしばらく続くと考えなければならないのでしょう。スペイン風邪を例に引くなら、今回の新型コロナも2年前後で収束する事が期待されますが、状況は当時(1918年前後)と大いに違ってきていることも事実です。例えば、人口がざっと4倍に、人流至っては今は何桁も増えている筈だからです。つまり、コロナウィルスの感染状況や、同時に変異の様子も100年前とは大いに違ってきていると想像されるのです。
ざっと言えば、感染のスピードは桁違いに早くて、それは変異するまでの期間を縮め、同時に重症化率や致死率の高い凶悪な変異株出現の可能性を高める可能性は高まる事を意味するのです。
一方で、公衆衛生や医学のレベルも100年前からは大いに進歩を遂げたことも事実ですが、それとて驚異的なコロナウィルスの感染スピードにはついて行けず、最新医療の恩恵に与れない自宅療養者の増加に歯止めを掛ける事が出来ない状況です。
問題は、何時専門家が(国が)今回の新型ウィルスとの「共存」が始まったことを宣言、すなわち特定伝染病ではなくなったことを宣言するかだと思うのです。多分英国では、ほぼその様な時期に入っていると見えるのですが、それは大きな犠牲を払った上に、強力なワクチン接種政策の結果だとも思うのです。多分地理的なラッキーもあったのでしょうが、英国とは異なる道筋で、累積で15,000人程度と、あまり大きな犠牲を払わずに済んで来たこの国が、何時共存を宣言することが出来るかは、コロナ共存へ至るプロセスとしては一つのモデルケースとなるのかも知れません。

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2021年8月21日 (土)

3977 結局パンデミックとは何か

新型コロナは、次々と「なんとか株」に変身しながら、2年近くに亘って人類を攻め続けています。当面収束の見込みは立たない様ですので、更に1年又は数年に亘って人類を窮地に貶め続けるのでしょう。確かに先進国ではワクチン接種が行き渡りつつありますが、そうでない途上国では感染を繰り返し、その中から新たな変異株も生まれてくるのでしょう。勿論、これまでの感染症の歴史が示す様に、変異株は原理上徐々に弱体化する筈ですから、何時かの時点では今回のコロナウィルスによるパンデミックも収束はするのでしょう。
しかし、細菌性にせよウィルス性にせよ、パンデミックが人類を度々襲うのには、何らかの「自然の意志?」が働いていると考えるのが正しいと思うのです。自然には、ある状態を維持しようとする力、すなわちホメオスタシスが働きます。多くの生物は、その自然が許す範囲内で生きてきましたが、唯一人類だけがその「定め」に反して繁栄を続けて来たのです。もし、自然が人類を命の危機に落とそうとしても、私たちは「自然を改変」してでも、それに抗って来た筈です。住宅という人工環境を作り、それを地下から掘り出した化石エネルギーを使って空調し、土地が無理なく与える以上の食糧を人工の肥料や農薬を使って搾り取り、大量のエネルギーを消費しながら、大量の物資を輸送し、人々を移動させてきた訳です。
その自然の改変のスピードは、地球の歴史上も非常に急激過ぎて、地球環境のホメオスタシスをはるかに超えてしまった事は、近年の温暖化傾向が加速している事だけも明らかでしょう。自然界に目を向けると、例えばある種のげっ歯類や昆虫などが異常に繁殖する場合がありますが、自然はその種の数を適正な数量に戻すために、例えばその種間にパンデミックを起こすとか、食糧を減らす事によって、大量死を起こし、その数を抑制しようとするでしょう。では、増え過ぎた人類に対してはどうでしょう。今までのところ、食糧で人口を抑制する事には成功していない様に見えます。大陸における大規模農業では、未だ地下深くの「化石水」が採取可能であり、農産物輸出国がそれなりに存在しているからです。しかし、自然環境は他の手段では上手くいかないと見て、今回は「コロナ攻撃」すなわち、コロナパンデミックという「直接的な手段で人口抑制を仕掛けて来た」とは考えられないでしょうか。投稿者には、どうしてもその様に見えて仕方がないのです。

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2021年8月17日 (火)

3976 温暖化の先行2

気温が同じだとして、モンスーン気候か否かは、もっぱら大気が海洋からたっぷり水蒸気の供給を受けるか否かに係っていると言えるでしょう。つまりは湿度の高低です。雨は、過飽和状態の水蒸気が水滴(時にはいきなり氷の粒)になって、それがくっついて降下してくるものなのですが、当然の事ながら水蒸気の量が多くなっている大気からは、より多量の雨が降る事になります。気象関係のデータによると気温が1℃上昇すると、大気中の水蒸気量は7%程度増えるのだとか。
近年の平均気温は、特に夏場は、体感的にも感知できるレベルで上昇していますから、同時に大気中の水蒸気量も、数十%は増えていてもおかしくないでしょう。
その結果、それが天気図で言えば、東シナ海からの水蒸気供給と、太平洋高気圧の縁を回る湿って暖かい風がぶつかって、いわゆる線状降雨帯を作る頻度が上がる夏場、数十年に一度レベルの豪雨をもたらすのでしょう。河川は、十年に一度程度の豪雨には耐えられる様に整備されてはいるのでしょうが、それを超える様な豪雨には無力で、各地で堤防の越水や、内水氾濫が続発する結果になってしまいます。
この国は、亜熱帯から亜寒帯まで続く細長い国土と、何より国全体が海洋に面していて、直接海からの風や水蒸気供給の強い影響を受けても居ます。その中で、上に述べたように気温と、同時に海水温上昇の影響を受けての大気中の水蒸気量の増加が、日々の気象に影響を与えていると言えるでしょう。つまり、この国は温暖化による気候変動が、他の地域に先駆ける形で、顕在化している国であるとも言えそうなのです。
それでどうなのかと言えば、今更温暖化の後戻りは難しいでしょうから、私たちは現状を追認しつつ、何らかの形でそれに「適応」しなければならないと思うのです。その意味では、私たちは、先ずは「防災マップ」を穴の開くほど眺めなければならないでしょう。その結果、地盤が低く、洪水のの影響を直接受ける地域や谷筋で山崩れのリスクが高いエリアの住宅は、計画的に避難(移動)させなければならないと思うのです。そうでなければ、数年おきに襲う「史上最悪」の水害による悲惨な被害を防止できないのです。床下や床上浸水及び土砂崩れによる悲惨な被害映像をニュースで見るたび、繰り返される悲劇に気持ちが沈んでしまうのです。

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2021年8月14日 (土)

3975 温暖化の先行

IPCCが、温暖化はほぼ人為的な活動の結果起こっていると結論付けました。勿論、自然のサイクルによって生ずる、気候振動もあるにはあるのでしょうが、大きな部分は人間の活動が原因になっているという訳です。ここでは、近年この国を含む中緯度地域で生じている、夏季の異常な高温について考えてみます。
諸説はあるのでしょうが、投稿者が見るところその主たる原因は、北極海の浮氷の減退にこそ見出すべきだと思われるのです。どういう事かと言えば、かつて(数十年前までは)北極海には海の「蓋」として、夏場もかなりの面積の浮氷がありました。それは、夏場でもそれなりの面積で海を覆っていたのでした。しかし、近年は夏場の浮氷はドンドン面積が縮小し、海面が露出する度合いが大きくなってしまったのです。夏場は、太陽が北回帰線に近づき、太陽光が常時北極海に注ぎますので、氷で覆われていない海面は水温が上昇し、ますます浮氷を解かすでしょう。つまり、夏場の北極海の海水温は年々上昇傾向にあり、それが冬場にも持ち越されて、再度結氷した際にも、氷の厚さは年々減少傾向にあるのです。
さて、北極付近の海水温が上昇し、気温も高くなると、特に夏場には「北極気団」が非常に弱くなる傾向になるでしょう。我が国の近辺(中緯度地域)に当てはめてみると、北極気団の手先であるいわゆる「オホーツク気団」も弱まり、代わって南の海で育った、熱く、湿った海洋気団の勢力が優勢になって、夏場の長い期間こ亘って、高温多湿のモンンスーン気候が、この国を含む中緯度地域を支配することになるのです。水蒸気は、強力な「温暖化効果ガス」でもあるので、それでなくとも日照時間の長い北半球の中、高緯度地域の夏場の気温はますます上昇の悪循環に陥ることになるのです。
結論から言えば、現在の様な夏場の酷暑傾向は、今後悪化はしても改善の方向には向かわないでしょう。同時に、モンスーン気候に由来する豪雨の頻発も避けられないと予想できます。中緯度地域の異常な気候は、いわば温暖化傾向の先取りをしているとも言えるのです。つまり、私たちは酷暑とも豪雨ともどうにか付き合って行かなければならない状況に立たされていると言えるのです。

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2021年8月11日 (水)

3974 費用の外部化

資本主義システムの影(負)の部分の一つに、費用の外部化があります。つまり、市場で取引される「価格」には、目には見えない「外部費用」が隠されている場合が殆どだということなのです。例えば、鉱物資源を考えてみましょう。鉱物は、純粋な形で採掘される訳ではなく、殆どの場合は化合物として採掘され、その中でも純度の高い部分を選鉱した上で、最終的には工場で精錬され、原材料として市場で取引されることになるのです。しかし、例えば鉱山労働者の賃金は、過酷な労働の割に低く、また鉱山の付近では、選鉱された際に出る不要な鉱滓は、ごみとしてうず高く積まれ、そのまま放置されていることでしょう。もし、労働者に高い賃金を払い、別の廃棄専用の坑道を掘って鉱滓を埋め戻すとすると、莫大な費用が発生するので、原材料価格はかなりの程度高くなるでしょう。つまり、この場合は将来世代がこの鉱滓を処理しなければならなくなった場合の費用を外部化(隠して)して、現世代の労働者を過酷な待遇で使い、将来世代に廃棄物処理のツケ回しをしている状況だと言えます。
農産物の例では、大産地では大量の地下水をくみ上げ、施肥はするにしても土壌の本来持つ微量を絞り出し、毎年どうにか市場に出荷している訳ですが、土壌を本来持って居る状態に戻すためには、例えば輪作とか休耕とかを組み合わせて、土壌を「休ませる」必要がある筈ですが、それをしないツケは、やがて将来世代へ押し付ける結果になるのです。
製造業でも、ツケを原材料の供給国(多くは途上国です)を買いたたき、或いは非正規の従業員を駆使しながら、つまりかなりの費用を外部化しながら、「市場が求める価格」で製品を出荷し続けるのです。そうでなければ、別の資本によるライバル企業に負けてしまうので、外部化を止める事は出来ない状況に置かれても居るのです。
市場における自由競争は、一見市場価格という基準を生み出し、価格を抑えるという理想に近いマーケットの形と言われますが、結局は費用の外部化が上手い企業が勝ち残る、歪な構造を持って居るシステムだと断ずるしかありません。

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2021年8月 2日 (月)

3973 地産地消の再考

地産地消は、持続可能な生産と消費という意味では、一つの方向ではありますが、投稿者としてはその意味をもっと厳密に定義して貰いたいと思っています。確かに、ある地域で育てられた農産物などを、その地域で消費することを地産地消と呼んでいますが、ではその作物を生産する際に、完全にクローズした地域の資源だけで完結しているかを吟味するなら、かなりの疑問が生じてしまうでしょう。つまり、作物を育てる上で使われている肥料や農薬や、農業機械を動かすための燃料など、かなりの資源が地域の外から移入されている事実を無視することが出来ないのです。また、それらの作物を消費した後の生ごみやし尿が、焼却された際に出る灰や、下水処理場で処理され排出された汚泥が、何処かの埋め立て場に持ち込まれる「一方通行」も地産地消のサイクルがオープンになっている原因となっているのです。
再度、江戸時代の話に戻れば、江戸の大人口を支えるために、コメなどは確かに大量に移入されてはいましたが、野菜や魚などは近郊で生産され、それを消費した後のごみも、し尿も地域で処理されていた筈です。それ故に、大人口を抱える江戸であっても、街は清潔に保たれていたのです。この江戸時代こそが、真の地産地消の原型とすべきなのです。
では、江戸時代の様な地産地消が今の時代にも実現可能かどうか吟味してみましょう。結論は、一部では可能だろうという曖昧なものになりそうです。戦後のモノの無い時代には、確かに江戸時代に近い地産地消が実現していました。物心がついた頃、我が家は地方の町の外れの方にありましたが、家並みは繋がっている様な地域でした、しかし、家並みの後ろ側には畑があり、小規模ながら養豚場もあったのです。小規模ながら、各家ではその畑で作物を育て、家々から出る生ごみは養豚場の豚のエサになったのです。豚のし尿は、敷き藁と共に堆肥として、畑に戻され、栄養豊かな作物の肥料となったのでした。
ポイントは、この様な持続可能で真の地産地消に近い取り組みは、決して大規模では実現できないという点です。上記の地産地消は、例えば数十戸程度の小さなコミュニティでこそ実現可能なのでしょうが、それが例えば小さくとも地方都市サイズとなると、実現は無理でしょう。そこに何らかの形で、人手では出来ないモノの移動が伴うからです。バケツや手押し車などで間に合う程度のモノの移動しか発生しない、小さなシステムでないと、本当の意味での地産地消は実現不可能だと言えるでしょう。その様な小さなシステムを、数多く作るのが、持続可能性を担保する正しいアプローチだと思ってます。

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2021年7月31日 (土)

3972 マテリアル循環

「持続可能な社会」という言葉の少し前、マスコミなどでは「循環型社会」と言う言葉が頻繁に使われた時期がありました。とは言いながら、この言葉は単にリサイクル率の高い社会などという、単純な社会と考えられていたのかも知れません。つまり、PETボトルであれば、リサイクル率が100%に近ければそれで良しとする風潮です。しかし、真の循環型社会は、物質の収支がキッチリ合っているいる社会だけを意味するのです。例えば、食べ物の循環を例に挙げるなら、農家が作物を植え付け、肥料や殺虫剤や水などをやりながら育て、市場を経由して流通し、消費者の胃袋に入って、最後は排せつされる訳ですが、ざっと考えてもこれは完全なマテリアルの「一方通行」典型でしょう。
江戸時代まで遡れば、江戸市民の排泄物は馬車に積まれて、近郊の農家の肥溜めに戻され、作物の肥料として「完全にリサイクル」されていた訳です。それどころか、し尿は作物との物々交換か、低額ながら有価で取引されていたのでした。これは、いわゆる「N:窒素循環」の一例ですが、水素(H2)や炭素(C)は、水や大気の自然循環の中で回っていますので、人手をかける必要はありません。
一方で、マテリアル循環の優等生である、鉄やアルミニウム、銅などを除けば、多くの金属資源やレアメタルなどの多くが一方通行の流れに乗せられているのです。何より、リサイクルに使われるエネルギー源である石炭や石油資源そのものが、莫大な量の一方通行となっている事実に目をつぶるべきではないでしょう。その結果が、今日ある様に大気中へのCO2の蓄積を招き、温暖化現象を引き起こしているからです。
厳密なマテリアル循環のためには、社会のインフラやシステムの綿密なデザインが必要でしょう。そうでなければ、物質はエントロピーの法則に従って、必ず環境中に分散・拡散することが必至だからです。それは、単に必要なマテリアルの散逸だけではなく、この国の黒歴史であり、途上国では現在の大問題である、不要なマテリアルによる「環境汚染=公害」を引き起こしてしまうのです。必要な社会システムとは、3Rの内、先ずはマテリアルの使用量を削減するReduceと、製品の再使用(Reuse)を基本とするものでなければなりません。その上で、完全なリサイクルシステムを構築するために、完全な回収システムをデザインする訳です。製品単価に対して十分に高額な、デポジット料金制度を設定するのがベストでしょう。空のPETボトル容器のデポジット料金が例えば50円であれば、空容器を捨てる人などは誰も居なくなるでしょう。勿論、その前にPET容器のデザインを統一し、肉厚も十分に厚くして、20回程度の再使用に耐えられる規格にすることが大前提ではありますが・・・。

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2021年7月30日 (金)

3971 お金から離れる

3970の続きです。現代社会では、殆ど全ての価値がお金(通貨)で測られています。それは、モノに限らず、目には見えないサービスやエネルギーやエンターテイメントに至るまでお金で評価され、決済されている訳です。その結果何が起こったかと言えば、価値=お金という風潮の蔓延でしょう。つまり、お金には結びつかない、たとえばボランティア活動や親切心や挨拶などは、無価値な行動と見做され、誰も関心を示さなくなったのでした。例外的に、大震災や水害などが起こった際にだけ、突然「絆」が叫ばれて、瞬間風速的にこれらの活動が活発になるだけです。
しかし、人々が何のためにお金にならない行動をすすんでやるのかを考えるなら、それは自明ですが自らの満足感(やりがい)を得るためなのでしょう。しかも、報酬を受け取らないことにより、「親切をカネで売った」という罪悪感も感じないで済むでしょう。今後の社会での価値や幸福感を考える場合、そのポイントは、現在の殆ど唯一の価値(観)である「お金」から出来るだけ距離を置くことにあると思うのです。距離は遠ければ遠い程良いでしょう。大分前の昔ですが、実家はクリーニング業を営んでいましたが、お客の中にはクリーニング代を、自前の作物(果物やお米など)で支払う(価値交換する)人たちが何人かいた様でした。どうせ、実家でもお金を出して買うものなので、サービスとモノを交換するのは一向に構わないのでした。勿論、税務署はお金としての所得を把握できないので、少しは困るのでしょうが、実家はどうせ貧乏で税金などはあまり払っていなかったでしょうから、世の中が困ることも無かったでしょう。
企業や黙っていても?お金が入るお金持ちは、お金を大事にしてしっかり税金を払ってくれれば良いでしょうが、特にあまりお金に縁がない人達は、むしろお金に距離を置く、物々交換やサービス(労働)とモノの交換の仕組みを拡大させて、お金が無くとも問題無く生活が続けられる社会を目指すべきだと思うのです。お金が動かなければ、税金を心配することも無くなるでしょうし、住民税や市民税、固定資産税なども「物納」の仕組みを作れば良いのです。どうせ、学校や自治体の運営する施設では、給食や施設の維持などで、食糧や労役の「現物」が必要でしょうから、税金の代わりに物納を少し増やしても、問題は生じないでしょう。勿論、物納の際の客観的物差しは明確にしてトラブルが起こらない様には配慮すべきではあります。

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2021年7月29日 (木)

3970 価値の再考

3769の続きです。S藤幸平も指摘する様に、価値には市場価値と使用価値があるのだそうです。投稿者は、これにもう一つ私的価値も付けくわえたいと思っています。これは、例えば趣味や嗜好などを重視する、いわゆるオタクにとっては、他人から見ればゴミとしか見えないものやコトにも、至上の価値を感ずる場合があるからです。
さて、市場価値についてですが、これはマーケットが、需要と供給の関係で決めた(決まった)価格の事で、需要が増えれば、または供給が減れば、市場価値は上昇するという関係になる価値の事です。しかしながら、いわゆる行き過ぎた市場経済においては、市場価格(または相場)は、力のあるサプライヤや流通業者などによって、かなり意図的に操作(つまりは高値安定に維持)されている場合が多いのです。例えば、野菜や青果などが豊作になった年には、生産地で廃棄し、市場価格が極端に下落しない様に「操作」されることなどが例示されます。一方の使用価格ですが、これは製品が使用者や消費者にとってどれほど有用かという物差しであり、本来は市場価格とは独立して決まるものだと言えます。
現代社会においては、価値と言えば一義的に前者(市場価値)である場合が殆ど(全てと言い切っても良い程)で、それはほぼ全ての商品やサービスが、お金で決済=価値交換される仕組みになっているからに他なりません。例えば、農業においては、市場で売れる品種の種も、種苗会社においてコントロールされ、農家はそれをお金を出して買わされる訳です。農地の草取りも人手が足りないので除草剤を買わされて散布し、害虫対策もやはり殺虫剤を買わされて撒布するわけです。人手不足をカバーするためには、高い機械を買わされ、出来た作物もJAが決めた価格で買い取られ、市場に出ていく訳です。つまり、農業の全てが、市場価値により価格コントロールされているとさえ言えるのです。
付け加えになりますが、投稿者が言う「私的価値」とは、例えばあるモノ(例えば骨董品)のコレクターが、カネに糸目をつけずに、衝動買いしてしまう状況を想像すれば良いでしょう。つまりコレクターとは、市場価値や使用価値を無視して、所有するというココロの自己満足だけのために、お金を使う存在と言えるのです。勿論、将来の値上がりを期待して収集する「不純なオタク」は、ここには入りません。
いずれにしても、私たちは「市場価値」だけに、モノ(やサービス)の価値基準を置いては、判断を誤ってしまうと思うのです。詳細は以下に続きます。

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2021年7月27日 (火)

3969 人新世の「資本論」を読んで

久し振りに読み応えのある新書に出会えました。投稿者の子供世代よりまだ若い(30代前半)、S藤幸平の「人新世の資本論」です。これは、2021新書大賞にも選ばれていますが、著者は、C.マルクスの「資本論」を含む膨大な著述、取り分け晩年に残された著述を丁寧に読み起こしながら、現代社会が抱える諸問題、取り分け行き過ぎた資本主義(=巨大資本の台頭)による害と制御が効かなくなった気候変動に関わる諸問題に対し、新自由主義に基づく資本主義は、火に油を注ぎこそすれ、解決には無力であることを切々と訴えかけています。
返す刀で、しっかり働いた結果ではあるにせよ、高度成長期の果実を受け取った団塊世代含む、今高齢者と呼ばれる世代の「逃げ得」を許さないという強いメッセージも発しているのです。次稿以降で詳細な感想を述べていきますが、若い哲学者である著者の思索が、経済や地球環境や人間社会に蔓延しているパンダミックに至るまで、地球上での営み全体に注がれている視野の広さは、凡人の投稿者にとっては驚くべきことでもありました。
高齢者と呼ばれる私たち世代は、確かに高度成長期を生き延びて、一見国も庶民も豊かさを実感できる時代を体験してきた訳ですが、それは実は「お金」だけで評価された豊かさであるという事には気付かず(或いは気づかないふりをして)に暮らしてきたというしかなさそうなのです。国も、国の豊かさをGDPだけで評価し、公表してきたのでした。
その結果、我々は地域の絆や、家族の団らんや、心の豊かさ(文化活動)等を犠牲にして、馬車馬の様に働いてきたのでした。何も考えずに、目の前の課題(利益率だったり生産性だったりする指標です)だけを見ながら、鞭うたれた馬の様に前進するのは、ある面では楽でしょう。方向やスピードの加減など余計な事を考えなくて済むからです。何しろあの時代、夜遅くまで残業して、仕事を「こなす」事こそがまさに「サラリーマンの使命」だったのですから。
しかし、私たちは馬車馬であったが故に、経済成長のスピードを上げ過ぎたこと、つい最近まで(IPCCが警鐘を鳴らすまで)環境破壊を含む地球の悲鳴を聞く耳を持たなかったことを無視して、経済(景気)優先を是として事を猛省しなければならないでしょう。少なくとも、高齢者と呼ばれる人たちと、今社会を支えている世代の全ての人々は、この新書を手に取り、これからの人類の行く末に思いを馳せるべきだと思うのです。そして、次世代に残すべき「持続可能な社会」の礎の一部でも残して人生を終えるべきなのでしょう。という想いを新たにしたところです。さて、では何をすべきかを以下の稿で考えます。

 

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2021年7月25日 (日)

3968 都市化の罪と逆流

どの国でも、都市化(人口の都市集中)の流れは止まりません。特に途上国では都市に人口が集中し、スラム化が進んで、物価も上昇し、そこが住みにくい場所になってもトレンドに変化は生じないのです。この国では、その流れは殆んど止まったとはいえ、高度成長期以降の都市集中のスピードにはすさまじいものがありました。その痕跡は、例えば都市郊外の大規模団地や、里山を削って谷を埋めて作った、郊外に延々と広がる大規模住宅地に明確に残っています。とは言え、都市集中が止まったのは、単に人口がすっかり減ってしまった田舎に、最早都市に出せる人口が残っていない事に原因があり、いわば消極的な都市化の停止であると言えるでしょう。
さてその都市化には、重大な罪があります。つまり、大都市を支えているサプライチェーンやインフラが巨大になり過ぎ、最早人間のコントロールを越えつつある点と、都市を支える物流がほぼン完全に一方通行である点、加えてそれを支えるための莫大なエネルギー供給に、限界が見えている点などが挙げられます。サプライチェーンについて言えば、現状は輸入を含め何とかつながっては居ますが、海外からのサプライが弱くなると、輸入依存率の高いこの国では、すぐにでも食糧を含むサプライ品のひっ迫が生ずると懸念されます。インフラについて言えば、高度成長期以降拡大を続けて来たインフラ(上下水道や道路など)の老朽化が進んでおり、早晩インフラの大規模な更新が必要になる時期に入るのです。
しかし、都市化の最大の罪は都市を支える、物流とエネルギーが環境に与える負荷の大きさだと言えるでしょう。都市に大量のモノを供給するために、船舶をトラック及び鉄道を総動員して日夜運び続ける必要がありますし、一日でも物流が途絶えると、都市は直ちにモノ不足に陥ります。エネルギーについても同様です。都市内部でのエネルギー自給は、全く無理な状況です。代わって、新潟や福島など、遠く離れた場所に立地する発電所に、供給を頼り切っているのです。その事実は、3.11の震災で白日の下に晒されたのでした。福島からは、水力発電の余剰分と原発の発電量のほぼ全量が、東京(関東)に送られていたのでした。
つまり、大都市を支えるために田舎や海外で農産物を生産するための負荷、それを運ぶ物流からの負荷、エネルギーを供給するため、都市外で発生する負荷、都市で生まれた下水やごみを処理する負荷などなど、多くの環境負荷が都市から外部に押し付けられている訳です。その一方で、田舎には最早農業を持続される人が残っていないという有様なのです。このブログでも何度も提案していますが、既に都市化は止まっては居ますが、それだけでは不十分で、都市化の逆向きの人の流れを作り出さねばならない時代なのです。それも、政策や税制なども駆使しつつかなりの勢いをつける必要があるのです。

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2021年7月21日 (水)

3967 20世紀は終わった2

20世紀技術の代表として、航空機と原子力を挙げてみましょう。先ず航空機です。言わずもがなですが、20世紀に入ってすぐに、ライト兄弟が数十秒間の飛行に成功して以降、急速に航空機の時代に入りました。それが、二度の大きな戦争でその技術も急速に伸びて、第二次大戦中に開発されたジェットエンジン技術が、戦後に花開いて現代の航空機産業につながっている訳です。勿論、機体の軽量化技術とエンジンの高効率化技術が相まって、その技術は極限まで進歩はしましたが、ケロシンとも呼ばれる石油を燃料とするという状況は、初期型と何も変わってはいない訳です。つまり、航空機技術は成熟し切っており、原理的なブレークスルーは殆んど期待できない状況だと言えます。同時に、ジェット旅客機を利用した旅客輸送のビジネスモデルも、新型コロナウィルスというパワーアップした感染症によって、行き詰まりを見せている訳です。
さて、技術とビジネスモデルで息詰まった、航空機業界ですが、コロナが一段落しても、たぶんV字回復は期待できないでしょう。何より、航空旅客がこれだけ減少しても、世の中がどうにか回っている事を世界中の人々が体験してしまった事は、社会的に大きな出来事となるでしょう。つまり、今後は旅行のための旅行と言った、航空機の利用は格段に減ると思われるのです。それは、レジャーと言えば(海外)旅行しかないという、私たちのライフスタイルの見直しも要求するのです。
さて、一方の原子力ですが、これは20世紀の中盤に実用化された技術の代表なのですが、発端は軍事利用だったのです。東西冷戦の中で、何か月も海に潜ったままで活動できる潜水艦の動力源として、原子炉が採用されたことが発端でした。その後、日本でも1隻だけ建造されましたが、船舶の動力源としてスケールアップが試行されましたが、結局放射能の封止技術が不十分だったため、原子力空母でいくつかの実用例が残っただけで、舶用としての原子炉の実用は放棄されたのでした。しかし、諦めの悪い技術者は、これを陸上の発電所の動力源に転用し、放射性廃棄物の発生には目をつぶりながら、世界の多くの国々で、原発を建設し続けたのでした。確かに、放射性廃棄物の処理や、寿命を迎えた原発の廃炉(日本では事故原発の廃炉)費用を無視すれば、発電コスト的には原発が優位に立っては居るのでしょうが、今だにそれを唱えているのはこの国だけになった様に見えます。
結局、廃棄燃料のリサイクル技術として期待された、高速増殖炉は失敗に終わり、廃炉後の高濃度放射性廃棄物の処理方法の目途も立たず、原発は破綻したのですが、この国ではカーボンニュートラル政策が背中を支える形で、原発を存続させる方向に動いているのです。原発は、軍事産業と重厚長大産業を両親に生き続ける「20世紀の亡霊技術」以外の何者でもないのです。

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2021年7月19日 (月)

3966 20世紀は終わった

20世紀人の投稿者としては、20世紀の半ばに生まれ、右肩上がりの社会の中で、21世紀には希望を抱いて生きて来たものでした。しかし、世紀の変わり目に立ち、20世紀を振り返り、そしていざ21世紀になってみると、20世紀の我武者羅で矛盾だらけな姿だけが目に付いて、21世紀はもしかすると20世紀の「尻ぬぐいの世紀」ではないかとすら思えて来たのでした。
20世紀型の技術やシステムはいくつも例示できます。20世紀は、大きな戦争もありましたが、欧米先進国にけん引されての。「便利で快適」な生活の追求の世紀でもありました。それを支えたのは、鉄鋼などの金属資源、コンクリートを作る石灰岩資源、そしてそれを生み出すためと、快適な生活を支えるエネルギーの大きな部分を占める化石燃料≒石油でした。取り分け、モノやエネルギー資源の輸送のための大型船舶や貨物自動車、人の快適な移動を支える、航空機や乗用車は、石油をがぶ飲みする中心でもありました。
しかし、考えてみれば、それらの役割も大きく様変わりしていると言っても差し支えないでしょう。というのも、20世紀型の社会システムや快適な生活を支えるためには、大量の地下資源とエネルギーの消費が必須であり、その結果として多量の温暖化効果ガス(取り分けCO2)の発生が避けられないのです。結果として起こった事は、短期的にはいわゆる温暖化による気温や海水温の上昇、陸氷の融解と海面上昇などですが、長期的に見れば少雨による砂漠化の拡大=耕作適地の急激な現象、気象現象の不可逆的な激甚化、結果としての新たな感染症の蔓延や食糧不足問題などが徐々に顕在化している様に見えます。
確かに20世紀型の技術やシステムは終わった様に見えるものが多くなりました。取り分け大量生産、大量消費、大量廃棄型の社会システムは、積極的に終わらせなければならないでしょう。何故なら、地球資源の枯渇や異常気象の頻発が激しく警鐘を鳴らしているからです。今我々はコロナ下で、航空便が90%も減らされた時代を経験していますが、どっこい人々は生きています。サラリーマンは、車や電車で会社に通勤しなくても出来る仕事も結構多いことが分かりました。会議や講演であれば多くの場合ネットでつなげば事足りるのも事実です。教育のオンライン化は、たぶん十分に成人となって居ない子供たちの情操には良くないかも知れませんが、使い方によっては非常に有効でしょう。長くなりそうなので、次回に続きます。

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2021年7月16日 (金)

3965 パワーの均衡・平衡

世の中の動きを眺めていると、常にパワーとパワーのぶつかり合いや均衡に関するニュースが溢れている様に見えます。国内の於ける、企業間のシェア争い、古くはB国とS連の軍事パワー競争、近くはB国とC国の経済覇権争いなどが思い浮かびます。背景を少し考えてみると、この地球上には最早「フロンティア(新天地)」と呼ばれていた、開発余地が殆ど無くなったことに思い至ります。古くは、B国の西部、戦争の種ともなってきた、アジアやアフリカには少し前までは、確かにフロンティアと呼ばれる開発余地が残っていました。しかし、底に複数の大国のパワーが入り込み、互いに覇権を主張しながらそこをドカドカと踏みにじってきた訳です。
争い事は、その地域の資源を求めてだったり、あるいは宗教やイデオロギーが絡んでのケースだったり、その両方だったりしたのででしょう。インドシナでもC鮮半島でも、中東でも、アフリカでも同様の事が起こった筈です。その結果残されたのは荒廃した国土と力で無理やり分断された人たちの心のシコリや小規模な紛争の頻発だった訳です。
つまりパワーとパワーの間に、隙間が有る内は、そこがクッションになって紛争は避けられた時代もあったのでしょうが、地上に人類が溢れ、相対的に地球が小さくなってしまった現代においては、地球の至る所でパワー同士が接触し、均衡・平衡が保たれている内はまだマシですが、それが少し崩れると火の手(軍事衝突)が始まってしまう訳です。Aフガン、中東、Aフリカの複数の国々での主権争い、S閣諸島や南シナ海などの島しょ部(の地下資源)の先取り合戦、果ては北極海の資源先取り合戦まで、パワー同士のせめぎあいの種は尽きません。
問題は、この種のパワーのせめぎあいには、後退は無いと言う点です。一方が、少しでも引けば、直ちに相手方が攻め込んで優位を獲得してしまうでしょう。つまり、パワー同士のせめぎあいは、強まりこそしても、弱まる事は考えられない訳です。勿論、地球の資源は有限ですし、イデオロギーや宗教のせめぎ合いにしても、自陣の勢力拡大は全ての当事者が狙っている事でしょう。残念ながら、パワー同士の衝突は、激しくはなっても収束する事は考えられないのです。

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2021年7月14日 (水)

3964 「空飛ぶ車」は飛ばない

このブログでも何度か「空飛ぶ車」に言及していますが、最近でもSロバキアで、スポーツカーに翼をつけた空飛ぶ車がテスト飛行を成功させて、ニュースになりました。しかし、実用化となると話は変わります。先ずは、陸を走り、空を飛ぶ動力源ですが、実用を考えると、このケースの様に、コンパクトで高出力のガソリンエンジンとするか、あるいは航続距離を犠牲にして、バッテリー+モーターとせざるを得ないでしょう。実験機の段階では、いずれもが成功しているように見えます。しかしながら、実際の運用では、システムの信頼性の倍増が不可欠です。つまり、動力源の二重化によるバックアップか、あるいは動力が失われた際でもそれなりの距離を滑空できる性能のいずれかを確保する必要があるでしょう。
今回のスポーツカータイプの空飛ぶ車は、いずれのバックアップも備えていない様に想像しています。それは見かけでも明らかです。地上を走行するために翼が可動で、車体に格納できる仕組みとなっては居ますが、それは翼面積が非常にコンパクトであることを要求します。グライダーを思い浮かべれば分かりますが、滑空を可能するためには機体重量に比べて十分広い翼を必要とするのですが、この車+飛行機の場合には、動力が失われた場合は、急角度で高度を失うのは間違いありません。特に低速の場合は揚力が十分ではない結果、殆ど墜落に近い状態で高度を失う筈なのです。しかし、もし安全性を確保するために動力系を二重にしようとした場合、重量が重くなり過ぎて飛び上がれなくなることは目に見えています。
加えて、車が空を飛ぶ場合、パイロットには車の運転技量に加えて、空を飛ぶための知識と技量が必要となります。また、天候の具合も何時も快晴、無風である訳ではなく、雲や風や雨などの時々刻々変わる天候にも臨機応変で対応することも必要でしょう。それは、自動化されマニュアル化された旅客機の操縦よりも高い技量だとも言えるのです。
そんなに機数が多くない(民間機で800機程度、内個人所有は250機ほど)ヘリコプターでさえ、年間では数件の事故が報告されているのです。個人所有の空飛ぶ車が、ヘリに混じってこの狭い国土の上空を飛び回る姿など、危険すぎて全く想像もできません。今回の考察でも同じ結論ですが、危な過ぎる空飛ぶ車など絶対に実用化されない、となりました。

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2021年7月13日 (火)

3963 異常降雨2

テレビに流れる静岡や山陰の豪雨のニュースを何気なく見ていましたが、それがアッと今にお隣の山形県へ飛び火し、翌日にはここ秋田でも集中豪雨に見舞われました。これは、勢力を強めつつある夏の高気圧(太平洋高気圧)の縁を回る様にして供給される、湿った暖気がもたらす、いわゆる「梅雨末期」の豪雨の様なのです。しかしながら、各地で「観測史上最多」を記録し続ける豪雨の背景には何か根本的な(地球規模の)異常現象が隠れていそうです。
勿論、地球規模の温暖化傾向の中で、近年日本近海の海水温も上昇し続けているのは最大の原因でしょう。暖かい海水面からは、大量の水蒸気が供給され続けるからです。しかし、それだけでは、この異常な豪雨を説明しきれていない様に思われます。地上の高温多湿の大気によって、厚い積乱雲群(規模の大きなものは線状降水帯と呼ばれます)が発生するためには、必ず上空の寒気団とのセットが必要となるからです。これに関連て、公開されている250hPaの上空の気流図を眺めていて気が付いたのは、遠く離れたバレンツ海(北極海の一部です)から南下し、中緯度の偏西風に合流して日本に流れてくる冷たい(と思われる)気流が認められる点です。この時期の偏西風は弱いので、かなり複雑に蛇行はしているのですが、確かに日本上空に入り込んでいるのです。
その寒気は、「週間寒気予報」の画面でも確認できます。つまり、北極気団が十分に冷たく、偏西風がしっかり吹いていたこれまでであれば、梅雨はシトシト雨が続き、たまに豪雨が観測されたとしても、大きな災害を起こす事無く梅雨明けにつながったのでしょうが、近年は前述の様に偏西風の複雑な蛇行が増えた結果、思いもよらない遠くのバレンツ海からの寒気が入り込み、結果としての「史上稀にみる豪雨」が頻発する様になったと想像されるのです。
人間の大自然、取り分け気候変動に対抗する力は、それほど大きなものではありませんが、少なくとも「史上稀に見る異常気象」を前提とした、河川など公共工事の在り方や人々の避難行動を考えて行かなければならない時代に入った事は間違いないでしょう。それを認めなければ、自然災害多発時代にあって、痛ましい災害関連死が増え続ける事を回避する事は出来ないでしょう。

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2021年7月 8日 (木)

3962 異常降雨と対策

各地が線状降水帯を含め、梅雨末期の集中的な豪雨に見舞われています。梅雨の末期のこの時期は、そもそも気温も高くなっている事もあり大気中の「絶対水蒸気量」が多い季節であり、少しの刺激(例えば海上からの水蒸気の追加供給、前線の活発化など)で、豪雨になり易い時期でもあります。問題は、その豪雨が丸一日、あるいは断続的に数日間続く事にあります。元々、火山性の岩石(例えば花崗岩)やそれが風化した土壌(真砂土)、あるいは火山灰やそれが固化した脆い岩石(凝灰岩など)が国土を覆っていて、しかも山々が急峻なこの国では、短時間の豪雨には耐えられるものの、長時間続く豪雨で、地下水が急激に充満して、動きやすくなっている斜面では、地滑り(山津波)や鉄砲水などの災害が多発してしまうのです。そこに、安易な谷筋の埋め立てなどの行為が重なると事態は、今回の熱海のケースの様に深刻になります。そもそも、建設廃土などを谷に埋め立てるという行為はご法度の筈なのです。集中豪雨で山間道路が寸断される現場は、無理な掘削の結果山側の傾斜が急過ぎてその崖が崩落する場合と、谷筋に土砂を埋め立てて道路幅を確保したヵ所が、谷側に流失する場合に大別されます。
たとえ、これまでの集中豪雨に耐えて来た場所であっても、それを超える今時の豪雨には耐えきれない場合も多くなるのではないかと心配されるところです。土砂というものは、地下水が十分に浸透し、湿潤したものは、さながら液体の様に振舞うものだからです。液体が斜面に置かれれば、ホンの少しのきっかけで、流動化して斜面を流下するのは自然の理でしょう。それを防ぐには、擁壁や砂防ダムの建設程度では無理だと思うのです。谷筋は橋を渡すか、あるいは豪雨時は(排水管では流量が間に合わないので)道路上を直接水が流れても問題が無い様にしてしまうしかないのでしょう。
気温と海水温の上昇傾向はこれからも続くと思われ、過去の記録に比べ、異常豪雨と呼ばれる様な豪雨は今後も発生するのでしょう。道路や河川或いは下水道(排水路)などのインフラは、それを前提に再度安全性を見直さなければならないと思うのです。

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2021年7月 7日 (水)

3961 偏西風の弱まり

3960に関連して、偏西風の弱まりも昨今の異常気象に関連していると考えられます。高緯度の偏西風は、極地方に蓄積している冷気=高気圧の吹き出しが、コリオリの力で、さながらその極気団を縛るハチマキの様に流れている強い風の事を指しますが、それが近年かなり弱まってきている様なのです。原因ははっきりしています。それは極地方の温暖化です。とりわけ、北極海の温暖化傾向の中で、夏の間は海氷の大部分が消失してしまう結果、白夜の陽光で海水温がますます上昇するという「悪循環」に陥っているのです。この結果、特に夏場の極気団が弱まり、結果として偏西風も弱まるのです。
偏西風が弱まるとどうなるかと言えば、それは蛇行の原因となる訳です。北極点から見て円形に近い形をしていた偏西風リングが、蛇行を始めると例えば数枚の葉を持つクローバ型に変形し、蛇行の凸の部分では寒気が降りてくるのですが、逆に凹の部分では南から暖気が高い緯度の地域まで入り込んで、異常な高温をもたらすのです。しかも、この偏西風の蛇行は一度始まると、長い期間固定的なってなかなか動かない様なのです。その結果、今回の北米で起こった異常高温も長く続き熱中死などの被害を増大させたと思われるのです。
極地方、取り分け北極地域の温暖化傾向は、前述の様に悪循環の過程に入っているので、今後カーボンニュートラルをいくら頑張っても「悪化傾向」のトレンドは変わらないでしょう。そうであるならば、私たちの残された道は、その温暖化への「適応」しか無さそうなのです。具体的には、効果の見えにくい地道な活動ではありますが、例えば砂漠を緑化して地球のアルベド値を下げる事、深海のミネラル分の多い海水を海面に汲み上げる事などによって、植物プランクトンを増やして、CO2の吸収源を増やすなどの方策しか見当たらないのです。
即ち、温暖化効果ガスを減らす⇒温暖化を弱めて平均気温を下げる⇒極地方の陸氷・海氷を復活させる⇒偏西風を復活させるという、息の長い「温暖化の逆サイクル」を回すしかない訳です。これは数世代を跨がる活動になる事は自明です。しかし、遅すぎるとは言え、今日から始める必要があるのも間違いはないでしょう。

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2021年7月 3日 (土)

3960 水蒸気ドーム?

温室効果ガスとしての水蒸気の効果は、忘れられがちですが、温室効果の6割は水蒸気由来で、二酸化炭素の影響はと言えばかなり小さく2割程度であることを銘記すべきでしょう。勿論、僅か50年ほど前には280ppmだった二酸化炭素が、今や400ppmを大きく超えている事を過小評価すべきではありませんが。さて、水蒸気です。水蒸気の形態にもバリエーションがあります。つまり、全く目にも見えない分子サイズの水蒸気もあるでしょうし、雲の様にある大きさ以上の粒径になっていて、目で見てもはっきり分かる場合もあるでしょう。また、その水蒸気の粒が凍結して氷の粒になっているケースだってあるでしょう。
しかし、温暖化に影響を及ぼすのは、間違いなく最初の「目には見えない水蒸気」である事は名違いないでしょう。何故なら、目に見える水蒸気はむしろ上空で、太陽光を遮ってしまって、地上へ届く性器外線をもかなり減じてしまうからです。つまり、温暖化に寄与する気体は、かなり波長の短い可視光も、赤外光も一旦は透過させ、地上を暖めて宇宙に戻る赤外光や遠赤外光をブロックし、地上に押しとどめる性質を持つ筈なのです。その意味で、異常高温が観測されている地域においては、暖気のドームが出来ているのと同時に、ある条件下にある水蒸気のドームも重なって出来ている筈なのです。
その様な暖気ドーム+水蒸気ドームが、Ω型に蛇行した偏西風のポケットに入ってしまった時に、たぶん1週間ほど続く異常高温の原因になるのだ、と投稿者は見ているのです。温暖化効果の最も高い状態の水蒸気ドームがどの様なメカニズムで出来るのかは、まだ説明しきれませんが、火山ガスや砂漠や海洋から発生する微細粒子やミストが関わっているのかも知れません。春先に、黄砂やPM2.5が原因となって空が霞み、同時に春先にしては気温の高い日が観測されることがありますが、この時期の高温も同様のメカニズムで発生し、偏西風が弱いために現象が長く続くのだと考えらます。

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2021年7月 1日 (木)

3959 異常高温

北米、取り分けカナダ西部での異常高温がトップニュースとなり、ネット上では「ヒートドーム」などという言葉が躍っています。普通の夏であれば、最高気温での25℃程度の地域で、50℃近い高温が数日間記録された訳ですから、まさに異常です。単に気圧配置の異常であれば、たぶんこの地域でも30℃を少し超える程度の高温なら、夏場には何度か記録されていた筈ですが、冷涼なツンドラ地帯で。砂漠の気温である50℃は、やはり「ひどく異常」というしかありません。
そのメカニズムとして、さも既成事実の様に「ヒートドーム」なる言葉と、そのイラストがアップされていますが、何故例年より15℃も高くなったのかの説明としては十分ではありません。さながら、ある地域が地上からの熱放射をブロックする「半球形の透明なプラスチックの容器」に閉じ込められた様な状況だからです。素人にも思いつくのは、この地域が温暖化効果ガスの塊に覆われた場合ですが、それに対する直接的な証拠は提出されていない様です。北極圏で思い当たるのは、永久凍土の融解によって地中の有機物が分解を始め、メタンガスが発生するというメカニズムですが、では何故この地域にその様な「メタンドーム」が出来るのかを説明できるとは思えません。一方、この様は異常高温は、近年欧州や旧ソ連でも報告されており、今年はたまたま北米で起こっている現象なのかも知れません。
更に想像を進めると、想像ですが、もしかするといくつかの異常高温要素、例えば数日間動かない気圧配置、温暖化効果ガスの集積、温暖化効果物質(例えば火山性のミスト)の集積、などが偶然に重なり、異常高温のスポットが北米の高緯度地域に現れたのかも知れません。
もしかすると、温暖化のメカニズムには私たちがまだ気づいていない、温暖化効果ガス以外にも未知の複数の要素が存在するのかも知れないのです。事態の進捗には、フィードバックでブレーキがかかる場合と、逆にフィードフォワードが働いてアクセルが踏まれる場合がありますが、温暖化に関しては今はアクセルだけが踏まれている状況なのかも知れません。かなり恐ろしい予感ではありますが・・・。

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2021年6月30日 (水)

3958 航空機の電動化

電力は、いずれの形態のエネルギーに転換するにせよ、最も効率の高いエネルギーの形であることは間違いありません。例えば電力を力のエネルギーに変換する場合、モーターを使えば、90数パーセントの効率で転換できるでしょう。熱エネルギーへの変換に至っては、100%の効率で転換できる訳です。(空調レベルの熱でヒートポンプを使えばそれ以上)
しかし、問題は化石燃料にせよ、再エネにせよあるエネルギー形態から電気エネルギーを得る際の効率の低さこそが大問題なのです。化石エネルギーから電力を作る火力発電所の熱効率は40%程度がMaxなので、ボイラーで発生させた熱エネルギーの6割程度は、煙突やタービンの復水器などから環境へ放出せざるを得ないのです。これでは、効率の高い内燃機関(エンジン)や外燃機関(タービンなど)で化石燃料を直接エネルギー源として使うのと、電動機で駆動するのとそんなに大きな差は出ないでしょう。
さて、電動の航空機です。車メーカーやそれらを忖度していると思われるお国は、どうやらドローンの大型化を視野に、電動飛行機を実用化させようと目論んでいる様です。しかし、考えてみればすぐ分かりますが、空港と市内を結ぶ空飛ぶタクシー程度の利用であればそれでも機能はするでしょうが、大陸間横断の長距離機としては絶対に成り立たないでしょう。何より、現在の技術では、エネルギー密度として大陸横断に耐えるだけの電力を蓄えるバッテリーが実用化できないでしょう。
ならばどうするかですが、それは車と同様にハイブリッドとするしか道は無さそうなのです。つまり、最大パワーを要する離陸時や機体の操作動力として、電力を使うシステムが例示出来るでしょう。発電には、高速回転をしているジェットエンジンを活用するのが良いでしょう、発電機は高回転化すればするほど小型化が可能ですから。勿論、離陸時にはバッテリーに蓄えた電力でブーストする事により、発電機の大きさも抑える事が可能となるでしょう。現状の寸胴型で空気抵抗の大きな機体の改良と相俟って、効率を現状の2倍、つまりは現状の半分の燃料で飛べる航空機の開発なら十分可能でしょう。100年後まで考えるのであれば、新しい時代の飛行船などまで視野に入る事でしょう。つまり、太陽光パネルからの電力を使って飛ぶ飛行船で、大陸間の横断には偏西風を上手く使って飛ぶ仕組みです。アジアからアメリカまでは数日間掛かりますから、料金はかなり高めとはなるのでしょうが、何しろ石油が枯渇した時代、石油を使わないのは、他に帆船くらいしかないでしょうから、致し方ありません。それまでは、ハイブリッド電動航空機でつなぐしかないのでしょう。多分。

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2021年6月29日 (火)

3957 アフターコロナ2

今回のコロナパンデミックスは、経済活動のみならず、個人の生き方、暮らし方に影響を与えずにはおかないでしょう。何故なら、私たちがこれまで当たり前の様に享受していた、便利で快適な暮らしが、実は大規模なパンデミックの前では、さながら薄氷の上に成り立っていた「脆い」ものであった事が、誰の目にも明らかになってしまったからです。つまりこの世に、確実なものがある、または明日が今日の延長線上にある、などと思う事自体が「泡沫(うたかた)」の様に打ち砕かれることが起こってしまったのでした。
仕事、カネ、移動の自由や遊び、人間関係、健康、家族、勉学機会などなど、何一つ確実なものは無い事が分かってしまった私たちは、今後何を拠り所として生きて行けば良いのでしょう。投稿者としては、先ずは自分の足元を見つめ、確認する事から始めてみようと提案しています。勿論、投稿者の様に年金があり、ささやかながら自営業としての収入もあり、取り敢えず生きていくには大きな問題が無い世代と、現役バリバリで、子育てなどの支出も多い世代とは、かなり立場が異なる事は理解した上で、それでも自分が現役世代であった頃と比較して、現現役世代がかなり贅沢に暮らしていると見ています。例えば、旅行やレジャーに費やす時間や費用、通信費(ネット費用)、外食費等に差を感じます。投稿者の若かった時代には、家計費のホンの一部であったこれらの費目が、現世代では家計の大きな部分を占めている様なのです。
アフターコロナの来るべき時代には、先ずは必要不可欠の生活のベース部分と、その上に積み重なるベーシックな楽しみに関わる支出と、更にその上に乗っかる贅沢品や嗜好品を明確に切り分けて、収入や時代の流れの中で、柔軟に切り替えていくべきだと思うのです。つまり、あれもこれもではなく、今回はあの贅沢をしてしまったので、これは我慢すると言った切り替えです。借金して贅沢を楽しむのではなく、コツコツとお金を節約し、貯まった時点でささやかに発散するのです。健康も同様でしょう。感染症が流行してから対応に慌てるのではなく、日頃から体を鍛えたり、免疫力を高める努力(健康の貯金)をしておくべきなのです。コロナパンデミックは、現代の消費(浪費)生活や便利過ぎる都会生活に対して、耳が痛くなるほど大きな音で警鐘を鳴らしていると受け取るべきだと思うのです。

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2021年6月25日 (金)

3956 アフターコロナ

実のところ、今の様なウイルスや病原菌による「パンデミック」は、かつて「○○風邪」と呼ばれたもの、赤痢や黄熱病やペストなど死に至る病原菌によるものも含め、歴史上繰り返して人類を襲って来たわけです。ケースによって、人口の数分の一が失われた様な、壊滅的なパンデミックもあったでしょう。その意味では、歴史上私たちはアフターパンデミック、アフターコロナを何度となく経験してきたはずです。
しかし、現世代にとっては今回のコロナパンデミックは、ほぼ最初の経験として捉えられているのも間違いないでしょう。感染症による命の危険が、こんなに身近に迫った事など経験してこなかったのですからそれも無理はありません。勿論、原発事故や地震・津波や水害で命の危険に晒された経験を持つ人は多いのでしょうが、五感では感ずる事が出来ない微生物?による脅威は、それらとは別の恐怖を与えるものだと思うのです。
歴史上のパンデミック後も、アフターコロナも、人類が無力感に打ちのめされ、途方に暮れる図には違いが無いのでしょうが、圧倒的に異なるのは、現代の情報量の多さだとも思います。コロナが、人類に取り付き増殖する機序、それが変異を繰り返しながら免疫システムを潜り抜けようとする仕組みも分子レベルでかなり解明されては来ました。しかし、敵もさるものです。ウイルスは、免疫システムに感知されない様に、その突起を変幻自在に変えながら「生きながらえる」のです。今回は、肺炎を主な症状とするコロナウイルスでしたが、次回は別の臓器に取り付くウィルスに変容するかも知れません。
いずれにしても、今回のコロナパンデミックは、世界経済やそれに伴う人の流れ、更に言えばネットを使ったリモート○○の増加、外食の激減など、私たちの生活スタイルにも大きな変化をもたらしました。それは、必ずしも一過性の現象には留まらないと投稿者は見ています。今回のコロナ後には自粛の反発現象は少なからず起こるのでしょうが、例えば最終的に航空機便数や外食産業の規模などは、完全にコロナ前のレベルに戻るとは想像できません。もし戻るとしても、現世代の記憶が薄くなり、1世代以上代替わりしてからの事となるのででしょう。多分。

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2021年6月24日 (木)

3955 徒然に(鳥海山)

自宅から一番近くにある百名山である鳥海山に、年に10回以上は登ります。自宅からは、30㎞ほどしか離れていないので、どんよりした曇りの日以外は、雨の日でも雲の高さによっては、この美しい休火山の姿が眺められます。下から見上げる山も姿も確かに美しいのですが、しかし山に登ってみると、全く違った感慨に襲われます。というのも、この山は今は休火山と呼ばれていますが、投稿者が学生時代(正確にはS49年)に小規模な爆発を起こし、泥流も発生したのです。その時の噴火口は、今でも新山の溶岩ドームの横原に生々しく残っていて、この山が火山である事を想いこさせます。
加えて、古の時代には富士山の様に二等辺三角形できれいなコニーデ型の山容が、この新山が出来た大噴火で、なんと火口カルデラの北半分が吹き飛ばされて、大規模な山体崩壊を引き起こしたのでした。(目撃した訳ではないので想像です。)その崩壊が、いわゆるにかほ高原の標高500mほどの大地を作ったのでした。この山に登ると、三角点があり最高点が2230mほどの外輪山の残りと、ゴロゴロとした巨石が積み上がっている溶岩ドームの新山(2236m)の二つのピークがある事に気が付きます。新山から北側を眺めると、角度で言えば50-60度に切り立った、山体崩壊の斜面が眺められ、その下に火砕流が作った広大な台地が広がっているのが見えるのです。
一方で、海側の登山口から登ると、小田ヶ原と呼ばれる台地(溶岩台地)や噴火口(お釜)である鳥海湖や大小の溶岩ドームが眺められ、やはり古の火山活動に想いを馳せる事が出来ます。学術的にも貴重な地形である鳥海山とその周辺は「ジオパーク」にも認定されており、山麓や麓には温泉も多く湧き出ています。この山に登る度に、地球の悠久の歴史を想い、それに比べて人間の一生なんてなんとちっぽけな事か、と大自然の前で謙虚になれるのです。何故山の登るのかと問われれば、大きな山の上で自分のちっぽけさを確認して安心するため、と答えています。投稿者は、その北側の麓の町で生まれましたが、還暦を迎えてこの山が見える土地に竟の棲み家を建て、Uターンしたのでした。同じく、この山が望める場所の共同墓地に墓地を求めたのです。結論を言えば、人はやはり自分が生まれた場所で人生の最後を迎えるのが、実は一番幸せなのかも知れないと思う今日この頃なのです。

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2021年6月21日 (月)

3954 環境学2

環境学について言いたい事はもう少しありそうです。凡そ「環境」とい概念は「閉じた系」であると考えるべきでしょう。地球環境と言う系を考えてもそうです。確かに、宇宙空間から飛来する隕石もあるし、稀ですが地球から飛び立ち、宇宙のかなたに消えていく宇宙船もあるのでしょうが、基本的にはその僅かな物質の授受以外は、地球はほぼ完全な閉じた系と考える事が出来ます。
もう少し、小さな単位で考えて、島国である日本について考えてみます。海外との交易が殆ど無かった古の時代、この国もほぼ閉じた系だったと言えるでしょう。日本の外の系から来るものと言えば、雨や偏西風がもたらす黄砂などに限られていましたし、出ていくのは火山活動から上空高く噴き上げる噴煙や噴出物、あるいは川が山を削って海に運ぶ泥程度だったからです。無視できる程度ですが、渡り鳥や他の生き物が運ぶ有機物の出入りもあるにはありました。
しかし、大航海時代は限定的だった海運が、取り分け戦後になって、大型船によって大量運搬、大量消費時代に入って、国の間の物流量が飛躍的に拡大していったのでした。そして、その量が環境に影響を与える規模まで拡大した時に、例えば「公害」などの「環境問題」を引き起こし、それを吟味するために「環境学」が必要となったのでした。公害とは、環境が処理できる量を超えて、環境中に自然には存在しない(またはごく僅かにしか存在しない)物質を排出した結果日本でも世界各地でも巻き起こったトラブルでした。例えば、それが有害物を含む排煙や排気ガスでは、大気汚染という公害を引き起こしましたし、有害な物質を除去しないまま、工場排水や生活排水を川や海に流し続けた結果、水俣病やイタイイタイ病や悪臭漂うドブ川問題を各地で起こしたのでした。
勿論、環境がその負荷をどの程度引き受けられるかの限界(=しきい値)は重要ですが、公害の中には、環境が即反応する場合と長い間沈黙を守る場合があるのです。目に見える、大気汚染や水質汚濁は誰の目にも明らかですが、では50年前に大気中の温暖化効果ガスによる環境悪化について誰が警鐘を鳴らしてくれたでしょうか。投稿者の知る限りにおいては、ごく少数の学者グループだけだったと振り返っています。温暖化効果ガスは、CO2の様に無毒で、目には見えませんし、逆に植物の光合成には不可欠のガスでもある訳で、それが気象に重大な影響を与えるなどとは、以前には殆ど知られていなかったからです。
環境学とは、3953とは別の言葉で言えば、「(ほぼ)閉じた系に生ずる後戻りできない変化を予測し、評価し、修復を図る学問である」とも言えそうです。系の変化量や率が激し過ぎると、最早後戻りも修復も出来ない、環境「破壊」に至るのです。今や私たちは、その後戻りできないポイント(Point of no return)に立っていると考えなければならないでしょう。残念ながら。

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2021年6月18日 (金)

3953 環境学とは

投稿者は、50歳過ぎに「環境」に目覚め、その後放送大学の大学院の門を叩き環境学を学びました。高専出身で20歳で社会に出ましたので、通常の学部生から見ると2年分は「キセル(古い言葉です)」をした様にも見えますが、社会人としての経験をカウントして貰い、ちゃんと試験も受けたので、インチキではありません。
さて環境学です。投稿者なりの結論としては、環境学=持続可能性学だという事になりました。極論を言うなら、今どんなに優れた技術だと評価されていても、100年後も持続的に使えるものでなければ、それは環境学に照らして悪い(=持続可能ではない)技術だと判定するしかないのです。投稿者が長く関わっていた分野に、造船業と航空機産業がありますが、前者はGOですが、環境学的には後者はNGだと言えるでしょう。つまり、船はもし石油が無くなっても、例えば太陽光による電力と帆走を併用した船を作れば、走らせることは可能ですが、一方で航空燃料を全てバイオ燃料にする事は量的に不可能ですので、旅客機は近い将来には大金持ちしか乗れない乗り物になる事でしょう。
この様に、100年間というフィルターを通して、今ある技術なり製品をチェックに掛ければ、残ったものが「多分」持続可能で、SDGsの17個のターゲットにも叶うものだけが残るのでしょう。さてm車はどうなるのでしょう、言えることは、100年後も自転車は間違いなく残るでしょうが、車はどの様な形で生きのびるのかは不明です。少なくとも、空飛ぶ車は実用化されないでしょうし、同じ程度に水素自動車が大々的に使われないであろうことは、ほぼ断言しても良いでしょう。何故なら、両方共持続可能性からの必然性が非常に「希薄」だからです。墜落してもあまり大事故にならないと思われる小型のドローンはまだしも、落ちたら乗員や地上で巻き添えを食った人達がただでは済まない空飛ぶ自動車や、せっかく苦労して発電した電力で水素を作り、爆発の危険を覚悟で乗り物に搭載して使うというロスと危険が混在する技術には、何の必然性も感じられません。それよりは、単なる電気自動車の方に軍配が上がるからです。
くり返しますが、環境学とは結局は持続可能性を吟味するリトマス試験紙の様な学問だと思うのです。勿論、その中には社会システムや技術のGO/NO GOを判定する「倫理学」の様な要素も含まれるべきでしょうし、人類や他の生物のあるべき行く末を議論する「未来学」の様な要素も必要でしょう。

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2021年6月15日 (火)

3952 バイオ燃料考

ミドリムシのサプリで有名になった企業が、ミドリムシからバイオ燃料を抽出し、ジェット機での燃焼試験を成功させたようです。これは一つの正しい方向だと思います。微生物が、水と太陽光とCO2を使って合成した炭水化物=バイオ燃料の原料は、それを燃焼させても理論上大気中のCO2は増加させないのです。ですから、航空機の様に「電動化には馴染まない」インフラは、当面この様なバイオ燃料で動かすしかないからです。
問題は、生産量とコストです。太陽光を使う限りにおいては、先ずは広い面積を持つ「水面」を確保する必要があるでしょう。残念ながら、ミドリムシは淡水に生息する微生物ですので、海面では役に立ちません。その意味では、狭い国土のこの国では適地が余り広くなさそうです。もし、おある大きさの淡水湖をこの目的で利用しようとしても、既にそこに棲息する生物の生態系を破壊する恐れもあり、かといって新たに人工の湖水を作り出すにも同様に生態系の破壊問題が付きまといます。
決定的な解決策にはつながらないかも知れませんが、休耕田をこの目的のために転用するのも一つの考え方ではあります。雑草を生やしておくよりは、ミドリムシを育てた方が土地利用としては良いに決まっているからです。
バイオ燃料の量の確保問題に関しては、「節約」にしかる良いアイデアは見つかりそうもありません。無駄使いを防ぐ方法は一つしかありません。価格でコントロールするのです。化石燃料には、目が飛び出る様な税金(炭素税)を課して値段を非常に高く設定し、一方でバイオ燃料にはささやかな炭素税を掛ける訳です。それにしても、バイオ燃料の製造コストは高いので、たぶん燃料価格としては、バイオ燃料が今の2倍以上程度、化石燃料に関しては思い切って10倍程度になる様に税金で誘導するのです。その結果、不要不急の燃料消費は、たぶん今の半分程度には抑制可能となるでしょう。つまり、欧州への旅行パックが20万円以下程度であれば、それを利用する人も多いのでしょうが、それが一気に40万円を越えるとなれば、庶民レベルでは旅行の頻度も下げざるを得なくなる筈なのです。国際便の便数も、結果として現在の(コロナ前の)半分程度に減便せざるを得ないでしょう。しかし、減便と値上げで多少の不便さは残りますが、コロナ渦中の現在に比べればそれでも天国の様なものだと言えます。

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2021年6月14日 (月)

3951 温暖化効果物質

以前にも似た様なタイトルで投稿した様な気もしますが、どうせアクセス数も少ない随筆風の文字だけのブログで、誰も注目していないでしょうからまあいいでしょう。最近の温暖化傾向に拍車を掛けている要素として、温暖化効果物質(GHP=Green House Pm)を疑っています。これは、いわゆるPM2.5の様な大気中を浮遊する物質が、結果として太陽から来る、或いは地球から反射される赤外線を吸収したり、反射したりして、温室効果を高めているのでないかと疑っているのです。
赤外線とは数ミクロン~1000ミクロンほどの波長を持つ電磁波の総称ですが、取り分け人体が感じやすい波長の10ミクロン前後の「遠赤外線」の挙動に注目しているのです。PM2.5は、5ミクロン以下の有害な浮遊物質やミストなどが、肺の奥深くに入り、喘息などの呼吸器系の病気の引き金になったり、悪化させたりするため、近年注目される様になってきましたが、その粒子サイズは、何も2.5ミクロンに限定されるものだけではなく、大きなものは黄砂などの無機質から、石炭火力などから排出される、硫酸ミストなどを含み、広く分布している筈です。それらの粒子の直径は、先に述べた遠赤外線の波長に近いこともあり、それらを反射・吸収する可能性は高いのです。結果として、遠赤外線が地表付近の大気の中に閉じ込められ、それによって大気温度が上昇する事につながる訳です。これは、GHC(温室効果ガス)が、大気温度を上昇させるメカニズムと同じですので、GHPも温暖化を助長させる要因だと疑われる訳なのです。
残念ながら、近年PM2.5は、主にお隣の大国の内陸部や旧ソ連で石炭火力に頼っている地域で発生されるPM2.5の原因物質量が、エネルギー使用量の増加に伴って増加傾向ににあり、加えて中央アジアの砂漠化地域の拡大によって多発する様になった黄砂と相俟って、PM2.5の発生頻度や密度も高まっていると思われ、これが特に春先の高温傾向を招いていると見ています。そうでなければ、いくら温暖化が進んでいるとは言え、5月や6月に北国でも真夏日が頻発する気象現象の説明はつかないでしょう。

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2021年6月11日 (金)

3950 五輪所感

五輪の中止や再延期(=ほぼ中止ですが)の声も,、さすがにここまで来れば、外野の歓声にしか聞こえない様な雰囲気になってきました。何より、五輪の誘致に率先して動いた前のリーダーとその大番頭であった現リーダーのメンツというものも有之で、政府として中止や再延期と言った選択肢は無かったのでしょう。
とは言いながら、五輪はあくまで民間のスポーツイベントであり、それ以上のものではない筈です。それをさも、国がけん引するイベント(国を挙げてのお祭り)でもあるかの様な扱いには、決定初期から違和感を禁じ得なかったのは投稿者だけではないでしょう。
それにつけても、五輪の裏で動く莫大なカネには、最早呆れる他は無さそうです。決定初期には、競技施設やインフラの整備に信じられないほどの公費が突っ込まれ、その後はいわゆる広告代理店と言われる企業やメディア関連企業、セキュリティ関連企業やIT関連企業まで、五輪マネーがばら撒かれていったのでした。コロナ騒ぎがあり、旅行・宿泊産業やサービス業は存続を掛けた痛みに襲われてはいますが、それにしても「五輪長者や五輪規貴族」にとって、中止や再延期などという言葉は耳にするのも寒気がするでしょう。
いずれにしても、五輪は「カネにまみれ過ぎている」のは事実でしょう。かつての様な。アマチュアスポーツの祭典には最早逆戻りは無理なのでしょうが、少なくともその努力は必要だと思うのです。今回のTokyo2020では、政府や国民の前のめり状態が、IOCに見透かされている状況であるのも間違いはないでしょう。だからこそ、その会長も自信を以って「五輪の中止や再延期はあり得ない」などと発言も出来るのでしょう。
結局、私たちは政府も含め、2回目の五輪誘致に狂喜乱舞し、その開催に前のめりになり過ぎたところを、コロナ騒ぎが襲ったという構図が、最後まで続くのは間違いなさそうです。その意味では、世界中の国々もこの国も、昨年B漢の封鎖やあの豪華客船の着岸が発端に勃発した新型コロナウィルスの脅威を、あまりに低く評価してきたツケが今回ってきているのだ、と深いタメイキまじりに振り返りしかない様です。その意味では、歴史に残る「呪われた五輪」ではありますが、あまり大波を立てずにひっそりと開幕し知らない内に閉幕する事を願うばかりです。

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2021年6月10日 (木)

3949 エネルギーロンダリング2

ロンダリングはランドリーの動名詞形ですので「洗浄」や「浄化」と言った意味合いの言葉ですが、近年はマネーロンダリング(資金洗浄)の様に、悪いイメージの言葉として使われる様になりました。エネルギーロンダリングも、良さそうなイメージを先行させながら、実はCO2削減には余り寄与しない様な取り組みを揶揄している言葉でもあります。
3948では水素社会を批判的な立場で解説しましたが、同様な例はいくつか挙げられそうです。例えばバイオマスです。木材や農業残差などのバイオマスをエネルギー源として利用するのは一見再エネとしての活用として良さそうな取り組みですが、ではそのバイオマスを集めるために使う林業機械や農業機械が費やす石油エネルギーのカウントや、伐採した木材資源を再生させるための植林が適正に行われたか、といったその再エネに関わる全ての負荷を勘定に入れる「ライフサイクルアセスメント」を行った上でGo/No goを決める必要がある訳です。
その意味で、例えば海外からバイオマスを輸入しながら稼働させているバイオマス発電所などは、まさにエネルギーロンダリングの見本の様なもので、即刻停止させるべきシロモノと言えるでしょう。同様に、製造・設置エネルギーを(投資回収ではなく)自身が発電したエネルギーとして回収するのに10年以上を要する太陽光発電も適正に評価する必要があるでしょうし、風力発電も同様のチェックが必要でしょう。大規模な土木工事を伴う再エネインフラの建設には、莫大な石油エネルギーが投入されているのですから。
一見。環境負荷が小さそうな再エネでも、その耐用年数は限定的であることに注意を払うべきでしょう。せっかく、金銭的投資や化石エネルギーの投入分が、10年以上にわたって発電されたエネルギーで回収出来たとしても、数年先に更新時期を迎える場合も多い訳ですから、全ての再エネケースでは、寿命時期まで想定した全体的なアセスメントが不可欠なのです。そこまで考えると、国が宣言した2050年度CO2の「実質」排出ゼロなど、夢のまた夢と切り捨てるしかありません。それよりも、現在を100%とした「省エネ50%」の達成こそが現実的な政策だと言えそうです。現在は、16%程度の再エネ率でも。50%の省エネが達成されれば30%以上に跳ね上がるのです。省エネの実現に多少の投資が必要だとしても、その投資回収期間は数年程度と短いでしょうし、他方で省エネ効果は長く続くのです。
50%省エネの達成には、モノの製造・消費・廃棄の量を減らす工夫、可能な限りモノを運ばない工夫、建物などの断熱・遮熱性の向上、季節外れの食品を口にしないなど、従来型の技術や工夫の範囲で十分届くと思うのです。

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2021年6月 8日 (火)

3948 エネルギーロンダリング

同じ様な事を別の言葉で言います。この国は、どうやらエネルギー源を「クリーンな?水素」に求める方向に舵を切っている様です。大手自動車メーカーがいち早く水素自動車を開発し、市場に投入したのもそれを後押し(実は先導?)したのかも知れません。しかし、天然に存在しない限りにおいては、水素は「2次エネルギー」に過ぎません。確かに、水素自体を燃やしても(酸素と反応させても)排出されるのは水だけですが、では水素を作るのにどんな1次エネルギーを使って、その際何が排出されるのかをしっかり吟味しなければならないでしょう。
つまり、水素を例えばLNGやナフサを改質して取り出す場合、副産物としてCO2が出てしまいます。もし、改質工場の煙突からこのCO2を排出するのであれば、車や火力発電所で石油を燃やしてエネルギーを得るのと何ら変わりはなくなるでしょう。もし、太陽光発電や風力発電からの再エネ電力で、水を電気分解して水素を得るのであれば少しはマシですが、それなら発電で得た電力で電気自動車を動かす方が、総合的な効率が高いのは、素人が考えても自明でしょう。全ての「エネルギー形態の変換には、エネルギーロスが不可避」だからです。再エネ電力を使って水素を得る場合の損失、出来た水素を圧縮して貯蔵、運搬する際に必要なかなり大きなエネルギー、燃料電池で電力を生みだして、それでモーターを動かす際の損失を合計すれば、再エネ電力で直接EVを動かすのに比べれば、たぶん有効なエネルギーは半分以下に目減りする事でしょう。つまり、水素をエネルギー源として使う事には、殆どメリットは出ないのです。それでも、T社が水素自動車の開発を止めないのは、あくまで「水素はクリーンなエネルギー源である」という消費者向けの「イメージ戦略」でしかないと言うしかないでしょう。それは、資本とマンパワーの偉大な無駄使いと言うしかありません。あるいは、CO2を排出する「汚いエネルギー」を一見クリーンな水素エネルギーに変換する「エネルギーロンダリング」と切り捨てざるを得ないでしょう。
短慮なイメージ戦略だけで、温暖化が止まる訳ではありません。実質的にCO2の排出を止め、更には既に排出されてしまったCO2の吸収源を増やすしか私たちに残された行動としてはあり得ない筈なのです。ならば、回り道でもある水素社会の実現などすぐにでも諦めて、その資本やマンパワーを、実質的なCO2削減に繋がる行動に振り向けるべきでしょう。やるべきは、水素社会へのシフトなどではなく、先ずは森林破壊を止めて、山に木を植え、海の汚染を止めて、植物プランクトンやサンゴを増やし、結果として大気中のCO2を減らす行動だと思うのです。

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2021年6月 7日 (月)

3947 人口の地方分散

何故人々が都市に密集して暮らしたがるのか、10年ほど前に田舎にUターンした投稿者としては未だに適当な説明に巡り合えず謎のままです。人間というものは、サルがサル山に群れて棲むように、生物学的にその様な生き物なのだ、と考えるしかない様です。都市生活は、便利ではあるにせよ、他方では多くの問題も抱えているのはな違いないでしょう。今回のコロナパンデミックもその一つでしょう。歴史上、多くの感染症によるパンデミックでは、都市部における過密がその感染拡大の主たる原因であった事は自明です。感染症とは、そもそものスタート点は動物であったにせよ、人類における拡大は、人と人との接触によって感染ものだからです。
人口の集中は、実のところ逆戻り出来にくいのも事実です。いくつかの国で、首都を全く別の場所に移すという「実験」をしたことがありますが、新しく作った人工都市としての首都が、拡大して多くの人々が移り住んだという実例は耳にしません。きっと、移った官庁に勤務する官僚と政治家及びその家族と、学校や商業などの最低限のサービス業が移っただけなのでしょう。先ほどの、生き物として人間の性質に関しては考察するなら、どうやら人は猥雑な環境が好みの様なのです。つまり人工的に真四角に区画整理された街並みよりは、道が曲がったり、三差路があったり、広い道に小路が斜めにつながっている様な、せせこましい街が好きな様なのです。
それは仕方がないのですが、では現状のままで良いかという問いに対しては、殆どの人がNoと言うしかないと思うのです。例えば、地震や風水害と言ったインフラの損壊を含む災害に対しては、都市は非常に脆弱であるのは自明でしょう。それでもなお、人々は海面より低い土地に住むのを止める事が出来ません。そこが便利で、長年住み慣れた場所であるという理由で・・・。しかし、行政としては地方再生に向けて大臣を指名するくらいなら、是非とも人口が地方に分散する様な、強力な経済的インセンティブを設定して貰いたいものです。手法は簡単です。税制に少し地方に向かう傾斜を作りだけで良いのです。具体的には、過疎に悩む地方の税金を少し安くするのです。或いは、都市部の税率を少し高くして、その分を地方移住の際の補助に回すといった、「経済的傾斜」をつける方法もあるかも知れません。

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2021年5月28日 (金)

3946 コロナの長期化2

この国におけるコロナ騒動の長期化のもう一つの原因として、底の浅くなった経済活動も挙げる事が出来そうです。底が浅いという意味は、戦後の経済成長で確かに経済の規模、川に例えて言えば、川幅は大きく広がったのですが、川の浚渫を怠った結果、川底が浅くなった状態と言えます。川は日夜流れていますが、水流は降雨や干ばつによって大きく変化するでしょう。経済も同様で、今回のコロナパンデミックの様に、日々のマネーフローに依存する自転車操業の業界(主にサービス業と言われる業界)が大きな影響を被っている訳です。
この様な業界では、水量(マネーフロー)が減ると途端に川底が見えてしまうのです。つまり、客足が減ったり止まったりすると、ほぼ同時にモノ(例えば食料)やカネのフローもストップしてしまうのです。その流れの中に何処にもストック(ダム)は無いので、収入が減れば明日からの材料の仕入れや、アルバイターたちへの給与の支払いも出来なくなるのでしょう。税金で行う休業補償も何時までも続ける事が出来る訳ではないでしょう。それでなくとも赤字財政の国ですから、補償の原資は全て将来世代からの借金(国債)に頼らざるを得ないのです。
そのため、政府としてもパンデミックを押えるためのブレーキ(蔓延防止策)を少し踏んでは、十分ではない短めの期間に緩めざるを得ないのです。これが、何度も繰り替えず第X波と呼ばれる感染者の山につながる訳です。つまり、底の浅い経済こそが、パンデミックを長引かせる第二の要因につながっていると言うしかないのです。
今回のコロナウィルスも、原理的には感染を繰り返す内には弱毒化し、やがて普通のインフルエンザ並にはなるのでしょうが、3945で述べた人流の拡大と本稿で述べた経済的理由で、過去のパンデミックよりは長期化を覚悟しなければならないのは確実の様に見えます。投稿者は、主に年金に依存して暮らしを立ててはいますが、年金こそは過去の蓄積(ストック)に他なりません。ではサービス業におけるストックとは何を意味するのでしょうか。例えば、外食産業で言えば、生物(野菜や鮮魚や果物)等の比重を減らし、乾物などの長期保存が効く材料へシフトしたり、賃貸物件での営業から、自前の店舗や移動販売などの手段を併用した営業スタイルへの移行などが考えられそうです。しかし、人流拡大を前提とした、観光業・旅行業や旅客輸送業などは、ここで立ち止まって、(楽観的な右肩上がりの)将来予測を見直した方が良いのは言うまでもないでしょう。つまり、現状維持かやや右肩下がりでも収益が確保できる様なビジネスモデルを作るしかないのです。残念ながら。

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2021年5月27日 (木)

3945 コロナの長期化?

新型コロナウィルスによるCOVID-19の蔓延が止まりません。その原因は取りも直さずウィルスが変異を繰り返して、感染力や毒性を強めているからに他なりません。比較的簡単な構造の遺伝子を持つコロナウィルスは、同時に変異も容易であるという特徴を持って居る様です。変異には、勿論凶悪化する方向の他に、弱毒化して致死率も低くなる方向もあるのでしょう。いわゆる、普通のインフルエンザウィルスは、いわゆるスペイン風邪やソ連風邪或いは香港風邪と呼ばれ、かつては猛威を奮ったコロナウィルスも、確かに感染すればそれなりに怖いのですが、今のCOVID-19程には恐れられてはいません。それは、これらのウィルスが、人類と共存できる態度には弱毒化しているからに他なりません。
では、今回のコロナウィルスの流行が何時頃終息するかですが、スペイン風邪が少し参考になりそうな気がします。5億人が感染したとされるこの風邪が終息するに、2年態度掛かった様ですから、楽観的に見れば新型も今年一杯である程度は収まるのでしょう。しかし、楽観できない要素も多いのです。というのも、100年前スペイン風邪が猛威を奮った時代と現代とは圧倒的に異なる状況があるからです。それは、「人流」の拡大です。100年少し前に発明された航空機によって、コロナ前は日に7000便を超える国際線で、年間数十億人が海を渡って移動したのでした。
この人流によって、人々の接触の機会は、100年前と比べると飛躍的に多くなっており、感染を繰り返す頻度も同じく飛躍的に多くなるでしょう、結果は自明です。ウィルスの変異は、感染の回数に比例でするでしょうから、新型コロナにおいても変異株の種類も日ごとに増加する筈です。その中には、開発済みにワクチンや、既に感染者が得ていた免疫も効かない株が出てくる可能性も高いのです。これが、今回のコロナパンデミックが長引く主要な原因になるかも知れないのです。

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2021年5月20日 (木)

3944 環境法

ついでながら、国(行政)の専権事項として、立法についても少し触れておきましょう。投稿者が理解する限りでは、法律には二種類あると思っています。一つは、各種の規正法です。これは、誰かが行った、おるいは行おうとしている反社会的な行動を規制し、あるいは罰則を科すものです。環境法で言えば、廃棄物処理法や水質汚濁防止法や大気汚染防止法などが例示出れますが、今ある環境を荒らす事を防止するという意味では、自然公園法などの各種の保全法も規正法に位置付けるべきでしょう。
もう一つは、将来の方向性を決める法律である「基本法」などが挙げられます。これは、将来のあるべき姿を示す法律で、環境に寄せて言えば「環境基本法」がこれに当たるでしょう。しかし、投稿者の知る限り、この国の法律の枠組みは圧倒的に規正法の集まりであり、基本法と呼ばれる法律は本当に少ないと感じています。ネットで調べ見ても、基本法と呼ばれているのは50個程度に留まっているのです。しかも、この国の基本法は抽象的な表現に留まっているものが殆どで、数値目標などの具体的な目標に言及しているものはたぶん皆無でしょう。
つまり、先ずは基本法という逃げ道を作っておいて、具体的な数値目標などについては、外圧や世論に押される形で、別途関連法を作るか、あるいは省令などの形で「後付け」のアリバイ作りをするのが、この国のやり方であり続けているのです。従って、例えば政治家が外圧に押される形で、数値目標や達成期限を口にしても、それはあくまでも努力目標であり、口約束の範囲を出ない「コメント」に留まる訳です。
取り分け環境に関連する政治公約や法律は、被る害悪が「急性ではない」という理由と、政治的には経済政策などより優先度が低いという理由によって横に追いやられるケースが多くなる傾向にあります。だからこそ、温暖化が問題になってから長くなっても、石炭火力を建設したり、マイクルプラスチックによる海洋汚染が問題になっても、プラスチックの製造や使用に規制を掛ける事が出来ないでいるのです。出来たことと言えば、レジ袋の有料化という「焼け石に一滴の水」
の法令(容器包装リサイクル法の一部)だけという寂しさです。数値目標のある、強力な基本法が作られるのは、この国では「百年河清を待つ」しかないのでしょうか。

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2021年5月17日 (月)

3943 石油税(炭素税)こそ切り札

温暖化に最も関連があるとされるCO2ですが、単なる政策誘導では、なかなか排出量が減るとは思えません。であるならば、経済政策で削減を誘導するしかないのでしょう。つまり、アメとムチ政策です。最も効果の高い施策は、石油税(炭素税)の値上げ=石油価格の値上げでしょう。今の2倍程度の価格となれば、自然に消費量は大幅に(多分半分くらいに)は減ると想像できます。石油価格の高騰は、人やモノの移動をかなり抑制する効果があるでしょう。特に、観光や物見遊山などの不要不急の旅行が減り、送料が大幅に上昇すれば、ネット通販や農産物産地の集中からの大量輸送も減る筈なのです。結果、地産地消が励行され、地方の活性化も進むと期待されます。
結局、石油税の値上げは確かに最初こそ経済的な痛みを伴いますが、それが新たな水準で安定した暁には、現在の政策(とも言えない政府の期待値)ではとても達成できない、高いレベルのCO2削減が達成できると思われます。勿論、値上げは一足飛びではなく10年ほどかけて、ジワジワと実行すべきでしょう。長いスパンの計画を示せば、個人や企業も長期の展望を持つことが出来て、なるべく移動しない工夫やなるべくモノを運ばない工夫を始める筈なのです。
増えた税金は、勿論CO2削減に努める個人や企業の背中を押すための財源に回すのです。全ての住宅や工場・ビルの屋根や屋上では太陽光発電を義務付けるべきでしょうし、洋上風力も格段に増やすべきでしょう。山の木を活用し、一方では植林をしてCO2吸収を増やすための林業政策にもさらに税金を振り向けるべきでしょうし、不安定な再エネ供給を安定させるための蓄電設備も拡充すべきでしょう。
一方で、石炭火力による発電所で作られるCO2まみれの電力にはペナルティを課して、買い取り価格は、大きく下げる必要があります。それによって、この様な発電所では、利益が出なくなり速やかに廃止の追い込まれることになるでしょう。同様に、原発もCO2フリーとは言われますが、放射性廃棄物を増加させる「汚いエネルギー」ですので、やはりペナルティを課すべき電力にカテゴリーされるべきでしょう。国は目標だけを示して、あとは企業努力に任せると言った無責任ではなく、しっかりと結果が出るような税制を打ち出すべきです。税制こそ、行政の持つ切り札なのですから。

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2021年5月14日 (金)

3942 「水素社会は来ない」に賛同

批判はこのブログの目的ではありませんが、理屈は理屈です。少し前から、「水素社会などは実現しない」という論調の記事なり、報道なりを目にする事が多くなりました。投稿者もその論旨に強く賛同する一人です。石炭から石油時代になった歴史を少し振り返るなら、固形燃料である石炭に比べ、液体燃料である石油は、エネルギー密度、クリーン度、貯蔵性、輸送性、掘削コストなどいずれをとっても石炭を凌駕したため、急速に普及したのでした。この国では、石炭の露天掘りの適地が無かったこともあり、危険な坑道掘削を行わざるを得ず、毎年の様に不幸な炭鉱事故が起こっていたことも石油社会を加速した要因でもありました。
さて、石油社会から水素社会への移行の問題点です。
最大の問題点は、天然の水素ガスは存在しませんから、水素はいずれにしても何かからエネルギーを使って作るいわゆる「2次エネルギー」である訳です。現状は、LNGの改質で作るケースが主流なのでしょうが、メタン(CH4)から引きはがした炭素(CO2)が、メタンを直接燃焼させたと同じ量が発生するのです。これは化学にはやや弱い投稿者にも容易に理解できる化学式で説明可能です。これは、水素社会=ゼロカーボン社会という主張と真っ向から矛盾します。
一方で、グリーン電力を使って、水を電気分解して水素を作れば、CO2を出さないではないか、という議論もあります。しかし、問題は効率です。元々のグリーン電力が持って居るエネルギーポテンシャルを1とすると、電気分解水素⇒燃料電池⇒電力(モーター)と変換を繰り返す内に、エネルギーポテンシャルは数分1に「目減り」するのです。これでは、いくらCO2が出ないとは言え、グリーン電力で充電した電力をEVを直接動かす方が、何倍もエネルギー効率が高いでしょう。
加えて、水素ガスの貯蔵や取り使いや輸送が非常に危険である事も大きなネックでしょう。水素ガスを実用的に扱うには、ガスのままではなく液化する必要が生じます。水素を液化するには、マイナス250℃以下に冷却するか、常温状態での石化ではなんと1000気圧もの高圧が必要なのです。この液化にもエネルギーが必要ですし、水素はガスの中では最も分子サイズが小さいため、保管や輸送中の漏洩により目減りや火災・爆発事故も大いに懸念されるでしょう。経済性や安全性の視点だけから見ても水素社会の実現性は絶対無理と断ずるしか無さそうです。
水素社会を考えるなら、グリーン電力を使った「人造石油」を検討すべきでしょう。ガソリンや軽油や航空燃料と同等の性状や熱量を持つ人造石油を作る事が出来れば、今の石油社会のインフラがそのまま利用できることになり、地下から掘り出す二酸化炭素=石油・石炭を封印することも可能になるでしょう。勿論、その価格は今の石油の何倍にもなるでしょうが、電力の直接利用と並行していけば、製造量は抑制できるでしょう。Tヨタ社も、FCVの開発など止めて、人造石油の製造法でも研究すべきでしょう。持続可能な燃料の確保は、車屋の宿命でもあるでしょうから。

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2021年5月11日 (火)

3941 目的と手段の逆転

新型ウィルスへの感染拡大になかなか歯止めが効きません。御用学者(医師)の助言を政府が勝手に?解釈したものか、感染拡大防止には「人流抑制」こそが最優先だとばかり、専らサービス業への時短要請に力を入れている様です。そこに、目的と手段の逆転を見てしまうのは投稿者ばかりではないでしょう。COVID-19はまさに感染症ですから、人と人との接触又は接近によってうつるのは間違いないでしょう。従って、密な人流によって感染の機会が増えるのは、科学的にも証明できるでしょうし、人流の抑制がそれなりに効果的である点に関しては否定しませんが、それだけで事足れるとする風潮には賛同できません。
というのも、人流抑制は確かに「疫学的(統計的)」に見れば、効果はある筈ですが、何かが足りません。それは、感染は1対1又は1対多で起こるという事実の軽視です。マスクをしているから、それなりに制限された人混みに入って行っても良いかと問われれば、それはNGとなるでしょう。個々の感染を防止するためには、感染者から非感染者が厳密に十分な(多分数メートルの)安全距離を保ってすれ違う必要があるでしょうし、コロナ感染が広がった初期の様に、感染者が触れたモノにも神経を使う必要があるでしょう。
ここで言いたいことは、感染防止は集団のマクロ的制御だけでは不十分で、今一度おざなりではない手洗いや接触面の消毒を徹底し、とにかく口や鼻の粘膜にウィルスが付着するのを防ぐしかないのです。自粛の要請を続けると、人々はそれに慣れ切ってしまい、「この程度は大丈夫だろう」と言った「瀬踏み」を始めるのです。例えば、屋外だから、大声で話しても良いだろうとか、マスクを外してもOKだろうとか、自分に都合よい事(正常性バイアス)を考え始めるのです。声帯を振動させる発生は、感染者の口からの飛沫の飛散を誘発するでしょう。発声によって、湿っていて唾液に混じったウィルスが付着した声帯(筋肉膜)を、1秒間に数百回~千回も振動させる訳ですから、マイクロ飛沫が飛ばない訳がありません。密な人流を抑制するのはあくまで手段に過ぎなく、感染者からの直接的な感染防止こそが「目的」であることを、今一度確認する必要があるでしょう。国も、我々もあの豪華客船の感染者やB漢からのチャーター便での帰国者が、まさにこの国に新型ウィルスを持ち込もうとしていた瞬間の緊張を、とうに忘れてしまったというしかありません。過度の緊張を防ぐに慣れは必要ですが一面怖い事でもあります。今回の第4波はまさに「過剰な慣れの結果」だというしかありません。

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2021年5月10日 (月)

3940 温暖化効果粒子

投稿者としては、黄砂やPM2.5が大陸から襲来する時期と、季節外れに急に気温が上昇する時期が重なっていることにだいぶ前から気付いては居ました。どうやら、その科学的な関連が、いくつかの研究で明らかになってきた様です。温暖化に関与する大気中の粒子としては、それこそCO2やメタンガスなどの温暖化ガス粒子の分子サイズから水蒸気(~雲粒子)サイズまでは既に研究が進んでいますが、一方でPM2.5や黄砂、あるいは煙突や排気管から排出されるスス粒子などの温暖化係数に関しては、まだ研究の進み具合が遅い様なのです。
理由はハッキリしています。大気中の粒子は、地上付近の風によって吹き流されて、刻々その濃度や分散状態が変化しますし、降雨によっては、一晩で洗い流されてしまう場合も多いので、定量的な分析が出来にくいのです。しかしながら、温暖化効果ガスや効果粒子は、いわば大気中にある「布団」の様に、赤外線や遠赤外線を吸収して、大気温度を高める働きをする事は間違いはないので、今後短期的な気象予報には不可欠の因子となりそうな予感があります。つまり、この季節、上空の大気(寒気)の状態からの気温の予想ではそんなに高くなる要素は無いのに、突然夏日や真夏日になってしまう事が起こります。例えば、ここ数日の高い気温状態が好例でしょう。この時期は結構太陽高度が高くなり、日射も強いので、上空が温暖化効果粒子の布団で覆われると、地上から宇宙への赤外線放射が阻害されることになり、急に気温が上昇する事につながるのでしょう。加えて、温暖化効果粒子が漂う高度は地上付近から数キロ上空と限定されるので、気温の上昇効果も急で激しくなることもあるでしょう。
例えば、黄砂やPM2.5の濃度に関してはかなり細かな予報が出される様になったのですから、それを他のサイズの粒子(例えばスス粒子)を含めた予報を出し、それを気温の予報データと組み合わせれば、より確かな高温警報が出せる事につながるでしょう。今は、気象衛星で赤外線を使った観測も行われているので、その観測結果は十分に温暖化効果粒子の温暖化効果を反映した観測結果になる筈なのです。一方で、ある種のエアロゾルは、温暖化とは逆の冷却効果を持つことも知られているので、粒子状物質の総合的な観測は不可欠でしょう。いずれにしても、黄砂などの自然現象は別にしても、PM2.5やスス粒子は、人間の活動から大量に発生する物質ですので、その抑制技術も含めて今後の研究の進捗が待たれます。

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2021年5月 1日 (土)

3939 環境スペクトラム

公共放送で、典型的な男と典型的な女の間には、多様なスペクトラムの性が存在するとの内容の放送がありました。確かに、自分の知っている範囲の人たちを観察してみても、それは言えそうだと感じます。つまり、少し女性っぽい男性や、かなり男性っぽい女性などを見かける事があります。
このスペクトラムという概念は、多くの事象にも敷衍できそうだとも思いました。例えば、人が開発した「人工環境」と「天然自然」の間には、たぶん無限のスペクトラム(別の言葉ではグラデーション)が存在すると想像しています。つまり、見かけ上の天然自然の環境の様に見えても、かつてそこに人間が立ち入ったり、その環境に何らかの働きかけを行った事があれば、最早そこは無垢の天然自然とは言えない場所になります。一例として、里山がありますが、そこにはかつて(あるいは現在も)人が入り込み、薪炭や山菜を行っていた訳で、時には(人間にとって)有用な樹木や植物を植えたりもしたでしょうから、半人工環境と読んでも差し支えないでしょう。一方で、都市の様に一度自然を壊して、人工物で覆われた都市は、ほぼ100%の人工環境だと言えるでしょう。しかし、その人工環境にもやがて自然、雑草や樹木や生き物が入り込み、環境のグラデーションを作るのです。
翻って、全て人間が作り上げたシステムにもスペクトラムが存在しそうです。例えば経済システムです。例えば、超お金持ちたちと極貧の人たちの間には、殆ど人の数ほどのスペクトラム=グラデーションが存在する筈です。同様に、お金を切り離しても人々のいわゆる「幸福感」にも同様にグラデーションが存在するのでしょう。結局、ゼロか1かというデジタル=コンピュータの世界は、非常に例外的なケースだと見た方が良い、と投稿者は思うのです。或いは、デジタルを無限に細かく分割すれば、それは最早無限のグラデーションを持つアナログの系と変わらなくなると言い換えても良いでしょう。スペクトラム=グラデーションは、白か黒かと言った明確な答えが導きだせない問題、例えば環境問題やあるいは社会問題の様に、を考える上で、非常に重要な概念と言えそうです。

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2021年4月29日 (木)

3938 CO2半減3

CO2削減に関して投稿者からの提案は、先ずは省エネで3割削減を達成するべきだ、というものです。単なる、節約やケチケチ作戦だけで達成できる省エネは多分最大でも10%程度でしょう。しかし、本気モードでしかも工夫を重ね、ミリミリの省エネを実行すれば3割削減も視野に入って来る筈なのです。
例えば製造業ですが、どの工場を見回しても、エネルギーが無駄に使われている事に気が付きます。勿論誰も居ないトイレに電気がついていたり、長時間使われていない設備の電源が入っていて、暖気状態になって居たりと言った誰が見ても「明確なムダ」も見つかるのでしょうが、多くの無駄は「一見必要なムダ」あるいは「隠れムダ」なのです。ここでのムダなエネルギーとは、製品に付加価値を付けていないものを指します。例を挙げるなら、マテハンに関わるムダエネルギーがあります。工場の中で、材料や仕掛品を運ぶのに使われるフォークリフトや天井クレーンに使われるエネルギーは、製品に付加価値を付けていないという理由で無駄なエネルギーなのです。しかし、それが無いと作業が進まないという理由で使われているのでいわば「イエローカード」のエネルギーなのです。同様に、空調や掃除機などのエネルギーもイエロー(黄)エネルギーに分類されます。その意味で、工場で消費される圧縮空気の半分以上は、黄エネルギーと断定しても良いでしょう。
投稿者が長年眺めてきて、平均的な工場では、製品製造に必須の「青エネルギー」は4割程度、上記の「黄エネルギー」が同程度、残りは全くムダである「赤エネルギー」だと断言できます。つまり、赤エネルギーを徹底的に潰し、「黄エネルギー」を半減させるだけで、工場エネルギー(=CO2)の3割削減は十分可能なのです。
サービス業だって、この例外ではありません。ショッピングセンターではまぶしい程照明が目に入り、入口も食品売り場も日用品売り場も全く同じ温度設定としている冷暖房温度、など無駄が一杯なのです。サービス業では冷暖房も「青エネルギー」に分類はされるのでしょうが、細かく言えば強すぎる冷房が苦手な客(子供や高齢者)もいる筈なのです。ならば、冷暖房温度を抑え気味にする、弱冷、弱暖エリアを設定する事により、その分の空調エネルギーが削減できるでしょう。これは、むしろサービスの向上であり、省エネとサービスの質は矛盾しないのです。
単なる、再エネ代替だけでCO2半減の達成は全く無理ですが、省エネで3割のCO2削減を実現し、後の2割を再エネへの転換で稼げば、2030年のCO2半減は十分達成可能な数字となるでしょう。

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2021年4月28日 (水)

3937 CO2半減2

国が発表したCO2削減目標に立派な根拠があるにせよ無いにせよ、目標値を立てる事は良い事ではあります。その目標値がやや厳しめであればなお良いでしょう。問題は、目標を立ててからそこに至るまでの道筋(マイルストン)の刻み方であり、具体的な行動計画の作り方だと思うのです。お役人は、紙の上での計画の作り方は上手いのでしょうが、残念な事にキャリア組であればあるほど現場を知りません。従って、現場を知っていればとても立てられない様な「机上の空論」を使った計画を作ってしまう傾向にある様です。
つまり確かにCO2半減のための「数字」積み上げては居るのでしょうが、具体的な行動計画を積み上げている訳ではないでしょう。行動計画の積み上げでは、実はそのシーケンス(順序)が重要となりますが、数字だけの積み上げではそれがスルーされてしまうのです。例えば、水素社会を作って、石油に使用量を半減しようという計画を実現するには、水素を何処でどの様な手段で発生させてそれを輸送するのか。そのための国内のインフラや水素利用機器(例えば水素自動車)の開発と普及の実現のための道筋をどうするのか、といった計画の積み上げの結果として、削減量が積み上がる筈なのです。いわゆる官邸主導の計画では、お役人への指令は、「政府がこの数字を発表するので、そのための(後付けの)裏付け資料を作れ」と言ったものになるでしょう。
つまりグラフ上に削減の目標値を置いて、そこから現在までに線を引けば、削減計画のためのグラフが出来てしまうでしょう。それで、○○年度までの削減目標は、XX%であらねばならない、というお役所目標が決まってしまうのです。しかしながら、この数値目標の裏付けとなるべき、誰が何時までに、何をどの様に行い、そのための経済的裏付けはこうなっているという根拠は何処にも見当たらないのです。
この国の得意技は、先ずはお役人計画(机上の計画)を作った上で、外圧を上手く利用しながら、企業群に努力をさせて目標を達成すると言った手法でした。
CO2削減計画においても、削減目標は諸外国に比べてやや抑えめの数字を、それも各国の数字が出揃ってから「後だしジャンケン」気味に出すなど、これまでの行動パターンと何ら変わりが無い様に見えてしまいます。この国が、積極的に諸外国の先頭に立って行動し、多くの国々から尊敬される様になるのは、どうやら百年待っても無理な様に思えます。何故ならこの国は、政治システム上も、文化的土壌から見ても、世界をリードできる様なパワーのある強いリーダーが輩出されづらい国柄だからです。出るのはため息ばかりです。

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2021年4月25日 (日)

3936 CO2半減?

政府が2030年までのCO2削減目標を、2013年比で46%減に大幅増加した様です。それまでが2005年比26%減でしたから、大幅な増加と一応は評価しておきます。米国の様にエイヤッと50%減としなかったのは、穿った見方をすれば、多分お役人が数字を積み上げて作った目標っポイという体を狙ったのかも知れませんが・・・。少し裏読みするなら、2013年は、震災の影響もあり既存の石炭火力をMAXに稼働させたこともあり、CO2量排出負荷が高かった時期に重なるのであり、そこを物差しにしたのはややズルいというしかありません。
いずれにしても、約50%減は通過点であり、最終的には2050年には脱炭素(ゼロカーボン)を達成するという国際公約をしている訳で、10年で半減はどうにかなるにしても、その後の20年ででのゼロカーボン達成は、かなり困難(というか殆ど無理)と見るしかないでしょう。というのも、戦後積み上げて来た、化石エネルギー(=石炭や石油や天然ガス)での運用が前提となっている社会インフラ(建物や運輸システムや工場等)は、かなり根が深く20年やそこらで再エネオンリーに模様替えできるとはとても思えないのです。つまり、それらは単なる模様替えでは済まず、建築物で言えば「完全な建て替え」になってしまうのです。
家の寿命は30年~50年ですが、インフラ寿命はそれ以上でしょうから、土木や建設工事を伴うインフラの更新はそれほど簡単な話ではないのです。それ以前に、土木工事でゼロカーボンとするには、先ずは再エネ電力だけで動く「建機」の開発が必要でしょう。それが10年かそこらで開発されない限り、カーボン発生を減らすために先ずは建物やインフラ改造のための土木工事そのものを抑制する必要があるのです。
いずれにしても、インフラを全て再エネによる「電動化」社会にするに当たって、先ずはインフラを作り替えるために発生するカーボン量とその結果削減されるカーボン量を天秤に掛け、長期的に見てカーボン削減最適となる様な、いわゆる「ライフサイクルアセスメント」の視点が必要でしょう。

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2021年4月22日 (木)

3935 新たなマイクロプラスチック

海洋におけるマイクロプラスチックは、ある程度の大きさに砕けた浮遊プラスチックを海洋生物が誤って取り込んだり、あるいは細かい(数ミリ以下の)プラスチック粉の浮遊、あるいは大きな容器などの海底への沈降などが報じられていて、社会では、非常にささやかながらもレジ袋の有料化やストローの非プラスチック化などの活動が始まっては来ました。
しかし、最近の研究では人里から遠く離れたチベット高原の氷河で、海洋プラスチックより更に小さなサイズ(数ミクロン~100ミクロン以下)のマイクロプラスチックが確認されているとの報道があり、マイクロプラスチックによる環境汚染が、大気を通じての全地球的に広がっている事になりそうです。これらのマイクロプラスチックは、繊維状のものが多いとも報じられており、南アジアや中央アジアに盛んな、いわゆる繊維産業から発生し、風によって運ばれたものと想像されます。恐ろしいのは、数ミクロン以下のマイクロプラスチックは、粉塵や花粉などと同様にヒトの肺深くまで入り込む大きさなのです。直接的な、毒性は低いとは言うものの、繊維状のマイクロプラスチックは、粒状の粉塵とは異なり、岩綿繊維と同様に肺組織に取り込まれてしまう可能性が高まります。更に想像を膨らませるなら、それは癌の原因にもなり得る可能性すらありそうなのです。
海に浮遊するマイクロプラスチックは、例えば魚に取り込まれたとしても、胃などの内臓は別にして、その魚の身(筋肉組織)にまでは到達しないでしょう。しかし、新たな空中浮遊型のマイクロプラスチックは、私たちの体に直接侵入するのです。これは、新たな「環境汚染源」であると言い切っても良いでしょう。
私たちの社会が厳しく制限すべきは、プラスチックの消費=廃棄量ではなく、環境中に長く留まる種類のプラスチックの生産量そのものなのです。プラスチックの中には、環境中で速やかに分解が進む種類(生分解性プラスチック)も存在するのですが、それらは製品としての寿命が短い(低い耐候性の)ため、製品への採用が敬遠される傾向にあるのは非常に残念なことではあります。

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2021年4月21日 (水)

3934 半自然(近自然)

身の周りを見回しても全く手つかずの自然などというものは見つからないでしょう。平地はと言えば、たいがいは切り開かれ、田畑や住宅地や市街になっている筈です。川は、両側に堤防が築かれ、自然のままに氾濫したり流れを変えたりは出来ません。山の方を眺めると、手前には里山があり、その奥には奥山や高い山々が連なっています。しかし、その奥山や高い山に登ってみると、かなりの部分に人工林が入り込んでいるのが分かります。ざっとしたデータでは、日本の2/3は山地ですが、その半分には人工林だったり、人の手が入っていると言われているのです。残りの1/3は、農地や市街地や工業地帯ですから、この国の1/3は天然自然がかなり残っているもののほぼ2/3には人手が加えられているといった状態でしょうか。
農地や市街地など道路によって区切られた人工環境と、手つかずの「天然自然」との間には、当然の事ながら「緩衝地帯」が必要でしょう。もし、それが無ければ、自然は短期間のうちに荒廃するか、あるいは逆に人工環境への自然の浸食が起こるからです。多くのケースでは、前者が問題となりますが、近年は、例えば耕作放棄地への自然の浸食も問題として拡大しつつあります。
その緩衝地帯が半自然(または近自然)と呼ばれるゾーンと言えるでしょう。具体的には、かつては人々が、薪炭や山菜の採取のために立ち入った「里山」がそれに当たるでしょうか。つまり、天然林では高木と低木と雑草が混然と入り混じっているのが普通なのでしょうが、里山は木が適当に間引かれ、林床には日が差すため、山菜なども豊かに育ちます。見通しも効くので、クマヤイノシシやシカなどの獣もあまり人里近くまでは近寄らないでしょう。つまり、この緩衝地帯の存在は、自然にとっても人間にとってもどちらにもメリットがあるものなのです。然るに、現状を眺めてみると、かつての半自然は開発されて人工環境に変わっていて、あるいはかつての半自然環境の放置によって、藪だらけの天然自然の逆戻りしてしまっているのです。つまり、人工環境と天然自然とが、隙間なく接しているという非常に危うい状況になっているのです。獣は、住宅地のすぐ後ろの藪に現れ、かつては半自然に棲息していた、小動物や昆虫や植物たちは絶滅してしまったのです。
別の言葉で言えば、半自然とは、天然自然と人工環境との間の環境のグラデーションとも言えるのです。国でもそうですが、国境を接している国同士の価値観や宗教が極端に異なる場合には、紛争などのせめぎ合いが生じますが、間に中間的な国やエリアが挟まっているか、あるいは海や山塊がある場合には、両国は比較的穏やかな関係が続く事に似ています。我々は、もっと半自然に注目し、それに関わっていく必要があると思うのです。都市から田舎へ、田舎でも山際への移住が必要な所以です。

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2021年4月18日 (日)

3933 トリチウム汚染水問題

福一では、ALPSで除去できないトリチウムを含む汚染水が増え続けています。しかしながら、既成事実の様に海洋放出を宣言した政府の発表には、国の内外から大きな反発を受けている状況です。何故、海洋放出かと問われれば、政府(=東電)は、汚染水の保管墓所として陸上にタンクを置くスペースが無いと、殆ど開き直って説明しますが、では海上保管はどうかという可能性については全く言及していません。つまり、汚染水の保管量は増え続け、今や数十万トンレベルに達し、保管タンクの余裕もあと1-2年分しか残っていないという政府(=東電)は、では汚染水専用タンカーを建造し、福一の港湾内に係留するという可能性については全く言及していないのです。陸上用タンクに比べ、海に浮かべるタンクは非常に安価に建造可能です。それでなくとも、この国は造船王国であったし、凋落したとは言え、まだ中手の造船所は元気です。しかも、エンジンなどの無いタンクだけの船であれば、普通の原油タンカーの1/3程度のコストで建造できるでしょう。汚染水タンカーの建造で、たぶん20-30年の時間は稼げるでしょう。トリチウムの半減期は12年そこそこでしょうから、保管している間にも放射能は弱まります。その間に、トリチウムの分離技術を実用化して、実用プラントを建設すれば、海洋放出は免れる筈なのです。
投稿者の様な素人が考えても、普通の水とトリチウム水は、僅かながらも物理的性質が異なる筈ですから、沸騰・蒸留あるいは凍結分離などに加えて、再エネ電力を使った電気分解なども併用すれば、トリチウムの分離取出しも十分可能となる筈なのです。その様な可能性を殆ど排除しておいて、発生する汚染水を福一場内のたった千トン程度しか保管できないタンクを、敷地一杯に建設し続けた「無策」こそ糾弾されなければならないでしょう。
この国が、技術大国だと言い張るのなら、各大学やAISTや公設試などに予算をつけて、分離技術を競わせるのです。現状でも、原発を動かしている国々では、原発施設から発生するそれほど多量ではない事を言い訳に、トリチウム水は薄めて海洋放出されたり、蒸発させて大気放出されているのですから、その分離技術の開発は大歓迎されることでしょう。海洋放出する日本は、海外世論からはバッシングを受けますが、そうではなくて分離技術の開発が出来れば、逆に尊敬の的となる筈なのです。コロナ騒ぎのドサクサに紛れた、汚染水の海洋放出を、あっさりと許しては末代までの国の恥になるでしょう。

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2021年4月16日 (金)

3932 トランプエレメント

トランプエレメントとは、冶金学などで言うところの、目的金属からどうしても除去できない(出来にくい)不純物を指す言葉です。例えば、最も多く使われている鉄鋼材料に関して言えば、リサイクルの過程で混入する、銅や錫や鉛などは、鋼の表面に集まって割れの原因になりますから、非常に有害です。亜鉛なども同様ですが、これは高温の溶解時に気化して飛んでしまいますので、亜鉛引き鋼板などのリサイクルには問題は無さそうです。
逆に、リサイクルされるアルミ材料においては、鉄分の混入が大敵になります。アルミが作る不働態膜の形成を阻害して錆の原因を作るからです。勿論、銅や亜鉛もアルミの腐食を助長しますが、これらの合金元素は、強度の高いジュラルミンでは積極的に加えられる元素でもあり、別途耐食性を上げる処理により腐食を防止する方法が取られます。
さてトランプエレメントですが、勿論新たに精錬された鉄鋼やアルミやその他の金属では問題になる事はないのですが、リサイクル材では事情が異なります。というのも、リサイクル材として持ち込まれる材料(スクラップ)の中には、種々の不純物やごみが混入している事が、溶解材の純度を低下させるからです。例えば、一緒に使われていた異種金属の破片や、耐食性を上げる目的で施されていたメッキや鉄鋼材へのステンレス材の混入などによって溶解材の純度が低下してしまうのです。これを補正するためには、例えば新規精錬材を一定量加えて、不純物の割合を基準以下に抑え込む方法が取られますが、不純物を物理・化学的或いは冶金学的に取り除くのは、通常はコスト的には見合わないのです。
根本的な対策は、リサイクル材は可能な限り、素性の知れたスクラップを、他の原料と混ぜずに純度を保つという受け身の対応しか無さそうなのです。多くの金属では、一度合金をしてしまうと、金属間化合物を形成してしまい、再度分離するには電気分解などで莫大なエネルギーを投入しない事には分離は出来ないのです。
ここでは、主に金属のトランプエレメントについて述べましたが、事情はPETなどのプラスチックや紙のリサイクルにおいても全く同様で、機能を高めるために数えきれない程の種類のプラスチック材が開発され、あるいは機能性の紙が開発された結果、リサイクルするたびにそれらの原材料は劣化をし続けるという負のサイクルに陥ってしまう訳です。コウゾやミツマタなどの繊維だけで作られ、他の人工材料(≒トランプエレメント)を加えないで漉かれる和紙がリサイクルの優等生と呼ばれる所以です。

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2021年4月15日 (木)

3931 ある人生14

<これからの夢>
今年は70歳の大台に乗りますが、Uターン後の生計は、年金と、フリーランスになるために取った環境経営システムの審査料が入るため、贅沢をしなければ十分で一応安定しています。市営の墓地も購入し、やがて入るであろう自分のための祠?(墓石)も建てましたが、やはりいくつかの自分が生きた証を残したいというのが、現在の夢です。
<夢その1:太陽熱を使った省エネデシカント冷房装置の開発>
これは太陽熱を使って、ゼオライトなどの乾燥剤を乾かし、それを使って連続的に室内の湿気を下げて、夏場の蒸し暑さ緩和する冷房機です。湿度が下がった分、今度はミストで加湿すれば気化熱で気温も下がるので、冷房効果も期待できるものです。消費電力も、換気に使う小型の通風機のモーター分だけなので、低い方の数十ワットで十分でしょう。
<夢その2:ペレットフィーダー>
これまでのペレットを供給する仕組み(フィーダー)は100%オーガと呼ばれるスクリューコンベアでした。これを、ミニロボットやミニコンベアなどを組み合わせて、ペレットの向きを縦向きに整列させて、内径7mm程度のステンレス管を通してストーブに供給するタイプに替えたいのです。それが10万円以内で商品化できれば、例えば普通の薪ストーブの横に小さな穴を明けさえすれば、薪とペレットのハイブリッドストーブに改造することも容易になるのです。それによって、ペレットの生産・消費量も格段に増加するでしょう。
<夢その3:ユニット式風車
これまでの風車は、出力によって小型から大型まで専用に設計し、頑丈な基礎を築いて建設するものでした。その考え方を改めて、横軸の抗力風車を、例えば上から見て3角形や6角形にユニット化し、それをピラミッドの様に積み上げる事で、メガワットクラスの発電所尾することも可能なシステムを開発するのです。抗力型なので、台風でも停止させる必要がありませんし、回転軸は固定ですがユニット化する事によって、どの方向から風が吹いても発電が可能となるのです。
<夢その4:SVO発電>
SVOとはStraight Vegetables Oilの略で、てんぷら油などの廃油を「直接燃焼できるエンジン」を使って発電を行うものです。これは、既存のユニットタイプのディーゼル発電機を少し改造する事で実現できるので、中古品さえ手に入れば最速で実現出来そうではあります。

これらを含め、他にもいくつか夢がありますが、いずれも既に基本的なコンセプトは出来ているものの、問題は実際に動いてくれる企業を見つけ、巻き込む事ですので、機会がある度に企業経営者を口説いてはいます。自分で出来る範囲は、資金やフィールドも含めて限定されていますので、企業の協力は不可欠なのです。
その前に、登り始めてしまった百名山もここ1,2年でコンプリートさせるのも、人生で自分に課したノルマですから、これも同時並行で実現させるのも目の前の夢でもあります。これも昨年には90座を超えたので、あと数歩とはなってきました。
ここまでの人生の振り返りでは、技術屋としては多くのチャンスとラッキーにも恵まれてキャリアを積むことができましたし、50代以降は環境屋としてもそれなりに勉強ができ、いくつかの実績も残す事ができたと感じていますが、残りの人生も、精々後悔の無い様には送りたいとは思っていますが、果たしてどうなる事やら。この稿、一応ここまでで一区切りとします。

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2021年4月14日 (水)

3930 ある人生13

<Uターン後(再脱皮)>
60歳を迎えて、そのまま住み慣れた岐阜で一生を終える事も想像しましたが、既にフリーランスでそれなりに生計を立てられており、年金も貰える年齢にもなったので、小規模で手の届く再生可能型エネルギーの可能性を見つけるために、(再エネのネタには事欠かない)生まれ故郷の秋田の町にUターンする事を決意しました。同じ町の生まれでもある家内からは特に反対も出なかったので、熟年離婚?も回避され、取りあえずは単身でUターンしたのでした。数年間の単身赴任中に、先ずは秋田での暮らしの足場を固め、竟の棲み家も探し始めたのでした。
Uターン後は、環境ビジネスの可能性を探索する中で、東北の高専の(環境を向いた)めぼしい先生方にコンタクトし、訪ねて行っては環境話を吹っかけて、雑談を繰り返しました。それらの先生から、今度は環境に向いた企業を紹介して貰い、それらの企業も片っ端から訪問してネットワークを作って行ったのでした。東北には、バイオマスや豊富な水力や風力さらには地熱など豊富な資源やエネルギー源があることも確認できました。
居間から鳥海山が見える土地も見つかり、あまり借金もしないで小さな家も建てる事ができたので、数年後に妻も呼び寄せたのでした。その家では、小型のペレットボイラを使った冬季の暖房や通年の給湯に使えるシステムを自分で設計し、機器を買い集め設置してデータも採り始めました。
また、ある環境関係の展示会で知り合ったベンチャー企業の社長に誘われて、家畜のし尿を使った小規模な「バイオガス発電」事業にも、エンジン屋として関わり始め、いくつかの初期トラブルを解決したのでした。Uターンした地元では、フローリング(床板)を製造している企業で、大量の木粉が出る事に勿体なさを感じ、それをペレット燃料に加工するプラントの新設を助言したのでした。幸い、県からの補助金も取れたため、このプラントが実現し、年間1000トン以上のペレットの供給が可能となったのでした。しかしながら、ペレット燃料は日本ではマイナー過ぎたので、その売り先を見つけるのにその企業にはそれなりに苦労もさせてしまいました。なにせ、我が家の例では1年間に消費するペレット量は、僅か1トン程度ですので、温泉施設などの大口消費家を探す事がどうしても必要だったのです。とは言いながら、自分にビジネスのセンスが無い事は、十分に自覚していますので、活動と言っても専ら企業の背中を押す事になっていまいます。

 

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2021年4月13日 (火)

3929 ある人生12

<フリーランス時代:カザフのこと>
フリーランスになって以降、かなり熱心に行っていた活動が、企業の省エネ診断や助言でした。国内企業の診断に並行して、ダメ元でヨーロッパ銀行の途上国支援の専門家派遣制度にも省エネ分野で登録もしていたのですが、ある時「カザフスタン」という国にある自動車組立工場が助言を求めているとの公告がありましたので、さっそく応募したところ、トントンと話が決まり2011年の春先にカザフスタンに入ったのでした。訪問した企業は、従業員200人ほどのロシア製の小型車をノックダウンで組立てる中小企業でした。
カザフは、旧ソ連の人口1500万人ほどの国ですが、人口は、ロシア系、モンゴル系、アフガン系にほぼ3等分されており、国土は日本の7倍もあり、地図上ではモンゴルの隣に、ちょうど双子の様に並んでいるシルクロード上の国の一つです。冬季は、マイナス30℃にも気温が下がる内陸の国なので、工場の壁は40センチもあって断熱もされてもいました。暖房は、旧ソ連や東欧の国々の殆どがそうである様に、全て温水暖房となっています。町の郊外には、公営の温水工場があり、町全体に温水と戻りの配管を巡らし、各家々や工場などへ温水を供給しているのです。基本的には、その温水の購入費用は、建物の面積に応じて割り当てられる様ですが、工場など大口需要家には給湯量に応じての従量制も併用されている様でした。
訪問した企業は、元の鉄工所の様な高い建屋をそのまま使っていて、フロアレベルで車の組立てを行っている工場でしたが、事前情報の検討で、20mを超える高い建屋の上の部分まで暖房している無駄に気が付きました。そこで、予め準備し持参した伸縮式の長い釣り竿に温度センサーを吊り下げて、丸一日計測をした結果、確かに床付近で20℃程度の時、天井付近では28℃にもなっていて、使われていないスペースの空気を暖める無駄が確認できたのです。
診断は、組立ラインがあるエリアに釣り天井を設置して、その下だけを暖房するか、その投資が出来ない場合は、作業者個々に赤外線ヒーターを配布し、その代わり工場全体の暖房温度を数℃下げる、というものでした。温水・温風暖房では、暖房温度を1℃程度下げるだけで、凡そ10%程度の省エネが実現できますので、数℃では数十%の省エネになる計算です。仕事の中身は別にして、カザフは北東南を高い山に囲まれ、西はカスピ海に面していて、ロシアのバイコヌール基地もある砂漠の国ですが、一方では石油や天然ガスや鉱物資源に恵まれた資源大国であり、他方では山や山際には豊富な雪解け水によって風光明媚な観光自然もあるという、いわばこれからの国だと感じました。日本も、何時までのB国の顔色ばかり窺っていないで、この様な国とも密な国交を結ぶべきなのでしょう。いずれにしても自費ではなかなか行けないシルクロードの国での2週間の滞在は、人生の中でも得難いエポックになったのでした。

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2021年4月12日 (月)

3928 ある人生11

<フリーランス時代(脱皮の完了)>
勿論、この中小企業に在籍している間にもフリーランスになるための準備は進めていました。お金も暇も無かったので、先ずは放送大学の大学院に入って、改めて「環境学」を修めました。また環境大臣が認定する「環境カウンセラー」に認定もされ、同時並行で環境経営システムであるエコアクション21の審査員の資格にも合格したのです。また、再度の退職後は、特許流通アドバイザー制度にも応募し、年間100時間ほどですが有給の活動もできる様になりました。また知財に関する充実した研修も受ける事ができたので、生活も少し安定し、同時に知財の知識も吸収できたのでした。
徐々にですが、企業の環境経営の審査や、商工会や中小企業の同友会や行政機構などからメーカーなどにおける省エネ研修、更には学校の環境学習の講師などの依頼も増え、どうにかフリーランスとしてもメシが食える様になっていきました。時間はたっぷりあったので、岐阜にあった環境NPOの事務局長も務めながら、退職金で買ったバイクを乗り回しながら、東海地方を走り回りました。
40代半ばから始めた登山も続けていて、毎年2-3回は2、3泊のバイクでの山行に出かけ、それが50座を超えたあたりから、いわゆる深田久弥の「日本百名山」コンプリートを意識し始めて、登頂した名山を地図上で潰していく楽しみにのめり込んでいったのでした。単独登山ですから、数回は命の危険を感じたこともありました。一度は唐松岳の尾根をボンヤリ歩いていて、灌木の根に躓き、深い谷底に滑落しかけたこともあったのですが、とっさに灌木の根を掴んで、九死に一生を得たこともありました。とは言いながら、山の自然や植物や鳥や動物たちにはますます引き付けられていったのでした。

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2021年4月10日 (土)

3927 ある人生10

<中小企業時代>
サラリーマンを退職しても、いきなり自立してメシが食える様なワザは何も持って居なかったので、取りあえずは、K重工の下請けの仕事もしており、新事業への拡大も考えていた知り合いの中小企業の社長を口説いて、新たな部門である「新製品開発室」を設けて貰い、その室長として採用されたのでした。開発の中身は、新製品なのですが、心の中では「環境関連の新製品」に絞り込んでいたのでした。色々な可能性を探索する中で、生分解性油脂を使った切削液システム、バイオマス(特に木質ペレット)の製造機械(ペレタイザー)や燃焼機器(ストーブ)の開発に面白さを感じ、弟子を一人貰って育てながらそれらの開発に当たったのでした。3年ほど掛かって、いくつかのプロジェクトは、試作品として形になったのですが、仕上げと製品化は任せて、その中小企業も卒業して、完全なフリーランスとなる事にしました。というのも、元々出来るだけ早めに自立のワザを身に着けて、完全なフリーランスになりたかったことと、この企業に在籍した3年の間に社長が交替し、3代目の社長へ代替わりしたのですが、この3代目が「生まれながらの経営者」として育てられたためか、開発室に向かっては「お手並み拝見」的な態度を見せていたこともあり、自分が身を引くことによって1、2歩前のめりになって貰いたかったのが、再度の退職の最大の理由だったのでした。その決断が正しかった事は、後日弟子であった子から聞いたのでした。
この企業での3年間のサラリーは、元職の2/3ほどに下がったのですが、その間に種々の環境ビジネスの可能性をゼロから探索する自由を貰った事と、その後の自立のための自己研鑽の時間が出来た事が、何よりの収穫であったと振り返っています。社会人大学院生でもあった弟子には、課題を与えて論文を数本書かせ、海外での学会へも送り出して研究の発表もさせ、無事に博士号を取得させたのは、我ながら小さな手柄であったと振り返っています。彼は、後日若くしてその工場の工場長に抜擢されました。

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2021年4月 9日 (金)

3926 ある人生9

<環境人間への脱皮>
そこから早期の退社を決意するまでは結構早かったのですが、その前に改めて環境先進国であるドイツの状況を見ておきたかったので、2002年の春、勤続30年達成で会社から貰った旅行クーポンを使って、(妻には観光旅行だと信じさせて)2週間ほどドイツや欧州における環境への取組みを見て回ったのでした。レンタカーで走り回った環境先進国のドイツで見たのは、石油メジャーが建設した巨大な太陽光発電パネルの製造工場、色素増感型の新しい太陽光発電パネルの試作品などで下。訪ねたのは春先で、各地の農場は菜の花で一面黄色に染まっていたのですが、それから採れるナタネ油をそのまま使って動かす農業機械(SVO)、木材ペレットを燃やしているペレットストーブ、風車群や住宅での太陽光発電などの再エネ利用の確かな活動でした。
また、川や湖ではかつてはコンクリートで覆った護岸を壊し、緑の土手や砂浜に戻す工事も何か所かで目撃し、北ドイツの炭田地帯では、既に全ての炭鉱が廃止され、石炭化学工業地帯も既に更地に戻っていたのでした。
当時ドイツでは、政策として原発全廃を決めていて、数か所の原発では既に廃炉作業にも着手し始めていました。厳しい自動車リサイクル法では、全ての廃車は販売の逆ルートでメーカーに戻される仕組みとなっていました。メーカーでは、(シュレッダーではなく)部品毎に細かく分解され、ほぼ100%がリサイクルされる仕組みなのです。また規格化され、分厚く作られているPETボトルは、20回以上洗浄されて再使用される法律となっていましたし、各種製品に対しても厳密なリサイクル法が作られており、生活の中での実際のリサイクルの方法を小学校の低学年で教えてもいたのでした。その環境旅行?で感じたのは、当時の日本は「我が国は環境先進国」であるなどと胸を張っていたのですが、実際の環境への取組みでは、既に欧州からは「周回遅れ」の状態にあるという危機感だったのです。
その年(2002年)の春の異動では、高専卒としては異例のポジションに昇進もさせては貰ったのですが、それなりに分厚いボーナスを2回貰っただけで、年末には早期退職を実行したのでした。その際、それまで20年間関わってきた、航空機産業への未練は全くなかったと振り返っています。

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2021年4月 8日 (木)

3925 ある人生8

<海外奔走時代3:ブラジル時代>
ドイツから日本に戻ると、今度はブラジルのE社とのリージョナルジェット機の共同開発の話が急激に具体化し、先行情報を集めるチームの一員として取りあえずブラジルに飛びました。その後、プロジェクトは実際に動き出し、やはりDBTの一員として、今度はブラジル駐在の身となったのでした。E社が所在する、サンパウロからやや北に上がった、S・J・ドスカンポスという人口40万人ほどの高原の街に丁度1年間滞在していました。休暇を利用してブラジルのいくつかの観光地へ旅行もしました。予防接種が必要なアマゾンこそ敬遠しましたが、印象的だったのはブラジルでも内陸部のパンタナール平原と、そこから流れだす大きな川の途中にあるイグアスの滝でした。その近くには、豊富な水量を利用したイタイプ・ダムがあるのですが、そこには19基もの発電水車が並んでいて、それぞれの導水管の直径が、なんと10mもあるのでした。説明版によると、1基の出力は100万kwとのことで、原発1基分ほどに相当します。このダムだけでブラジルの電力の8割程度が賄える規模だとか。意外にもブラジルは、世界でも有数のカーボンフリーの先進国だったでした。加えて街を走っている車の半分ほどは、アルコール燃料車で、その(エチル)アルコールの原料は、広大な農地で作られるサトウキビで作る醸造アルコール(つまりは焼酎)だというのです。この国で輸入される石油は、残りの半分ほどの車や工場のボイラ、水力発電所からは遠すぎる北部の地域で行われている火力発電所に使う燃料程度なので、再エネ率で言えばこの当時でも既に60-70%は既に達成されていた、と想像しています。
1年のブラジル駐在から帰国して、お疲れ様という意味もありやや暇な部署に異動し、しばらくは天井を眺めながら考えに耽る時間ができました。その時ボンヤリ考えていたのは、これからの時代のキーワードは、「環境(保全)」であり、「持続可能性」だろうというものでした。石油を多量に消費する、車や航空機と言った「20世紀の乗り物」は、やがて「淘汰され、駆逐される」だろうとの自分なりの予測も立てたのですが、それを実感したのはあの9.11事件だったのです。あのテロ事件は、燃料をたっぷり積んだ旅客機は、使い方によっては「空飛ぶ爆弾にもなり得る」事を見事なまでに証明してしまったので、それを怖がった人々は海外旅行を敬遠し、事件直後の旅客数は、それまでの40%台まで激減したのでした。つまり、当時の海外旅行客の内2/3ほどは不要不急の、いわゆる物見遊山客だったことが明らかになったのです。それはまさしく、「航空バブル」ではないか、と強く感じたものでした。

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2021年4月 7日 (水)

3924 ある人生7

<海外奔走時代2:海外調達>
米国駐在から帰って、しばらくしたころ、急な円高局面がありました。1997年頃の事です。航空機は部品を作り組み立ててから米国に輸出するので、国産が強いカーボン繊維以外、ほぼ全ての素材を輸入する航空機業界は、それを加工・組立てて輸出すると「二重の為替差損」を被ります。その結果、社内で少なくとも部品は海外で作らせて輸入し差損を軽減すべきだという議論が起こり、結果として資材、生産技術、品証担当の3名からなるチームをいくつか作って、欧州、米国、東南アジアなど航空機産業のある国々の企業群に派遣し、能力調査や見積をさせる調査を大々的に行ったのでした。その一つのチームに入れられて、海外の企業を数十社回った経験は、投稿者にとっては、いわゆるグローバルスタンダードを知る上で大いに役立ったのでした。
我々のチームは、約3か月に亘り米国、東南アジア、欧州などを巡って、潜在的な部品サプライヤを探索したのでした。事前にアポを取った企業を訪問して工場見学し、財務や生産技術力をチェックし、品証体制を調査し、いくつかの部品候補に対しての見積を依頼、最終的には各社ごとの報告書を作成するのが任務でした。
その超円高の波が一段落した頃(1998年頃)、戦時中は飛行艇などを作っていたドイツの老舗航空機メーカーとの、リージョナルジェットの共同開発話が立ち上がり、先行情報を得るため、3か月ほど南ドイツに滞在しました。しかしその会社が傾き、米国の資本に買収されたこともあってこの話はキャンセルになったのでした。

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2021年4月 6日 (火)

3923 ある人生6

<海外奔走時代1:米国>
英会話の力をつけておこうと思い、30代の10年間ほどは毎週1回定時後に、会社が斡旋する英会話教室に通っていました。最初の内こそフルメンバーの十数人が集まるのですが、メンバーはやがて一人抜け、二人抜けして、数回の教室後は数人まで減ってしまうのが常で、結果として少人数になり、講師と色んなトピックスについての深い話が出来る様にもなっていきました。ある年、会社で受けたTOEICの試験が(問題が簡単な年で?)たまたま良くできたのをきっかけに、会社には海外要員として認識された様でした。造船時代にも3回ほど海外出張はありましたが、いずれも1,2週間という短期でした。しかし、B777の派生型機の開発でのB社への派遣・駐在は1年に亘ったのでした。新たに開発する大型機の派生型機の開発で、設計チームに帯同する生産技術チーム(DBT)の一員として米国のシアトル近郊で暮らす事になったのでした。
米国は消費大国でした。街の郊外には、いわゆる大規模な「モール」があり、倉庫の様な巨大なスーパーや外食産業などが多数林立し、お金さえあれば何でも手に入ると言った社会でした。当然の事ながら、多量のごみが出ます。それらは全てごちゃ混ぜにして捨てられますが、最終的には砂漠に運んでそこに掘られた巨大な穴に埋め立てられるのです。また中西部に出張に行くと。飛行機からは地上に広がる無数の水玉模様が見えました。ピボット農業と呼ばれる、円形の農場が広がっているのです。それぞれの農場の直径は1㎞ほどあり、その中心には井戸があって、汲み上げた地下水を半径500mのアーム状のスプリンクラーをゆっくり回して、灌漑するのです。当然の事ながら、余分目に潅水しますから、作物に吸収されなかった水は、やがて蒸発してしまいます。地下水には、それなりの濃度で塩類が解け込んでいるため、水の蒸発後には地表に塩類が蓄積するのです。この量が多くなると、その土地は最早農地としては使えなくなるのですが、これがいわゆる「塩害」です。この様にして放棄された「茶色い水玉」となった農地が、緑の水玉の間に点々と広がっていたのです。この国の大量消費、大量廃棄社会は、このピボット農業も含め、決して持続可能ではないと感じたものでした。

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2021年4月 5日 (月)

3922 ある人生5

<航空機屋時代>
転勤先は岐阜のK務原にある航空機部門で、生産技術担当になりました。図面と工程仕様書(スペック)を読み込み、現場が作業をするための工程計画表などを作成する部門ですが、その他にも次期生産モデルの先行計画や設備計画なども守備範囲にあり、仕事の内容は設計、現場、品証以外の全てと言っても良いでしょう。
30代は人生で一番勉強した時代でした。何しろ、造船でモノは嫌というほど見ては来ましたが、学生時代の勉強嫌いが祟って工学の基本が身についていなかった訳ですから、いきなり化けの皮が剥がされるのを感じたものでした。幸いにも、配属された職場はノンビリしたムードで、仕事や下調べに掛ける時間はたっぷり与えられていたので、分からない事は改めて工学書や英語の文献に当たって、知識を増やしていくことが出来たのです。ラッキーな事に、工場には教科書に載っている様な、新旧の製造設備の全てが揃っていて、作られる多くの部品が日々流れていて、その実際の工程を目にする事が容易でした。という訳で、文献を調べる一方で、実際に朝夕現場に出向けば、行われているプロセスを「立体的に見て知識を確認する」事ができたのでした。こうして、モノには強かったものの理論が弱かった造船屋は、30代の必死の勉強で、やっと理論の裏付けもある航空エンジニアっぽく成長できたのでした。
休みはしっかりと取れたので、30代はテニスも本格的に始め、読書量も人生Max、会社が斡旋していた英会話教室にも毎週欠かさず通い、息子も生まれたので子育ても忙しく、充実した生活を送っていた時期でもありました。そんな充実した生活が40代前半まで続きました。
登山にのめり込んだのは40代半ばの事でした。会社の登山部がバスを1台借り切って、富士登山のトレッキングツアーを企画してくれたのですが、中学生になっていた息子を誘ってそれに参加したのがきっかけでした。高山病気味になりながらも、無事登頂し下界を見下ろした時の達成感が半端なく素晴らしかったので、その後数回は登山部の山行に混ぜて貰って経験を積んだのでした。数回のトレーニング後、装備も買い揃え、ある年に笠ヶ岳から入って槍ケ岳を縦走した山行からは、自分のペースで行動できる単独登山を楽しむ様になっていきました。

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2021年4月 4日 (日)

3921 ある人生4

<造船屋時代>
K重工での配属先は、当時は飛ぶ鳥を落とす勢いの造船部門でしたが、その中では人気が無さそうな修繕部門に回されたのでした。商船は、毎年乾ドックに入れて船体や機関の定期検査と必要な修理・再塗装などを行わなければなりません。それを迎える造船所では、船体と機械と電気の担当技師がチームを組んで一隻の船を担当し、事前の打ち合わせから、実際の検査や修理、そして完工出航までを全て取り仕切るのです。修繕船は、精々長くても2週間程度の工期が普通ですので、当然の事ながら長時間残業や徹夜なども当たり前の職場でした。船の狭い機関室内を動き回る訳ですから、油でドロドロに汚れる作業服を毎日取り換える必要がありました。しかし、直径が1mを超えるピストンを持つディーゼルエンジンや、数万馬力の出力の蒸気タービンやボイラや荷役機械など、船舶には凡そ考えられる全ての機械が揃っており、毎日それらが分解され点検され、必要になら修復される過程を目にする訳です。最初こそ先輩の後ろについて回っていたのですが、忙しくなると無理やり独り立ちを余儀なくされ、知らず知らずの内に「メカのエキスパート」っぽくなれた様な気がします。
ちなみに、最初の1年はK戸が任地でしたが、1年後には、香川県のS出にあった大型船用の造船所に転勤になったのでした。振り返ってみれば造船所での10年余りの間に、担当した船の半分ほどは外国船籍で、乗組員や船主側の担当も外国人であったため、自然と英語によるコミュニケーション能力も身についていた様です。坂出に居る間には結婚もし、まるで58歳で亡くなった母親と生まれ変わる様に、最初の子供(娘)も生まれたのでした。
30代に入った頃、急激な造船不況が始まり、造船の仕事は激減しました。背に腹は代えられず、会社は多くの希望退職を募り(別の言葉では首切りですが)同時に他事業部への転勤を断行せざるを得ませんでした。造船所から多くの仲間を見送った後、自分自身も航空機部門へ転勤する事になったのでした。

 

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2021年4月 3日 (土)

3920 ある人生3

<高専時代:K君の事>
3年の時に、同じ中学から電気工学科に入ったK君に誘われ、日本を脱出してアメリカの牧場で働きながら旅行でもしようと相談がまとまったのでした。K君も頭は良いものの、やはり学校の勉強は嫌いで電気工作ばかりしたらしく、やはり成績は低空飛行していたのです。劣等生同士のワルダグミはすぐに決まったのでした。バイトで少しお金を貯め、いよいよ実行という段になって、彼は強い意志で本当に退学したのですが、自分は母親に泣きつかれて断念してしまったのでした。
初志を貫いて退学したK君は、取りあえず日本の電気会社に入り、その後関連の大手外資系電気会社の米国法人に移り、最終的には急激に伸びていたコンピュータシステムの会社(Sスコシステムズ社)に入って、なんと50代前後にマスコミに登場した時には、その企業の副社長にまで上り詰めていたのでした。功を為す人間は、やはり何か違うと感じたものでした。残念なことに彼は惜しまれながら52歳という若さで早逝してしまいましたが・・・。
一方、凡人の自分はと言えば、成績は低空飛行を続けながら、バイトに勤しみ奨学金も注ぎ込んでオフロードバイクを買い、バイクツーリングやユースホステルを使った国内旅行にものめり込んでいったのでした。人並みに、パチンコ、麻雀、酒やタバコも嗜んでみましたが、どれも体質には合わない様で、趣味?にはなりませんでした。
さて卒業です。 ‘72年当時は好景気で、引く手はあまたでした。求人票を見て、何故か先輩が誰も入っていない、K重工を希望しました。入社試験は散々の出来でしたが、たぶん運動部であった事と大量求人の「十羽一からげ枠」で合格し、その年の学卒。高専卒計360名の一人として無事就職できたのでした。初任給は、確か5万円台だった様に記憶しています。

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2021年4月 2日 (金)

3919 ある人生2

<高専時代>
高専の入学試験は拍子抜けするほど楽だった印象です。特に英語は、教科書には載っていなかった単語を含む問題も出題されましたが、たまたま担任から貰った業者テストにはあったので、お前がただ一人だけ正解だったと、後日担任になった英語の教師から聞きました。かくして、めでたく一択のA高専4期の機械工学科に入学したのでした。家からは通学できないので、学校の寮に入りました。寮費は当時のお金で食費込み1万円程度だった様に記憶しています。
高専に進学してすぐ、父親がいよいよ危なくなった頃、名古屋近辺で働いていた姉に職人の婿さんを貰う話がトントンと進み、どうやら実家の商売も後継ぎ問題と経済的危機は回避できる見込みになったのでした。父親は、結局高専の1年の冬に、肺がんで帰らぬ人となってしまったのでした。
高専での授業は退屈で、一番前の席でしたが毎時間、居眠りばかりしていました。唯一楽しかったのは、学校の工場での実習で、鋳物や鍛造や旋盤作業などは、待ち遠しかった記憶があります。長期休み中は、半分がバイトで少しお金が貯まるとユースホステルを利用し、移動手段としては均一周遊券の他ヒッチハイクや自転車なども使った旅行に出かけていました。
成績は、当然の結果として急降下で、トップに近い成績で入学はした様なのですが、すぐに赤点すれすれの低空飛行の科目ばかりの成績になりました。部活は一応ラグビー部でしたが、先輩が居ない同好会からの出発だったこともあり練習はダラダラで、ラグビー王国の秋田ですから、高校の二軍と戦っても一度も勝ったことはありませんでした。

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2021年4月 1日 (木)

3918 ある人生1

今年は、いよいよ投稿者も70歳の大台に乗るらしいので、ここらで自分の人生を少し振り返って見る事にしました。
<幼少期>
S26年の夏に生まれました。鳥海山が見える日本海側の田舎町でです。
祖母は几帳面すぎる人柄で、どうやら長男の最初の嫁をいびり出した様です。(と想像しています。)後妻となった母と頼りない父との間に、3歳離れた姉の下に長男として生まれました。家業はクリーニング業でしたが、パチンコと釣りと将棋が趣味の父親は、午前中だけ働くと昼からはどこかにドロンと消えてしまうのでした。父親が河口に釣りに行く時は、時々はついていきました。親父は、戦争に行って覚えて来たらしいタバコが好きで、両切りの缶ピースを旨そうに吸っていた姿が印象に残っています。
毎日向かいに住む同級生と、目の前の川に釣りに行くか、そうでなければ近所のガキ大将にくっついて回り、家の前の広い割に車が殆ど通らない道路や河原や堤防や裏山で、暗くなるまで遊び回っていました。小学校の高学年になった時、親は借金をして少し離れた場所に店舗兼住宅を建て、それまでの借家から引っ越しました。中学校は、裏山を通ると15分くらいで通えたのですが、冬季以外はゲタ履きで通していました。部活は卓球部でしたが、先輩のストイックな練習について行けず、数か月で帰宅部になりました。その中学は、テスト結果を廊下に貼り出す様な学校だったので、各人の成績順位は明白で、家では全く勉強をしなかった割には授業をしっかり聞いていたためか、300人ほどいた同学年の成績では、大抵は上位一桁には入っていました。めちゃめちゃ秀才肌の女子と男子が一人ずつ居て、成績で彼らより上になった記憶はありません。つまり成績は最高でも学年3位と言ったところでした。
中学3年の時、父親に(多分タバコとアイロン台に使われていた石綿が原因の)肺ガンが見つかり入院しました。はっきりとは聞かされませんでしたが、どうやら長くなさそうだと想像できました。母親から進路について相談を受けていたらしい担任からは、授業料が高校より安いし、お前の成績だったら奨学金も貰えるから高専に行けと勧められました。担任は、業者からただで貰えるテスト問題を、受験までこれでもやっておけ、と時々渡してくれました。そんなこんなで、地元新聞が行っていた模擬試験でも、全県でも一桁以内を取れる程度の学力はついていた様です。

 

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2021年3月31日 (水)

3917 ボトルネック2

ボトルネックは、何も地政学的なものに限った話ではありません。経済活動を見回せば、例えば希少な資源などでもボトルネックが多く存在する事が分かります。例えば、偏在する資源としては石油やレアアースなどが挙げられますし、一方で大規模な製造設備を必要とする製品としては半導体を使った部品、つまりはCPUやメモリーや太陽光発電パネルなどが挙げられそうです。
社会の経済効率を追求した場合では、勿論製造設備を大規模にして、量産効果を狙う方向なのですが、例えば自然災害や生産設備の故障や工場火災などが原因で、生産・供給がストップしてしまった瞬間から、関連する産業や社会活動でさえギクシャクし始めるのです。それは、取りも直さず社会全体としてのストックが極限まで省かれ、在庫を持たないJIT生産こそがベストだというTヨタ神話が、社会の隅々まで浸透してしまっているからなのでしょう。
中東の運河が1週間ばかりフン詰まりを起こしてしまっただけで、ある工場では原料や半製品の供給が止まって、短期間の操業停止になるかも知れませんし、ショッピングセンターではいくつかの商品の棚が空になってしまうかも知れません。コロナの流行で、消費が少し落ち込んでいたのが、少しは助けになった可能性はありますが・・・。
ボトルネックの解消には、そもそものネックを太くする方法も考えらますが、現実的な策はバイパスルートを設けておくことでしょうか。例えば、アジアと欧州の交易について言えば、一定の割合で鉄道便を混ぜておくとか、温暖化もあり夏場であれば北極海ルートの利用も現実味を帯びてきています。何より、今回のスエズ運河事故の教訓は、大は小を兼ねないというものであった事は銘記すべきでしょう。もし、今回事故を起こしたコンテナ船が、あれほど大きくない船体であったなら、座礁からのサルベージ作業はたぶん一晩程度で済んでいた筈なのです。巨大な工場や輸送手段は、効率が良い反面、実はボトルネックを起こす元凶でもあるのです。

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2021年3月26日 (金)

3916 ボトルネック

中東の運河で、巨大コンテナ船が座礁して動けない様です。座礁というのは正しくないかも知れません。なんせ砂漠を掘った運河なので、乗り上げたのは暗礁ではなく、岸に近い砂地だからです。運が幅がたった200mほどしかない場所で、400mもの長さの船が動けなくなった訳で、当然の事ながら運河は通行止めになってしまいました。コンテナ船は、高速での航行を基本として設計されていますので、運河での航行の様に低速での航行は苦手なのです。つまり、水の抵抗を減らすために線形は痩せており、抵抗となる舵版も高速では十分に効きますが、低速では殆ど効かないと言っても過言ではありません。
代わりに船を左右に動かすために、前後にはサイドスラスターと呼ばれる小さな推進器がつけられてはいるのですが、何しろ世界最大級の図体では、敏感に作動するとも思えません。多分、スラスターを動かし始めてから数十秒後にやっと反応すると言った程度でしょう。船長の判断としては、砂嵐で視界が悪かったのではあれば、然るべき場所で待機すべきだったのでしょう。
さて今回の話題はボトルネックですが、世界には多くのボトルネックが存在すると改めて考えさせられます。海運に限って見ても、パナマやスエズと言った国際的運河、マラッカやホルムズやボスポラスやドーバーと言った海峡などが思い浮かびます。そういった場所は、常に国際紛争の火種ともなってきましたが、悪い事にはそういった場所こそが、物流が集中する場所と重なっているのです。
つまり、経済が貿易に依存している日本の様な国をイジメるのに武器は必要ないのです。ボトルネックを押えている1国又は2か国が協力して、ボトルネックを締め付けるだけで良いのです。物流の遮断が始まると、仕方がないので貿易国はコストの高い迂回ルートを選択するしか手段が無くなるでしょうから、物価が上がり経済も苦しくなっていくでしょう。3914,15で述べたVUCAの時代、この国も可能な限り地産地消を推し進め、ボトルネックへの依存度を下げる様に努力する必要がありそうです。

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2021年3月25日 (木)

3915 OODAの時代2

VUCAの時代、素早くより正しい方向に歩みを進めるためには、OODAサイクルが有効だと書きました。しかし、それを担保するには条件も必要です。それは、より正しい事実を観察するための「観察眼」と、その得られた事実をより正しく分析・評価し仮説を立てるための「価値観」でしょうか。勿論、意思決定のプロセスでは混乱も予想されます。というのも、いわゆるステークホルダーの間には、必ず「利害の対立」乃至は「利害の不一致」があるものだからです。しかし、意思決定までのプロセスが正しければ、その後の意思決定の混乱回避はは比較的容易でしょう。もし、意思決定に困ったとしても、「では将来世代のためになるのはどの決定か?」との問いを立てれば、良いからです。これは、権利を強く主張する人たちの「殺し文句」でもあります。現世代に利害の対立があったとしても、誰も将来世代が不幸になる事は望まないでしょう。
さて問題は、優れた観察眼やより正しかろう価値観を、一体どの様にして育むかですが、これは兎にも角にも、常に今の時代に存在する問題を掲げて、その原因と対処方法を議論し続ける事しかないでしょう。それも、誰か偉い学者や政治家が議論を誘導するものであってはなりません。議論の参加者や聴衆も一緒に考える場でなければならないのです。それも一度や二度ではなく、同じ問題や課題に対して、いくつか視点を変えて、徹底的に原因を突き止め、その解決法を議論するのです。
例えば、今回の新型コロナのパンデミックですが、私たちは歴史の中で、何度もウィルスや細菌によるパンデミックを経験済みでもあり、この際「次なるパンデミック」に向けての課題と解決に至る道筋を改めて議論しておくべきでしょう。例えば、パンデミックとなる以前の、感染初期の情報の集め方や初期警報の出し方ならびに初期消火の手順は決めておく必要があるでしょう。そのためにも、パンデミックに至る「感染の仕組み」の解析は特に重要です。というのも、今回のコロナパンデミックでは、豪華客船の感染者やB漢からの帰国者が、流行の起点になったのは間違いないのでしょうが、その後の感染拡大には経路が不明であるケースが余りにも多いからで、感染経路も飛沫感染だとかエアロゾルだとか、接触感染だとか、議論が分かれていて、必ずしも明確にはなっていないからです。
私たちは、今回のコロナパンデミックに関して、可能な限りの科学的データを集め、来るべき次期パンデミックに向けての原因特定や対処方法を学習しておくべきでしょう。その上で、それが発生した場合でも、一刻も早くOODAサイクルを回す訓練を重ねておくべきでしょう。専門化会議などは、平時でも常設しておくのも良いかも知れません。

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2021年3月23日 (火)

3914 OODAの時代

このタイトルでは一度位は書いた様な気もしますが、おさらいのの意味でも再度書いておきます。その前に、1990年代に不確実性が高く予測のしにくい時代の象徴として、VUCAという言葉が流行ったことがありました。自然災害の多発や新型コロナなどもあり、最近再度このVUCA:「Volatility:変動性」、「Uncertainty:不確実性」、「Complexity:複雑性」、「Ambiguity:曖昧性」が脚光を浴びてきた様な気がします。
確かに、比較的最近にSARSやMERSは経験した人類も、今回の新型コロナの全世界の及ぼしたインパクトは、殆ど予測不能だったでしょうし、従って対処も後手後手に回ってしまったのでした。増してや、このウィルスは次々に「変異株」を作り出して、「Volatility:変動性」、「Complexity:複雑性」を増加させ続けてもいます。
その様なVUCAをまとった諸現象に対処するプロセスとしてはOODAしか無いと思うのです。継続的改善に向けては、これまではいわゆるPDCAサイクルが定番でした。このサイクルは、P:Plan(計画)、D:Do(実行)、C:Check(評価)、A:Action(改善)を繰り返し、商品や品質の管理を計画的かつ継続的におこなうものです。計画通りに改善を進めるため、長期的な戦略でメンバーにも共有されやすいというのが特徴です。
それに対してOODAは、O:Observe(観察)、O:Orient(仮説を立てる)、D:Decide(意思決定)、A:Action(行動)を「短期間」で繰り返していくため、OODAループとも呼ばれます。先ず最初のO:観察とは、先ずは出来るだけ多くの事実やデータを観察により積み重ねるステージです。次のO:仮説を立てるでは、事実やデータに基づいて、今何が(どんな原因で)起こっているのかという仮説を立てるステージです。勿論、この仮説に誤りがあると次のステージの意味も失せてしまいます。その正しかろうと思われる仮説を受けて行動すべきことをD:決定するのです。意思決定後は、A:行動あるのみです。PDCAサイクルは、合理的に見えますが、Pの計画を立てる前に、事態を分析するというステージが抜けているのか欠点とも言えるサイクルだと思うのです。加えて、改善が生まれるのが、例えばCAサイクルの完了する1年後になってしまう場合も多いのです。
一方でOODAサイクルでは、仮説さえ立てられれば、決定や行動のステージには速やかに進めるでしょう。つまり、サイクル時間を短くできるメリットがあるのです。勿論、仮説の信頼性は非常に重要です。正しい決定のためには、正しい(分析と)仮説を立てる事が必須だからです。この国では、いわゆる官邸主導や閣議決定という決定プロセスが先ずあって、それにお役人が理屈を後付ける様なプロセスが横行しています。そうではなくて、正確な分析に基づく、正しい仮説が無ければ、決定などすべきではないのです。新型コロナも1年以上時間が経過し、事実やデータがかなり積み上がってきましたが、まだ納得できそうな仮説や、終息に向かうためのシナリオが明確には見えていない様な気がします。この国のシステムである立法=国会審議やそれを回すために、優秀な官僚が多大な準備時間が取られる、今の政治システムはPDCAにはそれなりに適しているのでしょうが、OODAには全く不向きであるとしか言えません。OODAは、人数を絞った優秀なメンバーで構成されるタスクフォースチームによってのみ、効率的機能するからです。続きます。

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2021年3月19日 (金)

3913 ジャンボジェットの終焉

1960年代の終わりに登場したB社のジャンボジェット機(B747)は衝撃的でした。当時は皆、あんな大きくて金属で作られた機体が、数百人もの客を乗せて、空を飛ぶなんてことが信じられなかったと想像しています。その流れに乗って、総二階建て構造として更に乗客数を増加させたAアバス社のジャンボジェット(A380)も開発されました。初飛行こそ今世紀に入ってから行われましたが、A380も「大きい事は良い事だ」のキャッチフレーズが作られた20世紀の遺物だと言えるかも知れません。
A380を受け取り運航している航空会社は、購入を後悔し、今現在はたぶんこの怪物を持て余しているのだろう、と想像しています。600人前後の乗客を集め、彼らを空港から与えられた短い時間で乗降させ、多数のCAを雇って機内サービスを行い、エンジンが4基もある機体を整備し、長時間かけて多量の燃料を補給しながら毎日運航する事を想像しても、その苦労が偲ばれると言うものでしょう。要は、「大は小を兼ねる」という言葉は、従って「大きい事は良い事だ」というキャッチフレーズも、今の時代には全くそぐわないと断ずるしかないのです。それは、Aアバス社が僅か200機の製造で製造を打ち切ったという事実でも明らかでしょう。

一方、B737やA300シリーズの様な中型機であれば、上手く仕組みを整えれば、空港での駐機時間は30分程度に短縮できるという実例があります。乗客を少し減らして、燃料を多く積めるようにすれば、多くの航空路線で国際便としても使えるのです。かつて9.11事件の勃発時には、国際線の乗客は一時40%まで減少しました。今回のコロナパンデミックでは、たぶん国際線の利用客は90%以上は減少したはずです。不要不急の旅行客(物見遊山客)は、潜在的には50%以上存在すると想像しています。であれば、旅客機の乗客数だって200人もあれば十分なレベルと言えるでしょうし、旅客機が小さければ取り回しも楽でしょうし回転率も向上できる筈です。
これからの時代のキャッチフレーズは「大きい事は無駄な事」とでもなるのでしょうか。これを敷衍すれば、それは全ての分野に亘っても言えることで、製造業、運輸業、発電所やインフラなどなど、これまでは規模のメリットを主張してきた業界も、同様にその方針を見直して、最適なサイズを再考べきでしょう。

 

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2021年3月16日 (火)

3912 バイオ燃料

緑藻類を使ったバイオ燃料やバイオ航空燃料の製造や実用化がネットニュースになっている様です。勿論、それで全量を賄う事など出来ないでしょうから、削減義務を負わされている石油消費家は、例えば石油燃料に5%程度混ぜて使い、石油(=CO2排出)を5%削減したと発表したいのでしょう。
投稿者が実際に見聞きしたバイオ燃料の例を挙げると、1)ナタネ油をSVO(直接燃焼)として農業機械の稼働(ドイツ)、2)ナタネ油をメチルエステル化してのディーゼル車の運用(国内)、3)ブラジルにおけるエタノール車の運用(ブラジル)などですが、それぞれに課題を抱えている様です。1)はナタネを栽培するための広い農地が必要ですから、食糧生産との農地のバッティングが問題になるでしょう。2)では、廃食油を使ったとしても、改質の使用するメタノールの確保とメチルエステル化の過程で生ずる大量の廃棄物(グリセリン)の処理でしょう。3)でもブラジルの様に農地が豊富な国では、石油と競合は可能なのでしょうが、他の国では実用化は到底無理でしょう。加えて、エタノールはガソリンに比較して熱量が小さいので、車の馬力が大幅に低下もします。
では、緑藻類を培養して得られるバイオ燃料の実用度はどうなのでしょう。現状では、ガソリンと同等の燃料の製造は無理の様で、軽油や航空燃料(ケロシン)を代替するのが精々なのでしょうが、いずれにしてもクロレラ培養のための広い培養池が必要です。クロレラは葉緑素を持つ「植物」なので太陽光を使って光合成をおこなって増殖します。従って、培養には豊富な日照時間も必要とされる訳です。狭い国土のこの国で、ではその様な広い培養池の確保が可能かと考えてみても、田んぼでも潰さない限り土台無理な相談だと言うしかないでしょう。
ジェット燃料に経った5%程度のバイオ燃料を混ぜて飛ばすくらいなら、飛ばす航空便を5%減らす工夫をした方が近道でしょう。ましてや、新幹線網が張り巡らされているこの国で、短距離の旅客便を飛ばす意味など見出す事は出来ないでしょう。私たちは、輸送システムに関してあまりにも便利で速い事を求め過ぎている様です。先ずは、省エネ=節約による大幅な石油消費量の削減こそが最優先なのです。

 

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2021年3月14日 (日)

3911 多様性と包摂性

SDGsへの取組の中で最も重要なキーワードは、多様性と包摂性と言われています。多様性とは、言わずもがなですが、人間社会では、人種や性差や障害の有無、あるいはSGBTなどの人の多様性やその人々が作り出す文化の多様性などを意味します。また、環境における多様性は、気候や風土が作り出す、多様な環境の中で育まれる、植物や動物(含む微生物)の多様な分化とそれぞれの棲み分けを意味します。
では包摂性とは何を意味するのでしょうか。確かに包摂性という言葉は日常語ではないため、良く分からない抽象的な概念を含む言葉だと言えそうです。投稿者の解釈では、例えばより包摂的な社会では、上に述べた多様な人々を、許容し包み込むような懐の深さを持つと言えそうです。自然環境も、非常に大きな包摂性を持っては居ますが、人間の排出する環境負荷が余りにも大き過ぎるため、近年ではその包摂性を超えて、気象変動を含む後戻りの効かない環境の変化(悪化)が問題になっているのです。それは、環境の包摂性への人類の「甘え」としか言いようがないのです。
英語圏でのたとえですが、「パーティーに招待されること」が多様性、「ダンスに誘われること」が包摂性と言われている様です。つまり、多様性とはパーティに招かれた客層の振れ幅の様なもので、事実そのものと言えますが、一方でダンスに誘われる様な客は、ダンスの上手下手は別にすれば、招待した主の包容力の中に包まれている状況と言えるでしょう。
SDGsにおいては、環境の持続性を担保するために、人間社会の在り方が問われる訳ですから、これまでの様に自然環境の包摂性に甘える行動は控えなければならないでしょう。逆に、生物の多様性のためには、人間側の欲望(の多様性)は、かなりの程度抑制的な範囲に留める必要がありそうです。しかし個々人の自主的な抑制行動(自粛)に任せていては、コロナの感染の様に先行きは見えないでしょう。やや厳しめな抑制法で縛る必要があると思うのです。例えば、プラスチックごみの削減を考える際に、レジ袋の有料化だけでは全くと言って良いほど効果が無いのは明白でしょう。プラスチックの生産量を制限するか、プラスチックの再使用やリサイクルを義務付ける様な法整備が不可欠なのです。その意味でこの国は、その様なルールを作るに当たっては、常に及び腰で、欧州の様な環境先進国のお手本の後追い程度しか出来ないという残念な国(環境二流国)だと断ずるしかありません。

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2021年3月12日 (金)

3910 災後に思う

あの東日本大震災以降、津波に襲われた被災地の悲惨な状況を指して、「戦後」に対応する言葉として「(震)災後」という言葉が充てられたのだとか。しかし、この国において災後などという言葉は意味がなく、常に「災前」であると考えなければならないとは思います。
最近でも、大地震発生のメカニズムとして、これまでのシンプルなプレート移動+大陸棚跳ね返り説に加えて、プレートの岩盤中の生物の存在が岩石の脆弱化に関連しているとか、これまでの大地震の発生想定サイクルよりかなり短い「スーパーサイクル」が存在するだという新説が提出され、その証拠も見つかり始めています。もしそれらが正しいとすれば、この国の次の大震災発生の頻度は高く、リスクもこれまで考えられていたより、かなり高くなると身構えなければならないでしょう。身構えると言っても、地震を防ぐ「防波堤」などは作れませんから、ひたすら発生後の混乱を小さく抑える事くらいしか出来ないでしょう。個人では、精々防災袋や非常食を準備することくらいでしょうし、インフラに責任がある行政側としてみれば、公共の建物や橋梁などの耐震工事以外に有効な対策がある訳でもなく、ひたすら地震発生まで待ちの姿勢しか考えられないでしょう。
震災で最も被害を受けるのは、言わずもがなですが、都市の人口密集地帯でしょう。人口密度、住宅密度、インフラ密度が極度に高いエリアなのです。人口増加=都市エリア拡大に伴って、防災という視点を軽視して無秩序に作られたインフラや建物・住宅など密集する大都会が、大震災の見舞われた時の被害は、関東大震災や阪神大震災を引き合いに出すまでもなく、その何倍にも上ると思われます。取り分け、木造家屋の密集地帯では、阪神大震災でも経験した様に、火災の多発が犠牲者を大幅に増加させるでしょう。
首都機能の分散の論議は、生まれては消えて今に至っているのですが、実際に首都が直下型の大地震に見舞われた時を想像しても、右往左往する数百万人の姿が浮かぶだけです。それは、鉄道が壊滅し、瓦礫で車も使えす、食糧もろくに手に入らない状況で、電気も水も絶たれ、トイレさえも使えない「難民が」仕方なく歩いて郊外に向かう姿です。
この国では、当事者は別にして、何時までも災後として10年前の過去を振り返っている暇などは無い筈なのです。来るべき次の大震災に備えて、一日も早く本格的な首都機能の分散と同時に、人口の地方分散政策に着手しなければならないのです。災後=災前なのですから。

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2021年3月 8日 (月)

3909 手放し運転車2

自動運転車の普及の如何は、結局機械に対する信頼性の問題に還元できるでしょう。車に運転手が必要なのは、車は自分で勝手に動く事はないように作られているからに過ぎません。軌道上だけとはいえ「ゆりかもめ」の様に自動運転を前提にした乗り物では、普通に自動運転は行われてもいます。とは言いながら、それとて中央監視室で誰かが監視を行っているので、運航の安全は担保されているわkです。しかも、運航は交差点や正面衝突の心配のない軌道上に制限されていますから、いわば1次元の制御というシンプルなシステムで、事故を回避している訳です。
一方で車は、道路網という2次元の広がりを持ったフィールドの中で、安全に運行しなければならないので、制御ファクターが非常に多くなってしまいます。坂道や道路の段差もあるでしょうから、事実上3次元の制御も必要となるので、最早機械自身が持つ自立型の自動運転制御では、安全を確保することは土台無理な話なのです。加えて、他の自動運転車や従来からの手動運転車が道路上に混在する訳ですから、安全な完全自動運転車の登場など全く考えられないのです。
そこで、車メーカーとしては、目新しさを狙いつつ機能を制限したレベルいくつといった、半自動運転車でお茶を濁す事になる訳です。これは、イザという場合の手動への切り替えを前提に、運転者が乗っているという車ですから、単に自動運転時に運転者が楽ができる程度のシロモノに過ぎません。更に考えるべきは、システムの信頼性でしょう。自動運転車のシステムには、必ず周囲を監視する「センサー部」と車のハンドルや車速を制御する「アクチュエータ部」と、情報を処理し判断する「コンピュータ部」が必要です。しかしながら、いずれの要素も、汚れや経年劣化や断線、接触不良と言った原因からの誤作動を回避する事は不可能であるというしかありません。つまり、技術屋がどんなに頑張っても信頼性100%のシステムを作る事など出来ないのです。だからこそ、機械のエラーを監視するために運転者が必要とされてる訳です。
勿論、信頼性が100%に届かなくとも、某大手車メーカーが実験的に作る街で、全ての車が登録され、監視され、コントロールされているケース閉システムの中では、自動運転車を走らせることは、「常時監視」という条件下で、可能ではあるでしょう。しかし、自動運転車がその街の外に出る事は叶わないのです。車メーカーが、こんなバカげた街を作る前に是非為すべきは、絶対に誤発進・暴走事故を起こさないオートマ車の開発でしょう。それは、起こしかけた暴走を止めるスマアシ車などではなく、そもそもアクセルとブレーキを踏み間違わない様に、人間工学を考慮した本質安全車を指します。その点、オートバイは手動アクセルと足踏みブレーキという手・足分離による制御と行っているという理由で、人間工学的な安全性は、車より数段優れていると言えるでしょう。

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2021年3月 5日 (金)

3908 手放し運転車

レベル3の自動運転車が発売されたそうです。このニュースを見ての感想は「人は何処までズボラになるのか」でした。そんなに、ハンドルを回したり、アクセル・ブレーキの操作が面倒なら、車など乗らずに、電車・バスを使えば良いでしょう。投稿者は、ずっとマニュアル車に乗り続けていますが、車の運転は嫌いではないし、それどころか両手、両足を駆使して車を運転する事は、身体や頭の老化防止に効果大と見ています。車を発進させる際には、半クラッチ(左足)とアクセル(右足)の絶妙なシンクロが求められますし、何より坂道発進に至っては、更にハンドブレーキ(左手)との三位一体の操作が必要なのです。
そんな、運転操作を殆どしない(させない)自動運転車は、どれほど人の持つ能力を「退化」させるのか想像もつきません。そもそも、オートマ車での急発進事故は何度も発生していますが、マニュアル車での同様事故は、たぶん全く報告されていないと思います。自動化=能力退化と見做せば、まさに工場の家電や車やそれを作る工場の自動化の歴史は、人の能力退化の歴史と言い換えても良さそうなくらいです。ヒトは手の機能を異常に進化させた動物ですが、それを使って工夫を重ねながら道具を作り、その道具を使って更なる高度な道具や機械を作って来たわけですが、近年は自動化によって、それら工夫する楽しみや能力を、急速にしかもかなりの程度奪われている様な気がしてならないのです。つまり自動化とは、ヒトの能力を機械に依存し、その能力を退化させる行為そのものなのです。
くり返しますが、ヒトは手を使わなければ、急速に退化してしまいます。骨折などで一時的に寝たきりになった高齢者が、骨折が癒えても結局そのまま寝たきりのままになってしまうのは、歩行能力が急速に「退化」した結果だと言っても良いのです。マニュアル車で運転を始め、オートマ車に乗り、更に自動運転車に乗り継いだ人の、車運転能力も間違いなく急速に「退化」してしまうのは間違いないでしょう。貧乏な投稿者は、間違いなく高価な自動運転車は買えませんが、たとえ買えても能力の退化という犠牲を払ってまでそれを選択する事はないと断言できます。

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2021年3月 3日 (水)

3907 脱原発への遠い道のり

国会の論議を聞いていて、何時もイライラします。脱二酸化炭素宣言は是とするにしても、野党の脱原発への質問に対しては、与党は何時も「安定電源の確保」の一点張り逃げを打つのです。安定電源ではなかったからこそ、福一での原発事故が発生したのであり、稼働時間に比例して増え続ける放射性廃棄物の処理に関しては、未だに有効な道筋が示されてもいないのです。原発から出る放射性廃棄物は、国内では何処も最終処分地を引き受ける自治体が現れない、厄介者であり続ける運命なのです。勿論、いくら巨額のお金を積んだとしても、海外の国がそれを引き受ける筈もないでしょう。
であるならば、放射性廃棄物が原発敷地のプールに収まっている現在の状態で、一刻も早く「脱源発」を宣言し、原発への依存を止めるべきでしょう。原発は、敷地内に核のゴミを抱えたままで、その放射能が弱まるまで、核のゴミの墓場として現状維持するしかないのです。何故なら、地震国であり火山国でもあるこの国では、国内に地盤が安定していて、未来永劫に亘って地下埋設できる様な土地は見つからないでしょうから、それを所管する自治体だって埋設を認可する可能性は殆ど無いでしょう。比較的に地盤が安定している、絶海の孤島でも存在すれば別ですが、そうでなければ比較的大きな島の全住民を移住させ、空っぽにした上で改めて核ごみの埋設場でも作らない限り、原発に核ごみを「仮保管」し続ける状況は変えられないのです。原発の立地自治体は、許容は出来ないのでしょうが、残念ながら現状を動かす事は叶わないのです。
この国のマツリゴトは、常に企業や経済活動の方を向いて動いてきたことは自明です。多くの規正法が、企業の悪事を取り締まるために作られましたが、それらは常に「後追い」であった事からも明らかです。東海村に国内最初の実証炉が建設されたのも、業界からのお神輿に乗った?、N曽根らが、S30年に国会に「原子力基本法」を上程したのが嚆矢だった訳です。その後は、国内の大手が、B国などの原発企業から技術導入を盛んに行い、次々に原発建設を進めたのでした。
しかし、人間が作ったモノは必ず壊れる事を忘れるべきではありません。金属は腐食しますし、応力下では「応力腐食割れ」や「疲労破壊」も起こすのです。原発は、コンクリートに閉じ込められた金属性の容器と配管の塊である事は間違いないので、経年劣化によりその危険性は年々増大するでしょう。この国は、何故欧州の環境先進国に様に、脱炭素と同時に脱原発の宣言が出来ないか不思議ですが、前述の様にマツリゴトと企業のもたれ合いが続く限り、原発政策の軌道修正は望めないのかも知れません。悲しい事ですが・・・。

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2021年3月 2日 (火)

3906 地域循環共生圏2

地域循環共生圏と一口に言っても、ではその実際のサイズ感としてはどの程度なのでしょうか。投稿者の研究?によれば、それは中小河川を直径とする円程度と言えそうです。具体的には、直径としては最大でも50㎞程度だと言っておきます。車を使う場合は、圏内では端から端まで1時間以内で移動できるサイズです。車移動が少なかった時代(例えば戦前)では徒歩や馬車での移動ご主だったでしょうから、そのサイズは直径でも20㎞程度に留まっていたでしょう。かつては、この様な小さな圏内で、経済活動の大部分が回っていたのです。
里山では、薪炭や山菜を採取し、村では食料を生産し、街では軽工業や醸造業や食品加工などの産業が営なまれていて、その圏内ヒト、モノ、カネがグルグルと循環していたのです。その圏内で調達できないものだけ、圏外の工業地帯にあるメーカーで作ったモノを移入し、代金は田舎で農林水産業などで稼いだカネで決済していたのです。
理想的な、地域循環共生圏は、結局狭い地域で自給自足できる範囲内で、ヒト、モノ、カネを循環させ、「必要かつ最小限」の足らざるは外部からの供給に頼る様な社会システムという事になります。その中では、必要以上に「お金」に頼ることなく、可能な限り物々交換か地域通貨などで決済する仕組みを工夫する事が肝要でしょう。お金(通貨)は、現代社会では事実上何にでも交換できる「価値」ではありますが、自分が手にしている価値をお金に交換する際には、必ず「損」をしてしまうのです。お金同士の交換でも、例えば外貨に交換する場合には、一定の割合で手数料の様なものが発生しますが、モノや価値をお金に交換する場合でも同様の事態が発生するのです。銀行でも、モノを売り買いし輸送する流通業でも、金利や各種の手数料を要求しますが、彼らはそれで利益を出して暮らしているのですから仕方がありません。とは言いながら、金融業や流通業が、必要以上に肥大化している事は間違いないでしょう。
逆に言えば、私たちは金融業や流通業などとそこで暴れ回る「お金」に踊らされているのかも知れません。私たちは、自分で食料を得るために、里山に入り、または庭で野菜を育てる行動を放棄して、代わりにお金を握ってスーパーマーケットに走るのです。これでは地域循環共生圏の実現どころか逆に「広域一方通行他者依存圏」などと呼ぶしかない社会なのです。この様な社会では、地球の資源を大量に採取し、大量に輸送し、大量に生産して流通させ、最終的には大量のごみを出して、埋め立て場を満杯にするか、海の浮遊ごみを増やし続ける結果しか生まないのです。地域循環共生圏へのアプローチとは、今の社会の経済サイクルを諦め、少し昔の小さい単位のサイクルに逆戻りさせる行動を意味するのです。

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2021年3月 1日 (月)

3905 地域循環共生圏?

環境カウンセラーのオンライン研修で、表題の説明を受けましたが、正直内容が頭に残りませんでした。背景には、SDGsの目標年度(2030年)まで10年を切り、それを担ぐ(担がされた)K境省が、色々な活動を、全部てんこ盛りにした「曼荼羅図」に仕立ててしまった事があります。曼荼羅ですから、森羅万象が何処かに描いている事は分かりますが、では取りあえず庶民は何を為すべきかが読み取れないのです。昨日のNスぺで、南の島の子供たちがプラスチックごみを減らす運動を起こし、それが国全体を動かし始めた事例が紹介されていましたが、プラスチック減らしは確かに環境悪化への歯止めとしては有効でしょう。
しかし、為すべきは庶民の行動への期待だけであってはならないでしょう。先ずは、国や行政によるルール作りだと思うのです。プラスチック(容器)ごみ減らしには、業界を挙げての容器リサイクルの仕組み作りが始まっていますが、そもそも最終的にはリサイクルするにしても、一方通行の物流をそのままにして、容器ごみが減る筈もないでしょう。かつての様に、容器は再使用するシステムを行政のルールとして取り決めるべきなのです。メーカー各社が規格化した、厚手のPETボトルを使って瓶詰を行い、小さなシールで商品名を表示して販売すれば、その容器を専門の業者が回収して洗浄し、再度メーカーに送れば、パウチやPETボトルの使い捨てが無くなる筈なのです。
さて、地域循環共生圏に戻りますが、投稿者なりの理解では、先ずは地域内で、人、モノ、カネを可能な限り回す仕組みを作る事から始める必要があると思うのです。食糧に関して言えば、都市は明らかに入超の地域であることは間違いありませんが、それにしても近郊で農地が残っている限りは、そこで可能な範囲内で食糧を生産すべきでしょう。勿論それだけでは、全く足りませんので、地域循環を実現するためには、国の政策として人口の地方分散化を進めるべきでしょう。行政組織の地方移転が叫ばれて久しいのですが、それが一部でも実現したと言うニュースはついぞ耳に入っては来ません。限られた地域での人、モノ、カネの循環が実現すれば、例えばコロナの様な感染性の病気の拡大も随分減らせたことでしょう。つまりは、地域循環共生圏とは都市化、グローバル化の真反対(対極)にある社会の姿だと言えるのです。続きます。

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2021年2月28日 (日)

3904 空飛ぶ車を嗤う

T社も本格的に空飛ぶ車の実用化に乗り出すようです。空飛ぶ車の嚆矢は、たぶん1950年代B国での数多くのチャレンジでしょうか。車用のガソリンエンジンも性能(出力)が上がり、コンパクトにもなってきた時代、車を徹底的に軽量化し、それに翼をつけたもので、多くのチャレンジが行われたのでした。しかし、残念ながらそのバカ高い値段と、事故も多かったこともあって、実用化には至らなかった歴史がある様です。
しかし、近年は小型ドローンを発展させる形で、新しいタイプの電動乗用ドローンが次々に開発されてきました。ヘリコプターの様にシングルローターではなく、4個以上のマルチモーター・ローターの、いわゆる小型ドローンを大きくした様な形をしています。
ヘリコプターが実用化され、型式証明を受けて運行されている背景には、勿論数多くの事故と改良があった筈です。ヘリの様に、大きなローターが全荷重を吊り下げるタイプの航空機は、大きな安全上のメリットを持っています。それは、ローターの揚力の下に、機体重心があるため、ローターが停止した場合でも、落下する途中にオートローテーションによって揚力を生み出せば、地上への激突が回避できる点にあります。そうでなければ、エンジントラブルの度に、墜落事故が発生し、多くの犠牲者が出ていた筈です。そうは言いながら、ヘリが事故を起こす確率は、翼をもつ航空機に比べて、確率は3桁も高いのです。(100万飛行当たり10回以上)
では、乗用ドローンの安全性はどう考えれば良いのでしょうか。ドローンは、ヘリとは異なり、機体+乗員の荷重の重心は、ローターが出す揚力よりはやや低いものの、とても吊り下げ型とは言えないでしょう。加えて、複数のローターは均等に荷重を支えていますので、もし一つか複数のローターが停止した場合、バランスが崩れ機体は傾くでしょう。それを防ぐには、ローターの揚力に余裕を持たせ、しかも瞬時に止まったローターの揚力をカバーする様に難しい制御しなければなりません。
つまり、乗用ドローンの安全性を確保するためには、システム(取り分け動力系)にかなりの冗長性が求められるのです。冗長性=重量増加を意味しますから、貨物用ドローンに比べ、ペイロード当たりの重量が大きくならざるを得ません。加えて、乗員・乗客は風に晒されて生身で乗る訳にはいきませんから、乗員(乗客)一人乗せてを飛ばすためには、どれほどの機体重量になるのかを考えるととても実用化されるとは思えません。元技術屋のヤマ勘で言えば、300㎏以上にはなるでしょうか。バイクで言えば2台分程度です。こんな物体が、頭の上を飛び交い、そしてダウンバーストや突風などで、時々は墜落する様な危険な社会は想像できませんし、絶対に実現させてはならないでしょう。大金と人材を使っての無駄な開発努力は即刻中止すべきです。

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2021年2月26日 (金)

3903 金属疲労と金属腐食2

2902に書いた様に、投稿者としては、問題となっている航空機エンジンのブレードの破壊は、てっきりブレードの外側に、腐食による初期傷が発生し、そこが起点となっての疲労破壊が原因だと思い込んでいましたが、専門家の分析では、どうやら破壊の起点となった初期傷は、軽量化のために中空としている内部表面にあった様なのです。外表面の初期傷を検知する方法は、浸透探傷検査や渦流検査等いくつかありますが、内表面の傷を検知するのは至難の業と言えるでしょう。超音波検査はその数少ない検査法ですが、内部が複雑な形状の場合、かつその傷がごく小さい場合、ベテランでも見逃してしまう可能性が高いのです。更に詳しく言えば、超音波の周波数(数kHz)の波長より小さい傷などは、原理上検出は出来ないのです。
中空のファンブレードは、これは想像ですが、Ti鋳物又は焼結金属+HIPで作られるのでしょうが、外表面はいか様にも滑らかに仕上げる事ができますが、アクセスのしにくい(出来ない)内部の表面は、鋳放しのままとせざるを得ないでしょう。ザラザラしている鋳放し表面は、詳細に見れば小さな凸凹(山谷)がある筈で、その谷の部分は、一種の切り欠きとも見做せるでしょう。かつ金属結晶と隣接する結晶の間(粒界)は、当然の事ながら強度は結晶自体より弱く、切り欠き効果と粒界の弱さが重なった場合には、設計より耐繰り返し荷重が低下している可能性は否定できません。
加えて、中空の内部空間には、圧力変化を回避するために、外部の圧力と同じにする目的で、通気穴が設けてある筈です。この穴からは、当然の事ながら塩分を含んだ空気も出入りするので、内部で結露して腐食環境を悪化させる点も懸念されるのです。
投稿者としての結論を述べるなら、このエンジンを積んだ旅客機は即飛行停止とし、同エンジンを引き続き使うなら、複合材化するなどの設計変更して、その後の耐久性試験が完了するまで、お蔵入りとするしかないと見ています。しかし、設計変更が完了し、追加の耐久性試験を行うには、莫大な費用と時間が必要ですので、このエンジンは諦めるしかないのかも知れません。ちなみにライバルメーカーのエンジンに使われているファンブレードは、複合材で作られていますから、腐食や金属疲労が原因となる破断事故は起こりません。とは言いながら、複合材には複合材なりの弱点もありますから、絶対に安全であるとも断言できないのでしょうが、大分マシであると考えても良さそうです。なんであれ人間が、作ったモノに100%完璧などは到底期待できないのです。設計、素材製造、部品製造、組立、検査、メンテナンスなど全てに人間が関わっている限り、人間が犯す「ヒューマンエラー」からは逃れられないのですから。

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2021年2月24日 (水)

3902 金属疲労と金属腐植

3901に書いた、B国の航空機事故では、事故調査委は現段階では、どうやらブレードの金属疲労による破断が直接の事故原因であるとの見方を強めているとの速報がありました。この見方に100%の賛成は出来ないのですが、一応それを尊重するとして、そもそも原因が金属疲労だとすると、今後このタイプのエンジンは、頻繁な点検が必要になる事は間違いないでしょう。金属疲労で部品が破壊する機序は、先ずは金属結晶の境目(粒界)に微細な割れが入り、繰り返し応力によってそれが徐々に拡大して、ついには破談に至る訳です。
どの様な金属も、製造の段階では溶解する訳で、従って凝固の段階では、大きさは別にして金属は粒子の塊となり、粒子同士の間には粒界ができてしまうのです。粒界には、不純物が集まり易く、強度も低下するため金属の破断は必ず粒界から始まるのです。粒界はまた金属腐植も起こりやすい部分でもあります。その結果、水分や塩分のある環境では、製造後比較的短期間に、目には見えない大きさのクラックの卵(髪の毛のより細い=ヘアクラック)が発生してしまうのです。
定期検査では、それが目に見える大きさになった段階で発見され、部品交換につながるのですが、問題は基準より小さな(細い)クラックは見逃され、次の定期検査まではエンジンは動かされ続ける事になるのです。しかし、3901に書いた様に、共振による異常振動が一定時間以上持続すると、このヘアクラックが成長し、比較的短時間での破断に至るのでしょう。
もう一つ今思い出したのは、昨年から殆どの航空機が地上で駐機している時間が非常に長くなっていると言う事実があります。また定期検査の間隔は。車とは異なり飛行時間も考慮されて行われますので、駐機時間が長くなると、定期検査の期間も延長されている可能性があります。日常的に使われているエンジンは、熱を帯びており乾燥していますが、駐機中はエンジンの入り口付近は風雨にさらされ、腐植環境にあると考えられます。この駐機期間に、先ほど述べたヘアクラックが腐植によって拡大している可能性も否定できないのです。いわば全ての航空機は、コロナ禍⇒運航停止期間の拡大⇒金属腐植の成長という、負の劣化の連鎖に入っている可能性があるのです。できれば、飛行機に乗るのは当分避けたいものです。

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2021年2月23日 (火)

3901 航空機エンジン事故

同じ機種で、同じエンジンを積んだ旅客機の事故が再発しました。今回のB国事故での裸になって燃え盛るエンジンの動画はかなりショッキングなものでした。航空機製造に少しは関わった身として事故原因が気になります。国内の事故とB国の事故に共通しているのは、ファンブレードと呼ばれる羽根が折れたために生じたエンジン破壊事故であろうとされている点です。この手のタービンエンジンの羽根(ブレード)の破損原因としては、1)鳥などの異物の吸い込みによる場合、2)ブレードに初期傷があって飛行中に(疲労)破壊に至ったケース、更には3)タービンブレードの異常振動(固有振動数による共振)によって破壊に至ったと言うケースが考えられます。
消去法で考えると、1)は小鳥ではなく、かなり大型の鳥でない限り、ブレードの破壊を起こすほどの事故にはならない事、2)では定期検査で破壊を起こすほどの傷を見逃すミスは考えられない事から可能性は低いと見ています。
残るのは、3)ブレードの異常振動による破壊ですが、ブレードは片持ちの梁と考えられ、どんな個体にも固有振動数が存在する限り、共振は避けられない現象でもあります。ジェットエンジンの場合、停止状態からクルージング状態まで、エンジンの回転数が変化しますので、全てのブレードが固有振動数(かその倍数を含めて)を通過するのは間違いありません。勿論、定常回転数では共振を起こさない様に設計はされてはいるのでしょうが、離陸時にエンジンの出力(回転数)を上げていく段階で、共振を起こす回転数の通過に一定以上の時間が掛かる場合、異常振動でブレードの破壊に至る可能性は否定できないのです。これは、全てのタービンエンジンの宿命的な欠点だとしか言えません。
事故の背景として、現在のジェットエンジンは効率を追求するあまり、エンジンの直径(=ブレードの長さ)ますます大きく設計される傾向にあると言う事実は見逃せません。最近のエンジンはジェット噴射によって推力を得るのはなく、殆どの推力を低圧側のファンブレードによって得ているのです。つまりは、プロペラの数の多いターボプロップエンジンの様なものだと言って良いでしょう。そのプロペラが、カウルと呼ばれる覆いによって、外からは見えにくくなっている状態なのです。
この種の事故を避けるには、操縦的ニックで離陸時に危険回転数をごく短時間で通過する様にするか、エンジンの設計の考え方をを効率重視から安全重視にシフトし、ブレードを短くする方向に見直すかなどが考えられますが、前者に頼るのであれば、この種の事故をゼロにする事は出来ないだろうと見ています。まあ、エンジンは2台以上ついているので、両事故とも残ったエンジンで無事着陸できたと言う事実は、少しだけは救いにはなりますが・・・。

 

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2021年2月20日 (土)

3900 エネルギー半分社会

政府の2050年CO2ぜロ宣言は、今のところ全くの空約束の「宣言」に過ぎないものでしょう。何より、その宣言の背景には未だ原発織り込んでいるのでしょうし、未だ完全には実用化されていないカーボンフリーのテクノロジーを見込みで勝手にカウントもしているでしょう。例えば、勝手に水素社会なる虚像を、さも10年後くらいにはかなり実現されていると妄想しているかも知れません。また、火力発電などで出来てしまったCO2を、無理やり地中に押し込む技術を、さもCO2フリーの技術であるが如きに喧伝もしています。
また、カーボンフリー社会の実現のために、車も含めて、何でもかんでも「電動化」し、その電力を原子力を含む太陽光や風力などのカーボンフリーな電源で賄うと言う政府の(お役人の)描いている単純な構想の様に見受けられます。
そうではなくて、私たちが先ず実現すべきは、大幅な省エネ社会であるべきだと思うのです。当面ターゲットにすべきは、先ずは現在のテクノロジーの延長線上で実現可能な、「エネルギー半減」でしょうか。例えば、ざっと言えば車の車重を半分にすれば、消費するエネルギーは半減できるでしょう。車を「走る居間」と考えるのではなく、4輪の単車程度の位置づけに下げるのです。勿論、安全性はある程度は犠牲にはなりますが、最新のGPSや画像解析(≒衝突予防)の技術などを駆使すれば、それも殆どカバーできると思うのです。快適性については、かなり我慢をして貰う必要はありますが・・・。
現在の様に、冷暖房も全て電気や石油で賄うのでは、カーボンフリー社会の実現は到底無理でしょう。太陽熱やバイオマスを熱源とする暖房や、太陽熱で冷房を実現する「デシカント冷房」などを実用化し、近い将来に大量に普及させる必要があります。それ以前に、この国の建物や住宅は、断熱性にあまりに乏しく、基礎的なエネルギー消費量が大き過ぎるのです。断熱工事は、動かない設備の投資であると考えれば、居住空間に要する光熱費の半減など簡単に実現できる筈なのです。高断熱の建物や住居で、光熱に関するエネルギーを半分にし、車の軽量化で輸送費を半分にし、加えて地産地消をきわめて、輸送量を大幅に減らせば、エネルギー半分社会も見えて来るでしょう。CO2ぜロの取組みは、その上で加速すれば良いのです。繰り返しになりますが、カーボンフリー技術ありきではなく、先ずは大幅な省エネこそが最優先の取組みなのです。

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2021年2月19日 (金)

3899 商業主義の行き着く先

五輪に絡んでのゴタゴタが治まりません。そもそも五輪の持つ意味が歪んできつつあると思うのです。つまり、スポーツの祭典、アスリートが目指す頂点大会と言う意味合いが、莫大な放映権や開催国が観光客を集めるきっかけとなるイベント、国威の発揚など、本来の意味合いからの逸脱が極限まで来ていると思うのです。商業主義とは、五輪に絡んでの経済効果の最大化こそが目的であり、観光需要では一体何人が五輪に絡んで来日したのか、国威発揚では合計何個のメダルを獲得したのか、と言った「指標」の最大化こそが目的になってきているのです。
鍛え上げたアスリートが、体力を限りを尽くして競い合う姿は、確かに尊いもので、感動を呼ぶ起こしはしまうが、スポンサーに押され、民衆の期待を集めながら、青春を犠牲にして競技に専念するセミプロアスリート達は、一体人生で何を得て、何を失うのでしょうか。メダリストは、まだ報われる局面も多いのかも知れません、しかし努力を重ねながらも、入賞すらできなかった大多数のアスリートは、競技生活の後でどの様な人生を送るのでしょうか。多くの人たちは、燃え尽き症候群に襲われるのではないか、と懸念しています。
五輪の開催は、やはり本来の目的に戻すべきだと思うのです。これまでに作られた競技施設を再利用しなから、競技施設の都合によっては複数国共催(分散開催)で行えば良いのです。競技者も、観客も分散行動する事によって、多くの問題点が解消されるでしょう。勿論、コロナ感染症やテロや犯罪などもコントロールし易くなるでしょう。
お祭りは、確かに一時期の好景気や興奮は得られるのですが、考えてみなければならないのは「祭りの後」なのです。大金を投じて作ってしまった施設の有効活用、お祭り景気の後に来るのは必至の「反動不景気」を考えると、ささやかですが税金を払った身としては勿体なさに絶望感さえ感じてしまいます。そろそろ、五輪の在り方を考え直す(元の素朴な大会に引き戻す)べき時期に来ていると思うのです。お祭りなどに無駄金を使わなくとも、将来の社会の構築に有効な税金の使途は枚挙に暇はないでしょう。

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2021年2月18日 (木)

3898 輸送と言うムダ

投稿者は、エネルギーや行動を、青、黄、赤に色分けする事を推奨しています。ここで架空のメーカーを想定して、そのメーカーが工場で製品を作っていると仮定してみます。その企業は、原材料を購入し、設備を使って製品の形に加工し、組み立てて、塗装し梱包して製品として出荷する訳です。当然の事ながら工場を動かすには、従業員の働きやその給料、エネルギーなどの光熱費も発生するでしょう。それらを、全て青色、黄色、赤色に分けるのです。先ず「青色」は、その企業が、原材料に付加価値を付けるために必要不可欠な設備稼働やエネルギーや人権費などを指します。一方で「赤色」は、企業活動の足を引っ張る「無駄」を指します。誰も居ないトイレの電灯も、製品の付加価値を1円も上げない従業員の「無駄な動き」も赤色に相当すると考えます。
問題は「黄色」です。これは、付加価値は生んではいないが、一見必要だと考えられる、設備の稼働や従業員の行動です。例を挙げれば、工場内のモノの移動や工場内の清掃作業や梱包や製品の輸送などが挙げられます。倉庫から原材料をフォークリフトで、加工する設備の近くまで運んだとします。その作業で、原材料の価値が1円でも上がったでしょうか。付加価値はゼロのままなので、残念ながら工場内の移動作業は全て「黄色」に分類するしかありません。黄色作業は、工夫によっては殆ど無くせるものでもあります。もし、倉庫と原材料を最初に処理する設備を近接させれば、フォークリフトや天井クレーンに替えてローラーコンベアなどで簡単に移動可能でしょう。
工場内の清掃作業もまた黄色作業の代表です。散らかさなければ清掃も不要なのです。つまり、作業台の端にごみ袋の口を広げてぶら下げておけば、作業台上の屑をホウキでその袋に掃き入れてやれば、工場の床が散らかる事はありません。作業台の上も常に清浄です。従って、毎日の仕事終わりに工場のフロアを掃除機で清掃していた作業は不要になります。
同様に、広く社会のモノの流れを眺めていると、例えば日々高速道路を往来する、大型トラックの隊列を目にする度に勿体なくてため息が出ます。先ほどの、工場内の様な工夫を重ねれば、おそらくトラックの数を大幅に減らせると思うのです。想像するに行き交うトラックの多くは、片道は空荷か少量の荷物しか積んではいないでしょう。多くの運輸会社は、特定の荷主としか契約していないと思われるからです。しかし、モノがその形状、数量と現在地と行き先の情報を自ら発信する仕組みがあれば、空荷のトラックはほぼ無くすことも可能となるでしょう。荷物をある場所運んだトラックは、運転者の休憩後近くで戻りの貨物の情報を得る事が出来、それを積んで戻れば良いのです。運輸業者は空便が無くなるので、運賃を引き下げることも可能となり、荷主は直行便よりは少し時間が掛かる可能性はありますが、無駄な運賃を抑制する事ができるでしょう。高速道路の輸送力にも余裕が生まれますので、三方が得をする仕組みが生まれるのです。輸送は黄色行動で多くの無駄を含む行動だとの出発点に立てば、化石エネルギーの大量消費や交通渋滞など輸送に関わる多くの問題を軽減できる筈なのです。輸送は、間違いなく「黄色」行動の一つなのです。

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2021年2月17日 (水)

3897 バブルは無くならない?

どうやら株バブルになっている様です。お金(マネー)の量が、実体経済をはるかに超えてダブついて以降、お金は自分自身を増やすために、人間の思惑を超えて幾多のバブルを引き起こしてきました。曰く、石油、土地、債券、IT、そして今は株や電子マネーに、巨額のお金が向かっている様です。つまり、お金はそれに関わる人たちの「思惑」が、近い将来にその価値が膨らむと目論んだモノや価値に向かい、自身の価値を増やす方向に流れるのです。それは、お金を誰が所有しているかには関わりなく、所有者が管理を委託している団体や人の思惑に左右される訳です。曰く、銀行マネー、曰く生保マネー、曰くGPIFマネー、曰く石油マネーなどなどです。これらが、国や個人の思惑を超えて、自由奔放に、時に大きな流れとなって世界を駆け巡るのです。
モノが動かないのにお金だけが動けば、当然の事ながら誰かが儲け、誰かが損をするマネーゲームですが、もし誰も損をしないとすれば、それは間違いなくバブルであり、バブルは自然の成り行きとして崩壊しなくては収まりがつかないのです。人類は、経済の仕組みとしてお金を発明しましたが、ある時期以降は、どうやらお金に支配されつつあると見なければならないでしょう。それは、自由なお金が、主要な国々のGDPをはるかに超えて存在し、虎視眈々と次なる攻撃先を狙っていて、ホンの小さなきっかけで、あるターゲットに向かってドッと流れ始めるのです。マネーが電子情報となってかなりの時間が経ちましたが、それをいまは動かすのに1秒(多分ミリ秒以下)も掛からないのです。
お金は、実は毎秒毎秒増え続けもいます。例えば、石油などの地下資源を掘り出せば、それが石油製品となって流通を始めるや否や、それはあるお金と交換できる価値が生まれた事になるので、世界に流通するお金の総量は増える事になります。つまり、お金は何か異常なインフレ現象でも起きない限りにおいては、その総量は人間のコントロール力を超えて増え続け、ますますその凶暴さを増すのはほぼ間違いないと予測できるのです。
さて、この流れは変えられないのでしょうか。お金の総量を増やさない仕組みとしては、例えば物々交換が挙げられます。価値をお金に代えないで、モノとモノを直接交換する訳です。その変形としては、モノ(例えば食糧にもなるコメ)をお金代わりに扱う江戸時代の様な仕組みもあり得るでしょう。この仕組みは、実は田舎と都会の出来てしまった「お金格差」を是正するのに有効です。コメをお金に交換してしまうと、市場によって価格は抑制されますが、一方でたとえばコメで電化製品が買えれば、交換レートを日本銀行と同等の公的機関が関わる仕組みがあれば、普通のコメ農家もそれなりに裕福に暮らすことも可能となるでしょう。勿論、コメを直接移動させる訳ではなく、お札に変わるお米券を発行するのです。同様に、林業は木材券を発行し、メーカーは独自の製品券も発行できる様にします。お金の量が減ると、世の中の巨大なバブルも消滅すると思うのです。投稿者は、そんな狂暴なお金とは出来るだけ距離を取って暮らしたいと考えている高齢者の一人です。

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