2021年3月 3日 (水)

3907 脱原発への遠い道のり

国会の論議を聞いていて、何時もイライラします。脱二酸化炭素宣言は是とするにしても、野党の脱原発への質問に対しては、与党は何時も「安定電源の確保」の一点張り逃げを打つのです。安定電源ではなかったからこそ、福一での原発事故が発生したのであり、稼働時間に比例して増え続ける放射性廃棄物の処理に関しては、未だに有効な道筋が示されてもいないのです。原発から出る放射性廃棄物は、国内では何処も最終処分地を引き受ける自治体が現れない、厄介者であり続ける運命なのです。勿論、いくら巨額のお金を積んだとしても、海外の国がそれを引き受ける筈もないでしょう。
であるならば、放射性廃棄物が原発敷地のプールに収まっている現在の状態で、一刻も早く「脱源発」を宣言し、原発への依存を止めるべきでしょう。原発は、敷地内に核のゴミを抱えたままで、その放射能が弱まるまで、核のゴミの墓場として現状維持するしかないのです。何故なら、地震国であり火山国でもあるこの国では、国内に地盤が安定していて、未来永劫に亘って地下埋設できる様な土地は見つからないでしょうから、それを所管する自治体だって埋設を認可する可能性は殆ど無いでしょう。比較的に地盤が安定している、絶海の孤島でも存在すれば別ですが、そうでなければ比較的大きな島の全住民を移住させ、空っぽにした上で改めて核ごみの埋設場でも作らない限り、原発に核ごみを「仮保管」し続ける状況は変えられないのです。原発の立地自治体は、許容は出来ないのでしょうが、残念ながら現状を動かす事は叶わないのです。
この国のマツリゴトは、常に企業や経済活動の方を向いて動いてきたことは自明です。多くの規正法が、企業の悪事を取り締まるために作られましたが、それらは常に「後追い」であった事からも明らかです。東海村に国内最初の実証炉が建設されたのも、業界からのお神輿に乗った?、N曽根らが、S30年に国会に「原子力基本法」を上程したのが嚆矢だった訳です。その後は、国内の大手が、B国などの原発企業から技術導入を盛んに行い、次々に原発建設を進めたのでした。
しかし、人間が作ったモノは必ず壊れる事を忘れるべきではありません。金属は腐食しますし、応力下では「応力腐食割れ」や「疲労破壊」も起こすのです。原発は、コンクリートに閉じ込められた金属性の容器と配管の塊である事は間違いないので、経年劣化によりその危険性は年々増大するでしょう。この国は、何故欧州の環境先進国に様に、脱炭素と同時に脱原発の宣言が出来ないか不思議ですが、前述の様にマツリゴトと企業のもたれ合いが続く限り、原発政策の軌道修正は望めないのかも知れません。悲しい事ですが・・・。

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2021年3月 2日 (火)

3906 地域循環共生圏2

地域循環共生圏と一口に言っても、ではその実際のサイズ感としてはどの程度なのでしょうか。投稿者の研究?によれば、それは中小河川を直径とする円程度と言えそうです。具体的には、直径としては最大でも50㎞程度だと言っておきます。車を使う場合は、圏内では端から端まで1時間以内で移動できるサイズです。車移動が少なかった時代(例えば戦前)では徒歩や馬車での移動ご主だったでしょうから、そのサイズは直径でも20㎞程度に留まっていたでしょう。かつては、この様な小さな圏内で、経済活動の大部分が回っていたのです。
里山では、薪炭や山菜を採取し、村では食料を生産し、街では軽工業や醸造業や食品加工などの産業が営なまれていて、その圏内ヒト、モノ、カネがグルグルと循環していたのです。その圏内で調達できないものだけ、圏外の工業地帯にあるメーカーで作ったモノを移入し、代金は田舎で農林水産業などで稼いだカネで決済していたのです。
理想的な、地域循環共生圏は、結局狭い地域で自給自足できる範囲内で、ヒト、モノ、カネを循環させ、「必要かつ最小限」の足らざるは外部からの供給に頼る様な社会システムという事になります。その中では、必要以上に「お金」に頼ることなく、可能な限り物々交換か地域通貨などで決済する仕組みを工夫する事が肝要でしょう。お金(通貨)は、現代社会では事実上何にでも交換できる「価値」ではありますが、自分が手にしている価値をお金に交換する際には、必ず「損」をしてしまうのです。お金同士の交換でも、例えば外貨に交換する場合には、一定の割合で手数料の様なものが発生しますが、モノや価値をお金に交換する場合でも同様の事態が発生するのです。銀行でも、モノを売り買いし輸送する流通業でも、金利や各種の手数料を要求しますが、彼らはそれで利益を出して暮らしているのですから仕方がありません。とは言いながら、金融業や流通業が、必要以上に肥大化している事は間違いないでしょう。
逆に言えば、私たちは金融業や流通業などとそこで暴れ回る「お金」に踊らされているのかも知れません。私たちは、自分で食料を得るために、里山に入り、または庭で野菜を育てる行動を放棄して、代わりにお金を握ってスーパーマーケットに走るのです。これでは地域循環共生圏の実現どころか逆に「広域一方通行他者依存圏」などと呼ぶしかない社会なのです。この様な社会では、地球の資源を大量に採取し、大量に輸送し、大量に生産して流通させ、最終的には大量のごみを出して、埋め立て場を満杯にするか、海の浮遊ごみを増やし続ける結果しか生まないのです。地域循環共生圏へのアプローチとは、今の社会の経済サイクルを諦め、少し昔の小さい単位のサイクルに逆戻りさせる行動を意味するのです。

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2021年3月 1日 (月)

3905 地域循環共生圏?

環境カウンセラーのオンライン研修で、表題の説明を受けましたが、正直内容が頭に残りませんでした。背景には、SDGsの目標年度(2030年)まで10年を切り、それを担ぐ(担がされた)K境省が、色々な活動を、全部てんこ盛りにした「曼荼羅図」に仕立ててしまった事があります。曼荼羅ですから、森羅万象が何処かに描いている事は分かりますが、では取りあえず庶民は何を為すべきかが読み取れないのです。昨日のNスぺで、南の島の子供たちがプラスチックごみを減らす運動を起こし、それが国全体を動かし始めた事例が紹介されていましたが、プラスチック減らしは確かに環境悪化への歯止めとしては有効でしょう。
しかし、為すべきは庶民の行動への期待だけであってはならないでしょう。先ずは、国や行政によるルール作りだと思うのです。プラスチック(容器)ごみ減らしには、業界を挙げての容器リサイクルの仕組み作りが始まっていますが、そもそも最終的にはリサイクルするにしても、一方通行の物流をそのままにして、容器ごみが減る筈もないでしょう。かつての様に、容器は再使用するシステムを行政のルールとして取り決めるべきなのです。メーカー各社が規格化した、厚手のPETボトルを使って瓶詰を行い、小さなシールで商品名を表示して販売すれば、その容器を専門の業者が回収して洗浄し、再度メーカーに送れば、パウチやPETボトルの使い捨てが無くなる筈なのです。
さて、地域循環共生圏に戻りますが、投稿者なりの理解では、先ずは地域内で、人、モノ、カネを可能な限り回す仕組みを作る事から始める必要があると思うのです。食糧に関して言えば、都市は明らかに入超の地域であることは間違いありませんが、それにしても近郊で農地が残っている限りは、そこで可能な範囲内で食糧を生産すべきでしょう。勿論それだけでは、全く足りませんので、地域循環を実現するためには、国の政策として人口の地方分散化を進めるべきでしょう。行政組織の地方移転が叫ばれて久しいのですが、それが一部でも実現したと言うニュースはついぞ耳に入っては来ません。限られた地域での人、モノ、カネの循環が実現すれば、例えばコロナの様な感染性の病気の拡大も随分減らせたことでしょう。つまりは、地域循環共生圏とは都市化、グローバル化の真反対(対極)にある社会の姿だと言えるのです。続きます。

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2021年2月28日 (日)

3904 空飛ぶ車を嗤う

T社も本格的に空飛ぶ車の実用化に乗り出すようです。空飛ぶ車の嚆矢は、たぶん1950年代B国での数多くのチャレンジでしょうか。車用のガソリンエンジンも性能(出力)が上がり、コンパクトにもなってきた時代、車を徹底的に軽量化し、それに翼をつけたもので、多くのチャレンジが行われたのでした。しかし、残念ながらそのバカ高い値段と、事故も多かったこともあって、実用化には至らなかった歴史がある様です。
しかし、近年は小型ドローンを発展させる形で、新しいタイプの電動乗用ドローンが次々に開発されてきました。ヘリコプターの様にシングルローターではなく、4個以上のマルチモーター・ローターの、いわゆる小型ドローンを大きくした様な形をしています。
ヘリコプターが実用化され、型式証明を受けて運行されている背景には、勿論数多くの事故と改良があった筈です。ヘリの様に、大きなローターが全荷重を吊り下げるタイプの航空機は、大きな安全上のメリットを持っています。それは、ローターの揚力の下に、機体重心があるため、ローターが停止した場合でも、落下する途中にオートローテーションによって揚力を生み出せば、地上への激突が回避できる点にあります。そうでなければ、エンジントラブルの度に、墜落事故が発生し、多くの犠牲者が出ていた筈です。そうは言いながら、ヘリが事故を起こす確率は、翼をもつ航空機に比べて、確率は3桁も高いのです。(100万飛行当たり10回以上)
では、乗用ドローンの安全性はどう考えれば良いのでしょうか。ドローンは、ヘリとは異なり、機体+乗員の荷重の重心は、ローターが出す揚力よりはやや低いものの、とても吊り下げ型とは言えないでしょう。加えて、複数のローターは均等に荷重を支えていますので、もし一つか複数のローターが停止した場合、バランスが崩れ機体は傾くでしょう。それを防ぐには、ローターの揚力に余裕を持たせ、しかも瞬時に止まったローターの揚力をカバーする様に難しい制御しなければなりません。
つまり、乗用ドローンの安全性を確保するためには、システム(取り分け動力系)にかなりの冗長性が求められるのです。冗長性=重量増加を意味しますから、貨物用ドローンに比べ、ペイロード当たりの重量が大きくならざるを得ません。加えて、乗員・乗客は風に晒されて生身で乗る訳にはいきませんから、乗員(乗客)一人乗せてを飛ばすためには、どれほどの機体重量になるのかを考えるととても実用化されるとは思えません。元技術屋のヤマ勘で言えば、300㎏以上にはなるでしょうか。バイクで言えば2台分程度です。こんな物体が、頭の上を飛び交い、そしてダウンバーストや突風などで、時々は墜落する様な危険な社会は想像できませんし、絶対に実現させてはならないでしょう。大金と人材を使っての無駄な開発努力は即刻中止すべきです。

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2021年2月26日 (金)

3903 金属疲労と金属腐食2

2902に書いた様に、投稿者としては、問題となっている航空機エンジンのブレードの破壊は、てっきりブレードの外側に、腐食による初期傷が発生し、そこが起点となっての疲労破壊が原因だと思い込んでいましたが、専門家の分析では、どうやら破壊の起点となった初期傷は、軽量化のために中空としている内部表面にあった様なのです。外表面の初期傷を検知する方法は、浸透探傷検査や渦流検査等いくつかありますが、内表面の傷を検知するのは至難の業と言えるでしょう。超音波検査はその数少ない検査法ですが、内部が複雑な形状の場合、かつその傷がごく小さい場合、ベテランでも見逃してしまう可能性が高いのです。更に詳しく言えば、超音波の周波数(数kHz)の波長より小さい傷などは、原理上検出は出来ないのです。
中空のファンブレードは、これは想像ですが、Ti鋳物又は焼結金属+HIPで作られるのでしょうが、外表面はいか様にも滑らかに仕上げる事ができますが、アクセスのしにくい(出来ない)内部の表面は、鋳放しのままとせざるを得ないでしょう。ザラザラしている鋳放し表面は、詳細に見れば小さな凸凹(山谷)がある筈で、その谷の部分は、一種の切り欠きとも見做せるでしょう。かつ金属結晶と隣接する結晶の間(粒界)は、当然の事ながら強度は結晶自体より弱く、切り欠き効果と粒界の弱さが重なった場合には、設計より耐繰り返し荷重が低下している可能性は否定できません。
加えて、中空の内部空間には、圧力変化を回避するために、外部の圧力と同じにする目的で、通気穴が設けてある筈です。この穴からは、当然の事ながら塩分を含んだ空気も出入りするので、内部で結露して腐食環境を悪化させる点も懸念されるのです。
投稿者としての結論を述べるなら、このエンジンを積んだ旅客機は即飛行停止とし、同エンジンを引き続き使うなら、複合材化するなどの設計変更して、その後の耐久性試験が完了するまで、お蔵入りとするしかないと見ています。しかし、設計変更が完了し、追加の耐久性試験を行うには、莫大な費用と時間が必要ですので、このエンジンは諦めるしかないのかも知れません。ちなみにライバルメーカーのエンジンに使われているファンブレードは、複合材で作られていますから、腐食や金属疲労が原因となる破断事故は起こりません。とは言いながら、複合材には複合材なりの弱点もありますから、絶対に安全であるとも断言できないのでしょうが、大分マシであると考えても良さそうです。なんであれ人間が、作ったモノに100%完璧などは到底期待できないのです。設計、素材製造、部品製造、組立、検査、メンテナンスなど全てに人間が関わっている限り、人間が犯す「ヒューマンエラー」からは逃れられないのですから。

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2021年2月24日 (水)

3902 金属疲労と金属腐植

3901に書いた、B国の航空機事故では、事故調査委は現段階では、どうやらブレードの金属疲労による破断が直接の事故原因であるとの見方を強めているとの速報がありました。この見方に100%の賛成は出来ないのですが、一応それを尊重するとして、そもそも原因が金属疲労だとすると、今後このタイプのエンジンは、頻繁な点検が必要になる事は間違いないでしょう。金属疲労で部品が破壊する機序は、先ずは金属結晶の境目(粒界)に微細な割れが入り、繰り返し応力によってそれが徐々に拡大して、ついには破談に至る訳です。
どの様な金属も、製造の段階では溶解する訳で、従って凝固の段階では、大きさは別にして金属は粒子の塊となり、粒子同士の間には粒界ができてしまうのです。粒界には、不純物が集まり易く、強度も低下するため金属の破断は必ず粒界から始まるのです。粒界はまた金属腐植も起こりやすい部分でもあります。その結果、水分や塩分のある環境では、製造後比較的短期間に、目には見えない大きさのクラックの卵(髪の毛のより細い=ヘアクラック)が発生してしまうのです。
定期検査では、それが目に見える大きさになった段階で発見され、部品交換につながるのですが、問題は基準より小さな(細い)クラックは見逃され、次の定期検査まではエンジンは動かされ続ける事になるのです。しかし、3901に書いた様に、共振による異常振動が一定時間以上持続すると、このヘアクラックが成長し、比較的短時間での破断に至るのでしょう。
もう一つ今思い出したのは、昨年から殆どの航空機が地上で駐機している時間が非常に長くなっていると言う事実があります。また定期検査の間隔は。車とは異なり飛行時間も考慮されて行われますので、駐機時間が長くなると、定期検査の期間も延長されている可能性があります。日常的に使われているエンジンは、熱を帯びており乾燥していますが、駐機中はエンジンの入り口付近は風雨にさらされ、腐植環境にあると考えられます。この駐機期間に、先ほど述べたヘアクラックが腐植によって拡大している可能性も否定できないのです。いわば全ての航空機は、コロナ禍⇒運航停止期間の拡大⇒金属腐植の成長という、負の劣化の連鎖に入っている可能性があるのです。できれば、飛行機に乗るのは当分避けたいものです。

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2021年2月23日 (火)

3901 航空機エンジン事故

同じ機種で、同じエンジンを積んだ旅客機の事故が再発しました。今回のB国事故での裸になって燃え盛るエンジンの動画はかなりショッキングなものでした。航空機製造に少しは関わった身として事故原因が気になります。国内の事故とB国の事故に共通しているのは、ファンブレードと呼ばれる羽根が折れたために生じたエンジン破壊事故であろうとされている点です。この手のタービンエンジンの羽根(ブレード)の破損原因としては、1)鳥などの異物の吸い込みによる場合、2)ブレードに初期傷があって飛行中に(疲労)破壊に至ったケース、更には3)タービンブレードの異常振動(固有振動数による共振)によって破壊に至ったと言うケースが考えられます。
消去法で考えると、1)は小鳥ではなく、かなり大型の鳥でない限り、ブレードの破壊を起こすほどの事故にはならない事、2)では定期検査で破壊を起こすほどの傷を見逃すミスは考えられない事から可能性は低いと見ています。
残るのは、3)ブレードの異常振動による破壊ですが、ブレードは片持ちの梁と考えられ、どんな個体にも固有振動数が存在する限り、共振は避けられない現象でもあります。ジェットエンジンの場合、停止状態からクルージング状態まで、エンジンの回転数が変化しますので、全てのブレードが固有振動数(かその倍数を含めて)を通過するのは間違いありません。勿論、定常回転数では共振を起こさない様に設計はされてはいるのでしょうが、離陸時にエンジンの出力(回転数)を上げていく段階で、共振を起こす回転数の通過に一定以上の時間が掛かる場合、異常振動でブレードの破壊に至る可能性は否定できないのです。これは、全てのタービンエンジンの宿命的な欠点だとしか言えません。
事故の背景として、現在のジェットエンジンは効率を追求するあまり、エンジンの直径(=ブレードの長さ)ますます大きく設計される傾向にあると言う事実は見逃せません。最近のエンジンはジェット噴射によって推力を得るのはなく、殆どの推力を低圧側のファンブレードによって得ているのです。つまりは、プロペラの数の多いターボプロップエンジンの様なものだと言って良いでしょう。そのプロペラが、カウルと呼ばれる覆いによって、外からは見えにくくなっている状態なのです。
この種の事故を避けるには、操縦的ニックで離陸時に危険回転数をごく短時間で通過する様にするか、エンジンの設計の考え方をを効率重視から安全重視にシフトし、ブレードを短くする方向に見直すかなどが考えられますが、前者に頼るのであれば、この種の事故をゼロにする事は出来ないだろうと見ています。まあ、エンジンは2台以上ついているので、両事故とも残ったエンジンで無事着陸できたと言う事実は、少しだけは救いにはなりますが・・・。

 

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2021年2月20日 (土)

3900 エネルギー半分社会

政府の2050年CO2ぜロ宣言は、今のところ全くの空約束の「宣言」に過ぎないものでしょう。何より、その宣言の背景には未だ原発織り込んでいるのでしょうし、未だ完全には実用化されていないカーボンフリーのテクノロジーを見込みで勝手にカウントもしているでしょう。例えば、勝手に水素社会なる虚像を、さも10年後くらいにはかなり実現されていると妄想しているかも知れません。また、火力発電などで出来てしまったCO2を、無理やり地中に押し込む技術を、さもCO2フリーの技術であるが如きに喧伝もしています。
また、カーボンフリー社会の実現のために、車も含めて、何でもかんでも「電動化」し、その電力を原子力を含む太陽光や風力などのカーボンフリーな電源で賄うと言う政府の(お役人の)描いている単純な構想の様に見受けられます。
そうではなくて、私たちが先ず実現すべきは、大幅な省エネ社会であるべきだと思うのです。当面ターゲットにすべきは、先ずは現在のテクノロジーの延長線上で実現可能な、「エネルギー半減」でしょうか。例えば、ざっと言えば車の車重を半分にすれば、消費するエネルギーは半減できるでしょう。車を「走る居間」と考えるのではなく、4輪の単車程度の位置づけに下げるのです。勿論、安全性はある程度は犠牲にはなりますが、最新のGPSや画像解析(≒衝突予防)の技術などを駆使すれば、それも殆どカバーできると思うのです。快適性については、かなり我慢をして貰う必要はありますが・・・。
現在の様に、冷暖房も全て電気や石油で賄うのでは、カーボンフリー社会の実現は到底無理でしょう。太陽熱やバイオマスを熱源とする暖房や、太陽熱で冷房を実現する「デシカント冷房」などを実用化し、近い将来に大量に普及させる必要があります。それ以前に、この国の建物や住宅は、断熱性にあまりに乏しく、基礎的なエネルギー消費量が大き過ぎるのです。断熱工事は、動かない設備の投資であると考えれば、居住空間に要する光熱費の半減など簡単に実現できる筈なのです。高断熱の建物や住居で、光熱に関するエネルギーを半分にし、車の軽量化で輸送費を半分にし、加えて地産地消をきわめて、輸送量を大幅に減らせば、エネルギー半分社会も見えて来るでしょう。CO2ぜロの取組みは、その上で加速すれば良いのです。繰り返しになりますが、カーボンフリー技術ありきではなく、先ずは大幅な省エネこそが最優先の取組みなのです。

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2021年2月19日 (金)

3899 商業主義の行き着く先

五輪に絡んでのゴタゴタが治まりません。そもそも五輪の持つ意味が歪んできつつあると思うのです。つまり、スポーツの祭典、アスリートが目指す頂点大会と言う意味合いが、莫大な放映権や開催国が観光客を集めるきっかけとなるイベント、国威の発揚など、本来の意味合いからの逸脱が極限まで来ていると思うのです。商業主義とは、五輪に絡んでの経済効果の最大化こそが目的であり、観光需要では一体何人が五輪に絡んで来日したのか、国威発揚では合計何個のメダルを獲得したのか、と言った「指標」の最大化こそが目的になってきているのです。
鍛え上げたアスリートが、体力を限りを尽くして競い合う姿は、確かに尊いもので、感動を呼ぶ起こしはしまうが、スポンサーに押され、民衆の期待を集めながら、青春を犠牲にして競技に専念するセミプロアスリート達は、一体人生で何を得て、何を失うのでしょうか。メダリストは、まだ報われる局面も多いのかも知れません、しかし努力を重ねながらも、入賞すらできなかった大多数のアスリートは、競技生活の後でどの様な人生を送るのでしょうか。多くの人たちは、燃え尽き症候群に襲われるのではないか、と懸念しています。
五輪の開催は、やはり本来の目的に戻すべきだと思うのです。これまでに作られた競技施設を再利用しなから、競技施設の都合によっては複数国共催(分散開催)で行えば良いのです。競技者も、観客も分散行動する事によって、多くの問題点が解消されるでしょう。勿論、コロナ感染症やテロや犯罪などもコントロールし易くなるでしょう。
お祭りは、確かに一時期の好景気や興奮は得られるのですが、考えてみなければならないのは「祭りの後」なのです。大金を投じて作ってしまった施設の有効活用、お祭り景気の後に来るのは必至の「反動不景気」を考えると、ささやかですが税金を払った身としては勿体なさに絶望感さえ感じてしまいます。そろそろ、五輪の在り方を考え直す(元の素朴な大会に引き戻す)べき時期に来ていると思うのです。お祭りなどに無駄金を使わなくとも、将来の社会の構築に有効な税金の使途は枚挙に暇はないでしょう。

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2021年2月18日 (木)

3898 輸送と言うムダ

投稿者は、エネルギーや行動を、青、黄、赤に色分けする事を推奨しています。ここで架空のメーカーを想定して、そのメーカーが工場で製品を作っていると仮定してみます。その企業は、原材料を購入し、設備を使って製品の形に加工し、組み立てて、塗装し梱包して製品として出荷する訳です。当然の事ながら工場を動かすには、従業員の働きやその給料、エネルギーなどの光熱費も発生するでしょう。それらを、全て青色、黄色、赤色に分けるのです。先ず「青色」は、その企業が、原材料に付加価値を付けるために必要不可欠な設備稼働やエネルギーや人権費などを指します。一方で「赤色」は、企業活動の足を引っ張る「無駄」を指します。誰も居ないトイレの電灯も、製品の付加価値を1円も上げない従業員の「無駄な動き」も赤色に相当すると考えます。
問題は「黄色」です。これは、付加価値は生んではいないが、一見必要だと考えられる、設備の稼働や従業員の行動です。例を挙げれば、工場内のモノの移動や工場内の清掃作業や梱包や製品の輸送などが挙げられます。倉庫から原材料をフォークリフトで、加工する設備の近くまで運んだとします。その作業で、原材料の価値が1円でも上がったでしょうか。付加価値はゼロのままなので、残念ながら工場内の移動作業は全て「黄色」に分類するしかありません。黄色作業は、工夫によっては殆ど無くせるものでもあります。もし、倉庫と原材料を最初に処理する設備を近接させれば、フォークリフトや天井クレーンに替えてローラーコンベアなどで簡単に移動可能でしょう。
工場内の清掃作業もまた黄色作業の代表です。散らかさなければ清掃も不要なのです。つまり、作業台の端にごみ袋の口を広げてぶら下げておけば、作業台上の屑をホウキでその袋に掃き入れてやれば、工場の床が散らかる事はありません。作業台の上も常に清浄です。従って、毎日の仕事終わりに工場のフロアを掃除機で清掃していた作業は不要になります。
同様に、広く社会のモノの流れを眺めていると、例えば日々高速道路を往来する、大型トラックの隊列を目にする度に勿体なくてため息が出ます。先ほどの、工場内の様な工夫を重ねれば、おそらくトラックの数を大幅に減らせると思うのです。想像するに行き交うトラックの多くは、片道は空荷か少量の荷物しか積んではいないでしょう。多くの運輸会社は、特定の荷主としか契約していないと思われるからです。しかし、モノがその形状、数量と現在地と行き先の情報を自ら発信する仕組みがあれば、空荷のトラックはほぼ無くすことも可能となるでしょう。荷物をある場所運んだトラックは、運転者の休憩後近くで戻りの貨物の情報を得る事が出来、それを積んで戻れば良いのです。運輸業者は空便が無くなるので、運賃を引き下げることも可能となり、荷主は直行便よりは少し時間が掛かる可能性はありますが、無駄な運賃を抑制する事ができるでしょう。高速道路の輸送力にも余裕が生まれますので、三方が得をする仕組みが生まれるのです。輸送は黄色行動で多くの無駄を含む行動だとの出発点に立てば、化石エネルギーの大量消費や交通渋滞など輸送に関わる多くの問題を軽減できる筈なのです。輸送は、間違いなく「黄色」行動の一つなのです。

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2021年2月17日 (水)

3897 バブルは無くならない?

どうやら株バブルになっている様です。お金(マネー)の量が、実体経済をはるかに超えてダブついて以降、お金は自分自身を増やすために、人間の思惑を超えて幾多のバブルを引き起こしてきました。曰く、石油、土地、債券、IT、そして今は株や電子マネーに、巨額のお金が向かっている様です。つまり、お金はそれに関わる人たちの「思惑」が、近い将来にその価値が膨らむと目論んだモノや価値に向かい、自身の価値を増やす方向に流れるのです。それは、お金を誰が所有しているかには関わりなく、所有者が管理を委託している団体や人の思惑に左右される訳です。曰く、銀行マネー、曰く生保マネー、曰くGPIFマネー、曰く石油マネーなどなどです。これらが、国や個人の思惑を超えて、自由奔放に、時に大きな流れとなって世界を駆け巡るのです。
モノが動かないのにお金だけが動けば、当然の事ながら誰かが儲け、誰かが損をするマネーゲームですが、もし誰も損をしないとすれば、それは間違いなくバブルであり、バブルは自然の成り行きとして崩壊しなくては収まりがつかないのです。人類は、経済の仕組みとしてお金を発明しましたが、ある時期以降は、どうやらお金に支配されつつあると見なければならないでしょう。それは、自由なお金が、主要な国々のGDPをはるかに超えて存在し、虎視眈々と次なる攻撃先を狙っていて、ホンの小さなきっかけで、あるターゲットに向かってドッと流れ始めるのです。マネーが電子情報となってかなりの時間が経ちましたが、それをいまは動かすのに1秒(多分ミリ秒以下)も掛からないのです。
お金は、実は毎秒毎秒増え続けもいます。例えば、石油などの地下資源を掘り出せば、それが石油製品となって流通を始めるや否や、それはあるお金と交換できる価値が生まれた事になるので、世界に流通するお金の総量は増える事になります。つまり、お金は何か異常なインフレ現象でも起きない限りにおいては、その総量は人間のコントロール力を超えて増え続け、ますますその凶暴さを増すのはほぼ間違いないと予測できるのです。
さて、この流れは変えられないのでしょうか。お金の総量を増やさない仕組みとしては、例えば物々交換が挙げられます。価値をお金に代えないで、モノとモノを直接交換する訳です。その変形としては、モノ(例えば食糧にもなるコメ)をお金代わりに扱う江戸時代の様な仕組みもあり得るでしょう。この仕組みは、実は田舎と都会の出来てしまった「お金格差」を是正するのに有効です。コメをお金に交換してしまうと、市場によって価格は抑制されますが、一方でたとえばコメで電化製品が買えれば、交換レートを日本銀行と同等の公的機関が関わる仕組みがあれば、普通のコメ農家もそれなりに裕福に暮らすことも可能となるでしょう。勿論、コメを直接移動させる訳ではなく、お札に変わるお米券を発行するのです。同様に、林業は木材券を発行し、メーカーは独自の製品券も発行できる様にします。お金の量が減ると、世の中の巨大なバブルも消滅すると思うのです。投稿者は、そんな狂暴なお金とは出来るだけ距離を取って暮らしたいと考えている高齢者の一人です。

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2021年2月15日 (月)

3896 木材の多面的な用途

これも以前に取り上げた内容だと思いますが、重要なので再掲しておきます。投稿者なりの分類では、木材(やバイオマス)の用途を5Fと1Cに分けて考えます。
木材利用の5Fとは、
1. Food(食品):加食の部分⇒シロップ、キシリトールなど
2. Fiber(繊維・素材):紙や木材など
3. Feed(飼料):家畜の粗飼料など
4. Fertilizer(肥料):森林腐植など
5. Fuel(燃料):薪燃料、炭、チップ、ペレットなど
であり、一般的にはこの順番で価値(価格)が下がっていきます。
また1Cとは、木材に含まれる有用な化学成分(Chemical)の事を指し、例えば、香木から得られる香料や、針葉樹から得られるツヤ酸、ヒノキチオールあるいは、タンニンなどが挙げられます。単価的には、Food以上となる場合もあります。
いずれにしても、現状では紙や木材だけの単独利用では、経済的に引き合わないので、国産材は徐々に敬遠され、時には違法伐採も含まれる様な安い輸入材に頼る結果になっているのです。しかし、木材を多面的に活用し、かつ前工程の廃棄物を次工程の原料として活用する、いわゆるカスケード利用(多段階)で利用し、最終的には燃料=エネルギーとして熱エネルギーとして利用できれば、国産材でも経済的に十分見合う勘定が成り立つのです。
しかし、現状では森林業は樹木を材木(建築用材)としてしか評価しておらず、一方で製紙業界では、木材を重量当たりのチップ価格としてか見ていないので、木材の単価は低いままで市場価格に抑え込まれてきたのです。しかし、いくつかの樹種では、樹皮に多くのタンニンが含まれ、上手く抽出するとかなりの価値を生むことが知られていますし、ヒノキやヒバなどの針葉樹からは有用な化学物質も抽出できるのです。工法を開発して、木材としての組織を壊さず、蒸気や圧力を利用してこれらの物質を抽出し、材は材として利用ができれば、ざっと樹木の価値は2倍以上には跳ね上がるでしょう。勿論、不要な部分は最終的には燃料などとして熱回収すれば、樹木をほぼ100%利用し、価値を回収できるのです。樹木から、例えばトン当たり2万円以上の価値が引き出せれば、林業は持続可能な産業として十分成り立つでしょうから、今後若者を引き付ける産業ともなり得ると見ています。

 

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2021年2月14日 (日)

3895 これからの林業

林業に関しても想うところを少し書いておきます。林業についても考え方は農業と同じです。樹木が光合成で固定した、セルロースやリグニンなどは、材として利用する幹は勿論、枝葉や樹皮や製材屑に至るまで、100%の活用を図った上で、伐採後には速やかに植林を行う必要があります。その際に、次にどの様な樹木の苗を植えるのかについては熟考が肝要でしょう。即ち、人工林であるスギやヒノキの伐採後に、同じ樹種を植林するのではなく、その地域に自生していた樹種と、用材としての価値がある樹種を、混交して植樹するのです。例えば、林道のすぐ横にはスギやヒノキなどの樹種を植え、谷や地滑りが起こりそうな斜面には、根を深く張り保水力のある自生樹などを植えるのです。
その上で考えておかなければならないのは、農業は毎年繰り返される営みですが、林業は数十年、あるいはそれ以上の世代を跨ぐ様な長い年月の視点で持続可能となる様に考えて行かなければならない生業だと言う点です。短期間で見ると、林業だけでは生活が成り立たないケースも多いでしょうから、そこには環境維持業としての林業に、「森林税」などの形で集めた資金を入れてやる必要があるでしょう。林業によって、水源涵養林として、また農業用水や都市部の水道や工業用水の水源として、維持されている森林が大いに貢献してのは明確だからです。
そのためには、国有林や自治体が管理する森林、取り分け私有林に対して、明確な利用計画を立てた上で、それを管理利用する林業を明確に産業として維持すると言う行政の意思を示し、それを守らせる制度を確立させる必要もあります。経済の成り行きに任せると、日本の森林のかなりの部分が、海外の資本によって買い占められていた、などと言う事態にもなり兼ねないからです。いずれにしても、私有や積極的に人が立ち入って利用を進めるべき「里山」と官が主体となって長期的な管理と利用を維持すべき「奥山」を明確に「ゾーニング」した森林の利用計画の立案がぜひ必要な時期である事は間違いないでしょう。営林署なる組織が以前から存在しますが、この様な組織の位置づけと、国有林のみならず私有林に対しての責任と権限の拡大をどの様に実現するかが当面の課題でしょうか。

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2021年2月13日 (土)

3894 これからの農業3

投稿者の想いとして、「自然が作ったものに万に一つの無駄も無い」があります。例えば、この国の農業で大きな部分を占める作物であるイネについて考えてみます。一粒の種もみからは、88粒の籾が採れるとされていますが、その籾を剥がしてコメを取ると、もみ殻が残り、ワラも残るでしょう。勿論、先人はこれらの「副産物」も決して無駄にはしませんでした。それどころか、ワラからは米俵は勿論、蓑や草鞋(または藁靴)やムシロや縄まで、多くの日用品を作り出していました。収穫に感謝する意味で、神社には、その藁で作った巨大はしめ縄も奉納してもいました。
籾は籾で、いぶして燻炭にして田に戻したり、一部は燃やして熱源にも使っていました。つまり、イネの一株一株は大切な食糧として、また日用品の原料として100%利用されていたのでした。しかし、現代はそうではありません。お金になるコメは単なる「商品」になり、ワラはコンバインの中でシュレッダー処理され、もみ殻は田の暗渠に埋め戻す用途への補助金が打ち切られた今は、単なる厄介者となって、行き先を失ってしまいました。
投稿者は、もみ殻研究会なるグループに参加もしていますが、もみ殻一つとっても、モミガライトとして代替薪として、あるいは燃焼灰をセメント混和剤として、あるいはゼオライト原料に、更にはもみ殻を空気を絞って燃料させて、燻炭(土壌改良材)と熱回収を同時に行い、熱をハウス暖房の熱源として利用する取り組みなど、多様な用途が広がっているのです。もみ殻は、燃料であり原料として、コメ以外の用途で利益を生み出せるのです。
稲藁はどうでしょう。藁は、割と近い過去に遡っても、日用品の原料以外でもわら半紙としてかなりの量が「製紙原料」として活用もされていたのです。ワラには優良なセルロースファイバーが含まれているからです。このセルロースは、家畜の粗飼料(例えば馬の飼い葉)としても使い道もあり、自然の納豆菌も含み発酵を助ける納豆の入れ物としても用途もまだ残ってもいます。
ワラやもみ殻が、粗末に扱われ、厄介者にされている姿を見かけると、ココロが強く痛みます。農作物が、商品価値が低いと言う理由だけで、ごみとして廃棄される姿はもっと悲しい光景ですそれらの光景は、自然の恵みを100%活用しようとする努力や工夫が全く足りていない証左だと思うのです。植物が、土壌と炭酸ガスと太陽光を自分が持つ葉緑素で、炭化水素やたんぱく質などに変換したものに無駄など一つも無い筈なのです。それは、食用にしたり、燃やしたり、自然に分解される過程で、エネルギーを出しながら、また炭酸ガスや窒素になって大気中やあるいは有機物となって土壌に戻るのです。土から採れた作物は、1グラムも無駄にせず、ましてや「生ごみ」などにはしてはならない貴重な自然からの恵みなのです。その意味で、農業は、決して商品作物を作る単なる産業などではなく、有機物の生産、利用を行いつつ、自然の循環を見守る、最も重要な生業の一つである断言しておきます。

 

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2021年2月11日 (木)

3893 これからの農業2

さて、これからの農業です。土壌と水と太陽光さえあれば、植物が太陽エネルギーを炭化水素として固定してくれるのですが、かといってこの3つの資源が潤沢にある訳ではありません。農地から得られる炭水化物やたんぱく質を食料としてだけ、それも肉食のための飼料として家畜に与えないと仮定すればこれから増える人口を含めても、人類の食糧は何とか確保できる様です。但し、それは先進国の食糧廃棄を減らし、途上国に食料の配分が適正に行われると更に仮定した場合です。とは言いながら、3890でも言及した様に、水資源の枯渇は、この楽観的な予測を簡単にひっくり返してしまうかも知れません。
増してや、農業で生分解性プラスチックの原料作物を栽培するとか、バイオ燃料するするための「エネルギー作物」を栽培するなどと考えるのは、全くのナンセンスと言うしかありません。一方では飢える人たちを出しながら、他方でエネルギー作物を作ることは倫理上許されない行為だからです。考えるべきは、食料確保のために、荒れ地や乾燥地帯でも持続可能となる作物の栽培方法を確立する事でしょう。勿論、それは最先端の科学技術に依拠したものであってはならず、従来のコンベンショナルな技術と人手を使って、環境、取り分け土壌の劣化と、水資源の枯渇を進めない農業の確立が必須なのです。先の述べた点滴灌漑は勿論、収量が少なくとも雑草と作物を共存させる「不耕起栽培」、更には動植物と作物の究極的な共存を可能とする、多数の「ミニバイオスフェア」型農業の推進など、私たちが為すべき課題は山積と言えるでしょう。
そのためには、繰り返しになりますが、農業とビジネスをほぼ完全に切り離す必要があるのです。金持ちが大金をはたいて、季節外れの果物や野菜を欲しがることに対しては、少量の商業作物を育てる、農業ビジネスが残るのは致し方ありませんが、庶民が日々口にする食糧に関しては、基本的には露地栽培で育てた、自然の恵みである必要があるでしょう。温室栽培には、少なくない量の加温用(化石)エネルギーが必要ですので、持続可能ではないでしょう。季節的に多量の作物ができてしまった場合には、それを長期保存が効く形で(例えば天日乾燥やフリーズドライ法)保存し端境期に市場に出すのです。間違っても、長期間に亘って冷蔵や冷凍保存する選択肢を選んではなりません。冷蔵、冷凍のためには当然の事ながら多大な電力が必要となるからです。獲れすぎた秋野菜の冬越しのための貯蔵であれば、それこそ大きな雪室でも作って、氷温冷蔵すればエネルギーゼロでの保存もOKでしょう。

 

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2021年2月10日 (水)

3892 これからの農業論

U田樹の著作は、これまで殆ど読む機会がありませんでしたが、ある人からの紹介で「農業を株式会社かするという無理」と言う共著を読みました。氏のこれまでの主張にはあまり興味が持てませんでいたが、この本で彼が述べる農業論にはかなり同調できるものがありました。つまり、農業とは、作物と対話をしながら、環境からの恵みである、土壌と太陽光と水を利用しながらの手間暇の掛かる非効率な生業(なりわい)であり、決して農業法人やましてや株式会社などと言う営利目的のビジネス形態には、そもそも相いれないものであると言う主張です。
全くそれは正論で、例えば利益を上げるために、大量の肥料や農薬を使い、自動灌漑システムを含む人手の余りかからない機械化農業を指向したとして、例えば10年ほどは収益が期待できるのでしょうが、土壌の微量成分が失われ、過剰灌漑から起こる塩害が出始めると、病害虫の蔓延や連作障害など地力の低下から収穫量はがた落ちになり、赤字に転落する事は必至でしょう。つまり、自然からの収奪が続く、株式会社農業は全く「持続可能性」に欠けていると断ずるしかありません。
ではどうすれば良いのかですが、これもこの本の主張と重なる部分が多く、やはり都市から農村への人口の逆流が必須だと思います。今や、この国の農業従事者は人口の1%台半ばまでに減少してしまいましたが、もっと悲しい事にはその7割以上が65歳以上の高齢者で占められているのです。都会の若者が、密な都市社会に愛想をつかして、UターンかIターンで田舎に回帰しない限り、この国の農業の持続可能性は10年以内にかなり失われてしまうのは間違いないでしょう。その後も残るのは、平場で圃場整備=機械化農業(≒米作)が進んだエリアのみで、山間部や条件の悪い農地は、ドンドン耕作放棄され続けるしかないのでしょう。
同様に、農業国と呼ばれる諸外国や旧植民地の画一化された商品作物を育てる農業も持続可能性は低くなる一方でしょう。取り分け、乾燥地帯における、綿花やトウモロコシや大豆などの、多くの水を欲しがる作物を、地下水や水量が少ない河川水を無理に取水する農業も、やはり10年以内に多くの地域で破綻する事が免れ得ないと見ています。農業従事者は疲弊し、水資源の枯渇は深刻になるばかりなのです。たぶん続きます。

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2021年2月 9日 (火)

3891 点滴農業

農業におけるバーチャルウォーターを減らす方法として有効なのは点滴灌漑でしょうか。つまり、作物が必要とする量の水を、過不足なくドンピシャのタイミングで潅水してやるのです。余分な水をやらない事により、無為な蒸発がなくなり、3890で述べた塩害も防げるため、同じ農地での持続的な農業が可能になります。勿論、消費する灌漑用水の量は、大幅に減らせるのは自明です。
しかし、作物が何時どれだけの量の水を欲しているかを確認するのは結構大変でしょう。ベテランの農家が、毎日見回りベストの潅水タイミングを見計らう方法もあるのでしょうが、B国の様な大規模農場ではそうもいかないでしょう。そこで重要となる技術がリモートセンシングです。衛星や、航空機などから地上を各種のセンサーあるいはカメラで観察し、植物の置かれている状態をリアルタイムで知る技術です。そんなお金を掛けなくとも、ピボット農業では、農地の上に巨大なコンパスを設置していますので、これを利用するのも良いでしょう。このピボットアームにセンサーを設置し、円形農場全体をスキャンするのです。座標と、作物の各株の状況はパソコンに取り込まれ、どのタイミングでどの程度の水やりが必要かを判断するのです。
一方で潅水の方は、現在の様にドバっと大量の水を噴霧するのではなく、特定の座標の植物の根を狙って、ピンポイントでチュッと必要量を潅水するのです。つまりは、簡単な注水ロボットをピボットアームに取り付けて、自動的に潅水させる訳です。大農場では、当然の事ながら一つのピボットがカバーする面積は1ヘクター以上もあるので、潅水ロボットの注水するスピードも、それこそ目にも止まらぬ早業でなければ、日が暮れてしまうでしょう。イメージ的には、1秒間で10個の植物に注水すると言った程度の速さです。近年のGPSの精度は、10センチ以内程度まで上がっていますから、一株一株の根元を狙っての潅水も十分可能でしょう。以上の技術によって、今後10年程度で急激に耕作放棄が進むであろうピボット農業の耕作地寿命も、かなりの期間延長することが可能になる筈です。点滴農業は、砂漠地帯での農業拡大を可能とするなどの目的で、鳥取県などで研究されており、立派な国産の農業技術でもあります。

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2021年2月 8日 (月)

3890 バーチャルウォーター

昨晩のNスぺでバーチャルウォーター問題が取り上げられていました。投稿者の感覚は「今頃やっと取り上げられたか」と言った感じです。投稿者が、今から20年ほど前に技術屋を卒業し、環境屋に脱皮すべく勉強を始めた頃、温暖化問題と同じくらい、と言うよりそれよりはるかに緊急性が高い問題として、このバーチャルウォーターに着目したからです。Nスぺでも取り上げられていたオガララ帯水層の地下水位の低下問題は、20年前にもやはり問題だったのです。オガララ帯水層は、米国の中西部が大きな湖だった太古の昔に蓄えられていた、いわゆる「化石水」であり、殆ど補充がされない閉じ込められた地下水なのです。その総量はちょうど五大湖の水量と同じ程度と推定されていたのですが、ここ数十年の無秩序で大量の汲み上げによって、その大部分が消費されてしまったのです。
元々、中西部はステップ地帯と呼ばれる乾燥地域なのですが、その様な土地では小麦などの乾燥に強い作物を栽培するのが精々なのです。しかも、開拓時代には雨が少ない年では小麦でさえ干ばつに襲われることもしばしばだったのです。そこに、小麦より一桁以上多くの灌漑水を必要とするトウモロコシや大豆を植えて、地下水を大量に汲み上げてスプリンクラーで潅水する「ピボット農業」を続けているのですから地下水の水位は毎年数メートルずつ低下し続ける事になったのです。ピボット農業と呼ばれるのは、地下水の井戸を中心として、スプリンクラーが付いたコンパスの様に長い腕をグルグルと回転させて灌漑を行う農業形態を指します。従って、農場は円形になり、中西部の航空写真を見ると、規則正しい緑の水玉模様の平原が続いている様に見えるのです。
無理な灌漑農業は、地下水の枯渇問題の他に、深刻な問題を引き起こしてもいます。それは、「塩害」です。つまり、地下水は完全な真水ではなく、それなりのミネラル分を含んでいるのです。農場にふんだんに撒かれた水は、作物だけに吸収される訳ではなく、その多くは蒸発によって失われます。水が蒸発すると、土壌表面にはミネラル分(つまりは塩類)が残され、一定量を超えるとそこでは最早耕作が続けられなくなるのです。中西部のこの地域を、G-グルアースで見ると、緑の円形農業の中に、茶色の「放棄農場」が多く観察されるのです。つまり、化石水の依拠する灌漑農業は、化石水の消費と土壌の塩害と言う二つの意味で、持続可能ではないと断言できるのです。続きます。

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2021年2月 6日 (土)

3889 STEEAM教育2

「教育」と言う言葉が、そもそも違和感の塊です。その昔、Educationと言う言葉が日本に入って来た際に、誰かが「教育(教え育む)」と訳したのでしょうが、そもそもこれが上から目線になっています。想像ですが、明治時代に「教育勅語」なる国のガイドラインが作られた際に、その草案に関わった人物などが、この「教育」と言う言葉の訳出に関わったのでしょう。一方、英語のEducatinには、人が自ら学ぶと言うニュアンスが含まれていると思いますので、少なくとも学びと言う文字が含まれている必要があります。Teachingには確かに、教え導くと言う意味がありますが、Education とTeachingは全くと言って良いほど異なる概念だと言うしかありません。
Educationを投稿者なりに日本語にするなら、学習者が学ぶことを励まししその背中を押すと言ったほどのニュアンスを持っていると思うのです。即ち、そもそも今でいう「先生」は、「学生」の横か後ろに立って学生の学びをアシストする枠割を持っていると思うのです。ある人が、教育に対応する新しい訳語として「啓育」と言う言葉を充てる事を推奨していますが、啓発しつつ育むと言う意味合いになり言い得て妙でしょう。
つまり、表題もSTEEAM啓育に訂正すべきでした。では、今は、先生や教授と呼ばれている教育者の呼び方もこのままではいけないので、取りあえずここでは啓育者と呼んでおきますが、彼らの枠割もまた変わってこなければなりません。啓育者は、先ずは学習者の興味を引き出すための、材料を準備する必要があるでしょう。また現在の様に、学習者に検閲(ではなく今は検定でした)を通過した、画一的な教科書を与えるのではなく、興味を引くような問題や課題を示すのです。学習者には、その課題解決のための知恵を出すための工夫することを後押しするのです。この際決して「強要」してはなりません。何故なら、強要された学習者が課題を解決しても、決して達成感を感ずる事は無いと想像するからです。自ら進んで取り組んだ課題を苦労して解決できた学習者は、たぶん大きな達成感に満たされる筈です。啓育に短時間の成果を求めるのはご法度なので、これに当たる人たちに必要なのは、一にも二にも「忍耐力」しかないと思うのです。

 

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2021年2月 5日 (金)

3888 STEEAM教育?

STEM教育やSTEAM教育などは最近よく目にする言葉です。「STEAM」とは、サイエンス(Science/科学)、テクノロジー(Technology/技術)、エンジニアリング(Engineering/工学)、アート(Art/芸術)、マセマティックス(Mathematics/数学)の頭文字を取った言葉で、工科系の大学や高専などのカリキュラムは勿論、一般教育の内容にもそれらを反映させようと言う動きがある様です。
しかし、これだけでは何かが足りません。教育全般ですが、それは何のためか(つまりは目標)が抜けているからです。何のために何を学ぶのかが明確になっていないと、結局訳の分からないサイエンスや技術や工学やアート、数学を学ばせたところで、生徒(学生)に目隠しをして走らせる様なものでしょう。では、何のためにを学ぶのはどの様なカリキュラムになるのでしょうか。多分それは倫理(Ethics)ではないかと思っています。そこで、表題はSTEAMにEthicsのEを追加した次第です。倫理の「倫」は人と人との関係を示す文字だとされていますが、先人はEthicsを訳す際に、その理(ことわり)を表わすとして倫理と言う文字を充てたのでしょう。しかし、投稿者は倫理は単純なEthicsではなく、環境倫理(Environment Ethics)でなければならないと思っています。と言うのも、環境倫理は環境と人間との間の理を規定するものであり、人類の身勝手(わがまま)に歯止めを掛けるものであるからです。
産業革命以降、人類は科学技術と地下資源を乱用し、欲望の赴くまま好き放題を繰り返してきたのです。結果は、資源の枯渇のみならず、環境の汚染や悪化を招いたのでした。STEAM教育は、これを推し進めるだけでは、その悪化を暴走させてしまう可能性も拭い切れません。環境倫理は、まさにその暴走のブレーキ役だと言えるでしょう。環境倫理を正しく学ぶことによって、この科学技術を使ってこのモノを作るのは、果たして環境倫理に照らしてOKなのかどうかのチェックが可能になるのです。また環境倫理は、私たち人類の限りない欲望にもブレーキを掛けるでしょう。何故なら、環境倫理は一木一草や虫や動物たちの幸福にさえ配慮を要求するからです。一例ですが、畑で穀物を育て、それを家畜に与えて太らせて、たっぷりとサシの入った肉を食らうと言う贅沢などは、環境倫理の下では当然許されない行動という事になるのです。多分続きます。

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2021年2月 3日 (水)

3887 池袋暴走事件

池袋暴走事件の裁判が続いています。経過を詳しくウォッチしている訳ではないので、中身はネットニュースで読む程度しか知りませんが、争点を一言で言うなら、車両故障かヒューマンエラーかと言う事でしょうか。車に故障や欠陥があれば、いくら適正に運転していても、事故は発生するでしょう。一方で、車が正常でも、アクセルとブレーキを踏み間違う事態では、車は暴走し凶器になってしまうのです。車社会が始まった頃、車にまだ慣れていないドライバーや車にあまり注意を払わない歩行者が、実に多くの交通事故を引き起こしました。記憶では、毎年2万人以上が犠牲になったのです。
さて、車故障かヒューマンエラーか問題ですが、事実としてアクセルとブレーキの踏み間違い事故は、コンビニやショッピングセンターや病院など場所は違っても後を絶ちません。元技術屋としての直感としては、今のオートマ車でのアクセルとブレーキの2ペダルと言うドライバーとの「インターフェイス」には、何か欠陥が内在しているのではないかと言うものです。旧車であれば、これに左足のクラッチがありますので、イザと言う場合には、車輪とエンジンの縁を切ることも可能でしょうし、シフトレバーで簡単にギヤをニュートラルに戻すことも可能でしょう。つまり、旧車ではドライバーが頻繁に車とのインターフェースを操作する必要に迫られるのですが、一方でオートマ車ではハンドル以外は、単に右足がアクセルペダルとブレーキべダルを行き来してスピードをコントロールする「単調な」作業になります。投稿者は、この「単調な作業」こそが、実はヒューマンエラーの大きな要因になっていると見ているのです。ハンドル操作以外では右足の動きだけを求められるオートマ車の運転では、右足の操作は殆ど無意識で行われている筈です。旧車では、車の速度に合わせてクラッチとギヤを操作しなければならないので、街中の運転は結構忙しくて疲れるのです。加えて、クラッチを踏むタイミングでは、実はアクセルも緩めてエンジンの回転も微妙に下げているのです。
投稿者は、オートマ車は、実はドライバーの操作能力を大幅に低下させた元凶だと疑っているのです。人間の両手両足を使っての絶妙なコントロールが要求される旧車と異なり、オートマ車ではそれを単純で単調な「バカチョン操作」にしてしまったのです。従って、運転者がボーっとしていても、高齢となってボーっとしがちな人でも、それなりに運転は出来るのですが、それが駐車場での前後進の切り替えや急な周囲状況の変化など、急な操作が求められる際に、人間はヒューマンエラーを起こしてしまうのでしょう。裁判の行方とは別に、全オートマ車メーカーがヒューマンエラーを防ぐための何らかの装置(インターロック)を追加しない限り、この種の事故は絶滅出来ないでしょう。スマアシ車は、完璧ではありませんが次善の策の一つではあります。

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2021年2月 2日 (火)

3886 政治離れ

何度も書くようにこのブログは批判は目的にはしていません。批判は元々「ダメ出し」であり、ネガティブなものだと思うからです。従って、いわゆる「マツリゴト」に関して言及する事は出来るだけ避けてきたつもりです。とは言いながら、昨今のマツリゴトに関係するリーダーたち関しては、柔道で言うところの「指導」をしない訳には行かないと感じています。
少なくともリーダーたる人たちは、高邁な理想を持ち、少なくとも付き従う人たちの模範である必要があるでしょう。つまりは率先垂範です。またリーダーたる人たちは、集団に対し向かうべき方向を指し示す必要もある筈です。そうでなければ、付き従う群れが間違った方向に進んでしまうからです。投稿者が生きて来た戦後、取り分け記憶が残っている高度成長期以降でも、この国のマツリゴトはいくつかの制度修正や政党の離合集散を繰り返し、選挙制度もかなり変わってしまったのでした。その中で、いわゆる「政治とカネ」の問題は、ロッキード事件を引き合いに出すまでもなく、常に問題の中心にあった様な気がします。それを防ぐためと称して、政治資金規正法なるものも作りましたが、結局それは政党(Faction)を維持するためだけに多額の税金を使うと言う制度になっただけでした。それでも足らずに、政治屋たちはパーティやイベントにかこつけてカネ集めに奔走を繰り返すのでした。
その結果、本来政治家が練るべき「政策」は、税金だけでは足りずに国が無理な借金を重ねてひねり出した予算の使い道(予算の分捕り合戦)の議論を繰り返すだけで、ではこの国を将来どの様な国にしたいのかと言う「国家百年の計」など国会で議論になったことはほぼ皆無だったと振り返っています。つまり、現在この国には政治家などは存在せず、マツリゴトの世界は全て「政治屋」で占められていると見るしかないのでしょう。ですので、国民の政治不信は常態化し、この国のマツリゴトは、低い投票率で当選した「期待の持てない政治屋」によって執り行われいると言う最悪の事態に陥っているのです。
結論を言えなら、最早政治屋などに頼っている場合ではないと思うのです。政治を批判ばかりして、政治に背中を向けても事態は悪化するだけだと思うのです。そうではなくて、先ずは小さなグループで、自分たちが進むべき方向(社会のあるべき姿)を描き、小さな行動を起こすべきでしょう。もしそれが多くの人たちの賛同を得るならば、自然にその行動を真似、やがてそれがムーブメントを巻き起こす筈なのです。つまり、政治不信=政治離れについて対応を考えるなら、今のトップダウンではなく、「ボトムアップ」の動きしかないと言っておきます。このまま政治屋に舵取りを任しておくなら、間違いなくこの国は沈没し、二等国以下に落ちぶれるでしょう。トップに信頼できない輩が座っている限り、底辺(個々人)から静かにより正しい行動を起こすしかないのです。

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2021年2月 1日 (月)

3885 ハイパーループって?

航空機に対抗する都市間の乗り物として、ハイパーループがネットで紹介されていました。これは、EVの量産で有名になったE.Mスクが考案したとされる、真空中のチューブの中を高速で緯度するモノレールの様な乗り物です。いわば、リニア新幹線をそのまま真空チューブの中に入れて、空気抵抗を減らして旅客機並みのスピードで走らせようと言うものです。これをV-ジン社が、実用化を検討し始めていると言う事で、その3Dのバーチャル映像が公開された様です。確かにこれは夢の乗り物ですが、しかし冷静に考えてみるとこんな危ない乗り物を、一体誰が建設し、それを利用すると考えているのか、真面目に考えている関係者の常識も疑われます。
先ず、気圧を真空と言われるレベルまでに下げるのが至難の業です。つまり、周りから1気圧の大気圧で押されてもひしゃげない頑丈で太いチューブ鉄道を建設する必要があります。登りも下りもありますから、2本必要でしょう。駅には特殊な仕掛けが必須です。つまり乗客が乗り降りする出入り口が開放している間、チューブの真空と駅の中の大気圧間の気密を維持するための「エアロック」です。まさしく宇宙船のエアロックの様なゴツイ仕掛けです。
加えて、真空のチューブの中を進む車両の構造がどれほどゴツクなるのかが想像できません。それは、それはまさに宇宙船と同じ条件になるからです。つまり、外は真空で、中は大気圧である宇宙船と同じ強度を持ち、たとえ何らかの事故で、車体が損傷を受けても、乗客の安全が保てるように、生命維持装置も必要なのです。
こんなゴツイチューブや宇宙船並みの車両が、今の新幹線と同じ程度の建設コストで済むとはとても想像できません。少なめに見ても、ざっと一桁以上は建設コストが跳ね上がるでしょう。真空を維持するためにも莫大なエネルギーが必要ですので、運賃も新幹線や航空機よりは何倍も高く設定せざるを得ないでしょう。
事故も心配です。例えば、車体に穴が開いて車内の気圧が急激下がると、酸素濃度も下がり、生命に危険が及ぶからです。航空機に場合は、上空の気圧は地上の1/3程度ですが、機内は与圧されている上に、機体が損傷した場合には、機長は先ずは高度を下げて、乗客が気圧変化で傷害を受けない様に行動するでしょう。ハイパーループの場合は、一体どうするのでしょう。長い真空チューブの中に急激に空気を戻すと、同時並行で高速走行している別の車両は、さながら空気の壁にぶち当たった様な衝撃を受ける筈なのです。
どの様な道筋で考えても、こんな危険でコストのバカ高い乗り物が走る時代が来るとは投稿者には到底想像できません。

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2021年1月30日 (土)

3884 車の電動化(PVEVとは?)

欧州のトレンドは既に固まっていますが、石油大国であるB国の大手自動車メーカーも、脱ガソリン車を宣言した様です。このままの流れで行くと、他の多くの車メーカーも追随することでしょう。とは言いながら、では車で消費していたのと同等のエネルギー源(電力)をどの様に生み出すかについては、明確な言及が無いのも事実でしょう。このままで行くと、車用の電力は化石燃料を使った火力発電所か、原発で起こす事になるのかも知れません。つまり、車の排気管からはCO2は出なくなるのでしょうが、代わって火力発電所の煙突からは、今まで以上にCO2が排出される、変な事態に陥りそうなのです。CO2の排出場所が移るだけになる訳です。
そうではなくて、電動車(EV)の消費するエネルギーは100%再エネ(Re100)で賄わなければダメで、それなくしてはEV化の意味は失われてしまうのです。投稿者の提案は、全てのEVには太陽光パネルを搭載すべきと言うもので、駐車中にエネルギーを蓄積し、それでエネルギーの多くを賄うと言うコンセプトの車を開発するのです。勿論、大きなバッテリーを積んで、乗り心地の良いインテリアで、高速走行できるような、PVEV(太陽光発電型EV)を作る事には無理があるでしょう。太陽光発電だけで動かすためには、原動機(モーター)の馬力はかなり小さく抑える必要があるからです。そのためには、車重はかなり軽く仕上げる必要があるでしょう。言うなれば、風防付きの4輪の自転車と言った質感です。当然、バッテリーの容量も同様に小さく抑えるのです。しかし、それでは航続距離も短く設定せざるを得ないでしょうし、そもそも太陽が照らない日には、殆ど動かせなくなるでしょう。
もし、曇りの日や雨の日が続いて、このPVEVのバッテリーが上がって動かなくなっても、どうにか移動させるためには、運転者の人力(ペダルを漕ぐ力など)も利用せざるを得ないでしょう。その代わり、コンビニや道路の少しの空きスペースを利用して、バッテリーステーションを準備しておくべきなのです。つまり、規格化されたPVEVのバッテリーをバッテリーステーションで太陽光や風力を利用して充電しておき、バッテリーが切れそうになった場合には、このステーションで直接交換する訳です。そうれば、今のEVの様に長い時間駐車して充電する必要もなくなり、一つのバッテリーで50㎞ほども移動する事ができれば、十分実用的だと言えます。

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2021年1月29日 (金)

3883 海水温と爆弾低気圧

海水温に関しては、海保のHPで詳細に確認できます。現在の水温は勿論、平年との偏差などです。https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KANKYO/KAIYO/qboc/temp_color/temp_color.html そのURLは上記です。それによると、現在の日本海中央部の水温は、平年値に比べるとなんと3℃以上も高いと言うのです。たった3℃ではありません。海水が持つエネルギーの増加分は、3℃x膨大な海水量ですから、巨大な「温水塊」が居座っていると言えるのです。これは以前にも指摘した事ですが、地上(海面)と上空1500mの寒気との温度差が40℃以上に広がると、強い上昇気流による激しい気象現象が発生するのです。局所的な場合で典型的な現象は、ヒョウや竜巻でしょう。しかし、今朝(1月28日)から始まった様な、爆弾低気圧が引き起こす気象現象は、より広い地域を冬の嵐に巻き込むことになります。
つまり、日本海に入った普通の低気圧が、シベリアから降りて来た寒気と、高い温度の海水によって急速に発達し、いわゆる「爆弾低気圧」に成長するのです。これは間違いなく地球の温暖化からの悪影響と考えるしかないでしょう。高い海水温は、また海面からより多くの水蒸気を発生させ、結果としては日本海側に広く大雪をもたらします。量が多く、しかも湿って重い雪質は、毎回雪害やトラックを立ち往生させ、ひどい交通障害を引き起こしてしまうのです。勿論、単に海水温が高いだけで、毎年大雪に見舞われる訳ではありません。あくまで、シベリアから降りてくる寒気との併せワザになりますので、その年毎のジェット気流の蛇行状況などにより、暖冬傾向と今年の様に多雪傾向とが入れ替わるのです。その意味で、今年は、気象史上は(○○年)豪雪と記録される様な年になるのでしょう。
難しいのは、年ごとのジェット気流の状況の予測です。と言うのも、北極圏の温暖化は最早行き着く所まで行った感がありますが、北極気団の周りを縛っているハチマキの様なジェット気流の動向については、例えば赤道や中緯度地域の気象振動、例えばぺルー沖のエルニーニョ(ラニーニョ)現象やインド洋におけるダイポールモード現象などに影響を受ける事が分かっているからですが、因果関係が複雑すぎて、肝心のそれらの気象振動の原因分析や予測が十分には進んでいない上に、それらとジェット気流の蛇行の因果関係が、必ずしも十分に示されてはいないのです。それも、今後データの蓄積とスーパーコンピュータの活躍によって、徐々に解明されていくのでしょう。石炭や石油やLNGの爆食いによって温暖化を引き起こしてしまった人類ですが、今の便利な生活を求める限り、残念ながらそれに有効なブレーキを掛ける事はほぼ絶望的だと言うしかない状況でもあります。

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2021年1月28日 (木)

3882 乗用ドローン

散歩コースの堤防横の休耕田で、最近ドローンの操縦訓練を行っているのを見かけます。かなり大型のもので、ギリギリ軽ワゴンに積めるサイズの様です。ぶら下げられる荷重としては、見た目で5-6㎏と推定しました。一方で、ドローンをスケールアップして、人を乗せるサイズのものも作られ始めています。つまり、人を乗せて1時間以内くらいの時間で行ける範囲で、無人タクシーとしてドローンを利用しようとの目論見です。同型のドローンのサイズを縦横2倍にすれば、吊り下げ荷重はざっと4倍になりますから、ローターの数を増やして現在の大型乗用車程度のサイズにすれば、たぶん乗用ドローンの実用化も近いと思われます。実際、ロシアの武器メーカーも実用サイズの乗用ドローンを試作している様です。
しかしです、もしこのドローンを地上の建物や構造物などの邪魔者を飛び越えるほどの高度で運用しようと考えると、安全性を確保するためにとんでもない頑丈なものにする必要があり、実用化は殆ど無理と言うしかなさそうです。つまり、それは最早ドローンなどではなく、マルチロータのヘリコプターになってしまうからです。型式証明を取ったヘリでさえ、年に何度かは墜落事故を引き起こしています。それは、構造的な整備不良やパイロットの操作ミス、あるいは天候の急変によって起こるので、一定の割合(確率)では起こり得るものでもあります。しかし、車の事故と異なるのは、ドローン事故ではたとえ数メートルからの墜落でも、全身がエアバッグにでも包まれていない限り、乗客はただでは済まない大事故になる筈です。
地上から浮き上がり、空中を飛ぶためには同時に大きなリスクも覚悟しなければならないのです。車はイザと言う場合には止まれば良いのですが、ドローンや飛行機の場合は故障=墜落しかないのです。一方で、実績のある乗り物として、ホバークラフトと言う乗り物もあります。この場合は、浮上高さが数センチと言うものが殆どですので、墜落のリスクはありませんが、高速で移動中は地上と接していないため、急ブレーキが殆ど効かないので、たぶん専用道路を準備する必要があるのが欠点でしょうか。それと、根本的な欠点として、車以上にはスピードを出せないので、未だに実用化がされていないのでしょう。いずれにしても、人々がドローンなどに乗って、気軽に空を飛ぶ時代など(危な過ぎて)遠い将来にも絶対に来ないと断言しておきましょう。

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2021年1月27日 (水)

3881 国産ジェット機の末路

ネットニュースによると、Rシアでも型式証明を取ったHンダジェットの売り上げが好調とのこと。一方で、昨年塩漬けされたSペースジェットは最早離陸は出来そうもありません。では、前者が勝者で、後者が敗者かと問われれば、投稿者としては、「両方共敗者である」と言うしかありません。何故なら、ジェット旅客機やビジネスジェットなどは「20世紀の乗り物」だ、と言うしかないからです。多くの国や地域が「コロナ鎖国」状態の現在は勿論、今後需要が回復したと仮定しても、コロナ前の狂乱的な旅行熱が戻るとはとても思えません。安い燃料代に背中を押された、安い運賃が旅行客を刺激し、それを見た旅行にあまり熱心ではなかった「潜在旅行客」を引っ張り出して、あの旅行熱を生み出したのでした。つまり、世界中の「猫も杓子」も熱にうなされる様に旅行に出かけたのでした。
ジェット旅客機はそのための足=移動手段ではありましたが、残念ながら戦後2機目の国産旅客機は、国内線専用の乗り物に過ぎません。日本国内では、新幹線が競争相手となる筈でした。一方で、1機5億円以上の売値とされている国産のビジネスジェットはどうでしょう。勿論、これは庶民向けの乗り物ではありません。大企業や超お金持ち専用の乗り物でしかないのです。Rシアにも超お金持ちは居る様で、それなりに売れては行くのでしょう。しかし、今以上の富の偏在は、今後逆風を受けることも間違いないでしょう。SDGsで言う、「誰も取り残さないで」持続可能な社会へ変わるためには、極端な富の偏在は「悪」でしかないからです。
ところで、先日のEテレで、Mルクスの唱えた資本論の解説をしていましたが、彼の主張の真意は、少数のリーダーに権力を集中させた、間違った共産主義や偏向した社会主義などなどではなく、民衆が自分ができる範囲で、コミュニティに寄与し、誰も取り残さない小さな社会を多く作る事だった様なのです。話が反れましたが、石油燃料しか使えない20世紀の乗り物、ましてや超金持ちしか乗れない乗り物などに明るい未来は展望できないでしょう。より少ないエネルギー消費で移動できる手段、しかもそのエネルギー源としては再生可能型エネルギーのみで動かせる様な乗り物こそ、将来の社会が待望する理想のVihicleなのです。

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2021年1月25日 (月)

3880 渡り鳥とパンデミック

自宅の上空は、渡り鳥(取り分けハクチョウ)たちの往来のコースになっている様です。多分彼らは、地上の目立った地形、山や川や湖などを目印にしてそれらを繋いだ彼らなりのコースを決めているのでしょう。鳥海山に源を発する、自宅近くの川は、南北に流れているので、独立峰である鳥海山と共に渡りコースの目印に使われているのだと想像しています。渡りのコースには、湖や池や田んぼなどの休憩場所も必要不可欠でしょう。獣に襲われない様に、人里近くの開けた場所が理想なのでしょう。彼らが、晩秋と早春に田んぼや川で憩う姿には癒されます。
しかし、渡り鳥は必ずしも平和の使いではないことも事実でしょう。と言うのも、彼らは季節性の疾病(インフルエンザなど)の原因ウィルスの運び屋でもあるからです。いわゆる、鶏などの家禽あるいは豚などの家畜やイノシシや他の野生動物に感染し、結果としてその変異株がヒトにも感染する事態に至れば、結果としては今回のパンデミックに様に、悲惨な事態が出現するのです。その意味で、渡り鳥の夏の営巣地である、北極圏やシベリアは。これらの感染症の故郷でもある訳です。ウィルスは完全な生物ではないので、乾燥や凍結には強く、条件が揃う季節になると、渡り鳥に感染し、宿主を殺さない程度に増殖するのです。そして、営巣地が雪や氷に閉ざされる季節になると、宿主(渡り鳥たち)は南に移動するのです。ウィルスは、彼らの落とすフンから、野生動物や家禽、家畜などに感染し、やがてその変異株が生まれその感染はヒトにも広がるのです。
もっと怖い話があります。それは、シベリアの永久凍土の中に眠っていた、太古のウィルスが温暖化で凍土の中から現代に蘇る事態です。すでに、毒性の強いウィルスも見つかっている様ですが、例えば非常に致死率の高い邪悪なウィルスが、ゾロゾロとはい出てくる可能性も否定できません。何しろ、人類が地球上に出る前の病原体やウィルスに対してですから、人類は全く免疫力が無い筈なのです。家の前の田んぼでつかの間の休憩を取る100羽ほどのコハクチョウの群れを眺めながら、コロナ後の多分10年後くらいには来るであろう次なるパンデミックを想像してしまいました。

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2021年1月23日 (土)

3879 工学と環境学

全ての学問は、最終的には何か(あるいは誰か)のためになる事を目的としている筈です。勿論、学者のための学問や、学問のための学問の様なものもあるのでしょうが、ここではそれは除外しておきます。さて、ここでは投稿者も長らく関わって来た「工学」と、それを卒業してから学んだ「環境学」を取り上げ、比較してみようと思います。
工学は、基本的には社会に役立つ技術を極める学問だと定義できるでしょう。但し、ここで注意が必要なのは、その社会とは「人間社会」に限定されており、決して動植物社会?や自然環境のためではないと言う点です。従って、ある時期まではいわゆる公害や自然環境破壊につながる技術も許容され、経済や社会の効率化のみが追及されてきたのでした。儲かれば良い、早くて安くて快適でさえあれば良い、人間さえ豊かになれば良い、楽しければ良い、楽であれば良いと言った論理がまかり通っていた訳です。移動手段で言えば、歩きや馬(車)から、鉄道や車や飛行機を使った移動へと「工学的」には進歩を重ねてきたのでした。
しかし、環境学の立場は全く異なります。環境学とは、極端に言えば環境保全を唯一の目的とした学問であるとも言えます。従って、その環境が変わってしまう様な負荷(環境負荷)は基本的には「悪」と言う事になります。従って、温暖化と言う環境変化を引き起こすCO2の発生は、工学では是とされても、環境学では否となる訳です。同様に、オゾン層を破壊する様な物質の使用も、在来種の動植物の数や量を大きく変えてしまう様な、人工的な環境改変も同様に否であると断ずるしかありません。投稿者は、工学に100%依拠する技術屋として仕事をし、それで飯を食い続ける事に疑問を感じ(環境に対して恥じて)、遅まきながら50歳を過ぎてから環境学を学び環境屋になる事を決意して今に至るのです。

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2021年1月21日 (木)

3878 利雪3

利雪についてもう少し考えます。雪を、季節を超えて保管しようとする際に、キーとなるのは「保温技術」でしょう。昔ながらのガラス瓶をつかった魔法瓶では、二重にしたガラス瓶の隙間の空気を抜き、ガラス面には銀色のメッキを施し、高い保温性を実現しています。ペアガラスでは、非常に狭い隙間(数ミリ)の中では気体の対流が起こりにくい事を利用して断熱性を高めています。つまり、空気の対流を起こさせない工夫や断熱材そのものの熱貫流を少なくする(反射させる)コーティングが断熱(壁)に求められる技術だと言えそうです。また、発泡させた断熱材やグラスウールマットは、小さな泡内や密に圧縮した繊維の中では、空気の対流が起こりにくく、従って断熱性も高いと言う性質を利用しています。
雪を長く保存できる断熱材は、当然の事ながら住宅やビルの断熱材としても有効です。あまり原材料を使わないで、しかし断熱性能が高い壁を作る技術は、今後の建物の省エネ性能にもつながる重要な技術であると言えるでしょう。断熱材を薄くするには、発泡材と反射材と熱貫流が少ない材料と言う3種の断熱材を、上手く組み合わせる必要があります。いずれにしても、断熱材の性能を上げる技術は、省エネの推進には不可欠なものであり、この国が今後とも「省エネ大国」であることを標榜するのであれば、安価で性能の高い断熱材の開発は絶対不可欠なのです。
一方で、利雪を考える際には、エネルギーの収支計算も重要です。つまり、利雪を進めるあまり例えば重機などを潤沢に使い、その際使うであろう石油エネルギーが、利雪で得られるエネルギーにあまり変わらないのであれば、それは利雪とは呼べない状態であるとしか言えなくなります。利雪は、最終的には冬季以外の季節の大幅なエネルギー消費の削減に繋がらなければなりませんし、そのためには除雪と移雪の省エネにも最大限努力を傾ける必要がありそうです。

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2021年1月20日 (水)

3877 利雪2

利雪の前に、先ずは雪を移動させる除雪や移雪を上手く処理しなければなりません。今は、取りあえず屋根から雪を下ろして家屋を守り、落とした雪は積み上げるか、スノーダンプで近くの融雪溝に捨てると言う流れが一般的でしょうか。勿論、機械力を使って、ホイールローダーとダンプで再規模に除雪する方法に加えて、小型の除雪機を使って、雪を砕いて遠くへ飛ばす除雪も盛んに行われています。とは言いながら、利雪のために特定の場所に雪を運び、それを高く積み上げるには、有効な方法ではありません。
雪を低熱源として使う場合、例えば、使われなくなったトンネルに雪を詰め込むと、夏場まで低温を維持する事ができ、有効な利雪方法の一つですが、雪をトンネルに詰め込むためには例えばベルトコンベアなどの機械力が必須です。しかし、そのコンベアへの積み下ろしが人力を使っていては、畜雪の能率は限定的に留まるでしょう。ダンプで運んできた雪を、効率的にベルトコンベアに載せ、更にトンネルの奥で雪を下ろして、しっかり積み込むためには、自動化されたローダーとアンローダを準備してやる必要があるのです。砂や砂利などと異なり、雪はある程度の硬さと形があり扱いは難しいのですが、上手い方法としては、雪を一度粉砕して粒状にしてやるのが良さそうです。
粒状にした雪を左右に飛ばせば、トンネルの中は徐々に雪で満たす事ができる筈です。それによって、トンネル壁の棚に保管した、コメ、野菜、リンゴなどの果物、ワインや日本酒、その他の食糧などをエネルギーを使わないで、長期に亘って氷温で保管できる仕組みが出来上がります。利雪に利用する使われなくなったトンネルは、国道の改良工事で、新たなトンネル作られた場合、旧道にひっそりと残されているのを結構な数で見つかるでしょう。実は、この様な利雪方法は、雪室と呼ばれて古くから利用されていたのです。古の雪室は、山の裾に大きな窪みを作り、そこに大量の雪を放り込んで、その上をワラや木屑やムシロなどの保温材で覆うだけの簡単なものですが、盛夏まで雪を残す事ができたと言われています。

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2021年1月18日 (月)

3876 利雪

北国、取り分け日本海側ではこの季節雪に降りこめられます。除雪に忙しくなり、車での外出も億劫になってきます。勿論、温暖化で平均的には雪の少ない年が多くはなりましたが、今年の様に寒波が降りてくる回数が多くなると、積雪量も多くなってしまいます。多雪は、本当に困りものです、雪国であるとは言っても、屋根に1mを超える雪が積もってしまうと、落雪の危険があることに加え、建物への被害も増えてきます。雪は、降ったばかりの時は比重は0.1以下と低いのですが、それが気温の上昇や雨で締まってくると、0.3以上に大きくなるので、同じ1mの積雪でも、建物には数トン~数十トンもの荷重がのしかかる訳です。積雪が少ない場合でも、梁や柱が変形して、ドアや障子が閉まりにくくなったり、隙間ができたりするのです。
それを防ぐために、除雪が必要な訳ですが、ただでさえ傾斜があって、立つのが危険な屋根の上で、動きながら重い雪を取り除くのですから、残念ながら毎年多くの除雪中事故が発生しています。つまり、雪国とは言っても建物自体に屋根に雪が積もらない工夫が施されて地域は少ないのです。勿論、毎年豪雪に見舞われる地域では、屋根の傾斜を急にした上に、屋根の頂上に雪を切る様に、専用の刃の様な構造を付加しています。どうにかして雪の害を減らす作業は、除雪や「克雪」と呼ばれています。その多くは、雪を取り除き、邪魔にならない場所に移動する作業です。
ここで提案したいのは、利雪つまりは雪の有効利用です。雪が持つ性質をまとめてみると1)0℃前後の温度を保っている。2)解けると水になる。3)空気を多く含み保温性もある。4)締まった雪は形状を保持する。5)集積すると解けるまでに長期間かかる、などになります。利雪とは、この様な性質を上手く生かして、何かに利用する事を指します。勿論、これまでもコメやリンゴなどの長期保存のために、まとまった量の雪を利用する試みは行われていました。これは、性質1)と5)を使ったものです。2)も春先から夏場までの農業用水や発電用の水力としてはそれなりに利用されてはいます。3)と4)を使ったものとしては、雪国の楽しみでもある「雪まつり」や「かまくら」などが挙げられますが、当然ですがそれはホンの一部の利用に留まっています。雪国では、先ずは生活の動線を確保するための除雪が優先されますので、利雪まで目が届かないのです。続きます。

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2021年1月17日 (日)

3875 ネガワット発電所

言葉には流行り廃りがあるもので、「ネガワット」と言う言葉が流行ったのは大分前の話になってしまった様です。とはいえ、この言葉の持つ意味は、目減りするどころか、ますます重みを増しているとさえ言えるでしょう。そもそもネガワットとは、「負の電力消費」つまりは、省エネで減らす事ができた電力の意味ですから、ネガワット発電所とは、工場なり各家庭が、例えば1割の省エネを実現した場合、さながらその省エネ量に見合った発電所が新たに生まれたのと同様の意味を持つからです。つまり、現在の快適な生活を支えるために、電量消費量が増えればそのまま新たな発電所を建設すると言う考え方を改め、先ずは徹底的な省エネの励行から始める訳です。
1970年代の半ば、この国の電力消費量は今の丁度半分だったのでした。現在より人口は1割ほど少なかったとはいえ、一人当たりで今の半分ほどの電力を使いながら、それほど「酷く質素な生活」を送っていた訳ではなかったと振り返っています。庶民にも、それなりの家電がや自家用車が普及し、若者はバイクを乗り回していたのでした。
とは言いながら、便利で快適な生活にすっかり慣れてしまった私たちが、果たしてエネルギー半分の社会に戻れるのかは疑問が残ります。エネルギー半分の社会とは、現在のエネルギー消費行動2回を1回に減らすか、あるいはエネルギー消費する時間を半分に減ずるか、と言う行動を全員が取る必要があるのです。勿論、旅行の頻度も、移動距離も、宅配便を利用する回数も全て半分に減らす必要があります。24時間営業は全て取りやめ昼間営業を基本とし、放送なども夜間は休止するなど、眠らない社会活動も全て半分以下に減らす必要もあるでしょう。
この様な生活は、実は人間らしいライフスタイルであることは間違いないでしょう。昼は活動し、夜は眠る事によって、健康的な体や心のバランス(ホメオスタシス=恒常性)が保てるからです。つまり、先ずは夜は眠るのだと言う人間らしい生活スタイルに戻るだけでも、結果としてエネルギー半分の社会に戻り、原発や火力発電所も不要となる、「巨大なネガワット発電所」が手に入るとも言えるでしょう。

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2021年1月14日 (木)

3874 本気のSDGs

SDGsが、国連の全会一致で可決されてから既に5年が経過しました。つまり、2030年には達成したいと言う目標期間の1/3が過ぎてしまったのです。しかし、実状を眺めると、ここにきてやっとSDGsと言う「言葉が浸透してきた」だけで、具体的な動きは、始まったばかりだと言うしかありません。勿論、先進的な大企業は数年前からSDGsを標榜した経営に踏み出してはいましたが、肝心の国はやっと2050年のCO2ぜロ排出に言及し始めた程度で、SDGsを担ぐ省庁も、予算規模もマンパワーも非常に小さいK境省に無理やり押し付けられてしまった形です。
17の目標(英語ではゴールと呼ばれていますが)を眺めてみると、事は環境マターだけではなく、文科や厚労や国交を始め、全ての省庁に関係していると思われるのですが、この国のいわゆる「省庁の縦割りルール」上、どこか一つの省庁に押し付けるしかないのでしょう。
さて、ここにきてSDGsの知名度だけは少しは上がりましたが、実状は昨年来のコロナ騒ぎで、減速どころか後退を余儀なくされていると見るしかなさそうです。取り分け、目標の内でも上位に位置付けられていると思われる、貧困の撲滅に関しては言えば、コロナに影響された経済減速で、間違いなく悪化しているのは間違いないでしょう。それでなくとも遅れ気味だったSDGsへの取組みですが、それを再加速するには、これまでの倍以上の努力を傾ける必要があるのは明らかでしょう。
つまり、本気を出してSDGsの各目標への取り組みを再開するしかないのです。考え方は単純です。何か行動を起こす際に、いくつかの選択肢があるとして、よりSDGsのゴールに近づくオプションを選ぶのです。その際に、数年先の結果にこだわるのではなく、例えばどのオプションが、50年後の子孫の幸福につながり、かつ持続可能性が高いかを判断すれば良いだけなのです。例えば、新しい発電所を建設すると仮定した場合、先ず原発や化石エネルギーを燃料するものは、最初に除外されるべきでしょうし、太陽光発電と風力発電所あるいはバイオマス発電所を比べる場合でも、どちらが最終的なLife cycle burden(建設、運用、廃棄までのトータルとしての環境負荷)が小さいかで判断すべきなのである。その前に、本気を出して出来る限りの省エネ対策を実行し、そもそも新たな発電所の建設自体が不要となるための努力を重ねる方が先であることは間違いないでしょう。

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2021年1月13日 (水)

3873 物流

何時の頃からか、この国の物流は鉄道輸送からトラック輸送に比重が移ってしまいました。しかも、JITの考え方が普及した結果、各地の在庫量はドンドン削られていったのでした。つまり、高速道路網が整備され、それを使って、さながらモノが体を流れる血液の様に、絶え間なく切れ目なく運ばれる仕組みが構築されていったのです。翌日に陳列棚に並ぶべき商品は、夜間にトラックで運ばれ、早朝に消費地に入るのです。その結果、流通業は大きな倉庫を準備して、モノをストックする必要がなくなって、SCやスーパーのバックヤードに短期のストックを持つだけでOKと言う物流システムが完成したのでした。
しかし、今回の様な雪害(災害)で、高速道路が寸断されると、その瞬間からサプライチェーンの崩壊が始まるのです。血管の中に、コレステロールや血栓ができて、血流が滞ると私たちの体の組織は、直ちにダメージを受け、最悪の場合は壊死してしまいます。各SCやスーパーや小売店の短期ストックなど、1週間はとても持たないでしょう。コンビニに至っては、1日で商品棚が空っぽになってしまう筈です。1970年代に石油の輸送が産油国のストライキ?で滞り、いわゆる「油断」による石油ショックを起こしましたが、物流の滞りは「物断」を起こしてしまうのです。
今回の豪雪でも、高速道路上で多数の車のスタックを引き起こしましたが、もし早期に高速道路を閉鎖したとしても、溢れたトラックの列が国道に流れるだけで、それはもっと深刻な動けない車列を作り出すだけでしょう。その結果、除雪車は勿論、緊急自動車さえも動けなくなり、結果全ての社会活動も麻痺してしまう結果をもたらすだけなのです。便利さだけを追い求める今の物流システムは、他方では災害には非常に脆いものであることが、今回の豪雪によっていみじくも暴露されたと反省し、なるべくモノを運ばないで済む、つまりは「地産地消」を推進する様な社会システムの改革が求められていると思うのです。これは社会の進歩でもなんでもなく、社会システムの少しの後退ですので、私たちはその様な時代を過去に経験してもいますので、その変更にはリスクも殆どないのです。

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2021年1月11日 (月)

3872 温暖化と豪雪2

日本では、連日豪雪のニュース一色ですが、実は海の向こうのスペインやポルトガル当たりでも50年ぶりの豪雪に襲われている様です。1月3日のジェット気流の解析図では、寒気が東アジアの他に、ヨーロッパではピンポイントでイベリア半島方面にも入っている事が明らかです。イベリア半島の沖には、良く知られている様に、主要な暖流であるメキシコ湾流が流れていて、日本における日本海側での豪雪と全く同じメカニズムで大量の降雪となった訳です。
手元にデータはありませんが、間違いなくメキシコ湾流の海水温も例年より高くなっていたと思われます。繰り返しになりますが、苛烈な気象は地上(海面)と上空の寒気との、より大きな温度差で引き起こされた激しい上昇気流と、巻き上げられた大量の水蒸気によって引き起こされるのです。具体的には、地上と上空1500mに入っている寒気との温度差が40℃以上になると、大気の状態が極端に不安定になって、災害級の気象が発現する事につながると言われています。
地球の温暖化、とりわけ海水温度の上昇によって、これまでは何十年かに一度しか起こらなかった様な、強烈な熱波や寒波や台風や豪雨による大災害が、毎年の様に襲ってくることになるかも知れません。と言うより、最近の国内外に起こった、この種の災害の多さや大きさを眺めても、既にその様な時代に入ってしまったと見るしかないでしょう。私たちは、その災害に大規模な建設や土木技術を駆使して立ち向かうのではなく、災害が頻発する様な地域を放棄して、より安全な地域へ移動するしかないとも思うのです。「天気の子」ではありませんが、東京などの海面より低い地域(ゼロメートル地帯)は、間違いなく潜在的に水害的に危険な地域である事は間違いないでしょう。豪雪も雪に姿を変えているとは言え、苛烈な気象による「水害」である事には変わりがありません。地球上の一地方に豪雪や豪雨が起こるという事は、他方では必要な雨が降らない干ばつが広く発生する事につながります。稿を改めますが、これは間違いなく食糧問題を引き起こす原因にもなっていくのでしょう。

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2021年1月10日 (日)

3871 温暖化と豪雪

今年は、数十年ぶりの豪雪となりそうです。北極気団の縁を取り巻くジェット気流の蛇行により、取り分けバレンツ海からの冷気を運ぶ流れが、東アジアがすっぽりと強い寒気に覆われているのが直接の原因ですが、今回の豪雪には別の要因もありそうなのです。それが、いわゆる温暖化による気候変動です。今年の日本近海、とりわけ日本海の海水温が、例年より2℃ほど高いと観測されていますが、この寒気団と高い海水温が豪雪をもたらすのです。海水温が高いと、海面からさながら温泉の様に湯気(水蒸気)が発生します。これに寒気が作用すると当然の事ながら厚い雪雲が発生し、日本海側に大雪をもたらすのです。
海水温が高いのは、今回の寒気団が降りてきた際に、日本海に「台風並み」の低気圧が発生した事でも裏付けられています。その低気圧の衛星写真を見ると、まるで台風の様に「目ができていた」のでした。低気圧は、上空の寒気と地上(海面)の温度差が大きいほど、強烈に発達します。それは、夏場に強烈な日射があった午後に、強大な積乱雲が発生するメカニズムと同じなのです。海水温の上昇はたった2℃ですが、上空のマイナス40℃近い寒気との温度差は50℃にもなるでしょうから、台風並みの低気圧が発生しても不思議はないでしょう。夏場、フィリピン沖の30℃を超える海水温と上空のマイナス10℃程度の大気が作る温度差よりも大きいからです。
温暖化が気象を激甚化させる原因は、まさに温暖化によって、大気中の水蒸気量が増え、更に海水面と上空の大気との間により大きな温度差を発生させる結果、大気がより不安定になって、大気の対流や風を激しくさせて強風や豪雨や豪雪をもたらす事につながるのです。昨日のNスぺでも、温暖化の恐怖を本気で強調していましたが、もしかすると私たちは、PONR(Point of no return=後戻りできないポイント)にすでに到達しているのかも知れません。人類にとって、取り分け次世代にとって、恐ろしい事ではありますが・・・。

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2021年1月 7日 (木)

3870 飛沫感染

コロナ感染に関して、欧米とこの国の感染率の違いが気になっています。勿論、基礎免疫の違いもあるのでしょう。一般に、元々群れて密に暮らすライフスタイルのこの国やアジアの諸国と欧米の生活には、既存免疫の形成の程度にも違いが出てもおかしくはないでしょう。つまり、我々は満員電車などで密な接触を繰り返す中で、より多くの感染症のリスクを抱え、結果として多くの感染症に晒され、結果としてそれらの感染症への免疫も獲得しているのでしょう。従って、新たなウィルスにより感染症にもそれなりの抵抗を示す事ができるのでしょう。
しかしそれだけで、現状の全ての事象を説明するには無理がありそうな気がするのです。別の違いを考えてみると、言語がありそうです。投稿者がまともに話せるのは、日本語と英語程度ですが、どちらが口を大きく開けて発音し、どちらが破裂音など飛沫がより多く飛ぶ単語が多いかを思い起こしてみると、明らかに欧米語に軍配が上がるでしょう。加えて、マスク装着率の大きな差があります。几帳面にマスクをつける国民と、自由を求めてマスクを嫌う国民性の違いがあるでしょう。つまり、欧米では飛沫感染により拡散する感染症には、「社会的に脆弱である」と言えそうなのです。
とは言いながら、ウィルスもさるもので、感染を繰り返す中で、より感染力の強い株に変異し、この国でもなかなか歯止めが掛けられない状況に陥っているのです。ウィルスの増殖に好適な気温は5℃-15℃程度との事ですので、都市部の平均気温がこの範囲に入る冬場は、毎年各種のウィルスが猛威を奮うのですが、暖かくなる3月以降まではコロナ感染のピークが続きそうな予感がするのです。第2波でそうした様に、今回の第3派でも、ピークが過ぎるまでじっと我慢の自粛的な生活を続けるしか無さそうです。

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2021年1月 1日 (金)

3869 新年にあたって

新しい年が明けましたが、相変わらず新型コロナの暗雲が世界中を覆っている様です。どうやらコロナウィルスが活発に活動するのは5-15℃の範囲の様ですから、平均気温がその範囲を脱する5月以降、ワクチンもジワジワ効奏する初夏にでもなれば、少しは明るさが見えて来るのでしょうか。あるいは、「賢いウィルス達」は、それを掻い潜る様に狂暴に変異して、数年間猛威を奮い続けるのでしょうか。いずれにしても、人類は100年前のSペイン風邪の猛威も何とか凌いできたので、今回も何とか耐えて暮らしていくのでしょう。
しかし、コロナ後にも忘れてならないのは、今回のパンデミック(Sペイン風邪の例に倣えばB漢風邪?)が残した教訓だと思うのです。投稿者なりにまとめてみるなら、1)都会で群れて住むことのリスクは非常に大きい事、2)ウィルスは変異を繰り返し不死身?である事、3)完璧な治療薬を手にしない限り人類は常に彼らの後手に回らざるを得ない事、4)それなりの「自粛生活」でもどうにか世の中は回っていくこと(逆に言えば、これまでの生活はかなりバブリーであった事)等になります。
特に最後の4)は、今後の最大の教訓にしなければならないと思うのです。例えば、今回のコロナ騒動以前を想い起こしてみると、人々はこぞって海外旅行に奔走した結果この国にも人口の3割にも及ぶ観光客が押しかけ、豪華客船や豪華列車の予約の列に並び、グルメや美酒に酔い、居間の延長の様な車に乗り、スポーツやコンサートで熱狂し、新年のカウントダウンのために大挙して街に繰り出し、それでも足りずに美食や運動不足の結果、多くの人々が昔は贅沢病とも呼ばれた生活習慣病に罹患するに至っては、何をかいわんやでしょう。
このブログでも何度か書きましたが、都会の暮らしは、田舎や国外からの製品や食糧やエネルギーのサプライ無しには、一日として続けられない「山小屋生活」であり、毎日が「お祭り生活」だと思えるのです。そうではなくて、日頃は質素な「ケの日」を過ごしながら、年に数回の「ハレの日」を楽しむと言った、いわゆる田舎の暮らし(自給自足により近い暮らし方)こそ、今後の社会の理想に掲げるべきだと、今年の新年にあたってもシミジミと思った次第です。

 

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2020年12月28日 (月)

3868 記憶から創造へ2

疑問を持っている子供へ、単に答えをストレートに教えるのは親としては失格でしょう。自分自身がそのダメ親だったので、育った子供たちを見ていてシミジミそう反省しています。子供が出来ない事を「こうやるんだ」と言ってさっさとして見せるのも同様にご法度でしょう。一応の原理を教えて、あとは自分で工夫してできる様にさせるのがベストでしょう。
両者に通ずるのは、要は子供に工夫をさせ、その結果曲りなりにも結果が出て、何らかの達成感を持たせることが必要なのであって、その繰り返しによってのみ子供たちが成長すると思うのです。自分自身の事を振り返っても、商売で忙しい親は基本的には放任主義でした。勿論、方針としてそうだったのではないのでしょうから、たぶん仕方なくそうしていたのでしょう。その分、近所の友達と外で暗くなるまで遊び、時々に親が連れて行ってくれる河口での釣りに興奮し、小学校では学校の近くの模型屋のオヤジが教えてくれる模型飛行機作りに熱中した子供時代を懐かしく思い出します。
竹ひごをロウソクの火を使って設計図通りに曲げ、アルミニウムの管でつなぎ、バルサで出来たリブを渡してセメダインでくっつけ、その上に薄い紙を貼って翼型を作ってゴム動力で飛ばすのです。最低限の材料と、設計図を頼りに完成させ、その後飛ばしてみて重心と浮力中心を合わせる調整をすれば、飛行機は数分間飛び続けるのでした。上昇気流が強い日には、折角作った飛行機が山のかなたに消えて行ってしまった事もありました。
自分自身の経験から言っても、工夫の積み重ねと、その結果生まれた小さな達成感の積み重ねこそが、創造性の根源だと断言できます。もし、今自分が無垢の赤子を育てる機会に恵まれたとしたなら、たぶん創造性に溢れた子供に成長させる自信がありますが、アラ古希に近い投稿者にとってそれは、間違いなく叶わぬ夢になるのでしょう。ここで言いたかったのは、記憶力だけを評価する様な、この国の従来の様な勉強と言う呼び方の教育はすぐにでも止め、子供たちの好奇心と小さな達成感を刺激する様な学習意欲に訴える「学び」に切り替えるべきでしょう。

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2020年12月23日 (水)

3867 記憶から創造へ

ある教育者の言葉です。私たちのこれまでの教育は、子供たち記憶料力と理解力の向上ににだけ向けられていた、と。当然の事ながら多くの試験は、それ(記憶の程度)を試すものであり、受験生はひたすら教科書や参考書の中身を頭に詰め込み続けるしかなかった事でしょう。しかし、人間の脳の能力はそんなものではない筈なのです。つまり、詰め込んだ知識を「応用(または工夫)」し、あるいはそれらを「分析」し、更にはそれらを「評価」し、最終的にはそれらを下敷きにして何かを「創造」できるまでの能力を全ての人は備えていると思うのです。
なのにです。今の学校教育は、大学教育まで含めて「応用」以降の能力は開発されることも無く卒業させられてしまうのです。辛うじて、大学院まで進むと、自分で研究テーマを見つけて、何らかの課題を設定して研究を行い、それを論文にまとめる過程を経験しますので、それなりの能力も身に着けるのでしょうが、そうではないいわゆる「学卒者」は、例えば企業内教育などで改めて能力を開発し直す必要があるのでしょう。
しかし残念な事に、成人の能力開発にはある種の困難が生ずるのです。それは、「脳の可塑性」に関連すると思われます。つまり、少年期を過ぎると脳が「固まってしまい」可塑性が低下するのです。例えば、語学に関して言えば12歳前後を境として、それ以降に言語を習得したとしてもそれは「第二言語」にしかなり得ず、あくまで学んだ言語の一つになってしまうのです。英語が第二言語と設定されているこの国の人々の多くが「英語は苦手」と言い切る所以と言えるでしょう。
言いたいことは、脳の可塑性が十分に高い少年期に、応用や分析や評価や創造と言った能力の開発を手助けしてやれば、創造的な大人に成長し、ひいてはこの国も創造的な国に脱皮できると思うのです。そのためには、この国の教育システムである、先生が一方的に知識を詰め込む「勉強」と呼ばれるTLシステム(Teaching Learning system)から、生徒や学生が主体的に学習するESシステム(Education Study system)への転換を図らなければならないのですが、それには先ずは先生達の意識を変えるための「学習」が必要であるため、数十年単位の時間が必要となるのでしょう。小学生に対し、そもそも英語やプログラミングが苦手な先生に、英語らしきものやプログラミングらしきものを教え込んで貰うだけでお茶を濁す訳には行かないのです。続きます。

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2020年12月22日 (火)

3866 大人の役割

投稿者は、今度誕生日が来ると満70歳ともなりますので立派な年寄りです。さて自分の来し方を見ても、何を成し遂げて、何が成し足りなかったのかを考える時、忸怩たる思いに苛まれます。特に、若い人を育てる事に於いては後悔しきりです。自分自身の子供たちを含め、会社員時代に部下となった人たちを育てると言う視点をあまり強く持っていなかったと猛省しているのです。若い人たちは、勿論放っておいても自ら考え、力をつけてい行くタイプの人たちも少数は居るのでしょうが、大半は大人(や年寄り)が導いてやる方が良く伸びる事ができそうに思うのです。
大人の役割としては、勿論全てのお膳立てを整えて、若い人達にそれを与える事ではありません。そんな事をしても、彼らの力がつかない事は明らかでしょう。何故なら、それでは彼らが自ら考えて行動すると言う能力が使われずに、大人に甘えてしまう事に慣れてしまうからです。そうではなくて、大人が準備すべきは、若者たちが行動を起こしたくなる、あるいは行動を起こさざるを得ない状況を演出してやることだと思うのです。勿論、最初は少し努力をすれば行動し、結果が出るような課題が望ましいのでしょう。そして、彼らの能力も、課題の難易度も同時並行にステップアップすればなお理想でしょう。とは言いながら、課題には歯応えがありすぎて、若者が挫折してしまう様なものも必要でしょう。たとえ一度挫折しても、その後に力をつけて再挑戦するかも知れません。だから、大人の役割は、もし挫折してもそれが今の実力であり、研鑽を重ねればやがてクリアできる筈である、と若者を励ましてやることだと思うのです。
さて衣食住など、今の生活に不都合を感じていない若者は、自分の内側から出てくる「渇望」に不足していますから、当然の事ながら課題など見えにくいでしょうし、向上心も弱いと想像しています。しかし、世の中、特に世界を見回すなら課題は山積している事に気が付くでしょう。それを国連が取りまとめたのがSDGsであり、大きくは17個のカテゴリーの169個の到達すべきターゲット(=ゴール)を定めたのでした。それも2030年までのゴール到達を目標にしていますので、まさに今の若者に向けた課題でもあるでしょう。とは言いながら、その範囲は気が遠くなるほど広く、気が遠くなるほど高い目標なのです。全世界の国々は、軍拡競争や何の役にも立たない宇宙ビジネスなど直ちに中止し、それらのゴールを目指して直ぐにでも行動を起こさなければならない時期なのです。年寄りは、自分たちの幸福はかなり削ってでも、若者たちがそれらの課題に立ち向かうステージを整える事に最大限注力すべきだと思うのです。

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2020年12月19日 (土)

3865 仕事と遊び2

仕事は仕事、遊びは遊びと割り切るのか、あるいは仕事≒遊びの理想を追求するのかは、人夫々の考え方があるのでしょうが、究極の理想は仕事≒遊びで、かつその仕事≒遊びが誰か他の人や社会の役に立つことでしょうか。更に言えば、その仕事≒遊びが、社会の持続可能性の維持・向上に寄与する事であれば万全です。その意味で、投稿者は持続可能性を壊す技術屋を辞め、「環境屋」を目指したのでした。つまり、50歳の時に一度立ち止まって、じっくりと周りを見回してみて、環境屋が最も持続可能性の維持に貢献しそうな気がしたのでした。
他の人や社会に役立つためには、やはり利己を捨てて利他を追求していく必要があるでしょう。とは言いながら、投稿者は年金生活者とは言え、家族を養っていくために、いくばくかの仕事をこなさなければならない立場でもあります。そのために、環境経営システムの審査員の資格を取り、それを主な仕事としているのですが、実際のところ仕事=遊びとはなかなか一致出来ないでもいるのです。その他の仕事、例えば学校や市民向けの出前講師などは、ボランティアベースの活動ですので、結構楽しくこなしてはいるのですが、何しろ前者はしっかりとした料金をいただいていることもあって、かなりの責任も感じてのやや重い仕事ともなっています。
その意味では、純粋な仕事にはしっかりと責任もついて回りますが、一方で仕事≒遊びに責任を負わせる訳には行かないとは言えるのでしょう。とは言いながら、考えてみれば私たち現世代の全員には、今ある環境を悪化させずに子孫に残していかなければならないと言う責任が負わされているのも間違いはないでしょう。ならば、投稿者としては、その責任を果たすべき仕事≒遊び≒環境保全活動となる様に、精々頭と体を使っていくしかないと考えている今日この頃です。

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2020年12月17日 (木)

3864 仕事と遊び

お金のためや誰か他人に命ぜられて仕方なくするのが「仕事」、そうではなくて、楽しい事や逆に辛くても自分だけのために進んで何かするのが「遊び」だと、マーク・トウェインが、トム・ソーヤに言わせています。確かに、多くの仕事は気が重いもので、出来れば早めに切り上げたいと感ずるもので、それから解放されれば、ホッとするものなのでしょう。仕事とは、その意味ではストレッサーでもあり、多くの人は仕事に関しての悩み事を抱えている場合の多いと想像しています。
それに対して、遊びに関しては、時間が無いとか、小遣いが足りなくなると言った悩みこそ聞くことはありますが、遊びや趣味そのものでストレスを感じたり、ましてや精神的に追い込まれるなどの心配は無用でしょう。もし万が一そんなことが起こるのであれば、それを諦めて別の趣味を始めれば良いだけだからです。
一方で、仕事であればそんな簡単に放棄する訳にも行かないでしょう。自営業やフリーランスならいざ知らず、サラリーマンである限り、雇用契約と言う文書に書かれた義務に縛られ、殆どは勤務する時間帯にも縛りがある事でしょう。とは言いながら、今度のコロナ騒ぎで、後者については少し様子が変わっては来ましたが・・・。
さて、投稿者に関して言えば54歳まではいわゆるサラリーマンでしたが、その縛りの中でも30代の中盤以降は、その仕事の中に楽しみ(遊び)を発見しようと努めてはきたものでした。55歳の誕生日を以って、サラリーマンを辞して完全な自営業として独立しましたが、以降は自分で自分を縛る「仕事」とその中で環境に関しての学びを追求する「遊び」を両立させてきたと振り返っています。
そうなのです、親や他人に言われ押し付けられる学びは「勉強」と言う仕事であり、多くの人にとっては苦痛でもあるのでしょう。しかし、自ら進んで知識を増やしたいとの「内なる欲求」から行うのは「学習」と呼ぶべきであって、実は楽しみでもある筈なのです。ましてや、その学習の結果得たものが、自分や他人の役に立ったことが確認された場合には、人は大いなる達成感を得ることもできるのです。
理想を言えば、投稿者の様に仕事≒趣味(学びと言う遊び)であると認識して日々を過ごす事ですが、たとえ一介のサラリーマンではあっても、一度仕事を通じて得られた知識や学び、あるいは気付きを体系的にまとめてみれば、昨日とは少し違う人間に成長できる筈なのです。それに近づけば、仕事≒遊びの理想に、少しは近づく事につながると思うのです。

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2020年12月13日 (日)

3863 コロナ騒ぎ

感染者数が過去最多を更新といったセンセーショナルなニュースが日々流れています。しかし、陽性者の絶対数のみに一喜一憂するのはどうかと思っています。と言うのも、そもそもPCR検査の絶対数と検査数に対する陽性者の率(陽性率)と言う指標も同時に眺めなければ、陽性者数だけでは感染拡大の様子は判断できない筈なのです。つまり、検査数が1日当たりに1万件しかできなかった初期の頃に比べ、現在では平均的にも日々5万件以上の検査が実行されているわけで、初期の頃の一日当たり1000人の陽性者と現在の4000人レベルでは、感染の状況にはそれほど差が無いとも言えるのです。
ちなみに、現在の陽性率は全国平均では低い方の4%台であり、感染が急拡大していると見られている東京でも5%を少し超える程度に留まっているのです。確かに新型コロナウィルスの感染力は、季節インフルに比べても数倍強いと言われており感染も拡大しているのですが、それがこれまでの季節インフルの状況に比べて必ずしも極端に異常であるとも言えないでしょう。
重症者や死者の数については、確かに例外的に若い世代にも犠牲者は出ているのですが、大多数は高齢者でしょう。今は、コロナ禍でパニック状態ですが、毎年この時期になると「高齢者施設での季節インフルへの集団感染で、何名が亡くなった」とか言ったニュースが度々流れている筈なのです。その原因ウィルスが、今年は季節インフルの代わりに新型コロナになっただけとも言えそうなのです。日々報じられる新型コロナの陽性者数や犠牲者は、例えば昨年の同時期の季節インフルに比べてもかなり多くはなっているのでしょうが、現在の様にパニックになるほどの異常事態とも思えません。新型コロナの感染力は確かに強いにしても、強毒性のウィルス株は宿主(感染者)自身が亡くなってしまう事もあり、感染を繰り返す内に徐々に弱毒化すると言う傾向は定説にもなっている筈ですし、いたずらに報じられる感染者の数だけに踊らされパニックになる事態だけは避けたいところです。事実、あの豪華客船が着岸した今年の初めには、日本中がパニックになりかけましたが、今や殆どの人々が新型コロナ慣れをしてしまっている状況になりました。数字だけに一喜一憂すること無しに冷静に暮らしを続けたいものです。

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2020年12月10日 (木)

3862 2050年目標?

この国のリーダーが2050年にCO2排出ゼロを目標とする事を宣言しました。ついに、と言うのかやっとと言うのかは別にして、兎にも角にも西欧と肩を並べる事にはなった訳で、環境人間としては一応喜ばしい事ではあります。一応と断ったのは、先ず「目標」と言う言葉で、SDGsも日本語では持続可能な開発「目標」とされていて、オリジナルの「Goals」がお役人言葉で巧みに言い換えられているのです。ゴールとは、ゴールテープを切る事を意味しますから、たとえゴールに1m届かなくてもゴールした事にはなりません、しかし、目標であればたとえ届かなくても、目標の90%は達成できたとどうにか言い訳はできるでしょう。
CO2排出ゼロに至る考え方も大いに問題です。ガソリン車ゼロと言いながら、ハイブリッド車やガソリンエンジンで発電する電動車をEVであると定義するのは、大手の車メーカーの顔色を覗っているとしか言えない抜け道でしょう。同様に、ウランと言う化石燃料を使う原発を、CO2フリーのエネルギーだとしていることも大問題です。原発の建設にも、維持管理にも、廃炉にも多大なCO2が発生する事を無視しているからです。建設や維持や廃炉に使われる重機などが、全て原発が生み出した電気で動かせるとは到底考えられないからです。EVっぽい車や絶対無くして貰いたい原発まで仲間に入れて、なんちゃってCO2ゼロエミッションを宣言しても空しいだけでしょう。
私たちが先ず為すべきは、ライフスタイルの徹底的な見直しでしょう。コンビニに買い物に出かけるホンの数百メートルも歩かずに車に乗り、たった30分で歩ける距離も電車やバスやタクシーに乗る様な「快適移動」であり、暑くても寒くてもすぐに「エアコン」をつける「快適冷暖房」であり、旬でなくとも食べたい食材が手に入る「贅沢食生活」であり、スイッチさえ入れれば電灯でも家電も直ぐに使える「快適電化生活」などを「手放す覚悟」が私たちに求められていると思うのです。1970年代、私たちが消費するエネルギーレベルは、まさに今の半分で済んでいたのです。それでも、オイルショックが起こって省エネに勤しんだことを振り返っています。とは言いながら、その頃の生活に特に耐えられないほどの不便を感じた記憶も無いのです。
ならば、今70年代に近い暮らしをし様と思えば、少しの不便さえ耐え忍べば、エネルギーを半分に出来るでしょう。つまり、移動は可能な限り歩きや自転車で行い、可能な限り衣服や住宅の断熱で暑さ寒さをしのぎ、旬の食べ物を口にし、スイッチを入れる回数を半分にすれば、70年代成生活に近づけるでしょう。それによって、移動や輸送に関わるエネルギー使用量の半減も視野に入り、電力も半減できるので、多くの火力発電所を段階的に減らし、原発を止める政策も視野に入ってくる筈なのです。国は、(国民ではなく)票田となっている企業(業界団体)の顔色を覗った政策しか打てないし、その企業は景気を良くして(消費を増やして)売り上げを上げる事にしか興味がない事は、高度成長期以降の世の中の動きを思い起こせば、誰の目にも明らかでしょう。先ず必要なのは、次世代を思いやりながら、現世代がライフスタイルを見直す行動なのです。

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2020年12月 8日 (火)

3861 夢の押付け

民間の「宇宙タクシー」を使って、日本人として3度目にISSに乗り込んだ中年の星の話題や、何億キロも旅をして小惑星から星屑を持ち帰ったHヤブサの話題がマスコミを賑わしています。それをテレビで見た子供たちは、宇宙に憧れを持ち、少なからずの子供たちは、将来は宇宙飛行士になりたい、などと言った夢を口にしたりもするのでしょう。しかし、これは無責任な夢の押し付けになっている様な気がしてならないのです。そもそも、ISSについて言えば、その寿命は間もなく尽きる筈なのです。実は、初期にはISSは2020年に退役させることが決まっていたのですが、今はその寿命を延長して使用している段階なのです。ISSと言う高々400㎞上空を周回している飛行体が実現できる実験環境としては、せいぜい無重力くらいしかないのです。無重力化でいくら完璧な合金を作ったところで、いくら優秀な薬品を合成できたところで、それが重力下の地上で再現できる訳もありません。つまりは、科学者や化学者の学問的な満足感で終わってしまうのです。それに、それこそ「天文学的」な予算を注ぎ込んで、しかも無理に寿命を延長しながらISSを運用し、その結果子供たちに自分たちも将来ISSに乗り組んでみたいなどと、実現が不可能な夢を見させるのは、まさに無責任の極みでしょう。今のISSの寿命が本当に切れたとして、では世界が協調してもう一度第二のISSを打ち上げるかと問われれば、自国第一主義が蔓延してしまった今の世界情勢では全く考えられないでしょう。つまりISSは間もなく「巨大な宇宙ゴミ」になる運命なのです。
Hヤブサにしても同様です。もしHヤブサの持ち帰った1グラムほどの砂から、科学者たちが期待する有機物や水が検出されたとして、地球の起源の知見が少し増えるだけでしょう。地球への理解が前に進んだとしても、決してそれで目の前にある地球の環境問題や貧困問題が解決できる訳ではないのです。もし、NASAやJAXAの優秀な科学者や技術者や予算のたとえ半分でも、環境問題に振り向けてくれるなら、問題解決(軽減)へのスピードは、格段に上がる筈なのです。
勿論、ISSやHヤブサのプロジェクトには衆目を集めるイベント(祭り)としての意味はあるとは思います。しかし、もはや「祭りは終わった」と考えざるを得ない時期だと思い至るべきでしょう。先ずは、身に降りかかる火の粉を払い、あるいは足元のぬかるみ(問題)の解決しなければならない時代だと思うのです。見果てぬ「無責任な夢の押し付けは」もう打ち止めにしましょう、ましてや、将来ある子供たちに地上の問題から目を逸らさせ、宇宙などに向けさせる無責任は止めにしなければならないと強く思うのです。

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2020年12月 7日 (月)

3860 石油価格

仕事や山登りで結構車で長距離移動をします。環境人間としては、少し控えたいのですが、仕事は致し方ありません。軽自動車なので、出先で度々給油せざるを得ませんが、どこでも最近のの石油価格は低値安定している様に見えます。それと言うのも、背景にはコロナ騒ぎで経済活動が低迷している事があるのでしょう。そのため、いくらこの国のリーダーが2050年のゼロエミッションを宣言しても、石油に対抗すべき「再エネ」拡大の機運がちっとも上向かないのです。
石油価格で思い起こすのは、1970年代の二度にわたる石油ショックです。この時期には、雨後のタケノコの様に、あらゆる再エネが脚光を浴び、実際にもプロトタイプが作られたたりもしました。その頃住んでいた香川県では、NEDOが主導しての太陽エネルギー利用の博覧会(太陽博)も開催されたほどでした。各地で石油に替わるバイオマス(薪やオガライトと呼ばれる木屑燃料やペレット燃料など)も盛んに製造利用されていたのです。しかし、私たちは再び石油価格が下がってくると、その便利さにすっかり溺れ、再エネの殆どを放り出してしまったのです。唯一太陽光発電だけは、いくつかの大メーカーが研究と実用化を続け、ついにはシェアで世界一を取ったのですが、それも大規模な設備投資を行った、DイツやC国に追い越されたのでした。勿論、メーカーが見切るのが早かったバイオマスや風力発電などは、地道に実用化レベルを上げて行った欧州勢にアッと言う間に置いて行かれたのでした。
しかし、指摘しておかなければならないのは、欧州のゼロエミッション宣言とこの国のそれとは雲泥の差があると言うしかないでしょう。と言うのも、よくよくこの国の政策を吟味してみると、例えば車関係では、ハイブリッド車やエンジン付きモーター駆動車もEVと位置付ける様ですし、多量の石油エネルギーや電力を使って設備を維持管理しなければならない原発もゼロエミッションエネルギーと位置付ける様なのです。これでは、「まがい物のゼロエミ」と呼ぶしかないでしょう。投稿者の願いは、一日も早く再びの、そして未来まで続く「石油ショック=石油価格の高値時代」が到来する事なのです。それによって、石油を使う製品や運輸やサービスが割高となり、再エネや地産地消の強い追い風が吹くでしょうから・・・。

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2020年12月 2日 (水)

3859 振り返り

このブログも、2006年にサラリーマンをかなり早めに卒業し、自営業になった(環境人間に脱皮した)時から書き始め、15年目に入りました。この間、環境は如何にすれば保全できるか、あるいは改善できるかに関しほぼ毎日、ある時期以降は書ける日には毎日書き続けてきました。単純計算では、365日書き続けて10年分以上となりますが、振り返ってみると、投稿者が目指す方向も少し変わって来た様な気もします。
つまり、初期には主に省エネ・省資源(リサイクルを含む)を環境保全と捉え、これらについて企業や市民や学校での啓発活動に力を入れていたのでした。しかし、これでは環境悪化に掛ける歯止めも限定的で、環境悪化に至るスピードを僅かに遅らせる程度の効果しかないことに気が付きました。勿論、例えば省エネは重要で、もし50%の省エネが達成できれば、現状もままでも再エネ率は2倍に跳ね上がりますし、おぞましい原発も即時停止可能でしょう。
しかし、省エネと同時並行で進めなければならないのは、再生可能型エネルギーの使用率を、大幅に(最終的には100%に)引き上げる事なのです。幸いにも、この国の政府も重い腰を上げ、やっと2050年の目標としてRe100を掲げてくれました。勿論30年後の約束なので、今の政治家は多分全員お隠れになっているでしょうし、今現役の人たちも殆どが退役している事でしょう。それでも、今せっせと種を蒔かなければ、30年後の収穫は期待できない訳です。
なので、投稿者としては、先ずは庶民や中小企業が取り組もうとすれば手が届く、「中小規模の再エネ」に注目し、先ずは自分で実践できる範囲から行動を始めたと言う次第です。とは言いながら、今後何年間活動的で居られるかはっきりとは見通せない年齢にもなってしまい、少し焦りを感じているところでもあります。しかし、個人に出来る事は限られても居ますので、取りあえずは、あらゆる機会を通じて、大幅な省エネと、合わせ技での再エネ普及を叫び続けているのです。多分、70歳代後半くらいまでは意欲が続くでしょうが、それまでにはいくつかのタネの芽を出させたいとは思っています。

 

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2020年11月30日 (月)

3858 セミ環境企業

真の環境経営の方向に進んでいて道半ばの企業を、仮に「セミ環境企業」と呼ぶことにします。そのための条件としては、いくつか挙げられますが、ここでは原材料とエネルギーに着目して考えてみます。
先ず原材料ですが、例えば金属は厳密に言えば、たとえリサイクルはするにしても、地下資源には違いはありませんし、リサイクル率にしても金(ゴールド)等は別にして、100%の達成はとても無理ですので、やはり消耗する資源と呼ぶしかありません。例えば、リサイクルの優等生のアルミや鉄にしても、再溶解の過程でノロ(酸化物)が発生しますので、これは埋め立て処理しか方法が無いでしょう。これは立派なごみであり、環境への負荷そのものです。金属に替わる材料として、例えば、高密度に圧縮し形状固定した木材であれば、ほぼアルミ並みの強度が出ると言われています。木材は方向性のある材料の代表ですが、貼り合わせて複合材の様に用いれば問題無いでしょう。この木材は、リサイクルも進めますが、使えないものは最終的には燃料として利用(サーマルリサイクル)すれば、熱とCO2に戻りますから、使った木の分だけ再度山に植林してやれば、CO2もリサイクルが可能となるのです。(CO2:カーボンニュートラルと呼びます)勿論、企業は、木を利用するだけではなく、森林の再生にも関われば、環境企業の姿勢としては完璧でしょう。また、木材が姿を変えて「紙」としての利用にも将来性が隠されています。紙は、建築資材としても注目されているからです。貼り合わせた紙は、天然物による「複合材」と呼べる強度を実現できる素材でもあるのです。
さてエネルギーです。木材を原料として利用する企業では、廃棄される製品から外した木材や製品にならなかった端材や切り屑などを燃やせば、熱エネルギーや電気エネルギー源として「バイオマス」をリサイクル利用する事になります。これに加えて、工場の広い屋根を利用して太陽光発電や太陽熱利用を進めれば、工場で使うエネルギーの2-3割程度は再エネで賄える筈です。加えて、製造プロセスの省エネ化を徹底的に追及すれば、再エネ率50%(Re50)も見えて来るでしょう。
地下資源ではなく、天然物を原材料として用い、再生可能型エネルギーを使って製造するセミ企業が増えて来て、その割合が一定以上となった企業については、例えばISO14001の様な認定制度によって認証、し製品にも表示できる様にすれば良いでしょう。

 

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2020年11月28日 (土)

3857 環境経営

「環境経営」、考えてみれば抽象的な言葉である。事典的に言えば、「環境保全に配慮した企業経営」などとなるのだろうが、では一体環境保全とは、何をどうするのかと言う定義は非常に難しいものになるでしょう。そもそも、環境に全く負荷を与えない社会活動や企業経営などは考えられない筈です。何より人口が70億人をかなり超えてしまった人類の存在自体が、日々地球の環境に負荷を与え、悪化させている事を考えれば、資源を使い、製品やサービスを提供し続ける事によって、存続している企業が、環境負荷を発生させないことが、そもそも無理な話ではあります。
百歩譲って、それまでに環境に与えて来た負荷を、少しでも下げながら経営を行っていく事を、「なんちゃって環境経営」と呼ぶのであれば、それなりの経営スタイルも考えられそうではあります。つまりは、省エネ、省資源や廃棄物を圧縮しながらこれまでの経営を続けていくアプローチです。これは、ISO14001やEA21などの環境経営システムのガイドラインを遵守し、認証を受けながら経営をすれば、一応社会からは、なんちゃって環境経営企業としての認識は受けられるる事でしょう。
しかし、真の環境経営は別物だと思うです。真の環境経営とは、投稿者の定義では、それは完全に再循環が可能な自然物(例えば木材などのバイオマスや農産物)だけを原料とし、完全な再生可能型エネルギーだけを使って、生産や流通やサービス提供を行う場合にだけ限定されると考えているのです。この様な企業からは、CO2も廃棄物(埋め立てごみや焼却ごみ)も一切出ない筈なのです。とは言いながら、この様な企業は現代社会では間違いなく存在できないでしょう。勿論、例えば江戸時代以前には、それが数多く存在していたのも事実です。何故なら、この時代に石炭や石油は使われいなかったし、原料としてもほぼ自然物だけが使われいたからです。輸送に要するエネルギーも畜力や人力、遠くに運ぶのであれば風力(帆船)などしか無かった訳で、自動的に環境経営とならざるを得ない時代だったのですから。
現代社会で、この様な真の環境経営に実行は無理だとしても、方向としてそれに一歩でも近づけることは可能な様に思えます。つまり、部分的に自然物の原料、再生可能型エネルギーに転換していくアプローチです。つまりは、部分的な環境経営です。これを、ここでは「セミ環境経営」と呼ぶことにします。具体例について続きます。

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2020年11月27日 (金)

3856 Re100?

腰が重いこの国も、国際世論には抗しきれず、ついに2050年CO2排出ゼロ≒再エネ100%(Re100)を宣言するに至りました。とは言いながら、中身について言えばなんちゃって排出ゼロであって、厳密なRe100にはなっていないでしょう。それは、相変わらず原発にこだわりCO2フリーエネルギーと位置付けていますし、廃炉計画も有耶無耶なままとなっているからです。真のRe100とは、エネルギーの源を100%太陽光に依存する社会を指すからです。勿論、CO2を排出しない、地熱や天体の動きによって生ずる潮汐エネルギーなども際エネに加えてもは良いでしょう。しかし、原発は建設にも廃炉にも多大なCO2を発生させますし、何より大量の放射性廃棄物の発生は、その処理において全く持続可能ではないと銘記すべきでしょう。
Re100に近づくために必要な行動は、先ずは社会が私たちが消費するエネルギーを今の半分以下にすべく徹底的な省エネに勤しむべきでしょう。資源エネ庁の2017年度のデータでは、この国の再エネ率は16%とされていますが、もし50%削減の省エネに成功すれば、再エネ率は現状のインフラのままでも一気に30%以上に跳ね上がるのです。エネルギー消費を現状レベルのままに放置するなら、2050年どころか、2100年であってもRe100は達成できないでしょう。
次に必要な行動は、都市に群れて暮らすライフスタイルを逆転させることです。太陽光は、緯度の不公平はありますが、世界に遍く注がれます。Re100は100%太陽光に依存する暮らしですので、都市では一人当たりの太陽光の割合は極端に小さくなるからです。一方、田舎では農地では勿論食料生産には100%依存していますが、森林や里山におけるバイオマス資源や住宅であっても、一人当たりの太陽光が利用できる面積は、都会に比べれば2桁くらい大きく取れる筈なのです。言い換えれば、都市生活は最もRe100からは遠い暮らし方だと思うのです。

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2020年11月26日 (木)

3855 断熱・遮熱

エネルギーの熱利用で、最重要な事は、逃げやすい熱エネルギーを出来るだけ留め続けておくことです。「熱・温度」の本質とは、物質の振動の程度の指標であり、温度が高いほど、物質の原子振動が激しくなっていて「熱い」訳です。しかし、周囲温度に比べて温度が高い物質ほど、急激に温度が下がっていきます。その際、物質はエネルギーの一形態である赤外線を放出(放射)しながら冷めていくのです。赤外線は、電磁波の一種(ある波長範囲の電磁波)であるため、いくつかの方法で、その放射を抑制する事が可能なのです。
一つの方法は、断熱材です。断熱の本質は、熱源と周囲温度の間に断熱材を置く事により、温度勾配を小さくすることによって、赤外線放射を抑制しようとするものです。断熱材の一種である衣服は、それによっていくつかの空気層を形成する事によって、体表面からの放熱を抑制するのです。肌着は、体温とほぼ同じ温度になっており、シャツやセーターや外套と外に向かって徐々に温度が下がっていく訳です。
別の方法としては、赤外線を反射させて、熱源に戻してやる方法があります。つまり、光も電磁波ですが、電磁波は反射させることができるのです。アルミを蒸着させた衣服や、ガラス瓶で出来ている保温瓶にもやはりアルミ蒸着が施されている所以です。
いずれにしても、モノの温度を保つには、断熱や遮熱を施す必要があると言う事なのです。暖房で温めた部屋や、逆に冷房で冷やした部屋の温度を保つのに、冷暖房機を連続的に運転するのではなく、性能の高い断熱材や遮熱材を施してやれば、消費するエネルギーは大幅に節約することも可能になるのです。
初期投資のみにこだわり、断熱材や遮熱材をケチれば、その家や建物のランニングコストは高いままで推移しますので、ライフタイムコストの総額は、逆に大きくなってしまうのです。この場合のコスト増は、そのままエネルギーの増加=CO2の増加ですので、熱源を何に求めるかと同様に、いやそれ以上に断熱・遮熱性能は重要なファクターなのです。合理的な欧州(取り分け北欧)の住宅に、厚い断熱材使われているのは、我々にとっても大いに参考になるでしょう。


 

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2020年11月24日 (火)

3854 エネルギーの熱利用

エネルギー問題では、とかく電力をどうやって得るかと言う問題だけがクローズアップされがちです。つまり、化石エネルギーを使ってCO2を出しながら発電するのか、あるいは再生可能型のエネルギー源で作り出すのかと言った論争です。しかし、考えてみれば、電気の形でエネルギーを使うのは、例えば動力利用やOA機器や照明のための電力程度であり、多くの部分は熱としての利用であることに気が付きます。工場でのプロセス加熱、冷暖房、給湯、調理などなどで、我が家の分析では、75%以上は(カロリーベースでは)熱利用となっていたのです。つまり、日々の入浴や給湯、冬季の暖房、短い期間ですが夏季の冷房、調理のためのLPGや電気調理器などにおける熱エネルギーとしての利用が殆どで、照明やテレビなど電力でなければならないエネルギーの割合は10%に満たない程度だったのです。
ならば、エネルギー問題は電力問題ではなく、「熱源問題」であると言い換えができると思うのです。我が家では、ペレットボイラを入れてあるので、熱源としては、太陽熱とペレットボイラで殆どを賄い、調理と非常時のバックアップ用で少量のLPGを使っている程度となっています。寒がりの連れ合いは補助的に、エアコンや電熱暖房機も使っていますが、それは急に冷え込んだ日などに限定されています。
一方で、金額ベースでは、当家のエネルギー毎の割合は、電力:ガス(LPG):ペレット=6:4:3程度となっていて、電力はやはり高価なエネルギー源であることも分かります。北国の冬場は別にして、太陽熱は有効な熱源である事は間違いありません。太陽熱は簡単な仕掛けでお湯に変換する事ができます。リアルタイムで太陽熱を利用するには「ソーラーウォール」と言う、黒く塗った熱箱を設置すれば、80℃程度の温風を得ることもできます。事実、ある工場では太陽熱の利用により、年間の光熱費を半分程度まで低減させた例も報告されているのです。我が家の場合、ぺレットボイラだけで100%の給湯を行うとした場合に比べ、4㎡の太陽熱温水器でその4割程度を補っている計算になります。
見回してみれば、身の周りには低温度の熱源が結構見つかるものです。低い温度は低いなりに利用価値がありますので、石油やLPGが発生する1000℃を超える高温で蒸気を発生させ、それでタービン発電機を回して電気を起こし、発生熱の6割近くを煙突や海水に捨てると言う「効率のムダ」を考えると、全く頭が痛くなります。一方、熱を熱として直接利用する場合、変換しない訳ですから効率100%の達成が可能なのです。

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2020年11月18日 (水)

3853 運ばない社会2

私たちが考えてみなければならないのは、石油に替わるエネルギー源を見つけるのではなく、運ぶエネルギーを画期的に減らす事だと思うのです。モノについて言えば。運ぶことによって1円だってその価値は増えないでしょう。もし運ぶことに何らかの価値が見いだせるとしたら、それはある地域でしか取れない産物や製品を、それを作ることができない地域へ運ぶ場合だけでしょう。それは、決してモノの価値が上がったのではなく、ある地域では運んだ事によって、運賃を掛けても、産地より高い「ある値段で売れる」と言う現象でしかない訳です。
人について言えば、運ばれる(移動)の自由は、かなり大切な権利でしょう。封建時代には、移動はかなり制限されていましたし、海外との往来や交易も、鎖国政策によって限定されたルートしか無かった筈です。しかし、ビジネストリップは別にして、航空運賃を採算ギリギリに下げて、庶民が気軽に海外旅行ができる様になったこの時代には、やや疑問が残ります。つまり、物見遊山の旅行の是非です。若い人が見分を広めるために、一度は海外を見ておくのは確かに意味があります。しかし、お金のある年寄りや若者が、買い物やグルメ食が目的で、頻繁に渡航する風潮は、やはり異常事態と言うしかないでしょう。同じことが、急にお金持ちになった、海外の富裕層にも言えるでしょう。一時のブームを良く表している「インバウンド」や「爆買い」と言ったキーワードには、やはり作られた旅行バブルで生み出された、負のイメージが付きまといます。
そうではなくて、運ぶことや人が移動する要否を良く「吟味」してみる事が必要だと思うのです。その機会は、今まさに直面している「コロナ騒動」によってもたらされたと考えるべきでしょう。コロナ禍は、私たちに立ち止まって考えるチャンスをくれたと考えるべきなのです。モノを運ばず、必要なモノを必要な時に、必要な場所で作ると言う究極の地産地消を目指し、移動の自由を無駄に使わず、数少ない旅行の機会を最大限有効に楽しむことによって、移動に要するエネルギーは間違いなく今の半減以下にはできると見ています。事実として、長距離列車による旅行は一時9割以上減りましたし、航空機による移動は今もそのレベルで留まっているではありませんか。それによって、誰かが死んだとか、気がふれたと言う事は今のところ無さそうではあります。運ぶことに意味は無いと割り切るか、あるいは運ぶ必然性のある場合に限定することにより、物流や人の移動により強い意味が生じるでしょうし、エネルギーの浪費も防止できる筈です。

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2020年11月17日 (火)

3852 運ばない社会

より環境負荷の小さい社会の仕組みとして、ここでは出来るだけ「運ばない社会」を提案したいと思います。投稿者の子供時代、運送の手段としては遠距離ではほぼ鉄道だけ、市内などの近距離の運搬では、少ないトラックや馬車と数多くのリヤカーや人が押す四輪の運搬車が活躍していました。勿論、冬季には箱ぞりや馬が引くソリも多用されていたのです。取り分け鉄道は各地の名産品や農産物や工業製品の交易手段として、輸送の大部分を担っていたのです。
勿論、鉄道貨物などは運賃が結構高く、記憶に残っている限りでは、お小遣いが10円程度だった時代、段ボール箱1個で数百円や千円ほど取られていた様に思います。物価から考えれば、多分今の価値にすれば数千円ほどのレベルだったと想像できます。従って、モノを運ぶのは本当にそれが必要なタイミングに限定され、日用品の多くはそれが消費される地元で賄われていたのでした。今日では、それを敢えて「地産地消」などと呼びますが、それが当たり前だった時代が長く続いたのです。
これが画期的に変化したのは、高速道路網の整備が始まって、国道も拡幅・舗装工事が盛んに行われ、トラック便による物流が格段に増えた時代でしょう。この頃(1960年代の終わり)に、自転車で東北地方を旅行した事がありますが、一桁国道でも、ところどころ未舗装の区間が残っていたのでした。しかし、1970年代に入ると、主要国道に未舗装区間は殆ど解消され、トラックでの輸送量が飛躍的に増大したのです。いわゆるモータリゼーションの大波が起こったのでした。二度のオイルショックやその後の石油高の時期を潜り抜けて、輸送手段はさらに空に広がり、新幹線網の整備も相まって、国内の長距離旅行は勿論、海外旅行も庶民レベルに降りて来たのでした。
しかし、現在までのところ、種々の輸送手段のエネルギー源は、殆ど「石油」に限定されてしまっています。理由は明確で、石油は常温で液体であり、可搬燃料として、エネルギー密度の高いエのはほぼ石油に限定されているからです。勿論ある時期にはLPG(液化石油ガス)車が、市内の配送やタクシーには一部使われてはいましたが、燃費ではその後開発されたハイブリッド車に軍配が上がってしまったので、今は殆ど使われてはいないでしょう。残念ながら、航空機燃料を含め、石油代替のエネルギー源は未だ現れてはいないのです。続きます。

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2020年11月16日 (月)

3851 努力はシームレス

環境問題やそれを含むSDGsによるゴール(目標ではない)の解決には、国や企業の努力は不可欠ですが、だからと言って市民が座して眺めていれば良いと言う訳ではありません。それどころか、市民が主体となって考えなければならないと思うのです。市民ができる事は勿論限られてはいます。しかし、70億をはるかに越えてしまったヒトの数(人口)の力は莫大です。
例えば、レジ袋やストローです。この国でのレジ袋の消費量は、一人当たり300枚/程度で、石油換算にすればタンカー2隻分程度と言われていますが、最近スーパーなどで観察していると、かなりの割合でレジ袋を買わない人が増えている様です。レジ袋の有料化を決めるのは、行政や業界団体ですが、そもそもレジ袋を欲しがったのは、市民の側だった筈です。ストローも同じでしょう。カップから直接飲み物を飲むことはできるのに、数分間使っただけでポイ捨てしてしまうストローを欲しがったのは、歩きながら飲み物を飲みたいと言う市民の我がままだったのです。つまり、環境保全(改善)への努力は、市民こそが主体になって進めなければならないと言う事でしょう。
もとより、企業は消費者のニーズにおもねって売り上げを上げ、シェア拡大を図るために、あらゆる努力を払ってきた訳ですが、それを良いことに、私たち市民はその「我がまま度」をドンドン上げて来たと思うのです。それを逆回しするためには、市民は多少の不便は我慢し、企業はより環境負荷を下げるモノづくりを指向し、国は長期的展望に立ってそれを主導しなければならない筈なのです。その方向さえ正しければ、環境負荷は徐々に下がり始めるでしょう。国の役割をもう一つ挙げるなら、その努力の結果を数字として把握し、必要であれば法的あるいは行政指導上の軌道修正を加える事でしょうか。私たちが環境に依存しなければ生きていけない限り、国、行政、市民の努力は、完全に境の無いシームレスでなければならないのです。今日は短く。

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2020年11月14日 (土)

3850 今更宇宙開発?

ややネガティブな投稿が続きますが、今後の社会を展望する上で、3848、3849と併せ、無駄な人材やお金を浪費して貰いたくないための警鐘であると捉えてください。さて、今話題の宇宙開発ですが、先ず投稿者には、一体何を「開発」するのかが全く理解できません。1960年代の人工衛星やアポロ計画の様に、超大国の国威発揚のプロジェクトならいざ知らず、今更月に人を送りこんで一体何しようと言うのでしょうか。火星に人を送るための中継基地を作る準備?往復数年も掛かる火星へ往還ミッションなど、宇宙空間に浮かぶ完全孤立無援の「密室」の中で、孤独感のあまりついには気がふれてしまう?宇宙飛行士を生み出すのが関の山でしょう。月には、大気が殆ど無く兄弟星の地球とほぼ同じ岩石や砂があり、火星にだって薄い濃度のCO2以外大気らしいものはなく赤ちゃけた大地が広がるだけなのです。呼吸し、食事を摂り、排せつしなければならない人間を、月や火星に送るための生命維持装置の重量はかなりのモノでしょうから、ロケットや宇宙船も巨大なサイズになってしまうのです。
もし学術的な探索がしたいのであれば、月でも、火星でも無人機を送り込むだけで十分でしょう。人を送る意味は、多分ナショナルプロジェクトを成功させ、一人か数人の宇宙飛行士と呼ばれる英雄を祭り上げる事によって、国の威信を示し、衆目をそのプロジェクトに集めるくらいの意味しか考えられないのです。国威発揚だけのために、一体どれほどの人材や機材や予算を投じなければならないのかを考えるだけで、あまりの勿体無さに頭痛がしてきます。
断言しますが、強烈な宇宙線(放射線)も降り注ぐ宇宙空間には無重力と真空と暗黒しかないのです。月や地球以外の惑星に降り立っても、酸素の豊富な大気や液体の水などは存在せず、殺伐とした荒野が広がっているだけなのです。直射日光が当たる半球は高温となる一方、陰になる半球ではマイナス何十度にもなるでしょう。灼熱と極寒の大地なのです。そこに人を送り込む名誉を手にしたところで、問題山積の地球環境悪化の解決には、全く何の役にも立たないのです。そんな人材とお金を注ぎ込むなら、SDGsのターゲットに一歩でも半歩で近づくために振り向けて貰いたいものです。優秀な人材と貴重な予算の浪費にこれ以上黙ってはいては、未来に生きる子孫に申し訳が立たないでしょう。何より、人一倍優れた頭脳と強靭な肉体を持つ宇宙飛行士を、危ないだけで何の役にも立たないミッションに向かわせ、帰還後は無垢な若者や子供にいたずらに宇宙旅行の夢を語らせる「宇宙ピエロ」にしてはならないのです。

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2020年11月13日 (金)

3849 空飛ぶタクシーは飛ばない

昨日に続いてややネガティブな投稿になります。ドローン型や、車に翼を付けた軽飛行機型の空飛ぶ車の発表や再発表が続いています。再発表と書いたのは、思い起こせば1950-60年代にも、軽量化された車に翼を付けた空飛ぶ車がいくつも試作された時代があったからです。その時は、先進的過ぎて、かつ高価過ぎて夢の空飛ぶ車で終わったのでした。しかし、今回は特に車メーカーも力を入れて開発に邁進していることもあり、実用に近いものが急速に続々と発表されている様です。特にお隣の韓国では、ナショプロと位置付けて、開発のピッチを上げていると思われます。
しかし、元技術屋の目で見ても、空飛ぶ車程危険な乗り物は存在しないと言えるのです。その前に、そもそも私たちは二次元で動く車の事故さえ無くすことには成功していない事実を直視すべきででしょう。事故にはいくつかのファクターがあるのでしょうが、大きくは1)車自体の劣化や故障によるものと、2)運転者の操作ミスに起因するものが挙げられます。ここでは豪雨などの天候異常や地震になどの3)天変地異によるファクターは除いていますので、いわゆる人為的な原因によるものだと言えるでしょう。
2)のファクターによる事故を防ぐためとして、いわゆるスマアシや自動運転車なども開発されては来ましたが、1)の車載コンピュータの誤作動や、アクセル・ブレーキ系統の故障に関してはほぼお手上げ状態だと言うしかありません。何故なら、運転者は車のメンテナンスにはできるだけお金は使いたくはないし、同じ車をできるだけ長く使い続けようとする傾向にあり、結果として整備不良の車も多く市中を走り回っていると想像されるからです。
一方、空飛ぶ車に関して言えば、3次元の自由度を持った乗り物であることを忘れてはならないでしょう。飛行体が急激に高度を失い、地面にハードに着地する事を墜落と言いますが、空飛ぶ車の事故では圧倒的にこれが多いと想像できます。そもそも、ヘリの様に機体の最上部のプロペラがあるものは、力学的には浮力の下に重心があり、吊り下げ型なので安定していますが、それでもヘリの事故は耐えません。一方で、ドローン型では浮力と重心がほぼ同じ高さにあるため、基本的には不安定な乗り物だと言えるでしょう。もし、突風に煽られたり、いくつかのローター(プロペラ)が止まってしまった場合、この大型のドローンはバランスを失って、墜落は免れられない筈なのです。飛行体のクラッシュが乗員に甚大なダメージ(多くは死亡事故)を及ぼす事は、折々の飛行機事故の報道でも明らかでしょう。日々快晴で無風が続く筈もありません。山国でもあるこの国では、複雑な風も吹くでしょう。雷雲が来ればダウンバーストも発生するでしょう。そんな気象条件の中を飛ぶ空飛ぶ車は、まるで宙を舞う木の葉の様なものだと言うしかありません。そんな危なくて、しかも天気の良い日にしか乗れない不便な乗り物が、ブンブンと空を飛ぶ時代など絶対来ないと断言しておきます。

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2020年11月12日 (木)

3848 水素社会は来ない

このタイトルもこのブログですでに取り上げてはいますが、最近水素社会の話題がマスコミにかなり頻繁に登場します。先駆者と言えるTヨタ自動者は、時代に先駆けて早々とFCV(水素自動車)を開発してしまったので、水素社会の旗振りをせざる得ない立場だとは思います、しかし、冷静に眺めてみるといくつかの障害が横たわっている事に気付きます。例えば、1)水素をどうやって(どんなエネルギーを使って)作るのか。2)コストはEVと競合できるのか。3)水素インフラをどうやって拡大するのか。4)可燃ガスをボンベに入れて動く車に搭載する危険性をどう回避するのか。などなどです。
更に詳しく言えば、1)は完全な再エネを使って水の電気分解を行って手に入れない限り、炭素フリーエネルギーとは呼べない「まがい物」になってしまいます。現状は、主に石油改質法での水素製造ですので、プロセスからは大量のCO2が出ます。2)EVでは再エネ電力をそのまま動力源として使えますが、水素は先ずその再エネ電力を使って水素を作って、更にそれを、多分化石燃料を使うタンクローリーで流通させる必要があります。つまり、EVよりエネルギー単価が安く炭素フリーになるはずなど無いのです。3)インフラの拡大には、ユーザーの拡大が同時並行で進まなければなりません。しかし、スーパーカー並みにバカ高いMiraiの価格を、今の1/10まで下げられるとも思えませんので、FCVの普及は遅々として済まないでしょう。従って水素ステーションが増えるスピードも遅く、大都市近郊やTヨタの息が掛かっている地域に限定されるでしょう。4)では、現状水素は高圧(100気圧以上)に圧縮して、炭素繊維でグルグル巻きにした金属タンクに入れて車載しています。水素吸蔵合金に水素を吸わせればかなり安全なのですが、これは重い割に吸蔵能力が低く(航続距離が短く)、全く実用的ではありません。FCVが一旦事故を起こせば、ガソリン車よりさらに危険な「爆発事故」となるでしょう。絶対にタンクが壊れない様にするためには、戦車の様に頑丈な(重たい)車にするしかないのです。
いずれの障害も10年や20年で解決するとも思えませんので、投稿者の結論は「水素時代は来ない」です。少なくとも水素自動車時代は来ないとの確信は持っています。

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2020年11月 2日 (月)

3847 登山道

今日、ZOOMミーティングで新しい言葉に出会いました。「日本道」です。これは、華道や茶道や柔道などと同じく、日本の文化を学ぶことを道として究めようとと言う活動の事をさします。そこ(のコミュニティ)では、大きくは次の7つのカテゴリー(道)に分けている様です。
1、日本人が使いたい大和言葉
2、日本人が知っておきたい神話と天皇
3、日本人が生活に生かしたい和食と和食文化
4、日本人が守り抜きたい文化伝統
5、日本人が大切にしたい神社仏閣
6、日本人が誇りにしたい偉人
7、日本人が語り継ぎたい出来事
これに全面的に賛同する訳ではありませんが、いわゆる思想の右左の様に、イデオロギーを振り回すものでなければ、敢えてこのカテゴリー分けに反対する理由はありません。少し偏っている感じは否めませんが。それに加えるならば、投稿者が唯一の趣味と自認している、「登山」のまた「道」になり得るのでないかとふと思いました。登山は、古くから山岳信仰として、人々のココロの拠り所になってきたと思うのです。仕事の忙しい庶民の代表として、山伏と呼ばれる少数の人々が山に入り、修行を重ね、その成果や山々に棲む神々のお告げを里に住む庶民に分け与え、里で亡くなった人々の魂を山に送り届けるために、各戸を訪問して回ったのでした。今も少数の山伏は、各地で活動は続けてはいますが、その風習も文化もやがては忘れ去られる運命にあるのかも知れません。
しかし、参詣道や登山道や修行の道も、人がそこに足を踏み入れ、少しばかり手入れをする事により、道としては残り続けるでしょう。ならば、そこに若い人を含めて立ち入り、登山を続ける中で、伝わる文化もあるのではないかとも思ったのでした。何より、山深い、あるいは標高の高い森林限界を超えた尾根を、時には雨に打たれて歩く事により、自然との一体感の様なものも醸成される筈なのです。人間は、自分と一体と感じた自然を敢えて破壊する様な事を直ちに止めるでしょう。自然破壊は、人間が自然を離れて、そこにあった自然を一度壊して、都市と言う人工空間を作った時から始まったのですから。自然に畏敬の念を以って接し、それを保全する活動を考える中で、真の「環境保全道」を邁進することも可能になると思うのです。「登山道」は、その入り口になり得るかも知れません。

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2020年10月27日 (火)

3846 カーボンニュートラル

新しいリーダーが、所信表明演説の中で、2050年度カーボンニュートラルを声高に宣言した様です。これで、この国もやっと欧州の環境先進国と「目標ベース」では肩を並べた訳ですが、実情はまだ何も決まっていない「空箱」と言うしかありません。先ずは、原発の具体的廃炉計画と火力発電所、とりわけ石炭火力発電所を止めるための、ロードマップが必要でしょう。
しかしながら、そのアプローチを間違えると、無駄な税金を費やしてしまう可能性も出てきます。つまり、現在の負荷を前提にして、ロードマップを作ると、過剰な投資を招いてしまうでしょう。優先順位は、先ずは「省エネファースト」なのです。先ずは、今より3割程度の省エネを実行しなければならないと思うのです。エネルギーを消費する行動を、先ずは1/3程度減らす努力を試行するか、あるいは今より性能を上げて3割の省エネを実現する機器を開発するのです。勿論優先順位は、節約です。どの様な道筋で考えても、エネルギーの浪費をそのままに、メーカーの省エネ製品をあてにする訳にはいかないのです。ラッキーにも、メーカーの省エネ技術が進歩すると、節エネとの相乗効果で、カーボンニュートラルの時期が早まるかも知れません。
一方で、3割の節エネと機器の3割の省エネ性能向上が実現できたとして、エネルギー消費は今の半分程度にしか落ちません。再エネ率は自動的に上昇しますが、やはり原発と火力発電を無くすためには、再エネのポテンシャルを見つけなければなりません。
一つは太陽光発電です。とは言いながら、今以上原野や田畑をつぶす訳にはいきません。優先順位を「屋根発電」に集中すべきでしょう。屋根は風雨を防ぐ以外には活用されていませんので、助成金を乗せると同時に、義務化も併せて住宅や工場やビルでの屋根発電を画期的に増やす必要があります。次に、太陽熱の有効利用です。暖房給湯に使われる電気エネルギーは膨大ですが、貴重な電気を熱や冷熱を作るのに費やしては、カーボンニュートラルは何時になっても実現できません。太陽熱や地中の冷熱を有効利用する事によって、大幅な電力の削減が可能となるでしょう。もう一つやるべき施策は、なるべく人やモノの移動を減らす努力の背中を押す事です。コロナ騒ぎで、人の移動は随分減ってしまいました。ネットを使った人と人の交流が増えたからです。逆の、ネット通販が増え、流通業の仕事は増え、結果として流通に関わるエネルギー消費もかなり増えたでしょう。しかし、同じルートを別々の業者が走り回り、宅配をする無駄を考えてそれを減らす工夫をすれば、宅配量が増加してもエネルギー消費を抑える事は十分可能なのです。
国には、ぜひこの様な具体的作戦を立て、同時に地方でお金も回り雇用も生まれる様な、工夫のある施策を形にして貰いたいものです。リーダーが、口だけでカーボンニュートラルを宣言しても、誰も踊ってはくれないのです。

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2020年10月24日 (土)

3845 実体無き社会

日々メディアやネットで見聞きする情報の洪水に触れるたびに、果たしてそれらに実体が伴っているのかどうか疑問が湧いてきます。映像になって流れていたとしても、フェイク画像かも知れませんし、実際の映像だったとしてもある意図をもって編集されているのかも知れません。そうでないにしても、カメラのフレームから外れている場面は、そもそも無視されてしまっている筈です。
そういった画像情報と実体との乖離も確かに気にはなりますが、今の社会は、全ての価値を「お金」に換算してから評価する風潮になってしまった点はもっと気になります。例えば、企業の持つ社会的価値でさえ、株価や時価総額と言ったお金と言う指標で評価するしか方法が準備されていないのです。その企業が、長年あまり目立たないながら社会貢献を続けていたとしても、それがお金の価値として評価されていない限り、社会から適正に評価されることも少ないのです。企業の本当の価値は、企業が存続できる(過剰ではない)適正な利益を出し続けながら、その事業が社会から必要とされるものであり、利益の一部を社会に還元し続けているか否かであって、決して事業には無関係の投資などで儲けて、見かけ上の利益を上げているかどうかではないのです。見かけ上の利益だけを追求した果てに、悪しき結果が露呈したのが、あのバブル期とその後の崩壊でしたし、リーマンショックだったのでした。
また、例えばコロナ騒ぎですっかり火が消えた観光需要ですが、その指標としては、何千万人が日本に押し寄せて、彼らがどれくらいお金を落としたか程度の指標しかメディアの表には出てきませんでした。彼らが、この国のどの様な文化や景色や食に触れて感動したのかを示す適当な指標は見つからないのです。まるで形のない、インバウンド客と言う亡霊たちがゾロゾロと通り過ぎた後に残されたのは、使われたお金の記録とごみの山くらいでしょう。毎年毎年右肩上がりで増え続けた観光客の更にこの先を当て込んだ航空業界や輸送業界や宿泊業は、航空機や観光バスや宿泊施設に矢鱈と投資を繰り返し、そうなるであろうと予測された実体の無い数字に帳尻を合わせようと藻掻き続けていたのです。
ネットで日々つぶやかれる大国のリーダーのコメントに踊らされ、ホンの一部しか映されないTVやネット画像に反応し、今や紙幣と言う形さえ無くなったお金と言うコンピュータ上の数字の増減に一喜一憂し、直接会ったこともない人々のネット上の書き込みに脅かされる、バーチャル生活にはソロソロ終止符を打つべき時だと思うのです。実際のモノに触れ、人に直接会って共感し、地に足を付けて実体のある景色の中を歩き回り、五感を使ってそれを感じる事によってのみ、ヒトは生きている喜びを実感できる筈なのです。

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2020年10月23日 (金)

3844 M社の躓き

この国の企業を揶揄する際にしばしば用いられる表現が「技術で勝って、ビジネスで負ける」と言うものです。その意味で、今回のM社の国産ジェット開発の大幅なスピードダウンは、製品を市場に投入する前に、既にこの表現にハマってしまっていたと言えるかも知れません。このブログで何度も書いている様に、製品を市場に出して顧客に使ってもらうには。明確なニーズが見えていなくてはなりません。技術屋経営者が、自社の技術力を確信し、製品開発のプロジェクトを立ち上げたとしても、それを必要とする確固たる市場のニーズが見えていない限りは、売れる筈もないのです。
コロナ前は、確かにインバウンド需要などとも表現される、海外からの旅行客が大挙して押し寄せ、各地の観光地に溢れていたものでした。しかし、その需要(ニーズ)が砂上の楼閣(旅行バブル)であった事は、そのニーズがこのコロナ騒ぎで全く消えてしまった事で明らかになったのです。ビジネス旅行以外の不要不急の海外旅行などは、お金に余裕のある人たちの物見遊山である訳です。旅行客の間に少しでも旅への不安があれば、楽しみと言う旅の価値が損なわれてしまいますので敬遠され、そのニーズなどたちまち雲散霧消していまうのです。
さて、航空機産業で20年余りメシを食ってきた投稿者から見ても、YS-11の後継機である国産旅客機の開発は、いわば航空業界に携わる人々の長年の夢でもありました。後知恵にはなりますが、開発のベストタイミングで、かつ最後のタイミングは、実のところ1980年代だったと今振り返っています。と言うのも、戦時中種々の航空機製造に関わった優秀な航空技術者が、そのまま戦後のYS-11のプロジェクトに関わった筈なのですが、YS-11プロジェクトの中心だった技術者が現役を退く時期が、実は1980年代に掛かっていたのでした。つまり、80年代こそが小型旅客機開発の技術やノウハウが、(失敗経験も含めて)世代を超えて若手に伝えられる最後のチャンスだったとも言えるのです。
それができなかった時代背景で、21世紀に入ってやっと始まったM社の小型旅客機の開発は、技術的にはほぼゼロからの出発となり、開発過程で報道されただけでも5回ほど大きな問題を起こして、その都度スケジュールの遅れも発生したのでした。小さな家電品などの開発とは異なり、航空機は安全性が最優先されるプロダクトであり、製造許可である型式証明を得るのに、数多くのハードルが待ち構えて居た訳です。それを、YS-11の経験者も居らず、たかだか米国の機体メーカーの機体の一部を下請け生産していただけの実績しかなかった企業が、目論見通りに開発を成就させるのは、土台無理な相談だったと言うしかないでしょう。このプロジェクトが今後どうなるかは見えていませんが、例えば航空機産業に全く関係のないお金持ち企業にでも買い上げて貰うしか道は無いのかも知れません。流石の「大M菱」と言えども、1機も引き渡しができていない状況で開発費(=赤字)を垂れ流す負担には耐えられないでしょう。

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2020年10月15日 (木)

3843 AI考

30代に読書人間になって以降、Y老孟司から多大な影響を受けてきました。解剖学と言う切り口から入りながら、脳や体や生物や社会の仕組みをスパッと分析して見せる知性には、最初から脱帽しっ放しでした。その氏が、何人かの知性とAIに関して対談している文庫本はなかなかに刺激的でした。とは言いながら、対談の内容をフムフムと鵜呑みにするのもどうかと思い、自分なりのAIに対しての考え方を書いてみたいと思います。
さて、AIを語る上で欠かせないのは、いわゆるビッグデータでしょう。顔認証AIの場合は、人種。性別などを跨いで、しかも色々な表情変化を集めた膨大な顔データを機械に覚えさせ、機械の中で同一人である事を判定するための「パターン化」を学習させるのだと想像しています。しかし、それは人間の顔認識プロセスとは大きく異なる筈なのです。人間の場合は、人の顔をチラッと眺めただけで、その顔にある特徴的な点を瞬時に把握し、その特徴だけをピンポイントで脳に焼き付けるのでしょう。ですから、目つきにだけフォーカスしてしまうと、鼻や口や頭髪などの周辺情報は飛んでしまう事でしょう。
しかし、機械はそうではありません。顔の特徴を、輪郭から顔の部品まで網羅的に認識するからです。しかしながら、AIの最大の特徴は、顔認識でもそうですが、特定のプロセスが必ずしも、明確ではない点だと思っています。つまり、AI顔認識では先ずは、ある人物と監視カメラの人物とは、95%の確率で同一だとの結論を出す訳です。しかし、それは何故かと問われても、機械がそう言っているとしか答えようがありません。学習を深めれば、確率は向上するのかも知れませんが、どこまで行っても機械の認識と真実との間には、僅かであっても誤差が生ずるのは不可避でしょう。それを、敷衍すると機械が作った「疑似真実」と「本物の真実」との間の乖離は、影響に埋める事は出来ないと結論するしかないのです。
例えば、自動運転車が認識している車の外の状況は、あくまでいくつかのカメラが認識し、コンピュータの中で合成した状況であり、少なくとも人間が認識した状況とは差があるのが当然でしょう。従って、その差(いわゆる機械の誤認識)が原因となる事故が発生するのはむしろ必然でしょう。人間が運転している場合は、もし運転者の過失が原因であれば、事故の検証の結果によって罪の重さが決まりそれなりに明確ですが、自動運転車の場合一体誰が、どの程度の罪を負うべきかが問題になり続けるでしょう。
結局何処まで行っても、人間が直感で処理している、0と1の間の値は、コンピュータには絶対補完できない芸当だと言う当たり前の結論に至りるのです。つまり、機械に虹の7色の間にある無限のグラデーションや自然の中にある無限の環境のグラデーションなどを理解させることは、永遠に無理で、それがAIの限界だと言うしかなさそうです。そんな限界のあるシステムに、私たちの命を100%任せる事など出来ない相談なのです。全く運転ができない人に100%の自動運転車を運転させることなど絶対させてはならないでしょう。続きます。

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2020年10月13日 (火)

3842 百年の計2(世代間エゴ)

百年の計を立てる時に、障害の第一位に上がるのが、世代間エゴでしょう。つまり、まだ見ぬ子孫の幸福よりは、先ずは今生きている世代の幸福が優先されがちになるからです。現世代は、自分たちが今ヒモジイのに、将来世代のヒモジサまでは責任が持てないと主張するのです。しかし、戦後(今や高齢者となった)自分たちの親が、自分たちの食べる分を削っても、子供に食べさせていたことを、私たちは忘れてはいないでしょうか。その頃に比べれば、今はヒモジイのではなく、実は贅沢ができないことを嘆いているだけの様に見えます。
ハレの日ケの日ではありませんが、かつてのハレの日は、盆と正月と祭りの日と祝いの日くらいだった筈です。その他の日は、一汁二菜程度の質素な食事をしていたと振り返るのです。ケーキが口に入るのは、それこそ年に数回、甘いお菓子が思い切って食べれるのは遠足の日くらいだったのです。今、スーパーやコンビニの陳列棚に並ぶお菓子の種類の豊富さと量は、間違いなく度を越えているでしょう。それは、間違いなくコマーシャリズムは、際限なく湧き出してくる人間の欲望を満足させることだけに注力してきた結果でしょう。つまり、ベース食品ではない嗜好品と言う贅沢品の市場だけが突出して拡大してきたと言えるでしょう。
嗜好品の原材料は高価です。例えば、嗜好品を生産するための、コーヒーやカカオや植物油や砂糖などを得るために、途上国の農地がどれほど占拠されているか、それ想像するだけでこれらの嗜好品を口にすることが憚られます。これらの農地を拡大するために、どれほどの原生林が焼き払われているか(環境が破壊されているか)を想像出来れば、二度と口するまい、と思える筈です。しかし、明日になれば私たちはそのことを忘れ、また嗜好品を手に取り口してしまうでしょう。
百年の計を立てるには、私たちは先ずは自らを律する事から始めなければならないのです。そのためには、何が贅沢品あり、何が日常品であるかの峻別から始めなくてはならないと思うのです。考えてみなければならないのは、私たちの多く(殆ど)が、既に贅沢品の中毒に陥っていると言う事実です。例えば、お酒やコーヒーや甘いお菓子やチョコレートを絶つと、かなりの人たちが禁断症状を示すでしょう。禁断症状とは、中毒に陥っている証左だからです。贅沢品の禁断症状を無くすには、原因となる商品を、徐々に減らして行くしか良い方法は無さそうですが、それが将来世代のためと考えれば、それは十分可能でしょう。投稿者としても、まだ見ぬ世代の幸福の事を、一日に一度くらいは思い致しながら暮らす事にしましょう。

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2020年10月10日 (土)

3841 百年の計

ミニ遠征に出ていたためしばらくぶりの投稿です。さて、人間が、今だけを生きる動物と違って、真に人間らしいのは、未来を想像できる点にあると思っています。だからこそ、未来に向かって百年の計も立てることができる筈なのです。然るにです、国の予算を編纂するこの時期に、事実上青天井のコロナ対策予算にかこつけて、役人たちが政治屋たちとつるんで良からぬ策略を巡らしている様なのです。つまり、これ幸いとばかりに自分のテリトリーの予算を目いっぱい膨らませて予算要求をすると言う動きです。お役所の予算は、実績主義ですから、コロナで予算を大きく膨らませることができれば、予算枠が小さくなっても、自分たちの分野の予算の割合を大きくすることが可能になるのでしょう。
良からぬ策略の例の一つが、コロナ予算として、なんと月旅行プロジェクトの予算が計上され様としているのです。その予算要求の「理屈」ですが、月に旅行するための宇宙船では、当然の事ながら宇宙飛行士は、完全に隔絶された空間で長期間過ごす事になるのですが、それはコロナで、患者を隔離する技術を磨くことに資すると言う立派な「屁理屈」をこねている様なのです。もしこんな屁理屈がまかり通るなら、事実上どんな予算要求でも、コロナに引っかけてしまう事も可能になるでしょう。例えば、道路だって、コロナ患者を搬送するために無くてはならないでしょうし、箱物(建物)だってイザという時にはコロナ患者を隔離するために転用が可能だと言えば、必要だと言う屁理屈もこねられるでしょう。
長くても来年の予算や精々数年先の近視眼的な見方しかできない役人や、自分の票集めにしか興味が無い政治屋に、この国の国家百年の計を任せておくことは、どうやら無理だろうとの思いは、今回のコロナ予算を眺めていてますます強くなってきました。では、どうすれば良いかですが、今の選挙の仕組みでは、国民は直接的には如何ともしがたいのですが、しかしダメはダメとして庶民が声を上げていくしかなさそうです。幸いにも、今はSNSの時代です。政治屋も、日々つぶやきを発信し続ける時代でもあります。ならば、国家百年の計としての正論をつぶやいて、それを拡散し続けていくしかないと思うのです。続きます。

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2020年9月29日 (火)

3840 SDGs考2

SDGsのターゲットへの到達に対しては、例えば国が大目標を掲げ、それに企業や個人がついていくと言う計画も立てることができるでしょう。しかし、よくよく考えてみると、国が決めることができるのは精々法律程度で、その法律も規制法と基本法程度しか種類が無いのです。規制法とは、何か悪いことをする輩を取り締まるために、ある行為の○✕の境界を定めて、それを遵守させるための罰則などを設けて誘導するものです。一方で、基本法は「~を~しましょう」と言った,
勧奨のための法律であり、数値目標などが付属する場合もありますが、当然の事ながら罰則などは設けられません。もし、国がSDGsに関する法律を整備し、それを守らせようとするなら、将来この法律の目標が守られなかった場合には、ある種の罰則を科すと言った、これまでには前例の無かった法律を作る必要があるのです。
前例主義のこの国で、未達成の罰則付きの将来目標を示す事などできるとは思えませんので、従って残念ながらSDGsも絵にかいた餅になる運命にあるとしか思えません。勿論、国としても全くの無策で指をくわえて成り行きを眺めている訳ではなく、例えばSDGsを子供たちに学校で刷り込む作戦を考えたようです。これは、非常に時間が掛かる作業ではありますが、個人レベルの意識を持ち上げるにはややマシな作戦ではあります。しかし、年間数時間程度の押しつけの教育で、子供たちの意識が180度変わって、環境意識や差別意識や社会問題を解決する戦士になるなどとはとても思えません。意識を転換するためには、山積する問題を現場に立って実際に見せ、体験させる必要があると思うのです。
海洋のプラスチックごみの問題であれば、死んで打ち上げられたクジラやイルカや魚のお腹から、プラスチックごみが出てくると言う現実を目にする必要があるでしょうし、イジメ問題では不幸にして自殺した子の遺体を目にし葬儀にも出席する必要があるでしょう。格差問題では、マスコミがもっともっとその問題の核心に迫り、報道量を増やす必要もある筈です。
17個もカテゴリーがあり、169もの項目があるSDGsのゴールテープを切るのは、2030年までと言う時間の中では殆ど無理と思えますが、少なくとも私たちはそのゴールが示す方向には走って行かなくてはならないでしょう。省エネが、二度の石油危機で芽生え、定着した様に、SDGsに向けた行動が、何をきっかけに始まり、定着していくのか、SDGsのSの字も始まっていない今、全く想像もできませんが、いずれにしても社会に影響を与えることができる人たち(インフルエンサー)が先に立って、ムードを醸成する事は必須でしょう。投稿者には、インスタもUチューブも使えませんが、当分自分だけでも「一人SDGs行動」を続けていくしかなさそうです。

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2020年9月26日 (土)

3839 SDGs考

講演でSDGsの話をたっぷり聞きました。たっぷりと言うのは、講師によって今世の中で目にできるSDGsの17枚のゴールを示すシールの内のいくつかを表示した製品の紹介がいくつも示されたのです。確かに、産地でカカオの収穫から製品化まで一貫して作られたチョコレート、しかもその包装紙はカカオの殻で作られているとか。また、同様に農園名が明確に示されたコーヒーとかの紹介が数多く紹介されたのです。
しかし、考えてみなければならないのは、SDGsのカバーする範囲は、単に環境問題に限定されず、人種や性による格差問題、貧困などの社会問題など広すぎるし、2030年までの短い期間で、解決の方向が見えて来るような軽い課題でもないのは明らかです。しかし、その目標がいくら高くても、何か行動を起こさなければならないのも事実でしょう。勿論、これを誰か、例えば行政やNPOやNGOなどに任せて、自分は出来る範囲内でそれに協力すると言う態度もあるでしょう。と言うより、殆どの人たちがこの「待ちの姿勢」だと想像しています。
しかし、この様な態度では多分2050年まで待っても事態は変わらないどころか、多分かなり悪化しているだろうと想像できるのです。つまり、環境や社会の悪化・劣化の強い圧力に、ささやかな対策程度ではとても抗しきれないのです。例えば、温暖化効果ガスの排出量の削減です。SDGsでは、排出量の削減目標ではなく、単にエネルギー効率の倍増をターゲットに据えているだけなのです。気候変動に対するターゲットに至っては、数値目標として示されているのは、気候変動の被害に対する援助の額を定めている程度なのです。
つまり、SDGsの枠組みについては、ささやかな数値目標と、締約国が批准できる程度の「総論」しか書いていない(書けなかった)のでした。
それにしても、ささやかなSDGs製品が、いくつ集まったとしても、ESD投資家の投資先には選ばれたとしても、SDGsの目標(もし明確なものがあると仮定して)のどの程度貢献するかの定量的評価などとても無理でしょう。単に、ある企業のある製品が、どちらかと言えばSDGs方向に向いている、と言った程度の表明に過ぎないとしか見えないのです。
そうではなくて、国や企業や個人が、自分の子や孫の世代に、何を残せるか、何を残すべきかを明確な数値として理想を掲げ、その数値目標に向けて、今何処まで進んできたかを、随時示せる様な道標(マイルストン)を描くべきだと思うのです。例えば、企業であれば何時いつまでに再生可能型エネルギー100%(Re100)を達成するのか、先ずは設定すべきでしょう。その上で、どの様な手段やアプローチで、何時迄にどの様な投資を積み上げればそれが達成可能なのか、青写真を描くべきでしょう。続きます。

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2020年9月24日 (木)

3838 正しい目的2

人生のある時期から、目的と手段をできる限り明確にする様に意識してきました。とは言いながら、それが完全にできているかどうかについては、実は甚だ自信は無いのですが。3837に正しい目的は、正しい手段を選び取らせるとは書いたのですが、勿論ある目的を達するための手段は一つではなく複数存在するのも事実です。そうではあっても、やはり正しい目的を設定すれば、手段としても自ずとより正しいものに近づくとも思っています。
例を考えてみます。ここに人間として、より幸福になりたいと言う目的をもって人生を送っている人が居たとします。そのための手段を考える中で、人より多く労働をして、人より少し多くの報酬を得て、人より少し多くのモノを得たとします。しかし、人間としての幸福を突き詰めて考えて行くと、自分自身だけが財産を得て幸福になったと錯覚しても、家族や知り合いが不幸と感じていたり、一方で社会に貧しい人達が存在し、不幸に感じていたことを知ってしまえば、その人の幸福感は急速に萎んでしまうでしょう。つまり、その人が自分だけ人より少しだけ豊かになったとしても、そこにある種の「後ろめたさ」を感ずるならば、幸福度もかなり割引されてしまうのです。
しかし、お金を儲けてモノを買う代わりに、自分の労働時間を少しだけ他の人のためになる事に使った場合はどうでしょう。例えばボランティア活動です。この場合は、たとえお金儲け仕事とボランティアでやった活動の内容が殆ど同じだったとしても、幸福度は後者の方が断然大きくなると思うのです。結局、幸福になる目的の対象を、個人ではなく「自分と関わる他の人たちも含む」と広く正しく定めれば、同じ労働でも報酬を受け取る、受け取らないの違いで、得られる幸福感に大きな差が出てしまうのです。ここでの「正しい目的」とは、結局個人の幸福希求ではではなく、より多くの人々、これに加えて持続可能な環境への希求の様に、より広く正しい意味での幸福追求といったものになるべきだ、と思っている今日この頃です。

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2020年9月23日 (水)

3837 正しい目的

正しいニーズとは、結局正しい目的を持ったものと言い換えることができます。目的を誤ると、間違った手段を選択してしまい、最終的には間違ったゴールにたどり着いてしまいます。例えば、ある集団の人たちは、お金を貯めることを目的に選んでしまい、投機的な利殖など手段を選ばずにひたすらお金を増やすことに熱中してしまいます。
しかし、何度も書いてきましたが、お金とは価値交換の手段に過ぎず、それを多く集めたからといって、それで人生の目的の一つでもある「幸福」が買える訳ではありません。それどころか、お金持ちの多くは、財産を守ろうとするあまり、人間不信に陥ったり、家族との確執を抱えたりすることも多いのです。これは、取りも直さず目的と手段を取り違えた結果の悲劇と言うしかないでしょう。この取り違いは、実は世の中で広く目撃する悲劇でもあります。取り分け、政治の世界では、世の中を良くするという究極の目的を忘れ去り、票を集めて議員と言う身分を維持するためだけに汲々としている政治屋がゴロゴロと目に付きます。
最近のトピックスでは、新型コロナウィルスを封じ込めると言う目的のために、兎に角PCR検査と言う手段を最大限使って、陽性者を炙り出すべきだ、と言う暴論が横行したりもしました。この目的には、新型ウィルスによる症状(COVID-19)を可能な限り軽減できる薬の開発や既存薬の探索が理想でしょう。それが可能になれば、COVID-19も只のコロナ風邪にしてしまう事ができるからです。ワクチンが完成すれば、新型コロナウィルスはすぐにでも終息させることができるなどと考えるのは、全くの幻想(考え違い)であることは、過去のウィルス開発の歴史を少し振り返るだけで、明らかでしょう。
一見、患者数の推移グラフで流行が終息した様に見えるのは、コロナ風邪としてのCOVID-19を、通常の風邪対策(マスクや消毒や3密の回避)を真面目に行った結果であり、加えてウィルスは感染を繰り返す間に自然に弱毒化すると言う原理に従っているだけなのです。正しい目的は、正しい手段を選び取らせ、結果としても正しい結果をもたらすと言えるでしょう。

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2020年9月22日 (火)

3836 正しいニーズ

巷間お客様は神様である、などと言われることもありますが、では、お客が持つニーズは全て肯定されるべきかと問われれば、勿論そうではないと言うしかないでしょう。それは当然です。例えば、極端にお金持ちで、しかも我儘な客が持っている、邪なニーズなどには耳を傾ける必要もないでしょう。
では、何が正しいニーズで、何が邪なニーズであるかの基準ですが、公害や資源の枯渇やいわゆる環境問題がそれほど浮上していなかった時代には、確かにお客様は神様と呼んでも差し支えなかったでしょう。しかし、これは今の時代には適用できないことは自明です。何しろ、今以上の資源の無秩序な採掘による浪費(枯渇)やその結果としての環境悪化は同の様な道筋で考えても、許されることではないのは明らかだからです。取り分け、温暖化効果ガスの排出は、殆ど限界に近付いていると見る専門家も多いのです。
かつては、普通のサラリーマンが、普通に家電や車を買い揃えるのは消費を拡大し、GDPの拡大に有益で、大いに奨励された時代もありましたが、環境の時代には相応しい行動とは言えないでしょう。この国では、現状で既に8千万台以上の車が登録されており、もしそれらを全てそれらを動かしたと仮定すれば、車は道路に溢れ、たった1㎞でさえも走れない超渋滞に陥るでしょう。それは、この狭い国土の国道を全て車の縦列で塞いでしまうほどの数量なのです。大型の中古車展示場には、数百台の車が並んでいることも珍しくはないでしょう。この国の車台数は、殆ど飽和状態だと言うしかありません。もはや、車に対するニーズは、環境の顔色を覗いつつ、遠慮しながら表明すべきものになってしまったのです。
結局。何度もこのブログで繰り返している様に、正しい消費行動(=正しいニーズ)とは、環境の持続可能性に配慮した、必要最小限の「遠慮がちでつつましい」ものであるべきだという事になります。具体的に言えば、メーカーは受注生産を基本に据えて、必要な数量を、必要なタイミングで生産し、一方で消費者はといえば、注文してから商品を手にするまでの一定の日数の間、「待つ楽しみ」を知る必要があるのでしょう。その期間はと言えば、普通の商品であれば数週間、車などの耐久消費財であれば数か月と言った期間を指します。

 

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2020年9月16日 (水)

3835 構造と機能とニーズ

この表題については、以前も「団子三兄弟の法則」として書いた様な気もしますが、どうせ人気の無い随筆日記の様なブログですので、重複しても構わないでしょう。さて、少し誇張はありますが、万事は「構造(Structure)」と「機能(Function)」として説明できると言うのが投稿者の考えです。例えば、脳と言う構造があって、その上で心(精神)という機能が走ります。会社組織と言う構造があって、初めてビジネスが動くと言った具合です。同様に、文法と言う構造があって、初めて言葉が意味を持って機能し、コミュニケーションが成立することになるのです。
今、五感で感ずる事ができるほぼ全ての事象が、この構造と機能で説明できると仮定しても、それでは何故その様な構造が出来たかの説明までは出来ません。何かが欠けています。その欠けているものこそ「ニーズ(必要性)」であると投稿者は気が付いたのです。つまり、何らかの必要性があって、それを満足するための機能を持つ構造が徐々に出来上がって来たと考えた訳です。脳は、進化の過程では、単なる神経節(神経の交差点)に過ぎませんでした。神経が体の隅々までつながっていて、その末端からの刺激(入力)に対して、どう行動すべきかの指令(出力)を出すのが、神経節の役割だったのです。
しかし、その神経節は徐々にですが単なる反射行動の出力だけではなく、種々の判断や少し先の予測、結果としては将来の行動の計画まで思考を巡らす事ができる器官にまで進化したのでした。その原動力としては、進化の過程でより多くの子孫を残し、地球上で繁栄すると言うニーズがあってこそ、脳と言う構造を大きく発達させてきたとも言えるでしょう。言語の発生の初期に、いくつかの単語があったとしても、それを単に並べても他者に複雑な意味を伝える事は出来なかったでしょう。そのもどかしさがニーズとなって、徐々に文法が出来上がり、それを使って微妙はニュアンスも伝えられる文学なども並行進化してきたのでしょう。
もし、今すでに存在する構造と機能、例えば社会や政治や各種のビジネスなどの正当性をチェックしたいと思ったのであれば、先ずはその背景にあるニーズを今一度確認してみるのが近道だと思うのです。戦後、この国の社会があるいは政治システムが今ある様になった背景としてのニーズを見直せば、どの様に軌道修正をすべきかどうかが判断できるでしょう。但し、それはあくまでもそのニーズが、「ある基準に照らして正しい」と判断される場合に限られることは自明です。間違ったニーズは、間違った構造や機能を出現させるからです。正しいニーズとそのに基準に関しては続きます。

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2020年9月15日 (火)

3834 蛹(さなぎ)期

あるZOOMミーティングで、自分の人生を簡単に振り返ってのライトトークを行いました。その中で、人生の曲がり角と言うか、進む方向に悩んだ時期を、昆虫の成長過程である蛹(さなぎ)に例えて、蛹期(ドロドロ期)と呼んでみました。と言うのも、芋虫であった幼虫が成虫になるためには、蛹の状態で体全体を成虫の形に造り替える過程で、体全体の形を無くして、さながら一度ドロドロに溶けてしまうからなのです。その過程は、さながら人間がそれまで進んできた連続した人生に迷い、立ち止まり、新たな方向を模索する姿にも重なるのです。
勿論、ドロドロの中身を持つ蛹になるとは言え、それまで自分を構成していた部品あるいはモジュールまでご破算になる訳ではありません。それらを使い回して、より高いレベルの人間(成虫)となるべく新たな自分を再構成するしかないのです。つまりは、昆虫や甲殻類で言うところの脱皮過程がこれに当たります。脱皮直後は、体の組織全体が柔らかいので、色々な刺激や情報や物質を取り入れて、一回り大きくなる余地も広がります。人間は、肉体的には連続した成長と歳を重ねての衰退の過程を経験しますが、とは言いながら脳とその機能に関しては、脱皮の様な大きな変化が起こる可能性があると信じています。
芸の世界では、ある日突然何かに目覚め、長足の進歩を遂げる状態、いわゆる「化ける」ことがある様ですが、脳も化けると思うのです。化けるためには、天才を別にすれば、凡人は苦しみ、悩み、もがく時期もたぶん必要なのでしょう。実際に投稿者も、人生で何回かその様な時期を経験して今があると思っています。それは、ある日突然、「このままで良いのか自分?」と言った疑問が湧き上がる事から始まった様な気がします。学生時代にも、配転で仕事内容がガラリと変わった時も、会社人間としての自分のサラリーマン人生の,行く末が見えてしまった時にも、テロ事件で自分が関わる業界が否定されてしまった様に感じた時も、同様の疑問が湧き、蛹期に入ってしまった様に振り返っています。
しかし、蛹期を否定的に捉えず、「脱皮のための過程だ」と前向きに捉えれば、もがきも悪い事ではないでしょう。勿論、脱皮するためにはそれなりの蛹の中で自分を作り替えるための準備期間が重要で、必須であることは論を待ちません。問題は、蛹の殻を何時破るかですが、これはまさにその人によるとしか言えません。人によっては、考え過ぎて何時までも脱皮できないかも知れませんし、先ずは殻を破ってからもがきながら行動を起こす人も居るでしょう。人間の自発的な変化の全ては、「このままで良いのか自分?」と言う疑問から始まると思うのです。

 

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2020年9月12日 (土)

3833 コロナ後の社会3

コロナ後でも、私たちの基本的な生活が無くなってしまう訳ではありません。それどころか、社会の7-8割は、社会の基盤を支えるために、慣性を伴うゆるぎない流れを持っていて、事実上止まることも止めることも出来ないでしょう。これを世の中のベースと呼んでおきます。コロナで最も打撃を被ったのは、その上に乗った2-3割の産業だったのです。それは、いわゆるサービス産業と呼ばれる分野です。つまりは、観光や旅客輸送やエンタメや外食産業、接客業など対面でのサービスを提供する商売です。
それらは、勿論不要不急だから人々の接触の機会を減らすために自粛の要請をされた訳で、事実全国レベルの自粛要請でも、私たちはストレスは感じたものの特に生きていくには不自由は無かったのでした。つまり、影響を受けた商売は、社会の余裕の部分で成り立っていた産業だったとも言えそうです。勿論、人間は余裕が無い生活に長期間耐えるのは難しいでしょう。ストレスに弱い人達は、体だけではなく精神的にも変調をきたしてしまうかも知れません。
かといって、バブル期の様に世の中が余裕でダバダバになった時代は、やはり異常だったと言うしかないでしょう。では、コロナ禍の直前の状況を思い起こし、ベースと余裕のバランスがどうだったのか考えてみます。ひいき目に見ても、あれはミニバブル期だったと言うしかないでしょう。世の中には、N銀が増刷した?低金利のマネーがダバダバに流通し、タワマンに人気が集まり、人々は熱に浮かされた様に、国内や海外旅行に出かけたのでした。リーダーが、地球の裏側まで土管を通って出かけ、ピエロ(マリオ?)になってまでオリンピックを誘致・喧伝し、インバウンド旅行客も3千万人レベルまで引き込んだのでした。これをバブルと呼ばずになんと呼ぶのでしょう。90年代が、土地&金融バブルだったとすれば、これは「余暇バブル」とでも呼ぶのでしょうか。
私たちは、ベースと余裕のバランスを取り戻さなくてはならないと思うのです。盆と正月とお祭り程度しか楽しみの無かった時代もありましたが、コロナ禍前のレベルを考えると、余裕の部分は半分程度でも十分に余裕を感じられると想像しています。つまり、旅行や外食や飲み会の回数も半分程度に、日用品以外の買い物を半分程度に減らしても、誰も何も困らないでしょう。それどころか、旅行や買い物の機会が半分減ると、次の観光やショッピングを待つ楽しみが、多分倍以上には大きくなると思うのです。子供の頃、待たされて待たされて、やっと買ってもらったオモチャを手にした時の感動を思い出してみてください。年に一度、クリスマスイブにホールケーキを切り分ける時の、子供たちの狂喜を思い出してください。長い休みの時には、父の親戚や母の実家に泊りがけで出かけた時、大人にチヤホヤされた時のうれしさを思い出すべきです。
コロナ禍を機会に、余裕を削って、少しの我慢を楽しむゆとりを持ちたいものです。サービス業に従事する人たちには申し訳ありませんが、社会の余裕の甘い味の汁を吸う側ではなく、ぜひ農林水産業や製造業に戻ってきていただき、社会のベースを支える側に回って貰いたいものです。
それでなくとも、私たちは既にモノ造りの多くの部分を海外に依存し、建設業や農林水産業では、海外からの労働者にかなりの部分を頼っているのですから・・・。この項一応終わります。

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2020年9月11日 (金)

3832 コロナ後の社会2

新型コロナウィルスが弱毒化してしまったのかについては、素人には判断できませんが、事実として重症化する人や亡くなる人の数が現状の程度であれば、最早「普通のインフル」と同程度ではないかと考えこんでしまいます。確かに、コロナ騒ぎの初期は、重症化した人や亡くなった人の、真っ白になった肺の写真がニュースに流れ、私たちの恐怖心を煽ったものでしたが、最近はそんな映像も殆ど流れなくなりました。一般に行政は、一度振り上げた鉈を急に取り下げてしまう事は出来にくい組織であるため、今の時期になってもなお、毎日のニュースのトップはコロナ色で染まり続けている様です。
つまり、なんとか委員会やかんとか評価委員会などは、一度作られると定期的な会合を開き、それなりの報告書なり議事録をまとめる訳です。行政組織は、それを恭しく受け取り、何らかの行動を起こすことになります。これらの委員会は、事態が完全に終息するまでは閉じられませんので、何時までもニュースネタになり続けるのです。そろそろ、コロナ禍から日常に戻す事を考えるべき時期でしょう。
さてコロナ後の社会です。コロナが、ここまで派手に世の中を乱すのであれば、それを逆手に取って世直しのきっかけにしたいものです。つまり、これまでの社会の流れの中で、底に沈殿してしまったオリ(諸課題)を、全体をかき混ぜる事によって浮き上がらせ、もう一度露わにする必要があると思うのです。例えば、K泉構造改革なるもので、一気に増えた非正規労働ですが、結果としては、所得格差に社会の底に沈んでいまいそうな層を増やしてしまったのは否めないでしょう。何は無くとももう一度「同一労働、同一賃金」の原則を、私たちの目の前にドンと引き出すべきでしょう。
その結果、例えば製造業や一次産業からサービス業への一方的な労働人口の流れにも歯止めが掛かると思うのです。ITやロボットだけで、日本のモノ造りを支える事が出来ないのは明らかでしょう。いわゆる、伝統工芸と言った熟練の技や、手加減などと言うものは、デジタルで割り切るITやロボットには真似が出来ない世界なのですが、それでもこの国はデジタル化に突き進もうと藻掻いているのです。
そうではなくて、これからの労働者には、働くことによって「生き甲斐、働き甲斐」を感ずることができるものにしていく必要があると思うのです。理想的には、単にお金のために働くのではなく、働くことによって誰かの役に立ち、働く方も、便益を受ける方も、双方がある種の「幸せ」を感ずることができ、結果としてお金にもつながる様な仕組みを目指すのです。何でもお金に価値転換するのではなく、現物(物々交換)や労役による代価の支払い、地域通貨などによる価値転換も有効な手段となり得るでしょう。お金による決済は、1円単位のデジタル換算になりますが、物々交換や地域通貨は、双方が納得さえすれば、アバウトで緩い決済でも何も問題は生じないでしょう。さらに続きます。

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2020年9月10日 (木)

3831 コロナ後の社会

コロナ禍を、右肩上がり神話社会(自由主義経済社会)の一つの踊り場とみなし、一服しましょうよ、と呼びかける経済学者の言葉に賛同しました。振り返ってみれば、投稿者が直接目撃してきたこの国の戦後の歴史でも、いくつかの踊り場がありました。例えば、石油ショックや円高不況、バブル崩壊からリーマンショックを経ての長い停滞期などです。しかし、官僚やリーダーたちは、そのたびに我武者羅に「経済対策」をうって、景気を浮揚させることに躍起になったのでした。
さて、投稿者は、日頃から目的と手段の峻別には気を使って生きてきました。戦後の復興期まで遡れば、この国の政治家や経済人の「目的」は、モノや食べ物を潤沢に流通させ、先進国に追いつき、出来れば追い越したいといったものでした。実際、所得倍増計画を打ち上げたリーダーや、「列島改造」を掲げたリーダーなどにけん引され、確かにこの国は豊かになってきたのでした。しかし、資源の少ない国の悲しさで、潤沢にエネルギーや資源や食料を輸入するためには、さながら自転車をこぎ続ける様に、モノを作りそれを輸出し続けなけれなならない宿命を背負っているのです。そうでなければ、スピードの落ちた自転車の様に不安定になって、最悪の場合は倒れてしまうでしょう。
製造業や流通業などには、それでも「イナーシャ(慣性)」がありますが、例えば観光業の様な典型的な「自転車型産業」は、真っ先にコロナ禍の割を食って、バタバタと倒れつつある様です。つまり、スーパーで食料を買って飯を食わないと死んでしまうが、外食や旅行に出かけなくても死にはしない、と言う事なのです。
そこで考えなければならないのは、減速しても倒れない産業や社会構造でしょう。輸出やインバウンド需要だけに頼る産業は、今回のの様な踊り場になると出口が見えなくなりますが、しっかりした国内需要や根強い海外需要などに対応する産業は、骨太で安定するでしょう。要は、2輪ではなく、産業や社会構造を3輪や4輪デザインし直す必要があると言う事なのです。それにつけても、去年と今年に全く経済的な成長が無くて、何が悪いのでしょう。今より悪くならないのは実は良い事だとは考えられないのでしょうか。続きます。

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2020年9月 9日 (水)

3830 コロナから人類への手紙

V.R.Reichの「コロナから人類への手紙」と言う詩が身に沁みました。彼女は、コロナから人類への手紙と言う形をとって、コロナウィルスは、環境が人類に送ったメッセージであり、最初はそれを軽んじていた人類が、やがてロックダウンや自粛などで経済活動を大幅に減速せざるを得なくなった状況を、コロナウィルスが、「さもありなん」と冷ややかに眺めている様を詩に書いているのです。詩人の言葉はシンプルですが力を持っています。
経済減速結果、C国の石炭火力発電所も大幅に出力を絞り、すっかり春の風物詩となってしまった、偏西風に乗ってやってくる黄砂とPM2.5の混合物による大気汚染も随分軽減されたのでした。各地の観光地の人出も大幅に減り、観光客が大量に排出していたごみも随分減った事でしょう。勿論、コロナ前の平常時であれば車や航空機や貨物船から大量に排出されていた筈の排気ガスも同様に格段に減ったのでした。
コロナウィルスによるCOVID-19を単なる伝染性の疾病と捉えず、悲鳴を上げていた地球環境からの警告の手紙と捉えたこの詩は、改めて人類に「環境倫理」を呼び起こさせるものとなりました。冷静に考えれば、私たち人類は、COP会議での目標値やSDGsの17個のゴールを参照するまでもなく、理想の旗印を掲げるのは得意なのですが、各論や実行段階では常に腰砕けを繰り返してきたのです。しかし、COVID-19は「強制力」を以って、私達の経済活動に強力なブレーキを掛けた稀有な例でしょう。勿論、コロナが終息した暁に、経済活動が完全に元に戻るなどと考えるのは幻想でしょうし、仮に出来てもそうするべきではないでしょう。
前向きに考えるなら、コロナ禍の経済活動の制限によって、経済が適正なレベルに回帰したと考えるべきなのでしょう。つまり、この狭い日本に、3000万人もの観光客が押し寄せるなどと言う事態こそが異常なのであり、適正なレベルは、多分その1/3以下であった事が、コロナ禍と言う冷水を被ったことにより、交通インフラや旅館業や飲食業も小売業なども思い知らされたと思うのです。この国は、無理な詰め込み型の観光立国を諦めて、コロナ後に相応しい別の飯のタネを探すべきでしょう。

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2020年9月 8日 (火)

3829 環境倫理

この表題では、過去に何度か書いた気がしますが、似た様な中身になっても何度も書いておきたいとも思っています。そもそも、倫理(学)と言う言葉ですが、ある哲学者によると、「倫」と言う文字は、人と人との関係を表わすのだとか。その理(決まり事)を倫理と呼ぶのですから、つまりは人として行動すべき規範を論ずる学問と言えるのです。
その倫理に、環境を冠すると、つまりは環境と人間の間の理の話になるのです。環境と人間の間の理(原則)ですから、当然の事ながら今人間が行っている様な、環境からの一方的収奪など論外であることは当然です。最低でも、環境を思いやる気持ちを以っての譲り合いが必要でしょう。しかい、具体的にどの様に譲り合うかと言う各論になると、なかなかスッキリした方策は述べにくい様です。例えば、地球からの資源の収奪と言う1点でも、誰がどの資源をどの程度節約するか、と言う議論になると、多分多くの国々は「既得権」を主張して譲ろうとしない筈です。
同様に、使用済みの資源(廃棄物)を環境に放出する、いわゆる「環境負荷」に関しても、先進国の既得権と、途上国の将来の排出権のせめぎあいが生ずるでしょう。取り分け、直接的には目には見えず、人間の五感でも感ずることができない、CO2の排出に関しては、それを抑制しようとする機運は、北欧の少女に叱られても、殆ど盛り上がらない状況です。
ここでの結論としては、時間は掛かりますが、先ずは幼少期から、子供に対しての「環境(倫理)」教育を施す事こそ最重要であると言っておきましょう。幼児だって、人間が環境を如何にイジメているかについては、十分理解してくれる筈なのです。続きます。

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2020年9月 7日 (月)

3828 良いニーズとは

少し前に、あるニーズを充足するために色々なモジュールが出来上がると書きました。例えば、人は生きていくために一定程度の食料を確保し、日々それを摂取して暮らしていく必要があります。そのニーズを満たすために、ある人は自分で畑を作って作物を育てるでしょうし、またある人は流通業を興して、例えばスーパーマーケットを経営するかも知れません。いずれにしても、人は食べ物を口にしないで生き続ける事は出来ませんので、そのニーズを満たすために種々のモジュールが出来上がるのです。
しかし、考えてみなければならないのは、ニーズには良いニーズと、悪いニーズがあると言う点です。良いニーズとは、取りあえずここでは、必要最低限であり、環境への負荷が最小限で、持続可能性が高いものと定義しておきます。逆に悪いニーズとは、これと真逆で、慾深く、自己中心的で、資源を浪費し、持続可能ではないものとなります。
具体的に悪いニーズの例を挙げると、例えば馬力のデカい車に乗って、普通の車をスイスイ追い抜いて、優越感を感じたいと思うと言ったものになります。ネットを使って、楽をしてお金儲けがしたいというのも、悪いニーズの例の一つとして挙げておきましょう。殆ど何もしないで、お金が儲かるいうことは、誰かが知らない間にお金を損していると言う事と同じ意味になりますので、やはり不労所得は、間違いなく持続可能ではないでしょう。その代表例としては、いわゆる株や電子マネーなどを使ったマネーゲームが例示されるでしょう。株を安値で買って、高くなった途端に売り抜ければ、汗をかかずにお金を儲ける事ができるのでしょうが、裏では誰かが後手に回って、損をしている筈なのです。誰かの損の上に、誰かの得が乗っかっている状況は、経済的には合法でも、やはり倫理的には「悪い」ニーズによる、悪いモジュールの働きと言う事になってしまいます。
では良いニーズとそれを実現する良いモジュールの例になりますが、なかなかズバリと言えるものは見つかりそうもありません。と言うのも、人類がここまで繁栄した(得した)裏には、多くの生物の絶滅や、資源の枯渇や環境の悪化などの諸悪が積み上がってしまった訳で、人間の得が環境の損という相反するベクトルの融合点がなかなか見つからないからです。その中では、環境負荷を可能な限り抑制するニーズとそれを実現する様なモジュールが、「あまり悪くはない」例になるのでしょうか。具体的に言えば、再エネの拡大がその例になりそうです。

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2020年9月 6日 (日)

3827 何で食っていく?

結局、長く続いた国の景気刺激策はと言えば、ひたすらお金をダブつかせ、そのお金で株を買わせて株価を上げ、円高を抑制しつつ海外からインバウンド客を誘導する、と言ったものでした。地方創生とか口では言いながら、長距離バスで移動する海外の観光客が、観光地に少しお金を落としたり、時たま港に豪華客船が立ち寄り、慌ただしく何十台ものバスで観光客が動いたリしたものの、何時まで待っても具体的な経済の波及などは見られなかったのです。地方創生とは、ある政策を以って、地方に然るべき産業を興し、雇用を創出する必要があるのですが、一方では地方自治体では相変わらず、税制優遇をエサにした企業誘致くらいしか具体策を持ち合わせていない様です。
真の地方創生とは、地方の中でお金がグルグル回る様な、仕組みを作ることだと思うのです。地方は、地方交付税や個人レベルでは、給与や年金の多くの部分を、中央に吸い取られてしまっているのです。大規模公共事業では中央のゼネコンが采配を振るい、市民はエネルギーや加工食品や日用品や車などに対して、大企業を通じてお金を吸い上げられているのです。
そうではなくて、地方でお金が回る仕組みとは、地方発の再生可能型エネルギーで地域の需要の大きな部分を賄い、地域で採れる食料を地域内で加工しながら消費し、余った分を中央に送って売り、車や設備などを地域内で上手にメンテナンスすることによって、外に出るお金を抑制しつつ、それらを維持するための産業を生み出す必要があるのです。
かつて、何度かヨーロッパを訪れて、優れた仕組みを見学したことがありますが、南ドイツのある村の取組みは特に印象的でした。そこでは、林業、農業、製造業、エネルギー産業などがバランス良く整っていたのです。村内では、山の木を循環的に利用する林業があり、その材を使って村内の住宅や公共施設が村人の手によって建設され、畑ではナタネを育てて、そのナタネ油で車やトラクターを動かし、村内には村外から買ってきたトラクターを林業用機械の改造するための工場まであったのです。結果として、職もあり子育てし易い村の環境が、都会から若い家族を引き寄せ、幼稚園や小学校にでは多くの子供たちが走り回っていたのです。結果として、この村ではお金が村外に出て行かないのです。何より田舎が子育てする若い家族には理想的な環境であるのは間違いが無いでしょう。勿論、年配者にだって暮らしやすいのです。何故、この国では地方創生が、インバウンド誘導しかなく

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2020年9月 5日 (土)

3826 観光業界のシェイクダウン

インバウンドも、日本から海外に出かけるアウトバウンドも激減し、観光(旅行)業界は、このコロナ禍で大きなダメージを受けています。90%の激減などと言う数字は、これまでの連続的な経済活動の中では、激震でパックリと大きな断層が出現した様なショックなのでしょう。断層ですから、元に戻ることはなく、地震が治まった後にもかなりの後遺症が残ると想像しています。大きな地震では、例えば鉄筋コンクリート造や鉄骨造の耐震構造の建物は残るでしょうが、古い構造の華奢な建物は倒壊してしまうでしょう。
お国の旗振りで、急増したインバウンド客を受け入れるために建増しした宿泊施設や、急激に数を増やした旅客機や高速バスと言った設備投資が、このコロナ・シェイクダウンに耐えられるかどうかですが、投稿者としてはかなり難しいと見ています。つまり、減価償却が進んだ設備で対応可能は事業者は残れるのでしょうが、急激な投資で多額の負債を抱えている事業者は、間違いなく資金繰りに行き詰まり、消えて行かざるを得ないと見ているのです。
社会が行動自粛に慣れてくるにつれて、人々は熱に浮かされたかの様に旅行に出かけ、美味しいものを食べ、それを写真に撮って、お土産やブランド品を買って帰るだけの旅行(物見遊山)などのために、何もしょっちゅう出かけなくても生きていけるという事に気が付いたと言う事なのでしょう。
統計データを少し振り返ると、2012年までのインバウンド旅行客は精々1千万人以下のレベルで推移していたのです。しかし、国が突然旗を激しく降って、あっと言う間に(5-6年で)3千万人を数えるレベルまで増やし続けたのでした。さあ次は4千万人だと意気込んだところを襲ったのがコロナ禍だったのです。冷静に眺めれば、数年で3倍に成長する産業など、誰が考えても「バブル需要」でしかないことに気が付く筈なのです。関係者には申し訳ないのですが、バブルは弾けるしかありません。バブル前の、1千万人レベルの設備状態に早急に戻さなければ、観光(旅行)業界は壊滅的な打撃を受けてしまうだろう事は素人目にも明らかです。

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2020年9月 3日 (木)

3825 技術屋モジュール

投稿者は卒業したとはいえ、元技術屋なので、曲がりなりにも自分の中に技術屋モジュールが存在し、残っているはずです。そのモジュールとは、つまりはあるニーズを科学・技術の力を借りて、モノの形で実現するモジュールである訳です。例えば、投稿者は航空機の生産技術を生業としていましたので、設計された航空機の部品をある許容されたコストの中で、品質を保ちながら製造する仕組みを作らなければなりません。設計図と言うインプットにより、実際の部品と言うアウトプットを出す役割を担ったモジュールと言えるでしょう。
つまり、個人の中にある一つのモジュールは、あるニーズに基づいて、一定のインプットの条件下で、ある水準のアウトプットを出すものであると定義できるでしょう。それが、ハードウェア(一部にソフトウェアを含む場合があるが)の製品であれば、それが技術屋モジュールと言う事が言えるでしょう。
しかし、考えてみなければならないのは、ニーズ、インプット、モジュール、アウトプットそれぞれの質でしょう。そもそも、顧客からの滅茶苦茶な「わがままニーズ」に真面目に応え様とする技術は失敗するでしょう。それは、質の悪いニーズに応える悪い製品だからです。同様に、瞬間的に爆発するような「ブーム」によって引き起こされるニーズも、質の悪いニーズと言えます。
一方で、質の悪いインプット(設計図)も、下流に悪い流れを呼び込みます。過去に起こった、多くの事故は、かなりの割合で設計ミスに起因するものも含まれていた筈です。表面に出るミスは、リコールと言う形で公表されますが、水面下には多くの未公表の事故が隠れているのです。また、質の悪い製造(生産)技術も、質の悪い製品を生み出します。しっかり定まってはいない工程、未熟な作業者、製造設備のメンテ不良、不十分な検査、などによって不良品が工場の外に出てしまうのです。
しかし、近年この技術屋モジュールに新たな質判断の基準が加わっています。それは、持続可能性と言う基準です。素材の継続的な調達の保証、製造と製品使用中に掛かるエネルギー消費量、製造工程中と製品使用後に発生する廃棄物の適正な処理など、その製品が環境に与える負荷(インパクト)が、如何に低いかが問われる時代になったのです。その意味で、一例ですが、使用中の環境負荷(化石燃料の消費率)が、鉄道に比べて1桁高い航空機は、やがて淘汰されるべき交通機関だと断言できます。これが、投稿者が50歳の頃に航空機の技術屋を卒業し、環境屋になった所以でもあります。

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2020年9月 2日 (水)

3824 私とは?2

3823の最後に、私たちがある状況に置かれると、その状況に合わせた行動ができる様に、脳の中にモジュールができると書きました。という事は、生まれ落ちてからの脳の発達(自我の形成)に対しては、脳は受動的に対応するとも考えられます。脳が、何か自分で目的を見つけて、能動的にあるモジュールを作り出す事は、普通では起こらないと見ています。
そうであれば、私(たち)の脳に、有効ないくつかの行動モジュールを形成しようと考えた場合、先ずはそれにふさわしい状況の中に身を置く必要がありそうです。勿論、同じ状況に置かれた別々の人間に、全く同じモジュールが育つと言う訳ではないでしょう。一卵性双生児においてさえ、異なったモジュール(個性)が形成されてしまう事でもそれは分かります。増してや、異なった遺伝子を持って生まれた他人においておや、と言う事でしょう。それでも、モジュールの形成には継続的に「良い」刺激が受けれる様な状況(環境)が不可欠であると言う点は変わらないでしょう。
問題は、その状況に「意に反して」投げ込まれたか、あるいは自ら進んでそこに飛び込んだか、と言うモチベーションの違いは、出来上がるモジュールの質に決定的な差を生み出す筈です。つまり、良いモジュールでは、状況の変化に対して「ポジティブ」な反応を起こすでしょうし、出来損ないのモジュールでは「ネガティブ」なものとなってしまうでしょう。良いモジュールの形成に必要で有効なイベントは、多分いくつかの成功体験の様な気がします。それによって、モチベーションが強化されるのは間違いが無い事実だからです。逆に、その状況で失敗が続いてしまうと、歪なモジュールが出来上がってしまうでしょう。
勿論、生まれついての性格(傾向)の様なものもあるとは思いますが、やはり真っ白な脳をある色に染めるのは、幼児期の親の対応であり、幼児期の家庭内でのモジュール形成は最重要であることは論を待ちません。その意味でも、人生で子供一人に対してたった1回しか親になれない身としては、自分の子を眺めるにつけ、数々の失敗を苦い思いで振り返るしかありません。もう一度親をやり直せるチャンスが与えられるなら、良い「子供モジュール」が形成できるのに、と不十分な「父親モジュール」しか持てなかった自分を振り返り反省しきりです。勿論、あれもこれも完全な後知恵ではありますが・・・。

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2020年9月 1日 (火)

3823 私とは?

ZOOMミーティングの続きの雑談で、「私とは何か?」と言う話題になりました。その時は上手く言えなかったのですが、投稿者としての考えは、次のようなものなのです。人は、生まれた時はほぼ真っ白で書き込みの少ない脳を持ってこの世に出てきます。脳は、信号(=入力)を処理して、自分が生き易くなる出力(=行動させるもの)を出す器官ですが、やがて赤ん坊の脳には、種々の「モジュール」が出来上がってくると思っています。つまり、母親や家族との関係で、自分は無力な赤ん坊であると言う自覚?での行動パターンを起こすモジュールです。お腹がすいても、オムツが濡れても、何処かが痒くても、暑くても寒くても、取りあえず鳴けば誰かが何とかしてくれるでしょう。
やがて、物心がつくにつれて近所の子供や大人たちとの間に、社会的な関係が生まれてご近所社会モジュールも出来てくるでしょうし、幼稚園や小学校でもそれぞれのモジュールが出来てくる筈なのです。やがて、学校を卒業すれば、社会人となってサラリーマン(職場)モジュールも出来るでしょうし、友人たちとのモジュールや趣味モジュールも出来てくるかも知れません。投稿者の結論としては、これらを全て括ったものが、自分=私と言うモジュールだと思うのです。各モジュールの中では、何度かの経験を通じて私の行動パターンも決まってきますので、自分以外の人がその行動を眺めて「個性」なるものを発見することもあるのでしょう。
勿論、一つのある刺激(入力)に対して、同じ人が同じリアクションをするとは限りません。その時々で状況が異なるからです。それを、投稿者はモードに違いとして大まかに括ってみました。モードは3つあり、脳のある部位(扁桃核など)が関係していると言われています。その3つのモードとは、「戦う、耐える、逃げる」です。
つまり、人はある状況で行動する際には先ず、その時使うモジュールを選び取り、周囲の状況に応じて、3つのモードの内の一つを選び取ると考えるのです。サラリーマンが、会社に着くと同時に直ちに職場モジュールに切り替わり、退屈な業務を殆ど「耐える」モードで過ごすのです。時には会議で、自分の意見とは異なる意見の人と意見を「戦わせる」モードになることもあるかも知れませんが、戦うモードは持続は出来ないのです。しかし、逃げモードだけを続けていると、やがて自閉的なモジュールが出来て、その中に閉じこもってしまう人も出来てしまうのかも知れません。もしかすると、近年社会に順応できない(出来にくい)人の割合が随分多くなった所以かも知れません。
投稿者としては、私たちに色々なモジュールが出来てくるのは、人がある状況に投げ込まれると、その状況の中で楽(あまりストレスを感じないで)に生きていくために、脳がそのモジュールを作り出さざるを得ないのかも知れないとも思っています。

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2020年8月31日 (月)

3822 宇宙開発???

3821,3822で空飛ぶ車を切りましたが、返す刀で宇宙開発も切っておきましょう。これも何度か取り上げた表題です。「宇宙開発」などとボンヤリ書くと、何か大きな夢のあるプロジェクトの様に聞こえます。確かに、各種の測地衛星や通信衛星、GPS衛星などの様に、もはや日常生活に不可欠になった成果も多いのですが、一方で単に人を宇宙空間に滞在させるプロジェクトや、月や火星に衛星や人を送ろうとする「国威発揚」プロジェクトは、多額の費用やリスクの割には、得られる成果は少ないと感じています。例えば、国際宇宙ステーション(ISS)を見てみましょう。2024年まで運用を続けると仮定した場合、その費用は15兆円を超えると見積もられています。その費用を、新型コロナウィルスを始めとする、各種疾病の撲滅のための研究や、山積する地球環境問題に振り向けることができれば、どれだけその恩恵に与る人々が増えるかを考える時、勿体無さに軽いめまいを感じてしまいます。
ISSの運用開始(2011年)からのそこでの各種実験結果が、今世の中の役に立っている技術に応用されていると主張する人が居るなら、その「費用対効果」の理屈をじっくり聞いてみたいものです。天文学的な費用を掛けた実験の中身は、金よりも何桁も高価な数グラムの合金作成であったり、高額過ぎてとても人には使えない薬剤の製造だったり、単なる無重力下での動物や植物の飼育実験だったりするのです。実験者を宇宙に送る費用や、滞在のための物資を送る費用を考えると、一人当たり、1日当たりの滞在費用たるや、軽く億円単位になると想像しています。
増してや、単に再度人類を月に送るとか、数年を掛けて人を火星に送るなど、莫大な費用と宇宙飛行士の精神破壊などのリスクを考えれば、一体何を考えているのか、本気で言っている人たちの頭の中身を疑いたくなります。
宇宙には、真空と無重力と宇宙塵や強烈な「宇宙線」しか存在しないのです。ISSに長期滞在した人たちのその後の健康状態に対する報告は少ないのですが、長期の無重力状態やISSを突き抜けてくる宇宙線を地上の2桁も多く浴びることが健康に良い筈がないでしょう。トータルで考えても、衛星打ち上げ以外の宇宙開発は直ちに縮小か中止にして、人材と費用を地上の問題解決にこそ振り向けるべきです。特に、かつてISSに滞在した人たちが、宇宙開発を美化し、徒に子供の宇宙飛行士になりたいなどの夢に駆り立てるのは、無責任な罪でもあると言っておきます。私たちの住む(住める)世界は、この美しい地球の表面にしかないのです。

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2020年8月30日 (日)

3821 空飛ぶ車2

空飛ぶ車における本質安全とは何でしょうか。矛盾はしますが、それは空飛ぶ車を高く飛ばさない事しかありません。飛び上がるためには、当然の事ですが機体(車体)を飛び切り計量に設計しなければなりません。という事は、今の車の鉄の車体の様に衝突時には変形して、衝撃を吸収する様には設計できません。精々、乗員や運転者の全身を包み込むような「エアバッグ」で守るしかないでしょう。しかし、高い高度で飛ばすためには、車体を重く頑丈にして、安全装置を何重にも準備しなければならないので、そもそも重すぎて離陸できなくなってしまうでしょう。現在のメタル構造の旅客機も、軽量化のためにグラム単位の「肉抜き」を行って、一人でも多くの乗客を乗せようと血の滲むような努力を傾けているのです。それでも、旅客機がトラブルでハードランディングした際の惨事は、年に何回か事故ニュースの映像で目にしますが、場合によっては機体が原型を留めない程ひどく壊れている事も多いのです。
結局、空飛ぶ車の本質安全を考えるなら、ハードランディングをしても、乗員の命を脅かさない様な高度で飛ばすと言うルールにしなければならないのです。つまりは、現在でも少しは使われている「ホバークラフト的」な乗り物とするしかないのでしょう。ホバークラフトなら、滑らかな道路さえ作れば、数センチから十数センチほど車体を浮き上がらせるだけで済むので、エンジンが停止して着地しても衝撃は最小限で済むでしょう。勿論、早いスピードで移動している場合に、路壁や他の車や人に衝突する危険については、今の車の事故と全く変わらないレベルになってしまいます。
とは言いながら、ホバークラフトが、今走っている車や人と混在する交通システムは事実上考えられないと言うしかありません。空飛ぶ車は、道路との摩擦を使って急停止する事ができず、数十メートルの滑空後にしか停止できません。空飛ぶ車はあまりに危険だと言うしかありません。結局、今の道路とは平面交差しない空飛ぶ車専用の道路を建設し、それを使わせるしか方法はないので、鉄道よりはやや建設費が少なくなるものの、新たなインフラを建設するしか方法は無さそうです。
何処かの駐車場から、目的の駐車場まで、自由に空を飛んで移動できる車など、どの道筋で考えても実現性はほぼゼロだと断言しておきます。早くその事に気付き、空飛ぶ車開発の人材と多額の予算を掛けるなら、今足元にある地球環境問題の解決にこそ振り向けるべきでしょう。

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2020年8月29日 (土)

3820 空飛ぶ車???

ニュースで空飛ぶ車の映像が流れました。見れば、ドローンに人が跨った様なものでした。このブログは批判を目的にはしていませんが、発想の貧弱さにかなり落胆してしまいました。例えば、ヘリコプターは揚力は専ら上部に取り付けられたローターにより発生し、重心はかなり下にありますので、さながら機体がローターによって吊り下げられている様な形態ですが、ドローンに跨る乗り物では、揚力の中心に比べて重心がかなり上になるので、飛行時に風などの外乱が入ると、姿勢が不安定になるのです。ヘリの場合だと、揺れても振り子の様になるだけで、ひっくり返ってしまう事は無いでしょう。無人のドローンで荷物を運ぶ際には、荷物は機体の下に吊り下げるのが原則になっている筈です。
一方で、エンジンが停止した時の非常時を考えても、ドローンは不安定です。つまり、4ローターの場合、ローターの1個が停止してしまうと、残りの3個の揚力で機体を支えることになり、揚力中心が突然移動し、重心との間にズレが生じ、つまりモーメントによって機体が傾いて、結果としては墜落につながるのです。他方でヘリの場合には、エンジンが停止した際には、ベテランのパイロットであれば、急降下の際の気流を利用してローターをフリーローテーションさせ、地上に近づくと、ピッチを変えて揚力を発生させて、地上との激突を回避できるでしょう。
空飛ぶ車が、地上1m以上高度の走行を認めないと言う法律でもできればまだしも、例えば100mの高度で機体にトラブルが発生した場合、間違いなく乗っている人たちは、パラシュートも開けないで高度でもあり、間違いなく命に関わる事態に陥るでしょう。もし、1mと言う高度規制を設けるなら、殆どそれはこれまでに開発されたホバークラフトと何ら変わらない乗り物になってしまうのです。
つまり、全く新しい発想で、本質的に安全な乗り物として開発しない限り、空飛ぶ車など夢のまた夢になってしまうシロモノなのです。このプロジェクトを大手車メーカーが後押ししている様ですが、優秀な人材とお金の無駄使いにならない様に、基本設計の段階での熟考が必要でしょう。空飛ぶ車っぽいモノを、先ずは(マスコミ向けに)形にする事だけを考えた末の思考停止は厳に慎むべきでしょう。

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2020年8月27日 (木)

3819 1+3R?

昨日県内の高校で、環境出前授業を行ってきました。事前に要請のあったテーマが、廃棄物減らしや3Rでしたが、敢えてタイトルを「1+3R」としました。追加の1RとはRefuse(拒否)です。最近の例で言えば、コンビニやスーパーでレジ袋の要否を尋ねられた場合「要りません」と断ることが挙げられます。ごみを減らすたりリサイクルしたりする前に、先ずはごみになるものを買わない、消費しないと言う事なのです。
PETボトルはリサイクルするから、ごみにならないから、何の考えも無しに自販機のボタンを押すのではなく、家から保温マイボトルで飲み物を持って出るか、保温瓶がやや重いと感ずるのであれば、一度使ったPETボトルを洗って、水やお茶を詰めて持ち歩けば良いだけです。これによって、その日はPETボトルをReuseしてその消費を1本減らし、Refuseも出来たことになります。当然の事ながら、行動としての優先順位はRefuseが筆頭で、以下Reduce、Reuse、Recycleとなりますので、リサイクルを頑張って、ごみを減らしましょう、などと喧伝するのは正しくないキャンペーンと言えます。
勿論、3818で言及したグリーンサイクルを回して、例えば木材繊維(セルロース)やデンプンなどから作られた飲料瓶を使えば、石油が節約できて、ごみになってもやがて微生物に分解されて水と炭酸ガスに戻るのかも知れませんが、それにしても自然素材は、地下資源にもまして貴重で、コストも嵩む筈なのです。
やはり、私たちの努力は「使い捨て」を(拒否して)無くすこと、つまりは消費量を如何に減らすかに集中するしかないのです。その意味では、最初の1Rの比重は、他の3Rに比べて何倍も重くせざるを得ないでしょう。これからの私たちの行動のキーワードは、「ごみになるので要りません」でなければならないと思うのです。高校生たちがどの程度理解してくれたか気になる出前授業ではありました。

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2020年8月26日 (水)

3818 グリーンサイクル

「グリーンサイクル」に対し明確な定義がある訳ではありませんが、投稿者なりの定義では、「太陽光を含む自然の営みだけで成り立つ持続可能な(人間活動の)サイクル」とでもなるのでしょうか。勿論、人間の活動を除外すれば、太古の昔から自然の中ではこのサイクルは「完全な形」で動いてはいました。増えすぎた人間が、このサイクルを歪めたのです。このグリーンサイクルでは、今ある環境のバランスを改変することなく、太陽光、太陽熱、植物の光合成や生物活動の結果得られるものと、太陽光が形を変えたエネルギーだけを使い、木材など再生産可能な自然材料だけを使うのです。勿論、既に地上に掘り上げてしまった金属材料などは、リサイクルを繰り返して使い続けます。
このサイクルを回す駆動源は基本的には太陽光だけなので、自然環境を改変しない限りにおいては、100年後も持続可能だと言えるのです。自然の生物が太陽光を使って増やした有機物(バイオマス)は、毎年増やした分だけは使う事が出来ます。使った後の有機廃棄物は、元々水と炭酸ガスから合成された自然物であるため、適正に自然に放置すれば水と二酸化炭素に戻る筈です。
バイオマスの主な中身は、人間が作った農産物と林産物及び海産物などの自然からの収穫物、となるでしょう。繰り返しますが、1年間で使えるのは、過去1年間に自然が増やした量の範囲内です。勿論、木材の様に生育に数十年かかる場合は、その数十年で帳尻が合う様に計画しなければ持続可能性は崩れてしまうでしょう。
当然の前提として、モノを運ぶにもエネルギーが必要ですので、太陽光から得られたエネルギー以外は殆ど使えませんので、石油燃料を使うトラックで長い距離を運搬する事は出来ません。結果として地産地消が原則とならざるを得ないので、基本的には殆どのモノの供給を域外に依存する今の都市での生活は、このグリーンサイクルには全く馴染みません。人口や都市機能の地方分散の強力な政策が不可欠であることは言うまでもありません。

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2020年8月25日 (火)

3817 国体論を読んで

S井聡の「国体論」を読み終えました。今の時代「国体」などと時代がたったタイトルに興味を惹かれ手に取った文庫本でありましたが、厚みもありなかなか読み応えがありました。この種の評論を読む際には、右寄りなのかあるいは左から見ているのが問題で、それを割り引いて読む必要があるのですが、筆者は最初に極右も極左もバッサリと切り捨てていますので、一応中道的立場で書いているとは感じました。それよりも、国体と言う視点で明治維新から、現在(2018年時点)までの、近現代史を総ざらえしていて、改めて近現代史を学び直した感があり、戦後の時代を肌間隔で知る身である投稿者としても良い振り返りになりました。
著者の視点としては、戦後75年経っても、アメリカに抱かれた日本と言う戦後構図から全く抜け出せていないと言う点で、それは取りも直さず戦後アメリカが天皇の戦争責任を問わず、象徴天皇としてまつり上げることによって、日本人の心に(都市空爆で飽き足らず原爆を2発も落とした非道なB国に対する恨みに)蓋をする方便としたという視点でしょうか。B国はそれによって、この国の「国体」を維持させて、混乱の無い占領を実現しようとしていたと言うのです。100%著者の立場には賛成できないまでも、客観的に歴史を振り返れば、それはかなりの部分当たっていると認めざるを得ないでしょう。それが戦後レジームの象徴の一つでもあった訳で、戦後75年を経ても、戦争被害を被った東アジアの国々が、戦争中のこの国の非道を避難し続けているのも、まさしくこの国が戦後レジームを引きずり続けている事の証左でしょう。
この国の、政権歴史上最長の期間、椅子に座り続けているリーダーは、「戦後レジームからの脱極」を旗印として掲げていましたが、結果として彼の行いを振り返るに、まさしくそれは「戦後レジームの堅持」以外の何者でもなかったのでした。北方領土問題でも、慰安婦や強制労働や北の拉致問題でも、何ら進展が無いのは、戦後生まれでありながら、家柄も含めて彼こそがまさに戦後レジームそのものを体現していたのであり、それから脱却するためには、自分自身を政治の世界から消し去らねばならないと言う自己矛盾の運命を背負っているとも言えるのでしょう。考えてみれば、かわいそうな運命を背負っているのかも知れません。いずれにしても、天皇家を尊敬しているポーズによって、この国の国民に嫌われることを回避して、今なお親米感情をプラス側に保っているB国の戦略を見透かした上で、ではこの国は今後世界の中でどの様な立ち位置で動くべきかなどとは、全く何も考えていない様にさえ見える与野党の政治屋を見るたび、暗澹たる思いに苛まれます。

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2020年8月24日 (月)

3816 航空便の数

コロナ禍から学ぶことはいくつかありそうですが、私たちは国際間の人の移動に関しても考えざるを得ませんでした。コロナ前までは、この国のリーダーは、景気の浮揚を優先するあまり、インバウンドの観光客をドンドン増やす政策に率先して激しく旗を振り続けていました。昨年は3千万人を超えたことを、さも自分の手柄でもあるかの様に喧伝していたのでした。勿論、良識ある人々は、人々の交流は同時に病気や違法なドラッグや各種の密輸などの好ましくないものも入ってくることを懸念していたことでしょう。そして懸念は現実のものとなった訳です。
その意味で、私たちは海を渡ることに関しては、もう少し慎重であるべきだと思うのです。税関や検疫と言った水際の活動は、3千万人もの人々の洪水には十分には対処できないでしょう。殆ど素通りのチェックで済ますしかないのです。若い頃の海外出張での記憶ですが、入管や検疫では結構しっかりチェックを受けた様な気がしますが、数年前の渡航では、殆どノーチェックだった様な気がします。何度も書きますが、航空需要の底堅い部分は、現在の半分ほどだと考えられます。残りの半分は、格安航空チケット狙いの「物見遊山」需要だと考えられるのです。もし、航空チケットが正規料金だけになったと仮定するなら、海を渡る人の数は見事に半分ほどに減ると思うのです。つまり、現在の航空便の数は明らかに「バブル」だと言っても良いでしょう。海外旅行は、行きたいときに行くのではなく、日頃からお金を貯めておき、意を決して出かけるものだと思うのです。繰り返しますが、国際便の便数は、ピーク時(昨年)の半分が妥当だと言っておきます。
国内旅行に関しては、新幹線での移動に限定しても全く問題ないはずです。ローカルの飛行場から市の中心部に出るのにバスで1時間も掛けるくらいであれば、新幹線で中心にある駅に直接乗り入れる方が便利に決まっているでしょう。それにも関わらず、各県に最低1ヵ所、場合によっては2か所もあるという事実は、明らかに航空行政のミスガイドでしょう。日に1-2便しか飛ばないローカル空港の存在意義など極めて薄いでしょう。コロナ後、航空旅客が5割程度に回復した時点で判断して、もし採算ラインを大きく割っている路線は、早晩淘汰されるべき不採算空港であり路線だと断定しても良いでしょう。

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2020年8月22日 (土)

3815 コロナ後の社会3

3813でやや書き足りなかったの補足します。コロナ後の社会で何が最も大切かと言えば、それは経済の再生ではない事は間違いありません。経済秩序の再生は、重要な課題ではありますが、その前に経済秩序そのものの「再設計」が必要だと思うのです。コロナ禍で、ある程度経済循環が棄損、あるいは部分破壊された今が、再設計のチャンスでもあると思うのです。例えば、交通システムは多大な損害を被りました。旅客数が、大幅に減ったからです。記憶では、9.11事件の直後、航空旅客は45%程度まで落ち込んだのでした。航空機が乗っ取られると神風特攻の様に空飛ぶ爆弾になることが証明されてしまったからです。
しかし、今回のコロナウィルスによる自粛では、旅客数は国際線ではほぼゼロに、国内線でも前年比では一桁%にまで落ち込んだのでした。9.11ショックの比ではありません。これは、まさしく壊滅的な減少です。では、航空機による交通システムをどの様に再設計すれば良いのでしょう。少しは航空機業界を知る立場として、航空輸送システムへの提言をしてみます。航空運賃は、物価の変動に関わらず一貫して低下してきたと言う事実は重要です。つまり、航空機の大型化、軽量化の技術と相まって、一人当たりの輸送単価を下げ続けてきたと言う事なのです。単価が下がった結果、庶民でも海外旅行に出ようと言う気になり、日々7000便ものフライトが飛び交う時代になったのです。しかし、これは航空輸送バブルだと見なければなりません。9.11テロ後、旅客数が45%に落ち込んだと言う事実は、底堅い需要としては、半分の3500便程度と想定できるのです。この話題については稿を改めます。
またモノの流通では、資源の大量採掘、大量生産、大量輸送、大量廃棄、大量廃棄時代への総括と強い反省が必要です。戦後一貫して善であるとされたこの傾向は、持続可能ではないと言う1点だけでも否定するに十分でしょう。資源の枯渇、地球温暖化やごみ処分場のひっ迫などと言う問題点も、「大量時代」の当然のツケだと言えます。資源を消費(廃棄)しないためには、このブルグでも再々言及しているグリーンサイクルへのシフトが最も有効です。これに関してもこのブログで繰り返し投稿してつもりです。
ここで書きたかった結論は、コロナ後の社会の再設計の最重要課題は、持続可能な形での人々の幸福で、そのためには健康寿命をより長くする活動が欠かせません。エネルギー問題の解決や経済活動の再活性化はそのための一手段に過ぎないと考えるべきでしょう。勿論、より多くの人々の幸福の達成のためには、富の分配の公平性の確保が必須です。

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2020年8月21日 (金)

3814 技術者倫理

科学とはまさしく学問であり、真理の追求が建て前になっています。建て前と書いたのは、大学が独立法人化されて以降、学問や研究の「成果主義」が協調されるあまり、本音ではその研究がどの様に実用化(企業化)され、その結果いくら儲かったのかがその先の研究費の額にも影響を与える様な時代になってしまった様なのです。まるで、学問こそがこの国の経済力を高めるためにある、と言った偏った考え方を示す傾向そのものでしょう。
側聞ですが、ノーベル賞を貰ったN依氏は、「科学は中立だが、科学技術は経済性と言う明確な偏向性を持っている」と言った意味の発言をしている様です。上に述べた背景もあり、これに100%賛同は出来ませんが、確かに「技術」は、誰かの役に立って、結果いくら儲けてナンボの世界である事は間違いないでしょう。中身が素晴らしくても、それが経済的に成り立たない技術など、あっという間に社会から駆逐されてしまうからです。しかし、そもそもノーベル賞そのものがA.ノーベルがダイナマイトを実用化し、莫大な利益を手にした結果創設されたものであり、その化学賞受賞者が科学の中立性を殊更協調するのは、やや自己矛盾気味であると感じてしまいます。
ここで書きたかったのは、科学の中立性ではなく、技術(者)倫理の話です。技術には、大きく分けて「良い技術」と「悪い技術」があるからです。勿論、技術に関してその様な憲法や法律がある訳ではないので、誰かに害さえ与えなければ、多くの場合技術を実用する事に関しては障害は無いのですが、その善悪を何に照らすかと言えば、ややボンヤリしてはいますが、それは技術(者)倫理だと思うのです。投稿者なりの解釈では、ある技術が持続可能性が十分高く、それが(子孫を含む)大多数の人々の幸福につながるなら、技術(者)倫理の吟味にもパスする様な「良い技術」と言っても良さそうです。
実例で示すなら、核爆弾の技術はあってはならない巨悪でしょうし、原発も過去の過酷事故の結果に照らせば、かなり黒色に塗られるでしょう。では車はどうでしょうか。石油の採掘が持続可能性が低いこと、温暖化を加速するだろうと考えれば、かなり濃いグレーに塗らざるを得ません。バイオマスの利用技術は、自然が毎年産生できる範囲内の利用、と言う条件付きですが善であると太鼓判が押せます。同様に、太陽光の電力変換や、太陽光が形を変えた水力や風力の利用も、自然を改変しないと言う条件付きではOKとなるでしょう。結局、技術の善悪の判定には、かなりの程度持続可能な時間のファクターが重要となるのでしょう。つまり評価するスパンが10年では善となっても、それを100年に広げると悪となるグレーな技術が結構多いという問題なのです。

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2020年8月20日 (木)

3813 コロナ後の社会2

このブログでも再々書いてはいますが、今後のあるべき社会を考える際には、先ずは「目的と手段」を明確に峻別して考えて行く必要があります。コロナ禍での議論として、感染の抑え込みか経済再生かなどという二元論がまかり通っていますが、そもそも経済活動は、社会を動かしていくための手段であり、決して目的などにはなり得ないと言う点を銘記しなければならないでしょう。勿論、感染の抑え込みは目下の最重要課題であり、目的ではあります。
では何が人間社会の目的として最適かと問われれば、それは人々の幸福とその持続である、と言っておきましょう。人間中心に考えJ.ベンサム風に言うなら、「最大多数の最大幸福の追求」とでもなるのでしょうが、今時は環境問題は避けて通れないので、それに「持続可能性の最大化」も加えなければならないでしょう。つまり私たちは、環境への負荷を最小化しつつ、人々の幸福(感)を最大化すると言う連立方程式を解かなければならないのです。
しかも、人々の幸福を「現世代の幸福」に限定する訳にはいきません。年金問題でも議論される様に、今の制度で現世代がある程度満足しているとしても、少子化が進んだ子や孫世代が負担に苦しむ様では、はなはだしい世代間の不公平が生じます。結局、人々の幸福を論ずる際とはまだ生まれていない後の世代の幸福まで抱合して考えなければならないのです。コロナ禍では、国は大盤振る舞いの補正予算を組んで対応しようとしてはいますが、その原資は国債であり、将来世代からの借金そのものだと言えます。一方で、現世代の高齢者は、将来不安から貯蓄に励み、銀行マネーや郵貯マネーを増やし続けてもいるのです。政府の借金は1,000兆円を超えていますが、日本人の貯蓄の総額は軽くそれを超えているのです。
国は景気浮揚に向けて徒に借金を重ねるのでなく、高齢者に将来に安心感を持たせて死蔵されている貯蓄を吐き出させて、生きたお金として社会の中で回し、役立たせるべきでしょう。高齢者の不安は、衣食住と病気で倒れた時の介護や医療費でしょうか。その解決には先ずは、国は明確な政策を立てて、人々の田舎回帰を誘導し、かつての様な大家族を奨励すべきでしょう。何より田舎には、多数の空き家があり、農地も遊んでいます。今は、人が住む予定の無い住宅をリフォームすれば、昔の様に三世代が同居しても十分暮らせる家を増やせるでしょう。子育ても、高齢者の介護も、大家族であれば助け合えるので、病院や介護施設に頼る機会も減らせるのです。現在は国の支出で大きな部分を占める医療や介護費を半分に出来れば、新規国債の発行も、消費税の更なる増税なども考えなくとも良い筈なのです。年寄りには、大家族の中で役割を持たせ、生き甲斐を感じさせながら、寝たきりにしない生活スタイルを普通のものとする事が、医療や介護費を減らす事こそ、財政の健全化のためにも最重要なのです。私たちは、今回のコロナ禍を、その方向に舵を切るための一つのきっかけとする事を必死に考えるべきでしょう。

 

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2020年8月18日 (火)

3812 コロナ後の社会

「コロナ後の世界」と言う文庫本を読みました。世界の賢者と呼ばれる6人へのつい最近のインタビューなどをまとめたものです。示唆に富むコメントばかりですが、必ずしもそれぞれが100%賛成できるものでもありませんでした。勿論、共通ししており賛同できるコメントもありました。それは、コロナ禍から得られる教訓として、今を今後の社会のあるべき姿を熟慮するためのプラスの機会と捉えると言うコメントです。
その上で、投稿者なりの想いを少し書いてみようと思います。勿論、世界の行く末を論ずるほどの見識は持ち合わせていない浅学の身としては、取りあえずは身の周りの生活や、自分自身の生き方程度しか考える事は出来ませんが、それでもやはり今回のコロナ禍では、考えるところも多かった様な気がします。
さて私たちは、近年でもAIDSやエボラ出血熱やMERSやSARSの様な、致死率の高い疾病の流行に襲われては来ましたが、医学の発達や病原菌や、ウィルスの伝染力が限定的であった事や、国際的な協力体制もあり、どうにか限定的な範囲の感染拡大で抑え込んできました。しかし、今度のウィルスは、その上を行くしたたかさを持っていたようです。その感染力、その毒性、加えて多分その変異の素早さにおいてです。その結果、この種の疾病は、私たちの経済活動にも大きな影響を与えずには置かないことも改めて銘記させてくれたのです。
何より、私たち社会、とりわけ日本は、世界でも冠たる「密社会」である事実を再認識せざるを得ませんでいた。関東エリアだけに人口の1/3(4千万人以上)が密集して暮らすと言う密社会の構築を、戦後一貫して続けて来たのです。それは、経済成長や社会の(ヒト、モノ、カネを動かす)効率としては確かに良かったのでしょう。一時は世界第二位の経済大国にはなれた訳ですから。しかし、それはその間に局地紛争以外の大きな戦争が無かったこと、同様に今回のコロナウィルスの様な「凶悪な疾病」に襲われなかっただけの幸運な時期が重なっただけだとも言えるのです。結局、多くの自然災害の直後にも思うのですが、私たちはあまりにも平和な時代を過ごし、「平和ボケ」が極度に酷くなった国民だったと反省しなくてはならないでしょう。
事態はまだ進行中ですが、先ずは私たちに必要な事は、データに基づいて今回のコロナ禍を正確に評価し、では今後の同様な、あるいは異なる災害に対し、日頃から何を考え、何を準備すべきだったかを熟考する事が必要でしょう。医療体制、ロックダウンや自粛の範囲や程度、医療体制を含む社会的備蓄の種類と量、教育制度や人材の育成の在り方などなどです。しかし、考えてみれば、この様な事は、日頃から政治家やマスコミや日常の会話の中で、自然発生的に議論されて然るべき内容だとも思うのです。私たちは、あまりにも自分たちの社会の「青写真」に無関心でビジョンをを持たな過ぎると、強く反省すべきでしょう。続きます。

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2020年8月17日 (月)

3811 モーリシャス座礁事故

モーリシャスの座礁事故の第一報が入った時、タンカーの事故で積み荷の原油が漏れ出したのだと想像しました。しかしそれは正しくなくて、とうやら鉱石を運ぶオアキャリアが空荷の状態で座礁し、燃料油のタンクが割れてC重油が漏れ出した事故だと知りました。海上油井やタンカーからの「原油」漏洩事故はこれまでも度々報告されてはいますが、では今回のC重油の漏洩事故とは何が違うのでしょう。
それは原油とC重油の性状の違いが大きく関連します。一般に重油とは油井から取り出した状態では、不純物も多くドロドロしたものの様に想像しますが、実際は常温で不通に流動するものが多く、想像よりサラサラしているのです。理由は、原油の中にはガソリンやナフサや灯油分の様な軽質成分も多いため、比較的粘度が低いのです。一方、C重油はそれらの軽質分を抜き出した後に残る「粘性が高く重い石油」で、硫黄分や灰分などの有害成分も多く含む、より「汚い石油」だと言えるのです。つまり、海面に浮上して漂う油膜の他に、いわゆる「原油ボール」の様な、厄介な半固形分の浮遊の他に海中への沈降にも対処する必要があるため、単なるオイルフェンスだけでは拡散を防げないのです。
また、海運をそれなりに知る者の常識として、積み荷が少ない時の操船は、船体が浮き上がっている部分が大きいため風に流されやすく、より慎重に行う事が求めれますが、今回はそれを抜かって島に近い航路を進んでいたと想像できます。南の島の周囲ではサンゴ礁が発達しているため、浅瀬が多く座礁事故が起こり易い海域でもある訳です。
更に船の構造上「から言えば、タンカーでは座礁や衝突事故での漏油事故を軽減するため、いわゆる二重底の船体構造とすることが義務付けられていますが、燃料タンクについては、貯蔵量も少ないこともあって、船体に直接作り付けられており、船体に亀裂が入ると今回の事故の様に直ちに漏油事故につながるのです。漏油事故は、重大な「環境事故」でもあるため、一海運会社が起こした問題とせず、国が強力にバックアップして事後処理を急ぐべきでしょう。評判の悪い神社の参拝などに出かけてないで、環境大臣の力量こそ試される事案だと認識すべきでしょう。

 

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2020年8月16日 (日)

3810 二階建て高気圧

この夏の気候の特徴としては、やはり長かった梅雨と異常な高温が挙げられるでしょうか。なんと北日本では、梅雨明けの宣言さえ見送られてしまいました。つまり、オホーツク高気圧と太平洋高気圧の押し合いによって生ずる梅雨前線が、夏場には太平洋高気圧が勝って、日本を夏空が覆うという方程式が崩れていたのです。代わって顔を出しているのが大陸育ちのモンゴル高気圧と呼ばれる、熱く乾いた高気圧です。厄介な事に、これが太平洋高気圧と重なって、二階建ての高気圧として(東北北部と北海道を除き)日本を安定的に覆っている状況が長期間続いているのです。
比較的湿度が高く温度の低い(=重い)太平洋高気圧は低層を、温度が高く乾いている(=軽い)モンゴル高気圧は上層をカバーすると言う棲み分けをしているので、二階建て高気圧は安定しており、上空10㎞ほどまで高温の大気が続いてるのです。従って、いつもの夏だと、強い昼間の日照で午後に発達する「お約束」の積乱雲の出現も制限されてしまう様です、従って、連日体温を超える様な異常な高温状態が各地で頻発する事にもなるのです。
今回の様な気象傾向は、数年前にも現れた様な気がするので、もしかすると近年の異常な気象現象のパターンの一つなのかも知れませんが、気象の専門家によるとこれには、ラニーニャ現象と、もう一つはインド洋のダイポールモード現象の異常(逆ダイポールモード)が絡んでいる様なのですが、いずれにしても地上や海表面だけの気象だけでなく、高高度の上層の気象現象との関連を詳しく知る必要がありそうです。
素人なりの見方ですが、根本的にはやはり夏場の北極気団(の子分であるオホーツク高気圧)の退潮が、モンゴル高気圧を引き込んでいる様な気がするのです。その分、太平洋高気圧が今年の様にあまり強くならないにも関わらす、異常に高い気温の日が続く事になるのでしょう。極気団の退潮は、いわゆる温暖化傾向から繋がる長期の気候変動によるものと考えられ、今後とも今年の様な異常高温が、当たり前の夏の気候となると覚悟しなければならないでしょう。暑さに弱い人は、出来る限り早期に北国への移住を検討すべきかも知れません。

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2020年8月12日 (水)

3809 エアロゾル感染?

コロナウィルスによるCOVID-19については、市中感染の割合の増加につれて、以前から取沙汰されている「エアロゾル感染」の可能性が高まったと言う専門家の声が大きくなってきた様です。エアロゾルとは、気体のブラウン運動によって、沈降せずに長く留まる様な液体または個体の微粒子の事ですが、ウィルスのキャリア(感染者)が咳や発声時に飛ばす飛沫には、かなりの割合でエアロゾルも含まれることがシミュレーションでも明らかになっています。
密閉空間に限らず、外気中でもウィルスを含むエアロゾル発生者(=感染者)に接近した際には、運悪くそのゾルを吸い込み、感染してしまう可能性がある事は否定できません。むしろ、全く身に覚えのない感染者は、人込みを普通に歩いている時にエアロゾル感染した可能性が高いのです。エアロゾルを出す感染者も、それを貰ってしまうかもしれない陰性者も、マスクをしていれば感染の可能性は低減は出来るのでしょうが、それで勿論100%防げる訳ではないでしょう。マスク(衣服を含む)に付着したウィルスは、1週間程度は感染力を保っていたと言う事実が報告されている限り、また市中に無症状の感染者の割合いが増え続ける限り、今後市中感染はますます広がりを見せるでしょう。
頼みは。感染を繰り返す内にウィルスが弱毒化して、普通のインフルエンザ並に大人しくなってくれるか、既存、新規開発を問わず重症化を抑える薬による有効な治療が確立されるかですが、ワクチンにより予防に関しては、投稿者はかなりの疑問を持っています。利益優先の開発競争で他を制する事に集中するあまり、極端に短期間で開発され、結果として効果や安全性に問題を抱えたままの「粗悪ワクチン」が市場に出回る可能性も高いからです。いずれにしても、この国政府は対策を急ぐあまり、大枚をはたいて粗悪なワクチンを掴まされない様に留意すべきででしょう。私たちは、いくつかの安全性の低い粗悪なワクチンの副作用によって、死者や重篤な障害者を生みだしてしまった苦い過去は忘れるべきではありません。

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2020年8月11日 (火)

3808 猛暑考2

猛暑は人間だけに影響を与える訳ではありません。むしろ、それはホンの一部に過ぎません。例えば、農作物や植物です。樹木や植物も気候の変動に対応して、動く事は可能です。とは言いながら、植物自身が能動的に動く訳でありません。種子を鳥や動物に運んで貰い、移動した先で発芽する必要があるのです。従って、植物が動ける速度は多分数キロ/年程度だと推定されます。飛べる昆虫や、運動能力の高い動物は勿論それ以上動く事は出来ますが、何しろ植物の移動スピードが遅いので、それらに依存している限りにおいては、そんなに急いで移動しても仕方がありません。
一方で、温暖化が進む最前線を、温暖化前線と仮に呼ぶなら、その北上のスピードは年に10㎞ほどだと言われています。10年ではなんと100㎞、50年では500㎞に及ぶのです。500㎞と言えば、東京の気候が仙台辺りまで北上する勘定です。農作物も、勿論植物なので、温暖化の影響を直接受けるのですが、勿論温暖化に対応するための品種改良も行われてはいますが、対応が遅れているのが実情でしょう。例えば、イネは既に九州での夏場の高温に耐えきれず、米粒の白化などの生育障害を起こしています。
動物や昆虫などの生き物を眺めても、温暖化に対応しての北上が続いているのです。冬場の積雪が少ない地域にしか住めない筈のニホンジカやイノシシが、白神山地や東北の北部で目撃される様になってきました。冬場の積雪が減った結果、それらの動物が越冬できる様になってしまったからです。昆虫の北上も、特に目立ちやすいセミやチョウなどで良く目撃されています。投稿者が指標生物として注目している昆虫は実は「ダニ」なのです。ダニは、自身での移動距離は短き、代替わりのサイクルも短い上に、環境の変化に敏感であるが故に、指標生物としては理想的なのです。
生物と温暖化の関係で、最も好ましくないのは、生物の多様性が阻害されることでしょうか。日本は、いわゆる四季がはっきり分かれていると言う気候的特徴がある国ですが、これが東南アジアの様な蒸し暑い夏と、寒気が弱い冬と言う「二季」になってしまうと、春秋の気候に馴染んでいた植物や動物の棲む環境が消えてしまうでしょう。東南アジアの毒虫(蚊や毒クモなど)も越冬出来て、繁殖する事でしょう。同時に、それらが媒介する病気の蔓延も懸念されます。温暖化北上のスピードをどうやって減速させるのか、待った無しで全世界の知恵を結集させるべき時代に入ったと言うべきでしょう。やや不謹慎かも知れませんが、コロナによる経済減速もでさえも、これを逆手に取って温暖化減速の絶好の機会と捉えるべきなのです

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