2021年5月 1日 (土)

3939 環境スペクトラム

公共放送で、典型的な男と典型的な女の間には、多様なスペクトラムの性が存在するとの内容の放送がありました。確かに、自分の知っている範囲の人たちを観察してみても、それは言えそうだと感じます。つまり、少し女性っぽい男性や、かなり男性っぽい女性などを見かける事があります。
このスペクトラムという概念は、多くの事象にも敷衍できそうだとも思いました。例えば、人が開発した「人工環境」と「天然自然」の間には、たぶん無限のスペクトラム(別の言葉ではグラデーション)が存在すると想像しています。つまり、見かけ上の天然自然の環境の様に見えても、かつてそこに人間が立ち入ったり、その環境に何らかの働きかけを行った事があれば、最早そこは無垢の天然自然とは言えない場所になります。一例として、里山がありますが、そこにはかつて(あるいは現在も)人が入り込み、薪炭や山菜を行っていた訳で、時には(人間にとって)有用な樹木や植物を植えたりもしたでしょうから、半人工環境と読んでも差し支えないでしょう。一方で、都市の様に一度自然を壊して、人工物で覆われた都市は、ほぼ100%の人工環境だと言えるでしょう。しかし、その人工環境にもやがて自然、雑草や樹木や生き物が入り込み、環境のグラデーションを作るのです。
翻って、全て人間が作り上げたシステムにもスペクトラムが存在しそうです。例えば経済システムです。例えば、超お金持ちたちと極貧の人たちの間には、殆ど人の数ほどのスペクトラム=グラデーションが存在する筈です。同様に、お金を切り離しても人々のいわゆる「幸福感」にも同様にグラデーションが存在するのでしょう。結局、ゼロか1かというデジタル=コンピュータの世界は、非常に例外的なケースだと見た方が良い、と投稿者は思うのです。或いは、デジタルを無限に細かく分割すれば、それは最早無限のグラデーションを持つアナログの系と変わらなくなると言い換えても良いでしょう。スペクトラム=グラデーションは、白か黒かと言った明確な答えが導きだせない問題、例えば環境問題やあるいは社会問題の様に、を考える上で、非常に重要な概念と言えそうです。

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2021年4月29日 (木)

3938 CO2半減3

CO2削減に関して投稿者からの提案は、先ずは省エネで3割削減を達成するべきだ、というものです。単なる、節約やケチケチ作戦だけで達成できる省エネは多分最大でも10%程度でしょう。しかし、本気モードでしかも工夫を重ね、ミリミリの省エネを実行すれば3割削減も視野に入って来る筈なのです。
例えば製造業ですが、どの工場を見回しても、エネルギーが無駄に使われている事に気が付きます。勿論誰も居ないトイレに電気がついていたり、長時間使われていない設備の電源が入っていて、暖気状態になって居たりと言った誰が見ても「明確なムダ」も見つかるのでしょうが、多くの無駄は「一見必要なムダ」あるいは「隠れムダ」なのです。ここでのムダなエネルギーとは、製品に付加価値を付けていないものを指します。例を挙げるなら、マテハンに関わるムダエネルギーがあります。工場の中で、材料や仕掛品を運ぶのに使われるフォークリフトや天井クレーンに使われるエネルギーは、製品に付加価値を付けていないという理由で無駄なエネルギーなのです。しかし、それが無いと作業が進まないという理由で使われているのでいわば「イエローカード」のエネルギーなのです。同様に、空調や掃除機などのエネルギーもイエロー(黄)エネルギーに分類されます。その意味で、工場で消費される圧縮空気の半分以上は、黄エネルギーと断定しても良いでしょう。
投稿者が長年眺めてきて、平均的な工場では、製品製造に必須の「青エネルギー」は4割程度、上記の「黄エネルギー」が同程度、残りは全くムダである「赤エネルギー」だと断言できます。つまり、赤エネルギーを徹底的に潰し、「黄エネルギー」を半減させるだけで、工場エネルギー(=CO2)の3割削減は十分可能なのです。
サービス業だって、この例外ではありません。ショッピングセンターではまぶしい程照明が目に入り、入口も食品売り場も日用品売り場も全く同じ温度設定としている冷暖房温度、など無駄が一杯なのです。サービス業では冷暖房も「青エネルギー」に分類はされるのでしょうが、細かく言えば強すぎる冷房が苦手な客(子供や高齢者)もいる筈なのです。ならば、冷暖房温度を抑え気味にする、弱冷、弱暖エリアを設定する事により、その分の空調エネルギーが削減できるでしょう。これは、むしろサービスの向上であり、省エネとサービスの質は矛盾しないのです。
単なる、再エネ代替だけでCO2半減の達成は全く無理ですが、省エネで3割のCO2削減を実現し、後の2割を再エネへの転換で稼げば、2030年のCO2半減は十分達成可能な数字となるでしょう。

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2021年4月28日 (水)

3937 CO2半減2

国が発表したCO2削減目標に立派な根拠があるにせよ無いにせよ、目標値を立てる事は良い事ではあります。その目標値がやや厳しめであればなお良いでしょう。問題は、目標を立ててからそこに至るまでの道筋(マイルストン)の刻み方であり、具体的な行動計画の作り方だと思うのです。お役人は、紙の上での計画の作り方は上手いのでしょうが、残念な事にキャリア組であればあるほど現場を知りません。従って、現場を知っていればとても立てられない様な「机上の空論」を使った計画を作ってしまう傾向にある様です。
つまり確かにCO2半減のための「数字」積み上げては居るのでしょうが、具体的な行動計画を積み上げている訳ではないでしょう。行動計画の積み上げでは、実はそのシーケンス(順序)が重要となりますが、数字だけの積み上げではそれがスルーされてしまうのです。例えば、水素社会を作って、石油に使用量を半減しようという計画を実現するには、水素を何処でどの様な手段で発生させてそれを輸送するのか。そのための国内のインフラや水素利用機器(例えば水素自動車)の開発と普及の実現のための道筋をどうするのか、といった計画の積み上げの結果として、削減量が積み上がる筈なのです。いわゆる官邸主導の計画では、お役人への指令は、「政府がこの数字を発表するので、そのための(後付けの)裏付け資料を作れ」と言ったものになるでしょう。
つまりグラフ上に削減の目標値を置いて、そこから現在までに線を引けば、削減計画のためのグラフが出来てしまうでしょう。それで、○○年度までの削減目標は、XX%であらねばならない、というお役所目標が決まってしまうのです。しかしながら、この数値目標の裏付けとなるべき、誰が何時までに、何をどの様に行い、そのための経済的裏付けはこうなっているという根拠は何処にも見当たらないのです。
この国の得意技は、先ずはお役人計画(机上の計画)を作った上で、外圧を上手く利用しながら、企業群に努力をさせて目標を達成すると言った手法でした。
CO2削減計画においても、削減目標は諸外国に比べてやや抑えめの数字を、それも各国の数字が出揃ってから「後だしジャンケン」気味に出すなど、これまでの行動パターンと何ら変わりが無い様に見えてしまいます。この国が、積極的に諸外国の先頭に立って行動し、多くの国々から尊敬される様になるのは、どうやら百年待っても無理な様に思えます。何故ならこの国は、政治システム上も、文化的土壌から見ても、世界をリードできる様なパワーのある強いリーダーが輩出されづらい国柄だからです。出るのはため息ばかりです。

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2021年4月25日 (日)

3936 CO2半減?

政府が2030年までのCO2削減目標を、2013年比で46%減に大幅増加した様です。それまでが2005年比26%減でしたから、大幅な増加と一応は評価しておきます。米国の様にエイヤッと50%減としなかったのは、穿った見方をすれば、多分お役人が数字を積み上げて作った目標っポイという体を狙ったのかも知れませんが・・・。少し裏読みするなら、2013年は、震災の影響もあり既存の石炭火力をMAXに稼働させたこともあり、CO2量排出負荷が高かった時期に重なるのであり、そこを物差しにしたのはややズルいというしかありません。
いずれにしても、約50%減は通過点であり、最終的には2050年には脱炭素(ゼロカーボン)を達成するという国際公約をしている訳で、10年で半減はどうにかなるにしても、その後の20年ででのゼロカーボン達成は、かなり困難(というか殆ど無理)と見るしかないでしょう。というのも、戦後積み上げて来た、化石エネルギー(=石炭や石油や天然ガス)での運用が前提となっている社会インフラ(建物や運輸システムや工場等)は、かなり根が深く20年やそこらで再エネオンリーに模様替えできるとはとても思えないのです。つまり、それらは単なる模様替えでは済まず、建築物で言えば「完全な建て替え」になってしまうのです。
家の寿命は30年~50年ですが、インフラ寿命はそれ以上でしょうから、土木や建設工事を伴うインフラの更新はそれほど簡単な話ではないのです。それ以前に、土木工事でゼロカーボンとするには、先ずは再エネ電力だけで動く「建機」の開発が必要でしょう。それが10年かそこらで開発されない限り、カーボン発生を減らすために先ずは建物やインフラ改造のための土木工事そのものを抑制する必要があるのです。
いずれにしても、インフラを全て再エネによる「電動化」社会にするに当たって、先ずはインフラを作り替えるために発生するカーボン量とその結果削減されるカーボン量を天秤に掛け、長期的に見てカーボン削減最適となる様な、いわゆる「ライフサイクルアセスメント」の視点が必要でしょう。

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2021年4月22日 (木)

3935 新たなマイクロプラスチック

海洋におけるマイクロプラスチックは、ある程度の大きさに砕けた浮遊プラスチックを海洋生物が誤って取り込んだり、あるいは細かい(数ミリ以下の)プラスチック粉の浮遊、あるいは大きな容器などの海底への沈降などが報じられていて、社会では、非常にささやかながらもレジ袋の有料化やストローの非プラスチック化などの活動が始まっては来ました。
しかし、最近の研究では人里から遠く離れたチベット高原の氷河で、海洋プラスチックより更に小さなサイズ(数ミクロン~100ミクロン以下)のマイクロプラスチックが確認されているとの報道があり、マイクロプラスチックによる環境汚染が、大気を通じての全地球的に広がっている事になりそうです。これらのマイクロプラスチックは、繊維状のものが多いとも報じられており、南アジアや中央アジアに盛んな、いわゆる繊維産業から発生し、風によって運ばれたものと想像されます。恐ろしいのは、数ミクロン以下のマイクロプラスチックは、粉塵や花粉などと同様にヒトの肺深くまで入り込む大きさなのです。直接的な、毒性は低いとは言うものの、繊維状のマイクロプラスチックは、粒状の粉塵とは異なり、岩綿繊維と同様に肺組織に取り込まれてしまう可能性が高まります。更に想像を膨らませるなら、それは癌の原因にもなり得る可能性すらありそうなのです。
海に浮遊するマイクロプラスチックは、例えば魚に取り込まれたとしても、胃などの内臓は別にして、その魚の身(筋肉組織)にまでは到達しないでしょう。しかし、新たな空中浮遊型のマイクロプラスチックは、私たちの体に直接侵入するのです。これは、新たな「環境汚染源」であると言い切っても良いでしょう。
私たちの社会が厳しく制限すべきは、プラスチックの消費=廃棄量ではなく、環境中に長く留まる種類のプラスチックの生産量そのものなのです。プラスチックの中には、環境中で速やかに分解が進む種類(生分解性プラスチック)も存在するのですが、それらは製品としての寿命が短い(低い耐候性の)ため、製品への採用が敬遠される傾向にあるのは非常に残念なことではあります。

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2021年4月21日 (水)

3934 半自然(近自然)

身の周りを見回しても全く手つかずの自然などというものは見つからないでしょう。平地はと言えば、たいがいは切り開かれ、田畑や住宅地や市街になっている筈です。川は、両側に堤防が築かれ、自然のままに氾濫したり流れを変えたりは出来ません。山の方を眺めると、手前には里山があり、その奥には奥山や高い山々が連なっています。しかし、その奥山や高い山に登ってみると、かなりの部分に人工林が入り込んでいるのが分かります。ざっとしたデータでは、日本の2/3は山地ですが、その半分には人工林だったり、人の手が入っていると言われているのです。残りの1/3は、農地や市街地や工業地帯ですから、この国の1/3は天然自然がかなり残っているもののほぼ2/3には人手が加えられているといった状態でしょうか。
農地や市街地など道路によって区切られた人工環境と、手つかずの「天然自然」との間には、当然の事ながら「緩衝地帯」が必要でしょう。もし、それが無ければ、自然は短期間のうちに荒廃するか、あるいは逆に人工環境への自然の浸食が起こるからです。多くのケースでは、前者が問題となりますが、近年は、例えば耕作放棄地への自然の浸食も問題として拡大しつつあります。
その緩衝地帯が半自然(または近自然)と呼ばれるゾーンと言えるでしょう。具体的には、かつては人々が、薪炭や山菜の採取のために立ち入った「里山」がそれに当たるでしょうか。つまり、天然林では高木と低木と雑草が混然と入り混じっているのが普通なのでしょうが、里山は木が適当に間引かれ、林床には日が差すため、山菜なども豊かに育ちます。見通しも効くので、クマヤイノシシやシカなどの獣もあまり人里近くまでは近寄らないでしょう。つまり、この緩衝地帯の存在は、自然にとっても人間にとってもどちらにもメリットがあるものなのです。然るに、現状を眺めてみると、かつての半自然は開発されて人工環境に変わっていて、あるいはかつての半自然環境の放置によって、藪だらけの天然自然の逆戻りしてしまっているのです。つまり、人工環境と天然自然とが、隙間なく接しているという非常に危うい状況になっているのです。獣は、住宅地のすぐ後ろの藪に現れ、かつては半自然に棲息していた、小動物や昆虫や植物たちは絶滅してしまったのです。
別の言葉で言えば、半自然とは、天然自然と人工環境との間の環境のグラデーションとも言えるのです。国でもそうですが、国境を接している国同士の価値観や宗教が極端に異なる場合には、紛争などのせめぎ合いが生じますが、間に中間的な国やエリアが挟まっているか、あるいは海や山塊がある場合には、両国は比較的穏やかな関係が続く事に似ています。我々は、もっと半自然に注目し、それに関わっていく必要があると思うのです。都市から田舎へ、田舎でも山際への移住が必要な所以です。

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2021年4月18日 (日)

3933 トリチウム汚染水問題

福一では、ALPSで除去できないトリチウムを含む汚染水が増え続けています。しかしながら、既成事実の様に海洋放出を宣言した政府の発表には、国の内外から大きな反発を受けている状況です。何故、海洋放出かと問われれば、政府(=東電)は、汚染水の保管墓所として陸上にタンクを置くスペースが無いと、殆ど開き直って説明しますが、では海上保管はどうかという可能性については全く言及していません。つまり、汚染水の保管量は増え続け、今や数十万トンレベルに達し、保管タンクの余裕もあと1-2年分しか残っていないという政府(=東電)は、では汚染水専用タンカーを建造し、福一の港湾内に係留するという可能性については全く言及していないのです。陸上用タンクに比べ、海に浮かべるタンクは非常に安価に建造可能です。それでなくとも、この国は造船王国であったし、凋落したとは言え、まだ中手の造船所は元気です。しかも、エンジンなどの無いタンクだけの船であれば、普通の原油タンカーの1/3程度のコストで建造できるでしょう。汚染水タンカーの建造で、たぶん20-30年の時間は稼げるでしょう。トリチウムの半減期は12年そこそこでしょうから、保管している間にも放射能は弱まります。その間に、トリチウムの分離技術を実用化して、実用プラントを建設すれば、海洋放出は免れる筈なのです。
投稿者の様な素人が考えても、普通の水とトリチウム水は、僅かながらも物理的性質が異なる筈ですから、沸騰・蒸留あるいは凍結分離などに加えて、再エネ電力を使った電気分解なども併用すれば、トリチウムの分離取出しも十分可能となる筈なのです。その様な可能性を殆ど排除しておいて、発生する汚染水を福一場内のたった千トン程度しか保管できないタンクを、敷地一杯に建設し続けた「無策」こそ糾弾されなければならないでしょう。
この国が、技術大国だと言い張るのなら、各大学やAISTや公設試などに予算をつけて、分離技術を競わせるのです。現状でも、原発を動かしている国々では、原発施設から発生するそれほど多量ではない事を言い訳に、トリチウム水は薄めて海洋放出されたり、蒸発させて大気放出されているのですから、その分離技術の開発は大歓迎されることでしょう。海洋放出する日本は、海外世論からはバッシングを受けますが、そうではなくて分離技術の開発が出来れば、逆に尊敬の的となる筈なのです。コロナ騒ぎのドサクサに紛れた、汚染水の海洋放出を、あっさりと許しては末代までの国の恥になるでしょう。

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2021年4月16日 (金)

3932 トランプエレメント

トランプエレメントとは、冶金学などで言うところの、目的金属からどうしても除去できない(出来にくい)不純物を指す言葉です。例えば、最も多く使われている鉄鋼材料に関して言えば、リサイクルの過程で混入する、銅や錫や鉛などは、鋼の表面に集まって割れの原因になりますから、非常に有害です。亜鉛なども同様ですが、これは高温の溶解時に気化して飛んでしまいますので、亜鉛引き鋼板などのリサイクルには問題は無さそうです。
逆に、リサイクルされるアルミ材料においては、鉄分の混入が大敵になります。アルミが作る不働態膜の形成を阻害して錆の原因を作るからです。勿論、銅や亜鉛もアルミの腐食を助長しますが、これらの合金元素は、強度の高いジュラルミンでは積極的に加えられる元素でもあり、別途耐食性を上げる処理により腐食を防止する方法が取られます。
さてトランプエレメントですが、勿論新たに精錬された鉄鋼やアルミやその他の金属では問題になる事はないのですが、リサイクル材では事情が異なります。というのも、リサイクル材として持ち込まれる材料(スクラップ)の中には、種々の不純物やごみが混入している事が、溶解材の純度を低下させるからです。例えば、一緒に使われていた異種金属の破片や、耐食性を上げる目的で施されていたメッキや鉄鋼材へのステンレス材の混入などによって溶解材の純度が低下してしまうのです。これを補正するためには、例えば新規精錬材を一定量加えて、不純物の割合を基準以下に抑え込む方法が取られますが、不純物を物理・化学的或いは冶金学的に取り除くのは、通常はコスト的には見合わないのです。
根本的な対策は、リサイクル材は可能な限り、素性の知れたスクラップを、他の原料と混ぜずに純度を保つという受け身の対応しか無さそうなのです。多くの金属では、一度合金をしてしまうと、金属間化合物を形成してしまい、再度分離するには電気分解などで莫大なエネルギーを投入しない事には分離は出来ないのです。
ここでは、主に金属のトランプエレメントについて述べましたが、事情はPETなどのプラスチックや紙のリサイクルにおいても全く同様で、機能を高めるために数えきれない程の種類のプラスチック材が開発され、あるいは機能性の紙が開発された結果、リサイクルするたびにそれらの原材料は劣化をし続けるという負のサイクルに陥ってしまう訳です。コウゾやミツマタなどの繊維だけで作られ、他の人工材料(≒トランプエレメント)を加えないで漉かれる和紙がリサイクルの優等生と呼ばれる所以です。

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2021年4月15日 (木)

3931 ある人生14

<これからの夢>
今年は70歳の大台に乗りますが、Uターン後の生計は、年金と、フリーランスになるために取った環境経営システムの審査料が入るため、贅沢をしなければ十分で一応安定しています。市営の墓地も購入し、やがて入るであろう自分のための祠?(墓石)も建てましたが、やはりいくつかの自分が生きた証を残したいというのが、現在の夢です。
<夢その1:太陽熱を使った省エネデシカント冷房装置の開発>
これは太陽熱を使って、ゼオライトなどの乾燥剤を乾かし、それを使って連続的に室内の湿気を下げて、夏場の蒸し暑さ緩和する冷房機です。湿度が下がった分、今度はミストで加湿すれば気化熱で気温も下がるので、冷房効果も期待できるものです。消費電力も、換気に使う小型の通風機のモーター分だけなので、低い方の数十ワットで十分でしょう。
<夢その2:ペレットフィーダー>
これまでのペレットを供給する仕組み(フィーダー)は100%オーガと呼ばれるスクリューコンベアでした。これを、ミニロボットやミニコンベアなどを組み合わせて、ペレットの向きを縦向きに整列させて、内径7mm程度のステンレス管を通してストーブに供給するタイプに替えたいのです。それが10万円以内で商品化できれば、例えば普通の薪ストーブの横に小さな穴を明けさえすれば、薪とペレットのハイブリッドストーブに改造することも容易になるのです。それによって、ペレットの生産・消費量も格段に増加するでしょう。
<夢その3:ユニット式風車
これまでの風車は、出力によって小型から大型まで専用に設計し、頑丈な基礎を築いて建設するものでした。その考え方を改めて、横軸の抗力風車を、例えば上から見て3角形や6角形にユニット化し、それをピラミッドの様に積み上げる事で、メガワットクラスの発電所尾することも可能なシステムを開発するのです。抗力型なので、台風でも停止させる必要がありませんし、回転軸は固定ですがユニット化する事によって、どの方向から風が吹いても発電が可能となるのです。
<夢その4:SVO発電>
SVOとはStraight Vegetables Oilの略で、てんぷら油などの廃油を「直接燃焼できるエンジン」を使って発電を行うものです。これは、既存のユニットタイプのディーゼル発電機を少し改造する事で実現できるので、中古品さえ手に入れば最速で実現出来そうではあります。

これらを含め、他にもいくつか夢がありますが、いずれも既に基本的なコンセプトは出来ているものの、問題は実際に動いてくれる企業を見つけ、巻き込む事ですので、機会がある度に企業経営者を口説いてはいます。自分で出来る範囲は、資金やフィールドも含めて限定されていますので、企業の協力は不可欠なのです。
その前に、登り始めてしまった百名山もここ1,2年でコンプリートさせるのも、人生で自分に課したノルマですから、これも同時並行で実現させるのも目の前の夢でもあります。これも昨年には90座を超えたので、あと数歩とはなってきました。
ここまでの人生の振り返りでは、技術屋としては多くのチャンスとラッキーにも恵まれてキャリアを積むことができましたし、50代以降は環境屋としてもそれなりに勉強ができ、いくつかの実績も残す事ができたと感じていますが、残りの人生も、精々後悔の無い様には送りたいとは思っていますが、果たしてどうなる事やら。この稿、一応ここまでで一区切りとします。

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2021年4月14日 (水)

3930 ある人生13

<Uターン後(再脱皮)>
60歳を迎えて、そのまま住み慣れた岐阜で一生を終える事も想像しましたが、既にフリーランスでそれなりに生計を立てられており、年金も貰える年齢にもなったので、小規模で手の届く再生可能型エネルギーの可能性を見つけるために、(再エネのネタには事欠かない)生まれ故郷の秋田の町にUターンする事を決意しました。同じ町の生まれでもある家内からは特に反対も出なかったので、熟年離婚?も回避され、取りあえずは単身でUターンしたのでした。数年間の単身赴任中に、先ずは秋田での暮らしの足場を固め、竟の棲み家も探し始めたのでした。
Uターン後は、環境ビジネスの可能性を探索する中で、東北の高専の(環境を向いた)めぼしい先生方にコンタクトし、訪ねて行っては環境話を吹っかけて、雑談を繰り返しました。それらの先生から、今度は環境に向いた企業を紹介して貰い、それらの企業も片っ端から訪問してネットワークを作って行ったのでした。東北には、バイオマスや豊富な水力や風力さらには地熱など豊富な資源やエネルギー源があることも確認できました。
居間から鳥海山が見える土地も見つかり、あまり借金もしないで小さな家も建てる事ができたので、数年後に妻も呼び寄せたのでした。その家では、小型のペレットボイラを使った冬季の暖房や通年の給湯に使えるシステムを自分で設計し、機器を買い集め設置してデータも採り始めました。
また、ある環境関係の展示会で知り合ったベンチャー企業の社長に誘われて、家畜のし尿を使った小規模な「バイオガス発電」事業にも、エンジン屋として関わり始め、いくつかの初期トラブルを解決したのでした。Uターンした地元では、フローリング(床板)を製造している企業で、大量の木粉が出る事に勿体なさを感じ、それをペレット燃料に加工するプラントの新設を助言したのでした。幸い、県からの補助金も取れたため、このプラントが実現し、年間1000トン以上のペレットの供給が可能となったのでした。しかしながら、ペレット燃料は日本ではマイナー過ぎたので、その売り先を見つけるのにその企業にはそれなりに苦労もさせてしまいました。なにせ、我が家の例では1年間に消費するペレット量は、僅か1トン程度ですので、温泉施設などの大口消費家を探す事がどうしても必要だったのです。とは言いながら、自分にビジネスのセンスが無い事は、十分に自覚していますので、活動と言っても専ら企業の背中を押す事になっていまいます。

 

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2021年4月13日 (火)

3929 ある人生12

<フリーランス時代:カザフのこと>
フリーランスになって以降、かなり熱心に行っていた活動が、企業の省エネ診断や助言でした。国内企業の診断に並行して、ダメ元でヨーロッパ銀行の途上国支援の専門家派遣制度にも省エネ分野で登録もしていたのですが、ある時「カザフスタン」という国にある自動車組立工場が助言を求めているとの公告がありましたので、さっそく応募したところ、トントンと話が決まり2011年の春先にカザフスタンに入ったのでした。訪問した企業は、従業員200人ほどのロシア製の小型車をノックダウンで組立てる中小企業でした。
カザフは、旧ソ連の人口1500万人ほどの国ですが、人口は、ロシア系、モンゴル系、アフガン系にほぼ3等分されており、国土は日本の7倍もあり、地図上ではモンゴルの隣に、ちょうど双子の様に並んでいるシルクロード上の国の一つです。冬季は、マイナス30℃にも気温が下がる内陸の国なので、工場の壁は40センチもあって断熱もされてもいました。暖房は、旧ソ連や東欧の国々の殆どがそうである様に、全て温水暖房となっています。町の郊外には、公営の温水工場があり、町全体に温水と戻りの配管を巡らし、各家々や工場などへ温水を供給しているのです。基本的には、その温水の購入費用は、建物の面積に応じて割り当てられる様ですが、工場など大口需要家には給湯量に応じての従量制も併用されている様でした。
訪問した企業は、元の鉄工所の様な高い建屋をそのまま使っていて、フロアレベルで車の組立てを行っている工場でしたが、事前情報の検討で、20mを超える高い建屋の上の部分まで暖房している無駄に気が付きました。そこで、予め準備し持参した伸縮式の長い釣り竿に温度センサーを吊り下げて、丸一日計測をした結果、確かに床付近で20℃程度の時、天井付近では28℃にもなっていて、使われていないスペースの空気を暖める無駄が確認できたのです。
診断は、組立ラインがあるエリアに釣り天井を設置して、その下だけを暖房するか、その投資が出来ない場合は、作業者個々に赤外線ヒーターを配布し、その代わり工場全体の暖房温度を数℃下げる、というものでした。温水・温風暖房では、暖房温度を1℃程度下げるだけで、凡そ10%程度の省エネが実現できますので、数℃では数十%の省エネになる計算です。仕事の中身は別にして、カザフは北東南を高い山に囲まれ、西はカスピ海に面していて、ロシアのバイコヌール基地もある砂漠の国ですが、一方では石油や天然ガスや鉱物資源に恵まれた資源大国であり、他方では山や山際には豊富な雪解け水によって風光明媚な観光自然もあるという、いわばこれからの国だと感じました。日本も、何時までのB国の顔色ばかり窺っていないで、この様な国とも密な国交を結ぶべきなのでしょう。いずれにしても自費ではなかなか行けないシルクロードの国での2週間の滞在は、人生の中でも得難いエポックになったのでした。

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2021年4月12日 (月)

3928 ある人生11

<フリーランス時代(脱皮の完了)>
勿論、この中小企業に在籍している間にもフリーランスになるための準備は進めていました。お金も暇も無かったので、先ずは放送大学の大学院に入って、改めて「環境学」を修めました。また環境大臣が認定する「環境カウンセラー」に認定もされ、同時並行で環境経営システムであるエコアクション21の審査員の資格にも合格したのです。また、再度の退職後は、特許流通アドバイザー制度にも応募し、年間100時間ほどですが有給の活動もできる様になりました。また知財に関する充実した研修も受ける事ができたので、生活も少し安定し、同時に知財の知識も吸収できたのでした。
徐々にですが、企業の環境経営の審査や、商工会や中小企業の同友会や行政機構などからメーカーなどにおける省エネ研修、更には学校の環境学習の講師などの依頼も増え、どうにかフリーランスとしてもメシが食える様になっていきました。時間はたっぷりあったので、岐阜にあった環境NPOの事務局長も務めながら、退職金で買ったバイクを乗り回しながら、東海地方を走り回りました。
40代半ばから始めた登山も続けていて、毎年2-3回は2、3泊のバイクでの山行に出かけ、それが50座を超えたあたりから、いわゆる深田久弥の「日本百名山」コンプリートを意識し始めて、登頂した名山を地図上で潰していく楽しみにのめり込んでいったのでした。単独登山ですから、数回は命の危険を感じたこともありました。一度は唐松岳の尾根をボンヤリ歩いていて、灌木の根に躓き、深い谷底に滑落しかけたこともあったのですが、とっさに灌木の根を掴んで、九死に一生を得たこともありました。とは言いながら、山の自然や植物や鳥や動物たちにはますます引き付けられていったのでした。

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2021年4月10日 (土)

3927 ある人生10

<中小企業時代>
サラリーマンを退職しても、いきなり自立してメシが食える様なワザは何も持って居なかったので、取りあえずは、K重工の下請けの仕事もしており、新事業への拡大も考えていた知り合いの中小企業の社長を口説いて、新たな部門である「新製品開発室」を設けて貰い、その室長として採用されたのでした。開発の中身は、新製品なのですが、心の中では「環境関連の新製品」に絞り込んでいたのでした。色々な可能性を探索する中で、生分解性油脂を使った切削液システム、バイオマス(特に木質ペレット)の製造機械(ペレタイザー)や燃焼機器(ストーブ)の開発に面白さを感じ、弟子を一人貰って育てながらそれらの開発に当たったのでした。3年ほど掛かって、いくつかのプロジェクトは、試作品として形になったのですが、仕上げと製品化は任せて、その中小企業も卒業して、完全なフリーランスとなる事にしました。というのも、元々出来るだけ早めに自立のワザを身に着けて、完全なフリーランスになりたかったことと、この企業に在籍した3年の間に社長が交替し、3代目の社長へ代替わりしたのですが、この3代目が「生まれながらの経営者」として育てられたためか、開発室に向かっては「お手並み拝見」的な態度を見せていたこともあり、自分が身を引くことによって1、2歩前のめりになって貰いたかったのが、再度の退職の最大の理由だったのでした。その決断が正しかった事は、後日弟子であった子から聞いたのでした。
この企業での3年間のサラリーは、元職の2/3ほどに下がったのですが、その間に種々の環境ビジネスの可能性をゼロから探索する自由を貰った事と、その後の自立のための自己研鑽の時間が出来た事が、何よりの収穫であったと振り返っています。社会人大学院生でもあった弟子には、課題を与えて論文を数本書かせ、海外での学会へも送り出して研究の発表もさせ、無事に博士号を取得させたのは、我ながら小さな手柄であったと振り返っています。彼は、後日若くしてその工場の工場長に抜擢されました。

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2021年4月 9日 (金)

3926 ある人生9

<環境人間への脱皮>
そこから早期の退社を決意するまでは結構早かったのですが、その前に改めて環境先進国であるドイツの状況を見ておきたかったので、2002年の春、勤続30年達成で会社から貰った旅行クーポンを使って、(妻には観光旅行だと信じさせて)2週間ほどドイツや欧州における環境への取組みを見て回ったのでした。レンタカーで走り回った環境先進国のドイツで見たのは、石油メジャーが建設した巨大な太陽光発電パネルの製造工場、色素増感型の新しい太陽光発電パネルの試作品などで下。訪ねたのは春先で、各地の農場は菜の花で一面黄色に染まっていたのですが、それから採れるナタネ油をそのまま使って動かす農業機械(SVO)、木材ペレットを燃やしているペレットストーブ、風車群や住宅での太陽光発電などの再エネ利用の確かな活動でした。
また、川や湖ではかつてはコンクリートで覆った護岸を壊し、緑の土手や砂浜に戻す工事も何か所かで目撃し、北ドイツの炭田地帯では、既に全ての炭鉱が廃止され、石炭化学工業地帯も既に更地に戻っていたのでした。
当時ドイツでは、政策として原発全廃を決めていて、数か所の原発では既に廃炉作業にも着手し始めていました。厳しい自動車リサイクル法では、全ての廃車は販売の逆ルートでメーカーに戻される仕組みとなっていました。メーカーでは、(シュレッダーではなく)部品毎に細かく分解され、ほぼ100%がリサイクルされる仕組みなのです。また規格化され、分厚く作られているPETボトルは、20回以上洗浄されて再使用される法律となっていましたし、各種製品に対しても厳密なリサイクル法が作られており、生活の中での実際のリサイクルの方法を小学校の低学年で教えてもいたのでした。その環境旅行?で感じたのは、当時の日本は「我が国は環境先進国」であるなどと胸を張っていたのですが、実際の環境への取組みでは、既に欧州からは「周回遅れ」の状態にあるという危機感だったのです。
その年(2002年)の春の異動では、高専卒としては異例のポジションに昇進もさせては貰ったのですが、それなりに分厚いボーナスを2回貰っただけで、年末には早期退職を実行したのでした。その際、それまで20年間関わってきた、航空機産業への未練は全くなかったと振り返っています。

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2021年4月 8日 (木)

3925 ある人生8

<海外奔走時代3:ブラジル時代>
ドイツから日本に戻ると、今度はブラジルのE社とのリージョナルジェット機の共同開発の話が急激に具体化し、先行情報を集めるチームの一員として取りあえずブラジルに飛びました。その後、プロジェクトは実際に動き出し、やはりDBTの一員として、今度はブラジル駐在の身となったのでした。E社が所在する、サンパウロからやや北に上がった、S・J・ドスカンポスという人口40万人ほどの高原の街に丁度1年間滞在していました。休暇を利用してブラジルのいくつかの観光地へ旅行もしました。予防接種が必要なアマゾンこそ敬遠しましたが、印象的だったのはブラジルでも内陸部のパンタナール平原と、そこから流れだす大きな川の途中にあるイグアスの滝でした。その近くには、豊富な水量を利用したイタイプ・ダムがあるのですが、そこには19基もの発電水車が並んでいて、それぞれの導水管の直径が、なんと10mもあるのでした。説明版によると、1基の出力は100万kwとのことで、原発1基分ほどに相当します。このダムだけでブラジルの電力の8割程度が賄える規模だとか。意外にもブラジルは、世界でも有数のカーボンフリーの先進国だったでした。加えて街を走っている車の半分ほどは、アルコール燃料車で、その(エチル)アルコールの原料は、広大な農地で作られるサトウキビで作る醸造アルコール(つまりは焼酎)だというのです。この国で輸入される石油は、残りの半分ほどの車や工場のボイラ、水力発電所からは遠すぎる北部の地域で行われている火力発電所に使う燃料程度なので、再エネ率で言えばこの当時でも既に60-70%は既に達成されていた、と想像しています。
1年のブラジル駐在から帰国して、お疲れ様という意味もありやや暇な部署に異動し、しばらくは天井を眺めながら考えに耽る時間ができました。その時ボンヤリ考えていたのは、これからの時代のキーワードは、「環境(保全)」であり、「持続可能性」だろうというものでした。石油を多量に消費する、車や航空機と言った「20世紀の乗り物」は、やがて「淘汰され、駆逐される」だろうとの自分なりの予測も立てたのですが、それを実感したのはあの9.11事件だったのです。あのテロ事件は、燃料をたっぷり積んだ旅客機は、使い方によっては「空飛ぶ爆弾にもなり得る」事を見事なまでに証明してしまったので、それを怖がった人々は海外旅行を敬遠し、事件直後の旅客数は、それまでの40%台まで激減したのでした。つまり、当時の海外旅行客の内2/3ほどは不要不急の、いわゆる物見遊山客だったことが明らかになったのです。それはまさしく、「航空バブル」ではないか、と強く感じたものでした。

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2021年4月 7日 (水)

3924 ある人生7

<海外奔走時代2:海外調達>
米国駐在から帰って、しばらくしたころ、急な円高局面がありました。1997年頃の事です。航空機は部品を作り組み立ててから米国に輸出するので、国産が強いカーボン繊維以外、ほぼ全ての素材を輸入する航空機業界は、それを加工・組立てて輸出すると「二重の為替差損」を被ります。その結果、社内で少なくとも部品は海外で作らせて輸入し差損を軽減すべきだという議論が起こり、結果として資材、生産技術、品証担当の3名からなるチームをいくつか作って、欧州、米国、東南アジアなど航空機産業のある国々の企業群に派遣し、能力調査や見積をさせる調査を大々的に行ったのでした。その一つのチームに入れられて、海外の企業を数十社回った経験は、投稿者にとっては、いわゆるグローバルスタンダードを知る上で大いに役立ったのでした。
我々のチームは、約3か月に亘り米国、東南アジア、欧州などを巡って、潜在的な部品サプライヤを探索したのでした。事前にアポを取った企業を訪問して工場見学し、財務や生産技術力をチェックし、品証体制を調査し、いくつかの部品候補に対しての見積を依頼、最終的には各社ごとの報告書を作成するのが任務でした。
その超円高の波が一段落した頃(1998年頃)、戦時中は飛行艇などを作っていたドイツの老舗航空機メーカーとの、リージョナルジェットの共同開発話が立ち上がり、先行情報を得るため、3か月ほど南ドイツに滞在しました。しかしその会社が傾き、米国の資本に買収されたこともあってこの話はキャンセルになったのでした。

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2021年4月 6日 (火)

3923 ある人生6

<海外奔走時代1:米国>
英会話の力をつけておこうと思い、30代の10年間ほどは毎週1回定時後に、会社が斡旋する英会話教室に通っていました。最初の内こそフルメンバーの十数人が集まるのですが、メンバーはやがて一人抜け、二人抜けして、数回の教室後は数人まで減ってしまうのが常で、結果として少人数になり、講師と色んなトピックスについての深い話が出来る様にもなっていきました。ある年、会社で受けたTOEICの試験が(問題が簡単な年で?)たまたま良くできたのをきっかけに、会社には海外要員として認識された様でした。造船時代にも3回ほど海外出張はありましたが、いずれも1,2週間という短期でした。しかし、B777の派生型機の開発でのB社への派遣・駐在は1年に亘ったのでした。新たに開発する大型機の派生型機の開発で、設計チームに帯同する生産技術チーム(DBT)の一員として米国のシアトル近郊で暮らす事になったのでした。
米国は消費大国でした。街の郊外には、いわゆる大規模な「モール」があり、倉庫の様な巨大なスーパーや外食産業などが多数林立し、お金さえあれば何でも手に入ると言った社会でした。当然の事ながら、多量のごみが出ます。それらは全てごちゃ混ぜにして捨てられますが、最終的には砂漠に運んでそこに掘られた巨大な穴に埋め立てられるのです。また中西部に出張に行くと。飛行機からは地上に広がる無数の水玉模様が見えました。ピボット農業と呼ばれる、円形の農場が広がっているのです。それぞれの農場の直径は1㎞ほどあり、その中心には井戸があって、汲み上げた地下水を半径500mのアーム状のスプリンクラーをゆっくり回して、灌漑するのです。当然の事ながら、余分目に潅水しますから、作物に吸収されなかった水は、やがて蒸発してしまいます。地下水には、それなりの濃度で塩類が解け込んでいるため、水の蒸発後には地表に塩類が蓄積するのです。この量が多くなると、その土地は最早農地としては使えなくなるのですが、これがいわゆる「塩害」です。この様にして放棄された「茶色い水玉」となった農地が、緑の水玉の間に点々と広がっていたのです。この国の大量消費、大量廃棄社会は、このピボット農業も含め、決して持続可能ではないと感じたものでした。

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2021年4月 5日 (月)

3922 ある人生5

<航空機屋時代>
転勤先は岐阜のK務原にある航空機部門で、生産技術担当になりました。図面と工程仕様書(スペック)を読み込み、現場が作業をするための工程計画表などを作成する部門ですが、その他にも次期生産モデルの先行計画や設備計画なども守備範囲にあり、仕事の内容は設計、現場、品証以外の全てと言っても良いでしょう。
30代は人生で一番勉強した時代でした。何しろ、造船でモノは嫌というほど見ては来ましたが、学生時代の勉強嫌いが祟って工学の基本が身についていなかった訳ですから、いきなり化けの皮が剥がされるのを感じたものでした。幸いにも、配属された職場はノンビリしたムードで、仕事や下調べに掛ける時間はたっぷり与えられていたので、分からない事は改めて工学書や英語の文献に当たって、知識を増やしていくことが出来たのです。ラッキーな事に、工場には教科書に載っている様な、新旧の製造設備の全てが揃っていて、作られる多くの部品が日々流れていて、その実際の工程を目にする事が容易でした。という訳で、文献を調べる一方で、実際に朝夕現場に出向けば、行われているプロセスを「立体的に見て知識を確認する」事ができたのでした。こうして、モノには強かったものの理論が弱かった造船屋は、30代の必死の勉強で、やっと理論の裏付けもある航空エンジニアっぽく成長できたのでした。
休みはしっかりと取れたので、30代はテニスも本格的に始め、読書量も人生Max、会社が斡旋していた英会話教室にも毎週欠かさず通い、息子も生まれたので子育ても忙しく、充実した生活を送っていた時期でもありました。そんな充実した生活が40代前半まで続きました。
登山にのめり込んだのは40代半ばの事でした。会社の登山部がバスを1台借り切って、富士登山のトレッキングツアーを企画してくれたのですが、中学生になっていた息子を誘ってそれに参加したのがきっかけでした。高山病気味になりながらも、無事登頂し下界を見下ろした時の達成感が半端なく素晴らしかったので、その後数回は登山部の山行に混ぜて貰って経験を積んだのでした。数回のトレーニング後、装備も買い揃え、ある年に笠ヶ岳から入って槍ケ岳を縦走した山行からは、自分のペースで行動できる単独登山を楽しむ様になっていきました。

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2021年4月 4日 (日)

3921 ある人生4

<造船屋時代>
K重工での配属先は、当時は飛ぶ鳥を落とす勢いの造船部門でしたが、その中では人気が無さそうな修繕部門に回されたのでした。商船は、毎年乾ドックに入れて船体や機関の定期検査と必要な修理・再塗装などを行わなければなりません。それを迎える造船所では、船体と機械と電気の担当技師がチームを組んで一隻の船を担当し、事前の打ち合わせから、実際の検査や修理、そして完工出航までを全て取り仕切るのです。修繕船は、精々長くても2週間程度の工期が普通ですので、当然の事ながら長時間残業や徹夜なども当たり前の職場でした。船の狭い機関室内を動き回る訳ですから、油でドロドロに汚れる作業服を毎日取り換える必要がありました。しかし、直径が1mを超えるピストンを持つディーゼルエンジンや、数万馬力の出力の蒸気タービンやボイラや荷役機械など、船舶には凡そ考えられる全ての機械が揃っており、毎日それらが分解され点検され、必要になら修復される過程を目にする訳です。最初こそ先輩の後ろについて回っていたのですが、忙しくなると無理やり独り立ちを余儀なくされ、知らず知らずの内に「メカのエキスパート」っぽくなれた様な気がします。
ちなみに、最初の1年はK戸が任地でしたが、1年後には、香川県のS出にあった大型船用の造船所に転勤になったのでした。振り返ってみれば造船所での10年余りの間に、担当した船の半分ほどは外国船籍で、乗組員や船主側の担当も外国人であったため、自然と英語によるコミュニケーション能力も身についていた様です。坂出に居る間には結婚もし、まるで58歳で亡くなった母親と生まれ変わる様に、最初の子供(娘)も生まれたのでした。
30代に入った頃、急激な造船不況が始まり、造船の仕事は激減しました。背に腹は代えられず、会社は多くの希望退職を募り(別の言葉では首切りですが)同時に他事業部への転勤を断行せざるを得ませんでした。造船所から多くの仲間を見送った後、自分自身も航空機部門へ転勤する事になったのでした。

 

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2021年4月 3日 (土)

3920 ある人生3

<高専時代:K君の事>
3年の時に、同じ中学から電気工学科に入ったK君に誘われ、日本を脱出してアメリカの牧場で働きながら旅行でもしようと相談がまとまったのでした。K君も頭は良いものの、やはり学校の勉強は嫌いで電気工作ばかりしたらしく、やはり成績は低空飛行していたのです。劣等生同士のワルダグミはすぐに決まったのでした。バイトで少しお金を貯め、いよいよ実行という段になって、彼は強い意志で本当に退学したのですが、自分は母親に泣きつかれて断念してしまったのでした。
初志を貫いて退学したK君は、取りあえず日本の電気会社に入り、その後関連の大手外資系電気会社の米国法人に移り、最終的には急激に伸びていたコンピュータシステムの会社(Sスコシステムズ社)に入って、なんと50代前後にマスコミに登場した時には、その企業の副社長にまで上り詰めていたのでした。功を為す人間は、やはり何か違うと感じたものでした。残念なことに彼は惜しまれながら52歳という若さで早逝してしまいましたが・・・。
一方、凡人の自分はと言えば、成績は低空飛行を続けながら、バイトに勤しみ奨学金も注ぎ込んでオフロードバイクを買い、バイクツーリングやユースホステルを使った国内旅行にものめり込んでいったのでした。人並みに、パチンコ、麻雀、酒やタバコも嗜んでみましたが、どれも体質には合わない様で、趣味?にはなりませんでした。
さて卒業です。 ‘72年当時は好景気で、引く手はあまたでした。求人票を見て、何故か先輩が誰も入っていない、K重工を希望しました。入社試験は散々の出来でしたが、たぶん運動部であった事と大量求人の「十羽一からげ枠」で合格し、その年の学卒。高専卒計360名の一人として無事就職できたのでした。初任給は、確か5万円台だった様に記憶しています。

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2021年4月 2日 (金)

3919 ある人生2

<高専時代>
高専の入学試験は拍子抜けするほど楽だった印象です。特に英語は、教科書には載っていなかった単語を含む問題も出題されましたが、たまたま担任から貰った業者テストにはあったので、お前がただ一人だけ正解だったと、後日担任になった英語の教師から聞きました。かくして、めでたく一択のA高専4期の機械工学科に入学したのでした。家からは通学できないので、学校の寮に入りました。寮費は当時のお金で食費込み1万円程度だった様に記憶しています。
高専に進学してすぐ、父親がいよいよ危なくなった頃、名古屋近辺で働いていた姉に職人の婿さんを貰う話がトントンと進み、どうやら実家の商売も後継ぎ問題と経済的危機は回避できる見込みになったのでした。父親は、結局高専の1年の冬に、肺がんで帰らぬ人となってしまったのでした。
高専での授業は退屈で、一番前の席でしたが毎時間、居眠りばかりしていました。唯一楽しかったのは、学校の工場での実習で、鋳物や鍛造や旋盤作業などは、待ち遠しかった記憶があります。長期休み中は、半分がバイトで少しお金が貯まるとユースホステルを利用し、移動手段としては均一周遊券の他ヒッチハイクや自転車なども使った旅行に出かけていました。
成績は、当然の結果として急降下で、トップに近い成績で入学はした様なのですが、すぐに赤点すれすれの低空飛行の科目ばかりの成績になりました。部活は一応ラグビー部でしたが、先輩が居ない同好会からの出発だったこともあり練習はダラダラで、ラグビー王国の秋田ですから、高校の二軍と戦っても一度も勝ったことはありませんでした。

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2021年4月 1日 (木)

3918 ある人生1

今年は、いよいよ投稿者も70歳の大台に乗るらしいので、ここらで自分の人生を少し振り返って見る事にしました。
<幼少期>
S26年の夏に生まれました。鳥海山が見える日本海側の田舎町でです。
祖母は几帳面すぎる人柄で、どうやら長男の最初の嫁をいびり出した様です。(と想像しています。)後妻となった母と頼りない父との間に、3歳離れた姉の下に長男として生まれました。家業はクリーニング業でしたが、パチンコと釣りと将棋が趣味の父親は、午前中だけ働くと昼からはどこかにドロンと消えてしまうのでした。父親が河口に釣りに行く時は、時々はついていきました。親父は、戦争に行って覚えて来たらしいタバコが好きで、両切りの缶ピースを旨そうに吸っていた姿が印象に残っています。
毎日向かいに住む同級生と、目の前の川に釣りに行くか、そうでなければ近所のガキ大将にくっついて回り、家の前の広い割に車が殆ど通らない道路や河原や堤防や裏山で、暗くなるまで遊び回っていました。小学校の高学年になった時、親は借金をして少し離れた場所に店舗兼住宅を建て、それまでの借家から引っ越しました。中学校は、裏山を通ると15分くらいで通えたのですが、冬季以外はゲタ履きで通していました。部活は卓球部でしたが、先輩のストイックな練習について行けず、数か月で帰宅部になりました。その中学は、テスト結果を廊下に貼り出す様な学校だったので、各人の成績順位は明白で、家では全く勉強をしなかった割には授業をしっかり聞いていたためか、300人ほどいた同学年の成績では、大抵は上位一桁には入っていました。めちゃめちゃ秀才肌の女子と男子が一人ずつ居て、成績で彼らより上になった記憶はありません。つまり成績は最高でも学年3位と言ったところでした。
中学3年の時、父親に(多分タバコとアイロン台に使われていた石綿が原因の)肺ガンが見つかり入院しました。はっきりとは聞かされませんでしたが、どうやら長くなさそうだと想像できました。母親から進路について相談を受けていたらしい担任からは、授業料が高校より安いし、お前の成績だったら奨学金も貰えるから高専に行けと勧められました。担任は、業者からただで貰えるテスト問題を、受験までこれでもやっておけ、と時々渡してくれました。そんなこんなで、地元新聞が行っていた模擬試験でも、全県でも一桁以内を取れる程度の学力はついていた様です。

 

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2021年3月31日 (水)

3917 ボトルネック2

ボトルネックは、何も地政学的なものに限った話ではありません。経済活動を見回せば、例えば希少な資源などでもボトルネックが多く存在する事が分かります。例えば、偏在する資源としては石油やレアアースなどが挙げられますし、一方で大規模な製造設備を必要とする製品としては半導体を使った部品、つまりはCPUやメモリーや太陽光発電パネルなどが挙げられそうです。
社会の経済効率を追求した場合では、勿論製造設備を大規模にして、量産効果を狙う方向なのですが、例えば自然災害や生産設備の故障や工場火災などが原因で、生産・供給がストップしてしまった瞬間から、関連する産業や社会活動でさえギクシャクし始めるのです。それは、取りも直さず社会全体としてのストックが極限まで省かれ、在庫を持たないJIT生産こそがベストだというTヨタ神話が、社会の隅々まで浸透してしまっているからなのでしょう。
中東の運河が1週間ばかりフン詰まりを起こしてしまっただけで、ある工場では原料や半製品の供給が止まって、短期間の操業停止になるかも知れませんし、ショッピングセンターではいくつかの商品の棚が空になってしまうかも知れません。コロナの流行で、消費が少し落ち込んでいたのが、少しは助けになった可能性はありますが・・・。
ボトルネックの解消には、そもそものネックを太くする方法も考えらますが、現実的な策はバイパスルートを設けておくことでしょうか。例えば、アジアと欧州の交易について言えば、一定の割合で鉄道便を混ぜておくとか、温暖化もあり夏場であれば北極海ルートの利用も現実味を帯びてきています。何より、今回のスエズ運河事故の教訓は、大は小を兼ねないというものであった事は銘記すべきでしょう。もし、今回事故を起こしたコンテナ船が、あれほど大きくない船体であったなら、座礁からのサルベージ作業はたぶん一晩程度で済んでいた筈なのです。巨大な工場や輸送手段は、効率が良い反面、実はボトルネックを起こす元凶でもあるのです。

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2021年3月26日 (金)

3916 ボトルネック

中東の運河で、巨大コンテナ船が座礁して動けない様です。座礁というのは正しくないかも知れません。なんせ砂漠を掘った運河なので、乗り上げたのは暗礁ではなく、岸に近い砂地だからです。運が幅がたった200mほどしかない場所で、400mもの長さの船が動けなくなった訳で、当然の事ながら運河は通行止めになってしまいました。コンテナ船は、高速での航行を基本として設計されていますので、運河での航行の様に低速での航行は苦手なのです。つまり、水の抵抗を減らすために線形は痩せており、抵抗となる舵版も高速では十分に効きますが、低速では殆ど効かないと言っても過言ではありません。
代わりに船を左右に動かすために、前後にはサイドスラスターと呼ばれる小さな推進器がつけられてはいるのですが、何しろ世界最大級の図体では、敏感に作動するとも思えません。多分、スラスターを動かし始めてから数十秒後にやっと反応すると言った程度でしょう。船長の判断としては、砂嵐で視界が悪かったのではあれば、然るべき場所で待機すべきだったのでしょう。
さて今回の話題はボトルネックですが、世界には多くのボトルネックが存在すると改めて考えさせられます。海運に限って見ても、パナマやスエズと言った国際的運河、マラッカやホルムズやボスポラスやドーバーと言った海峡などが思い浮かびます。そういった場所は、常に国際紛争の火種ともなってきましたが、悪い事にはそういった場所こそが、物流が集中する場所と重なっているのです。
つまり、経済が貿易に依存している日本の様な国をイジメるのに武器は必要ないのです。ボトルネックを押えている1国又は2か国が協力して、ボトルネックを締め付けるだけで良いのです。物流の遮断が始まると、仕方がないので貿易国はコストの高い迂回ルートを選択するしか手段が無くなるでしょうから、物価が上がり経済も苦しくなっていくでしょう。3914,15で述べたVUCAの時代、この国も可能な限り地産地消を推し進め、ボトルネックへの依存度を下げる様に努力する必要がありそうです。

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2021年3月25日 (木)

3915 OODAの時代2

VUCAの時代、素早くより正しい方向に歩みを進めるためには、OODAサイクルが有効だと書きました。しかし、それを担保するには条件も必要です。それは、より正しい事実を観察するための「観察眼」と、その得られた事実をより正しく分析・評価し仮説を立てるための「価値観」でしょうか。勿論、意思決定のプロセスでは混乱も予想されます。というのも、いわゆるステークホルダーの間には、必ず「利害の対立」乃至は「利害の不一致」があるものだからです。しかし、意思決定までのプロセスが正しければ、その後の意思決定の混乱回避はは比較的容易でしょう。もし、意思決定に困ったとしても、「では将来世代のためになるのはどの決定か?」との問いを立てれば、良いからです。これは、権利を強く主張する人たちの「殺し文句」でもあります。現世代に利害の対立があったとしても、誰も将来世代が不幸になる事は望まないでしょう。
さて問題は、優れた観察眼やより正しかろう価値観を、一体どの様にして育むかですが、これは兎にも角にも、常に今の時代に存在する問題を掲げて、その原因と対処方法を議論し続ける事しかないでしょう。それも、誰か偉い学者や政治家が議論を誘導するものであってはなりません。議論の参加者や聴衆も一緒に考える場でなければならないのです。それも一度や二度ではなく、同じ問題や課題に対して、いくつか視点を変えて、徹底的に原因を突き止め、その解決法を議論するのです。
例えば、今回の新型コロナのパンデミックですが、私たちは歴史の中で、何度もウィルスや細菌によるパンデミックを経験済みでもあり、この際「次なるパンデミック」に向けての課題と解決に至る道筋を改めて議論しておくべきでしょう。例えば、パンデミックとなる以前の、感染初期の情報の集め方や初期警報の出し方ならびに初期消火の手順は決めておく必要があるでしょう。そのためにも、パンデミックに至る「感染の仕組み」の解析は特に重要です。というのも、今回のコロナパンデミックでは、豪華客船の感染者やB漢からの帰国者が、流行の起点になったのは間違いないのでしょうが、その後の感染拡大には経路が不明であるケースが余りにも多いからで、感染経路も飛沫感染だとかエアロゾルだとか、接触感染だとか、議論が分かれていて、必ずしも明確にはなっていないからです。
私たちは、今回のコロナパンデミックに関して、可能な限りの科学的データを集め、来るべき次期パンデミックに向けての原因特定や対処方法を学習しておくべきでしょう。その上で、それが発生した場合でも、一刻も早くOODAサイクルを回す訓練を重ねておくべきでしょう。専門化会議などは、平時でも常設しておくのも良いかも知れません。

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2021年3月23日 (火)

3914 OODAの時代

このタイトルでは一度位は書いた様な気もしますが、おさらいのの意味でも再度書いておきます。その前に、1990年代に不確実性が高く予測のしにくい時代の象徴として、VUCAという言葉が流行ったことがありました。自然災害の多発や新型コロナなどもあり、最近再度このVUCA:「Volatility:変動性」、「Uncertainty:不確実性」、「Complexity:複雑性」、「Ambiguity:曖昧性」が脚光を浴びてきた様な気がします。
確かに、比較的最近にSARSやMERSは経験した人類も、今回の新型コロナの全世界の及ぼしたインパクトは、殆ど予測不能だったでしょうし、従って対処も後手後手に回ってしまったのでした。増してや、このウィルスは次々に「変異株」を作り出して、「Volatility:変動性」、「Complexity:複雑性」を増加させ続けてもいます。
その様なVUCAをまとった諸現象に対処するプロセスとしてはOODAしか無いと思うのです。継続的改善に向けては、これまではいわゆるPDCAサイクルが定番でした。このサイクルは、P:Plan(計画)、D:Do(実行)、C:Check(評価)、A:Action(改善)を繰り返し、商品や品質の管理を計画的かつ継続的におこなうものです。計画通りに改善を進めるため、長期的な戦略でメンバーにも共有されやすいというのが特徴です。
それに対してOODAは、O:Observe(観察)、O:Orient(仮説を立てる)、D:Decide(意思決定)、A:Action(行動)を「短期間」で繰り返していくため、OODAループとも呼ばれます。先ず最初のO:観察とは、先ずは出来るだけ多くの事実やデータを観察により積み重ねるステージです。次のO:仮説を立てるでは、事実やデータに基づいて、今何が(どんな原因で)起こっているのかという仮説を立てるステージです。勿論、この仮説に誤りがあると次のステージの意味も失せてしまいます。その正しかろうと思われる仮説を受けて行動すべきことをD:決定するのです。意思決定後は、A:行動あるのみです。PDCAサイクルは、合理的に見えますが、Pの計画を立てる前に、事態を分析するというステージが抜けているのか欠点とも言えるサイクルだと思うのです。加えて、改善が生まれるのが、例えばCAサイクルの完了する1年後になってしまう場合も多いのです。
一方でOODAサイクルでは、仮説さえ立てられれば、決定や行動のステージには速やかに進めるでしょう。つまり、サイクル時間を短くできるメリットがあるのです。勿論、仮説の信頼性は非常に重要です。正しい決定のためには、正しい(分析と)仮説を立てる事が必須だからです。この国では、いわゆる官邸主導や閣議決定という決定プロセスが先ずあって、それにお役人が理屈を後付ける様なプロセスが横行しています。そうではなくて、正確な分析に基づく、正しい仮説が無ければ、決定などすべきではないのです。新型コロナも1年以上時間が経過し、事実やデータがかなり積み上がってきましたが、まだ納得できそうな仮説や、終息に向かうためのシナリオが明確には見えていない様な気がします。この国のシステムである立法=国会審議やそれを回すために、優秀な官僚が多大な準備時間が取られる、今の政治システムはPDCAにはそれなりに適しているのでしょうが、OODAには全く不向きであるとしか言えません。OODAは、人数を絞った優秀なメンバーで構成されるタスクフォースチームによってのみ、効率的機能するからです。続きます。

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2021年3月19日 (金)

3913 ジャンボジェットの終焉

1960年代の終わりに登場したB社のジャンボジェット機(B747)は衝撃的でした。当時は皆、あんな大きくて金属で作られた機体が、数百人もの客を乗せて、空を飛ぶなんてことが信じられなかったと想像しています。その流れに乗って、総二階建て構造として更に乗客数を増加させたAアバス社のジャンボジェット(A380)も開発されました。初飛行こそ今世紀に入ってから行われましたが、A380も「大きい事は良い事だ」のキャッチフレーズが作られた20世紀の遺物だと言えるかも知れません。
A380を受け取り運航している航空会社は、購入を後悔し、今現在はたぶんこの怪物を持て余しているのだろう、と想像しています。600人前後の乗客を集め、彼らを空港から与えられた短い時間で乗降させ、多数のCAを雇って機内サービスを行い、エンジンが4基もある機体を整備し、長時間かけて多量の燃料を補給しながら毎日運航する事を想像しても、その苦労が偲ばれると言うものでしょう。要は、「大は小を兼ねる」という言葉は、従って「大きい事は良い事だ」というキャッチフレーズも、今の時代には全くそぐわないと断ずるしかないのです。それは、Aアバス社が僅か200機の製造で製造を打ち切ったという事実でも明らかでしょう。

一方、B737やA300シリーズの様な中型機であれば、上手く仕組みを整えれば、空港での駐機時間は30分程度に短縮できるという実例があります。乗客を少し減らして、燃料を多く積めるようにすれば、多くの航空路線で国際便としても使えるのです。かつて9.11事件の勃発時には、国際線の乗客は一時40%まで減少しました。今回のコロナパンデミックでは、たぶん国際線の利用客は90%以上は減少したはずです。不要不急の旅行客(物見遊山客)は、潜在的には50%以上存在すると想像しています。であれば、旅客機の乗客数だって200人もあれば十分なレベルと言えるでしょうし、旅客機が小さければ取り回しも楽でしょうし回転率も向上できる筈です。
これからの時代のキャッチフレーズは「大きい事は無駄な事」とでもなるのでしょうか。これを敷衍すれば、それは全ての分野に亘っても言えることで、製造業、運輸業、発電所やインフラなどなど、これまでは規模のメリットを主張してきた業界も、同様にその方針を見直して、最適なサイズを再考べきでしょう。

 

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2021年3月16日 (火)

3912 バイオ燃料

緑藻類を使ったバイオ燃料やバイオ航空燃料の製造や実用化がネットニュースになっている様です。勿論、それで全量を賄う事など出来ないでしょうから、削減義務を負わされている石油消費家は、例えば石油燃料に5%程度混ぜて使い、石油(=CO2排出)を5%削減したと発表したいのでしょう。
投稿者が実際に見聞きしたバイオ燃料の例を挙げると、1)ナタネ油をSVO(直接燃焼)として農業機械の稼働(ドイツ)、2)ナタネ油をメチルエステル化してのディーゼル車の運用(国内)、3)ブラジルにおけるエタノール車の運用(ブラジル)などですが、それぞれに課題を抱えている様です。1)はナタネを栽培するための広い農地が必要ですから、食糧生産との農地のバッティングが問題になるでしょう。2)では、廃食油を使ったとしても、改質の使用するメタノールの確保とメチルエステル化の過程で生ずる大量の廃棄物(グリセリン)の処理でしょう。3)でもブラジルの様に農地が豊富な国では、石油と競合は可能なのでしょうが、他の国では実用化は到底無理でしょう。加えて、エタノールはガソリンに比較して熱量が小さいので、車の馬力が大幅に低下もします。
では、緑藻類を培養して得られるバイオ燃料の実用度はどうなのでしょう。現状では、ガソリンと同等の燃料の製造は無理の様で、軽油や航空燃料(ケロシン)を代替するのが精々なのでしょうが、いずれにしてもクロレラ培養のための広い培養池が必要です。クロレラは葉緑素を持つ「植物」なので太陽光を使って光合成をおこなって増殖します。従って、培養には豊富な日照時間も必要とされる訳です。狭い国土のこの国で、ではその様な広い培養池の確保が可能かと考えてみても、田んぼでも潰さない限り土台無理な相談だと言うしかないでしょう。
ジェット燃料に経った5%程度のバイオ燃料を混ぜて飛ばすくらいなら、飛ばす航空便を5%減らす工夫をした方が近道でしょう。ましてや、新幹線網が張り巡らされているこの国で、短距離の旅客便を飛ばす意味など見出す事は出来ないでしょう。私たちは、輸送システムに関してあまりにも便利で速い事を求め過ぎている様です。先ずは、省エネ=節約による大幅な石油消費量の削減こそが最優先なのです。

 

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2021年3月14日 (日)

3911 多様性と包摂性

SDGsへの取組の中で最も重要なキーワードは、多様性と包摂性と言われています。多様性とは、言わずもがなですが、人間社会では、人種や性差や障害の有無、あるいはSGBTなどの人の多様性やその人々が作り出す文化の多様性などを意味します。また、環境における多様性は、気候や風土が作り出す、多様な環境の中で育まれる、植物や動物(含む微生物)の多様な分化とそれぞれの棲み分けを意味します。
では包摂性とは何を意味するのでしょうか。確かに包摂性という言葉は日常語ではないため、良く分からない抽象的な概念を含む言葉だと言えそうです。投稿者の解釈では、例えばより包摂的な社会では、上に述べた多様な人々を、許容し包み込むような懐の深さを持つと言えそうです。自然環境も、非常に大きな包摂性を持っては居ますが、人間の排出する環境負荷が余りにも大き過ぎるため、近年ではその包摂性を超えて、気象変動を含む後戻りの効かない環境の変化(悪化)が問題になっているのです。それは、環境の包摂性への人類の「甘え」としか言いようがないのです。
英語圏でのたとえですが、「パーティーに招待されること」が多様性、「ダンスに誘われること」が包摂性と言われている様です。つまり、多様性とはパーティに招かれた客層の振れ幅の様なもので、事実そのものと言えますが、一方でダンスに誘われる様な客は、ダンスの上手下手は別にすれば、招待した主の包容力の中に包まれている状況と言えるでしょう。
SDGsにおいては、環境の持続性を担保するために、人間社会の在り方が問われる訳ですから、これまでの様に自然環境の包摂性に甘える行動は控えなければならないでしょう。逆に、生物の多様性のためには、人間側の欲望(の多様性)は、かなりの程度抑制的な範囲に留める必要がありそうです。しかし個々人の自主的な抑制行動(自粛)に任せていては、コロナの感染の様に先行きは見えないでしょう。やや厳しめな抑制法で縛る必要があると思うのです。例えば、プラスチックごみの削減を考える際に、レジ袋の有料化だけでは全くと言って良いほど効果が無いのは明白でしょう。プラスチックの生産量を制限するか、プラスチックの再使用やリサイクルを義務付ける様な法整備が不可欠なのです。その意味でこの国は、その様なルールを作るに当たっては、常に及び腰で、欧州の様な環境先進国のお手本の後追い程度しか出来ないという残念な国(環境二流国)だと断ずるしかありません。

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2021年3月12日 (金)

3910 災後に思う

あの東日本大震災以降、津波に襲われた被災地の悲惨な状況を指して、「戦後」に対応する言葉として「(震)災後」という言葉が充てられたのだとか。しかし、この国において災後などという言葉は意味がなく、常に「災前」であると考えなければならないとは思います。
最近でも、大地震発生のメカニズムとして、これまでのシンプルなプレート移動+大陸棚跳ね返り説に加えて、プレートの岩盤中の生物の存在が岩石の脆弱化に関連しているとか、これまでの大地震の発生想定サイクルよりかなり短い「スーパーサイクル」が存在するだという新説が提出され、その証拠も見つかり始めています。もしそれらが正しいとすれば、この国の次の大震災発生の頻度は高く、リスクもこれまで考えられていたより、かなり高くなると身構えなければならないでしょう。身構えると言っても、地震を防ぐ「防波堤」などは作れませんから、ひたすら発生後の混乱を小さく抑える事くらいしか出来ないでしょう。個人では、精々防災袋や非常食を準備することくらいでしょうし、インフラに責任がある行政側としてみれば、公共の建物や橋梁などの耐震工事以外に有効な対策がある訳でもなく、ひたすら地震発生まで待ちの姿勢しか考えられないでしょう。
震災で最も被害を受けるのは、言わずもがなですが、都市の人口密集地帯でしょう。人口密度、住宅密度、インフラ密度が極度に高いエリアなのです。人口増加=都市エリア拡大に伴って、防災という視点を軽視して無秩序に作られたインフラや建物・住宅など密集する大都会が、大震災の見舞われた時の被害は、関東大震災や阪神大震災を引き合いに出すまでもなく、その何倍にも上ると思われます。取り分け、木造家屋の密集地帯では、阪神大震災でも経験した様に、火災の多発が犠牲者を大幅に増加させるでしょう。
首都機能の分散の論議は、生まれては消えて今に至っているのですが、実際に首都が直下型の大地震に見舞われた時を想像しても、右往左往する数百万人の姿が浮かぶだけです。それは、鉄道が壊滅し、瓦礫で車も使えす、食糧もろくに手に入らない状況で、電気も水も絶たれ、トイレさえも使えない「難民が」仕方なく歩いて郊外に向かう姿です。
この国では、当事者は別にして、何時までも災後として10年前の過去を振り返っている暇などは無い筈なのです。来るべき次の大震災に備えて、一日も早く本格的な首都機能の分散と同時に、人口の地方分散政策に着手しなければならないのです。災後=災前なのですから。

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2021年3月 8日 (月)

3909 手放し運転車2

自動運転車の普及の如何は、結局機械に対する信頼性の問題に還元できるでしょう。車に運転手が必要なのは、車は自分で勝手に動く事はないように作られているからに過ぎません。軌道上だけとはいえ「ゆりかもめ」の様に自動運転を前提にした乗り物では、普通に自動運転は行われてもいます。とは言いながら、それとて中央監視室で誰かが監視を行っているので、運航の安全は担保されているわkです。しかも、運航は交差点や正面衝突の心配のない軌道上に制限されていますから、いわば1次元の制御というシンプルなシステムで、事故を回避している訳です。
一方で車は、道路網という2次元の広がりを持ったフィールドの中で、安全に運行しなければならないので、制御ファクターが非常に多くなってしまいます。坂道や道路の段差もあるでしょうから、事実上3次元の制御も必要となるので、最早機械自身が持つ自立型の自動運転制御では、安全を確保することは土台無理な話なのです。加えて、他の自動運転車や従来からの手動運転車が道路上に混在する訳ですから、安全な完全自動運転車の登場など全く考えられないのです。
そこで、車メーカーとしては、目新しさを狙いつつ機能を制限したレベルいくつといった、半自動運転車でお茶を濁す事になる訳です。これは、イザという場合の手動への切り替えを前提に、運転者が乗っているという車ですから、単に自動運転時に運転者が楽ができる程度のシロモノに過ぎません。更に考えるべきは、システムの信頼性でしょう。自動運転車のシステムには、必ず周囲を監視する「センサー部」と車のハンドルや車速を制御する「アクチュエータ部」と、情報を処理し判断する「コンピュータ部」が必要です。しかしながら、いずれの要素も、汚れや経年劣化や断線、接触不良と言った原因からの誤作動を回避する事は不可能であるというしかありません。つまり、技術屋がどんなに頑張っても信頼性100%のシステムを作る事など出来ないのです。だからこそ、機械のエラーを監視するために運転者が必要とされてる訳です。
勿論、信頼性が100%に届かなくとも、某大手車メーカーが実験的に作る街で、全ての車が登録され、監視され、コントロールされているケース閉システムの中では、自動運転車を走らせることは、「常時監視」という条件下で、可能ではあるでしょう。しかし、自動運転車がその街の外に出る事は叶わないのです。車メーカーが、こんなバカげた街を作る前に是非為すべきは、絶対に誤発進・暴走事故を起こさないオートマ車の開発でしょう。それは、起こしかけた暴走を止めるスマアシ車などではなく、そもそもアクセルとブレーキを踏み間違わない様に、人間工学を考慮した本質安全車を指します。その点、オートバイは手動アクセルと足踏みブレーキという手・足分離による制御と行っているという理由で、人間工学的な安全性は、車より数段優れていると言えるでしょう。

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2021年3月 5日 (金)

3908 手放し運転車

レベル3の自動運転車が発売されたそうです。このニュースを見ての感想は「人は何処までズボラになるのか」でした。そんなに、ハンドルを回したり、アクセル・ブレーキの操作が面倒なら、車など乗らずに、電車・バスを使えば良いでしょう。投稿者は、ずっとマニュアル車に乗り続けていますが、車の運転は嫌いではないし、それどころか両手、両足を駆使して車を運転する事は、身体や頭の老化防止に効果大と見ています。車を発進させる際には、半クラッチ(左足)とアクセル(右足)の絶妙なシンクロが求められますし、何より坂道発進に至っては、更にハンドブレーキ(左手)との三位一体の操作が必要なのです。
そんな、運転操作を殆どしない(させない)自動運転車は、どれほど人の持つ能力を「退化」させるのか想像もつきません。そもそも、オートマ車での急発進事故は何度も発生していますが、マニュアル車での同様事故は、たぶん全く報告されていないと思います。自動化=能力退化と見做せば、まさに工場の家電や車やそれを作る工場の自動化の歴史は、人の能力退化の歴史と言い換えても良さそうなくらいです。ヒトは手の機能を異常に進化させた動物ですが、それを使って工夫を重ねながら道具を作り、その道具を使って更なる高度な道具や機械を作って来たわけですが、近年は自動化によって、それら工夫する楽しみや能力を、急速にしかもかなりの程度奪われている様な気がしてならないのです。つまり自動化とは、ヒトの能力を機械に依存し、その能力を退化させる行為そのものなのです。
くり返しますが、ヒトは手を使わなければ、急速に退化してしまいます。骨折などで一時的に寝たきりになった高齢者が、骨折が癒えても結局そのまま寝たきりのままになってしまうのは、歩行能力が急速に「退化」した結果だと言っても良いのです。マニュアル車で運転を始め、オートマ車に乗り、更に自動運転車に乗り継いだ人の、車運転能力も間違いなく急速に「退化」してしまうのは間違いないでしょう。貧乏な投稿者は、間違いなく高価な自動運転車は買えませんが、たとえ買えても能力の退化という犠牲を払ってまでそれを選択する事はないと断言できます。

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2021年3月 3日 (水)

3907 脱原発への遠い道のり

国会の論議を聞いていて、何時もイライラします。脱二酸化炭素宣言は是とするにしても、野党の脱原発への質問に対しては、与党は何時も「安定電源の確保」の一点張り逃げを打つのです。安定電源ではなかったからこそ、福一での原発事故が発生したのであり、稼働時間に比例して増え続ける放射性廃棄物の処理に関しては、未だに有効な道筋が示されてもいないのです。原発から出る放射性廃棄物は、国内では何処も最終処分地を引き受ける自治体が現れない、厄介者であり続ける運命なのです。勿論、いくら巨額のお金を積んだとしても、海外の国がそれを引き受ける筈もないでしょう。
であるならば、放射性廃棄物が原発敷地のプールに収まっている現在の状態で、一刻も早く「脱源発」を宣言し、原発への依存を止めるべきでしょう。原発は、敷地内に核のゴミを抱えたままで、その放射能が弱まるまで、核のゴミの墓場として現状維持するしかないのです。何故なら、地震国であり火山国でもあるこの国では、国内に地盤が安定していて、未来永劫に亘って地下埋設できる様な土地は見つからないでしょうから、それを所管する自治体だって埋設を認可する可能性は殆ど無いでしょう。比較的に地盤が安定している、絶海の孤島でも存在すれば別ですが、そうでなければ比較的大きな島の全住民を移住させ、空っぽにした上で改めて核ごみの埋設場でも作らない限り、原発に核ごみを「仮保管」し続ける状況は変えられないのです。原発の立地自治体は、許容は出来ないのでしょうが、残念ながら現状を動かす事は叶わないのです。
この国のマツリゴトは、常に企業や経済活動の方を向いて動いてきたことは自明です。多くの規正法が、企業の悪事を取り締まるために作られましたが、それらは常に「後追い」であった事からも明らかです。東海村に国内最初の実証炉が建設されたのも、業界からのお神輿に乗った?、N曽根らが、S30年に国会に「原子力基本法」を上程したのが嚆矢だった訳です。その後は、国内の大手が、B国などの原発企業から技術導入を盛んに行い、次々に原発建設を進めたのでした。
しかし、人間が作ったモノは必ず壊れる事を忘れるべきではありません。金属は腐食しますし、応力下では「応力腐食割れ」や「疲労破壊」も起こすのです。原発は、コンクリートに閉じ込められた金属性の容器と配管の塊である事は間違いないので、経年劣化によりその危険性は年々増大するでしょう。この国は、何故欧州の環境先進国に様に、脱炭素と同時に脱原発の宣言が出来ないか不思議ですが、前述の様にマツリゴトと企業のもたれ合いが続く限り、原発政策の軌道修正は望めないのかも知れません。悲しい事ですが・・・。

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2021年3月 2日 (火)

3906 地域循環共生圏2

地域循環共生圏と一口に言っても、ではその実際のサイズ感としてはどの程度なのでしょうか。投稿者の研究?によれば、それは中小河川を直径とする円程度と言えそうです。具体的には、直径としては最大でも50㎞程度だと言っておきます。車を使う場合は、圏内では端から端まで1時間以内で移動できるサイズです。車移動が少なかった時代(例えば戦前)では徒歩や馬車での移動ご主だったでしょうから、そのサイズは直径でも20㎞程度に留まっていたでしょう。かつては、この様な小さな圏内で、経済活動の大部分が回っていたのです。
里山では、薪炭や山菜を採取し、村では食料を生産し、街では軽工業や醸造業や食品加工などの産業が営なまれていて、その圏内ヒト、モノ、カネがグルグルと循環していたのです。その圏内で調達できないものだけ、圏外の工業地帯にあるメーカーで作ったモノを移入し、代金は田舎で農林水産業などで稼いだカネで決済していたのです。
理想的な、地域循環共生圏は、結局狭い地域で自給自足できる範囲内で、ヒト、モノ、カネを循環させ、「必要かつ最小限」の足らざるは外部からの供給に頼る様な社会システムという事になります。その中では、必要以上に「お金」に頼ることなく、可能な限り物々交換か地域通貨などで決済する仕組みを工夫する事が肝要でしょう。お金(通貨)は、現代社会では事実上何にでも交換できる「価値」ではありますが、自分が手にしている価値をお金に交換する際には、必ず「損」をしてしまうのです。お金同士の交換でも、例えば外貨に交換する場合には、一定の割合で手数料の様なものが発生しますが、モノや価値をお金に交換する場合でも同様の事態が発生するのです。銀行でも、モノを売り買いし輸送する流通業でも、金利や各種の手数料を要求しますが、彼らはそれで利益を出して暮らしているのですから仕方がありません。とは言いながら、金融業や流通業が、必要以上に肥大化している事は間違いないでしょう。
逆に言えば、私たちは金融業や流通業などとそこで暴れ回る「お金」に踊らされているのかも知れません。私たちは、自分で食料を得るために、里山に入り、または庭で野菜を育てる行動を放棄して、代わりにお金を握ってスーパーマーケットに走るのです。これでは地域循環共生圏の実現どころか逆に「広域一方通行他者依存圏」などと呼ぶしかない社会なのです。この様な社会では、地球の資源を大量に採取し、大量に輸送し、大量に生産して流通させ、最終的には大量のごみを出して、埋め立て場を満杯にするか、海の浮遊ごみを増やし続ける結果しか生まないのです。地域循環共生圏へのアプローチとは、今の社会の経済サイクルを諦め、少し昔の小さい単位のサイクルに逆戻りさせる行動を意味するのです。

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2021年3月 1日 (月)

3905 地域循環共生圏?

環境カウンセラーのオンライン研修で、表題の説明を受けましたが、正直内容が頭に残りませんでした。背景には、SDGsの目標年度(2030年)まで10年を切り、それを担ぐ(担がされた)K境省が、色々な活動を、全部てんこ盛りにした「曼荼羅図」に仕立ててしまった事があります。曼荼羅ですから、森羅万象が何処かに描いている事は分かりますが、では取りあえず庶民は何を為すべきかが読み取れないのです。昨日のNスぺで、南の島の子供たちがプラスチックごみを減らす運動を起こし、それが国全体を動かし始めた事例が紹介されていましたが、プラスチック減らしは確かに環境悪化への歯止めとしては有効でしょう。
しかし、為すべきは庶民の行動への期待だけであってはならないでしょう。先ずは、国や行政によるルール作りだと思うのです。プラスチック(容器)ごみ減らしには、業界を挙げての容器リサイクルの仕組み作りが始まっていますが、そもそも最終的にはリサイクルするにしても、一方通行の物流をそのままにして、容器ごみが減る筈もないでしょう。かつての様に、容器は再使用するシステムを行政のルールとして取り決めるべきなのです。メーカー各社が規格化した、厚手のPETボトルを使って瓶詰を行い、小さなシールで商品名を表示して販売すれば、その容器を専門の業者が回収して洗浄し、再度メーカーに送れば、パウチやPETボトルの使い捨てが無くなる筈なのです。
さて、地域循環共生圏に戻りますが、投稿者なりの理解では、先ずは地域内で、人、モノ、カネを可能な限り回す仕組みを作る事から始める必要があると思うのです。食糧に関して言えば、都市は明らかに入超の地域であることは間違いありませんが、それにしても近郊で農地が残っている限りは、そこで可能な範囲内で食糧を生産すべきでしょう。勿論それだけでは、全く足りませんので、地域循環を実現するためには、国の政策として人口の地方分散化を進めるべきでしょう。行政組織の地方移転が叫ばれて久しいのですが、それが一部でも実現したと言うニュースはついぞ耳に入っては来ません。限られた地域での人、モノ、カネの循環が実現すれば、例えばコロナの様な感染性の病気の拡大も随分減らせたことでしょう。つまりは、地域循環共生圏とは都市化、グローバル化の真反対(対極)にある社会の姿だと言えるのです。続きます。

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2021年2月28日 (日)

3904 空飛ぶ車を嗤う

T社も本格的に空飛ぶ車の実用化に乗り出すようです。空飛ぶ車の嚆矢は、たぶん1950年代B国での数多くのチャレンジでしょうか。車用のガソリンエンジンも性能(出力)が上がり、コンパクトにもなってきた時代、車を徹底的に軽量化し、それに翼をつけたもので、多くのチャレンジが行われたのでした。しかし、残念ながらそのバカ高い値段と、事故も多かったこともあって、実用化には至らなかった歴史がある様です。
しかし、近年は小型ドローンを発展させる形で、新しいタイプの電動乗用ドローンが次々に開発されてきました。ヘリコプターの様にシングルローターではなく、4個以上のマルチモーター・ローターの、いわゆる小型ドローンを大きくした様な形をしています。
ヘリコプターが実用化され、型式証明を受けて運行されている背景には、勿論数多くの事故と改良があった筈です。ヘリの様に、大きなローターが全荷重を吊り下げるタイプの航空機は、大きな安全上のメリットを持っています。それは、ローターの揚力の下に、機体重心があるため、ローターが停止した場合でも、落下する途中にオートローテーションによって揚力を生み出せば、地上への激突が回避できる点にあります。そうでなければ、エンジントラブルの度に、墜落事故が発生し、多くの犠牲者が出ていた筈です。そうは言いながら、ヘリが事故を起こす確率は、翼をもつ航空機に比べて、確率は3桁も高いのです。(100万飛行当たり10回以上)
では、乗用ドローンの安全性はどう考えれば良いのでしょうか。ドローンは、ヘリとは異なり、機体+乗員の荷重の重心は、ローターが出す揚力よりはやや低いものの、とても吊り下げ型とは言えないでしょう。加えて、複数のローターは均等に荷重を支えていますので、もし一つか複数のローターが停止した場合、バランスが崩れ機体は傾くでしょう。それを防ぐには、ローターの揚力に余裕を持たせ、しかも瞬時に止まったローターの揚力をカバーする様に難しい制御しなければなりません。
つまり、乗用ドローンの安全性を確保するためには、システム(取り分け動力系)にかなりの冗長性が求められるのです。冗長性=重量増加を意味しますから、貨物用ドローンに比べ、ペイロード当たりの重量が大きくならざるを得ません。加えて、乗員・乗客は風に晒されて生身で乗る訳にはいきませんから、乗員(乗客)一人乗せてを飛ばすためには、どれほどの機体重量になるのかを考えるととても実用化されるとは思えません。元技術屋のヤマ勘で言えば、300㎏以上にはなるでしょうか。バイクで言えば2台分程度です。こんな物体が、頭の上を飛び交い、そしてダウンバーストや突風などで、時々は墜落する様な危険な社会は想像できませんし、絶対に実現させてはならないでしょう。大金と人材を使っての無駄な開発努力は即刻中止すべきです。

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2021年2月26日 (金)

3903 金属疲労と金属腐食2

2902に書いた様に、投稿者としては、問題となっている航空機エンジンのブレードの破壊は、てっきりブレードの外側に、腐食による初期傷が発生し、そこが起点となっての疲労破壊が原因だと思い込んでいましたが、専門家の分析では、どうやら破壊の起点となった初期傷は、軽量化のために中空としている内部表面にあった様なのです。外表面の初期傷を検知する方法は、浸透探傷検査や渦流検査等いくつかありますが、内表面の傷を検知するのは至難の業と言えるでしょう。超音波検査はその数少ない検査法ですが、内部が複雑な形状の場合、かつその傷がごく小さい場合、ベテランでも見逃してしまう可能性が高いのです。更に詳しく言えば、超音波の周波数(数kHz)の波長より小さい傷などは、原理上検出は出来ないのです。
中空のファンブレードは、これは想像ですが、Ti鋳物又は焼結金属+HIPで作られるのでしょうが、外表面はいか様にも滑らかに仕上げる事ができますが、アクセスのしにくい(出来ない)内部の表面は、鋳放しのままとせざるを得ないでしょう。ザラザラしている鋳放し表面は、詳細に見れば小さな凸凹(山谷)がある筈で、その谷の部分は、一種の切り欠きとも見做せるでしょう。かつ金属結晶と隣接する結晶の間(粒界)は、当然の事ながら強度は結晶自体より弱く、切り欠き効果と粒界の弱さが重なった場合には、設計より耐繰り返し荷重が低下している可能性は否定できません。
加えて、中空の内部空間には、圧力変化を回避するために、外部の圧力と同じにする目的で、通気穴が設けてある筈です。この穴からは、当然の事ながら塩分を含んだ空気も出入りするので、内部で結露して腐食環境を悪化させる点も懸念されるのです。
投稿者としての結論を述べるなら、このエンジンを積んだ旅客機は即飛行停止とし、同エンジンを引き続き使うなら、複合材化するなどの設計変更して、その後の耐久性試験が完了するまで、お蔵入りとするしかないと見ています。しかし、設計変更が完了し、追加の耐久性試験を行うには、莫大な費用と時間が必要ですので、このエンジンは諦めるしかないのかも知れません。ちなみにライバルメーカーのエンジンに使われているファンブレードは、複合材で作られていますから、腐食や金属疲労が原因となる破断事故は起こりません。とは言いながら、複合材には複合材なりの弱点もありますから、絶対に安全であるとも断言できないのでしょうが、大分マシであると考えても良さそうです。なんであれ人間が、作ったモノに100%完璧などは到底期待できないのです。設計、素材製造、部品製造、組立、検査、メンテナンスなど全てに人間が関わっている限り、人間が犯す「ヒューマンエラー」からは逃れられないのですから。

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2021年2月24日 (水)

3902 金属疲労と金属腐植

3901に書いた、B国の航空機事故では、事故調査委は現段階では、どうやらブレードの金属疲労による破断が直接の事故原因であるとの見方を強めているとの速報がありました。この見方に100%の賛成は出来ないのですが、一応それを尊重するとして、そもそも原因が金属疲労だとすると、今後このタイプのエンジンは、頻繁な点検が必要になる事は間違いないでしょう。金属疲労で部品が破壊する機序は、先ずは金属結晶の境目(粒界)に微細な割れが入り、繰り返し応力によってそれが徐々に拡大して、ついには破談に至る訳です。
どの様な金属も、製造の段階では溶解する訳で、従って凝固の段階では、大きさは別にして金属は粒子の塊となり、粒子同士の間には粒界ができてしまうのです。粒界には、不純物が集まり易く、強度も低下するため金属の破断は必ず粒界から始まるのです。粒界はまた金属腐植も起こりやすい部分でもあります。その結果、水分や塩分のある環境では、製造後比較的短期間に、目には見えない大きさのクラックの卵(髪の毛のより細い=ヘアクラック)が発生してしまうのです。
定期検査では、それが目に見える大きさになった段階で発見され、部品交換につながるのですが、問題は基準より小さな(細い)クラックは見逃され、次の定期検査まではエンジンは動かされ続ける事になるのです。しかし、3901に書いた様に、共振による異常振動が一定時間以上持続すると、このヘアクラックが成長し、比較的短時間での破断に至るのでしょう。
もう一つ今思い出したのは、昨年から殆どの航空機が地上で駐機している時間が非常に長くなっていると言う事実があります。また定期検査の間隔は。車とは異なり飛行時間も考慮されて行われますので、駐機時間が長くなると、定期検査の期間も延長されている可能性があります。日常的に使われているエンジンは、熱を帯びており乾燥していますが、駐機中はエンジンの入り口付近は風雨にさらされ、腐植環境にあると考えられます。この駐機期間に、先ほど述べたヘアクラックが腐植によって拡大している可能性も否定できないのです。いわば全ての航空機は、コロナ禍⇒運航停止期間の拡大⇒金属腐植の成長という、負の劣化の連鎖に入っている可能性があるのです。できれば、飛行機に乗るのは当分避けたいものです。

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2021年2月23日 (火)

3901 航空機エンジン事故

同じ機種で、同じエンジンを積んだ旅客機の事故が再発しました。今回のB国事故での裸になって燃え盛るエンジンの動画はかなりショッキングなものでした。航空機製造に少しは関わった身として事故原因が気になります。国内の事故とB国の事故に共通しているのは、ファンブレードと呼ばれる羽根が折れたために生じたエンジン破壊事故であろうとされている点です。この手のタービンエンジンの羽根(ブレード)の破損原因としては、1)鳥などの異物の吸い込みによる場合、2)ブレードに初期傷があって飛行中に(疲労)破壊に至ったケース、更には3)タービンブレードの異常振動(固有振動数による共振)によって破壊に至ったと言うケースが考えられます。
消去法で考えると、1)は小鳥ではなく、かなり大型の鳥でない限り、ブレードの破壊を起こすほどの事故にはならない事、2)では定期検査で破壊を起こすほどの傷を見逃すミスは考えられない事から可能性は低いと見ています。
残るのは、3)ブレードの異常振動による破壊ですが、ブレードは片持ちの梁と考えられ、どんな個体にも固有振動数が存在する限り、共振は避けられない現象でもあります。ジェットエンジンの場合、停止状態からクルージング状態まで、エンジンの回転数が変化しますので、全てのブレードが固有振動数(かその倍数を含めて)を通過するのは間違いありません。勿論、定常回転数では共振を起こさない様に設計はされてはいるのでしょうが、離陸時にエンジンの出力(回転数)を上げていく段階で、共振を起こす回転数の通過に一定以上の時間が掛かる場合、異常振動でブレードの破壊に至る可能性は否定できないのです。これは、全てのタービンエンジンの宿命的な欠点だとしか言えません。
事故の背景として、現在のジェットエンジンは効率を追求するあまり、エンジンの直径(=ブレードの長さ)ますます大きく設計される傾向にあると言う事実は見逃せません。最近のエンジンはジェット噴射によって推力を得るのはなく、殆どの推力を低圧側のファンブレードによって得ているのです。つまりは、プロペラの数の多いターボプロップエンジンの様なものだと言って良いでしょう。そのプロペラが、カウルと呼ばれる覆いによって、外からは見えにくくなっている状態なのです。
この種の事故を避けるには、操縦的ニックで離陸時に危険回転数をごく短時間で通過する様にするか、エンジンの設計の考え方をを効率重視から安全重視にシフトし、ブレードを短くする方向に見直すかなどが考えられますが、前者に頼るのであれば、この種の事故をゼロにする事は出来ないだろうと見ています。まあ、エンジンは2台以上ついているので、両事故とも残ったエンジンで無事着陸できたと言う事実は、少しだけは救いにはなりますが・・・。

 

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2021年2月20日 (土)

3900 エネルギー半分社会

政府の2050年CO2ぜロ宣言は、今のところ全くの空約束の「宣言」に過ぎないものでしょう。何より、その宣言の背景には未だ原発織り込んでいるのでしょうし、未だ完全には実用化されていないカーボンフリーのテクノロジーを見込みで勝手にカウントもしているでしょう。例えば、勝手に水素社会なる虚像を、さも10年後くらいにはかなり実現されていると妄想しているかも知れません。また、火力発電などで出来てしまったCO2を、無理やり地中に押し込む技術を、さもCO2フリーの技術であるが如きに喧伝もしています。
また、カーボンフリー社会の実現のために、車も含めて、何でもかんでも「電動化」し、その電力を原子力を含む太陽光や風力などのカーボンフリーな電源で賄うと言う政府の(お役人の)描いている単純な構想の様に見受けられます。
そうではなくて、私たちが先ず実現すべきは、大幅な省エネ社会であるべきだと思うのです。当面ターゲットにすべきは、先ずは現在のテクノロジーの延長線上で実現可能な、「エネルギー半減」でしょうか。例えば、ざっと言えば車の車重を半分にすれば、消費するエネルギーは半減できるでしょう。車を「走る居間」と考えるのではなく、4輪の単車程度の位置づけに下げるのです。勿論、安全性はある程度は犠牲にはなりますが、最新のGPSや画像解析(≒衝突予防)の技術などを駆使すれば、それも殆どカバーできると思うのです。快適性については、かなり我慢をして貰う必要はありますが・・・。
現在の様に、冷暖房も全て電気や石油で賄うのでは、カーボンフリー社会の実現は到底無理でしょう。太陽熱やバイオマスを熱源とする暖房や、太陽熱で冷房を実現する「デシカント冷房」などを実用化し、近い将来に大量に普及させる必要があります。それ以前に、この国の建物や住宅は、断熱性にあまりに乏しく、基礎的なエネルギー消費量が大き過ぎるのです。断熱工事は、動かない設備の投資であると考えれば、居住空間に要する光熱費の半減など簡単に実現できる筈なのです。高断熱の建物や住居で、光熱に関するエネルギーを半分にし、車の軽量化で輸送費を半分にし、加えて地産地消をきわめて、輸送量を大幅に減らせば、エネルギー半分社会も見えて来るでしょう。CO2ぜロの取組みは、その上で加速すれば良いのです。繰り返しになりますが、カーボンフリー技術ありきではなく、先ずは大幅な省エネこそが最優先の取組みなのです。

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2021年2月19日 (金)

3899 商業主義の行き着く先

五輪に絡んでのゴタゴタが治まりません。そもそも五輪の持つ意味が歪んできつつあると思うのです。つまり、スポーツの祭典、アスリートが目指す頂点大会と言う意味合いが、莫大な放映権や開催国が観光客を集めるきっかけとなるイベント、国威の発揚など、本来の意味合いからの逸脱が極限まで来ていると思うのです。商業主義とは、五輪に絡んでの経済効果の最大化こそが目的であり、観光需要では一体何人が五輪に絡んで来日したのか、国威発揚では合計何個のメダルを獲得したのか、と言った「指標」の最大化こそが目的になってきているのです。
鍛え上げたアスリートが、体力を限りを尽くして競い合う姿は、確かに尊いもので、感動を呼ぶ起こしはしまうが、スポンサーに押され、民衆の期待を集めながら、青春を犠牲にして競技に専念するセミプロアスリート達は、一体人生で何を得て、何を失うのでしょうか。メダリストは、まだ報われる局面も多いのかも知れません、しかし努力を重ねながらも、入賞すらできなかった大多数のアスリートは、競技生活の後でどの様な人生を送るのでしょうか。多くの人たちは、燃え尽き症候群に襲われるのではないか、と懸念しています。
五輪の開催は、やはり本来の目的に戻すべきだと思うのです。これまでに作られた競技施設を再利用しなから、競技施設の都合によっては複数国共催(分散開催)で行えば良いのです。競技者も、観客も分散行動する事によって、多くの問題点が解消されるでしょう。勿論、コロナ感染症やテロや犯罪などもコントロールし易くなるでしょう。
お祭りは、確かに一時期の好景気や興奮は得られるのですが、考えてみなければならないのは「祭りの後」なのです。大金を投じて作ってしまった施設の有効活用、お祭り景気の後に来るのは必至の「反動不景気」を考えると、ささやかですが税金を払った身としては勿体なさに絶望感さえ感じてしまいます。そろそろ、五輪の在り方を考え直す(元の素朴な大会に引き戻す)べき時期に来ていると思うのです。お祭りなどに無駄金を使わなくとも、将来の社会の構築に有効な税金の使途は枚挙に暇はないでしょう。

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2021年2月18日 (木)

3898 輸送と言うムダ

投稿者は、エネルギーや行動を、青、黄、赤に色分けする事を推奨しています。ここで架空のメーカーを想定して、そのメーカーが工場で製品を作っていると仮定してみます。その企業は、原材料を購入し、設備を使って製品の形に加工し、組み立てて、塗装し梱包して製品として出荷する訳です。当然の事ながら工場を動かすには、従業員の働きやその給料、エネルギーなどの光熱費も発生するでしょう。それらを、全て青色、黄色、赤色に分けるのです。先ず「青色」は、その企業が、原材料に付加価値を付けるために必要不可欠な設備稼働やエネルギーや人権費などを指します。一方で「赤色」は、企業活動の足を引っ張る「無駄」を指します。誰も居ないトイレの電灯も、製品の付加価値を1円も上げない従業員の「無駄な動き」も赤色に相当すると考えます。
問題は「黄色」です。これは、付加価値は生んではいないが、一見必要だと考えられる、設備の稼働や従業員の行動です。例を挙げれば、工場内のモノの移動や工場内の清掃作業や梱包や製品の輸送などが挙げられます。倉庫から原材料をフォークリフトで、加工する設備の近くまで運んだとします。その作業で、原材料の価値が1円でも上がったでしょうか。付加価値はゼロのままなので、残念ながら工場内の移動作業は全て「黄色」に分類するしかありません。黄色作業は、工夫によっては殆ど無くせるものでもあります。もし、倉庫と原材料を最初に処理する設備を近接させれば、フォークリフトや天井クレーンに替えてローラーコンベアなどで簡単に移動可能でしょう。
工場内の清掃作業もまた黄色作業の代表です。散らかさなければ清掃も不要なのです。つまり、作業台の端にごみ袋の口を広げてぶら下げておけば、作業台上の屑をホウキでその袋に掃き入れてやれば、工場の床が散らかる事はありません。作業台の上も常に清浄です。従って、毎日の仕事終わりに工場のフロアを掃除機で清掃していた作業は不要になります。
同様に、広く社会のモノの流れを眺めていると、例えば日々高速道路を往来する、大型トラックの隊列を目にする度に勿体なくてため息が出ます。先ほどの、工場内の様な工夫を重ねれば、おそらくトラックの数を大幅に減らせると思うのです。想像するに行き交うトラックの多くは、片道は空荷か少量の荷物しか積んではいないでしょう。多くの運輸会社は、特定の荷主としか契約していないと思われるからです。しかし、モノがその形状、数量と現在地と行き先の情報を自ら発信する仕組みがあれば、空荷のトラックはほぼ無くすことも可能となるでしょう。荷物をある場所運んだトラックは、運転者の休憩後近くで戻りの貨物の情報を得る事が出来、それを積んで戻れば良いのです。運輸業者は空便が無くなるので、運賃を引き下げることも可能となり、荷主は直行便よりは少し時間が掛かる可能性はありますが、無駄な運賃を抑制する事ができるでしょう。高速道路の輸送力にも余裕が生まれますので、三方が得をする仕組みが生まれるのです。輸送は黄色行動で多くの無駄を含む行動だとの出発点に立てば、化石エネルギーの大量消費や交通渋滞など輸送に関わる多くの問題を軽減できる筈なのです。輸送は、間違いなく「黄色」行動の一つなのです。

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2021年2月17日 (水)

3897 バブルは無くならない?

どうやら株バブルになっている様です。お金(マネー)の量が、実体経済をはるかに超えてダブついて以降、お金は自分自身を増やすために、人間の思惑を超えて幾多のバブルを引き起こしてきました。曰く、石油、土地、債券、IT、そして今は株や電子マネーに、巨額のお金が向かっている様です。つまり、お金はそれに関わる人たちの「思惑」が、近い将来にその価値が膨らむと目論んだモノや価値に向かい、自身の価値を増やす方向に流れるのです。それは、お金を誰が所有しているかには関わりなく、所有者が管理を委託している団体や人の思惑に左右される訳です。曰く、銀行マネー、曰く生保マネー、曰くGPIFマネー、曰く石油マネーなどなどです。これらが、国や個人の思惑を超えて、自由奔放に、時に大きな流れとなって世界を駆け巡るのです。
モノが動かないのにお金だけが動けば、当然の事ながら誰かが儲け、誰かが損をするマネーゲームですが、もし誰も損をしないとすれば、それは間違いなくバブルであり、バブルは自然の成り行きとして崩壊しなくては収まりがつかないのです。人類は、経済の仕組みとしてお金を発明しましたが、ある時期以降は、どうやらお金に支配されつつあると見なければならないでしょう。それは、自由なお金が、主要な国々のGDPをはるかに超えて存在し、虎視眈々と次なる攻撃先を狙っていて、ホンの小さなきっかけで、あるターゲットに向かってドッと流れ始めるのです。マネーが電子情報となってかなりの時間が経ちましたが、それをいまは動かすのに1秒(多分ミリ秒以下)も掛からないのです。
お金は、実は毎秒毎秒増え続けもいます。例えば、石油などの地下資源を掘り出せば、それが石油製品となって流通を始めるや否や、それはあるお金と交換できる価値が生まれた事になるので、世界に流通するお金の総量は増える事になります。つまり、お金は何か異常なインフレ現象でも起きない限りにおいては、その総量は人間のコントロール力を超えて増え続け、ますますその凶暴さを増すのはほぼ間違いないと予測できるのです。
さて、この流れは変えられないのでしょうか。お金の総量を増やさない仕組みとしては、例えば物々交換が挙げられます。価値をお金に代えないで、モノとモノを直接交換する訳です。その変形としては、モノ(例えば食糧にもなるコメ)をお金代わりに扱う江戸時代の様な仕組みもあり得るでしょう。この仕組みは、実は田舎と都会の出来てしまった「お金格差」を是正するのに有効です。コメをお金に交換してしまうと、市場によって価格は抑制されますが、一方でたとえばコメで電化製品が買えれば、交換レートを日本銀行と同等の公的機関が関わる仕組みがあれば、普通のコメ農家もそれなりに裕福に暮らすことも可能となるでしょう。勿論、コメを直接移動させる訳ではなく、お札に変わるお米券を発行するのです。同様に、林業は木材券を発行し、メーカーは独自の製品券も発行できる様にします。お金の量が減ると、世の中の巨大なバブルも消滅すると思うのです。投稿者は、そんな狂暴なお金とは出来るだけ距離を取って暮らしたいと考えている高齢者の一人です。

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2021年2月15日 (月)

3896 木材の多面的な用途

これも以前に取り上げた内容だと思いますが、重要なので再掲しておきます。投稿者なりの分類では、木材(やバイオマス)の用途を5Fと1Cに分けて考えます。
木材利用の5Fとは、
1. Food(食品):加食の部分⇒シロップ、キシリトールなど
2. Fiber(繊維・素材):紙や木材など
3. Feed(飼料):家畜の粗飼料など
4. Fertilizer(肥料):森林腐植など
5. Fuel(燃料):薪燃料、炭、チップ、ペレットなど
であり、一般的にはこの順番で価値(価格)が下がっていきます。
また1Cとは、木材に含まれる有用な化学成分(Chemical)の事を指し、例えば、香木から得られる香料や、針葉樹から得られるツヤ酸、ヒノキチオールあるいは、タンニンなどが挙げられます。単価的には、Food以上となる場合もあります。
いずれにしても、現状では紙や木材だけの単独利用では、経済的に引き合わないので、国産材は徐々に敬遠され、時には違法伐採も含まれる様な安い輸入材に頼る結果になっているのです。しかし、木材を多面的に活用し、かつ前工程の廃棄物を次工程の原料として活用する、いわゆるカスケード利用(多段階)で利用し、最終的には燃料=エネルギーとして熱エネルギーとして利用できれば、国産材でも経済的に十分見合う勘定が成り立つのです。
しかし、現状では森林業は樹木を材木(建築用材)としてしか評価しておらず、一方で製紙業界では、木材を重量当たりのチップ価格としてか見ていないので、木材の単価は低いままで市場価格に抑え込まれてきたのです。しかし、いくつかの樹種では、樹皮に多くのタンニンが含まれ、上手く抽出するとかなりの価値を生むことが知られていますし、ヒノキやヒバなどの針葉樹からは有用な化学物質も抽出できるのです。工法を開発して、木材としての組織を壊さず、蒸気や圧力を利用してこれらの物質を抽出し、材は材として利用ができれば、ざっと樹木の価値は2倍以上には跳ね上がるでしょう。勿論、不要な部分は最終的には燃料などとして熱回収すれば、樹木をほぼ100%利用し、価値を回収できるのです。樹木から、例えばトン当たり2万円以上の価値が引き出せれば、林業は持続可能な産業として十分成り立つでしょうから、今後若者を引き付ける産業ともなり得ると見ています。

 

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2021年2月14日 (日)

3895 これからの林業

林業に関しても想うところを少し書いておきます。林業についても考え方は農業と同じです。樹木が光合成で固定した、セルロースやリグニンなどは、材として利用する幹は勿論、枝葉や樹皮や製材屑に至るまで、100%の活用を図った上で、伐採後には速やかに植林を行う必要があります。その際に、次にどの様な樹木の苗を植えるのかについては熟考が肝要でしょう。即ち、人工林であるスギやヒノキの伐採後に、同じ樹種を植林するのではなく、その地域に自生していた樹種と、用材としての価値がある樹種を、混交して植樹するのです。例えば、林道のすぐ横にはスギやヒノキなどの樹種を植え、谷や地滑りが起こりそうな斜面には、根を深く張り保水力のある自生樹などを植えるのです。
その上で考えておかなければならないのは、農業は毎年繰り返される営みですが、林業は数十年、あるいはそれ以上の世代を跨ぐ様な長い年月の視点で持続可能となる様に考えて行かなければならない生業だと言う点です。短期間で見ると、林業だけでは生活が成り立たないケースも多いでしょうから、そこには環境維持業としての林業に、「森林税」などの形で集めた資金を入れてやる必要があるでしょう。林業によって、水源涵養林として、また農業用水や都市部の水道や工業用水の水源として、維持されている森林が大いに貢献してのは明確だからです。
そのためには、国有林や自治体が管理する森林、取り分け私有林に対して、明確な利用計画を立てた上で、それを管理利用する林業を明確に産業として維持すると言う行政の意思を示し、それを守らせる制度を確立させる必要もあります。経済の成り行きに任せると、日本の森林のかなりの部分が、海外の資本によって買い占められていた、などと言う事態にもなり兼ねないからです。いずれにしても、私有や積極的に人が立ち入って利用を進めるべき「里山」と官が主体となって長期的な管理と利用を維持すべき「奥山」を明確に「ゾーニング」した森林の利用計画の立案がぜひ必要な時期である事は間違いないでしょう。営林署なる組織が以前から存在しますが、この様な組織の位置づけと、国有林のみならず私有林に対しての責任と権限の拡大をどの様に実現するかが当面の課題でしょうか。

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2021年2月13日 (土)

3894 これからの農業3

投稿者の想いとして、「自然が作ったものに万に一つの無駄も無い」があります。例えば、この国の農業で大きな部分を占める作物であるイネについて考えてみます。一粒の種もみからは、88粒の籾が採れるとされていますが、その籾を剥がしてコメを取ると、もみ殻が残り、ワラも残るでしょう。勿論、先人はこれらの「副産物」も決して無駄にはしませんでした。それどころか、ワラからは米俵は勿論、蓑や草鞋(または藁靴)やムシロや縄まで、多くの日用品を作り出していました。収穫に感謝する意味で、神社には、その藁で作った巨大はしめ縄も奉納してもいました。
籾は籾で、いぶして燻炭にして田に戻したり、一部は燃やして熱源にも使っていました。つまり、イネの一株一株は大切な食糧として、また日用品の原料として100%利用されていたのでした。しかし、現代はそうではありません。お金になるコメは単なる「商品」になり、ワラはコンバインの中でシュレッダー処理され、もみ殻は田の暗渠に埋め戻す用途への補助金が打ち切られた今は、単なる厄介者となって、行き先を失ってしまいました。
投稿者は、もみ殻研究会なるグループに参加もしていますが、もみ殻一つとっても、モミガライトとして代替薪として、あるいは燃焼灰をセメント混和剤として、あるいはゼオライト原料に、更にはもみ殻を空気を絞って燃料させて、燻炭(土壌改良材)と熱回収を同時に行い、熱をハウス暖房の熱源として利用する取り組みなど、多様な用途が広がっているのです。もみ殻は、燃料であり原料として、コメ以外の用途で利益を生み出せるのです。
稲藁はどうでしょう。藁は、割と近い過去に遡っても、日用品の原料以外でもわら半紙としてかなりの量が「製紙原料」として活用もされていたのです。ワラには優良なセルロースファイバーが含まれているからです。このセルロースは、家畜の粗飼料(例えば馬の飼い葉)としても使い道もあり、自然の納豆菌も含み発酵を助ける納豆の入れ物としても用途もまだ残ってもいます。
ワラやもみ殻が、粗末に扱われ、厄介者にされている姿を見かけると、ココロが強く痛みます。農作物が、商品価値が低いと言う理由だけで、ごみとして廃棄される姿はもっと悲しい光景ですそれらの光景は、自然の恵みを100%活用しようとする努力や工夫が全く足りていない証左だと思うのです。植物が、土壌と炭酸ガスと太陽光を自分が持つ葉緑素で、炭化水素やたんぱく質などに変換したものに無駄など一つも無い筈なのです。それは、食用にしたり、燃やしたり、自然に分解される過程で、エネルギーを出しながら、また炭酸ガスや窒素になって大気中やあるいは有機物となって土壌に戻るのです。土から採れた作物は、1グラムも無駄にせず、ましてや「生ごみ」などにはしてはならない貴重な自然からの恵みなのです。その意味で、農業は、決して商品作物を作る単なる産業などではなく、有機物の生産、利用を行いつつ、自然の循環を見守る、最も重要な生業の一つである断言しておきます。

 

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2021年2月11日 (木)

3893 これからの農業2

さて、これからの農業です。土壌と水と太陽光さえあれば、植物が太陽エネルギーを炭化水素として固定してくれるのですが、かといってこの3つの資源が潤沢にある訳ではありません。農地から得られる炭水化物やたんぱく質を食料としてだけ、それも肉食のための飼料として家畜に与えないと仮定すればこれから増える人口を含めても、人類の食糧は何とか確保できる様です。但し、それは先進国の食糧廃棄を減らし、途上国に食料の配分が適正に行われると更に仮定した場合です。とは言いながら、3890でも言及した様に、水資源の枯渇は、この楽観的な予測を簡単にひっくり返してしまうかも知れません。
増してや、農業で生分解性プラスチックの原料作物を栽培するとか、バイオ燃料するするための「エネルギー作物」を栽培するなどと考えるのは、全くのナンセンスと言うしかありません。一方では飢える人たちを出しながら、他方でエネルギー作物を作ることは倫理上許されない行為だからです。考えるべきは、食料確保のために、荒れ地や乾燥地帯でも持続可能となる作物の栽培方法を確立する事でしょう。勿論、それは最先端の科学技術に依拠したものであってはならず、従来のコンベンショナルな技術と人手を使って、環境、取り分け土壌の劣化と、水資源の枯渇を進めない農業の確立が必須なのです。先の述べた点滴灌漑は勿論、収量が少なくとも雑草と作物を共存させる「不耕起栽培」、更には動植物と作物の究極的な共存を可能とする、多数の「ミニバイオスフェア」型農業の推進など、私たちが為すべき課題は山積と言えるでしょう。
そのためには、繰り返しになりますが、農業とビジネスをほぼ完全に切り離す必要があるのです。金持ちが大金をはたいて、季節外れの果物や野菜を欲しがることに対しては、少量の商業作物を育てる、農業ビジネスが残るのは致し方ありませんが、庶民が日々口にする食糧に関しては、基本的には露地栽培で育てた、自然の恵みである必要があるでしょう。温室栽培には、少なくない量の加温用(化石)エネルギーが必要ですので、持続可能ではないでしょう。季節的に多量の作物ができてしまった場合には、それを長期保存が効く形で(例えば天日乾燥やフリーズドライ法)保存し端境期に市場に出すのです。間違っても、長期間に亘って冷蔵や冷凍保存する選択肢を選んではなりません。冷蔵、冷凍のためには当然の事ながら多大な電力が必要となるからです。獲れすぎた秋野菜の冬越しのための貯蔵であれば、それこそ大きな雪室でも作って、氷温冷蔵すればエネルギーゼロでの保存もOKでしょう。

 

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2021年2月10日 (水)

3892 これからの農業論

U田樹の著作は、これまで殆ど読む機会がありませんでしたが、ある人からの紹介で「農業を株式会社かするという無理」と言う共著を読みました。氏のこれまでの主張にはあまり興味が持てませんでいたが、この本で彼が述べる農業論にはかなり同調できるものがありました。つまり、農業とは、作物と対話をしながら、環境からの恵みである、土壌と太陽光と水を利用しながらの手間暇の掛かる非効率な生業(なりわい)であり、決して農業法人やましてや株式会社などと言う営利目的のビジネス形態には、そもそも相いれないものであると言う主張です。
全くそれは正論で、例えば利益を上げるために、大量の肥料や農薬を使い、自動灌漑システムを含む人手の余りかからない機械化農業を指向したとして、例えば10年ほどは収益が期待できるのでしょうが、土壌の微量成分が失われ、過剰灌漑から起こる塩害が出始めると、病害虫の蔓延や連作障害など地力の低下から収穫量はがた落ちになり、赤字に転落する事は必至でしょう。つまり、自然からの収奪が続く、株式会社農業は全く「持続可能性」に欠けていると断ずるしかありません。
ではどうすれば良いのかですが、これもこの本の主張と重なる部分が多く、やはり都市から農村への人口の逆流が必須だと思います。今や、この国の農業従事者は人口の1%台半ばまでに減少してしまいましたが、もっと悲しい事にはその7割以上が65歳以上の高齢者で占められているのです。都会の若者が、密な都市社会に愛想をつかして、UターンかIターンで田舎に回帰しない限り、この国の農業の持続可能性は10年以内にかなり失われてしまうのは間違いないでしょう。その後も残るのは、平場で圃場整備=機械化農業(≒米作)が進んだエリアのみで、山間部や条件の悪い農地は、ドンドン耕作放棄され続けるしかないのでしょう。
同様に、農業国と呼ばれる諸外国や旧植民地の画一化された商品作物を育てる農業も持続可能性は低くなる一方でしょう。取り分け、乾燥地帯における、綿花やトウモロコシや大豆などの、多くの水を欲しがる作物を、地下水や水量が少ない河川水を無理に取水する農業も、やはり10年以内に多くの地域で破綻する事が免れ得ないと見ています。農業従事者は疲弊し、水資源の枯渇は深刻になるばかりなのです。たぶん続きます。

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2021年2月 9日 (火)

3891 点滴農業

農業におけるバーチャルウォーターを減らす方法として有効なのは点滴灌漑でしょうか。つまり、作物が必要とする量の水を、過不足なくドンピシャのタイミングで潅水してやるのです。余分な水をやらない事により、無為な蒸発がなくなり、3890で述べた塩害も防げるため、同じ農地での持続的な農業が可能になります。勿論、消費する灌漑用水の量は、大幅に減らせるのは自明です。
しかし、作物が何時どれだけの量の水を欲しているかを確認するのは結構大変でしょう。ベテランの農家が、毎日見回りベストの潅水タイミングを見計らう方法もあるのでしょうが、B国の様な大規模農場ではそうもいかないでしょう。そこで重要となる技術がリモートセンシングです。衛星や、航空機などから地上を各種のセンサーあるいはカメラで観察し、植物の置かれている状態をリアルタイムで知る技術です。そんなお金を掛けなくとも、ピボット農業では、農地の上に巨大なコンパスを設置していますので、これを利用するのも良いでしょう。このピボットアームにセンサーを設置し、円形農場全体をスキャンするのです。座標と、作物の各株の状況はパソコンに取り込まれ、どのタイミングでどの程度の水やりが必要かを判断するのです。
一方で潅水の方は、現在の様にドバっと大量の水を噴霧するのではなく、特定の座標の植物の根を狙って、ピンポイントでチュッと必要量を潅水するのです。つまりは、簡単な注水ロボットをピボットアームに取り付けて、自動的に潅水させる訳です。大農場では、当然の事ながら一つのピボットがカバーする面積は1ヘクター以上もあるので、潅水ロボットの注水するスピードも、それこそ目にも止まらぬ早業でなければ、日が暮れてしまうでしょう。イメージ的には、1秒間で10個の植物に注水すると言った程度の速さです。近年のGPSの精度は、10センチ以内程度まで上がっていますから、一株一株の根元を狙っての潅水も十分可能でしょう。以上の技術によって、今後10年程度で急激に耕作放棄が進むであろうピボット農業の耕作地寿命も、かなりの期間延長することが可能になる筈です。点滴農業は、砂漠地帯での農業拡大を可能とするなどの目的で、鳥取県などで研究されており、立派な国産の農業技術でもあります。

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2021年2月 8日 (月)

3890 バーチャルウォーター

昨晩のNスぺでバーチャルウォーター問題が取り上げられていました。投稿者の感覚は「今頃やっと取り上げられたか」と言った感じです。投稿者が、今から20年ほど前に技術屋を卒業し、環境屋に脱皮すべく勉強を始めた頃、温暖化問題と同じくらい、と言うよりそれよりはるかに緊急性が高い問題として、このバーチャルウォーターに着目したからです。Nスぺでも取り上げられていたオガララ帯水層の地下水位の低下問題は、20年前にもやはり問題だったのです。オガララ帯水層は、米国の中西部が大きな湖だった太古の昔に蓄えられていた、いわゆる「化石水」であり、殆ど補充がされない閉じ込められた地下水なのです。その総量はちょうど五大湖の水量と同じ程度と推定されていたのですが、ここ数十年の無秩序で大量の汲み上げによって、その大部分が消費されてしまったのです。
元々、中西部はステップ地帯と呼ばれる乾燥地域なのですが、その様な土地では小麦などの乾燥に強い作物を栽培するのが精々なのです。しかも、開拓時代には雨が少ない年では小麦でさえ干ばつに襲われることもしばしばだったのです。そこに、小麦より一桁以上多くの灌漑水を必要とするトウモロコシや大豆を植えて、地下水を大量に汲み上げてスプリンクラーで潅水する「ピボット農業」を続けているのですから地下水の水位は毎年数メートルずつ低下し続ける事になったのです。ピボット農業と呼ばれるのは、地下水の井戸を中心として、スプリンクラーが付いたコンパスの様に長い腕をグルグルと回転させて灌漑を行う農業形態を指します。従って、農場は円形になり、中西部の航空写真を見ると、規則正しい緑の水玉模様の平原が続いている様に見えるのです。
無理な灌漑農業は、地下水の枯渇問題の他に、深刻な問題を引き起こしてもいます。それは、「塩害」です。つまり、地下水は完全な真水ではなく、それなりのミネラル分を含んでいるのです。農場にふんだんに撒かれた水は、作物だけに吸収される訳ではなく、その多くは蒸発によって失われます。水が蒸発すると、土壌表面にはミネラル分(つまりは塩類)が残され、一定量を超えるとそこでは最早耕作が続けられなくなるのです。中西部のこの地域を、G-グルアースで見ると、緑の円形農業の中に、茶色の「放棄農場」が多く観察されるのです。つまり、化石水の依拠する灌漑農業は、化石水の消費と土壌の塩害と言う二つの意味で、持続可能ではないと断言できるのです。続きます。

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2021年2月 6日 (土)

3889 STEEAM教育2

「教育」と言う言葉が、そもそも違和感の塊です。その昔、Educationと言う言葉が日本に入って来た際に、誰かが「教育(教え育む)」と訳したのでしょうが、そもそもこれが上から目線になっています。想像ですが、明治時代に「教育勅語」なる国のガイドラインが作られた際に、その草案に関わった人物などが、この「教育」と言う言葉の訳出に関わったのでしょう。一方、英語のEducatinには、人が自ら学ぶと言うニュアンスが含まれていると思いますので、少なくとも学びと言う文字が含まれている必要があります。Teachingには確かに、教え導くと言う意味がありますが、Education とTeachingは全くと言って良いほど異なる概念だと言うしかありません。
Educationを投稿者なりに日本語にするなら、学習者が学ぶことを励まししその背中を押すと言ったほどのニュアンスを持っていると思うのです。即ち、そもそも今でいう「先生」は、「学生」の横か後ろに立って学生の学びをアシストする枠割を持っていると思うのです。ある人が、教育に対応する新しい訳語として「啓育」と言う言葉を充てる事を推奨していますが、啓発しつつ育むと言う意味合いになり言い得て妙でしょう。
つまり、表題もSTEEAM啓育に訂正すべきでした。では、今は、先生や教授と呼ばれている教育者の呼び方もこのままではいけないので、取りあえずここでは啓育者と呼んでおきますが、彼らの枠割もまた変わってこなければなりません。啓育者は、先ずは学習者の興味を引き出すための、材料を準備する必要があるでしょう。また現在の様に、学習者に検閲(ではなく今は検定でした)を通過した、画一的な教科書を与えるのではなく、興味を引くような問題や課題を示すのです。学習者には、その課題解決のための知恵を出すための工夫することを後押しするのです。この際決して「強要」してはなりません。何故なら、強要された学習者が課題を解決しても、決して達成感を感ずる事は無いと想像するからです。自ら進んで取り組んだ課題を苦労して解決できた学習者は、たぶん大きな達成感に満たされる筈です。啓育に短時間の成果を求めるのはご法度なので、これに当たる人たちに必要なのは、一にも二にも「忍耐力」しかないと思うのです。

 

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2021年2月 5日 (金)

3888 STEEAM教育?

STEM教育やSTEAM教育などは最近よく目にする言葉です。「STEAM」とは、サイエンス(Science/科学)、テクノロジー(Technology/技術)、エンジニアリング(Engineering/工学)、アート(Art/芸術)、マセマティックス(Mathematics/数学)の頭文字を取った言葉で、工科系の大学や高専などのカリキュラムは勿論、一般教育の内容にもそれらを反映させようと言う動きがある様です。
しかし、これだけでは何かが足りません。教育全般ですが、それは何のためか(つまりは目標)が抜けているからです。何のために何を学ぶのかが明確になっていないと、結局訳の分からないサイエンスや技術や工学やアート、数学を学ばせたところで、生徒(学生)に目隠しをして走らせる様なものでしょう。では、何のためにを学ぶのはどの様なカリキュラムになるのでしょうか。多分それは倫理(Ethics)ではないかと思っています。そこで、表題はSTEAMにEthicsのEを追加した次第です。倫理の「倫」は人と人との関係を示す文字だとされていますが、先人はEthicsを訳す際に、その理(ことわり)を表わすとして倫理と言う文字を充てたのでしょう。しかし、投稿者は倫理は単純なEthicsではなく、環境倫理(Environment Ethics)でなければならないと思っています。と言うのも、環境倫理は環境と人間との間の理を規定するものであり、人類の身勝手(わがまま)に歯止めを掛けるものであるからです。
産業革命以降、人類は科学技術と地下資源を乱用し、欲望の赴くまま好き放題を繰り返してきたのです。結果は、資源の枯渇のみならず、環境の汚染や悪化を招いたのでした。STEAM教育は、これを推し進めるだけでは、その悪化を暴走させてしまう可能性も拭い切れません。環境倫理は、まさにその暴走のブレーキ役だと言えるでしょう。環境倫理を正しく学ぶことによって、この科学技術を使ってこのモノを作るのは、果たして環境倫理に照らしてOKなのかどうかのチェックが可能になるのです。また環境倫理は、私たち人類の限りない欲望にもブレーキを掛けるでしょう。何故なら、環境倫理は一木一草や虫や動物たちの幸福にさえ配慮を要求するからです。一例ですが、畑で穀物を育て、それを家畜に与えて太らせて、たっぷりとサシの入った肉を食らうと言う贅沢などは、環境倫理の下では当然許されない行動という事になるのです。多分続きます。

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2021年2月 3日 (水)

3887 池袋暴走事件

池袋暴走事件の裁判が続いています。経過を詳しくウォッチしている訳ではないので、中身はネットニュースで読む程度しか知りませんが、争点を一言で言うなら、車両故障かヒューマンエラーかと言う事でしょうか。車に故障や欠陥があれば、いくら適正に運転していても、事故は発生するでしょう。一方で、車が正常でも、アクセルとブレーキを踏み間違う事態では、車は暴走し凶器になってしまうのです。車社会が始まった頃、車にまだ慣れていないドライバーや車にあまり注意を払わない歩行者が、実に多くの交通事故を引き起こしました。記憶では、毎年2万人以上が犠牲になったのです。
さて、車故障かヒューマンエラーか問題ですが、事実としてアクセルとブレーキの踏み間違い事故は、コンビニやショッピングセンターや病院など場所は違っても後を絶ちません。元技術屋としての直感としては、今のオートマ車でのアクセルとブレーキの2ペダルと言うドライバーとの「インターフェイス」には、何か欠陥が内在しているのではないかと言うものです。旧車であれば、これに左足のクラッチがありますので、イザと言う場合には、車輪とエンジンの縁を切ることも可能でしょうし、シフトレバーで簡単にギヤをニュートラルに戻すことも可能でしょう。つまり、旧車ではドライバーが頻繁に車とのインターフェースを操作する必要に迫られるのですが、一方でオートマ車ではハンドル以外は、単に右足がアクセルペダルとブレーキべダルを行き来してスピードをコントロールする「単調な」作業になります。投稿者は、この「単調な作業」こそが、実はヒューマンエラーの大きな要因になっていると見ているのです。ハンドル操作以外では右足の動きだけを求められるオートマ車の運転では、右足の操作は殆ど無意識で行われている筈です。旧車では、車の速度に合わせてクラッチとギヤを操作しなければならないので、街中の運転は結構忙しくて疲れるのです。加えて、クラッチを踏むタイミングでは、実はアクセルも緩めてエンジンの回転も微妙に下げているのです。
投稿者は、オートマ車は、実はドライバーの操作能力を大幅に低下させた元凶だと疑っているのです。人間の両手両足を使っての絶妙なコントロールが要求される旧車と異なり、オートマ車ではそれを単純で単調な「バカチョン操作」にしてしまったのです。従って、運転者がボーっとしていても、高齢となってボーっとしがちな人でも、それなりに運転は出来るのですが、それが駐車場での前後進の切り替えや急な周囲状況の変化など、急な操作が求められる際に、人間はヒューマンエラーを起こしてしまうのでしょう。裁判の行方とは別に、全オートマ車メーカーがヒューマンエラーを防ぐための何らかの装置(インターロック)を追加しない限り、この種の事故は絶滅出来ないでしょう。スマアシ車は、完璧ではありませんが次善の策の一つではあります。

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2021年2月 2日 (火)

3886 政治離れ

何度も書くようにこのブログは批判は目的にはしていません。批判は元々「ダメ出し」であり、ネガティブなものだと思うからです。従って、いわゆる「マツリゴト」に関して言及する事は出来るだけ避けてきたつもりです。とは言いながら、昨今のマツリゴトに関係するリーダーたち関しては、柔道で言うところの「指導」をしない訳には行かないと感じています。
少なくともリーダーたる人たちは、高邁な理想を持ち、少なくとも付き従う人たちの模範である必要があるでしょう。つまりは率先垂範です。またリーダーたる人たちは、集団に対し向かうべき方向を指し示す必要もある筈です。そうでなければ、付き従う群れが間違った方向に進んでしまうからです。投稿者が生きて来た戦後、取り分け記憶が残っている高度成長期以降でも、この国のマツリゴトはいくつかの制度修正や政党の離合集散を繰り返し、選挙制度もかなり変わってしまったのでした。その中で、いわゆる「政治とカネ」の問題は、ロッキード事件を引き合いに出すまでもなく、常に問題の中心にあった様な気がします。それを防ぐためと称して、政治資金規正法なるものも作りましたが、結局それは政党(Faction)を維持するためだけに多額の税金を使うと言う制度になっただけでした。それでも足らずに、政治屋たちはパーティやイベントにかこつけてカネ集めに奔走を繰り返すのでした。
その結果、本来政治家が練るべき「政策」は、税金だけでは足りずに国が無理な借金を重ねてひねり出した予算の使い道(予算の分捕り合戦)の議論を繰り返すだけで、ではこの国を将来どの様な国にしたいのかと言う「国家百年の計」など国会で議論になったことはほぼ皆無だったと振り返っています。つまり、現在この国には政治家などは存在せず、マツリゴトの世界は全て「政治屋」で占められていると見るしかないのでしょう。ですので、国民の政治不信は常態化し、この国のマツリゴトは、低い投票率で当選した「期待の持てない政治屋」によって執り行われいると言う最悪の事態に陥っているのです。
結論を言えなら、最早政治屋などに頼っている場合ではないと思うのです。政治を批判ばかりして、政治に背中を向けても事態は悪化するだけだと思うのです。そうではなくて、先ずは小さなグループで、自分たちが進むべき方向(社会のあるべき姿)を描き、小さな行動を起こすべきでしょう。もしそれが多くの人たちの賛同を得るならば、自然にその行動を真似、やがてそれがムーブメントを巻き起こす筈なのです。つまり、政治不信=政治離れについて対応を考えるなら、今のトップダウンではなく、「ボトムアップ」の動きしかないと言っておきます。このまま政治屋に舵取りを任しておくなら、間違いなくこの国は沈没し、二等国以下に落ちぶれるでしょう。トップに信頼できない輩が座っている限り、底辺(個々人)から静かにより正しい行動を起こすしかないのです。

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2021年2月 1日 (月)

3885 ハイパーループって?

航空機に対抗する都市間の乗り物として、ハイパーループがネットで紹介されていました。これは、EVの量産で有名になったE.Mスクが考案したとされる、真空中のチューブの中を高速で緯度するモノレールの様な乗り物です。いわば、リニア新幹線をそのまま真空チューブの中に入れて、空気抵抗を減らして旅客機並みのスピードで走らせようと言うものです。これをV-ジン社が、実用化を検討し始めていると言う事で、その3Dのバーチャル映像が公開された様です。確かにこれは夢の乗り物ですが、しかし冷静に考えてみるとこんな危ない乗り物を、一体誰が建設し、それを利用すると考えているのか、真面目に考えている関係者の常識も疑われます。
先ず、気圧を真空と言われるレベルまでに下げるのが至難の業です。つまり、周りから1気圧の大気圧で押されてもひしゃげない頑丈で太いチューブ鉄道を建設する必要があります。登りも下りもありますから、2本必要でしょう。駅には特殊な仕掛けが必須です。つまり乗客が乗り降りする出入り口が開放している間、チューブの真空と駅の中の大気圧間の気密を維持するための「エアロック」です。まさしく宇宙船のエアロックの様なゴツイ仕掛けです。
加えて、真空のチューブの中を進む車両の構造がどれほどゴツクなるのかが想像できません。それは、それはまさに宇宙船と同じ条件になるからです。つまり、外は真空で、中は大気圧である宇宙船と同じ強度を持ち、たとえ何らかの事故で、車体が損傷を受けても、乗客の安全が保てるように、生命維持装置も必要なのです。
こんなゴツイチューブや宇宙船並みの車両が、今の新幹線と同じ程度の建設コストで済むとはとても想像できません。少なめに見ても、ざっと一桁以上は建設コストが跳ね上がるでしょう。真空を維持するためにも莫大なエネルギーが必要ですので、運賃も新幹線や航空機よりは何倍も高く設定せざるを得ないでしょう。
事故も心配です。例えば、車体に穴が開いて車内の気圧が急激下がると、酸素濃度も下がり、生命に危険が及ぶからです。航空機に場合は、上空の気圧は地上の1/3程度ですが、機内は与圧されている上に、機体が損傷した場合には、機長は先ずは高度を下げて、乗客が気圧変化で傷害を受けない様に行動するでしょう。ハイパーループの場合は、一体どうするのでしょう。長い真空チューブの中に急激に空気を戻すと、同時並行で高速走行している別の車両は、さながら空気の壁にぶち当たった様な衝撃を受ける筈なのです。
どの様な道筋で考えても、こんな危険でコストのバカ高い乗り物が走る時代が来るとは投稿者には到底想像できません。

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2021年1月30日 (土)

3884 車の電動化(PVEVとは?)

欧州のトレンドは既に固まっていますが、石油大国であるB国の大手自動車メーカーも、脱ガソリン車を宣言した様です。このままの流れで行くと、他の多くの車メーカーも追随することでしょう。とは言いながら、では車で消費していたのと同等のエネルギー源(電力)をどの様に生み出すかについては、明確な言及が無いのも事実でしょう。このままで行くと、車用の電力は化石燃料を使った火力発電所か、原発で起こす事になるのかも知れません。つまり、車の排気管からはCO2は出なくなるのでしょうが、代わって火力発電所の煙突からは、今まで以上にCO2が排出される、変な事態に陥りそうなのです。CO2の排出場所が移るだけになる訳です。
そうではなくて、電動車(EV)の消費するエネルギーは100%再エネ(Re100)で賄わなければダメで、それなくしてはEV化の意味は失われてしまうのです。投稿者の提案は、全てのEVには太陽光パネルを搭載すべきと言うもので、駐車中にエネルギーを蓄積し、それでエネルギーの多くを賄うと言うコンセプトの車を開発するのです。勿論、大きなバッテリーを積んで、乗り心地の良いインテリアで、高速走行できるような、PVEV(太陽光発電型EV)を作る事には無理があるでしょう。太陽光発電だけで動かすためには、原動機(モーター)の馬力はかなり小さく抑える必要があるからです。そのためには、車重はかなり軽く仕上げる必要があるでしょう。言うなれば、風防付きの4輪の自転車と言った質感です。当然、バッテリーの容量も同様に小さく抑えるのです。しかし、それでは航続距離も短く設定せざるを得ないでしょうし、そもそも太陽が照らない日には、殆ど動かせなくなるでしょう。
もし、曇りの日や雨の日が続いて、このPVEVのバッテリーが上がって動かなくなっても、どうにか移動させるためには、運転者の人力(ペダルを漕ぐ力など)も利用せざるを得ないでしょう。その代わり、コンビニや道路の少しの空きスペースを利用して、バッテリーステーションを準備しておくべきなのです。つまり、規格化されたPVEVのバッテリーをバッテリーステーションで太陽光や風力を利用して充電しておき、バッテリーが切れそうになった場合には、このステーションで直接交換する訳です。そうれば、今のEVの様に長い時間駐車して充電する必要もなくなり、一つのバッテリーで50㎞ほども移動する事ができれば、十分実用的だと言えます。

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2021年1月29日 (金)

3883 海水温と爆弾低気圧

海水温に関しては、海保のHPで詳細に確認できます。現在の水温は勿論、平年との偏差などです。https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KANKYO/KAIYO/qboc/temp_color/temp_color.html そのURLは上記です。それによると、現在の日本海中央部の水温は、平年値に比べるとなんと3℃以上も高いと言うのです。たった3℃ではありません。海水が持つエネルギーの増加分は、3℃x膨大な海水量ですから、巨大な「温水塊」が居座っていると言えるのです。これは以前にも指摘した事ですが、地上(海面)と上空1500mの寒気との温度差が40℃以上に広がると、強い上昇気流による激しい気象現象が発生するのです。局所的な場合で典型的な現象は、ヒョウや竜巻でしょう。しかし、今朝(1月28日)から始まった様な、爆弾低気圧が引き起こす気象現象は、より広い地域を冬の嵐に巻き込むことになります。
つまり、日本海に入った普通の低気圧が、シベリアから降りて来た寒気と、高い温度の海水によって急速に発達し、いわゆる「爆弾低気圧」に成長するのです。これは間違いなく地球の温暖化からの悪影響と考えるしかないでしょう。高い海水温は、また海面からより多くの水蒸気を発生させ、結果としては日本海側に広く大雪をもたらします。量が多く、しかも湿って重い雪質は、毎回雪害やトラックを立ち往生させ、ひどい交通障害を引き起こしてしまうのです。勿論、単に海水温が高いだけで、毎年大雪に見舞われる訳ではありません。あくまで、シベリアから降りてくる寒気との併せワザになりますので、その年毎のジェット気流の蛇行状況などにより、暖冬傾向と今年の様に多雪傾向とが入れ替わるのです。その意味で、今年は、気象史上は(○○年)豪雪と記録される様な年になるのでしょう。
難しいのは、年ごとのジェット気流の状況の予測です。と言うのも、北極圏の温暖化は最早行き着く所まで行った感がありますが、北極気団の周りを縛っているハチマキの様なジェット気流の動向については、例えば赤道や中緯度地域の気象振動、例えばぺルー沖のエルニーニョ(ラニーニョ)現象やインド洋におけるダイポールモード現象などに影響を受ける事が分かっているからですが、因果関係が複雑すぎて、肝心のそれらの気象振動の原因分析や予測が十分には進んでいない上に、それらとジェット気流の蛇行の因果関係が、必ずしも十分に示されてはいないのです。それも、今後データの蓄積とスーパーコンピュータの活躍によって、徐々に解明されていくのでしょう。石炭や石油やLNGの爆食いによって温暖化を引き起こしてしまった人類ですが、今の便利な生活を求める限り、残念ながらそれに有効なブレーキを掛ける事はほぼ絶望的だと言うしかない状況でもあります。

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2021年1月28日 (木)

3882 乗用ドローン

散歩コースの堤防横の休耕田で、最近ドローンの操縦訓練を行っているのを見かけます。かなり大型のもので、ギリギリ軽ワゴンに積めるサイズの様です。ぶら下げられる荷重としては、見た目で5-6㎏と推定しました。一方で、ドローンをスケールアップして、人を乗せるサイズのものも作られ始めています。つまり、人を乗せて1時間以内くらいの時間で行ける範囲で、無人タクシーとしてドローンを利用しようとの目論見です。同型のドローンのサイズを縦横2倍にすれば、吊り下げ荷重はざっと4倍になりますから、ローターの数を増やして現在の大型乗用車程度のサイズにすれば、たぶん乗用ドローンの実用化も近いと思われます。実際、ロシアの武器メーカーも実用サイズの乗用ドローンを試作している様です。
しかしです、もしこのドローンを地上の建物や構造物などの邪魔者を飛び越えるほどの高度で運用しようと考えると、安全性を確保するためにとんでもない頑丈なものにする必要があり、実用化は殆ど無理と言うしかなさそうです。つまり、それは最早ドローンなどではなく、マルチロータのヘリコプターになってしまうからです。型式証明を取ったヘリでさえ、年に何度かは墜落事故を引き起こしています。それは、構造的な整備不良やパイロットの操作ミス、あるいは天候の急変によって起こるので、一定の割合(確率)では起こり得るものでもあります。しかし、車の事故と異なるのは、ドローン事故ではたとえ数メートルからの墜落でも、全身がエアバッグにでも包まれていない限り、乗客はただでは済まない大事故になる筈です。
地上から浮き上がり、空中を飛ぶためには同時に大きなリスクも覚悟しなければならないのです。車はイザと言う場合には止まれば良いのですが、ドローンや飛行機の場合は故障=墜落しかないのです。一方で、実績のある乗り物として、ホバークラフトと言う乗り物もあります。この場合は、浮上高さが数センチと言うものが殆どですので、墜落のリスクはありませんが、高速で移動中は地上と接していないため、急ブレーキが殆ど効かないので、たぶん専用道路を準備する必要があるのが欠点でしょうか。それと、根本的な欠点として、車以上にはスピードを出せないので、未だに実用化がされていないのでしょう。いずれにしても、人々がドローンなどに乗って、気軽に空を飛ぶ時代など(危な過ぎて)遠い将来にも絶対に来ないと断言しておきましょう。

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2021年1月27日 (水)

3881 国産ジェット機の末路

ネットニュースによると、Rシアでも型式証明を取ったHンダジェットの売り上げが好調とのこと。一方で、昨年塩漬けされたSペースジェットは最早離陸は出来そうもありません。では、前者が勝者で、後者が敗者かと問われれば、投稿者としては、「両方共敗者である」と言うしかありません。何故なら、ジェット旅客機やビジネスジェットなどは「20世紀の乗り物」だ、と言うしかないからです。多くの国や地域が「コロナ鎖国」状態の現在は勿論、今後需要が回復したと仮定しても、コロナ前の狂乱的な旅行熱が戻るとはとても思えません。安い燃料代に背中を押された、安い運賃が旅行客を刺激し、それを見た旅行にあまり熱心ではなかった「潜在旅行客」を引っ張り出して、あの旅行熱を生み出したのでした。つまり、世界中の「猫も杓子」も熱にうなされる様に旅行に出かけたのでした。
ジェット旅客機はそのための足=移動手段ではありましたが、残念ながら戦後2機目の国産旅客機は、国内線専用の乗り物に過ぎません。日本国内では、新幹線が競争相手となる筈でした。一方で、1機5億円以上の売値とされている国産のビジネスジェットはどうでしょう。勿論、これは庶民向けの乗り物ではありません。大企業や超お金持ち専用の乗り物でしかないのです。Rシアにも超お金持ちは居る様で、それなりに売れては行くのでしょう。しかし、今以上の富の偏在は、今後逆風を受けることも間違いないでしょう。SDGsで言う、「誰も取り残さないで」持続可能な社会へ変わるためには、極端な富の偏在は「悪」でしかないからです。
ところで、先日のEテレで、Mルクスの唱えた資本論の解説をしていましたが、彼の主張の真意は、少数のリーダーに権力を集中させた、間違った共産主義や偏向した社会主義などなどではなく、民衆が自分ができる範囲で、コミュニティに寄与し、誰も取り残さない小さな社会を多く作る事だった様なのです。話が反れましたが、石油燃料しか使えない20世紀の乗り物、ましてや超金持ちしか乗れない乗り物などに明るい未来は展望できないでしょう。より少ないエネルギー消費で移動できる手段、しかもそのエネルギー源としては再生可能型エネルギーのみで動かせる様な乗り物こそ、将来の社会が待望する理想のVihicleなのです。

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2021年1月25日 (月)

3880 渡り鳥とパンデミック

自宅の上空は、渡り鳥(取り分けハクチョウ)たちの往来のコースになっている様です。多分彼らは、地上の目立った地形、山や川や湖などを目印にしてそれらを繋いだ彼らなりのコースを決めているのでしょう。鳥海山に源を発する、自宅近くの川は、南北に流れているので、独立峰である鳥海山と共に渡りコースの目印に使われているのだと想像しています。渡りのコースには、湖や池や田んぼなどの休憩場所も必要不可欠でしょう。獣に襲われない様に、人里近くの開けた場所が理想なのでしょう。彼らが、晩秋と早春に田んぼや川で憩う姿には癒されます。
しかし、渡り鳥は必ずしも平和の使いではないことも事実でしょう。と言うのも、彼らは季節性の疾病(インフルエンザなど)の原因ウィルスの運び屋でもあるからです。いわゆる、鶏などの家禽あるいは豚などの家畜やイノシシや他の野生動物に感染し、結果としてその変異株がヒトにも感染する事態に至れば、結果としては今回のパンデミックに様に、悲惨な事態が出現するのです。その意味で、渡り鳥の夏の営巣地である、北極圏やシベリアは。これらの感染症の故郷でもある訳です。ウィルスは完全な生物ではないので、乾燥や凍結には強く、条件が揃う季節になると、渡り鳥に感染し、宿主を殺さない程度に増殖するのです。そして、営巣地が雪や氷に閉ざされる季節になると、宿主(渡り鳥たち)は南に移動するのです。ウィルスは、彼らの落とすフンから、野生動物や家禽、家畜などに感染し、やがてその変異株が生まれその感染はヒトにも広がるのです。
もっと怖い話があります。それは、シベリアの永久凍土の中に眠っていた、太古のウィルスが温暖化で凍土の中から現代に蘇る事態です。すでに、毒性の強いウィルスも見つかっている様ですが、例えば非常に致死率の高い邪悪なウィルスが、ゾロゾロとはい出てくる可能性も否定できません。何しろ、人類が地球上に出る前の病原体やウィルスに対してですから、人類は全く免疫力が無い筈なのです。家の前の田んぼでつかの間の休憩を取る100羽ほどのコハクチョウの群れを眺めながら、コロナ後の多分10年後くらいには来るであろう次なるパンデミックを想像してしまいました。

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2021年1月23日 (土)

3879 工学と環境学

全ての学問は、最終的には何か(あるいは誰か)のためになる事を目的としている筈です。勿論、学者のための学問や、学問のための学問の様なものもあるのでしょうが、ここではそれは除外しておきます。さて、ここでは投稿者も長らく関わって来た「工学」と、それを卒業してから学んだ「環境学」を取り上げ、比較してみようと思います。
工学は、基本的には社会に役立つ技術を極める学問だと定義できるでしょう。但し、ここで注意が必要なのは、その社会とは「人間社会」に限定されており、決して動植物社会?や自然環境のためではないと言う点です。従って、ある時期まではいわゆる公害や自然環境破壊につながる技術も許容され、経済や社会の効率化のみが追及されてきたのでした。儲かれば良い、早くて安くて快適でさえあれば良い、人間さえ豊かになれば良い、楽しければ良い、楽であれば良いと言った論理がまかり通っていた訳です。移動手段で言えば、歩きや馬(車)から、鉄道や車や飛行機を使った移動へと「工学的」には進歩を重ねてきたのでした。
しかし、環境学の立場は全く異なります。環境学とは、極端に言えば環境保全を唯一の目的とした学問であるとも言えます。従って、その環境が変わってしまう様な負荷(環境負荷)は基本的には「悪」と言う事になります。従って、温暖化と言う環境変化を引き起こすCO2の発生は、工学では是とされても、環境学では否となる訳です。同様に、オゾン層を破壊する様な物質の使用も、在来種の動植物の数や量を大きく変えてしまう様な、人工的な環境改変も同様に否であると断ずるしかありません。投稿者は、工学に100%依拠する技術屋として仕事をし、それで飯を食い続ける事に疑問を感じ(環境に対して恥じて)、遅まきながら50歳を過ぎてから環境学を学び環境屋になる事を決意して今に至るのです。

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2021年1月21日 (木)

3878 利雪3

利雪についてもう少し考えます。雪を、季節を超えて保管しようとする際に、キーとなるのは「保温技術」でしょう。昔ながらのガラス瓶をつかった魔法瓶では、二重にしたガラス瓶の隙間の空気を抜き、ガラス面には銀色のメッキを施し、高い保温性を実現しています。ペアガラスでは、非常に狭い隙間(数ミリ)の中では気体の対流が起こりにくい事を利用して断熱性を高めています。つまり、空気の対流を起こさせない工夫や断熱材そのものの熱貫流を少なくする(反射させる)コーティングが断熱(壁)に求められる技術だと言えそうです。また、発泡させた断熱材やグラスウールマットは、小さな泡内や密に圧縮した繊維の中では、空気の対流が起こりにくく、従って断熱性も高いと言う性質を利用しています。
雪を長く保存できる断熱材は、当然の事ながら住宅やビルの断熱材としても有効です。あまり原材料を使わないで、しかし断熱性能が高い壁を作る技術は、今後の建物の省エネ性能にもつながる重要な技術であると言えるでしょう。断熱材を薄くするには、発泡材と反射材と熱貫流が少ない材料と言う3種の断熱材を、上手く組み合わせる必要があります。いずれにしても、断熱材の性能を上げる技術は、省エネの推進には不可欠なものであり、この国が今後とも「省エネ大国」であることを標榜するのであれば、安価で性能の高い断熱材の開発は絶対不可欠なのです。
一方で、利雪を考える際には、エネルギーの収支計算も重要です。つまり、利雪を進めるあまり例えば重機などを潤沢に使い、その際使うであろう石油エネルギーが、利雪で得られるエネルギーにあまり変わらないのであれば、それは利雪とは呼べない状態であるとしか言えなくなります。利雪は、最終的には冬季以外の季節の大幅なエネルギー消費の削減に繋がらなければなりませんし、そのためには除雪と移雪の省エネにも最大限努力を傾ける必要がありそうです。

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2021年1月20日 (水)

3877 利雪2

利雪の前に、先ずは雪を移動させる除雪や移雪を上手く処理しなければなりません。今は、取りあえず屋根から雪を下ろして家屋を守り、落とした雪は積み上げるか、スノーダンプで近くの融雪溝に捨てると言う流れが一般的でしょうか。勿論、機械力を使って、ホイールローダーとダンプで再規模に除雪する方法に加えて、小型の除雪機を使って、雪を砕いて遠くへ飛ばす除雪も盛んに行われています。とは言いながら、利雪のために特定の場所に雪を運び、それを高く積み上げるには、有効な方法ではありません。
雪を低熱源として使う場合、例えば、使われなくなったトンネルに雪を詰め込むと、夏場まで低温を維持する事ができ、有効な利雪方法の一つですが、雪をトンネルに詰め込むためには例えばベルトコンベアなどの機械力が必須です。しかし、そのコンベアへの積み下ろしが人力を使っていては、畜雪の能率は限定的に留まるでしょう。ダンプで運んできた雪を、効率的にベルトコンベアに載せ、更にトンネルの奥で雪を下ろして、しっかり積み込むためには、自動化されたローダーとアンローダを準備してやる必要があるのです。砂や砂利などと異なり、雪はある程度の硬さと形があり扱いは難しいのですが、上手い方法としては、雪を一度粉砕して粒状にしてやるのが良さそうです。
粒状にした雪を左右に飛ばせば、トンネルの中は徐々に雪で満たす事ができる筈です。それによって、トンネル壁の棚に保管した、コメ、野菜、リンゴなどの果物、ワインや日本酒、その他の食糧などをエネルギーを使わないで、長期に亘って氷温で保管できる仕組みが出来上がります。利雪に利用する使われなくなったトンネルは、国道の改良工事で、新たなトンネル作られた場合、旧道にひっそりと残されているのを結構な数で見つかるでしょう。実は、この様な利雪方法は、雪室と呼ばれて古くから利用されていたのです。古の雪室は、山の裾に大きな窪みを作り、そこに大量の雪を放り込んで、その上をワラや木屑やムシロなどの保温材で覆うだけの簡単なものですが、盛夏まで雪を残す事ができたと言われています。

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2021年1月18日 (月)

3876 利雪

北国、取り分け日本海側ではこの季節雪に降りこめられます。除雪に忙しくなり、車での外出も億劫になってきます。勿論、温暖化で平均的には雪の少ない年が多くはなりましたが、今年の様に寒波が降りてくる回数が多くなると、積雪量も多くなってしまいます。多雪は、本当に困りものです、雪国であるとは言っても、屋根に1mを超える雪が積もってしまうと、落雪の危険があることに加え、建物への被害も増えてきます。雪は、降ったばかりの時は比重は0.1以下と低いのですが、それが気温の上昇や雨で締まってくると、0.3以上に大きくなるので、同じ1mの積雪でも、建物には数トン~数十トンもの荷重がのしかかる訳です。積雪が少ない場合でも、梁や柱が変形して、ドアや障子が閉まりにくくなったり、隙間ができたりするのです。
それを防ぐために、除雪が必要な訳ですが、ただでさえ傾斜があって、立つのが危険な屋根の上で、動きながら重い雪を取り除くのですから、残念ながら毎年多くの除雪中事故が発生しています。つまり、雪国とは言っても建物自体に屋根に雪が積もらない工夫が施されて地域は少ないのです。勿論、毎年豪雪に見舞われる地域では、屋根の傾斜を急にした上に、屋根の頂上に雪を切る様に、専用の刃の様な構造を付加しています。どうにかして雪の害を減らす作業は、除雪や「克雪」と呼ばれています。その多くは、雪を取り除き、邪魔にならない場所に移動する作業です。
ここで提案したいのは、利雪つまりは雪の有効利用です。雪が持つ性質をまとめてみると1)0℃前後の温度を保っている。2)解けると水になる。3)空気を多く含み保温性もある。4)締まった雪は形状を保持する。5)集積すると解けるまでに長期間かかる、などになります。利雪とは、この様な性質を上手く生かして、何かに利用する事を指します。勿論、これまでもコメやリンゴなどの長期保存のために、まとまった量の雪を利用する試みは行われていました。これは、性質1)と5)を使ったものです。2)も春先から夏場までの農業用水や発電用の水力としてはそれなりに利用されてはいます。3)と4)を使ったものとしては、雪国の楽しみでもある「雪まつり」や「かまくら」などが挙げられますが、当然ですがそれはホンの一部の利用に留まっています。雪国では、先ずは生活の動線を確保するための除雪が優先されますので、利雪まで目が届かないのです。続きます。

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2021年1月17日 (日)

3875 ネガワット発電所

言葉には流行り廃りがあるもので、「ネガワット」と言う言葉が流行ったのは大分前の話になってしまった様です。とはいえ、この言葉の持つ意味は、目減りするどころか、ますます重みを増しているとさえ言えるでしょう。そもそもネガワットとは、「負の電力消費」つまりは、省エネで減らす事ができた電力の意味ですから、ネガワット発電所とは、工場なり各家庭が、例えば1割の省エネを実現した場合、さながらその省エネ量に見合った発電所が新たに生まれたのと同様の意味を持つからです。つまり、現在の快適な生活を支えるために、電量消費量が増えればそのまま新たな発電所を建設すると言う考え方を改め、先ずは徹底的な省エネの励行から始める訳です。
1970年代の半ば、この国の電力消費量は今の丁度半分だったのでした。現在より人口は1割ほど少なかったとはいえ、一人当たりで今の半分ほどの電力を使いながら、それほど「酷く質素な生活」を送っていた訳ではなかったと振り返っています。庶民にも、それなりの家電がや自家用車が普及し、若者はバイクを乗り回していたのでした。
とは言いながら、便利で快適な生活にすっかり慣れてしまった私たちが、果たしてエネルギー半分の社会に戻れるのかは疑問が残ります。エネルギー半分の社会とは、現在のエネルギー消費行動2回を1回に減らすか、あるいはエネルギー消費する時間を半分に減ずるか、と言う行動を全員が取る必要があるのです。勿論、旅行の頻度も、移動距離も、宅配便を利用する回数も全て半分に減らす必要があります。24時間営業は全て取りやめ昼間営業を基本とし、放送なども夜間は休止するなど、眠らない社会活動も全て半分以下に減らす必要もあるでしょう。
この様な生活は、実は人間らしいライフスタイルであることは間違いないでしょう。昼は活動し、夜は眠る事によって、健康的な体や心のバランス(ホメオスタシス=恒常性)が保てるからです。つまり、先ずは夜は眠るのだと言う人間らしい生活スタイルに戻るだけでも、結果としてエネルギー半分の社会に戻り、原発や火力発電所も不要となる、「巨大なネガワット発電所」が手に入るとも言えるでしょう。

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2021年1月14日 (木)

3874 本気のSDGs

SDGsが、国連の全会一致で可決されてから既に5年が経過しました。つまり、2030年には達成したいと言う目標期間の1/3が過ぎてしまったのです。しかし、実状を眺めると、ここにきてやっとSDGsと言う「言葉が浸透してきた」だけで、具体的な動きは、始まったばかりだと言うしかありません。勿論、先進的な大企業は数年前からSDGsを標榜した経営に踏み出してはいましたが、肝心の国はやっと2050年のCO2ぜロ排出に言及し始めた程度で、SDGsを担ぐ省庁も、予算規模もマンパワーも非常に小さいK境省に無理やり押し付けられてしまった形です。
17の目標(英語ではゴールと呼ばれていますが)を眺めてみると、事は環境マターだけではなく、文科や厚労や国交を始め、全ての省庁に関係していると思われるのですが、この国のいわゆる「省庁の縦割りルール」上、どこか一つの省庁に押し付けるしかないのでしょう。
さて、ここにきてSDGsの知名度だけは少しは上がりましたが、実状は昨年来のコロナ騒ぎで、減速どころか後退を余儀なくされていると見るしかなさそうです。取り分け、目標の内でも上位に位置付けられていると思われる、貧困の撲滅に関しては言えば、コロナに影響された経済減速で、間違いなく悪化しているのは間違いないでしょう。それでなくとも遅れ気味だったSDGsへの取組みですが、それを再加速するには、これまでの倍以上の努力を傾ける必要があるのは明らかでしょう。
つまり、本気を出してSDGsの各目標への取り組みを再開するしかないのです。考え方は単純です。何か行動を起こす際に、いくつかの選択肢があるとして、よりSDGsのゴールに近づくオプションを選ぶのです。その際に、数年先の結果にこだわるのではなく、例えばどのオプションが、50年後の子孫の幸福につながり、かつ持続可能性が高いかを判断すれば良いだけなのです。例えば、新しい発電所を建設すると仮定した場合、先ず原発や化石エネルギーを燃料するものは、最初に除外されるべきでしょうし、太陽光発電と風力発電所あるいはバイオマス発電所を比べる場合でも、どちらが最終的なLife cycle burden(建設、運用、廃棄までのトータルとしての環境負荷)が小さいかで判断すべきなのである。その前に、本気を出して出来る限りの省エネ対策を実行し、そもそも新たな発電所の建設自体が不要となるための努力を重ねる方が先であることは間違いないでしょう。

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2021年1月13日 (水)

3873 物流

何時の頃からか、この国の物流は鉄道輸送からトラック輸送に比重が移ってしまいました。しかも、JITの考え方が普及した結果、各地の在庫量はドンドン削られていったのでした。つまり、高速道路網が整備され、それを使って、さながらモノが体を流れる血液の様に、絶え間なく切れ目なく運ばれる仕組みが構築されていったのです。翌日に陳列棚に並ぶべき商品は、夜間にトラックで運ばれ、早朝に消費地に入るのです。その結果、流通業は大きな倉庫を準備して、モノをストックする必要がなくなって、SCやスーパーのバックヤードに短期のストックを持つだけでOKと言う物流システムが完成したのでした。
しかし、今回の様な雪害(災害)で、高速道路が寸断されると、その瞬間からサプライチェーンの崩壊が始まるのです。血管の中に、コレステロールや血栓ができて、血流が滞ると私たちの体の組織は、直ちにダメージを受け、最悪の場合は壊死してしまいます。各SCやスーパーや小売店の短期ストックなど、1週間はとても持たないでしょう。コンビニに至っては、1日で商品棚が空っぽになってしまう筈です。1970年代に石油の輸送が産油国のストライキ?で滞り、いわゆる「油断」による石油ショックを起こしましたが、物流の滞りは「物断」を起こしてしまうのです。
今回の豪雪でも、高速道路上で多数の車のスタックを引き起こしましたが、もし早期に高速道路を閉鎖したとしても、溢れたトラックの列が国道に流れるだけで、それはもっと深刻な動けない車列を作り出すだけでしょう。その結果、除雪車は勿論、緊急自動車さえも動けなくなり、結果全ての社会活動も麻痺してしまう結果をもたらすだけなのです。便利さだけを追い求める今の物流システムは、他方では災害には非常に脆いものであることが、今回の豪雪によっていみじくも暴露されたと反省し、なるべくモノを運ばないで済む、つまりは「地産地消」を推進する様な社会システムの改革が求められていると思うのです。これは社会の進歩でもなんでもなく、社会システムの少しの後退ですので、私たちはその様な時代を過去に経験してもいますので、その変更にはリスクも殆どないのです。

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2021年1月11日 (月)

3872 温暖化と豪雪2

日本では、連日豪雪のニュース一色ですが、実は海の向こうのスペインやポルトガル当たりでも50年ぶりの豪雪に襲われている様です。1月3日のジェット気流の解析図では、寒気が東アジアの他に、ヨーロッパではピンポイントでイベリア半島方面にも入っている事が明らかです。イベリア半島の沖には、良く知られている様に、主要な暖流であるメキシコ湾流が流れていて、日本における日本海側での豪雪と全く同じメカニズムで大量の降雪となった訳です。
手元にデータはありませんが、間違いなくメキシコ湾流の海水温も例年より高くなっていたと思われます。繰り返しになりますが、苛烈な気象は地上(海面)と上空の寒気との、より大きな温度差で引き起こされた激しい上昇気流と、巻き上げられた大量の水蒸気によって引き起こされるのです。具体的には、地上と上空1500mに入っている寒気との温度差が40℃以上になると、大気の状態が極端に不安定になって、災害級の気象が発現する事につながると言われています。
地球の温暖化、とりわけ海水温度の上昇によって、これまでは何十年かに一度しか起こらなかった様な、強烈な熱波や寒波や台風や豪雨による大災害が、毎年の様に襲ってくることになるかも知れません。と言うより、最近の国内外に起こった、この種の災害の多さや大きさを眺めても、既にその様な時代に入ってしまったと見るしかないでしょう。私たちは、その災害に大規模な建設や土木技術を駆使して立ち向かうのではなく、災害が頻発する様な地域を放棄して、より安全な地域へ移動するしかないとも思うのです。「天気の子」ではありませんが、東京などの海面より低い地域(ゼロメートル地帯)は、間違いなく潜在的に水害的に危険な地域である事は間違いないでしょう。豪雪も雪に姿を変えているとは言え、苛烈な気象による「水害」である事には変わりがありません。地球上の一地方に豪雪や豪雨が起こるという事は、他方では必要な雨が降らない干ばつが広く発生する事につながります。稿を改めますが、これは間違いなく食糧問題を引き起こす原因にもなっていくのでしょう。

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2021年1月10日 (日)

3871 温暖化と豪雪

今年は、数十年ぶりの豪雪となりそうです。北極気団の縁を取り巻くジェット気流の蛇行により、取り分けバレンツ海からの冷気を運ぶ流れが、東アジアがすっぽりと強い寒気に覆われているのが直接の原因ですが、今回の豪雪には別の要因もありそうなのです。それが、いわゆる温暖化による気候変動です。今年の日本近海、とりわけ日本海の海水温が、例年より2℃ほど高いと観測されていますが、この寒気団と高い海水温が豪雪をもたらすのです。海水温が高いと、海面からさながら温泉の様に湯気(水蒸気)が発生します。これに寒気が作用すると当然の事ながら厚い雪雲が発生し、日本海側に大雪をもたらすのです。
海水温が高いのは、今回の寒気団が降りてきた際に、日本海に「台風並み」の低気圧が発生した事でも裏付けられています。その低気圧の衛星写真を見ると、まるで台風の様に「目ができていた」のでした。低気圧は、上空の寒気と地上(海面)の温度差が大きいほど、強烈に発達します。それは、夏場に強烈な日射があった午後に、強大な積乱雲が発生するメカニズムと同じなのです。海水温の上昇はたった2℃ですが、上空のマイナス40℃近い寒気との温度差は50℃にもなるでしょうから、台風並みの低気圧が発生しても不思議はないでしょう。夏場、フィリピン沖の30℃を超える海水温と上空のマイナス10℃程度の大気が作る温度差よりも大きいからです。
温暖化が気象を激甚化させる原因は、まさに温暖化によって、大気中の水蒸気量が増え、更に海水面と上空の大気との間により大きな温度差を発生させる結果、大気がより不安定になって、大気の対流や風を激しくさせて強風や豪雨や豪雪をもたらす事につながるのです。昨日のNスぺでも、温暖化の恐怖を本気で強調していましたが、もしかすると私たちは、PONR(Point of no return=後戻りできないポイント)にすでに到達しているのかも知れません。人類にとって、取り分け次世代にとって、恐ろしい事ではありますが・・・。

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2021年1月 7日 (木)

3870 飛沫感染

コロナ感染に関して、欧米とこの国の感染率の違いが気になっています。勿論、基礎免疫の違いもあるのでしょう。一般に、元々群れて密に暮らすライフスタイルのこの国やアジアの諸国と欧米の生活には、既存免疫の形成の程度にも違いが出てもおかしくはないでしょう。つまり、我々は満員電車などで密な接触を繰り返す中で、より多くの感染症のリスクを抱え、結果として多くの感染症に晒され、結果としてそれらの感染症への免疫も獲得しているのでしょう。従って、新たなウィルスにより感染症にもそれなりの抵抗を示す事ができるのでしょう。
しかしそれだけで、現状の全ての事象を説明するには無理がありそうな気がするのです。別の違いを考えてみると、言語がありそうです。投稿者がまともに話せるのは、日本語と英語程度ですが、どちらが口を大きく開けて発音し、どちらが破裂音など飛沫がより多く飛ぶ単語が多いかを思い起こしてみると、明らかに欧米語に軍配が上がるでしょう。加えて、マスク装着率の大きな差があります。几帳面にマスクをつける国民と、自由を求めてマスクを嫌う国民性の違いがあるでしょう。つまり、欧米では飛沫感染により拡散する感染症には、「社会的に脆弱である」と言えそうなのです。
とは言いながら、ウィルスもさるもので、感染を繰り返す中で、より感染力の強い株に変異し、この国でもなかなか歯止めが掛けられない状況に陥っているのです。ウィルスの増殖に好適な気温は5℃-15℃程度との事ですので、都市部の平均気温がこの範囲に入る冬場は、毎年各種のウィルスが猛威を奮うのですが、暖かくなる3月以降まではコロナ感染のピークが続きそうな予感がするのです。第2波でそうした様に、今回の第3派でも、ピークが過ぎるまでじっと我慢の自粛的な生活を続けるしか無さそうです。

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2021年1月 1日 (金)

3869 新年にあたって

新しい年が明けましたが、相変わらず新型コロナの暗雲が世界中を覆っている様です。どうやらコロナウィルスが活発に活動するのは5-15℃の範囲の様ですから、平均気温がその範囲を脱する5月以降、ワクチンもジワジワ効奏する初夏にでもなれば、少しは明るさが見えて来るのでしょうか。あるいは、「賢いウィルス達」は、それを掻い潜る様に狂暴に変異して、数年間猛威を奮い続けるのでしょうか。いずれにしても、人類は100年前のSペイン風邪の猛威も何とか凌いできたので、今回も何とか耐えて暮らしていくのでしょう。
しかし、コロナ後にも忘れてならないのは、今回のパンデミック(Sペイン風邪の例に倣えばB漢風邪?)が残した教訓だと思うのです。投稿者なりにまとめてみるなら、1)都会で群れて住むことのリスクは非常に大きい事、2)ウィルスは変異を繰り返し不死身?である事、3)完璧な治療薬を手にしない限り人類は常に彼らの後手に回らざるを得ない事、4)それなりの「自粛生活」でもどうにか世の中は回っていくこと(逆に言えば、これまでの生活はかなりバブリーであった事)等になります。
特に最後の4)は、今後の最大の教訓にしなければならないと思うのです。例えば、今回のコロナ騒動以前を想い起こしてみると、人々はこぞって海外旅行に奔走した結果この国にも人口の3割にも及ぶ観光客が押しかけ、豪華客船や豪華列車の予約の列に並び、グルメや美酒に酔い、居間の延長の様な車に乗り、スポーツやコンサートで熱狂し、新年のカウントダウンのために大挙して街に繰り出し、それでも足りずに美食や運動不足の結果、多くの人々が昔は贅沢病とも呼ばれた生活習慣病に罹患するに至っては、何をかいわんやでしょう。
このブログでも何度か書きましたが、都会の暮らしは、田舎や国外からの製品や食糧やエネルギーのサプライ無しには、一日として続けられない「山小屋生活」であり、毎日が「お祭り生活」だと思えるのです。そうではなくて、日頃は質素な「ケの日」を過ごしながら、年に数回の「ハレの日」を楽しむと言った、いわゆる田舎の暮らし(自給自足により近い暮らし方)こそ、今後の社会の理想に掲げるべきだと、今年の新年にあたってもシミジミと思った次第です。

 

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2020年12月28日 (月)

3868 記憶から創造へ2

疑問を持っている子供へ、単に答えをストレートに教えるのは親としては失格でしょう。自分自身がそのダメ親だったので、育った子供たちを見ていてシミジミそう反省しています。子供が出来ない事を「こうやるんだ」と言ってさっさとして見せるのも同様にご法度でしょう。一応の原理を教えて、あとは自分で工夫してできる様にさせるのがベストでしょう。
両者に通ずるのは、要は子供に工夫をさせ、その結果曲りなりにも結果が出て、何らかの達成感を持たせることが必要なのであって、その繰り返しによってのみ子供たちが成長すると思うのです。自分自身の事を振り返っても、商売で忙しい親は基本的には放任主義でした。勿論、方針としてそうだったのではないのでしょうから、たぶん仕方なくそうしていたのでしょう。その分、近所の友達と外で暗くなるまで遊び、時々に親が連れて行ってくれる河口での釣りに興奮し、小学校では学校の近くの模型屋のオヤジが教えてくれる模型飛行機作りに熱中した子供時代を懐かしく思い出します。
竹ひごをロウソクの火を使って設計図通りに曲げ、アルミニウムの管でつなぎ、バルサで出来たリブを渡してセメダインでくっつけ、その上に薄い紙を貼って翼型を作ってゴム動力で飛ばすのです。最低限の材料と、設計図を頼りに完成させ、その後飛ばしてみて重心と浮力中心を合わせる調整をすれば、飛行機は数分間飛び続けるのでした。上昇気流が強い日には、折角作った飛行機が山のかなたに消えて行ってしまった事もありました。
自分自身の経験から言っても、工夫の積み重ねと、その結果生まれた小さな達成感の積み重ねこそが、創造性の根源だと断言できます。もし、今自分が無垢の赤子を育てる機会に恵まれたとしたなら、たぶん創造性に溢れた子供に成長させる自信がありますが、アラ古希に近い投稿者にとってそれは、間違いなく叶わぬ夢になるのでしょう。ここで言いたかったのは、記憶力だけを評価する様な、この国の従来の様な勉強と言う呼び方の教育はすぐにでも止め、子供たちの好奇心と小さな達成感を刺激する様な学習意欲に訴える「学び」に切り替えるべきでしょう。

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2020年12月23日 (水)

3867 記憶から創造へ

ある教育者の言葉です。私たちのこれまでの教育は、子供たち記憶料力と理解力の向上ににだけ向けられていた、と。当然の事ながら多くの試験は、それ(記憶の程度)を試すものであり、受験生はひたすら教科書や参考書の中身を頭に詰め込み続けるしかなかった事でしょう。しかし、人間の脳の能力はそんなものではない筈なのです。つまり、詰め込んだ知識を「応用(または工夫)」し、あるいはそれらを「分析」し、更にはそれらを「評価」し、最終的にはそれらを下敷きにして何かを「創造」できるまでの能力を全ての人は備えていると思うのです。
なのにです。今の学校教育は、大学教育まで含めて「応用」以降の能力は開発されることも無く卒業させられてしまうのです。辛うじて、大学院まで進むと、自分で研究テーマを見つけて、何らかの課題を設定して研究を行い、それを論文にまとめる過程を経験しますので、それなりの能力も身に着けるのでしょうが、そうではないいわゆる「学卒者」は、例えば企業内教育などで改めて能力を開発し直す必要があるのでしょう。
しかし残念な事に、成人の能力開発にはある種の困難が生ずるのです。それは、「脳の可塑性」に関連すると思われます。つまり、少年期を過ぎると脳が「固まってしまい」可塑性が低下するのです。例えば、語学に関して言えば12歳前後を境として、それ以降に言語を習得したとしてもそれは「第二言語」にしかなり得ず、あくまで学んだ言語の一つになってしまうのです。英語が第二言語と設定されているこの国の人々の多くが「英語は苦手」と言い切る所以と言えるでしょう。
言いたいことは、脳の可塑性が十分に高い少年期に、応用や分析や評価や創造と言った能力の開発を手助けしてやれば、創造的な大人に成長し、ひいてはこの国も創造的な国に脱皮できると思うのです。そのためには、この国の教育システムである、先生が一方的に知識を詰め込む「勉強」と呼ばれるTLシステム(Teaching Learning system)から、生徒や学生が主体的に学習するESシステム(Education Study system)への転換を図らなければならないのですが、それには先ずは先生達の意識を変えるための「学習」が必要であるため、数十年単位の時間が必要となるのでしょう。小学生に対し、そもそも英語やプログラミングが苦手な先生に、英語らしきものやプログラミングらしきものを教え込んで貰うだけでお茶を濁す訳には行かないのです。続きます。

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2020年12月22日 (火)

3866 大人の役割

投稿者は、今度誕生日が来ると満70歳ともなりますので立派な年寄りです。さて自分の来し方を見ても、何を成し遂げて、何が成し足りなかったのかを考える時、忸怩たる思いに苛まれます。特に、若い人を育てる事に於いては後悔しきりです。自分自身の子供たちを含め、会社員時代に部下となった人たちを育てると言う視点をあまり強く持っていなかったと猛省しているのです。若い人たちは、勿論放っておいても自ら考え、力をつけてい行くタイプの人たちも少数は居るのでしょうが、大半は大人(や年寄り)が導いてやる方が良く伸びる事ができそうに思うのです。
大人の役割としては、勿論全てのお膳立てを整えて、若い人達にそれを与える事ではありません。そんな事をしても、彼らの力がつかない事は明らかでしょう。何故なら、それでは彼らが自ら考えて行動すると言う能力が使われずに、大人に甘えてしまう事に慣れてしまうからです。そうではなくて、大人が準備すべきは、若者たちが行動を起こしたくなる、あるいは行動を起こさざるを得ない状況を演出してやることだと思うのです。勿論、最初は少し努力をすれば行動し、結果が出るような課題が望ましいのでしょう。そして、彼らの能力も、課題の難易度も同時並行にステップアップすればなお理想でしょう。とは言いながら、課題には歯応えがありすぎて、若者が挫折してしまう様なものも必要でしょう。たとえ一度挫折しても、その後に力をつけて再挑戦するかも知れません。だから、大人の役割は、もし挫折してもそれが今の実力であり、研鑽を重ねればやがてクリアできる筈である、と若者を励ましてやることだと思うのです。
さて衣食住など、今の生活に不都合を感じていない若者は、自分の内側から出てくる「渇望」に不足していますから、当然の事ながら課題など見えにくいでしょうし、向上心も弱いと想像しています。しかし、世の中、特に世界を見回すなら課題は山積している事に気が付くでしょう。それを国連が取りまとめたのがSDGsであり、大きくは17個のカテゴリーの169個の到達すべきターゲット(=ゴール)を定めたのでした。それも2030年までのゴール到達を目標にしていますので、まさに今の若者に向けた課題でもあるでしょう。とは言いながら、その範囲は気が遠くなるほど広く、気が遠くなるほど高い目標なのです。全世界の国々は、軍拡競争や何の役にも立たない宇宙ビジネスなど直ちに中止し、それらのゴールを目指して直ぐにでも行動を起こさなければならない時期なのです。年寄りは、自分たちの幸福はかなり削ってでも、若者たちがそれらの課題に立ち向かうステージを整える事に最大限注力すべきだと思うのです。

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2020年12月19日 (土)

3865 仕事と遊び2

仕事は仕事、遊びは遊びと割り切るのか、あるいは仕事≒遊びの理想を追求するのかは、人夫々の考え方があるのでしょうが、究極の理想は仕事≒遊びで、かつその仕事≒遊びが誰か他の人や社会の役に立つことでしょうか。更に言えば、その仕事≒遊びが、社会の持続可能性の維持・向上に寄与する事であれば万全です。その意味で、投稿者は持続可能性を壊す技術屋を辞め、「環境屋」を目指したのでした。つまり、50歳の時に一度立ち止まって、じっくりと周りを見回してみて、環境屋が最も持続可能性の維持に貢献しそうな気がしたのでした。
他の人や社会に役立つためには、やはり利己を捨てて利他を追求していく必要があるでしょう。とは言いながら、投稿者は年金生活者とは言え、家族を養っていくために、いくばくかの仕事をこなさなければならない立場でもあります。そのために、環境経営システムの審査員の資格を取り、それを主な仕事としているのですが、実際のところ仕事=遊びとはなかなか一致出来ないでもいるのです。その他の仕事、例えば学校や市民向けの出前講師などは、ボランティアベースの活動ですので、結構楽しくこなしてはいるのですが、何しろ前者はしっかりとした料金をいただいていることもあって、かなりの責任も感じてのやや重い仕事ともなっています。
その意味では、純粋な仕事にはしっかりと責任もついて回りますが、一方で仕事≒遊びに責任を負わせる訳には行かないとは言えるのでしょう。とは言いながら、考えてみれば私たち現世代の全員には、今ある環境を悪化させずに子孫に残していかなければならないと言う責任が負わされているのも間違いはないでしょう。ならば、投稿者としては、その責任を果たすべき仕事≒遊び≒環境保全活動となる様に、精々頭と体を使っていくしかないと考えている今日この頃です。

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2020年12月17日 (木)

3864 仕事と遊び

お金のためや誰か他人に命ぜられて仕方なくするのが「仕事」、そうではなくて、楽しい事や逆に辛くても自分だけのために進んで何かするのが「遊び」だと、マーク・トウェインが、トム・ソーヤに言わせています。確かに、多くの仕事は気が重いもので、出来れば早めに切り上げたいと感ずるもので、それから解放されれば、ホッとするものなのでしょう。仕事とは、その意味ではストレッサーでもあり、多くの人は仕事に関しての悩み事を抱えている場合の多いと想像しています。
それに対して、遊びに関しては、時間が無いとか、小遣いが足りなくなると言った悩みこそ聞くことはありますが、遊びや趣味そのものでストレスを感じたり、ましてや精神的に追い込まれるなどの心配は無用でしょう。もし万が一そんなことが起こるのであれば、それを諦めて別の趣味を始めれば良いだけだからです。
一方で、仕事であればそんな簡単に放棄する訳にも行かないでしょう。自営業やフリーランスならいざ知らず、サラリーマンである限り、雇用契約と言う文書に書かれた義務に縛られ、殆どは勤務する時間帯にも縛りがある事でしょう。とは言いながら、今度のコロナ騒ぎで、後者については少し様子が変わっては来ましたが・・・。
さて、投稿者に関して言えば54歳まではいわゆるサラリーマンでしたが、その縛りの中でも30代の中盤以降は、その仕事の中に楽しみ(遊び)を発見しようと努めてはきたものでした。55歳の誕生日を以って、サラリーマンを辞して完全な自営業として独立しましたが、以降は自分で自分を縛る「仕事」とその中で環境に関しての学びを追求する「遊び」を両立させてきたと振り返っています。
そうなのです、親や他人に言われ押し付けられる学びは「勉強」と言う仕事であり、多くの人にとっては苦痛でもあるのでしょう。しかし、自ら進んで知識を増やしたいとの「内なる欲求」から行うのは「学習」と呼ぶべきであって、実は楽しみでもある筈なのです。ましてや、その学習の結果得たものが、自分や他人の役に立ったことが確認された場合には、人は大いなる達成感を得ることもできるのです。
理想を言えば、投稿者の様に仕事≒趣味(学びと言う遊び)であると認識して日々を過ごす事ですが、たとえ一介のサラリーマンではあっても、一度仕事を通じて得られた知識や学び、あるいは気付きを体系的にまとめてみれば、昨日とは少し違う人間に成長できる筈なのです。それに近づけば、仕事≒遊びの理想に、少しは近づく事につながると思うのです。

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2020年12月13日 (日)

3863 コロナ騒ぎ

感染者数が過去最多を更新といったセンセーショナルなニュースが日々流れています。しかし、陽性者の絶対数のみに一喜一憂するのはどうかと思っています。と言うのも、そもそもPCR検査の絶対数と検査数に対する陽性者の率(陽性率)と言う指標も同時に眺めなければ、陽性者数だけでは感染拡大の様子は判断できない筈なのです。つまり、検査数が1日当たりに1万件しかできなかった初期の頃に比べ、現在では平均的にも日々5万件以上の検査が実行されているわけで、初期の頃の一日当たり1000人の陽性者と現在の4000人レベルでは、感染の状況にはそれほど差が無いとも言えるのです。
ちなみに、現在の陽性率は全国平均では低い方の4%台であり、感染が急拡大していると見られている東京でも5%を少し超える程度に留まっているのです。確かに新型コロナウィルスの感染力は、季節インフルに比べても数倍強いと言われており感染も拡大しているのですが、それがこれまでの季節インフルの状況に比べて必ずしも極端に異常であるとも言えないでしょう。
重症者や死者の数については、確かに例外的に若い世代にも犠牲者は出ているのですが、大多数は高齢者でしょう。今は、コロナ禍でパニック状態ですが、毎年この時期になると「高齢者施設での季節インフルへの集団感染で、何名が亡くなった」とか言ったニュースが度々流れている筈なのです。その原因ウィルスが、今年は季節インフルの代わりに新型コロナになっただけとも言えそうなのです。日々報じられる新型コロナの陽性者数や犠牲者は、例えば昨年の同時期の季節インフルに比べてもかなり多くはなっているのでしょうが、現在の様にパニックになるほどの異常事態とも思えません。新型コロナの感染力は確かに強いにしても、強毒性のウィルス株は宿主(感染者)自身が亡くなってしまう事もあり、感染を繰り返す内に徐々に弱毒化すると言う傾向は定説にもなっている筈ですし、いたずらに報じられる感染者の数だけに踊らされパニックになる事態だけは避けたいところです。事実、あの豪華客船が着岸した今年の初めには、日本中がパニックになりかけましたが、今や殆どの人々が新型コロナ慣れをしてしまっている状況になりました。数字だけに一喜一憂すること無しに冷静に暮らしを続けたいものです。

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2020年12月10日 (木)

3862 2050年目標?

この国のリーダーが2050年にCO2排出ゼロを目標とする事を宣言しました。ついに、と言うのかやっとと言うのかは別にして、兎にも角にも西欧と肩を並べる事にはなった訳で、環境人間としては一応喜ばしい事ではあります。一応と断ったのは、先ず「目標」と言う言葉で、SDGsも日本語では持続可能な開発「目標」とされていて、オリジナルの「Goals」がお役人言葉で巧みに言い換えられているのです。ゴールとは、ゴールテープを切る事を意味しますから、たとえゴールに1m届かなくてもゴールした事にはなりません、しかし、目標であればたとえ届かなくても、目標の90%は達成できたとどうにか言い訳はできるでしょう。
CO2排出ゼロに至る考え方も大いに問題です。ガソリン車ゼロと言いながら、ハイブリッド車やガソリンエンジンで発電する電動車をEVであると定義するのは、大手の車メーカーの顔色を覗っているとしか言えない抜け道でしょう。同様に、ウランと言う化石燃料を使う原発を、CO2フリーのエネルギーだとしていることも大問題です。原発の建設にも、維持管理にも、廃炉にも多大なCO2が発生する事を無視しているからです。建設や維持や廃炉に使われる重機などが、全て原発が生み出した電気で動かせるとは到底考えられないからです。EVっぽい車や絶対無くして貰いたい原発まで仲間に入れて、なんちゃってCO2ゼロエミッションを宣言しても空しいだけでしょう。
私たちが先ず為すべきは、ライフスタイルの徹底的な見直しでしょう。コンビニに買い物に出かけるホンの数百メートルも歩かずに車に乗り、たった30分で歩ける距離も電車やバスやタクシーに乗る様な「快適移動」であり、暑くても寒くてもすぐに「エアコン」をつける「快適冷暖房」であり、旬でなくとも食べたい食材が手に入る「贅沢食生活」であり、スイッチさえ入れれば電灯でも家電も直ぐに使える「快適電化生活」などを「手放す覚悟」が私たちに求められていると思うのです。1970年代、私たちが消費するエネルギーレベルは、まさに今の半分で済んでいたのです。それでも、オイルショックが起こって省エネに勤しんだことを振り返っています。とは言いながら、その頃の生活に特に耐えられないほどの不便を感じた記憶も無いのです。
ならば、今70年代に近い暮らしをし様と思えば、少しの不便さえ耐え忍べば、エネルギーを半分に出来るでしょう。つまり、移動は可能な限り歩きや自転車で行い、可能な限り衣服や住宅の断熱で暑さ寒さをしのぎ、旬の食べ物を口にし、スイッチを入れる回数を半分にすれば、70年代成生活に近づけるでしょう。それによって、移動や輸送に関わるエネルギー使用量の半減も視野に入り、電力も半減できるので、多くの火力発電所を段階的に減らし、原発を止める政策も視野に入ってくる筈なのです。国は、(国民ではなく)票田となっている企業(業界団体)の顔色を覗った政策しか打てないし、その企業は景気を良くして(消費を増やして)売り上げを上げる事にしか興味がない事は、高度成長期以降の世の中の動きを思い起こせば、誰の目にも明らかでしょう。先ず必要なのは、次世代を思いやりながら、現世代がライフスタイルを見直す行動なのです。

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2020年12月 8日 (火)

3861 夢の押付け

民間の「宇宙タクシー」を使って、日本人として3度目にISSに乗り込んだ中年の星の話題や、何億キロも旅をして小惑星から星屑を持ち帰ったHヤブサの話題がマスコミを賑わしています。それをテレビで見た子供たちは、宇宙に憧れを持ち、少なからずの子供たちは、将来は宇宙飛行士になりたい、などと言った夢を口にしたりもするのでしょう。しかし、これは無責任な夢の押し付けになっている様な気がしてならないのです。そもそも、ISSについて言えば、その寿命は間もなく尽きる筈なのです。実は、初期にはISSは2020年に退役させることが決まっていたのですが、今はその寿命を延長して使用している段階なのです。ISSと言う高々400㎞上空を周回している飛行体が実現できる実験環境としては、せいぜい無重力くらいしかないのです。無重力化でいくら完璧な合金を作ったところで、いくら優秀な薬品を合成できたところで、それが重力下の地上で再現できる訳もありません。つまりは、科学者や化学者の学問的な満足感で終わってしまうのです。それに、それこそ「天文学的」な予算を注ぎ込んで、しかも無理に寿命を延長しながらISSを運用し、その結果子供たちに自分たちも将来ISSに乗り組んでみたいなどと、実現が不可能な夢を見させるのは、まさに無責任の極みでしょう。今のISSの寿命が本当に切れたとして、では世界が協調してもう一度第二のISSを打ち上げるかと問われれば、自国第一主義が蔓延してしまった今の世界情勢では全く考えられないでしょう。つまりISSは間もなく「巨大な宇宙ゴミ」になる運命なのです。
Hヤブサにしても同様です。もしHヤブサの持ち帰った1グラムほどの砂から、科学者たちが期待する有機物や水が検出されたとして、地球の起源の知見が少し増えるだけでしょう。地球への理解が前に進んだとしても、決してそれで目の前にある地球の環境問題や貧困問題が解決できる訳ではないのです。もし、NASAやJAXAの優秀な科学者や技術者や予算のたとえ半分でも、環境問題に振り向けてくれるなら、問題解決(軽減)へのスピードは、格段に上がる筈なのです。
勿論、ISSやHヤブサのプロジェクトには衆目を集めるイベント(祭り)としての意味はあるとは思います。しかし、もはや「祭りは終わった」と考えざるを得ない時期だと思い至るべきでしょう。先ずは、身に降りかかる火の粉を払い、あるいは足元のぬかるみ(問題)の解決しなければならない時代だと思うのです。見果てぬ「無責任な夢の押し付けは」もう打ち止めにしましょう、ましてや、将来ある子供たちに地上の問題から目を逸らさせ、宇宙などに向けさせる無責任は止めにしなければならないと強く思うのです。

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2020年12月 7日 (月)

3860 石油価格

仕事や山登りで結構車で長距離移動をします。環境人間としては、少し控えたいのですが、仕事は致し方ありません。軽自動車なので、出先で度々給油せざるを得ませんが、どこでも最近のの石油価格は低値安定している様に見えます。それと言うのも、背景にはコロナ騒ぎで経済活動が低迷している事があるのでしょう。そのため、いくらこの国のリーダーが2050年のゼロエミッションを宣言しても、石油に対抗すべき「再エネ」拡大の機運がちっとも上向かないのです。
石油価格で思い起こすのは、1970年代の二度にわたる石油ショックです。この時期には、雨後のタケノコの様に、あらゆる再エネが脚光を浴び、実際にもプロトタイプが作られたたりもしました。その頃住んでいた香川県では、NEDOが主導しての太陽エネルギー利用の博覧会(太陽博)も開催されたほどでした。各地で石油に替わるバイオマス(薪やオガライトと呼ばれる木屑燃料やペレット燃料など)も盛んに製造利用されていたのです。しかし、私たちは再び石油価格が下がってくると、その便利さにすっかり溺れ、再エネの殆どを放り出してしまったのです。唯一太陽光発電だけは、いくつかの大メーカーが研究と実用化を続け、ついにはシェアで世界一を取ったのですが、それも大規模な設備投資を行った、DイツやC国に追い越されたのでした。勿論、メーカーが見切るのが早かったバイオマスや風力発電などは、地道に実用化レベルを上げて行った欧州勢にアッと言う間に置いて行かれたのでした。
しかし、指摘しておかなければならないのは、欧州のゼロエミッション宣言とこの国のそれとは雲泥の差があると言うしかないでしょう。と言うのも、よくよくこの国の政策を吟味してみると、例えば車関係では、ハイブリッド車やエンジン付きモーター駆動車もEVと位置付ける様ですし、多量の石油エネルギーや電力を使って設備を維持管理しなければならない原発もゼロエミッションエネルギーと位置付ける様なのです。これでは、「まがい物のゼロエミ」と呼ぶしかないでしょう。投稿者の願いは、一日も早く再びの、そして未来まで続く「石油ショック=石油価格の高値時代」が到来する事なのです。それによって、石油を使う製品や運輸やサービスが割高となり、再エネや地産地消の強い追い風が吹くでしょうから・・・。

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2020年12月 2日 (水)

3859 振り返り

このブログも、2006年にサラリーマンをかなり早めに卒業し、自営業になった(環境人間に脱皮した)時から書き始め、15年目に入りました。この間、環境は如何にすれば保全できるか、あるいは改善できるかに関しほぼ毎日、ある時期以降は書ける日には毎日書き続けてきました。単純計算では、365日書き続けて10年分以上となりますが、振り返ってみると、投稿者が目指す方向も少し変わって来た様な気もします。
つまり、初期には主に省エネ・省資源(リサイクルを含む)を環境保全と捉え、これらについて企業や市民や学校での啓発活動に力を入れていたのでした。しかし、これでは環境悪化に掛ける歯止めも限定的で、環境悪化に至るスピードを僅かに遅らせる程度の効果しかないことに気が付きました。勿論、例えば省エネは重要で、もし50%の省エネが達成できれば、現状もままでも再エネ率は2倍に跳ね上がりますし、おぞましい原発も即時停止可能でしょう。
しかし、省エネと同時並行で進めなければならないのは、再生可能型エネルギーの使用率を、大幅に(最終的には100%に)引き上げる事なのです。幸いにも、この国の政府も重い腰を上げ、やっと2050年の目標としてRe100を掲げてくれました。勿論30年後の約束なので、今の政治家は多分全員お隠れになっているでしょうし、今現役の人たちも殆どが退役している事でしょう。それでも、今せっせと種を蒔かなければ、30年後の収穫は期待できない訳です。
なので、投稿者としては、先ずは庶民や中小企業が取り組もうとすれば手が届く、「中小規模の再エネ」に注目し、先ずは自分で実践できる範囲から行動を始めたと言う次第です。とは言いながら、今後何年間活動的で居られるかはっきりとは見通せない年齢にもなってしまい、少し焦りを感じているところでもあります。しかし、個人に出来る事は限られても居ますので、取りあえずは、あらゆる機会を通じて、大幅な省エネと、合わせ技での再エネ普及を叫び続けているのです。多分、70歳代後半くらいまでは意欲が続くでしょうが、それまでにはいくつかのタネの芽を出させたいとは思っています。

 

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2020年11月30日 (月)

3858 セミ環境企業

真の環境経営の方向に進んでいて道半ばの企業を、仮に「セミ環境企業」と呼ぶことにします。そのための条件としては、いくつか挙げられますが、ここでは原材料とエネルギーに着目して考えてみます。
先ず原材料ですが、例えば金属は厳密に言えば、たとえリサイクルはするにしても、地下資源には違いはありませんし、リサイクル率にしても金(ゴールド)等は別にして、100%の達成はとても無理ですので、やはり消耗する資源と呼ぶしかありません。例えば、リサイクルの優等生のアルミや鉄にしても、再溶解の過程でノロ(酸化物)が発生しますので、これは埋め立て処理しか方法が無いでしょう。これは立派なごみであり、環境への負荷そのものです。金属に替わる材料として、例えば、高密度に圧縮し形状固定した木材であれば、ほぼアルミ並みの強度が出ると言われています。木材は方向性のある材料の代表ですが、貼り合わせて複合材の様に用いれば問題無いでしょう。この木材は、リサイクルも進めますが、使えないものは最終的には燃料として利用(サーマルリサイクル)すれば、熱とCO2に戻りますから、使った木の分だけ再度山に植林してやれば、CO2もリサイクルが可能となるのです。(CO2:カーボンニュートラルと呼びます)勿論、企業は、木を利用するだけではなく、森林の再生にも関われば、環境企業の姿勢としては完璧でしょう。また、木材が姿を変えて「紙」としての利用にも将来性が隠されています。紙は、建築資材としても注目されているからです。貼り合わせた紙は、天然物による「複合材」と呼べる強度を実現できる素材でもあるのです。
さてエネルギーです。木材を原料として利用する企業では、廃棄される製品から外した木材や製品にならなかった端材や切り屑などを燃やせば、熱エネルギーや電気エネルギー源として「バイオマス」をリサイクル利用する事になります。これに加えて、工場の広い屋根を利用して太陽光発電や太陽熱利用を進めれば、工場で使うエネルギーの2-3割程度は再エネで賄える筈です。加えて、製造プロセスの省エネ化を徹底的に追及すれば、再エネ率50%(Re50)も見えて来るでしょう。
地下資源ではなく、天然物を原材料として用い、再生可能型エネルギーを使って製造するセミ企業が増えて来て、その割合が一定以上となった企業については、例えばISO14001の様な認定制度によって認証、し製品にも表示できる様にすれば良いでしょう。

 

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2020年11月28日 (土)

3857 環境経営

「環境経営」、考えてみれば抽象的な言葉である。事典的に言えば、「環境保全に配慮した企業経営」などとなるのだろうが、では一体環境保全とは、何をどうするのかと言う定義は非常に難しいものになるでしょう。そもそも、環境に全く負荷を与えない社会活動や企業経営などは考えられない筈です。何より人口が70億人をかなり超えてしまった人類の存在自体が、日々地球の環境に負荷を与え、悪化させている事を考えれば、資源を使い、製品やサービスを提供し続ける事によって、存続している企業が、環境負荷を発生させないことが、そもそも無理な話ではあります。
百歩譲って、それまでに環境に与えて来た負荷を、少しでも下げながら経営を行っていく事を、「なんちゃって環境経営」と呼ぶのであれば、それなりの経営スタイルも考えられそうではあります。つまりは、省エネ、省資源や廃棄物を圧縮しながらこれまでの経営を続けていくアプローチです。これは、ISO14001やEA21などの環境経営システムのガイドラインを遵守し、認証を受けながら経営をすれば、一応社会からは、なんちゃって環境経営企業としての認識は受けられるる事でしょう。
しかし、真の環境経営は別物だと思うです。真の環境経営とは、投稿者の定義では、それは完全に再循環が可能な自然物(例えば木材などのバイオマスや農産物)だけを原料とし、完全な再生可能型エネルギーだけを使って、生産や流通やサービス提供を行う場合にだけ限定されると考えているのです。この様な企業からは、CO2も廃棄物(埋め立てごみや焼却ごみ)も一切出ない筈なのです。とは言いながら、この様な企業は現代社会では間違いなく存在できないでしょう。勿論、例えば江戸時代以前には、それが数多く存在していたのも事実です。何故なら、この時代に石炭や石油は使われいなかったし、原料としてもほぼ自然物だけが使われいたからです。輸送に要するエネルギーも畜力や人力、遠くに運ぶのであれば風力(帆船)などしか無かった訳で、自動的に環境経営とならざるを得ない時代だったのですから。
現代社会で、この様な真の環境経営に実行は無理だとしても、方向としてそれに一歩でも近づけることは可能な様に思えます。つまり、部分的に自然物の原料、再生可能型エネルギーに転換していくアプローチです。つまりは、部分的な環境経営です。これを、ここでは「セミ環境経営」と呼ぶことにします。具体例について続きます。

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2020年11月27日 (金)

3856 Re100?

腰が重いこの国も、国際世論には抗しきれず、ついに2050年CO2排出ゼロ≒再エネ100%(Re100)を宣言するに至りました。とは言いながら、中身について言えばなんちゃって排出ゼロであって、厳密なRe100にはなっていないでしょう。それは、相変わらず原発にこだわりCO2フリーエネルギーと位置付けていますし、廃炉計画も有耶無耶なままとなっているからです。真のRe100とは、エネルギーの源を100%太陽光に依存する社会を指すからです。勿論、CO2を排出しない、地熱や天体の動きによって生ずる潮汐エネルギーなども際エネに加えてもは良いでしょう。しかし、原発は建設にも廃炉にも多大なCO2を発生させますし、何より大量の放射性廃棄物の発生は、その処理において全く持続可能ではないと銘記すべきでしょう。
Re100に近づくために必要な行動は、先ずは社会が私たちが消費するエネルギーを今の半分以下にすべく徹底的な省エネに勤しむべきでしょう。資源エネ庁の2017年度のデータでは、この国の再エネ率は16%とされていますが、もし50%削減の省エネに成功すれば、再エネ率は現状のインフラのままでも一気に30%以上に跳ね上がるのです。エネルギー消費を現状レベルのままに放置するなら、2050年どころか、2100年であってもRe100は達成できないでしょう。
次に必要な行動は、都市に群れて暮らすライフスタイルを逆転させることです。太陽光は、緯度の不公平はありますが、世界に遍く注がれます。Re100は100%太陽光に依存する暮らしですので、都市では一人当たりの太陽光の割合は極端に小さくなるからです。一方、田舎では農地では勿論食料生産には100%依存していますが、森林や里山におけるバイオマス資源や住宅であっても、一人当たりの太陽光が利用できる面積は、都会に比べれば2桁くらい大きく取れる筈なのです。言い換えれば、都市生活は最もRe100からは遠い暮らし方だと思うのです。

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2020年11月26日 (木)

3855 断熱・遮熱

エネルギーの熱利用で、最重要な事は、逃げやすい熱エネルギーを出来るだけ留め続けておくことです。「熱・温度」の本質とは、物質の振動の程度の指標であり、温度が高いほど、物質の原子振動が激しくなっていて「熱い」訳です。しかし、周囲温度に比べて温度が高い物質ほど、急激に温度が下がっていきます。その際、物質はエネルギーの一形態である赤外線を放出(放射)しながら冷めていくのです。赤外線は、電磁波の一種(ある波長範囲の電磁波)であるため、いくつかの方法で、その放射を抑制する事が可能なのです。
一つの方法は、断熱材です。断熱の本質は、熱源と周囲温度の間に断熱材を置く事により、温度勾配を小さくすることによって、赤外線放射を抑制しようとするものです。断熱材の一種である衣服は、それによっていくつかの空気層を形成する事によって、体表面からの放熱を抑制するのです。肌着は、体温とほぼ同じ温度になっており、シャツやセーターや外套と外に向かって徐々に温度が下がっていく訳です。
別の方法としては、赤外線を反射させて、熱源に戻してやる方法があります。つまり、光も電磁波ですが、電磁波は反射させることができるのです。アルミを蒸着させた衣服や、ガラス瓶で出来ている保温瓶にもやはりアルミ蒸着が施されている所以です。
いずれにしても、モノの温度を保つには、断熱や遮熱を施す必要があると言う事なのです。暖房で温めた部屋や、逆に冷房で冷やした部屋の温度を保つのに、冷暖房機を連続的に運転するのではなく、性能の高い断熱材や遮熱材を施してやれば、消費するエネルギーは大幅に節約することも可能になるのです。
初期投資のみにこだわり、断熱材や遮熱材をケチれば、その家や建物のランニングコストは高いままで推移しますので、ライフタイムコストの総額は、逆に大きくなってしまうのです。この場合のコスト増は、そのままエネルギーの増加=CO2の増加ですので、熱源を何に求めるかと同様に、いやそれ以上に断熱・遮熱性能は重要なファクターなのです。合理的な欧州(取り分け北欧)の住宅に、厚い断熱材使われているのは、我々にとっても大いに参考になるでしょう。


 

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2020年11月24日 (火)

3854 エネルギーの熱利用

エネルギー問題では、とかく電力をどうやって得るかと言う問題だけがクローズアップされがちです。つまり、化石エネルギーを使ってCO2を出しながら発電するのか、あるいは再生可能型のエネルギー源で作り出すのかと言った論争です。しかし、考えてみれば、電気の形でエネルギーを使うのは、例えば動力利用やOA機器や照明のための電力程度であり、多くの部分は熱としての利用であることに気が付きます。工場でのプロセス加熱、冷暖房、給湯、調理などなどで、我が家の分析では、75%以上は(カロリーベースでは)熱利用となっていたのです。つまり、日々の入浴や給湯、冬季の暖房、短い期間ですが夏季の冷房、調理のためのLPGや電気調理器などにおける熱エネルギーとしての利用が殆どで、照明やテレビなど電力でなければならないエネルギーの割合は10%に満たない程度だったのです。
ならば、エネルギー問題は電力問題ではなく、「熱源問題」であると言い換えができると思うのです。我が家では、ペレットボイラを入れてあるので、熱源としては、太陽熱とペレットボイラで殆どを賄い、調理と非常時のバックアップ用で少量のLPGを使っている程度となっています。寒がりの連れ合いは補助的に、エアコンや電熱暖房機も使っていますが、それは急に冷え込んだ日などに限定されています。
一方で、金額ベースでは、当家のエネルギー毎の割合は、電力:ガス(LPG):ペレット=6:4:3程度となっていて、電力はやはり高価なエネルギー源であることも分かります。北国の冬場は別にして、太陽熱は有効な熱源である事は間違いありません。太陽熱は簡単な仕掛けでお湯に変換する事ができます。リアルタイムで太陽熱を利用するには「ソーラーウォール」と言う、黒く塗った熱箱を設置すれば、80℃程度の温風を得ることもできます。事実、ある工場では太陽熱の利用により、年間の光熱費を半分程度まで低減させた例も報告されているのです。我が家の場合、ぺレットボイラだけで100%の給湯を行うとした場合に比べ、4㎡の太陽熱温水器でその4割程度を補っている計算になります。
見回してみれば、身の周りには低温度の熱源が結構見つかるものです。低い温度は低いなりに利用価値がありますので、石油やLPGが発生する1000℃を超える高温で蒸気を発生させ、それでタービン発電機を回して電気を起こし、発生熱の6割近くを煙突や海水に捨てると言う「効率のムダ」を考えると、全く頭が痛くなります。一方、熱を熱として直接利用する場合、変換しない訳ですから効率100%の達成が可能なのです。

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2020年11月18日 (水)

3853 運ばない社会2

私たちが考えてみなければならないのは、石油に替わるエネルギー源を見つけるのではなく、運ぶエネルギーを画期的に減らす事だと思うのです。モノについて言えば。運ぶことによって1円だってその価値は増えないでしょう。もし運ぶことに何らかの価値が見いだせるとしたら、それはある地域でしか取れない産物や製品を、それを作ることができない地域へ運ぶ場合だけでしょう。それは、決してモノの価値が上がったのではなく、ある地域では運んだ事によって、運賃を掛けても、産地より高い「ある値段で売れる」と言う現象でしかない訳です。
人について言えば、運ばれる(移動)の自由は、かなり大切な権利でしょう。封建時代には、移動はかなり制限されていましたし、海外との往来や交易も、鎖国政策によって限定されたルートしか無かった筈です。しかし、ビジネストリップは別にして、航空運賃を採算ギリギリに下げて、庶民が気軽に海外旅行ができる様になったこの時代には、やや疑問が残ります。つまり、物見遊山の旅行の是非です。若い人が見分を広めるために、一度は海外を見ておくのは確かに意味があります。しかし、お金のある年寄りや若者が、買い物やグルメ食が目的で、頻繁に渡航する風潮は、やはり異常事態と言うしかないでしょう。同じことが、急にお金持ちになった、海外の富裕層にも言えるでしょう。一時のブームを良く表している「インバウンド」や「爆買い」と言ったキーワードには、やはり作られた旅行バブルで生み出された、負のイメージが付きまといます。
そうではなくて、運ぶことや人が移動する要否を良く「吟味」してみる事が必要だと思うのです。その機会は、今まさに直面している「コロナ騒動」によってもたらされたと考えるべきでしょう。コロナ禍は、私たちに立ち止まって考えるチャンスをくれたと考えるべきなのです。モノを運ばず、必要なモノを必要な時に、必要な場所で作ると言う究極の地産地消を目指し、移動の自由を無駄に使わず、数少ない旅行の機会を最大限有効に楽しむことによって、移動に要するエネルギーは間違いなく今の半減以下にはできると見ています。事実として、長距離列車による旅行は一時9割以上減りましたし、航空機による移動は今もそのレベルで留まっているではありませんか。それによって、誰かが死んだとか、気がふれたと言う事は今のところ無さそうではあります。運ぶことに意味は無いと割り切るか、あるいは運ぶ必然性のある場合に限定することにより、物流や人の移動により強い意味が生じるでしょうし、エネルギーの浪費も防止できる筈です。

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2020年11月17日 (火)

3852 運ばない社会

より環境負荷の小さい社会の仕組みとして、ここでは出来るだけ「運ばない社会」を提案したいと思います。投稿者の子供時代、運送の手段としては遠距離ではほぼ鉄道だけ、市内などの近距離の運搬では、少ないトラックや馬車と数多くのリヤカーや人が押す四輪の運搬車が活躍していました。勿論、冬季には箱ぞりや馬が引くソリも多用されていたのです。取り分け鉄道は各地の名産品や農産物や工業製品の交易手段として、輸送の大部分を担っていたのです。
勿論、鉄道貨物などは運賃が結構高く、記憶に残っている限りでは、お小遣いが10円程度だった時代、段ボール箱1個で数百円や千円ほど取られていた様に思います。物価から考えれば、多分今の価値にすれば数千円ほどのレベルだったと想像できます。従って、モノを運ぶのは本当にそれが必要なタイミングに限定され、日用品の多くはそれが消費される地元で賄われていたのでした。今日では、それを敢えて「地産地消」などと呼びますが、それが当たり前だった時代が長く続いたのです。
これが画期的に変化したのは、高速道路網の整備が始まって、国道も拡幅・舗装工事が盛んに行われ、トラック便による物流が格段に増えた時代でしょう。この頃(1960年代の終わり)に、自転車で東北地方を旅行した事がありますが、一桁国道でも、ところどころ未舗装の区間が残っていたのでした。しかし、1970年代に入ると、主要国道に未舗装区間は殆ど解消され、トラックでの輸送量が飛躍的に増大したのです。いわゆるモータリゼーションの大波が起こったのでした。二度のオイルショックやその後の石油高の時期を潜り抜けて、輸送手段はさらに空に広がり、新幹線網の整備も相まって、国内の長距離旅行は勿論、海外旅行も庶民レベルに降りて来たのでした。
しかし、現在までのところ、種々の輸送手段のエネルギー源は、殆ど「石油」に限定されてしまっています。理由は明確で、石油は常温で液体であり、可搬燃料として、エネルギー密度の高いエのはほぼ石油に限定されているからです。勿論ある時期にはLPG(液化石油ガス)車が、市内の配送やタクシーには一部使われてはいましたが、燃費ではその後開発されたハイブリッド車に軍配が上がってしまったので、今は殆ど使われてはいないでしょう。残念ながら、航空機燃料を含め、石油代替のエネルギー源は未だ現れてはいないのです。続きます。

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2020年11月16日 (月)

3851 努力はシームレス

環境問題やそれを含むSDGsによるゴール(目標ではない)の解決には、国や企業の努力は不可欠ですが、だからと言って市民が座して眺めていれば良いと言う訳ではありません。それどころか、市民が主体となって考えなければならないと思うのです。市民ができる事は勿論限られてはいます。しかし、70億をはるかに越えてしまったヒトの数(人口)の力は莫大です。
例えば、レジ袋やストローです。この国でのレジ袋の消費量は、一人当たり300枚/程度で、石油換算にすればタンカー2隻分程度と言われていますが、最近スーパーなどで観察していると、かなりの割合でレジ袋を買わない人が増えている様です。レジ袋の有料化を決めるのは、行政や業界団体ですが、そもそもレジ袋を欲しがったのは、市民の側だった筈です。ストローも同じでしょう。カップから直接飲み物を飲むことはできるのに、数分間使っただけでポイ捨てしてしまうストローを欲しがったのは、歩きながら飲み物を飲みたいと言う市民の我がままだったのです。つまり、環境保全(改善)への努力は、市民こそが主体になって進めなければならないと言う事でしょう。
もとより、企業は消費者のニーズにおもねって売り上げを上げ、シェア拡大を図るために、あらゆる努力を払ってきた訳ですが、それを良いことに、私たち市民はその「我がまま度」をドンドン上げて来たと思うのです。それを逆回しするためには、市民は多少の不便は我慢し、企業はより環境負荷を下げるモノづくりを指向し、国は長期的展望に立ってそれを主導しなければならない筈なのです。その方向さえ正しければ、環境負荷は徐々に下がり始めるでしょう。国の役割をもう一つ挙げるなら、その努力の結果を数字として把握し、必要であれば法的あるいは行政指導上の軌道修正を加える事でしょうか。私たちが環境に依存しなければ生きていけない限り、国、行政、市民の努力は、完全に境の無いシームレスでなければならないのです。今日は短く。

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2020年11月14日 (土)

3850 今更宇宙開発?

ややネガティブな投稿が続きますが、今後の社会を展望する上で、3848、3849と併せ、無駄な人材やお金を浪費して貰いたくないための警鐘であると捉えてください。さて、今話題の宇宙開発ですが、先ず投稿者には、一体何を「開発」するのかが全く理解できません。1960年代の人工衛星やアポロ計画の様に、超大国の国威発揚のプロジェクトならいざ知らず、今更月に人を送りこんで一体何しようと言うのでしょうか。火星に人を送るための中継基地を作る準備?往復数年も掛かる火星へ往還ミッションなど、宇宙空間に浮かぶ完全孤立無援の「密室」の中で、孤独感のあまりついには気がふれてしまう?宇宙飛行士を生み出すのが関の山でしょう。月には、大気が殆ど無く兄弟星の地球とほぼ同じ岩石や砂があり、火星にだって薄い濃度のCO2以外大気らしいものはなく赤ちゃけた大地が広がるだけなのです。呼吸し、食事を摂り、排せつしなければならない人間を、月や火星に送るための生命維持装置の重量はかなりのモノでしょうから、ロケットや宇宙船も巨大なサイズになってしまうのです。
もし学術的な探索がしたいのであれば、月でも、火星でも無人機を送り込むだけで十分でしょう。人を送る意味は、多分ナショナルプロジェクトを成功させ、一人か数人の宇宙飛行士と呼ばれる英雄を祭り上げる事によって、国の威信を示し、衆目をそのプロジェクトに集めるくらいの意味しか考えられないのです。国威発揚だけのために、一体どれほどの人材や機材や予算を投じなければならないのかを考えるだけで、あまりの勿体無さに頭痛がしてきます。
断言しますが、強烈な宇宙線(放射線)も降り注ぐ宇宙空間には無重力と真空と暗黒しかないのです。月や地球以外の惑星に降り立っても、酸素の豊富な大気や液体の水などは存在せず、殺伐とした荒野が広がっているだけなのです。直射日光が当たる半球は高温となる一方、陰になる半球ではマイナス何十度にもなるでしょう。灼熱と極寒の大地なのです。そこに人を送り込む名誉を手にしたところで、問題山積の地球環境悪化の解決には、全く何の役にも立たないのです。そんな人材とお金を注ぎ込むなら、SDGsのターゲットに一歩でも半歩で近づくために振り向けて貰いたいものです。優秀な人材と貴重な予算の浪費にこれ以上黙ってはいては、未来に生きる子孫に申し訳が立たないでしょう。何より、人一倍優れた頭脳と強靭な肉体を持つ宇宙飛行士を、危ないだけで何の役にも立たないミッションに向かわせ、帰還後は無垢な若者や子供にいたずらに宇宙旅行の夢を語らせる「宇宙ピエロ」にしてはならないのです。

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2020年11月13日 (金)

3849 空飛ぶタクシーは飛ばない

昨日に続いてややネガティブな投稿になります。ドローン型や、車に翼を付けた軽飛行機型の空飛ぶ車の発表や再発表が続いています。再発表と書いたのは、思い起こせば1950-60年代にも、軽量化された車に翼を付けた空飛ぶ車がいくつも試作された時代があったからです。その時は、先進的過ぎて、かつ高価過ぎて夢の空飛ぶ車で終わったのでした。しかし、今回は特に車メーカーも力を入れて開発に邁進していることもあり、実用に近いものが急速に続々と発表されている様です。特にお隣の韓国では、ナショプロと位置付けて、開発のピッチを上げていると思われます。
しかし、元技術屋の目で見ても、空飛ぶ車程危険な乗り物は存在しないと言えるのです。その前に、そもそも私たちは二次元で動く車の事故さえ無くすことには成功していない事実を直視すべきででしょう。事故にはいくつかのファクターがあるのでしょうが、大きくは1)車自体の劣化や故障によるものと、2)運転者の操作ミスに起因するものが挙げられます。ここでは豪雨などの天候異常や地震になどの3)天変地異によるファクターは除いていますので、いわゆる人為的な原因によるものだと言えるでしょう。
2)のファクターによる事故を防ぐためとして、いわゆるスマアシや自動運転車なども開発されては来ましたが、1)の車載コンピュータの誤作動や、アクセル・ブレーキ系統の故障に関してはほぼお手上げ状態だと言うしかありません。何故なら、運転者は車のメンテナンスにはできるだけお金は使いたくはないし、同じ車をできるだけ長く使い続けようとする傾向にあり、結果として整備不良の車も多く市中を走り回っていると想像されるからです。
一方、空飛ぶ車に関して言えば、3次元の自由度を持った乗り物であることを忘れてはならないでしょう。飛行体が急激に高度を失い、地面にハードに着地する事を墜落と言いますが、空飛ぶ車の事故では圧倒的にこれが多いと想像できます。そもそも、ヘリの様に機体の最上部のプロペラがあるものは、力学的には浮力の下に重心があり、吊り下げ型なので安定していますが、それでもヘリの事故は耐えません。一方で、ドローン型では浮力と重心がほぼ同じ高さにあるため、基本的には不安定な乗り物だと言えるでしょう。もし、突風に煽られたり、いくつかのローター(プロペラ)が止まってしまった場合、この大型のドローンはバランスを失って、墜落は免れられない筈なのです。飛行体のクラッシュが乗員に甚大なダメージ(多くは死亡事故)を及ぼす事は、折々の飛行機事故の報道でも明らかでしょう。日々快晴で無風が続く筈もありません。山国でもあるこの国では、複雑な風も吹くでしょう。雷雲が来ればダウンバーストも発生するでしょう。そんな気象条件の中を飛ぶ空飛ぶ車は、まるで宙を舞う木の葉の様なものだと言うしかありません。そんな危なくて、しかも天気の良い日にしか乗れない不便な乗り物が、ブンブンと空を飛ぶ時代など絶対来ないと断言しておきます。

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2020年11月12日 (木)

3848 水素社会は来ない

このタイトルもこのブログですでに取り上げてはいますが、最近水素社会の話題がマスコミにかなり頻繁に登場します。先駆者と言えるTヨタ自動者は、時代に先駆けて早々とFCV(水素自動車)を開発してしまったので、水素社会の旗振りをせざる得ない立場だとは思います、しかし、冷静に眺めてみるといくつかの障害が横たわっている事に気付きます。例えば、1)水素をどうやって(どんなエネルギーを使って)作るのか。2)コストはEVと競合できるのか。3)水素インフラをどうやって拡大するのか。4)可燃ガスをボンベに入れて動く車に搭載する危険性をどう回避するのか。などなどです。
更に詳しく言えば、1)は完全な再エネを使って水の電気分解を行って手に入れない限り、炭素フリーエネルギーとは呼べない「まがい物」になってしまいます。現状は、主に石油改質法での水素製造ですので、プロセスからは大量のCO2が出ます。2)EVでは再エネ電力をそのまま動力源として使えますが、水素は先ずその再エネ電力を使って水素を作って、更にそれを、多分化石燃料を使うタンクローリーで流通させる必要があります。つまり、EVよりエネルギー単価が安く炭素フリーになるはずなど無いのです。3)インフラの拡大には、ユーザーの拡大が同時並行で進まなければなりません。しかし、スーパーカー並みにバカ高いMiraiの価格を、今の1/10まで下げられるとも思えませんので、FCVの普及は遅々として済まないでしょう。従って水素ステーションが増えるスピードも遅く、大都市近郊やTヨタの息が掛かっている地域に限定されるでしょう。4)では、現状水素は高圧(100気圧以上)に圧縮して、炭素繊維でグルグル巻きにした金属タンクに入れて車載しています。水素吸蔵合金に水素を吸わせればかなり安全なのですが、これは重い割に吸蔵能力が低く(航続距離が短く)、全く実用的ではありません。FCVが一旦事故を起こせば、ガソリン車よりさらに危険な「爆発事故」となるでしょう。絶対にタンクが壊れない様にするためには、戦車の様に頑丈な(重たい)車にするしかないのです。
いずれの障害も10年や20年で解決するとも思えませんので、投稿者の結論は「水素時代は来ない」です。少なくとも水素自動車時代は来ないとの確信は持っています。

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2020年11月 2日 (月)

3847 登山道

今日、ZOOMミーティングで新しい言葉に出会いました。「日本道」です。これは、華道や茶道や柔道などと同じく、日本の文化を学ぶことを道として究めようとと言う活動の事をさします。そこ(のコミュニティ)では、大きくは次の7つのカテゴリー(道)に分けている様です。
1、日本人が使いたい大和言葉
2、日本人が知っておきたい神話と天皇
3、日本人が生活に生かしたい和食と和食文化
4、日本人が守り抜きたい文化伝統
5、日本人が大切にしたい神社仏閣
6、日本人が誇りにしたい偉人
7、日本人が語り継ぎたい出来事
これに全面的に賛同する訳ではありませんが、いわゆる思想の右左の様に、イデオロギーを振り回すものでなければ、敢えてこのカテゴリー分けに反対する理由はありません。少し偏っている感じは否めませんが。それに加えるならば、投稿者が唯一の趣味と自認している、「登山」のまた「道」になり得るのでないかとふと思いました。登山は、古くから山岳信仰として、人々のココロの拠り所になってきたと思うのです。仕事の忙しい庶民の代表として、山伏と呼ばれる少数の人々が山に入り、修行を重ね、その成果や山々に棲む神々のお告げを里に住む庶民に分け与え、里で亡くなった人々の魂を山に送り届けるために、各戸を訪問して回ったのでした。今も少数の山伏は、各地で活動は続けてはいますが、その風習も文化もやがては忘れ去られる運命にあるのかも知れません。
しかし、参詣道や登山道や修行の道も、人がそこに足を踏み入れ、少しばかり手入れをする事により、道としては残り続けるでしょう。ならば、そこに若い人を含めて立ち入り、登山を続ける中で、伝わる文化もあるのではないかとも思ったのでした。何より、山深い、あるいは標高の高い森林限界を超えた尾根を、時には雨に打たれて歩く事により、自然との一体感の様なものも醸成される筈なのです。人間は、自分と一体と感じた自然を敢えて破壊する様な事を直ちに止めるでしょう。自然破壊は、人間が自然を離れて、そこにあった自然を一度壊して、都市と言う人工空間を作った時から始まったのですから。自然に畏敬の念を以って接し、それを保全する活動を考える中で、真の「環境保全道」を邁進することも可能になると思うのです。「登山道」は、その入り口になり得るかも知れません。

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2020年10月27日 (火)

3846 カーボンニュートラル

新しいリーダーが、所信表明演説の中で、2050年度カーボンニュートラルを声高に宣言した様です。これで、この国もやっと欧州の環境先進国と「目標ベース」では肩を並べた訳ですが、実情はまだ何も決まっていない「空箱」と言うしかありません。先ずは、原発の具体的廃炉計画と火力発電所、とりわけ石炭火力発電所を止めるための、ロードマップが必要でしょう。
しかしながら、そのアプローチを間違えると、無駄な税金を費やしてしまう可能性も出てきます。つまり、現在の負荷を前提にして、ロードマップを作ると、過剰な投資を招いてしまうでしょう。優先順位は、先ずは「省エネファースト」なのです。先ずは、今より3割程度の省エネを実行しなければならないと思うのです。エネルギーを消費する行動を、先ずは1/3程度減らす努力を試行するか、あるいは今より性能を上げて3割の省エネを実現する機器を開発するのです。勿論優先順位は、節約です。どの様な道筋で考えても、エネルギーの浪費をそのままに、メーカーの省エネ製品をあてにする訳にはいかないのです。ラッキーにも、メーカーの省エネ技術が進歩すると、節エネとの相乗効果で、カーボンニュートラルの時期が早まるかも知れません。
一方で、3割の節エネと機器の3割の省エネ性能向上が実現できたとして、エネルギー消費は今の半分程度にしか落ちません。再エネ率は自動的に上昇しますが、やはり原発と火力発電を無くすためには、再エネのポテンシャルを見つけなければなりません。
一つは太陽光発電です。とは言いながら、今以上原野や田畑をつぶす訳にはいきません。優先順位を「屋根発電」に集中すべきでしょう。屋根は風雨を防ぐ以外には活用されていませんので、助成金を乗せると同時に、義務化も併せて住宅や工場やビルでの屋根発電を画期的に増やす必要があります。次に、太陽熱の有効利用です。暖房給湯に使われる電気エネルギーは膨大ですが、貴重な電気を熱や冷熱を作るのに費やしては、カーボンニュートラルは何時になっても実現できません。太陽熱や地中の冷熱を有効利用する事によって、大幅な電力の削減が可能となるでしょう。もう一つやるべき施策は、なるべく人やモノの移動を減らす努力の背中を押す事です。コロナ騒ぎで、人の移動は随分減ってしまいました。ネットを使った人と人の交流が増えたからです。逆の、ネット通販が増え、流通業の仕事は増え、結果として流通に関わるエネルギー消費もかなり増えたでしょう。しかし、同じルートを別々の業者が走り回り、宅配をする無駄を考えてそれを減らす工夫をすれば、宅配量が増加してもエネルギー消費を抑える事は十分可能なのです。
国には、ぜひこの様な具体的作戦を立て、同時に地方でお金も回り雇用も生まれる様な、工夫のある施策を形にして貰いたいものです。リーダーが、口だけでカーボンニュートラルを宣言しても、誰も踊ってはくれないのです。

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2020年10月24日 (土)

3845 実体無き社会

日々メディアやネットで見聞きする情報の洪水に触れるたびに、果たしてそれらに実体が伴っているのかどうか疑問が湧いてきます。映像になって流れていたとしても、フェイク画像かも知れませんし、実際の映像だったとしてもある意図をもって編集されているのかも知れません。そうでないにしても、カメラのフレームから外れている場面は、そもそも無視されてしまっている筈です。
そういった画像情報と実体との乖離も確かに気にはなりますが、今の社会は、全ての価値を「お金」に換算してから評価する風潮になってしまった点はもっと気になります。例えば、企業の持つ社会的価値でさえ、株価や時価総額と言ったお金と言う指標で評価するしか方法が準備されていないのです。その企業が、長年あまり目立たないながら社会貢献を続けていたとしても、それがお金の価値として評価されていない限り、社会から適正に評価されることも少ないのです。企業の本当の価値は、企業が存続できる(過剰ではない)適正な利益を出し続けながら、その事業が社会から必要とされるものであり、利益の一部を社会に還元し続けているか否かであって、決して事業には無関係の投資などで儲けて、見かけ上の利益を上げているかどうかではないのです。見かけ上の利益だけを追求した果てに、悪しき結果が露呈したのが、あのバブル期とその後の崩壊でしたし、リーマンショックだったのでした。
また、例えばコロナ騒ぎですっかり火が消えた観光需要ですが、その指標としては、何千万人が日本に押し寄せて、彼らがどれくらいお金を落としたか程度の指標しかメディアの表には出てきませんでした。彼らが、この国のどの様な文化や景色や食に触れて感動したのかを示す適当な指標は見つからないのです。まるで形のない、インバウンド客と言う亡霊たちがゾロゾロと通り過ぎた後に残されたのは、使われたお金の記録とごみの山くらいでしょう。毎年毎年右肩上がりで増え続けた観光客の更にこの先を当て込んだ航空業界や輸送業界や宿泊業は、航空機や観光バスや宿泊施設に矢鱈と投資を繰り返し、そうなるであろうと予測された実体の無い数字に帳尻を合わせようと藻掻き続けていたのです。
ネットで日々つぶやかれる大国のリーダーのコメントに踊らされ、ホンの一部しか映されないTVやネット画像に反応し、今や紙幣と言う形さえ無くなったお金と言うコンピュータ上の数字の増減に一喜一憂し、直接会ったこともない人々のネット上の書き込みに脅かされる、バーチャル生活にはソロソロ終止符を打つべき時だと思うのです。実際のモノに触れ、人に直接会って共感し、地に足を付けて実体のある景色の中を歩き回り、五感を使ってそれを感じる事によってのみ、ヒトは生きている喜びを実感できる筈なのです。

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2020年10月23日 (金)

3844 M社の躓き

この国の企業を揶揄する際にしばしば用いられる表現が「技術で勝って、ビジネスで負ける」と言うものです。その意味で、今回のM社の国産ジェット開発の大幅なスピードダウンは、製品を市場に投入する前に、既にこの表現にハマってしまっていたと言えるかも知れません。このブログで何度も書いている様に、製品を市場に出して顧客に使ってもらうには。明確なニーズが見えていなくてはなりません。技術屋経営者が、自社の技術力を確信し、製品開発のプロジェクトを立ち上げたとしても、それを必要とする確固たる市場のニーズが見えていない限りは、売れる筈もないのです。
コロナ前は、確かにインバウンド需要などとも表現される、海外からの旅行客が大挙して押し寄せ、各地の観光地に溢れていたものでした。しかし、その需要(ニーズ)が砂上の楼閣(旅行バブル)であった事は、そのニーズがこのコロナ騒ぎで全く消えてしまった事で明らかになったのです。ビジネス旅行以外の不要不急の海外旅行などは、お金に余裕のある人たちの物見遊山である訳です。旅行客の間に少しでも旅への不安があれば、楽しみと言う旅の価値が損なわれてしまいますので敬遠され、そのニーズなどたちまち雲散霧消していまうのです。
さて、航空機産業で20年余りメシを食ってきた投稿者から見ても、YS-11の後継機である国産旅客機の開発は、いわば航空業界に携わる人々の長年の夢でもありました。後知恵にはなりますが、開発のベストタイミングで、かつ最後のタイミングは、実のところ1980年代だったと今振り返っています。と言うのも、戦時中種々の航空機製造に関わった優秀な航空技術者が、そのまま戦後のYS-11のプロジェクトに関わった筈なのですが、YS-11プロジェクトの中心だった技術者が現役を退く時期が、実は1980年代に掛かっていたのでした。つまり、80年代こそが小型旅客機開発の技術やノウハウが、(失敗経験も含めて)世代を超えて若手に伝えられる最後のチャンスだったとも言えるのです。
それができなかった時代背景で、21世紀に入ってやっと始まったM社の小型旅客機の開発は、技術的にはほぼゼロからの出発となり、開発過程で報道されただけでも5回ほど大きな問題を起こして、その都度スケジュールの遅れも発生したのでした。小さな家電品などの開発とは異なり、航空機は安全性が最優先されるプロダクトであり、製造許可である型式証明を得るのに、数多くのハードルが待ち構えて居た訳です。それを、YS-11の経験者も居らず、たかだか米国の機体メーカーの機体の一部を下請け生産していただけの実績しかなかった企業が、目論見通りに開発を成就させるのは、土台無理な相談だったと言うしかないでしょう。このプロジェクトが今後どうなるかは見えていませんが、例えば航空機産業に全く関係のないお金持ち企業にでも買い上げて貰うしか道は無いのかも知れません。流石の「大M菱」と言えども、1機も引き渡しができていない状況で開発費(=赤字)を垂れ流す負担には耐えられないでしょう。

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2020年10月15日 (木)

3843 AI考

30代に読書人間になって以降、Y老孟司から多大な影響を受けてきました。解剖学と言う切り口から入りながら、脳や体や生物や社会の仕組みをスパッと分析して見せる知性には、最初から脱帽しっ放しでした。その氏が、何人かの知性とAIに関して対談している文庫本はなかなかに刺激的でした。とは言いながら、対談の内容をフムフムと鵜呑みにするのもどうかと思い、自分なりのAIに対しての考え方を書いてみたいと思います。
さて、AIを語る上で欠かせないのは、いわゆるビッグデータでしょう。顔認証AIの場合は、人種。性別などを跨いで、しかも色々な表情変化を集めた膨大な顔データを機械に覚えさせ、機械の中で同一人である事を判定するための「パターン化」を学習させるのだと想像しています。しかし、それは人間の顔認識プロセスとは大きく異なる筈なのです。人間の場合は、人の顔をチラッと眺めただけで、その顔にある特徴的な点を瞬時に把握し、その特徴だけをピンポイントで脳に焼き付けるのでしょう。ですから、目つきにだけフォーカスしてしまうと、鼻や口や頭髪などの周辺情報は飛んでしまう事でしょう。
しかし、機械はそうではありません。顔の特徴を、輪郭から顔の部品まで網羅的に認識するからです。しかしながら、AIの最大の特徴は、顔認識でもそうですが、特定のプロセスが必ずしも、明確ではない点だと思っています。つまり、AI顔認識では先ずは、ある人物と監視カメラの人物とは、95%の確率で同一だとの結論を出す訳です。しかし、それは何故かと問われても、機械がそう言っているとしか答えようがありません。学習を深めれば、確率は向上するのかも知れませんが、どこまで行っても機械の認識と真実との間には、僅かであっても誤差が生ずるのは不可避でしょう。それを、敷衍すると機械が作った「疑似真実」と「本物の真実」との間の乖離は、影響に埋める事は出来ないと結論するしかないのです。
例えば、自動運転車が認識している車の外の状況は、あくまでいくつかのカメラが認識し、コンピュータの中で合成した状況であり、少なくとも人間が認識した状況とは差があるのが当然でしょう。従って、その差(いわゆる機械の誤認識)が原因となる事故が発生するのはむしろ必然でしょう。人間が運転している場合は、もし運転者の過失が原因であれば、事故の検証の結果によって罪の重さが決まりそれなりに明確ですが、自動運転車の場合一体誰が、どの程度の罪を負うべきかが問題になり続けるでしょう。
結局何処まで行っても、人間が直感で処理している、0と1の間の値は、コンピュータには絶対補完できない芸当だと言う当たり前の結論に至りるのです。つまり、機械に虹の7色の間にある無限のグラデーションや自然の中にある無限の環境のグラデーションなどを理解させることは、永遠に無理で、それがAIの限界だと言うしかなさそうです。そんな限界のあるシステムに、私たちの命を100%任せる事など出来ない相談なのです。全く運転ができない人に100%の自動運転車を運転させることなど絶対させてはならないでしょう。続きます。

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2020年10月13日 (火)

3842 百年の計2(世代間エゴ)

百年の計を立てる時に、障害の第一位に上がるのが、世代間エゴでしょう。つまり、まだ見ぬ子孫の幸福よりは、先ずは今生きている世代の幸福が優先されがちになるからです。現世代は、自分たちが今ヒモジイのに、将来世代のヒモジサまでは責任が持てないと主張するのです。しかし、戦後(今や高齢者となった)自分たちの親が、自分たちの食べる分を削っても、子供に食べさせていたことを、私たちは忘れてはいないでしょうか。その頃に比べれば、今はヒモジイのではなく、実は贅沢ができないことを嘆いているだけの様に見えます。
ハレの日ケの日ではありませんが、かつてのハレの日は、盆と正月と祭りの日と祝いの日くらいだった筈です。その他の日は、一汁二菜程度の質素な食事をしていたと振り返るのです。ケーキが口に入るのは、それこそ年に数回、甘いお菓子が思い切って食べれるのは遠足の日くらいだったのです。今、スーパーやコンビニの陳列棚に並ぶお菓子の種類の豊富さと量は、間違いなく度を越えているでしょう。それは、間違いなくコマーシャリズムは、際限なく湧き出してくる人間の欲望を満足させることだけに注力してきた結果でしょう。つまり、ベース食品ではない嗜好品と言う贅沢品の市場だけが突出して拡大してきたと言えるでしょう。
嗜好品の原材料は高価です。例えば、嗜好品を生産するための、コーヒーやカカオや植物油や砂糖などを得るために、途上国の農地がどれほど占拠されているか、それ想像するだけでこれらの嗜好品を口にすることが憚られます。これらの農地を拡大するために、どれほどの原生林が焼き払われているか(環境が破壊されているか)を想像出来れば、二度と口するまい、と思える筈です。しかし、明日になれば私たちはそのことを忘れ、また嗜好品を手に取り口してしまうでしょう。
百年の計を立てるには、私たちは先ずは自らを律する事から始めなければならないのです。そのためには、何が贅沢品あり、何が日常品であるかの峻別から始めなくてはならないと思うのです。考えてみなければならないのは、私たちの多く(殆ど)が、既に贅沢品の中毒に陥っていると言う事実です。例えば、お酒やコーヒーや甘いお菓子やチョコレートを絶つと、かなりの人たちが禁断症状を示すでしょう。禁断症状とは、中毒に陥っている証左だからです。贅沢品の禁断症状を無くすには、原因となる商品を、徐々に減らして行くしか良い方法は無さそうですが、それが将来世代のためと考えれば、それは十分可能でしょう。投稿者としても、まだ見ぬ世代の幸福の事を、一日に一度くらいは思い致しながら暮らす事にしましょう。

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2020年10月10日 (土)

3841 百年の計

ミニ遠征に出ていたためしばらくぶりの投稿です。さて、人間が、今だけを生きる動物と違って、真に人間らしいのは、未来を想像できる点にあると思っています。だからこそ、未来に向かって百年の計も立てることができる筈なのです。然るにです、国の予算を編纂するこの時期に、事実上青天井のコロナ対策予算にかこつけて、役人たちが政治屋たちとつるんで良からぬ策略を巡らしている様なのです。つまり、これ幸いとばかりに自分のテリトリーの予算を目いっぱい膨らませて予算要求をすると言う動きです。お役所の予算は、実績主義ですから、コロナで予算を大きく膨らませることができれば、予算枠が小さくなっても、自分たちの分野の予算の割合を大きくすることが可能になるのでしょう。
良からぬ策略の例の一つが、コロナ予算として、なんと月旅行プロジェクトの予算が計上され様としているのです。その予算要求の「理屈」ですが、月に旅行するための宇宙船では、当然の事ながら宇宙飛行士は、完全に隔絶された空間で長期間過ごす事になるのですが、それはコロナで、患者を隔離する技術を磨くことに資すると言う立派な「屁理屈」をこねている様なのです。もしこんな屁理屈がまかり通るなら、事実上どんな予算要求でも、コロナに引っかけてしまう事も可能になるでしょう。例えば、道路だって、コロナ患者を搬送するために無くてはならないでしょうし、箱物(建物)だってイザという時にはコロナ患者を隔離するために転用が可能だと言えば、必要だと言う屁理屈もこねられるでしょう。
長くても来年の予算や精々数年先の近視眼的な見方しかできない役人や、自分の票集めにしか興味が無い政治屋に、この国の国家百年の計を任せておくことは、どうやら無理だろうとの思いは、今回のコロナ予算を眺めていてますます強くなってきました。では、どうすれば良いかですが、今の選挙の仕組みでは、国民は直接的には如何ともしがたいのですが、しかしダメはダメとして庶民が声を上げていくしかなさそうです。幸いにも、今はSNSの時代です。政治屋も、日々つぶやきを発信し続ける時代でもあります。ならば、国家百年の計としての正論をつぶやいて、それを拡散し続けていくしかないと思うのです。続きます。

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2020年9月29日 (火)

3840 SDGs考2

SDGsのターゲットへの到達に対しては、例えば国が大目標を掲げ、それに企業や個人がついていくと言う計画も立てることができるでしょう。しかし、よくよく考えてみると、国が決めることができるのは精々法律程度で、その法律も規制法と基本法程度しか種類が無いのです。規制法とは、何か悪いことをする輩を取り締まるために、ある行為の○✕の境界を定めて、それを遵守させるための罰則などを設けて誘導するものです。一方で、基本法は「~を~しましょう」と言った,
勧奨のための法律であり、数値目標などが付属する場合もありますが、当然の事ながら罰則などは設けられません。もし、国がSDGsに関する法律を整備し、それを守らせようとするなら、将来この法律の目標が守られなかった場合には、ある種の罰則を科すと言った、これまでには前例の無かった法律を作る必要があるのです。
前例主義のこの国で、未達成の罰則付きの将来目標を示す事などできるとは思えませんので、従って残念ながらSDGsも絵にかいた餅になる運命にあるとしか思えません。勿論、国としても全くの無策で指をくわえて成り行きを眺めている訳ではなく、例えばSDGsを子供たちに学校で刷り込む作戦を考えたようです。これは、非常に時間が掛かる作業ではありますが、個人レベルの意識を持ち上げるにはややマシな作戦ではあります。しかし、年間数時間程度の押しつけの教育で、子供たちの意識が180度変わって、環境意識や差別意識や社会問題を解決する戦士になるなどとはとても思えません。意識を転換するためには、山積する問題を現場に立って実際に見せ、体験させる必要があると思うのです。
海洋のプラスチックごみの問題であれば、死んで打ち上げられたクジラやイルカや魚のお腹から、プラスチックごみが出てくると言う現実を目にする必要があるでしょうし、イジメ問題では不幸にして自殺した子の遺体を目にし葬儀にも出席する必要があるでしょう。格差問題では、マスコミがもっともっとその問題の核心に迫り、報道量を増やす必要もある筈です。
17個もカテゴリーがあり、169もの項目があるSDGsのゴールテープを切るのは、2030年までと言う時間の中では殆ど無理と思えますが、少なくとも私たちはそのゴールが示す方向には走って行かなくてはならないでしょう。省エネが、二度の石油危機で芽生え、定着した様に、SDGsに向けた行動が、何をきっかけに始まり、定着していくのか、SDGsのSの字も始まっていない今、全く想像もできませんが、いずれにしても社会に影響を与えることができる人たち(インフルエンサー)が先に立って、ムードを醸成する事は必須でしょう。投稿者には、インスタもUチューブも使えませんが、当分自分だけでも「一人SDGs行動」を続けていくしかなさそうです。

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