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2006年8月 2日 (水)

1 天職

そもそも環境カウンセラーなどというものになろうと思ったきっかけを少々書いてみます。投稿者は30年間某重工で技術屋を生業としてきましたが、世紀の変わり目に立った2000年ごろから自分の人生を振り返って、「自分は技術屋としていったい何をしてきたのだろうか」、「一生懸命モノを作ってきたつもりだったが、結局それらは古くなればすべて廃棄物になるのでないか」、「結局自分は技術屋としてゴミを増やし環境悪化に加担してしてきたのでないか」・・・・・・・と言う強い疑問にとりつかれてしまったのです。

その疑問は日を追うごとに強くなり、結局一度自分の人生をご破算にしてみるしか、その答えが見つからないとまで思い込むようになりました。考えて見れば、その会社はいい会社で処遇も含め不満は何もありませんでした。その上30年間の勤続に対しては旅行クーポンまで支給してくれました。とりあえず2002年春に、そのクーポンを使って、環境先進国と言われていたドイツを視察に出かけることにしました。

いくつかの環境関連の施設、環境コンサルの事務所などを訪ねてみると、確かにドイツは、環境政策に関しては日本の10年先を走っているように見えました。燃やさない廃棄物処理、リサイクルシステム、風力やバイオマスや太陽光発電などの自然エネルギー利用の推進などなど。しかし、帰ってから冷静になって考えてみると、「日本にも江戸時代という、立派な持続可能型社会があったではないか」ということに気がつきました。つまり、日本がまじめにさえ取り組めば、ドイツ型とは違う形での理想的な循環型社会へのアプローチが出来るのではないか、と単純な人間である投稿者は強く思い込んでしまったのでした。

それからと言うもの日中は会社の仕事をバリバリこなし、定時後は天井を向いて「環境問題」について考え込むようになりました。(残業手当はつかない立場だったので、これは決してサボりではないから念のため。)

そこで得た結論は、「環境十字軍に参加しよう」というものでした。つまり環境にやさしいもの造り、環境にやさしい生活スタイルを広めるため、残りの人生をそのために掛けてみよう、と決心をしたのでした。さて具体的には何を始めるかが次の問題でした。世の中にいくつかのらしいNPOやNGOは散見されましたが、もちろん環境十字軍などというものはどこにも存在しません。いろいろ考えた末、とにかく何時までも重工長大の製品を作っている場合ではない、もっと規模が小さく自分の手の中で育てられる「環境にやさしい製品」を作るしかない、と更に決意を固めたのでした。

結局その年の暮れには、長年勤めた会社を退職し、投稿者の考えに同調してくれた中小企業に移ったのでした。給料は2/3に減りましたが、それからの3年余りはかなり充実したものでした。しかし、環境にやさしい製品を「3つほど」形にするなかで、更に深く環境問題を考えることにもなってしまったのです。それについては、追って書いて行くことにしますが、その中で絶対に必要だと感じたことのひとつが、人々のライフスタイルを変えるような「環境教育」の必要性でした。

環境について体系的に学び直すため、53歳にして放送大学大学院の門もたたきました。(現在も学生です)同時に、環境大臣が認定する「環境カウンセラー」にも応募して、経歴や小論文が認められて、まず「事業者部門」、追って「市民部門」のカウンセラーとなりました。

もちろん環境カウンセラーなどと言うものは、現状では職業という訳ではなく単なる認定者に過ぎません。しかし投稿者は、これを職業として世間に認めてもらおうと決心し、しかもそれを残りの人生の天職として選び直したという訳です。

こうしてめでたく?06年7月に「技術屋を完全に卒業し」多分日本で最初の「自称専業の環境カウンセラー」となったのでした。

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