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2006年9月17日 (日)

57 体あっての脳

前にも書きましたが、「都会は頭で、田舎は体である」という言葉が時々頭を横切ります。つまり、都会は人間の脳みそが考え作り出したモノで溢れているという事です。ビルや高架の道路や地下鉄や地下街などなどです。何一つ自然物はありません。川や公園でさえ、全て人工の手が加えられています。しかし都市は田舎からの補給無しには1日として立ち行かない体質を持っています。同様に脳みそも数分間血液が届かないだけで、脳死状態に陥りますね。

一方田舎は体ですから、例えば頭が無くとも生きて行く事は可能です。人間でも、酸素と栄養物さえ供給すれば、脳死状態でも何年間も生かしておくことは可能です。つまり、体こそが環境であり脳を働かせる原動力であるはずなのです。しかし現実は田舎が見捨てられ、考え方が全く逆転しています。それが何時始まった事であるのか冷静に考えてみる必要があります。

脳は、発生学的には神経節、つまりは神経と神経の交差点に過ぎないのです。事実、は虫類など古い形態の動物では、体に比べ大脳は非常に小さく逆に神経節が大きくなっています。人間や一部の哺乳類の神経節だけが間違って巨大化して大脳になってしまったのです。脳はしかし、体をうまく動かす「手段」に過ぎません。体の大切さを、今一度考えてみる必要があります。今や体である田舎には、年寄りだけが取り残されてしまっています。体が死ねば、殆ど瞬間に脳も死にます。若い世代の田舎への回帰が求められるゆえんです。

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