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2006年9月18日 (月)

59 時間の密度

サラリーマンを辞め、たっぷりの時間が出来て考えた事があります。それは時間の価値ということです。時間には本来「経済的な価値」は無い、と以前に書きました。しかし、人間は生まれてから寿命が尽きて死ぬまで、有限の時間しか与えて貰っていません。その意味で、個々の人にとって、その人が持つ有限な時間は、やはり(精神的には)価値があるとは言えます。病気で余命あと何年と告げられた人たちが、残された時間の中で成し遂げた「密度の高い業績」に感嘆することがよくあります。作家や画家や芸術家だけではなく、一般の人々でさえ偉大な作品を残す場合も多いのです。

投稿者は、取り敢えず自分の寿命を(両親が共に死んだ年齢である)58歳と勝手に決め、50歳の時に残りの人生設計を立てました。少しタイマーがずれましたが、やっと55歳で技術者を卒業し、環境カウンセラー業を以後の天職と定めた訳です。58歳寿命説では後3年しか残り時間がありませんが、逆に3年もあればかなりの事が出来るのはないかとも思っています。いま、より多くの事を伝える事が出来るように、放送大学の大学院で勉学中でもありますが、卒業見込みの来春以降は、更に時間の使い方の密度を上げたいものだと思っています。

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