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2006年9月19日 (火)

61 規模の善悪

少し前、車の大量生産を例に「量的に正しくない技術」について述べました。これは同じ事を別の言葉で言っているだけかもしれませんが、規模の善悪について考えて見ましょう。例えば、最近植物由来の生分解性プラスチックがよく話題に登場します。いわく、植物が原料なのでCO2ニュートラルである、いわく使用済みとなっても土に埋めれば自然に分解される、などなど。しかし、勿論何事も良いことずくめではありません。もし(そんなことは量的には不可能ですが)プラスチックの大部分が生分解性プラスチックに代わったとして何が起こるでしょう。それは、食糧としての穀物畑が無くなってしまうことを意味するのです。

植物プラスチックの採用は、部分的には正しくても、規模が大きくなると有害な技術に変身することになります。環境問題は、実は規模の善悪の問題でもあるのです。つまり少量なら、何とか環境が頑張って処理してくれた廃棄物も、量がまとまると処理しきれず環境に蓄積します。あるいは、規模の拡大により別の環境要素と干渉を始めます。結果として、現在我々が行っている生産・消費活動は、規模として大きな悪になってしまっている事に気づくべき時期にさしかかっています。規模の大きな技術は、結局はその内容に関わらず「環境に悪い技術」であると言えます。

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