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2006年10月 5日 (木)

86 科学の限界(ダヴィンチ学)

科学とそれを応用した技術について、かなり頻繁に考えます。最近は、色々考えを巡らした末に、「科学は所詮分解・分類の学問だ」というところに落ち着きます。しかし環境は、非常に多くの要素が複雑に絡み合った存在であり、環境を科学の要素に分解するのは間違いではないか、というのが最近の強い思いです。その意味で、環境学の一分野に「環境工学」というものがありますが、これこそ矛盾の学問のような気がしています。そもそも分解できないものを、あえて分解して考えるわけですから、出てくる結論も中途半端なものになるでしょう。

例えば、地球温暖化のメカニズムはまだ完全には解明されていません。いまだに、いわゆる温暖化ガスは温暖化の原因ではなく、太陽黒点の活動レベルのサイクルや地球の温暖化・寒冷化のサイクルの結果であるという学者も多いのです。ある現象の説明が多数生まれるということ自体が、科学が万能ではないことの証明でもあり、それが分解の学問である科学の限界でもあります。事実は、人間が作った原因が現象の連鎖を生み、多くの害悪となって降りかかっているのが環境問題ではないかと思っています。

環境学は、観察からの学びと想像(あるいは思いやりの心)と統合の学問でなくてはならないでしょう。もっとも確実な観察結果は、長く人生を歩んでいる古老の経験談でしょうか。その意味で、古典や古文書の研究こそ、もっと盛んに行われて然るべきでしょう。昔の人の観察は、実に緻密です。また一方で各分野の賢い科学者が10人くらい集まって、毎日顔を合わせて議論を重ねれば、多分理想的な環境学が生まれるかもしれません。それにも匹敵する歴史上の万能の天才を一人挙げるなら、レオナルド・ダヴィンチでしょうか。環境学はダヴィンチ学でもあるのです。

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