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2006年11月19日 (日)

145.5 閑話休題(不安の時代)

キルケゴールを読み始めています。少し読み進んだところですが、現代の不安の訳が少し分かってきたような気がしています。キルケゴールによれば、人間は自由であるが故の(無に対する)不安を抱いていると言います。つまり自由であり何をしても良いという状態は、実は何もしなくても良い状態でもあるのです。人間は、何もしない事には実は耐えられません。試しに、食べ物には不自由しない環境で、装飾も何も無い部屋に何もしないで何日とどまっていられるか試してみれば、実感としてそれが分かるはずです。何もしないこと、何もする必要が無い状態に、人は絶望的に耐えられないのです。絶望とは、キルケゴールによれば「死に至る病」であるとの事ですから、自由度の高い人間ほど絶望し易く、同時に命を粗末にし易いのだとも言えそうです。

要するに現代人は不安である訳です。不安から逃れるには、長いものに巻かれて多数派になるか、宗教などに染まってひたすら祈るか、訳も分からなく体を動かし続けるか、或いは遊びや薬に逃げ込むかなど幾つかの選択肢がありそうです。その意味で、今の子供や若者の不幸は、実は自由すぎる事だと結論しました。

実は、これは現在自発的失業中で自由度がほぼ最大状態である投稿者の実感でもあります。幸い投稿者は「環境教?」に帰依していますので、不安は大きくはないのですが。いずれにしても明日起きて、すべきことが朝からぎっしり詰まっている人は、本当に幸せな人であると断言しておきます。

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