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2006年11月30日 (木)

159 最先端はもろい

山に登りますが、岩だらけの尖頂を持ち厳しく高い山も自然豊かな低い山も同様に好きです。しかし、科学技術に関しては、高度な最先端技術に対する見方は、この5-6年で急速に変化した様な気がします。そのポイントは、最先端は脆いという直感にあります。物理的にも、細く尖っている物体は折れやすく脆いはずです。山でも槍ヶ岳の頂には何か崩れそうな危なっかしさを感じざるを得ません。一方北岳のように山塊が大きくどっしりした山には、何故か安心感が持てるような気がします。

ある時期この事に気がついてから、投稿者は一つの分野を掘り下げるスペシャリストである事を放り出し、広く物事を捉えることが出来るジェネラリストを目指す事にしました。ジェネラリストが持つべき知識として理想的であったのが、実は環境学でもあった訳です。以前も書いたように環境学は総合学ですので、例え浅くても「森羅万象」について広い間口の知識が求められます。

一方、例えばナノテクノロジーだけ、バイオテクノロジーだけ或いは航空宇宙技術だけでは、小さな環境問題すら解決する事が出来ません。これが、投稿者が航空技術者であることを辞めた本当の理由でもあります。環境問題は、あまりにも多岐の分野に跨っていますので単一分野の科学技術だけでは全く歯が立たないのです。しかも、最先端技術の多くはその先端性を研ぎ澄ますため、環境側面は犠牲にされる事が当たり前になっている事にも強い危機感を抱きました。細く鋭く尖っているものは、間違いなく脆いのです。

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2006年11月29日 (水)

158 意識の改革

解決が至難の技であるからといって今の世代の垂れ流しのライフスタイルを全く放っておく訳にはいきません。そこで投稿者が考えているのは、特に恨みがあるわけではありませんが「団塊の世代引き込み作戦」です。団塊の世代は2007年から順次退役が始まります。それなりに退職金が入り、時間のゆとりもあり、孫の世話も頼まれるこの世代に注目しています。何しろ、この世代のパワーは圧倒的です。統計によれば、この世代の人口に占める割合は、10%に迫るわけです。高度成長期には、彼らは牽引車でありオピニオンリーダーでもありました。彼らの意見は常に多数派であり続けたわけです。

しかし彼らが退役し、次の目標を失って迷っている時期こそが、ライフスタイルの見直しには絶好のチャンスです。投稿者は、彼らのための環境講座をどのように仕掛けていくか、今真剣に考えているところです。彼らに対する殺し文句はたぶん「あなたは孫が可愛くないのですか」、「彼らに一体何を残してやる積りですか」などとなる事でしょう。少なくとも団塊世代には、都会に住んでのんびり楽隠居で暮すことは許されません。いずれにしても団塊世代が元気で働けるのも今後の10年あまりですが、彼らに期待される役割は、田舎に残っているお年寄りの知恵を次世代に渡す「つなぎ役」或いは若者就農の「呼び水」でもある訳です。

という訳で、もう一つのターゲット世代は若者です。何不自由ない時代に育った彼らに、環境への危機感は全くと言って良いほど感じられません。少なくとも、耐えられないほどの空腹感を経験した事は殆ど無いはずです。その彼らに、例えば「食べ物を粗末にしてはいけない」事を理解させる事は、ブッシュの頭から戦争を忘れさせることくらい難しい課題といえるかもしれません。しかし、それでも「環境おじさん」としては今後とも「環境・環境・・・」と、お経を唱え続ける積りです。

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2006年11月28日 (火)

157 新3Rの提案

環境問題、取り分け廃棄物の減容の方策は3Rと呼ばれます。言わずと知れたリデュース、リユーズ、リサイクルの略ですが、ここでは持続可能型社会構築に向けた新しい3Rを提案しましょう。持続可能型社会構築のための新しいキーワードとして次の3Rを挙げてみました。それは、Repair(修理)、Restructure(再構築)、Reallocate(再配分)です。

最初のRepairは言わずもがなで、壊れたら捨てるのではなくまず直して再使用する工夫をする努力です。修理屋としての経験から言えば、形のあるもので直らないものは殆ど無いと断言できます。割れたり磨耗したりしてしまった金属部品でも、それを再度修復する手立ては複数存在します。現代社会に足りないのは「工夫力」だけです。

次のRestructureとは、社会システムや個人のライフスタイルの再構築の事です。持続可能ではないシステムや暮し方は、見直しのタイミングでより持続可能性な方向へ修正していく必要があります。しかし社会システムや個人のライフスタイルの修正には、実は長い時間が掛かります。例えばバブル期を経験し或いはその時期に成長した世代の価値観を変えるのは至難の技とも思われます。むしろ今の子供にしっかり環境問題を考えさせ、その世代が成長した次の時代に期待を託す方が近道で現実的かも知れません。投稿者が環境教育者を目指してきた所以でもあります。

最後のReallocateは、地域間・世代間の公平性の問題の解決策です。ただし、単純に食糧余剰のある地域から食糧が不足している地域に穀物を移動するのは、実は「持続可能な解決策」ではありません。そうではなくて、食糧の不足している地域に、資源や農業技術を移転しながら、食糧増産能力を獲得させる努力こそが重要だといえます。同様に、国内には過疎の中山間地と人口が密集し過ぎている都市部のアンバランスが存在します。人口のReallocateによるその解消も急務だといえます。

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2006年11月27日 (月)

156 リサイクル批判

Rの目玉ともなりがちなリサイクルについて、少し考えましょう。リサイクルは、出てきたゴミを資源化しようとする、言わば「出口対策」以外の何者でもありません。その意味で、他の2R(減らし、再使用する)活動とは全くの別物であるとも言えそうです。かつて、リサイクルは全く意識もされない当たり前の行動でした。その時代には、紙や布や金属やガラスは、相対的に貴重な資源でしたから、ゴミにして捨てるなどとは誰も考えなかったわけです。従って、消費者もこれらの資源を最初から分別し、納戸に保管しておき、業者が回ってくる日を待っていたのでした。

R(特にリサイクル)の時代はそろそろ終わりにしなければなりません。出口対策ではなく、既に手遅れ気味ですが、残りの2Rで入り口を絞るべき時なのです。その結果経済が減速するなら、2R時代にふさわしい新しい職業を整備すればよいだけです。その職業とは、例えば各種修理業、中古製品再生業、中古部品仲介業、日用品リース業、不用者・必要者のマッチング業、固定的フリマ市場、資源ゴミの分別回収業、資源再生業などですが、もちろん既に存在するものはこれまで以上に徹底的に行なうことになります。

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2006年11月26日 (日)

155 樹木の歩く速度

植物は実は歩きます。勿論、自分だけでは無理なので鳥や獣や風の助けを借りる必要はありますが。さて、一般的に砂漠化は毎年数キロのスピードで周辺に広がっていると推測されていますが、例えば樹木の動けるスピードは確実に1km/年以下ですから、砂漠の反対側に草地や森林が「逃げる」スピードは砂漠には絶対勝てないわけで、結果として森林帯の幅は毎年縮小し続けることになります。アマゾンや南アジアにおける人為的な森林破壊に加えて、この温暖化による砂漠化の圧力が二重に森林を痛めつけています。砂漠化は、CO2吸収源である森林面積を減らす現象ですから、結果として温暖化を加速することもまた確実です。

必要なことは、人間が砂漠化の原因(焼畑や過放牧や灌漑用水の使い過ぎによる塩害など)を食い止めると同時に、人工的な植林によって木の歩くスピードを加速する努力を続けることですこれは広大な森林面積に対し幅2-3kmで新たに植林し続けることを意味しますので大変な作業でもあります。しかし、闇雲な植林はあまり好ましくない結果をもたらす場合があります。つまり、その地域の気候にマッチした最適な樹種を選択する必要があることを忘れるべきではありません。それを怠ると、その環境に本来あってはならない森林が生まれることになり、環境とのミスマッチ(これはある種の環境破壊になります)が出現してしまう可能性すら生じます。

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2006年11月25日 (土)

154 建設という名の自然破壊2

環境問題は3大ゴミ問題だと書きましたが、勿論局所的とはいえ大規模建設や戦争による物理的な環境破壊が問題ではないというつもりはありません。人口爆発問題と同様、こちらはこちらで大問題です。特に、建設に伴う環境の徹底的な破壊は、何もダム問題に限ったことではなく、都市の拡大に伴う里山や都市近郊自然の徹底的な破壊、道路建設に伴う「環境の島状の分断」、海岸の埋め立てや護岸工事などによる海浜環境の破壊、ダム建設による砂浜の消失など枚挙に暇がありません。

どこかの回でも書いたかもしれませんが、これに歯止めを掛けるのは「環境復旧事業」以外にはありません。つまり、一度建設のために破壊された環境を、建設されたインフラの寿命到達や役割の終了に伴って、可能な限り元の自然に復旧する事業のことです。狭い日本には、最早開発すべき余地は殆ど残っていません。「環境復旧事業」によって、構造的な不況業種と呼ばれている建設業界には新たな雇用が生まれるはずですし、結果として良好な自然環境が戻ってくる訳で、誰もが賛成できる事業でもあります。問題は、誰がコストを負担するかですが、やはり開発で恩恵を受けてきた団塊世代以上が主体となって、広く薄く負担するしか解はなさそうです。

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2006年11月24日 (金)

153 パレートの法則

イタリアの社会学者であるパレートは、いくつかの重要な指摘を残していますが、中でも20:80の法則は示唆に富んでいます。この法則の例としては、1)問題解決に際して、読まなければならない書物の上位20%を読めば、必要な事項の80%をカバーできる。2)機械故障の原因の内、上位を占める20%を取り除けば故障の80%は防止できる。3)ある会社のセールスマンの上位20%がセールスの80%を稼ぎ出している、などが挙げられます。

環境問題でその意味するところを考えるならば、「重要な問題から解決せよ」とも言い換えられます。つまり環境問題に関して、より重要な上位20%の問題を、今後具体的に考えて行きたいと思っていますが、難しい点は「誰に対して重要か」という評価ポイントです。つまり人間に対して重要か、南極のペンギンの種保存に対して重要か、サンゴ礁の生態系維持に対して重要かといった議論には、優先順位がつけがたいという障害があります。結局、議論の行き着くところは、人間にとって都合の良い結論に落とし込むしかない場合が殆どです。しかしながら、地球表面全体が一つの生態系であり、ある意味では生命体であると考えるガイア仮説の立場を借りるなら、結局「全ての生物は運命共同体」以外の何ものでもない、との結論になります。つまりペンギンやサンゴにとって好ましいことは、めぐり巡って結局人間にとっても好ましいはずなのです。

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152 人生の目的

最近読んだ古い翻訳本の解説に書いてあった、物理学者の竹内均の言葉が心に引っかかりました。そこには、①好きなことをやり、②その結果飯が食えて、③その上それが他人のためにいささかでも役立つ事、が人生において理想とされるべき目的であり、本当の自己実現であると書いてありました。名言だと思いました。投稿者の場合には、③が「その上それが環境のためにいささかでも役立つこと」となる違いがあるだけです。人生の目的が上の3段階であるならば、残りの物事の全てが手段か方便に過ぎないはずです。手段や方便にばかり気をとられ、それと格闘し、結局打ちのめされたり、投げ出したりしてしまう人のなんと多い事でしょう。人間たまには立ち止まって、人生の目的も改めて考えてみる必要がありそうです。

最近気がついたことですが、投稿者は結構頑固者のようですので、一度決めたこと(環境おじさんになること)を投げ出したりはしませんが、現在の問題は②が全然成り立っていない事です。しかし、根っからの楽観主義者ですので「そのうち時代がついてきて、毎日めちゃくちゃ忙しくなるだろう」と、のんびり構えてはいます。

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2006年11月23日 (木)

151 お祭り指数2

食糧以外のお祭り指数はどうなるでしょう。例えば衣服を考えて見ましょう。平均的なデータでは、タンスに眠っている衣服の約40%は、今後とも袖を通される可能性の無いものだそうです。使われている衣服でも、冠婚葬祭や改まった場所に着ていく服は、残りの半分程度はあるとすれば、日常袖を通している服は、全体の30%という事になりそうです。従って、衣服に関してだけ言えば、日本人のお祭り指数は300%以上という結論になります。

カバンなど身につける小物や服飾品などでは、この数字は更に跳ね上がることでしょう。文房具や筆記具など言えば、お祭り指数1000%以上などと言うものも珍しくないと思われます。一度、自分の机の中の文房具をチェックしていただければよいでしょう。使っていないボールペンが何本も見つかるはずです。

ところで一家に複数台ある車はどうでしょう。勿論、一家4人で車が3台しかないからお祭り指数が75%というわけではありません。車を保有し使うこと自体がかなり高いお祭り指数を持つ行動なので、100歩譲って一家に1台の車保有がお祭り指数100%と仮定すると、3台ならばやはり300%になってしまいます。

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150 お祭り指数

20世紀の消費文明の熱気は「お祭り」と同じ種類のものだと書きました。では、何がお祭りで何が日常生活なのか、もう少し詳しく述べてみます。例えば食べ物です。お祭りでは、日常生活では殆ど口にできないご馳走を作って食べます。しかし現代の食生活の様に、日常お菓子や洋食、中華、エスニックと何でもありの外食や、コンビニ食のように、30年前にはお祭りの時しか口にできなかった食べ物を日常的に口にする時代では、何がお祭り食で何が日常食なのかの境界線さえ引けない状態です。

そこで、まずは健康で暮せる最低限のカロリーや栄養の食事をベースラインとして、それを100%と決める必要があります。前にも書いた様に、我々モンゴル系の人種は、基本的には進化の過程で少し「ひもじい」程度の食糧事情に適応しているので、現代の食糧事情から考えれば、今の半分のカロリーを100と考えても十分でしょう。(ところで「ひもじい」という形容詞もすっかり死語になりましたね。)それを上回る食事の量や質は「お祭り成分」になる訳です。お祭り成分の%を「お祭り指数」と呼んでおきます。つまり、食べ物の半分をゴミとして廃棄している現代の食生活は、お祭り指数がざっと約200%であるといえます。栄養は肥満度の高い人が4割も居る時代となり十分過ぎるほど取っているはずなので、実際は300%くらいかも知れません。

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2006年11月22日 (水)

149 海外ボランティア

国内で環境・環境と「お経」を唱えても、結構反応は小さいことを日々痛感しています。これは尻に火が着かなければ行動を起こさない日本人の特性によるところが大ではないかと分析しています。本当に火が着くまでには後5年程度は必要なのかもしれません。そこで、この先短い人生でもある投稿者の時間を無駄にしたくもないので、国際ボランティアにも手を上げる事にしました。その一つが欧州銀行の行っているTAMプログラムです。これは、特に経済構造の近代化や環境対策が遅れている旧共産圏諸国対して、単純な経済援助ではない人的援助を行おうというプログラムです。ここ数年は環境悪化に対する対策プログラムに力を入れていて、環境カウンセラーや技術屋としての経験が生かせそうな中身であることが分かったからです。東欧諸国や旧ソ連であった国々は、共産主義の時代には能率優先のために環境を犠牲にし、現在は資金や知識が十分でないために環境を犠牲にしているようです。とりあえずは事務局にCVを送り登録を完了しました。彼らに少しでも環境保全の重要さを気づかせることが出来れば、環境おじさんとしてもかなりの自信にはつながるでしょう。

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148 その他の省エネ

省エネは電力節減だけでは片手落ちです。家庭内で大きなエネルギーを消費しているのはガスもあります。ガスは調理と給湯や風呂焚きに使われています。投稿者の家では太陽熱温水器を屋根に上げているので、晴れた日と曇りや雨の日では大きく異なります。年間でも平均的な秋の日では、太陽光によるガス代の節約は、約100円/回くらいと考えられます。ガスによる煮炊きに関しては、現在ガスコンロの火がヤカンや鍋の底からはみ出さない様にするカバーを考案中です。

ガスを更に節約するためには調理の工夫と風呂の追い炊きを減らす事くらいしかなさそうです。もしお金に余裕ができたら、太陽熱温水器の容量を現在の2倍くらいにしたいものです。そうすれば、冬場でも晴れた日なら風呂や温水供給は殆どガスに頼らなくてもいけそうです。

省エネは水道の節約でも実行可能です。水道の供給は、浄水場で行っていますので、水道料金にはこの処理施設の運転設備やポンプの電力料金も含まれています。水道1㎥では自治体によっても違いますが約3,600kcal程度のエネルギーを消費しているので、これを電力に換算するとおよそ4.2kwhとなります。(下水処理の電力は別途発生します)トイレのタンクにレンガやビール瓶を入れる、洗車は出来るだけ行わず、洗う場合でもバケツに汲んで行えば3杯程度で十分なのでかなり節約できます。後は、水の流しっぱなしをやめ、風呂の残り湯を洗濯に使えばほぼ完璧でしょう。当然投稿者の家ではこれを全て実行中です。ちなみに水道使用量は、平均的には12㎥/月をやや超える程度のようです。

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2006年11月21日 (火)

147 時間の余裕と省エネ

自発失業し、時間がたっぷりできてから実現できている事がいくつかあります。その一つは、制限速度をほぼ守った走行です。これまでは、20km/時以内の速度オーバーなら「ま、いいか」と走っていましたが、現在はそれを10km/時以下にとどめています。それと以前は時間を稼ぐために、単車の特権を使って交差点では無理やり車列の先頭に出ていましたが、最近はできるだけ車の後ろについて走るようにしています。その結果、うれしい事に燃費がかなり好転しています。前は27-8km/リットル程度であったのが、最近は確実に30kmを越えています。アイドリングストップなどしなくても、走り方だけで10%は省エネできることになります。

それと、東京などへ出かける機会には鈍行や高速バスなどの「遅くて安い」手段を探して乗ることができるようになりました。勿論収入も下がったので経済的に助かるし、在来線の鈍行に乗ると学生時代に戻ったような懐かしさもあります。先日岐阜から東京まで在来線を乗り継いでみたら、なんと7時間近く掛かりました。それでも少し早起きしたので、午後のミーティングには十分間に合いましたが。東海道の昔の宿場がそれぞれ駅になっていますので、五十三次を遡っているようで結構楽しい旅でした。新幹線と在来線の消費エネルギーの差のデータは現在探しています。

もう一つ、外出先で不思議に感じた事があれば、立ち止まって詳しく観察したり、近くの人に尋ねたりする余裕もできてきました。特に知らなかった植物の名前を知ることや、これまでまじまじと観察する事も無かった農作物や昆虫や小動物の観察は結構楽しい時間です。同様に、街並みの中の小さな不思議の発見も病みつきになりそうです。

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2006年11月19日 (日)

146 移動の省エネ

移動に車を使うのは最悪です。しかし恥ずかしながら投稿者の家にも車が2台あり妻と娘が使っています。娘は通勤に使っていますが、もう1台を妻が動かすのは買い物のために週2、3回程度です。ちなみに投稿者はといえば、長いサラリーマン生活の殆どを自転車通勤で通しましたが、環境カウンセラーの活動のための移動や放送大学の学習センターに時々通う必要もあり、しかたなく会社を辞めたときの退職金で250ccのバイクを買いました。実際に使ってみると、平均的にはガソリン1リットルで約30km近くは走ります。車のおよそ1/3の燃料消費です。将来このバイクが動かなくなったら、今度は50ccの「カブ」に買い換えるつもりです。こちらだと1リッターで60km以上は確実に走りますから更に半分のエネルギーで済みます。これは人一人の移動手段としてはバス並みに経済的で、鉄道の能率に迫ります。東南アジアの国々でカブが絶大な人気を得ている理由もうなずけます。一人だけの移動なら鉄道以外では間違いなくカブに軍配が上がります。ちなみにホンダのカブは全世界で1千万台以上を売った、日本が誇る隠れた超ベストセラー商品でもあります。

言うまでもなく、自転車でのエンジンは人間の筋肉ですが、同じく筋肉をつかう歩行に比べてもエネルギー効率が数倍高く、今後とも「最善の移動手段」であり続けることは間違いありません。

明日は、旅行不在のためアップ無しです。

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145.5 閑話休題(不安の時代)

キルケゴールを読み始めています。少し読み進んだところですが、現代の不安の訳が少し分かってきたような気がしています。キルケゴールによれば、人間は自由であるが故の(無に対する)不安を抱いていると言います。つまり自由であり何をしても良いという状態は、実は何もしなくても良い状態でもあるのです。人間は、何もしない事には実は耐えられません。試しに、食べ物には不自由しない環境で、装飾も何も無い部屋に何もしないで何日とどまっていられるか試してみれば、実感としてそれが分かるはずです。何もしないこと、何もする必要が無い状態に、人は絶望的に耐えられないのです。絶望とは、キルケゴールによれば「死に至る病」であるとの事ですから、自由度の高い人間ほど絶望し易く、同時に命を粗末にし易いのだとも言えそうです。

要するに現代人は不安である訳です。不安から逃れるには、長いものに巻かれて多数派になるか、宗教などに染まってひたすら祈るか、訳も分からなく体を動かし続けるか、或いは遊びや薬に逃げ込むかなど幾つかの選択肢がありそうです。その意味で、今の子供や若者の不幸は、実は自由すぎる事だと結論しました。

実は、これは現在自発的失業中で自由度がほぼ最大状態である投稿者の実感でもあります。幸い投稿者は「環境教?」に帰依していますので、不安は大きくはないのですが。いずれにしても明日起きて、すべきことが朝からぎっしり詰まっている人は、本当に幸せな人であると断言しておきます。

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145 省電力

省エネルギーの内省電力の技を考えて見ます。投稿者の家の生活パターンの場合、朝食の終了時点まで約25%の電力を使っています。電気釜、トースターや電子レンジなどの消費電力です。夕方までには更に+35%の電力を消費します。残りの40%は家族全員が揃った時間から就寝までに使っています。先ず待機電力を減らすため、いくつかのコンセントにスイッチつきのアダプターを付けました。これは100円ショップで、1個200-300円程度で買えます。更にトイレの電球が切れたのを機会にワット数の小さな電球に変えました。エアコンもコンセントを入れたままでは待機電力を消費するので使わない時はこれを抜いておきます。ここまでは普通の省エネです。

更に、風呂場の57Wの白熱電灯が切れたついで、これを17Wの省エネ型の電球型蛍光灯に変えました。風呂場は、4人合計で2時間以上点灯するでしょうから、一晩で約100wHの節電です。また電力のかなり大きな部分は、250wの消費電力のテレビで消費していそうなので、大型液晶テレビの導入ブームには逆行しますが、地上デジタル対応の買い替えのタイミングでは比較的小型の液晶テレビにするつもりです。パソコンはデスクトップが古くなったので、やや大型のノートパソコンを導入し、データを移動中ですので、150wが50w程度には下がるはずです。毎日数時間は使っていますので、300-400whの節約になるでしょう。(結構パソコンも馬鹿にならない)

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2006年11月18日 (土)

144 風力発「熱」

風力発電が注目されていますが、投稿者の視点は風力の熱(やはり低温熱源としての)利用です。風は「息をします」ので、系統に接続しながらの安定的な電力を得る目的のためには元々不向きな方法です。結果として、風車の設置場所の適地としては、海岸やなだらかな丘陵地帯や「風の通り道」と呼ばれ、風力が大きく風況が安定している特殊な地域に限定されていた訳です。しかし、風力の熱利用であれば、熱はある程度は貯めて置けるので、その適地は飛躍的に拡大するはずです。しかも、風の弱い日には大抵の場合太陽が顔を出しているので、風力と太陽光が互いに補完するシステムとすれば理想的なものになるはずです。

動力を熱に変えるにはいくつかの方法がありますが、水中で摩擦板をこすり合わせる方法か、水や油を高圧で噴出させてさせるなどの方法で強いせん断力を加えるなどの方法が有効と見ています。この際の変換効率は力→熱なのでほぼ100%です。得られた熱は、給湯のほか床下に導いて床暖房に使うか、壁面に細管を埋め込んで壁面暖房として使う用途が考えられます。高齢化が著しい雪国の田舎では、熱媒体として不凍液か油を使い、昇温させて融雪を行う用途が有望です。この場合、風車は動力源として多雪地帯ではあまり有効ではないので、小型の水車を使う必要があるかもしれません。

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2006年11月17日 (金)

143 低温熱源

低温熱源として有望なのは、必ずしも化石燃料を燃やした廃熱だけではありません。投稿者が考えている別の熱源として、例えば発酵熱などの生物が発生する熱も有望です。堆肥化の過程では、70-80℃に達するような比較的高い温度の熱が得られます。極端な例では、三重で起こったRDFの発火事件に見られるように燃焼に近い温度までの上昇も起こり得る訳です。問題は、その制御方法にあります。爆発的に燃焼させず、例えば100℃を少し下回る程度に制御可能であれば、日常生活で必要なほぼ全ての熱源が、生物的な手段で達成できることになります。

この熱源としては、日常生活で発生するいわゆる生ゴミがそのまま使えますので、ゴミ問題も大きく解決に進みますし、その結果できる堆肥は熱殺菌も完了していますので、良好な肥料として値段もつくことでしょう。このシステムは大都会の真ん中では無理ですが、ヨーロッパの例では堆肥化はゴミの減容技術としても普及が進んでいますので、日本の田園地帯の中小都市では有望です。

この様に、植物の直接利用(木材や食糧)、その廃棄物の発酵熱利用、最終的な肥料化(あるいは燃料化)などの他段階で資源を活用することをカスケード利用と呼びますが、1段階利用では経済的に成り立たない原料でも、上手くカスケード利用を行えば十分ペイするシステムも構築可能です。ここでも「問題は科学や技術ではなく、知恵の出し方・使い方」なのです。更に言えば、問題は、こんなローテクには誰も開発費を出そうと思わない現代の風潮でしょうか。

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2006年11月16日 (木)

142 低温蓄熱、低温利用

抽象論をいじくっていても事態は前には進みません。その意味で投稿者がいま一番興味を持っているのは、実は低温熱源の利用という具体的課題です。低温の熱源は、実はいたるところに存在します。身近な場所でも、ガス給湯器からの排気ガス、車の排気ガス、エアコンの室外機からの廃熱、つまりは100℃より大分低い温度だけれど、量的には十分に大きい熱源の利用方法なのです。低い熱源から高い熱源を得るためには、熱力学の第2法則によって相応の熱を環境に捨てる必要がありますから、効率を考えるなら低いままで利用するしかありません。この法則の示すところによれば、同じ1kcalでも、高い温度の熱源と低い温度のそれとでは、実際に取り出せるエネルギー量が異なるからです。

しかしよく考えてみると、風呂や暖房にしても、もしその温度が100℃であれば、人間の細胞はやけどで死んでしまうわけですから実際に必要なのは50℃以下の温度利用が殆どなのです。例外的に、煮炊きの温度が100℃前後になっているだけです。問題は、低くて大量の熱を如何に蓄え、必要なときに利用できるかに知恵を使わなければならない事なのです。この程度の温度は、太陽光を併用すれば容易に得られますので、蓄熱装置のバックアップも全く問題ありません。こちらの方が、コスト面で実用化の目処も立たない燃料電池よりよっぽど確実にシステム化できそうな感じがします。

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2006年11月15日 (水)

141 環境ビジネス2

環境ビジネスについては6.でも書きましたが、少し書き加えます。持続可能なビジネスは全て環境ビジネスであることは間違いないのですが、更にいくつかの条件を備えている事が必須です。

その一つは、やはり自然との折り合いでしょう。人間の歴史程度のタイムレンジで持続可能であったとしても、自然を限りなく傷つけるビジネスならばやはり環境ビジネスからは除外すべきでしょう。つまりは時間軸の長さの問題です。少なくとも世代をまたがる程度の長い時間レンジでチェックして、自然との折り合いが確認できるなら、それは環境ビジネスと位置づけても良いという結論になりそうです。

もう一つ条件をつけるならば、できればこれまで破壊してきた自然環境を、そのビジネスを続ける事によって改善したり再生したりできれば、更に理想的な環境ビジネスになり得ます。何しろ、そのビジネスが繁盛すればするほど自然の多様性や持続性が増す訳ですが、実現はそんなに容易ではありません。何しろ自然の仕組みは微妙で複雑ですから下手な浅知恵は逆の結果を招きます。既に自然が長い時間かけて淘汰した結果残った現象を利用した法が確実なものになるでしょう。具体的には、とりあえず原料として自然が作り出したもの(木材や植物など)を選び、道具やエネルギーも人力に頼るものや自然から得られたものを使っておけば一応安心できます。そのチェックは比較的簡単です。例えば江戸期を通じて行われていたビジネスであれば、それが持続可能であったか否かは、既に証明されているからです。必要なのは、歴史と風俗の少しの研究です。

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2006年11月14日 (火)

140 律儀な自然、自然に対する律儀さ

季節の移ろいに敏感になってきたのは、実は歳のせいかもしれません。新聞などで見かける俳句や短歌なども、近頃は結構心にしみる年齢になったような気がします。その証拠は、例えば俳句に歌いこまれる季語ではないのですが、半月毎に変化し二十四個もあるという日本の季節の刻みに、ふと気がつくという些細な事が喜びになってきたということでしょう。

自然は実に律儀です。これからの季節は雨が降るたびに1℃くらいずつ気温が下がり、紅葉が山から里に降りてきて、夏の植物が休眠に入ります。果物や木の実を実らせ、動物達にも冬篭りの準備を催促します。広葉樹は葉への養分補給を止め、葉緑素の再生を中止します。結果葉が落ちますが、一方でその葉の根元に来春の芽を準備します。動物たちは、木の実を食べ、或いは体に種子をつけて遠くへ移動し、そこで新しい植物の種を蒔きます。

律儀でないのは実は人間だけなのかも知れません。例えば、勝手に種の無い植物を作り遺伝子をいじって品種を改良(改悪?)し、その種や茎や葉を廃棄物として焼却しているのは全く律儀でない証拠でもあります。いま自然に対して最も律儀なのは、日本では田舎に住むお年寄りたちだけになってしまいました。彼がまだ元気なうちに、是非我々世代や子供たちにその律儀さや律儀に暮す知恵を残しておいて貰いたいものです。

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2006年11月13日 (月)

139 人工葉緑素

人類を救う究極のテクノロジーは、実は燃料電池でもナノテクでも航空宇宙でもロボットでもなく、間違いなく「人工葉緑素」です。葉緑素には、水と太陽光と二酸化炭素から、澱粉や糖や多くの物質を合成する働きがあります。もし、植物に頼らずにこの働き(光合成)を行う人工物質が開発されれば、食糧やエネルギーの問題も一気に解決されることになります。澱粉や糖自体は食糧になる事は勿論、繊維やプラスチックなどの素材やアルコール燃料まで、原料としての幅広い物質も得られます。そのためのエネルギー源はと言えば、環境無害で無尽蔵な太陽光だけです。

この技術が完成すれば、水と太陽光のある場所はどんなに狭くても全て「化学工場」になるでしょう。家庭の屋根で、食糧やエネルギーを作る事も可能となります。これが究極の地産地消となるでしょう。研究者や技術者が何故この分野の研究を熱心に行わないのか全く不思議でなりません。ただし、そのような葉緑素が発明されたとしても、その人工葉緑素が作り出す栄養素が、天然の葉緑素が作り出す栄養素と全く同じである保証はありません。人類は、少なくとも数百万年間、自然が作り出してくれた「自然の食糧」だけに依存して生き延びてきているのは紛れも無い事実です。その意味では人工葉緑素は、食べもの生産向けではなく、バイオマスエネルギーや工業原料の製造だけに位置づけるのが正しい方向と考えられます。

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2006年11月12日 (日)

138 ナノは危ない2

124でナノは危ないと書きました。ナノといえば分子レベルの大きさですが、実はこの大きさにおける分子の挙動には十分判明していない部分も多いのです。生物の起源まで遡ると、海の中に漂う多種類の「有機物のスープ」まで行き着きます。これらの小さな有機分子がどのように結びつき、結果として如何に自己組織化したかに関しては、殆どが謎に包まれています。つまり、非常に小さな単位での分子が、互いにどのような分子間力で結びつくかが明らかになっていない以上、ナノ分子やナノ粒子の体内における挙動もまた安易には評価できないはずです。体内で既にお馴染みのアミノ酸など天然由来の粒子は別として、完全に人工的に作られたナノ粒子は、人体にとっては異物ですので、何らかの防衛反応やアレルギー反応が顕れても不思議ではありません。事実、タバコの煙やディーゼルエンジンから出る排気ガスに含まれるPM(粒子状物質)には、疾病やアレルギーを起こすと言われるものも多く含まれているのです。

人間や環境にどのような影響を与えるか分からない粒子を扱うナノテクノロジーは、その意味で非常に危ない技術であると言えるでしょう。公害対策諸法に例を引くまでもなく、過去殆ど全ての法律は「対策法」でした。研究者には、何やら新しいナノ粒子を多く作り出すことに熱中する前に、是非安全性に関する「予防法」としての自己評価基準を作っておいて貰いたいものです。

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137 寄生の法則(掟)

これは、法則というより掟と言ったほうが適当かもしれません。多くの生物は、他の生物に寄生して暮しています。お互いに助けあう共生関係もありますし、一方だけが利益を得る片共生という関係もまた多く見られます。特に植物と動物、あるいは植物と昆虫の関係には多くの寄生や共生の例が見られます。例えば、蝶やミツバチはと花々、あるいはアリとアカシア、などなどです。

しかし、人間はほぼ全ての生物種に対して一方的な寄生関係にあります。人間がもし、他の生物に益をもたらしているとするなら、それはせいぜい蚊やノミやシラミに対する体液の供給か、或いは人間にしか寄生しない寄生虫や病原菌へのささやかな貢献程度かも知れません。それ以外は一方的な略奪を伴う寄生関係でしかありません。植物や動物に完全に寄りかかっている食糧調達だけを考えてもそれは明らかです。

ここで言う掟とは、「寄生生物は、その宿主を破壊してはならない」というものです。多くの寄生生物は、勿論宿主を完全に殺してしまうことはまれです。何故なら、そうした場合自分自身の生命が危うくなるからです。人間だけが、目先の利益だけ追求しつつ「宿主である環境」を破壊し続けているという訳です。勿論この掟破りが長く許されるはずはありません。

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2006年11月11日 (土)

136 お金の色

再度お金を取り上げます。お金は一種のフィルターです。お金に換えることにより、正しくない事も結果としては正しかったように見せることが可能です。全ての企業は、まさにお金としての利益を出し続けるために存在し日夜努力を続けていますし、どんなにあくどいやり方で儲けられたお金でも、使うときには1万円は同じ1万円として流通します。

同様に環境に優しくない手段で得られた金も、企業の社会的責任として例えば植林事業などへ寄付された途端に、このお金は「浄財」に化けてしまいます。しかもこの企業は、環境に配慮しているCSR企業として社会的に評価されることでしょう。一方、どんなに環境に優しいもの作りを目指したとしても、利益の出ない会社は「ダメな会社」の烙印を押されてしまいます。つまり、お金はフィルターでもあり、現代社会では評価の物差しでもある訳です。お金がフィルターであり、物差しである限りにおいては、環境問題が好転する見込みは非常に低くなります。何故なら、お金を儲ける事はある面では容易な行動であり、環境に厳しく当たって大きな利益を出し、その中から例え1%でも見かけ上の環境保全活動への寄付を行えば、社会的責任は果たしているように見せかけられるからです。環境保全への努力と貢献度という新たな物差しが求められるゆえんです。以前取り上げたエコマネーや地域通貨は、その意味では、「環境保全という色のついた紙幣」であるとも言えるでしょう。

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2006年11月10日 (金)

135 満足度の法則

久しぶりに法則シリーズです。さて、投稿者の経験に照らしても、物質的満足度と精神的な満足度は、かなりの程度比例します。しかし、さらによく考えてみると、あるポイント以降は逆に、両者は乖離していくのではないかと最近確信するようになりました。これを、満足度の法則として提案します。その根拠は、物質的(或いは金銭的)に十分な満足を得た人間は、殆どの場合より多くの物質(お金)を得る事に熱中する現象が観察されることにあります。株で一生遊んで暮せる利益を得た人はそれに満足せず更に株に投資しますし、高価な車を乗り回している人は、やがて別のより豪華な車が欲しくなるはずです。しかし、一方で精神的な満足度はと言えば、欲求の度合いが大きくなるほど得られる満足度は小さく終わります。これはいわば、モノや金に対する感度が「慣れ」で麻痺する事であるとも言えます。ある薬に対する感受性は徐々に弱まるため、時間が経つにつれて医者はより多くの薬量を処方しなければならない事によく似ています。或いは、匂いや音などの刺激に対する感受性は、長時間の暴露に対して弱くなります。モノや金もその意味では、脳にとっては単なる外部刺激に過ぎないのかもしれません。

従って、人は満足度が高まったあるポイント以降は、モノや金が十分に手元にあったとしても、さらに強い渇望感に突き動かされて、より多くのモノや金を求めるようになるのです。その例は、毎日のテレビや新聞で報道される多くの汚職事件やモノ・金目当ての犯罪事件に見ることができます。

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2006年11月 9日 (木)

134 電力モニター

最近(財)省エネルギーセンターから電力モニターを借用して、投稿者の家庭における電力のモニターを開始しました。電力の発信機は配電盤に取り付け、無線で電力量をマイコン内臓モニターに送信する最新式の優れものです。モニターが受けたデータは、パソコンにエクセル形式で取り込んで分析ができるようにもなっています。その結果、我が家では何も意識しない状態では、平均的に毎日8-9kwh程度の電力を消費していることが分かりました。4人家族ですが他の家に比べればかなり質素な暮らしだと思うので、大型のテレビを購入しエアコンをぶん回している家庭では、この1.5-2倍程度は消費していると想像しています。

今後省エネルギーを「意識」して暮せば、多分いくらか電力も下がるはずなので、また結果を報告する事とします。10%程度削減して平均7kwh以下にまで落とせれば良いなとは思っています。そのための当面の作戦としては、月並みながら待機電力カット(スイッチ付の省電力タップを増やす、エアコンなどのコンセントを抜くなど)、こまめな消灯、パソコン&テレビ使用時間のカットなどですが、今後面白そうな裏技もいくつか考えて見ます。

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133 コンビニと自動販売機

コンビニや自動販売機はなるべく利用しないようにはしていますが、山に登る前や出先での食料調達ではついつい使ってしまいます。今後の自分への戒めとしても、ここでコンビニと自動販売機の環境負荷を改めて考えて見ます。さてコンビニは24時間営業であり、コンパクトな店にギュウギュウ詰めで商品を展示し、昼夜明るい照明で照らし、その多くを保冷・加温していますので、売り場面積当たりで見るとスーパーや一般の小売店の3倍以上のエネルギーを消費します。環境白書によると、2003年時点でもコンビニは40,000店舗前後あり、コンビニだけでも国内の民生エネルギー消費の0.2%以上を占めているのです。1店舗では軽く平均的な家庭20-30軒分のエネルギーを消費している計算になります。コンビニが、例えば夜間の8時間程度営業を自粛するだけで、国内のエネルギー消費も確実に0.1%近くは減少する計算になります。

一方自動販売機もエネルギー食い虫です。2004年時点での自動販売機の台数は550万台以上で、その電力消費はなんと57億kwhで、国内のエネルギー消費の0.17%にも相当している訳です。単純に計算しても、赤ん坊も含めた国民23人に1台の割合で設置されている訳ですが、想像するにその多くは利用率も低く、日がな一日ムダに飲料を温め、或いは冷やし続けている事になります。

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2006年11月 8日 (水)

132 捨てない知恵3

金属資源を捨てない知恵を考えて見ました。例えば金です。金の鉱石は、純度が高いとされている場合でも、1トンの鉱石からせいぜい数グラムの金しか採取できません。しかし、例えば携帯電話ですが、回路や端子部などに使われている金を合計すると1台当たり0.02グラム程度にはなります。電話機の重さを1台100グラムとして、10000台=1トンの廃棄される電話機からはなんと20-30グラムの金を取り出すことが可能なのです。効率は鉱石の場合の100倍です。携帯電話は現代の金鉱脈だったのです。しかし、電話機の分解や分別に膨大な手間が掛かり経済的に成り立たないという理由で、実行はされていません。同様に、銅のリサイクルもやり易い部分でしか実現されていませんので、結果として例えばリサイクル鉄に銅が混入し、鉄の品質劣化を招いているのです。つまり、徹底的な分別さえ実現できれば、金属は何度でもリサイクル可能な優等生の資源でもあるのです。

一方で金属が使い捨てられ、他方では資源の供給国では鉱石を採り、選鉱するために多くの公害や鉱毒事件が後を絶ちません。捨てない知恵は、資源を温存するだけではなく、環境の保全上にも絶対に必要であるゆえんです。

今度の「携帯電話の番号ポータビリティ騒動」でも、多量の金や貴重原料が電話機ゴミ(=電話機鉱山)として廃棄処分されることになるでしょう。ああ勿体無い。

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2006年11月 7日 (火)

131 自然へのにじり寄り6

エネルギー利用を考えて見ます。現在液体燃料といえばほぼ100%が石油です。ガソリンにしても軽油にしても灯油や重油にしても全て石油から作られます。しかしこれは、過去に生物が太陽エネルギーを固定した「化石としての原油」から得られる燃料であり、掘りつくせば無くなってしまうものでもあります。

自然から得られる燃料はないのでしょうか。勿論石油のなかった時代、先人はあらゆる手を尽くして自然から燃料を調達してきました。固体燃料としての薪や炭はさておき、液体燃料だけでも、植物油(菜種油、綿実油、オリーブ油などなど)、魚油、鯨油、獣脂などなどが挙げられます。最近また増えてきましたが糖や澱粉からのエタノール製造もあります。自然から得られた燃料は、CO2となってもやがて自然に吸収されて再度燃料として甦ることになります。従って、エネルギー面での自然へのにじり寄りとは、即ち自然が与えてくれる範囲内で、自然エネルギーへの転換を進めることに他なりません。現在俎上されている液体燃料としては、バイオディーゼル油(植物油を触媒とメチルアルコールで処理したものなど)、バイオアルコール(植物から作られたエタノール)、DME(木材などから作られる液体燃料)などがありますが、コストや現在の(石油向けの)インフラを考慮すれば石油系燃料とのブレンドが現実的な選択肢ではあります。

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130 自然へのにじり寄り5

工業材料としての金属はどうでしょう。金属は、実はリサイクルの王様です。しかし、他の金属と混ぜてしまった場合、その特性は大幅に劣化してしまいます。例えば、めっきした金属や元々合金してある金属を集めて溶解しても、元の純粋な金属を取り出すことは困難です。不可能ではないのですが、とてもコストが見合いません。従ってリサイクル金属は質の悪い金属として、それなりの用途にしか使えないものになってしまいます。この「リサイクル劣化」がリサイクル社会の一つの壁ともなっています。

金属は、最強の材料と思い勝ちですが、単位面積当たりでは実は多くの繊維の方が圧倒的に強いのです。一方、非強度(強くて撓みにくさ)で言えば、金属より木材の方が有利なのです。さらに木材に、圧力と温度をかけて密度を上げる処理を施せば、アルミよりも強度の高い材料を作ることも可能です。問題は、ここでもコストですが、現在のところは圧倒的に金属が安いのです。それは金属を精錬する為のエネルギーコストが安いという単純な理由からです。しかし一方では、金属の採鉱や精錬の過程でひどい鉱害・公害が引き起こされている事を忘れてはならないでしょう。国内では一見鉱山にまつわる公害(鉱毒)事件は収まったかに見えますが、実はその鉱毒問題は海外で今まさに現在の問題となっています。何のことはなく、日本は金属原料を海外輸入する事を通じて公害を輸出しているのだとも言えるのです。金属工業における自然へのにじり寄りとは、金属に変り得る再生可能な自然素材への代替を進めることだと言えるでしょう。

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2006年11月 6日 (月)

129 自然へのにじり寄り4

工業製品の例としてのプラスチックを考えて見ます。プラスチックの元祖は、木材由来の原料を加工した「ベークライト」でした。これが発明された頃は多分石油は高価な原料だったはずです。しかし、石油が潤沢に出回るようになると、石油(ナフサ)から得られる安価で多様なプラスチック製品が市場に溢れるようになりました。真っ黒いだけのベークライトは嫌われ、カラフルな着色が可能な塩ビやABSやPPやPETなどが、あらゆる製品に使われるようになったのです。今では身の周りでプラスチックが使われていない製品を探すほうが難しいくらいです。

しかし考えてみれば、国内の山には使われない多量の木材が寝ており、安いと言う理由だけで多量に輸入される海外の木材も十分有効利用されることなく、製材過程から出る端材や廃材が無為に焼却処理されています。木材は、軽く断熱性や絶縁性にも優れる理想的な材料でもあります。特に人間が直接触れる部分に使われる場合、ほとんど理想的な部品になるはずなのです。ドアや製品の取っ手、便器の座面、電化製品の筐体、建具や家具などなど木材の適所は多いのです。問題は、射出成型で大量生産できるプラスチックに対し、個々に削る必要がある木材はコスト的には不利である点だけだと言えます。そうであるならば、足りないのは安く作るための知恵と工夫だけだとも言えるでしょう。我々は、これまで何のために自動化や大量生産技術を磨いてきたのでしょうか。金属やプラスチックの代わりに、原料として国内でも持続的に供給可能で加工もし易い木材を選び、これまでの大量生産技術を使えば、殆ど何の苦労も無しにコストが下げられるはずです。これが、工業における自然へのにじり寄りの例です。投稿者の知人は、薄い木材を張り合わせたものをアタッシュケースの素材として選び、かなり成功しているようです。まだ値段はかなり高い様ですが、軽くて手触りも抜群に良いと感じました。

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2006年11月 5日 (日)

128 自然へのにじり寄り3

我々が日々口にする食べ物を考えてみます。加工された食物には、多くの食品添加物が使われて居ます。その目的とするところは、色鮮やかにする、日持ちを良くする、口触りを良くするため適当な粘りを加えるなどなどです。ひどい場合には、カニカマボコや偽イクラの様に、自然の食物に似せる為にだけに多くの添加物が加えられ、不要な加工が施されているものもあります。一方では、温室栽培に見られる様に多くの食品は「エネルギーの塊」でもあります。美味しくもなんともない季節外れの野菜を口にするため、二酸化炭素を吸収するはずの植物を育てるのに、逆に多量の二酸化炭素を発生させるという矛盾を平気で行っているのが我々の社会でもあります。

自然食品ブームですが、本来食品は自然なもののはずです。それを敢えて「自然食品」として作り、市場に出さなければならないほど、全ての食品の加工度は高くなって居るということでもあります。多少形がいびつでも、無農薬の路地もの野菜が店に並び、加工されていない魚介類や放し飼いされた鶏の卵がごく普通に手に入る社会が、より自然ににじり寄った社会であると言えるでしょう。食べ物を作る本来の目的は、より多く儲けることではなく、より健康に暮らせることであるはずですから。

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127 自然へのにじり寄り2

投稿者にとって「自然へのにじり寄り」は、今後の人生の重要なテーマでもありますので、以下例をいくつか挙げていくことにします。

まず農業を考えて見ます。農業は、有史以降自然ににじり寄って進められてきました。しかしながら、化学肥料や農薬が作られ、大型の農業機械が用いられる様になって、農業は自然には厳しく当たる「産業」へと脱皮してしまいました。結果、自然の営みとは遠く離れた存在にもなってしまったのです。最早、産業としての農業は農薬と肥料の連続的な投入無しには成り立たないのです。

その反省に立つのが有機・無農薬栽培です。しかしはっきり指摘しておきますが「減農薬」栽培は「まやかし」に過ぎません。例えば、虫や病気に弱いキャベツでは通常の半分、19回以下の農薬散布は「減農薬」と表示してよい事になっています。これはつまり、通常ならば40回以上の農薬散布が行われている事を物語ってもいるのです。有機・無農薬栽培では虫や病気が発生し易くなりますが、植物が本来持っている抵抗力を引き出せば、収穫はそれなりに可能なのです。投稿者の友人の有機・無農薬栽培の例では、確かに成長はかなり遅くなりますが、長野でしかも10月になっても路地でトマトがたわわに実っていました。勿論そのトマトは格別に濃い味がしました。自然の仕組みを知り、それに忠実になる事が農業に限らず、自然へのにじり寄りの基本になるでしょう。別の言葉で言えば、植物に作物を作らせるのでなく、植物に何が欲しいかを問い、それに応える栽培が「自然へのにじり寄り農業」にあたります。

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2006年11月 4日 (土)

126 自然へのにじり寄り

「自然」とは、もし勝手の放っておけば自らそのようになる姿のことです。人間ももし自然の一要素であるならば、現在までに人間がやりたい放題をした結果として、現在の地球の姿があるのもやはり「自然の為せる技」だとも言えるかも知れません。しかし、そうではないというのが投稿者の考え方です。やりたい放題の結果が何をもたらしてきたかは、歴史を見れば明らかです。自然の復元力は、一定以上の環境負荷には耐え切れず、結果としては逆戻りのできない荒廃をもたらします。現在砂漠となっている場所のかなりの部分は、実は人間活動の結果として砂漠化されたのです。特に半乾燥地域での森林の伐採や家畜の過放牧は、破局的な砂漠化を結果します。アメリカ中西部、中国内陸部、中東、中央アジアやアフリカの一部で、過去大規模な森林伐採や過放牧が行われた結果として、現在は砂漠地域が広がっています。

今後必要な事は、自然への対決ではなく、自然へのにじり寄りだと思うのです。にじり寄りとは、全ての活動において、自然のメカニズムを尊重し、現在の人間活動をそれに一歩でも近づける努力をするということでもあります。その結果、これまで粗末に扱ってきた自然に許しを請い、再度その恵みに預かるという姿勢になるでしょう。このブログも段々結論に近づいてきましたが、そのための行動指針に関しては、まだまだ具体例を示し足りないような気がしていますので、今後更に書き継いで行くことにします。

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2006年11月 3日 (金)

125 代替機能(あるいは目的と手段)

目的と手段の取り違えに関しては以前にも書きました。ここでは、ニーズとそれを充足する機能を「目的」と考え、それを実現するための枠組み(サービスや製品など)を「手段」と捉えて話を進めます。手段としては、多くの企業がサービスや製品を提供していますが、今後考えなければならない事は、現在行われているサービスや製品の提供が、環境側面に照らして適正かどうかの反省です。具体的には、暑さをしのぐのにエアコンが、短い距離を移動するのに車が、ゴミを処理するのにビニール袋に詰めゴミ収集車で集める事が、栄養を取るのに年中決まった種類の野菜がスーパーに並ぶ必要があるかとの反省のことです。トヨタなどの車産業も、車を大量に作って売り切る「車屋」から、「環境負荷の小さな移動手段を提供する企業」への脱皮が是非必要です。

エアコンの替りには団扇や扇風機や打ち水で、車の替わりに自転車や歩きやそれに替わるもので、ゴミ収集車の替わりにゴミを買わない努力とコンポストで、季節外れの野菜の替わりに季節ごとの地元の野菜や瓶詰め野菜や漬物で、かなりの程度代用できるはずです。つまりは、サービスや製品の機能を改めて考え直せば、それに代わる機能(代替機能)が見えてくるはずなのです。環境負荷の小さい代替機能を考えてそれを実現する事こそが「環境ビジネス」の本分となります。しかし環境負荷を下げる事は、決して物・カネが細って不景気になる事ではなく、逆に多くの環境ビジネスの起業が必要な、活気のある時代を求めるでしょう。

ちなみに岐阜には「水うちわ」というアイデア賞ものの伝統的な省エネうちわがあります。ぜひWebで検索してみましょう。

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124.5 地産地消の原動力

123.5でゴールは地産地消であると書きましたが、そこに近づくのは実は至難の技です。何故なら、安い大量生産品と「コスト」で戦わなければならないからです。手作りや家内工業に限りなく近づく地産地消システムの生産者は、コスト面で勝利することは殆ど絶望的です。

とは言いながら、地産地消を推し進めるにはいくつかの手がかりがあり追い風も利用可能です。地産地消といいながら、江戸時代に溯ったとしても地域が完全に自給自足していたわけではありません。必要最小限の産物は、やはり交易によって交換されていました。米はその意味では通貨の役目も果たしていたわけです。手がかりのポイントは、「地域の特性」でしょうか。山では山の、海では海の特徴的な産物が得られますので、それを最大限に利用するしかないわけです。例えば木材は構造材でもあるし優れた工業原料でもあります。海岸に流れ着く海草にだって新しい使い道がありそうです。勿論、寒天のように真冬の氷点下の気温が必須の産物もありますから、地域の気候・風土も重要な「資源」になります。かつて瀬戸内が天然塩の産地であった必然性もまた気候にあります。

また追い風としては、温暖化防止に代表される「省エネ・省資源圧力」が利用できます。とにかく環境的には全くのムダである輸送が殆ど発生せず、手作業の比率が高い地産地消システムは、とにかく省エネです。原料も遠くから運ぶ必要がないし、発生する廃棄物も上手くシステムを設計すれば自然に還すことも可能です。地産地消を考える場合、何も難しいことを考える必要はありません。図書館に出向いて、地元の「風土記」を何冊か紐解くだけで、実に数多くのヒントを発見できるはずです。

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2006年11月 2日 (木)

124 ナノは危ない

大学や研究所では、最近は「ナノ」や「バイオ」という冠がつかない研究には予算がつきません。「環境」はまあまあといったところでしょうか。ところで、投稿者は「ナノ」に疑いを抱いています。例えば、人間の肺への異物侵入を防ぐために、気管には繊毛などの防御組織が備わっていますが、これも5ミクロン以下の粒子には効果がありません。つまりこれ以下の小さな粒子は直接肺胞まで到達してしまいます。まして、ナノサイズの粒子に於いておやです。肺胞に達した物質は、場合によっては石綿などのように病変の原因を作る場合も多いのです。生体には、異物が進入してきた場合には、それらを細胞で包んでしまい、直接の影響が及ばないようにする仕組みがあります。ナノ粒子の殆どが無機や金属粒子でしょうから生体内では安定に存在し、影響も長く続くことが懸念されます。

その意味でナノ物質は、原子力や多くの健康被害を生み出してきた化学物質同様、科学技術の暴走につながりやすい要素を含んでいます。ナノ物質を環境に拡散させる前に、まずは実験倫理の確立や動物実験を含む安全性の検証などの議論が最優先でしょう。研究者には過去の科学の失敗例(原爆製造や生物兵器の使用など)に学ぶ謙虚さが是非必要です。被害が出てからでは遅いのです。

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123.5 環境かコストか

突然重要なポイントが浮かんだので、忘れないうちに書き留めておきます。頭に浮かんだのは2本の曲線です。そのうちの1本はコストの曲線です。我々は、同じ機能の製品であれば1円でも安く作るための仕掛け、自動機械やJIT生産やロボットなど、を駆使して大量生産技術を磨いてきました。それに行き詰ると、今度は人件費の安い東南アジアや中国で生産したものを輸入することを選択しました。大量生産を進めれば、その規模が大きくなるほどコストは低下します。勿論限界はあるにしても、今後とも終わりのないこの努力は続けられることでしょう。縦軸にコスト、横軸に生産量をとれば、右肩下がりの曲線になるでしょう。

もう一本は環境負荷の曲線です。上で描いたもの造りの曲線に環境負荷を重ねて描けば、自動化や集中生産・長距離配送などを伴う生産方式は、資源・エネルギーの密度を上げるものであり、結果単位製品あたりの環境負荷は大きくなりがちです。極端な場合を想像すれば、品質は別にして消費者自身が自分の必要なものを生産すれば、資源・エネルギーの負荷は最小で済むはずです。勿論完全な手作りになりますから、そもそも個人には作れないものもありますし、時間も掛かるので製品あたりのコストは極端に高くなります。ただコストとはお金に換算して代価を払う仕組みなので、自分の労働力は「お金的」にはゼロと考えても良いわけです。生産量を横軸に環境負荷を縦軸とすればこの曲線は右肩上がりになります。

つまりこの2つの曲線には、交差するポイントが存在するはずで、このポイントこそが、環境とコストがどうにか折り合い、今後社会が目指すべきターゲットとなるはずです。暗算でそのポイントを予想するなら、多分各地域で地域の需要分を生産する方式となりそうです。これを地産地消と呼びますが、勿論製品によっては「最適な地域の大きさ」はかなり異りそうです。

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2006年11月 1日 (水)

123 3A問題

環境問題の多面性の例です。3A問題とは、今後社会的に問題になりそうなのは、Acid Rain(酸性雨)、Aluminum(アルミ)、Alzheimer’s Disease(アルツハイマー病)であるという主張です。その考え方によると、まず化石エネルギーの多量の使用により大気中のNOx、SOxなどが増えて酸性雨がひどくなります。その結果土壌中のアルミニウムが雨水に溶出し、水道水や湖水、地下水、海水中のイオン濃度が上昇します。その帰結として水や食物を通して人間の体内に取り込まれるアルミイオン濃度が上昇し、その結果後天性アルツハイマー病が蔓延するという仮説です。実際、アルミイオンは、脳の番人でもある脳血液関門をかなり自由に通過することは確認されていますし、一方でアルツハイマー病患者の脳では、病変部でアルミニウム濃度が高まっていることもかなり以前から指摘されています。ある時期以降非常に身近となったアルミ鍋やアルミホイルやアルミ缶飲料、アルミフィルムによる包装などを考えても、確かに我々とアルミニウムとの接触機会は格段に増えています。アルミ・アルツハイマー原因説は、実は1990年代に盛んに議論された話題ですが、その後無関係だという説も現れて、現在はやや沈静化しているようです。しかし完全な白ではなく「限りなくグレーである」事は否定できません。事実としてアルミ自体は、高い濃度では間違いなく「神経毒」なのです。

因果は巡ると言いますが、便利さの陰で環境ホルモンと同様「アルミ毒」も、長い時間を掛けて人類や生き物を責めさいなむ環境悪化要素となるかも知れません。

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