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2006年12月11日 (月)

174 環境の値段

環境か経済かの議論は、過去も繰り返されてきましたし、今後もとめどなく繰り返されるはずです。それは環境に、経済的な意味での「値段がついていない」という単純な理由によります。例えば、日本の森林が持つ価値を試算した例がありますが、それは単純な仮定に基づいて計算した電卓の示す数値であり、「経済学者が認めた値」ではないのです。ましてや、一般市民がその価値を守るために支出しようという金額とは何の関係もない値であるといえるでしょう。一方で、環境に価値を見出す側の一般市民についてみても、個々人の価値観のよって、環境価値への値踏みも全くバラバラでもあります。

環境人間と経済学者と一般市民の終わりの無い、しかも噛み合わない綱引きは、その例に事欠きません。全くの未開の地を発見した先人が、その地を自分のものだと宣言し、そこを開拓しその土地やそこから取れる産物を売り買いすることによって経済が成り立っている訳ですが、筋金入りの環境人間はその土地所有宣言そのものが間違っていると主張します。何故なら、その土地には元々住んでいた動物や植物の種が存在し、それらも人間同様そこに生存し続ける権利がある筈だ、と主張するからです。そこまで極端な議論ではなくても、やはり人間の権利は、環境の前では「かなりの程度制限されるべき」であるというのが投稿者の立場です。何故なら、環境には値段が付けられず、本来お金では買えない「脆くかけがえの無いもの」だからです。

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