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2006年12月13日 (水)

178 無くても良いもの

農産物の話のついでに「奢侈(しゃし)」について書いてみます。奢侈とは必要以上の贅沢の事で、つまりは無くても良いものとも言えます。我々の生活を省みてみると、現代社会は奢侈に完全に取り囲まれているとさえ言える状況です。身の回りにある製品をいくつか取り上げて、それが1週間使えない状況を想像してみてください。多分、食生活に関わるもの意外は、無くてもどうにか済ますことが出来るはずです。テレビ、パソコン、携帯電話、掃除機、車、エアコン、洗濯機などなど。これが使えない場合でも、昔使ったやや不便な方法で代替できるはずです。即ち、ラジオ、手紙や紙と鉛筆、固定電話、ホウキ、自転車+電車、コタツ、タライとブラシなどです。

つまり、省エネや省資源といった、環境負荷を下げる活動を進めるためには、身の回りの奢侈に目を向ければ良いわけです。まずは1ヶ月間無くても済むもの、次は1週間無くても済むものと徐々にレベルを上げていけば、身の回りのかなりのものが姿を消すことになります。年配の方は、自分の子供時代のガランとしていた家の中を思い出してみれば納得できるでしょう。その時代を知らない若い人は、カバン一つで引越しをした状況を想像してみてください。そして、絶対買い込まなければならないものをリストアップしてみてください。その日にすぐ必要なもの、次の日でも良いもの、次の休日までに買えばよいもの、使う時になって考えれば良いもの、無くてもレンタルで借りれば済むもの。勿論、お金を切り詰めながらの生活を想像してもらう必要があります。或いは、無人島に流れ着いた時、絶対必要な10アイテムを挙げて貰っても良いでしょう。リストアップしてみれば気づくのですが、大切なものの順番はそれらが発明され、あるいは使われ始めた歴史の順番に並ぶはずです。つまりは新しいものほど限りなく奢侈になるということになります。

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