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2006年12月14日 (木)

179 作られたものと生まれたもの

最近読んだK.ケリーの本の中に出てくる「作られたもの」と「生まれたもの」という言葉が心に引っかかりました。これはとりもなおさず、「人工物」と「自然物」を指します。我々が、冷たい金属や滑らか過ぎるプラスチックなどの人工物に触る時の「違和感」に比べ、暖かい木や天然繊維(綿や羊毛や絹など)や動物などに触る時の「癒し感」の差は、このことから来ているのだと改めて感じさせられます。その一方で、作られたものと生まれたものは、今や境界線がぼやけてきても居ます。つまり、天然自然というまだ人間の踏み込んでいない土地は、既に地球上では非常限られたエリアにしか存在せず、また多くの「生まれたもの」も人工的な操作(例えば品種改良や遺伝子操作など)で人間の都合の良い形態に歪められています。食べ物の多くは、既に作られたものにもなっています。野菜も果物も養殖されている魚も食肉も例外ではありません。という事は、少し頭がおかしくなりそうですが、それを毎日口に入れている我々人間も、実は人間によって作られた存在だとも言えます。

既に行われてしまったこれらの人為的操作を打ち消すことは難しいのですが、もし我々が今後持続可能な社会をめざすのであれば、資源やエネルギーの多くを「生まれたもの」に頼る方向で見直していかなければならないと考えられます。勿論、それを「生む」エネルギーの源は、太陽光である事は言うまでもありません。「生まれたもの」をベースに考えるのが、本来の環境ビジネスの大原則でもあります。

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