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2007年4月30日 (月)

309 樹木の戦略

同じような事を、言葉を変えながら繰り返し書いています。樹木の形を見るたびに何時も自然の仕組みの巧妙さに心を打たれます。樹木は、葉に太陽光を最大限に受け止めるためだけに進化を続けてきました。樹木の形は殆どの場合、それが自生している場所の緯度によって定まります。例えば、高緯度地方の樹木はその殆どが尖った円錐形をしています。この地方では太陽光はかなり低い角度から照らしますので、この形が最も優れた形なのです。一方、熱帯地方に自生している樹木はH立のCMに出てくるような木が多く、樹冠が広くなっていて半球形をしています。真上から日光が注ぐ環境ではこの形が理想の形という事になります。葉の形は、もっぱら気温や降水量(葉からの蒸発量)に依存して決まります。冬季は気温が極端に下がるため、広葉樹は極北地方には殆ど見られず、一方で針葉樹が温帯や熱帯地方では姿を消します。

これらは自然条件への適応の結果生じた進化ですが、しかしながら人間は、ある時以降自然条件を人間に都合の良い方向に変える事を知ってしまいました。結果文明は、森を伐採し、または焼き払って農地を開き、地下から色々な資源を掘り出して人工の環境を作り上げる事に何千年も努力を続けてきたわけです。

つまり樹木が何億年もかけて行ってきた自然への適応戦略と、人間がこの数千年かけて自然を破壊しつつ人工環境を築いてきた戦略とは、自然を間に挟んで180度方向が異なるものであると言えるでしょう。どちらが持続可能であるかは言うまでもありません。今始めるべきは、ソロリソロリでも良いので後ずさりを始める事でしょう。そうやって、少しずつでも「樹木の戦略」に学ぶことを始める時期だと感じています。

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2007年4月29日 (日)

308 前処理

前処理の重要性を考えて見ます。ゴミをゴチャゴチャに混ぜたまま捨てると、それは処理が難しい厄介なゴミになります。一方、捨てる前にゴミを分別してやれば、その多くは資源として再利用が可能となります。この場合、捨てる前に分けるという行為が前処理に当たります。石油燃料でも実は前処理が行われています。少し前の石油燃料には、微量ながら硫黄分が含まれていました。硫黄は燃焼して硫黄酸化物(SOx)になり、深刻な大気汚染の原因ともなります。そのため、現在はその硫黄分を事実上無視できる程度にまで取り除いています。その結果、車の排気管から出る硫黄酸化物のため劣化してしまう触媒装置の寿命延長など、副次的な効果もあり、出してから行う対策ではない前処理がここでも効奏しています。

同様の事は、あらゆる環境問題にも当てはまるはずです。前処理を「事前の対策」と言い換えても良いでしょう。温暖化の前処理は難しい話ですが、頑張れば可能です。CO2の排出に敏感になってその量を減らし、可能な限りのスペースに木を植え、結果として林地から流れ下る川を栄養豊かにし、更には川が流れ込む海にもプランクトンを増やします。植林された樹木や川や海の植物プランクトンやサンゴは、やがて大気中のCO2をせっせと固定してくれるはずです。

工場でも前処理は重要です。例えば、金属表面に施す処理として代表的なメッキでも、前処理には化学的な前処理(酸洗)が主流ですが、この処理には必ず廃液が発生します。一方、ドライプロセスと呼ばれる処理では、サンドブラストなどの機械的前処理と物理的な皮膜形成により、一切廃液が出ない方法もあるのです。いずれにしても、ゴミや害を出してからそれを後処理するのが最も非効率です。

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2007年4月28日 (土)

307 1回/数億年

地球の歴史を振り返ってみれば、大体1億年に一回の割合で、大きな環境の変化を受けているようです。大規模な地殻の変動(例えば火山活動)や小惑星の衝突が引き金になっていたかも知れません。結果として、火山ガスの噴出で温暖化が進んだり、或いは惑星衝突の結果生じた塵埃で急速な寒冷化が進んだりして、結果として大量の生物種の絶滅が引き起こされたはずです。また生き残った生物が再び勢いを取り戻し、多様性が復活し始めるまでには数万年或いは数百万年規模の長い年月が必要だったでしょう。しかし、何度かの小惑星の悲劇的な衝突を除けば、過去の地球の温暖化や寒冷化は実は、数千年~数万年の長い年月をかけて進行していたと考えられます。

一方、現在進行中の「人類が引き起こしている温暖化」は、たった数百年程度のスパンで影響が現れている「劇的に急性の現象」だと言えます。地球の歴史の中で見れば、これは小惑星の衝突にも匹敵する、数億年に1回程度の超異常事態でもあるわけです。この危機感故に、投稿者がノンビリと技術屋を続けている事が出来なかったのだとも言えます。勿論たった一人の環境オジサンに出来る事は限られています。精々できる事はといえば、毎日「環境ブログ」を書き、時々企業や学校に出かけていって「環境話」をする事くらいです。とは言いながら、何もしないよりは、ささやかでも活動を続けた方が、環境的な破局を迎える日を多分1日くらいは引き延ばせるかも知れません。その1日は、勿論今の世代のためではなく、まだ見ぬ将来世代のための1日なのです。

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2007年4月27日 (金)

306 地産地消のツール

当然の事ながら、ひとり事業所にだけ省エネ・省資源の責を押し付ける訳にはいきません。ある地域に於ける全体的な環境負荷を下げるには、地産地消が原則でかつ最も有効であると何度も繰り返しています。ここでは、地産地消を推進するために有効なツールを考えて見ます。ツールその1は、地域における価値交換場所(例えば朝市など)の活性化と物々交換の増加でしょうか。朝市は、地域で取れたものを地域で消費するためには非常に優れた仕組みです。都市近郊の農家が、早朝に収穫した作物を市場に持ち込んで地域の消費者に売る仕組みは、昔はごく普通の風景でしたし、少しまめな農家は、リヤカーに作物を積んで街中や住宅地を回っていました。また朝市では物々交換も行われていました。例えば、農家の人は、自分の持ってきた作物と隣の乾物商が持ち込んだ干物を交換します。農家の作物や乾物商の干物は、価値を交換するための「通貨」でもあった訳です。市場では、それぞれの商品の持つ価値は、希少価値がある場合は高く、供給過剰なものは安く取引されるのが通例です。

もう一つのツールは地域通貨です。これは、その町や地域でしか通用しない通貨(クーポン券)のことです。地域で発行された地域通貨は、地元で使うしか使いみちが無いわけですから、自動的に地域限定の商行為が増加します。例えば、食糧を購入したい消費者が地域通貨を持っていたとすると、これは地元の商店に持ち込むしか使いみちが無いわけで、この仕組みを持ち込めば自動的にその地域の商取引は活性化します。

地域通貨はものの購入以外にも、労働の代価として使う方法もあります。地域の構成員に対する労働奉仕に対しも、地域通貨で評価し決済すれば、結果として地域通貨の総量が増えて、地域内の経済活動も活発化します。愛知万博後の利益の使いみちとして、目的を環境保全に絞った「エコマネー」という仕組みができましたが、これも地域通貨の一種と言えます。

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2007年4月26日 (木)

305 エコマニファクリング

現在「エコマシニング研究会」などというものに参加しています。これは、特に切削加工における環境負荷を下げることを考える真面目な会ですが、何か物足りないものを感じています。それは、扱っている範囲が非常に小さい事がその原因のようです。確かに、主として金属の切削加工を行う工作機械と呼ばれるものが、日本国内には数年前の統計でも70万台程度はあるようですので、これらを動かしている企業がそれぞれに省エネルギーや切削油剤の減少に取り組めば、環境負荷はかなり低減できるでしょう。しかしながら、モノの製造(加工)に関わる機械としてみれば、工作機械による環境負荷は無視できるかも知れません。

例えば、鉄鋼生産のための高炉や石油精製の反応塔、発電所や多くの化学工業での複雑なプラント、セメント製造や建設に関わる大きなエネルギー、更には原料や製品を運ぶ物流システムなどなど。資源とエネルギーをより多く消費する産業がまだまだ存在します。実質的な省エネ・省資源を狙うなら、先ずは規模の大きいところから手を付けるべきでしょう。その意味で、私たちはより広く構えて「エコマニファクチャリング」を進めていかなければならないはずです。投稿者がサラリーマンを卒業して取り組んでいるのも、まさにこの視点での活動に関わりたいと思ったからです。

先ず必要なことは、現在のシステムにおける単位提供機能(或いは単位製品の提供)当たりに必要な、資源・エネルギーの算定作業です。確かに一定規模以上の事業所には、法律で「温暖化効果ガスの算定」が義務付けられましたが、それでは十分ではありません。全ての資源と廃棄物の算定が必要です。その数字を、その事業者が提供している単位機能で割り算してやる必要があります。その答えの数字を、年々小さくしていく努力が、全ての事業所に求められる時代に至ったといえます。

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2007年4月25日 (水)

304 自然へのまなざし

環境保全を考えるについては、人間が自然に入ることの是非が問題になります。確かに多くの人が自然に分け入ることは、自然への過度の干渉に陥る危険性があります。しかしながら投稿者としては、それでも自然には、出来るだけ迷惑を掛けない程度に、近づく必要性を感じます。そうした行為によって、自然に対する優しい心が芽生えることを期待するからです。勿論自然に深く、荒々しく分け入る必要性は全くありません。先ずは、川の土手、田んぼの畦、昔の里山の入り口の当たりをウロウロするだけで十分です。そこでは、草や木などの植物同士のせめぎあいや、昆虫や動物と植物の戦い或いは共生関係を十分観察する事ができます。木は何故重力に逆らってまで幹を硬くしてこんなにも高く成長するのか、一方で草は何故木の様に硬くにならず草のままなのか。昆虫は、何故こんなにも多様なのか。それら生命の活動が、何故太陽光の恵みだけで維持可能なのかなどなど、小さな自然を観察しているだけでも素朴な疑問は次々に湧いてきます。

必要な事は、完璧な科学的知識ではありません。植物や動物を間近において、詳細に観察することにより上のような疑問を持ち、その答えを「植物や動物自身の気持ちになって想像する」事だけです。その時初めて、自然と人間とが同じ高さの目線で向き合えたと言えるのでしょう。木や草も、切られれば血(樹液)が出てやっぱり痛いだろう、と想像するわけです。また木が高く生長し枝葉を伸ばすのは、何より少しでも多くの太陽光を集めたいからだろう、と想像するわけです。これをここでは「自然へのまなざし」と呼んでおく事にします。

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2007年4月24日 (火)

303 緩衝地帯

里山の重要性に関しては何度か取り上げました。やや繰り返しにはなりますが、里山はまさしく自然と人間との緩衝地帯と呼べるゾーンに当たります。人間と自然は、長い(地球の歴史から見れば一瞬?)人類の歴史のなかでせめぎあいを繰り返してきました。里山は、自然との折り合いを上手くつけてきた日本民族の知恵の結晶のようなものと言えます。緩衝地帯が無い場合、人工と自然のコンタクトは非常にハードなものになります。熊や猪や猿などの野生動物が、手入れの行き届かない里山の藪から突然人家に闖入する現象などは、まさに「ハードコンタクト事件」以外の何者でもありません。

理想は、自然と人工がある程度の距離を隔てて、グラデーションを作りながら融けあっている状態です。問題は、この緩衝地帯の維持には結構労力が必要だと言う事です。里山は、雑木を主体に構成されていますが、これらの木は適当に間伐し、萌芽再生(切った根元から芽が出て木が再生する)や実生再生(種が落ちて芽を出し再生する)を促進させる必要がありますし、中間の草地は夏の間は何度も下草刈りを行う必要があります。手入れの出来ない緩衝地帯は、最早緩衝地帯の役目は果たさなくなるので、手間と暇をかけて維持する重荷を誰かが担う必要が生じます。しかし、現在の経済(お金)優先の世の中で、このような緩衝地帯の手入れが、経済的に実行できる可能性は極めて低いといえるでしょう。現状は、幾つかのボランタリーなNPO活動などが、小さな規模でそれを行っているに過ぎません。結局、いま知恵を絞るべきは、「お金が回らない仕組み=ボランティア活動」を如何に活性化し、継続させる事が出来るか、だともいえます。

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2007年4月23日 (月)

302 機能の消費

モノの消費は、資源の確保、製造・流通に関わるエネルギー消費、廃棄物の発生を考えれば、いかに上手く枠組みを作ったとしても持続可能性という面から見れば、どうしても制限を受けざるを得ないことになります。しかも、必要不可欠なモノと必要以上の贅沢との境界線を引く事は、かなり難しいと言わざるを得ません。例えば、投稿者の育った町では、1960年代の話ですが自家用車は医者か会社の社長でもなければ乗れない贅沢品でした。現代の日本の社会で車を贅沢品などと考える人は皆無でしょうが、しかし広く世界を見渡し1日数ドル以下で暮らしている人々からみればやはりこれは贅沢品以外の何者でもないでしょう。

一方、機能の消費を指向していけば、資源やエネルギーは大幅に節約できる可能性が広がります。例えば車を所有するのではなく、移動すると言う機能を提供する枠組みを作るのです。車は、配送用のトラックでもない限り1日中走り回ることはありません。通勤する、買い物に行く、病院に行くなど1回当たりで言えば実質ホンの小1時間程度でしょう。そうであるならば、共有の車をプールしておいて必要の都度利用する「カーシェアリング」などという仕組みも考えられます。多分この場合、人口当たりの自動車保有台数は、現状の数分の1程度で済むでしょう。必要な事は、精々面倒な手続き無しで必要な時に車を利用できる仕組みと、車を丁寧に扱うマナー程度でしょう。但し、注意が必要な事は「車を好きな時、好きなだけ利用する」のではなく、「車以外の手段では簡単には移動できないと言う状況の時、必要に応じて利用する」と言う制限を受け入れる必要があります。もしそうでなければ、カーシェアリングを実現したとしても今とあまり変わらない台数の車が必要となる、と言う変な現象が起きかねません。

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2007年4月22日 (日)

301 回帰と融合

少し前に帰農の必然性について書きましたが、これは一例に過ぎません。これ以外にも私たちは多くの回帰(昔に戻ること)を求められていると思うのです。具体的に回帰とは、例えば工業原料の自然素材への回帰、車によってパーソナル化が極まった交通手段のパブリック型への回帰、エネルギー源のバイオマスや天日(太陽光)への回帰、モノからココロへの回帰などです。日本や先進国においては、確かにモノが豊かで快適な生活は実現しましたが、それは持続可能ではなかった事が、目に見える形での環境悪化や資源の枯渇及び廃棄物の蓄積などによって証明されてきたわけです。

一方で、人工環境と自然との融合も求められます。自然との融合という言葉のイメージがボンヤリしていると言うのなら、より自然に依存した生活を送る、とも言い直せます。つまりは、食糧やエネルギーや資材を、環境が持続可能に供給可能な範囲内で、より多くを自然に依存するということです。人工環境は、どう考えてもその殆どを地下資源に依存していることは確かです。例えばセメント、例えばアルミや鉄鋼に代表される金属、例えば原料や燃料としての石油や石炭などです。地下資源への依存度が高いほど、人工と自然の乖離の幅は大きいといえるでしょう。

とりあえずは、日本では資源・エネルギー的には高度成長期の初期レベルへの回帰、同時に帰農を含めた自然への融合を目指せば、環境負荷は自動的に低下します。日本では、1970年代前半の一人当たりのエネルギー消費量は、現在のちょうど半分で済んでいたのですから。従って、京都議定書での国際公約であるたった6%のCO2の削減達成が出来ない理由は、全く何処にも存在しないでしょう。

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2007年4月21日 (土)

300 資源半分、エネルギー半分

IPCCの第4次報告書で予測されている最良のシナリオで、地球の温暖化を2℃に抑えるためには、2050年までに1990年比でエネルギーの使用量を半分にする必要があり、欧州ではその枠組みを検討中です。2℃という温度上昇が適正な値かどうかは議論の分かれるところではありますが、目標値という点ではそれなりに分かり易くはあります。勿論エネルギー消費だけを抑えるわけには行かないでしょうから、資源の掘削・消費も同じ程度には押さえ込む必要があります。一方、発展途上国では資源やエネルギーの消費は上昇し続けるわけですから、平均値として半減するためには、先進国では削減率は多分60-70%程度にまで押さえ込むことが求められます。

一体全体、このような社会の実現が本当に可能なのでしょうか。原理的には、今の経済規模を半分に出来れば、確かに可能でしょう。しかし、そこまで経済規模を落とすには、年率3%程度の率で減らしていくことになります。とは言いながら年率数%の経済成長を続けていかなければ、日本の将来は無いと言い続けている政治家や経済学者には、想像も出来ない数字ではないでしょうか。日々の暮らししか興味が無い人たちにも、収入が半分になる生活は想像できないかもしれません。

その意味で、投稿者がいま行っている生活は一つの実験と言えるかも知れません。298で書いた収入以外実質的な固定収入が無くなった貧乏生活ですが、精神的な満足度は以前の何倍かにはなっているような気がしますし、この生活がこの先ずっと続くことも全く気になりません。話は全く簡単で、収入が無くなれば無くなったで、それに応じた生活を工夫すれば良いだけです。ここでの結論として、資源半分、エネルギー半分の生活は十分可能だ、と言っておきましょう。

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2007年4月20日 (金)

299 作って良いもの

技術的に作れるものと、環境的に作って良いものとの切り分けについては以前もすこし書きましたが、もう少し補足が必要だと思いました。確かにお金と資源とエネルギーさえ惜しみなくつぎ込めば、現代の科学技術では作れないものは多分「生命」くらいかもしれません。自然界に存在する基本的な物質は、DNAを構成する4つの塩基も含め殆ど合成可能でしょう。しかしDNAそのものは逆立ちしても合成はできません。何故なら、それは38億年という「進化の時間」にしか作れない代物だからです。

さて、生命は作れないにしても、これまで作ってきたものを含め、人類は日夜資源を掘り出し、精製し、合成し、加工を加えて工業製品を送り出し続けています。しかし、作れるものと作ってよいものは明確に分けて考える必要があります。それを混同した結果が、現在の環境問題の殆どを引き起こしているからです。環境問題は、以前も書いたようにゴミ問題です。気体、固体、液体の形となったゴミの処理が十分には出来ないことが問題なのです。なにしろ現代の工場は材料に加工を加え、製品と同時に産業廃棄物を出す場所ではあっても、発生させたゴミの処理は出来ない「欠陥を抱えた仕組み」の一つなのです。

作ってよいものとは、結局「工程中の廃棄物や製品の使用後の廃棄物を残さないもの」と言い直すことが出来るでしょう。例えば食べ物を作る工場でもある農場は、化学肥料や農薬使わない手法であれば、それ自体は持続可能な「緑の工場」と言えるでしょう。しかし消費後の廃棄物である「し尿」の処理を下水処理場に全面的に依存している限りはやはり「欠陥工場」に過ぎません。工場のあるべき姿として、次善のものは「可能な限り投入資源を抑制し、廃棄物も少ない製品」を作る工場でしょうか。今後技術者は、そのためにこそありったけの知恵を絞るべきでしょう。

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2007年4月19日 (木)

298 宮仕え

214で書いた副業が決まりました。仕える先は県(の外郭団体)ということになります。大学や研究所と企業間(あるいは企業同士)を結びつける、知財流通に関わるアドバイザーという立場です。これまで県では、中央の予算で2名のアドバイザーを置いていましたが、中央から地方機関への分権の流れの中で、この制度を県レベルまで下げる見直しがあり、アドバイザーも増加させて実を出して行こうとする動きのようです。しかしこの分野の予算は増えていないようなので、人が増えた分だけ勤務日を減らすという事になったようです。投稿者の場合は、週2日の勤務となり、残りの時間はこれまで通りのボランタリーな活動に充てる事ができます。

以前にも書いたように、これからの企業には、従来の意味の「堅実経営」のほか、「環境経営」、「知財創出」3本の柱と、その土台になる「人材育成」が求められる様になると考えているので、投稿者はこの全ての分野に関わり、自分なりの企業と人間のネットワークを広げて行こうと、ボンヤリですが目論んでいます。勿論、「環境おじさん」としてもっとも重きを置いているのは「環境経営」であることは言うまでもありません。

しかし、企業としては環境だけでメシは食えないことも確かです。企業が存続するためには、製品を作るとか何らかのサービスを提供し続けなければならない事は当然です。今後考えるべきは、最早モノをどう安くつくるか、どう安くサービスを提供するかではなく、「実態のあるニーズに基づいて」何を作り、何を提供するかでしょう。それが、より環境への負荷が低く、より持続可能性が高いものであれば、そんなに儲からなくても食ってはいけるはずです。投稿者としては、そんな考え方のビジネスが新たに生まれることに、陰ながら出せる限りの力を貸したいとは思っています。

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2007年4月18日 (水)

297 分けて考える

企業の省エネでも、日常生活での省エネでも、どうしても合計のエネルギー使用量や電気代に目が行ってしまいます。しかし、それでは合算した量しか見えませんので、その量の多さや請求書の金額を考えてしまい、出るのはため息だけになってしまいがちです。先ずやってみるべきは、系統別に分けて考えてみることです。

企業(工場)であれば、電力系統別、エネルギー種類別にデータを取ってみる必要があります。お金はそんなに必要ありません。先ずは、データの蓄積とパソコンへの取り込みが可能な電力計を導入するだけです。この電力計を、例えば1週間ごとに系統を替えて取り付け、データを採取します。10系統あった場合10週間必要ですので、年間5回のデータ採取が可能です。そのデータをパソコンでグラフにして眺めてみれば、きっと何かが見えてくるでしょう。ある系統で、何か省エネルギーの対策を施した場合、対策前後のデータを比較してみれば、定量的な評価も容易です。

最近は家庭用の電力計も市販されているので、この手法は家庭でも試してみることが出来ます。投稿者の家でこの電力計を使ってみた結果では、気温と暖房器具(主にコタツです)の電力量の相関関係が見事にチャートに示されて、なかなか面白い結果が取れました。例えば、ある晩家族全員で外食した日と通常の日を比べてみれば、夕食の準備に使われた電力(あるいはガスメータを読めばガスの使用量)が切り分け可能です。同様に、風呂焚きに関わるガスの使用量も知ることが出来るでしょう。とにかく、状況を知るためには全体を見るのではなく、いくつかに切り分けることが最善の方法といえます。

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2007年4月17日 (火)

296 企業の省エネ

いま比較的大口の熱・電気エネルギーを消費する事業所に省エネコンサルに入っていますが、省エネ意識の低さにやや閉口気味です。この事業所は、環境省・経産省の温暖化効果ガス排出量の報告義務がある第1種工場に指定されていますが、とりあえずは中長期の省エネ計画書と当面の報告書の作成に苦慮しているといった状況です。ISO14001も取得している立派な企業なのに、です。理由を考えてみると、規格の維持のための最小限の作業は何とかこなしていますが、PDCAのサイクルの回し方が良く分かっていない事が原因のようです。例えば、計画書は立派なのですが、実際の作業の担当者への落とし方が不明確です。特に、日常業務に組み込んだ形でのアクションが殆どといって良いほど明確になっていないのです。

先ず決めるべきことは、誰がどのタイミングで何をするのかの規定です。次に必要なことは、基準に照らしたチェックです。エネルギー消費であれば、先ずは何にどの程度のエネルギーを消費しているかの棚卸作業が必須です。更に継続的なモニターにより基準期間との比較作業をします。その際物差しとなるのは、その期間内に出荷した製品の数量を分母として、エネルギーの原単位を算出しておくことが重要です。そうでなければ、消費エネルギーが増えた(減った)のが操業の変化のせいなのか、省エネ活動の結果なのかがボヤけてくるからです。

この物差しさえはっきりしていれば、例えば不良率を下げるだけで、同じエネルギーの使用量であっても、工場の「環境効率」は向上するのです。つまり製品1個当りの消費エネルギー(資源)は、不良率が下がれば低下するわけです。なにもミリミリとした省エネ活動だけが、唯一の省エネの手法ではないということです。

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2007年4月16日 (月)

295 帰農の必然性

年金生活に入った人や、定年到達者が田舎で農業を始める例が増えています。その中には勿論、高齢の親を抱える農家の長男もいるでしょうが、全く農業経験が無い人たちもかなりの割合に上ると想像しています。しかし、農業経験が無いとは言いながら、その多くは田舎の出身者が多いはずです。少なくても親が田舎から出てきてサラリーマンになったケースを入れれば、殆どが田舎に縁故のある人たちが、再度田舎に向かうトレンドであるといえます。

このトレンドには、実は必然性があります。人口密度の高い日本が、あまり海外の資源に依存せずに暮すためには、山間の沢の上流まで耕して、そこから食糧や燃料を得ることが必要だったはずです。高度成長期に農家の跡取りを残して人口を吸い取り、それでも足りなくてその跡取りまで吸収してしまった工業化社会ですが、その反動としてのUターン現象が、数十年の(サラリーマン生活という)タイムラグを経て始まったというのが実情なのでしょう。環境悪化防止の観点から、石油や地下資源への依存度を減らして行く為には、どうしてもかなりの程度昔の暮らし(田舎の暮らし)に戻っていく必要があります。

どう考えても、都会には最早為すべきことが残っていない元サラリーマンが、都心に近い高層マンションや年寄だけになった郊外の大規模住宅団地に取り残されている姿には不自然なものを感じます。新聞を隅々まで眺め、頻繁に海外旅行や国内の温泉旅行に出かけ、或いは大型SCで買い物をする以外することがなくなった人たちが、新たに自分が食べるものを自分で作るという生活に入るという姿は非常に自然な現象だと思います。のんびり頑張れ、帰農人!!。

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2007年4月15日 (日)

294 食糧を燃やす愚 

バイオエタノールが注目されています。バイオエタノールの原料はブラジルなどではサトウキビの絞りかす(バガス)も使うのですが、米国ではトウモロコシです。サトウキビは、焼酎や砂糖の原料でもありますが、直接食べるわけではありませんし、比較的痩せた熱帯の地域に適する作物です。一方トウモロコシはと言えばまさに食糧で、肥沃な温帯地域で栽培されています。しかもメキシコなどでは主食ともなっています。米国ではガソリンの消費量を減らすための代替燃料としてバイオエタノールが位置づけられていて、20%の代替が目標のようです。日本はと言えば、バイオエタノール用の原料があるわけでもないのに、やはり10%の代替が目標とされています。家畜に食わせるため、世界でも最大のトウモロコシ輸入国ともなっている日本は、さらにトウモロコシ(から作ったエタノール)も車に飲ませるわけです。

しかし、いましなければならない事は、車の快適さを少し削っても20%或いは10%の燃費改善(または更なる小型車へのシフト)であり、それが出来なければ車の利用を減らす努力であって、決してガソリンの代替燃料を探す事ではありません。ましてやその原料が、食糧であれば絶対にやめるべきでしょう。実際、食糧源としての安いトウモロコシに頼っている国々では、既に食料費が急騰していて、たとえばトルティーヤが主食のメキシコでは「トウモロコシよこせデモ」が頻発しています。この状況は、戦争を契機として米相場が急騰し、米騒動(デモ)が頻発した大正時代の日本にも似ています。勿論裏では、米やトウモロコシの先物相場で、巨万の富を得ている相場師が暗躍していることは今も昔も事情は同じでしょう。

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2007年4月14日 (土)

293 格差を考える

国会でもマスコミでも「格差論議」が大流行りです。格差とは何かを少し考えて見ます。格差とは、「ある基準に照らした場合のグループ間のレベルの差」といえます。問題は、ある基準とは何かと言う点に集約されるでしょう。現在は、とりあえず正社員でボーナスが貰える待遇がハイレベルで、派遣でボーナスも出ない待遇が低いレベルと位置づけられているようです。また都会がハイレベルで田舎がローレベル、ITが使えればハイレベルで、アナログ好きはローレベルと決め付けられます。ではそのレベルの格付けはどのように決まっているのでしょうか。結局これは、自分がハイレベルだと思っている人たちが、そうでない人を含めて恣意的にランク付けした結果であると考えられます。たとえ自分が、格下だと思っていなくても、勝手に格差を与えられる社会が、格差社会であるとも言えます。

このように格差を考えたがり、格差をつけたがる人たちの価値観は、結局経済的な豊かさだけに基準を置いているとほぼ断定できます。高い収入がなければ、ITが使えなければ、結婚していなければ、都会に住んでいなければ、何か後ろめたいことでもしでかしている様な気になるのが格差社会であるとも言えます。

一方、精神的に満足している人を高いレベルにおいた社会を考えてみた場合はどうなるのでしょう。そのような社会では、「金持ち」とは富を再配分せず、自分だけのものにしておきたいジコチュー人間として見下されることになるでしょう。一方環境のことだけをひたすら考え続けている環境おじさんも、このような社会ではたぶんかなり生き易くなるはずです。

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2007年4月11日 (水)

292 技術と目的

以前も同様のタイトルで書いた気もしますが、重要な事項なので再確認しておきます。当然の前提として、科学は真理や原理の追及が目的ですが、技術は実用が目的となります。何の役にも立たない科学は結構沢山あり得ますが、「役に立たない技術」はやはり技術とは呼べません。さて役に立つ事を更に考えてみると、役に立つ技術にはその時代の背景や文脈が必要です。例えば、熱帯の暑さをしのぐためのクーラーは、年中寒い地域ではその役には立ちません。日本の様な小さなサイズの国で、航空機輸送があまり役に立っていないのも似たような例といえます。

しかしある時期以降、技術そのものが目的化されてきたような気がします。技術の高度化のための技術、或いは製品の複雑化のための技術です。しかし、技術の目的に立ち戻れば、ハイテクなどは全く必要ないはずなのです。ハイテクが無かった時代にも、高度な技術(当時は技と呼んでいた)はありました。江戸時代でさえ、複雑なカラクリ時計は存在しました。しかし、日常生活で時を知るのに秒単位までは必要ないでしょうし、ましてや1000年に1秒しか狂わない事は、勿論時計の重要な機能や目的ではありません。腕時計も、手巻き時計が自動巻きになり、電池式になり、太陽電池付きになり、今は電波時計でないと時計に非ず、といった風潮です。技術そのものが目的化された例といえるでしょう。

どう考えても、技術者は技術の本来の目的に立ち戻るべき時です。正しい技術を正しい目的に使う事を「技術者倫理」と呼ぶならば、技術者は正しい目的を見極めるためには、正しい価値観を備えている必要があります。投稿者の採用した価値観は、これまでも縷々述べてきたように「環境保全のための行動或いは持続可能な行動は常に正しい」と言うシンプルなものでした。

明日あさっても旅行不在のためアップできません。

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2007年4月 9日 (月)

291 技術屋を辞めたわけ6

290で終わりにするつもりでしたが、書き忘れていたことがありました。30年あまり勤務した会社を辞するまえ、会社の提案制度に応募して200件以上の「新規ビジネス」の提案を出しました。それは、必ずしも大きく儲かるビジネスではなく、自分の信ずるところにより「将来にわたって持続可能なビジネス」という視点から考えたものでした。そのうちの約100件は、いわゆる環境ビジネスと呼ばれるカテゴリーでした。ここで、それらをいちいち紹介する訳には行きませんが、投稿者の絶望は審査側の判断基準でした。つまり、社内の新規ビジネスの提案であれば、勿論その企業の規模に応じた一件当たりの売り上げの額が先ず問題になると言うことです。当然の事として一部上場の企業が、1件数百万円程度の案件に興味を示す事はあり得ません。それは中小企業の守備範囲内だからです。一方、環境ビジネスの王道(もしそんなものがあるとすればの話ですが)は、ビジネスのユニットサイズは限りなく小さなものにする必要があります。何故なら、大規模化、集中化は運搬や配送のムダを生み、環境効率の上からも最適解にはなり得ないからです。「地産地消の地域ビジネス」こそ環境ビジネスの基本コンセプトでなければなりません。

予想通りと言うか、やっぱりと言うか投稿者の提案は、数件がFS(実現度評価)に残ったとは後日聞きましたが、結局実現したものは無かったようです。最終的に得た結論は、「こと環境ビジネスにおいては、大企業が手を染めるような案件は無い」というものでした。これが、投稿者が重工長大産業の技術者を辞めた最大の理由だと言っても良いでしょう。

明日は旅行不在のためアップ無しです。

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2007年4月 8日 (日)

290 技術屋を辞めたわけ5

以上で絶望ストーリーは終わりません。投稿者が大好きな板金構造の成型に有効な新しい加工法として、摩擦攪拌接合(FSW)と逐次成型(IF)があります。前者は、金属を溶かさずに練り合わせて接合する方法であり、後者は先端がボール状になった工具で金属板をなでつけながら、徐々に成型を行うもので、車産業で多用されているいわゆる「金型」が不要となる技術なのです。世の中ではあまりお目にかかる事はありませんが、前者は米国のビジネスジェット機の機体外板や日本の新幹線の床板の接合に、後者はM岡自動車の手作りの車体のボンネット成型などに細々と利用されてはいます。

しかししかし、「超コンサバ」な日本の航空技術屋は、たとえ試験機に対してでさえこの技術を本格的に航空機に適用する事に誰も興味を示しませんでしたし、従って本格的に採用される事もなかったわけです。省エネで、省資源で、強度上もメリットが多いまさに理想の技術なのに、です。これには決定的に絶望です。

実は、絶望のネタは他にも色々あったのですが、書けばキリがないしこれだけでも十分でしょう。つまり投稿者が「真面目な技術屋として、正しい技術だと注目したもの」は、ことごとく無視され或いは潰され、日の目を見ることはなかった訳です。これだけの絶望が重なれば、いくら投稿者が「自分は生まれついての技術屋だ」との自覚を持っていたにしても、もはやそれを続ける事が出来ない事態に立ち至ったということです。結果は、技術屋を卒業(放棄)して新米の環境カウンセラー業の門をくぐったという、第1話に戻る事になります。その意味では、環境カウンセラーは、技術者を放棄した投稿者の「駆け込み寺」でもあったのです。もし、環境カウンセラーになっていなかったならば、今頃はきっと山里の廃墟となった農家を借りて、自給自足生活に入っていたことはほぼ間違いありません。

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2007年4月 7日 (土)

289 技術屋を辞めたわけ4 

米国のB社が開発したB747(通称ジャンボジェット機)は、技術屋として公平に評価すれば立派な技術で作られています。1960年代末に初飛行したこの機体には、決して斬新な構造が盛り込まれている訳ではないのですが、それでも構造的な欠陥が原因で事故を起こしたこともなく、現在でも貨物機としては作られていますし、古い機体も立派に飛び続けています。

簡単にいえばこの機体は「板金構造」であると言えます。多くの板状の部材や型材を複雑に組み合わせ、リベットやボルトなどで結合された構造を採用しています。薄い板材は、インゴット(塊)の状態から見ると、非常に強く圧延加工されていますので、実は使用中に腐食環境に晒されても、結構長い年月の使用に耐える事が出来ます。たとえ腐食が始まっても、魚の鱗のように表面の薄い結晶が剥がれるだけで、中心部分はしっかりしています。

しかし、最近の旅客機でのモノづくりは大嫌いです。150-200mmもあるようなアルミの厚板から、ごく薄い構造部品を機械で削り出してしまうからです。しかしこの構造では、もし金属の結晶粒界から腐食が始まった場合は、ごく短時間の内に穴が貫通してしまいます。これは最初ヨーロッパのA社が始めた能率重視の製造技術でしたが、実はB社も、B777や新世代のB737からこの手法をそっくり物真似し始めたのです。何しろ、コンピュータ(CAD)上で形が定義さえできれば、そのデータを使って強度の解析(CAE)が出来、さらにアルミを削るプログラム(CAM)も作れるし、形状検査(CAI)もできる訳ですから、典型的な旅客機の開発期間は、それまでの4年からおよそ半分の2年強まで短縮されたのでした。でも投稿者は、最近の機体は嫌いですし、安全上のことを考えてもあまり乗る気が起きません。結局絶望。

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2007年4月 6日 (金)

288 技術屋を辞めたわけ3

ドイツやブラジルへ出かける前、成層圏プラットフォーム(SPF)の試験機開発のプロジェクトに関わっていた時期がありました。これは、成層圏(高度20kmくらい)に気球を上げて、それを低高度の通信中継プラットフォームとして使うというコンセプトのプロジェクトでした。投稿者はこのプロジェクトにかなり惚れ込みました。理由は大きくは3つです。

一つは、この気球に使われる膜材が「ザイロン」という繊維を布にして作られていましたが、この繊維が実は史上最強の繊維なのです。カーボン繊維に比べても数十%も強度が高く、しかも600℃という高温にも耐えます。電気的にもほぼ絶縁体です。唯一の欠点は、紫外線で劣化しやや強度が落ちるという点だけでした。この繊維は、もしかすると(カーボン繊維)複合材強度の常識を塗り替えるだけの潜在力を持っているのです。

二つ目は、このSPFは気球の外面に薄い太陽電池を張っており、その電力を電波中継機の電力に使う一方、気流の流れによって位置がずれた場合には、自分でプロペラを回し、位置を自動調整する能力を持っています。つまり、打ち上げにも、静止状態の維持にもエネルギーは一切使わない「超省エネ型サテライト」である訳です。これを数個打ち上げれば、日本全体が十分カバーできることになります。

三つ目は、このSPFは中継機器を含めても多分10億円位で製造できます。一発打ち上げれば衛星を別にして100億円が飛んでしまうロケット+通信衛星に比べれば、なんと安上がりなプロジェクトでしょう。自前ではとても衛星を打ち上げる資力の無い国々でも、これなら十分手が届きます。つまりは通信網が、数少ない先進国の独占ビジネスである時代に終止符が打てるプロジェクトでもありました。しかも衛星軌道上に用済みの宇宙ゴミも残しません。SPFはガスが抜けてもゆっくり高度を下げるだけですから回収も容易です。

しかし、2007年の今日現在でもこの優れたプロジェクトが、実用化に向けて動き出したというニュースは流れていません。あの試作は税金の無駄使いだったのでしょうか。やっぱり絶望。

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2007年4月 5日 (木)

287 技術屋を辞めたわけ2

さて、誰が開発しても似たようなものが出来るのは、技術的必然性のようなものもありますのでぎりぎり諦めもつきます。しかしながら技術屋として我慢できない出来事がありました。

例えばそれは、プロジェクトのごく初期に起こりました。旅客機でも重要なパーツである動翼(スラットとかエルロンとかフラップとか呼ばれる翼の動く部分)の構造決定に関係します。少しややこしい話になりますが、旅客機は離陸や着陸の都度空港近くでは、鳥との衝突の危険に晒されます。特に動翼は、衝突の危険が高い部位でもあります。動翼を構成する材料としては、大きくはカーボンファイバーに代表される複合材と通常のアルミ合金製があります。実際に鳥と衝突した場合を考えれば、前者は割れてしまいますが、後者は凹むだけです。勿論、重量的には前者が有利なのですが、一方で旅客機は離着陸の度に雲の中を飛ぶので、落雷の危険性も同様に高くなります。カーボンファイバーは、電流を適当に通しますので被雷すると発熱して焦げてしまいます。そのため、せっかく軽く作ったものに、最終的には銅の網(メッシュ)を被せて接着剤で固めてしまいます。結果重量はアルミ製と全く変わらなくなります。一方アルミ製の動翼に落雷しても、アルミは電気の良導体なので電流は上手く流れて、反対側の翼から雲に突き抜けます。

つまり、鳥衝突の面、落雷時の安全性から見ても、さらに完成重量から見てもアルミ製には殆ど欠点が無く、しかもコストかなりも安いのですが、最終的には「複合材製でないと顧客にアピールしない」という営業的理由だけで、プロマネは我々の結論を無視し、無理やり複合材構造を採用する方向で押し切ってしまいました。おおいに絶望。

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2007年4月 3日 (火)

286 技術屋を辞めたわけ

258にも技術屋を辞めた訳を少し書きましたが、実は幾つかの理由が重なっていました。そこで数回に分けて「私が技術者を辞めたわけ」シリーズを投稿いたします。

さて理由の一つ目ですが、退職の直前に関与したブラジルE社の旅客機の共同開発プロジェクトです。実は、このプロジェクトが投稿者のいた企業がパートナーに決まった背景には、結構微妙な経緯が隠れていました。ここでそれを暴露するつもりはありませんが、いずれにしても投稿者はごく初期の段階からプロジェクトと関わりを持つことになりました。その数ヶ月前には、途中で「空中分解」しましたが、別の会社とのほぼ同様の開発プロジェクトの先行準備でヨーロッパに居ましたから、急転直下の方向転換であったことは間違いありません。

さてこのプロジェクトのためにブラジルに集結したパートナーとしては、日本の他にもヨーロッパからも数社が参加していました。しかし、よく見れば技術者の何人かは、ドイツのプロジェクトで見かけた連中でした。彼らは、ヨーロッパの別の会社に雇われてブラジルまでやってきていたのでした。彼らの多くは、実はヨーロッパのA社や或いは米国のB社のプロジェクトにも参加していて、旅客機開発専門の技術者集団であるわけです。

さてE社で開発予定の旅客機の三面図を見てひっくり返りました。なんとドイツでみた図面と殆ど瓜二つだったのです。勿論同じ市場向けなので、サイズ的にも性能的にも似たものになる事は避けられないのですが。それにしても、誰が何処で開発しても、最大公約数的な似たような旅客機が出来てしまうという現実を見て、技術屋としてのアイデンティティーが何処かへ消えるのを感じました。かなり絶望。

明日はココログのシステムメンテナンスのためアップできません。

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2007年4月 2日 (月)

285 良く生きる

ラジオで遺伝学の中村桂子の話を聞きました。その中で、人間の生きるレベルの話をしていましたが、それが、投稿者が日頃から若い人に話していた事とほぼ同じだったので、すこしびっくりしました。勿論、投稿者がどこかの本からパクッてきたものと、彼女が考えていたもの(或いは参照したもの)とが同じだったと言うことでしょう。それは、動物は低い順に「ただ生きる」、「上手く生きる」、「推し量って生きる」、「良く生きる」の4つのレベルで生きている。もちろん、高等な哺乳動物であれば「推し量って生きる」レベルくらいまでは実現出来るが、しかし良く生きることが出来るのは人間だけだ、と言うものです。投稿者が環境人間に脱皮しようと考えたのも、多分「良い生き方」を模索しての事だったような気がします。

さて彼女の話の続きですが、地球の45億年の歴史の中で、生物の歴史は約38億年と言われていますが、遺伝学者の見方からすると我々のDNAにも単純なバクテリアのDNAにも、或いはそこらの雑草のDNAにもこの38億年の歴史が刻まれているとも言います。しかも、我々生き物は卵或いは種子の状態から、完全に成長するまで例外なく系統発生(細胞分割を繰り返し、組織の機能分化を起こしながら固体を形成する過程)を繰り返しているわけです。その系統発生を保証しているのは、実はそれに完全に適した環境条件ということになります。温度や湿度や水分状態や摂取できる栄養が不完全な環境では、決して生物の複製は持続しません。複製が持続しない事を「種の絶滅」とも呼んでいます。生物複製の揺りかごである環境の保全が、「全てに優先する最重要事項」であるゆえんです。

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2007年4月 1日 (日)

284 欲望抑制技術

環境問題の根源を突き詰めるならば、それは飽くなき人間の欲望にその原因があります。モノの所有に対する欲望、便利さ・快適さへの強い欲望、必要かつ十分な生活以上の贅沢への願望などです。しかし、豊かになればなったで、これらの欲望は充足されるどころか逆に渇望感に苛まれるのが人間の常なのでしょう。

さて環境問題に対処するのに、「環境ビジネス」なる分野が存在します。例えばPCBやフロンガスの無害化処理、廃棄物の焼却・減容あるいは風車やバイオマスといった再生可能型エネルギーの活用などが例示できます。これらは問題が発生してから、それを軽減しようとする努力でもあります。これらは、さながら火事場の火消し活動のようにも見えます。

しかしながら、もし人間の「欲望自体を抑制できる技術」があれば、環境問題の殆どは一挙に解決できるはずです。つまり、モノを殆ど所有せず、不便を甘んじて受け入れ、自分で体を動かすことさえ厭わなければ、人間が生きていく上で必要な正味の環境負荷は、現在に比べて1-2桁は小さく出来ると考えられます。やるべきことは実は簡単なのかもしれません。つまり投稿者の様な環境おじさんや環境主婦、環境青年や環境少年をドンドン複製していけば、やがて世の中は環境人間だらけになることでしょう。そうなれば、黙っていても環境問題はめでたく縮小・解決していく事になります。これを「欲望制御技術」と名づけ、投稿者は日夜その開発と普及に努力を重ねているところです。しかし口で伝えるだけでは限界があるので、文才には全く自信はありませんが、近いうちにそのための本も書こうとは目論んでいます。本のタイトルは、さしずめ「欲望抑制技術論」などとなるはずです。あるいは、「火の用心論」としても良いかもしれません。

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