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2007年6月15日 (金)

344 戦後体質

毎日霞ヶ関の官庁街を歩いて通勤していると、地下鉄の入り口(出口?)から吐き出され、或いは吸い込まれていく、信じられないくらいの数の公務員に圧倒されます。公務員の数は、想像するに国家予算の額に正しく比例して膨らんできたはずです。この仕掛けは、戦後の高度成長期を演出した、大蔵や通産や国土や運輸などの省庁が総力を挙げて作り、維持してきた戦後の仕組みです。カラクリは簡単で、お金を「各種税金」と言う形で中央に集め、財政や補助金という形で産業や地方を誘導し、センセイ方の集票も考えつつバラ撒く仕組みに他なりません。また知恵の回る彼らは、外郭団体(~財団など)もしっかり増殖させ、自分自身の受け皿も仕組みました。これを戦後体質(あるいは日本株式会社とも揶揄されますが)と名づけるならば、21世紀はこの仕組みから脱却する方策を見つけなければならない時代のはずなのですが、実際問題として戦後の仕組みを作り上げた彼ら自身が、その変化に強烈に抗っていると想像されます。何故か。オヤクニンはそれを温存する遺伝子を、その仕組みの中に巧妙に組み込んでいるからです。例えば前年度実績を元に予算を立て、それをビタ1円残さないで消化し、その正確さによって行政マンの評価が決まる仕組みそのものが、変化を許さないシステムそのものであると断言できます。

勿論、オヤクニンそのものには別に個人的な恩も恨みももっていませんので、以上は非常に控えめで中立的なコメントです。しかしながら、今や私たちの社会システムは、変わらなければならない時期に差し掛かっているのも事実です。この様な時代にあっては、来年は去年や今年の延長線上にはなく、むしろ10年後50年後の社会はどうあるべきかのビジョンを真剣に議論し、その青写真をゼロから引いてみると言う決意こそが必要なはずです。既得権にしがみつき、裏金を作り、年金の甘い汁を吸い、天下って安穏な退職後の生活のみしか考えない低レベルの公務員モラルに国会議論の大半を使っている暇はないはずです。もっともそれを行っているセンセイ方も、実は選挙や自分自身の保身しか考えていないともいえそうですが。官庁や国会もしてくれないとしたら、「この国の将来像のプロット」は一体誰が、どの様な形で議論すべきなのでしょうか。投稿者の結論は、私達個々人と人との草の根ネットワークしかないと言うものです。

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