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2007年9月 6日 (木)

419 環境技術

418の続きです。「環境技術」、実に耳に心地よい言葉です。この技術を使えば、さながら環境悪化に歯止めが掛かり、さらには環境改善もできそうな響きがあります。AB首相も、日本には公害を克服し、二度の石油危機を乗り切った「環境技術」というものが形として存在すると誤解しているフシが見られます。しかし、どんな技術であれ、それを使えば使うほど環境が良くなる技術というものは何処にも存在しません。それどころか、技術は使えば使うほど環境に負荷を与えるもの以外の何者でもないのです。

例を挙げましょう。環境技術として「公害防止装置」があるとしましょう。これらの装置は、ある製造工程から排出される有害な物質(廃水や排ガスや固形物)を分離し、あまり害を与えない形で固形化する仕組みに過ぎません。集めた物質は、結局は燃やすか高温で処理して安定化し、何処かに埋め立てる事しかできません。そんな事はない。燃費が良くて、排気ガスのきれいな日本の自動車技術こそ環境技術であると主張する人も多くいる事でしょう。しかし考えて見れば、それは単なる「(比較的)低公害車」でしかない事に思い至るはずです。排気ガスの出ない車でも無い限り、無公害車ではないのです。では、燃料電池車はどうだ。この車からは水蒸気しか出ない。これこそ無公害車だ、との突っ込みが入るかもしれません。しかし、車の製造に関わる資源やエネルギー消費はどうカウントすれば良いのでしょう。ましてや、燃料である水素を作るための電力や、原料となる石油や天然ガスやアルコールから水素を取り出した後に残る炭素(炭酸ガス)はどう始末するのでしょうか。結局は、廃車はゴミを増やし、水素を搾りとった「かす」を炭酸ガスとして大気中に放出するのであれば、ガソリン自動車と環境負荷においてはなんら変わりない話に陥ることになります。

結局「環境技術は単なる幻想」に過ぎません。環境を保全するために必要な事は、余分な技術をできるだけ使わないで済ます工夫しか選択肢は残っていないのです。だからこそ、投稿者は技術屋を辞めて環境屋になったという次第なのです。「技術で環境は絶対に守れない」もこのブログの主要なメッセージの一つです。

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