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2007年9月14日 (金)

424 ラーニングカーブ

「人間は停滞(或いは無能)に向かって進歩する」と言った人がいます。けだし名言です。それは、有限の脳みそを持った人間は、ある時期は大いに進歩はするが、その容量の限界に近づくにつれやがては、停滞に陥るということを意味しています。習い事においてもそれは同じで、どんなに幼い時期から始めてそれなりの才能があっても、「名人」より優れた技を持つことはできないでしょうし、そこに至る過程も初期の右肩上がりの進歩が、最終的には停滞(あるいは減退)に至る「ラーニングカーブ(学習曲線)」に見事に乗ることになります。

さて、人間社会ではどうでしょうか。社会は多くの人々で構成されていますから、時にはエジソンやアインシュタインといった天才も出現するかもしれません。しかし、たとえエジソンが現代に生きていたとしても、画期的な発明が出来ていたかは甚だ疑問です。現代社会で毎年洪水の様に出願される特許の多くは、権利の幅の大きな「基本特許」ではなく、重箱の隅を楊枝でほじくるような、小粒なものしか見られません。まだ何も発明されていなかった時代に生きたエジソンは、その意味で幸福な時代に生まれたと言えるでしょう。

投稿者は科学や技術の進歩も、かなり飽和(停滞)してきていると見ています。例えば、自動車といえども、ダイムラーベンツのエンジン付き馬車から、それほど「原理的」な進歩があったとは思えません。単に、取り回しが便利になり、効率が少し上がり、室内が豪華に快適になっただけです。今以上の快適性の追求は、結果として資源とエネルギー量の累乗での投入を意味します。何故なら、今の消費者が言うところの快適性とは、単純に人が汗をかかない事を意味していますので、より多くの自動的な装置を、エネルギーを使って動かす必要があるからです。2倍便利にするためには、たぶん4倍の資源やエネルギーを使う必要があるでしょう。

しかし、超便利な生活が最終的に行き着く先は、すべての仕事や家事がリモコン一つで完了する生活スタイルでしょうか。そうなった場合の、人間の能力の退化に関しては、今のところ殆ど警鐘が鳴らされていないような気がしていて、最近の投稿者の最大の懸念になっています。

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