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2007年10月 1日 (月)

441 分析から統合へ

20世紀末までは、何を為すべきかについては結構明確でした。企業においては、新しい製品やサービスを開発し、売り上げを前年比で増加させれば良かった訳です。結果として、利益も増加し、給料のベースを引き上げ、より多くのボーナスも手にすることができました。その為に、終身雇用という慣習に守られた社員は、多くの残業をして仕事を「こなせば」良かったのでした。このような時代においては、分析的手法が有効です。分析とは、物事を要素に分解し、明確に理解する事を指します。たとえば、経営指標を分析して、次年度の計画に反映させるとか、工程を分析してムダを排除するなどの行動を例示することができるでしょう。

しかし、将来の見通しが利かないこれからの時代は、分析的手法では行き詰る事になります。つまり何をどうすればよいのかを、ゼロから決めていく必要がある時は、分析など何の役にも立たないのです。同様に、現在の姿からの外挿法でも答えは出てきません。何故なら将来の姿は現在の単純な延長ではないからです。では何が必要かですが、その場合は統合的視点が求められるはずです。つまりは、バラバラにされた要素を再度結合して、全体像を把握する必要があるという事です。これまでの様に、科学や経済学や社会学や経営学や政治学などの個別の学問の立場でこれからの時代のあるべき姿を語るのは非常に危険です。何より、これらの学問は将来の指針を示す事には殆ど無力だからです。

統合的な学問としては、たとえば環境学などがありますが、これとて自然科学に偏りがちな、不完全な学問に過ぎません。学者は、まずは重たい専門の外套を脱ぎ捨てる必要があります。自然の理解だけで、今の地球環境の悪化の原因は突き止められないし、その対策のヒントすら示すことも出来ません。人間の社会、自然現象、地球と宇宙の関係、水の惑星である地球の水循環、植物の理解、土壌生物の理解などを統合した学問(学問という言葉自体、分析的な表現ですが)が必要だと考えています。しかし、そうなるとそれは既に学問ではなく、世界を見渡す価値観のようなものになることでしょう。その意味で昔の人は、いくつかの優れた価値観を「宗教」という形ですが確かに打ち立てていたのだと思います。そんな大きな事を考えなくても、投稿者には身近な雑草1本や虫1匹をながめるたびに、長い歴史の統合(=進化)が感じられます。

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