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2007年10月10日 (水)

450 時間的加速

自分の考え方や生き方を確認するつもりで始めたブログですが、よく飽きもせず毎日毎日、環境ネタで書けるものだと自分でも呆れています。しかし、それほど多い訳ではないのでしょうが固定的な読者が居る事もかなりの力になっています。

さて「時間」についてはこのブログでも散々「書きまくって」きました。例えば、長い間にわたって人間が出してきた汚染に関しては、自然の浄化作用(つまりは分解作用)によって、無害化されてきました。二酸化炭素の排出や、水系への環境負荷などの人為的な環境変化に対しても、自然はそれを打ち消す方向でフィードバックをかけてもきました。しかし、この100年間、とりわけ最近の50年の変化は、自然にとって見れば許容しがたい程の急激な変化であったわけです。

ここで別の言葉で表現するとすれば、過去の50年間は「環境的に見た数千年」に相当するほどの、環境変化の時間的加速があったということです。それは、二酸化炭素の濃度変化にも如実に現れていますし、有史以来まったく問題にも何もならなかった廃棄物の処理が、今や後数年しか持たないと悲鳴を上げている地域がますます増えていることでも明らかです。環境問題とは、即ちこの時間の加速の問題でもあります。体を壊すほど働いて、本来はずっと先の子孫が手にする筈だった「ガラクタ製品」を急いで手に入れ、しかもそのガラクタさえも製品寿命を全うせずにポイポイと捨ててしまうという愚を何時まで続けるのでしょう。

単純に、いま必要なことは時間軸の引き延ばし、つまりは減速だけなのです。特に経済の減速が最優先です。でも経済を減速すれば不景気になる?その通りです。一日も早く社会を安定的な不景気モードに突入させ、仕事も減って定時に帰宅し、時間を持て余す社会にしましょう。そうなれば、家族のコミュニケーションが密になり、江戸時代あたりにも祖先が経験した「文化的豊かさ」が間違いなく復活します。環境問題を含め、今起きている多くの問題は、人間が速めた時間の経過に環境や人間自身がついて行けない事に原因があると思うのです。

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