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2007年10月12日 (金)

452 ストックとフロー

続きです。石油や天然ガスや鉄などの地下資源は、環境が数億年という年月を費やして蓄積したストックです。一方毎日私たちの頭の上に降り注ぐ太陽光や風や川の流れや植物の活動やそれを利用している動物の代謝はフローとして対比されます。都会のライフラインは、確かに流れているパイプですが、一方では全く無料で、しかも多量の流れである太陽光は、都会では殆ど利用されていません。逆に、地下深くに自然が蓄えたストックである化石エネルギーを、多量に消費し続けるという矛盾を犯し続けています。理由は単純で、太陽光の利用は「不便だから」です。もし、太陽光だけで動かせる通勤電車があったとして、これが良く晴れた日にしか動かないのであれば、多分誰も当てにはしないでしょう。同様に、晴れた日にしか屋根に上げた太陽熱温水器がお湯を作らないので、雨が続くと何日も入浴できないとしたら、誰もそんな不便な生活は望まないはずです。

とは言いながら、ストックとフローの境目はあいまいです。例えば、1年や数年という時間のレンジを考えれば、農作物の貯蔵もストックになります。しかし数百年にそのレンジを広げれば、山にご先祖さんが植えた木材さえもフロー資源とみなされます。つまり、私たちの社会のグランドデザインを考える場合には、この時間レンジの取り方を十分検討しておく必要があります。理想的には100年の計ですが、人間が具体的に想像できるのは精々孫かひ孫世代まででしょうから、それはそれで十分だと言えるでしょう。つまりは、50年程度先の事を考えながら暮らせばよいという事です。別の言い方では、「今あなたがしている行動は、孫世代を幸せにするものですか」という問いにYesと言えるならば前に進めば良いでしょうし、そうでなければ改める必要があるでしょう。

ここでは、フローとストックの分かれ目の時間レンジを一応50年程度と提案しておきますが、この意味では現在行っている全ての地下資源の利用はすべてストックの食いつぶし行動に当ります。さていま中年以上の年代に差し掛かっている人は、多分50年後の社会は確認できないでしょうから、純粋に自己犠牲的な精神を持たない事には、未来世代のために何をすれば良いかさえ思い当たらないかもしれません。しかし、昔の人は確かに子孫の幸福を考えて、山間の沢に棚田を築き、山に木を植え続けたのだと思います。

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