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2007年10月26日 (金)

466 モノと金

別にお金にうらみはありませんが、またまたお金の悪口です。モノと金が等価であるか否かについては、投稿者は否定的です。モノの値段は市場のそのときの状況や雰囲気で決まってしまうものだからです。本来、人間が生きていく上で欠かせない衣食住、とりわけ食について、市場の意思で「勝手に」決められてしまう事には細心の注意を払う必要があります。何度も書きますが、お金は食えませんし、ましてや工業性製品も腹の足しにはなり得ません。勿論、工業製品を市場で(節度を守って)取引することには、意義を差し挟みませんが、しかし食糧に関しては、生存の基本のきであるが故に問題は全く別です。

農業生産物や林産物とは、考えてみれば水と太陽光と農林業従事者の費やした労働の成果物であるわけです。それが、市場の暴力で勝手に値付けされてしまう事には組みできません。市場のパワーは、安い輸入食糧を引き入れ、国内産地を集約化し、季節はずれの農産物をスーパーに並べるために、農家に石油を焚いて温室を暖めることを強いているわけです。

モノの価値は、基本的にはそれを得るために流された汗の量で決められるべきだと、最近しみじみ思います。涼しいオフィスでのキーボードの操作だけで、巨額のお金を動かし、不労所得を得ている人たちには、その利益がどの様な犠牲の結果生まれたものか、是非じっくり考えて貰いたいものです。誰かが苦労しないで儲けた金は、誰かが同じだけ損をした金か、或いは未来からの借金であるはずだからです。その証拠ですが、過去に訳の分からない仕組みで(アメリカでの住宅投資で)楽してお金を儲けた人たちが大勢居たせいで、その仕組みが破綻したいま、それに一枚噛んでいた多くの金融機関やファンドが損失を出し、国によっては税金でそれを補填しているではありませんか。

農林水産業の人たちには、自分たちが人々の生存を保証する現物を握っているというゆるぎない自信を持っていただきたいのです。どんな時代になってもあなた達の基盤は堅固ですし、最後は(金ではなく)太陽光を使って、汗を流して得た現物を握っている人が勝ちですから。

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