« 532 棚上げ | トップページ | 534 文化の問題 »

2008年1月 1日 (火)

533 アルミ缶の旅

昨日、旧い年が暮れたばかりですが、今日はもう新しい年の始めの日になってしまいました。ここ数日外は雪模様なので、冬眠状態で過ごしていますが、新しい年も相も変らずに環境、環境の「お経」を唱え続けることといたします。

さて、リサイクルなどと悠長な事をやっている時ではない、と繰り返し書いています。もう一度、何故リサイクルをしなければならないかを考えて見ると、それはもっぱら廃棄物の捨て場所が逼迫している事に由来している事に気がつきます。ついで、資源の温存目的や省エネルギーなどと続くでしょう。確かに、金(きん)やレアメタルなどの資源が限られているものや、ボーキサイトから多量の電力を使って精錬しなければならないアルミニウムなどはリサイクルすべきでしょう。しかしペットボトルやプラスチック類やその他の「安価な原料」は、リサイクルのための収集運搬には、多大な手間とトラック燃料を消費しますので、実は新しく石油から作る方がよっぽど省エネにつながる事になります。

それでもリサイクル・リサイクルと叫ばれているのは、単に環境保全のシンボルとしてのキャンペーンに過ぎません。殆どのゴミを燃やしてしまう日本では、石油由来のゴミは、焼却炉の性能が向上している今は、そのまま燃やしてしまった方がよほど省エネになるはずです。

さて、ゴミが増えた大元の原因を考えてみると、それは単純に「物質的に豊かになった」という結論になります。その昔、貴重な入れ物である一升瓶を、ゴミとして捨てる人は皆無でした。何故なら、次に醤油や酒を買いに行く時には必ず空の瓶を店に持っていく必要がありました、そうでなくとも一升瓶は色々なものを入れて置くには重宝する容器でもあったわけです。問題は、現代の一方通行の物流システムにあります。大工場で大量に製造された商品の空のパッケージや瓶やらを、個々に回収してまた工場に戻すためには、多くの製品の価格を何割か上げざるを得ないでしょう。例えば、120円で買う清涼飲料意の中身の原価はぜいぜい数円で、アルミ缶の容器代と缶に詰める手間賃、加えて配送代と自動販売機の電気代に利益を加えた結果この売値になっているわけです。しかも、アルミ缶は飲料メーカーではなく、アルミ缶屋によって製造されますので、回収できたとしても戻すべきはこちらの工場になるわけです。しかし、回収したアルミ缶を炉で溶かすのは、またまた別の金属工場だったりする訳で、昔のように店屋→問屋→醸造工場のようなシンプルな改修システムではとても対応できません。続きます。

|

« 532 棚上げ | トップページ | 534 文化の問題 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 533 アルミ缶の旅:

« 532 棚上げ | トップページ | 534 文化の問題 »