« 548 ロボコンよりエコラン | トップページ | 550 休題(人生の棚卸) »

2008年1月17日 (木)

549 休題(自分探し)

マスコミや本などで「自分探し」などというKWが氾濫しています。しかし、何もわざわざ探さなくても自分は自分だ、と何故考えられないのか不思議です。「別の自分」が何処に転がっているはずもなく、今息をして体温を維持している肉体とその上に載っている頭があり、目という窓を通して外界を認識して、あれこれと考えているのが自分自身であり、それ以外の何者でもないはずです。それを改めて探さなければならないのは、むしろ自分を見失っているか、或いは自信が持てない結果、どこかに「もっとマシな自分」が居るのではないかという「妙な期待」をする風潮が蔓延しているのかも知れません。

そうではなくて、もし探すとすればそれは「自分の穴」ではないかと思っています。人間は自分の穴に入っている時が一番安心でき、心が休まるはずです。穴という言葉がぴったり来ないのであれば、自分の居場所と言い換えても良いでしょう。例えば、普通のサラリーマンは、会社で自分の居場所を得て、それなりに安定的な仕事が可能となる事でしょう。しかし、元々職人肌の人が、企業で人に囲まれていると、多分居心地も悪く力も発揮できない事になります。とは言いながら、現代では2/3もの人たちが、サービス業に従事し人に接する仕事をしています。これらの仕事に馴染まないと感じている人たちの中に、ココロの病が蔓延しているのは故無き事ではないはずです。彼らには、作業机に座ってコツコツとモノを作る仕事や、植物に向き合う農林業が向いている可能性が大なのです。それが彼らの穴であり居場所であるはずです。

これは実は「環境カウンセラー」という穴を探り当てた投稿者の実感でもあります。自分にピッタリの穴が見つかったとして、もしそれで十分にメシが食えなくとも、ココロ豊かにさえ暮らせれば、それはそれで十分幸せなのではないでしょうか。先ずは、これまでの人生を振り返って、自分の履歴書を書き、本当は何がしたかったのか、それが出来る穴はどうすれば見つかるのかじっくりと考えて見れば、より住み易い穴が見えてくるはずです。見つかったと思った穴が窮屈であることが分かったら、ヤドカリの様に移動すれば良いのではないでしょうか。続きます。

|

« 548 ロボコンよりエコラン | トップページ | 550 休題(人生の棚卸) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 549 休題(自分探し):

« 548 ロボコンよりエコラン | トップページ | 550 休題(人生の棚卸) »