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2008年1月18日 (金)

550 休題(人生の棚卸)

以前に、エネルギーや資源の棚卸というテーマで何コラムか書きました。「棚卸」とは、日頃目の届かない倉庫の棚の在庫を全て広げ、帳簿と突き合わせ直す作業を指しますが、投稿者はこれをエネルギーや工場に投入される資源まで拡張してみた訳です。ここでは、更にそれを人生にまで広げてみましょうという提案です。

人間は、親から貰った肉体や基本的な性格以外は、全てそれまでの経験の積み重ねで成り立っていると言い切っても良いでしょう。人は、天才でもない限り学校で勉強したり、自分で本やメディアで見聞きしたり、自分の体で経験した範囲より賢くはなれません。そうであれば、幾つかの人生のポイントで、これら自分中に蓄積された知識や経験の棚卸を実行して見るのも有意義な事かもしれません。実際に、投稿者も50歳前後にこれをやってみました。その結果、自分の人生の棚の殆ど全て(通算35年)が「技術屋」経験に占領されている事に気がつきました。投稿者が勝手に定義しているように、科学が森羅万象を観察する「窓」であるとするなら、技術とはその森羅万象のうち、人間に都合の良い部分を、都合の良いように利用する技であるわけです。それは間接的ですが証明できます。例えば、土の中に住むミミズやオケラやモグラたちが健康に暮らせる技術を開発した農業技術者の話は聞きませんし、ましてや、やがて食肉になる家畜や本来の「意志」にも関わらず勝手に品種を改変され、人間に飼われているペットが快適に、嬉々として暮らせるような製品や技術が発明されたという話も聞きません。

そこに気がついて、改めて自分の人生の棚卸を行った結果、少なくとも自分自身は、科学や技術から足を洗わざるを得ないとの結論に至ったというわけです。しかしヤドカリではありませんが、いざ技術屋という殻を脱ぎ捨てるには、新たな住処が必要であることは、人間を50年もやっていると痛いほど分かるので、まずそこから探し始めたのでした。幸いにも、環境屋(環境カウンセラー)という新たな殻があることを見出し、そこから数年掛けての脱皮を決行したという次第です。

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