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2008年1月28日 (月)

560 利便∝豊かさ?

便利であることと豊かであることは比例すると考えている人が大半だと思います。コンビニに飛び込めば、日常必要な殆どのものが手に入り、お金の払い込みやATMやチケット予約や宅急便を送るなどのサービスもその種類がますます拡充しています。しかし豊かに商品が揃っているコンビニから食べ物を買ってきて、貧しく偏った食生活を重ねている若者も多いだろうと容易に想像できます。お金さえ出せば、和洋中印と選択に困るほどの食べ物が入手できます。しかし一方では、嗜好が偏り同じものを食べ続ける「ばっかり食べ」が蔓延したりもします。余談ですが、大リーグに行った某有名野球選手は、昼食に毎日まいにちハヤシライスを食べるとか、やはりこのパターンにハマッているのかもしれません。

ここでもう一度書いておきたいのですが、利便を追及するほど私たちの生活の質は貧しくなるのだ、という事を再認識する必要があります。私たちは、利便を求めて車を多用し、電化製品に囲まれ、計画も無しにコンビニやネットで買い物をしますが、代償としてその利便を得るために自分の時間を売り払い、環境を悪化させ、人間関係を貧しくし、ギスギスした社会に邁進してしまう愚は、ここらでそろそろ打ち止めにしたいものです。

その意味では、私たちは本当の豊かさを定義し直す「豊かさ学」を打ち立てる必要がありそうです。豊かさ学を教える先生としては、田舎でゆったりと暮らしてきた、いま70代以上になっているおじい、おばあ達が最適でしょう。田舎に住んで、本当の豊かさを知り抜いている彼らだからこそ、都会の息子や娘達がいくら一緒に住もうと声を掛けても、自分たちが生まれ、あるいは嫁ぎ、そこで生活をしてきた豊かな田舎暮らしを捨てることなどは、夢にも考えられないのだと想像しています。利便やモノの追求は、更なる利便やモノへの飢餓感を招き、結果としては公害や地球規模の環境の悪化も招いてきた事は、私たちは20世紀を通じて既に十分に学んできたはずです。問題は、モノの豊かさをまだ知らない数多くの途上国の存在ですが、先ずは先進国と呼ばれる日本を含む国々が、モノに依存しない新しい豊かさ学を確立して、その範を示す必要があります。その意味では、物に神が宿るとする(必ずしも宗教として位置づける必要もないのですが)神道とアジアから生まれた仏教や、信長時代にはキリストさんに至るまで、見事に融合させた日本こそ、その先頭に立つ資格を兼ね備えている国だといえるかも知れません。

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