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2008年3月31日 (月)

622 表裏

30代の後半、自分が何者であるかというという素朴な疑問が生じ、自分を自分たらしめている「脳と心」の事が無性に知りたくなり、関係する100冊くらいの本を固め読みしたことがあります。これらの本は、主に形ある入れ物である「灰色の脳」と、その脳が作るニューロンネットワークの働きと、そのネットワークに漂うココロあるいは自己の認識に関するものに内容が細分化されていたのでした。つまり、解剖学者は脳を切り刻み、すり潰して脳を調べます。情報処理学者は、コンピュータと同様にInputとOutputを調べて、脳の情報処理機能にアプローチしますし、哲学者や宗教学者は、もっぱら脳の内面であるココロを扱う事になるからです。その中で、解剖学者でありながら、脳の機能にも深い洞察力を持ったY老さんの著述群を固め読みした事を思い出します。結局投稿者が得た(と思った)結論は非常にシンプルなものでした。と言うより、投稿者のシンプルな頭に染み込むのは、シンプルな結論しかなかったというべきでしょうか。それは、「脳は構造であり、ココロは機能である」と言うたたそれだけのものでした。これでも分かりにくいので、脳とココロは、表裏をなしているので、それ同時に見る(理解する)事は出来ないと言い換えてもよいでしょう。また脳の理解は細胞レベルまで切り分けて調べる必要がありますが、ココロは脳全体の働きなのですから、要素に切り分けるアプローチは間違っている事になります。

さて最近投稿者は、その頃よりは少し智恵がついてきて、この結論を環境問題に敷衍して考える事が出来るようにもなってきました。つまり、大地や大気や海洋は脳と同じ形ある構造であり、その中で活動している生物活動は、その構造の中でうごめくココロであるとも言えるのではないでしょうか。生物活動はある瞬間で切り取れば、なにも変化が無いようにも見えますが、長い目で見れば激しい世代交代と生存競争を繰り返しています。つまり、構造としての環境だけを考えて、その物理的な条件(気温や気象)が変化した事だけに注目するのは片手落ちになります。環境変化の理解の為には、例えば気候変動に伴う生物圏が受ける連鎖反応の複雑な連立方程式を解く必要があるという事です。しかし、これは世の中の全てのスーパーコンピュータを動員しても解く事は出来ない相談だと思っています。それは、自分自身の問題でありながら、人間のココロ一つとっても、その理解は現状全く心元ない現状を眺めてみても自明です。ココロの病気をピタッと治す事が出来ないどころか、逆に社会に急速に浸潤している様さえに見えるからです

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2008年3月30日 (日)

621 ダルマさんが転んだ

極地方の温暖化は、私たちが住む中緯度地域の倍以上のスピードで進んでいます。私たちの住む中緯度地域では、過去100年で精々1-2℃の気温上昇ですが、たとえば北極圏ではこの40年で2℃は上昇しているとの観測結果が報告されています。つまり20年事に1℃上昇している事になります。

一方、砂漠化が進んでいる世界の穀倉地帯では、場所にもよりますが平均気温の等高線は、1年間で10km程度進んでいると報告されています。これは1日当たり27m、時速に直せば1m/h強程度のスピードに相当します。沖縄の気候が毎時1mのスピードで本州に近づいてきているようなものです。その証拠は、ナガサキアゲハの北上に見るまでもなく、クマゼミの進出や農作物の適地の変化などにも顕著に見ることが出来ます。例えばミカンは、既に四国や和歌山辺りでは、すでに「収穫を諦めざるを得ない果樹」になりつつあります。10年を経ない内に、ミカンの木は切り倒されて、九州や沖縄で栽培されている亜熱帯果樹などへの転換が迫られるでしょう。

長野ではリンゴが取れなくなり、新潟では米に夏場の「高温障害」が広く発生し、北海道でもジャガイモからサツマイモに転作が迫られるかもしれません。それでどうだと言われれば、冷涼な地方でも温帯地域の作物が出来るようになるだけのようにも見えますが、一方では熱帯の怖い害虫や病気も同じスピードで北上を果たすことにもなります。日本脳炎は言うに及ばず、蚊が媒介するマラリヤ、ブラジルなどでも流行が伝えられる黄熱病やデング熱など、温帯地域の私たちが全くと言ってよいほど免疫力を持たない怖い病気の数々も大挙して押し寄せてきます。

その昔、子供の遊びに「ダルマさんが転んだ」というのがありましたが、同様に、私たちがたった1年間事態を放っておいて(目をつむっている間に)温暖化した気候が持ち込む災いは、緯度方向に10km近くも鬼(私たち)に近づいてくる事になります。

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2008年3月29日 (土)

620 太陽力

太陽エネルギーの持つ潜在力を試算してみます。単純のため約14mX14m=200㎡(60坪)の土地を想定してみます。この程度の広さの土地であれば庶民でも所有できるはずです。

さて、太陽光は1㎡当たり約1kwに相当するエネルギーをその土地に降らせます。ここに、隙間なく太陽光発電パネルを並べると想定した場合、パネルの変換効率を15%とすれば30kwに相当する電力の発電が可能です。晴れの日と日照時間を平均して、毎日4時間の発電が可能とすれば120kwhの電力量になりますから、平均的な家庭の7-8軒分に相当する電力が期待できます。

しかし、人間は電気を栄養にして生きる事はできません。ですから、電力は自分の家で使う分だけ作る事とすれば、上記のパネル面積は25㎡程度で済みます。残りの175㎡を、例えば水田にして米を作る事を想定すると、上手く作れば2俵弱の米が取れる事になりますので、2人家族なら何とかカロリーは取れそうです。しかし、毎日の食事には、栄養価も考えると副食も欠かせません。菜食主義者に宗旨替えするとしても、野菜畑で10種類ほどの野菜や芋や豆を作る事を考えれば、水田と同じ程度の面積の畑はどうしても欲しいところです。仕方がないので、もう200㎡、合計400㎡の土地を求める事にしましょう。しかし考えて見れば、これでは家を建てるスペースがありません。結局、2人家族でエネルギーと最低限の食糧を確保しようとした場合、600㎡(200坪程度)理想的には300坪(つまりは田畑1反分です)は確保したいところです。300坪の土地を持つ家は、田舎では珍しくもありませせんが、都会では望むべくもありません。

さて、以上のデータを投稿者の単純なカンピュータに入れて計算すれば、土地と太陽光だけで暮らす事を考えた場合、日本では最大見積っても4000万人しか暮らせないことになります。別の試算では3000万人程度らしいので、桁は結構合っているようです。太陽力の実力は精々この程度ですから、残りの9000万人は、100%輸入地下資源と輸入食糧に頼って暮らしているという情けない実態がくっきりと浮き彫りになります。

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2008年3月28日 (金)

619 勝者の論理

このブログもアクセスが2万件の大台に乗ったようです。1万件までは1年以上掛かりましたが、ここまではその半分位の期間だったようで、少しずつですがアクセス数も増えているような気がします。字だらけで決して楽しくはないブログですが、とりあえずは1000題まで書き続ける事といたします。

さて勝者の論理ですが、英語で書けば“The winner takes all.”などとなるでしょう。では、環境問題における勝者とは誰になるのでしょうか。エントロピーの法則によれば、全ての系(地球も含めて)は最終的には「熱的死」で終末を迎えます。つまり、系の中の熱的多様性が極度に低くなって、そこではもはや如何なる生物活動も出来なくなるわけです。そこまでの道のりの途中には、最近のアメリカ映画ではありませんが、人類の滅亡というイベントが刻まれるでしょう。しかし、人類が滅亡しようがすまいが、数億年前から地上に存在し、人類滅亡後も確実に生き残る生物群が存在します。例えば、昆虫であり、海水中の微生物やバクテリア群などです。地上の生物では、取り分けダニやゴキブリはサバイバルのチャンピオンとなる資質を持っています。極端に短い繁殖期間は、短期間での環境適応力につながります。温暖化が進めば、高温に強い種が勢力を増し、海面が上昇すれば湿地に強い種が増加するでしょう。

繁殖期間が長く、環境への適応には、少なくとも数世代の代替わりが必要となる人類は、環境の変化には、実は非常に弱い生き物だと言えます。その人類は、戦後のたった半世紀余りの期間(数世代)で、生態学的には「劇的に」環境を改変してしまった訳で、今の若い世代が果たして今後の環境変化に適応してくれているかは甚だ疑問です。何しろ、彼らは農場や工場で人工的に作られた食べ物を口にし、エアコンで人工的に操作された環境の中で生活している訳で、むしろ抵抗力は戦前・戦後直後世代に比べて、著しく低下(退化)しているようにも見えるのです。

温暖化に象徴される地球規模の環境悪化の状況下で、誰が勝者になるのかは分かりませんが、いずれにしても敗者は私たち人類になることは間違いないでしょう。体の抵抗力や免疫力低下はもちろんその明確な根拠ですが、一方で環境悪化に対する感受性(センサー感度)の低下が悲劇の原因になり得ます。何しろ、これまでの公害の歴史でも証明されていますが、私たちは「環境悪化で犠牲者が出るまで気がつかない」程度の鈍いセンサーしか持ち合わせていないのです。人類がめっきり減った暑い地球上で、ゴキブリやネズミどもがノビノビと暮らす姿が時々夢に出てきます。

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2008年3月27日 (木)

618 ヒステリシス

実際の多くの現象(極端に言えば全ての現象)にヒステリシス(履歴)現象が見られます。つまり、行きと戻りの経路が異なる現象です。例えば、磁力のヒステリシス現象は、物理の授業などに出てきますが、これはほぼ全ての現象に敷衍することが出来るものだと見ています。別の言葉で表現すれば「完全な後戻りは出来ない法則」でもあるわけです。

例えば、化石燃料の使い過ぎで増えた大気中の炭酸ガスを、全世界の努力で産業革命前の状態に戻せたと仮定しましょう。それには、大気中の炭酸ガスを取り込んで、固めて真っ黒な石炭や原油に戻す技術が完成し、実際にもその様な多数の大型プラントを使って100年位に亘って固定し続けるという、想像することすら難事業が完遂させることを意味します。(勿論これは出来ない相談です)さて、こんな努力の後に地球の気象が後戻りするかと言えば、それは全く無理な話になります。熱塩循環と呼ばれる「ゆったりとした海洋の循環」は、1サイクルの完了に何と1000年程度掛かりますから、この数十年で暖められた多量の海水(熱と塩の流れ)は今海底に潜りつつあり、900年以上先でないとその本格的な影響は観測されない訳です。

以上は一例ですが、私たちの活動の結果、復元できないほどの爪あとを残された自然が、たとえその破壊を今止めたとしても、元の状態に戻る事は期待できない話になります。その意味で、非常に賢い世界中の気象学者やスーパーコンピュータが束になって掛かっておこなったIPCCの気象予測も、実は「表面的でかつ限定的な内輪の予測値」でしかないのだ、といえます。その意味では、もし私たちが、狙った通りに温暖化にブレーキを掛けたいのであれば、そのブレーキは少なくとも2倍は強く踏まないと、温暖化のスピードを減速できないという結論になります。AB首相が言い出し、F田首相も支持している、2050年に二酸化炭素半減政策程度では全くといってよいほど効果は現れないはずです。従って、例えば「2050年に二酸化炭素排出を今の1/4以下にする」という目標に差し替えるべきだというのが、ここでの結論です。これは毎年3%ずつのエネルギー削減を今後数十年に亘って続ける事を意味しますので、前につんのめりそうな急ブレーキではあります。

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2008年3月26日 (水)

617 お金のトレーサビリティ

昨日からの、ココログ・システムメンテナンスでアップが遅れました。

以前も少し書きましたが、残念ながらお金には色がついていません。汚いお金も、善意の寄付などの浄財も、お金になってしまえば単なる通貨です。しかし、同じお金でも、環境おじさんとしては特に「環境的にきれいなお金か否か」が気に掛かります。

法的な意味では、お金の清浄度は、お金の移動が合法か違法かでほぼ色分けが可能です。勿論、何段階かの浄化(マネーロンダリング)を繰り返せば、汚いお金の汚れもすっかり消えてしまいます。一方、環境的なお金の清浄度の物差しは、実はまだ出来ていません。何故なら、フロンなどのように環境的に黒と名指しされたもの以外は、殆ど全ての環境負荷は「グレー」に留まっているからです。二酸化炭素の色は、最近はかなりグレーが濃くなってきたとはいえ、例えば車やガソリンを売る事は、決して「黒」ではなく、景気の高揚の面からはむしろ奨励すらされています。車産業や石油産業で稼いだお金は、よく見れば確かに環境を悪化させた薄汚れが染み付いているのですが、今はそれを恥ずかしく思う風潮などは全く存在しない訳です。

従って、環境にあくどいやり方で稼いだお金を、ファンドなどとして「環境団体」に寄付した瞬間に、そのお金のロンダリングは完了してしまうのです。牛肉に付けられた記録のように、是非お金にもタグをつけてトレースして貰いたいものです。少なくとも、それを客観的に評価する団体が存在しても良さそうです。それは、イギリスで魚介類の持続可能性に関して、証明書を発行している団体の機能に似ています。あるお金が、「持続可能性」という物差しに照らして、白なのか黒なのか、グレーにしてもその濃さはどの程度なのか、例えば10段階くらいでは評価する必要がありそうです。何より、私たちは日頃から環境への負荷の強度(グレーの度合い)を冷静に評価する「目」を養っておく必要があります。

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2008年3月25日 (火)

616 円高考

この1週間は一服しているようですが、円高傾向(ドル一人安かも知れません)が止まりません。前回の強烈な円高を彷彿とさせる状況です。十数年前のあの時は、80円台の半ばまで進んだような記憶があります。投稿者も、会社の命令でチームを組んで、国内で生産していた部品の多くを海外調達に切り替えるために、海外ベンダーの間を走り回った事を思い出しました。円高でしみじみ感じるのは、今や通貨は「単なるお金」ではあり得ず、「信用の代名詞」である、という事でしょうか。100円が100円の値打ち、10ドルが10ドルとして通用するためには、その通貨を印刷している国の信用度に大きく依存しているのです。現在の円高状況は、SPL問題を契機に、ドルの信用度が多くの通貨のそれに比較して大きく失墜している事が主因です。一方前回の円高は、バブルとは言いながら、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いのあった円に対する信頼度が異常に高まった結果でした。あのピーク後の円の没落を見れば、本来あるべき円の信用度というか、実力を推し量ることが出来そうです。

さて、借金を重ねて物を買い続ける海の向こうのB国の信用度は、公的資金注入などの小手先のミソギで回復するのでしょうか。金融工学?を駆使する賢いエコノミスト(錬金術師)達は、住宅バブルに替わる次なる「技術」として、たぶん新たなバブルのカラクリを作り出すでしょう。あるいは、単純に穀物やエネルギーの現物・先物取引になだれ込むかも知れません。いずれにしても、体を動かし、額に汗して働かず、コンピュータ上で、データの(数字としての)お金を動かすだけで利殖を生み出す「現代の錬金術」が、絶対に持続可能なはずはありません。実態なく膨らんだ見かけの信用は、時間の問題で崩壊する運命にあるわけで、円ドルレートも、やがては両国の信用の実態に応じて、それなりのレベルに落ち着くことでしょう。

さて資源らしい資源を持たない日本としては、来るべき時代にも資源や食糧を買うことが出来る程度には、国や信用度を高めて円の実力を維持しておく必要があります。その意味で、日本が世界に向かって信用度を高めるには、殆ど唯一の資源である人材を磨いて、省エネやもの造りの智恵出しや創意工夫による「改善手法」を売り物にするしかないのではないか思っています。

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2008年3月24日 (月)

615 パソコンの省エネ

先に述べた病院は、新しいシステムを採用しているため、カルテを含め医療情報は全て電子化されています。その為、600名程度の病院スタッフに対し、なんとパソコンが3000台も使われていたのでした。一人当たりで言えば3台以上ということになります。その殆どがデスクトップ型ですので、本体とモニターを合わせれば優に100w/台程度の電力を消費しているはずです。観察してみると、案の定ほぼ全てのパソコンは、人が座っていないにも関わらず電源が入っている状態でした。スクリーンセイバーは設定していますが、省エネモードの設定は全くといって良いほどなされていないようでした。スクリーンセイバーだけの設定では、全く省電力にはつながりません。低電力が売りの液晶型もモニターで、電力を多く消費しているのは、液晶画面を裏から照明している「バックライト(=蛍光灯の一種)」ですから、このライトの照度を下げる方法でもいくばくかの省エネにはなりそうです。

もっとも簡単で効果も大きい省エネの方法は、たぶん席を離れる際にモニターの電源を切ることでしょうか。モニターの前面には必ず押しボタンがありますので、そこに小さなシールでも貼って注意を喚起すれば良いでしょう。17-19インチ型のモニターでは、これだけでも1台当りで30w以上は節約できることになります。誰も使っていない2000台のモニターを切る事が実行できれば、60kw分の電力が節減できる勘定です。チリも積もれば結構な電力になることがわかります。モニターだけの電源オフだと、スイッチを入れれば1-2秒で通常の状態に復帰しますので、省エネモードでスリープ状態にしておくのに比べれば、気が短い人、あるいは忙しい病院のスタッフでも何とか実行してくれる程度の「小さな不便」で収まるでしょう。

更なる省エネのためには、5分程マウスやキーボードの操作がされない場合にスリープ状態に移行するように、ソフトウェア的に設定しておくことです。ある試算によれば、現在のIT運用に要するエネルギーは、このソフトウェア的省エネだけで、実に半分近くに圧縮できると言われています。

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2008年3月23日 (日)

614 冷暖房の省エネ

病院で圧倒的にエネルギーを消費しているのは、病室の環境管理(エアコンや換気装置)に関するものでしょう。床面積当たりのエネルギー消費量は、多分コンビニショップにも匹敵する高いレベルと思われます。何しろ患者は薄いパジャマ1枚で終日過ごしますので、夏も冬も通常の事務所などの冷暖房以上に、24時間しっかり冷やし、しっかり暖める必要があるからです。しかし、以前にも少し触れたかも知れませんが、人の暑さ寒さの感じ方は気温だけでは決まりません。いわゆる「体感温度」は、単に「気温」だけではなく「湿度」、「風速」に加えて、「輻射温度」の4要素によって決まるのです。たとえば、気温が10℃を下回ると、湿度が高いほどより寒く感じますし、風速が1m/秒高まる毎に体感温度は1℃程度下がるのです。したがって、冬に必要以上の風速で風を送ると、設定温度より低く感じるでしょうし、逆に夏に部屋の空気が動いていないと、蒸し暑く感じることになります。

しかしながら、最も注目すべきは「輻射温度」なのです。輻射温度により体感温度は、概ね次の式で表されます。つまり、体感温度=(気温+輻射温度)/2 となります。たとえば、冬場エアコンの設定温度を20℃としている場合、確かに部屋の温度はその20℃になっていますが、一方窓に何も対策をしていない場合、窓面の輻射温度は、たとえば16℃になっていたりするわけです。この場合の体感温度は結局18℃になりますから、私たちはエアコン温度より2℃程度寒く感じていることになります。逆に夏は、26℃のエアコン設定温度に対し、窓や壁はたとえば32℃程度に上昇していますから、体感温度としてはその平均の29℃となるのです。しかも、気温と輻射温度の差が大きいほど、体は「不快」と感じる度合いが高まることになります。特に夏に「冷房病」が増えるゆえんです。

冷暖房の省エネのコツは、したがって気温と輻射温度の差を小さくすることに尽きるといえるでしょう。窓には、遮熱性能の高いロールスクリーンを設置するなどして、窓からの入熱や放熱を防ぐ必要があります。また、外断熱や壁面緑化を施すなどして、壁面の温度も室内の温度に近いものにしておくと良いでしょう。その意味で、表面温度がほぼ気温と同じ温度になる木材は、まさに理想的な内壁材だといえます。その結果、最小限のエネルギーで快適な室内環境を得ることが可能となるはずです。それとお金を使わずに手っ取り早く省エネ効果を出すのであれば、外気の導入量を可能な限り小さく絞る事です。勿論法令で決まっている換気量は、確実にクリアする必要はあります。

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2008年3月22日 (土)

613 照明の省エネ

精神論や「お経」だけでは温暖化にブレーキが掛かりません。という訳で数回にわたって、今関わっている病院の具体的な省エネを取り上げてみます。

G病院から省エネに関する出前講座の講師を頼まれました。スタッフ5-600名の大病院です。事務局からの要望により「今日からでも出来る省エネ対策」をいくつか考えて見ましたが、そこは出来てから数年しか経っていない新しい病院なので、建設段階で一通りの省エネ対策は施されており、実際の効果が大きく期待できそうな省エネ対策はおいそれとは見つかりません。例えば、全てのトイレには人感センサーが設置されており、人が入った時にしか電灯は点きませんし、病室の窓は全てペアガラスになっていました。エアコンも、ナースステーションで集中管理されており、プログラムによる時間管理も可能となっていました。そこで出前講座の前に、1時間ばかり病院の中をじっくり見せてもらう事にしました。この病院の病棟は、中央に管理機能があり、西と東にウイングを持つ対称形の構造で、真ん中の通路を挟んで、両側に病室が配置されています。ウォークスルーの結果先ず気がついたのは、通路には窓がありませんので、当然の事ながら廊下の照明は24時間点灯されているということです。しかし、今のところ照明の間引き消灯は行われていないようです。

ということは、廊下の照明器具(40wX2本一組)の内、1本を取り外せば、それ程の問題無しに多くの蛍光灯を無くせそうなのです。インバータ点灯式なので、蛍光管を外した場合はダミー管を入れる必要があります。同時に、残った1本に高輝度の反射板を取り付けておけば、廊下の照度が落ちる事はないでしょう。10階建ての大きな病院なので、たぶん全体では1000本程度の蛍光管を間引くことができそうです。これで40kw分の電力が削減できる勘定になります。

照明の省エネにはもう一つ切り札があります。それはLED照明です。既に、蛍光灯サイズの灯具に多数のLEDを並べて、蛍光灯と同じ照度を確保した製品が市場に出ています。とは言いながら、確かにエネルギー消費は蛍光灯の1/5程度にはなりますが、問題は価格がまだバカ高いので、電気代だけで元を取ろうとすると3年以上掛かることです。これも、普及が進むと急速に値段が下がり、投資の回収期間も短縮する事になるでしょう。

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2008年3月21日 (金)

612 カーボンカットオフ

611で勝手に「カーボンカットオフ」なる言葉を使いましたので、少し補足しておきます。人間が排出した二酸化炭素を、人間の努力で吸収させようとする活動を「カーボンオフセット」と呼びますが、実際問題として、二酸化炭素を主として吸収してくれるものは、海水中の植物性プランクトンや陸上の植物による有機物固定、海水そのものの物理吸収などしか考えられません。二酸化炭素を液化して、地下深い場所に注入してしまおうなどと、ばかばかしい実験を行っているグループもありますが、全くお金と人材とエネルギーの浪費に過ぎない技術の中身です。何しろ、液化に要する電力と、穴掘りの動力、非常に高い圧力に高めて注入するのに必要な膨大なエネルギーを考えるだけで、頭が痛くなります。それらのエネルギーは、石油や原子力を使って発電して賄わなければならないのですから、やはり形を変えた「自分の手足を食らうタコ現象」に過ぎません。

人力を使って、野山に植林をして、二酸化炭素の吸収源を増やす努力であれば、それなりに機能するでしょうが、それにしても実際の効果は微々たるものに留まります。何しろ、毎年の森林破壊のスピードは、例えば北海道の面積で測る必要があるほどなので、それを打ち消すほどの植林は至難の技なのです。一体、2050年までにCO2排出を半減しようと呼びかけている日本政府をはじめ、それに賛同する人たちは、半減で温暖化に本当に歯止めが掛かると信じているのでしょうか。

カーボンオフセットなど言う「対策」に奔走するのではなく、排出半減の時期を出来るだけ早める努力こそが必要な行動です。カーボンオフセットではなく、前向きな「カーボンカットオフ」こそが必要な行動です。何度も書きますが、炭素税こそその切り札です。徴収した税を、森林伐採の進んだ地域への大規模な植林事業や再生可能エネルギーの開発に重点的に回せば、真に有効なカーボン減らしのサイクルが回り始めるはずです。

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2008年3月20日 (木)

611 コンパクトシティ

N大で開催された、気候変動に関する日独ワークショップを聴講しました。焦点を都市や地域における二酸化炭素削減に絞っていたため、そちらに議論が集中しました。中でも、徒にドーナツ状に拡大(スプロール化)してしまった都市を、可能な限りコンパクトに集約し直す、いわゆる「コンパクトシティ化」が、ローカーボン社会への切り札だとの主張が強かったような気がします。その上で、交通インフラ、地域熱電併給、その他のインフラを整備し直せば、インフラ維持の公共事業費も抑制できるだろうと説明していました。勿論、一理はありますが投稿者から見るとあまり気が乗りません。詳しく中身を見ると、エネルギーインフラの核となる「地域熱電併給」の熱は、地域に新設するコジェネで賄うアイデアのようです。

気が進まない理由は、コジェネの燃料が相変わらずの化石燃料(天然ガス)で、またいずれにしても「学」が智恵を出し、行政が実行する「トップダウン政策」でしかないからです。トップダウン政策だけで、カーボンカットオフの実のある成果は達成できない事は明白です。都市で生活するのは、個々の市民なのですから、いくら物理的にコンパクトに圧縮したところで、そこに暮らす人々の意識が変わらない限り、効果は限定的に留まるでしょう。そうではなくて、先ず必要な事は都市に住む人々の意識改革です。熱電併給のインフラをわざわざ整備しなくても、全てのビルや家屋の屋根への太陽熱温水器の設置を義務付けるだけで、給湯に関するガスや電気の消費量を大幅にカットできるはずです。地域熱電併給ではなく、戸別熱供給というわけです。屋根材(例えば瓦)や壁材と一体化された太陽熱パネルの開発は、新しい産業起こしにも道を拓くものです。

電力削減に関しては、太陽光発電を可能な範囲で粛々と進めれば良いでしょうし、一方で家電の省エネ化は日々進化しています。その中で、パッシブな仕掛けで夏冬を快適に過ごす暮らし方を工夫していけば、戸別の熱電併給が広がって行くでしょう。つまりは、「エネルギーの地産地消」と「ボトムアップ」のアプローチという訳です。戸別の太陽光発電は、接続コストはそれほど掛からないので商用の電力系統につなぐべきでしょうが、しかし、地域熱供給のインフラには、断熱を施した地下温水パイプの引き回しが必要となりますので、既存の都市での実現は困難だと言わざるを得ません。またぞろ、お金の掛かる道路を掘り返す大規模な公共事業が必要だからです。

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2008年3月19日 (水)

610 砂利売り

最近目を覆いたくなる光景を目にしました。そこは、何の変哲もない畑でした。この地域はニンジンの産地なので、そこも多分以前はニンジン畑だったと思われます。たまにその近くを通りますが、ある日畑の周りに柵が回されました。重機が入って地面を掘り出したので、基礎でも作って建物が建つのだろうくらいに考えていました。しかし、一向に基礎工事に入る様子もなく、掘り出した穴はドンドン深くなるばかりです。近寄って良く見ると、畑の土を取り除くと下は砂利が埋まっているのでした。そういえば、その辺りは木曽川の右岸で、自衛隊の飛行場があるK台地よりは10m程度低くなっているので、その昔は氾濫源だったと思われます。従って、掘れば砂利や玉石がゴロゴロ出てくるのも当然といえば当然です。

しかし、畑でニンジンを作るのに疲れた農家は、何と畑の地下の砂利を、建設業者に売り払ったのです。畑1枚(300坪程度)の砂利を売って、一体いくらになるのか分かりませんが、精々100万円かその倍前後だと思われます。しかし、畑の土(土壌)が30cm堆積するには1000年程度掛かると言われていますので、数メートル掘り下げた元畑であった土地は、今後長い時間に亘って単なる窪地のままで放置される事になるのでしょう。もしかすると砂利の代わりに、近くの山を崩した凝灰岩を埋め立てて、もう一度畑地に戻す積りかも知れませんが、砂利のように水はけの良い優良な畑地に修復できるはずもありません。

砂利を売った農家は、ご先祖さまから受け継いだ農地を一体何と心得ているのでしょうか。全く、気が知れません。そう思っていたら、同じような現象が以前から関東平野や日本のそこここで起こっていると、ラジオの特集番組でも報道していました。情けなさに体の力が抜ける思いです。現金になりさえすれば、自分の土地なのだから何をしても良いという風潮は、M崎県知事ではありませんが、これはやはり何とかせねばならない異常事態で、しかも立派?な環境破壊です。全ての土地は、先祖からの贈り物であると同時に、子孫から(あるいは環境から)の借り物でもあるはずなのですから。

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2008年3月18日 (火)

609 ウンチな問題

ややビロウな話になりますが、「環境問題の本質に迫る」真面目なたとえ話なので我慢して読んでください。さてウンチですが、一体何時の時点からウンチになるのかを考えて見たことがあるでしょうか。ウンチの元は勿論食べ物です。口の中では食べ物がやや細かく砕かれて唾液と混じった状態です。胃の中では胃液が注入され、強力な酸で殺菌されたり、酸で一部の栄養分が分解されたりするでしょう。途中で黄色い胆汁が注入され、たんぱく質の本格的な分解が始まると、細かくなった食物は「黄褐色」に着色され、色としてはややウンチに近くなります。小腸では種々の腸内細菌が働き、食べ物は更に分子レベルまで分解されて、その一部が腸壁から栄養分として体内に取り込まれます。腸壁の粘膜は連続的に剥がれ落ち、「元食べ物」に混じりながら流下していきます。最後に大腸では主に水分が吸収され、「それ」は排出に備えて適度な固さに調整されます。ここまで下れば、食べ物は立派なウンチとして完成されるのですが、私たちはこれを体外に押し出し、水に流してその後の結末をさっぱりと忘れてしまいます。つまり、(入)口につながった消化器官のもう一方の(出)口から排出した瞬間、元の食べ物は「汚い」廃棄物に変わってしまったわけです。体内にある時は、消化物と呼び、ある境界線(以前に環境線と名づけました)を超えた瞬間に汚物・廃棄物と呼ばれてしまうのです。

全く同じ事が、ゴミや産廃にも当てはまります。まず、私たちがある場所(通常はゴミ置き場と呼ばれます)に、実はまだ有用かも知れないモノを置いた瞬間、そのモノはゴミと名前が変わります。更にパッカー車がそれを飲み込んで、街とゴミ焼却場を隔てる門、あるいは廃棄物の最終処分場の境界を越えた途端に、そのモノは全く何の役にも立たない「廃棄物」となって、最後は誰も省みない最終処分場に投げ込まれてやがて地下に埋もれて行きます。

さて私たちは、ウンチを汚物として処理し、あるいは有用な資源をゴミとして処理していますが、前者は生物処理を施して土壌を富ませる肥料などに、後者は徹底的に素材別レベルまで分別して再度資源として利用する努力が必要だ、というのがここでの(全く当たり前の)結論になります。

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2008年3月17日 (月)

608 休題(待ち時間)

時間については既に何度かこのブログでも書いていますが、ここでは「待ち時間」について考えて見ます。戦後、高度成長期を通じて現在まで、私たちの社会は一貫して待ち時間を短縮する事に集中してきたように見えます。分かり易い例として、東京と大阪の往来を挙げて見ましょう。その昔、江戸時代にはほぼ1ヶ月が必要な旅でした。近代化・機械化の象徴である蒸気機関車が牽引する列車で最高速を誇った「つばめ号」でさえ10数時間を要しました。それが、電車になり、さらに新幹線が開通するに至って3時間まで短縮されたわけです。700系になってますます短縮されてきた訳ですが、なんとそれを1時間まで短縮する「リニア新幹線計画」も、南アルプストンネルのボーリング調査が始まって、俎上される時代に至りました。勿論、投稿者としては是非中止してもらいたい計画のひとつではあります。

投稿者の若い頃は、待つのはあまり苦にならなかったような気がします。たまに列車に乗る時には、駅に1時間近く前には到着し、切符を買って20分くらい前の駅員の案内で改札口を通り、ホームで列車の到着を辛抱強く待っていたような気がします。荷物を送ったという電話を受けてから、実際に鉄道小荷物を受け取るまでにはたっぷり1週間は掛かりましたし、新しい少年雑誌を読むのには、じっと1ヶ月間待たなければなりませんでした。その後画期的なメディアとして「週刊誌」が登場して、待ち時間は1週間に短縮されたのでした。

私たちは待ち時間の短縮こそ、文明の進歩の象徴であり、快適性の証明だと思い込んでいる不節があるようです。その証拠に、自動販売機と宅急便とコンビニを発明したではありませんか。電車のスピードを上げ(時にはカーブで曲がりきれないほどのスピードを出す運転手も出て)、主婦が車を転がし、鉄道から切符切りをなくし、銀行や買い物でも電子マネーで済ましてきたのでした。

それにほぼ反比例しているものがいくつかあります。例えば、私たちの忍耐力はますます低下してきたのは間違いないところです。ですから、昔から待ち時間がそれほど短くなっていない場所、例えば病院や人気のある食べ物屋などでは、待ち時間の長さに耐え切れず、少しでも順番がおかしくなろうものなら、簡単にカンシャクを起こす(キレル)輩も多くなってきています。

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2008年3月16日 (日)

607 上水道発電

小規模発電の別の例です。投稿者の住む地域で、上水道の配管に小型の発電機を取り付けて電力を得る実験を始めたようです。どうやら、ある上水道の配管に流される水は、必要以上に圧力が高いようなのです。しかし、「ちょっと待って」です。そもそも、水道水を送っているのは、電力を使って動かしているポンプのはずです。一方で電力を使いながら水を送り、その反対側で水力発電するなどということが「まともな」省エネルギー対策として、しかも数千万円ものの費用を掛けて堂々と行われること自体、投稿者には全く信じられない思いなのです。これが本当に有効な省エネルギー対策だと主張するなら、電力でモーターを回し、その先に発電機をつけて発電できたと喜ぶ「発明おじさん」となんら変わらない発想だと言えます。そんなことをするくらいなら、インバータで送水ポンプの電力を少し絞って、水圧をすこし下げる方法で電力を節減すれば済む話のはずです。全く訳が分かりません。とは言うものの、実はガソリンに数%の「輸入したアルコール」を混ぜて、温暖化にブレーキが掛かると主張している人達も50歩100歩かもしれません。

いずれにしても、温暖化防止=省エネルギーに何らかの手を打たざるを得ない立場の人々(例えばK産省のお役人)は、目に見える温暖化防止のシンボルが欲しいのだと思います。賢い彼らが、上の矛盾に気づかないはずが無いからです。しかし、税金の無駄使いは最早許されない時代でもあります。何しろ何百兆円だかの借金を抱えるこの国で、何の効果も無い実験で借金を重ねる余裕は無いはずなのです。そんな暇と金があるなら、太陽光の有効利用技術をしっかり磨くべきでしょう。上手く活用すれば、実際にも太陽光だけでこの国のエネルギー需要の何割かは賄うことができるはずだからです。もちろん、その方法は太陽光発電だけではありません。むしろ発電の必要性こそ、エネルギー需要ではホンの一部に過ぎないはずです。私たちの日常では、圧倒的割合で「熱エネルギー」の利用が多いからです。家庭生活では、暖房(冷房)、調理、給湯などです。電気でなければ役に立たないのは、電灯やテレビ・ラジオやパソコンくらいのものでしょう。さすがに今の時代、夜間の照明を行灯やロウソクやランプに頼るわけにはいかないでしょうから。いずれにしても、蛇が自分の尻尾を食らう(あるいはタコが自分の足を食らう)行動にも似ている、ばかばかしい上水道発電実験や全く実のないE3ガソリンなどの茶番は早く止めにして貰いたいものです。

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2008年3月15日 (土)

606 道路発電

だいぶ前、東京のどこかの駅で、床に圧電素子を入れたマットを敷き、それを乗降客が踏みつける事によって発電をする実験(床発電)を行っているという小さな報道がありましたが、最近その効率を上げるための追加試験を再開したようです。確かに、多数の人間が少しずつ電気を起こせば、いくつかの照明灯か自動改札機で使う程度の電力は起こせるかもしれません。しかし、単なるパフォーマンスではなく、実際にパワーとして取り出すつもりであれば、もっと大きなエネルギー源はいくらでも見つかるでしょう。たとえば、道路です。投稿者の近くの交通量の多い国道では、一日に3-4万台もの交通量があります。車は自重が1トン前後ありますので、人が踏みつけるのに比べれば、重量で一桁、通過するスピードでさらに一桁違いますので、少なくとも二桁は大きな電力が得られるはずです。実際、橋桁や陸橋の継ぎ目を注意してみると、かなりの音響や衝撃が生じていることが分かります。その鋼鉄製の継ぎ目では、タイヤからの強い衝撃のため、アスファルト端がかなり傷みます。同じような継ぎ目を道路に作って、そこに圧電素子を埋め込んでおけば、夜間道路を照らす街灯などは問題なく点灯させることができるでしょう。さらに言えば高速道路などはもっと巨大なトラックが行き来していますので、同じ断面でもさらに数倍の電力が得られるはずです。低電力のLED照明などとの組み合わせで考えれば、道路発電のアイデアも捨てたものではないでしょう。

同様に、騒音なども集めて電気を起こして見るのも楽しいかも知れません。騒音を、大きなパラボラで集音し、焦点に高性能の圧電素子を取り付けておけば、いくらかの電力が得られるでしょう。円いパラボラではなく放物面を持つ長い集音器を幹線道路沿いに設置すれば、電力としても十分取り出せそうです。またこの集音壁は、幹線道路沿いでは、騒音を食い止める働きとの一石二鳥が期待できるのではないでしょうか。

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2008年3月14日 (金)

605 天災or人災

最近、富山湾のある地域にまれに見る高波が押し寄せました。これは富山湾の特有の地形、つまりはU字型の湾の形、急激に深くなる水深、それに急速な低気圧の発達による強風という気象条件が重なる時にまれに起こる現象です。「寄り回り波」と呼ばれる現象ですが、投稿者としては今回の災害の原因に、「黒部ダムによる海岸への土砂供給の減少」という条件を付け加えたいところです。本来自然に川の上流部で岩石が侵食され、流れ下って海岸に供給されていた土砂が、ダム湖でせき止められて、非常に細かい泥(シルト)程度しか海に流れ下らない事態になると、海岸が急激に痩せていきます。痩せた海岸にいくら立派な護岸を築いたとしても、波は護岸に直接打ち寄せ、強烈な衝撃を与えることでしょう。海岸に土砂が堆積されていれば、波は浅瀬で砕けますので、エネルギーは大幅に弱められることになります。

黒部ダムは、昭和30年代後半に運用が開始された、日本でも最大規模のアーチ式ダムですが、同時にその巨大さ故に、下流に及ぼす影響もまた大きなものがあります。黒部ダムの貯水量は約2億立方メートルと言われていますが、既にその膨大な体積の15%程度は流入土砂で埋まっています。50年弱の間にダムでせき止められた土砂は、概ね3000万立方メートルにも及ぶ訳です。といわれてもピンとこないかも知れませんが、東京ドームを容積の単位に取れば、約24個分程度に相当します。これだけの土砂が、河口域に供給されなかった訳ですが、逆に言えばこの間にこれだけの土砂を、海岸の土砂を浚渫して運び出したのだとも言えます。

持続可能性という尺度で見れば、ダムは間違いなく長い時間を掛けた環境の改変に違いなく、その影響は数十年の時間遅れで、今回のような人災を引き起こすのだ、と理解しておかなければならないでしょう。このような「人災の時限爆弾」は、他にも例がありそうな気がしますので、思いついたらまたアップすることとします。

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2008年3月13日 (木)

604 エネルギーの味

街を歩けばいたるところに自動販売機が目に付きます。少し前のデータですが、全自動販売機の台数で日本の人口を割れば、26人に1台の割合になるそうです。また最近のデータでは、自動販売機の売上高は、デパート業界の売り上げを越えるレベルに到達したとの事です。以前、この話題に関しては、自動販売機が消費する電力量を試算してみました。しかし、自動販売機で販売される飲み物や食べ物に掛かるエネルギーはそれだけでは済みません。具体例として缶ジュースや缶コーヒーなどの飲み物を考えて見ます。アルミ缶の重量は20~30gですから、リサイクルアルミを使ったとしても0.3kwh程度の電力を使って再生され、更に製缶のために数十whの電力を使い、さらに同じ程度のエネルギーを使って原価10円程度の液体が注入されて密封され出荷されると想像しています。この手の飲み物は単価が安いので、さすがに一箇所で集中生産し、全国配送する仕組みには馴染みません。従って、何々地方と呼ばれる単位で集中生産され、直接専用のトラックで、地域に分散している自動販売機に配送されているようです。平均の配送距離を50km、トラックの積載量を5000本程度(重量で2トン程度)と仮定した場合、1缶当たりの配送エネルギーは、自動車燃料で20ml程度の消費に相当するでしょう。自動販売機は、冷蔵庫と温蔵庫を併せた機械ですから、その運転にもエネルギーを消費します。平均0.5kwの消費電力として、飲み物の平均貯蔵時間を72時間(3日に一回補充される)とした場合、200本の缶ジュースが充填され消費されるまでには0.2kwh程度の電力が消費される事になります。

都合、私たちが缶ジュースを一本口にするまでには、少なく見積もっても0.6kwhの電力と、20ml弱程度の配送燃料を消費する勘定になります。この電力は、大体普通のヘアドライヤーを30分以上付けっ放しにした程度の電力量に相当しますから、決して無視は出来ないエネルギー量と言えるでしょう。私たちは、1本の缶ジュースを口にする際には、砂糖の甘さの他に、エネルギーの(ほろ苦い)味も感じながら喉を潤す必要があるでしょう。

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2008年3月12日 (水)

603 パンドラの箱

現代のパンドラの箱は何かと考えてみると、地下資源がそれに当たる事に気がつきます。有用であると思われている資源が、なぜ「災い」に当たるかといえば、それらは先ず製品となってお金に変わり、使用中はエネルギーを消費し、最後は廃棄物になって地上や海洋や大気に蓄積する事になるからです。地下資源を掘り出し続ける限り、地上にはお金が溢れ、廃棄物が蓄積し続けることになります。お金の凶暴さについては、このブログでもゲップが出るほど書き続けています。そのどす黒い凶暴さは、各国政府は勿論、大国のFRBや日銀や欧州銀行でさえも、いまや殆ど制御不能に陥っているように見えます。何故なら、あり余っているお金は、いまや大国の国家予算の規模を凌駕するレベルまで膨らんでしまった訳で、たかが一政府や緩い経済共同体程度による金利誘導や為替操作などの小技では、既に手に負えない巨大さになっているからです。

同様に目に見える廃棄物であるゴミ問題と、目に見えない廃棄物である温暖化効果ガスについても指が痛くなるほどキーボードを叩き続けてきました。地上に溢れる物質と、その最終的な形である廃棄物、また「元は地下に眠っていた温暖化効果ガス」の量は、4000mを超えるハワイのマウナケア山での高地観測結果を参照するまでもなく、大気の上から下まで日々増加し続けているわけです。これも、間違いなくパンドラの箱から飛び出した災いの一つとなっています。

しかし、一度開けた箱(地下へ)の蓋を閉める事は、多くの利便を知ってしまって日々それを享受している私たち人類には、絶望的に難しい課題ともなっています。それは強い意志による地下資源の封じ込めであると同時に、私たち自身の欲望の封じ込め作業でもあります。腹八分目、ホドホドで質素な生活スタイルが求められる所以です。

その様な生活スタイルの先生、つまりはパンドラの箱の蓋を閉めるための指導者としては、戦前戦後のモノのない時期を生き抜いた、今70歳代のおじい、おばあに期待するところ大です。現役世代は勿論ですが、団塊世代は率先して、彼らのノウハウを受け継ぐ努力を傾けるべきでしょう。

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2008年3月11日 (火)

602 排出権取引を嘆く

産業界や民生のエネルギー使い過ぎの不始末を、お金で解決しようとする排出権取引に真っ向反対です。そもそも、誰がその権利を持ち、誰がそれを買う権利があるというのでしょうか。彼らは、「本来許容されるべき排出量」を国や企業の努力で削減したのであるから、あるいは「排出規制の枠外の量」であるから、その削減分あるいは排出枠を売る権利があると主張するのですが、そもそもその排出量や枠を、一体誰が適正であると認めたのでしょう。現在の半分まで資源やエネルギーを削減したとしても、温暖化をはじめとする環境悪化には歯止めが掛からないと言うのが、多くの専門家の意見です。それを、たった6%だけ削減すればよしとし、もし努力してそれ以上削減すれば、その分を売買できるなどと、誰がお墨付きを与えたのでしょう。ましてや国が国民の税金を使って、海外から排出権を買い取るなどという暴挙を許して良いものでしょうか。全くのナンセンスと言わざるを得ません。

ではどうするのかですが、話は非常に簡単です。それは省エネ・省資源の効果が、十分期待できる程度の「環境税」を導入するだけで済みます。政府やお役人が恐れているのは、その結果経済活動にブレーキが掛かり、リセッションに陥るのでないかとの点です。環境税による課税が急激なら確かにその可能性はあります。しかし、明確な計画の下に何段階かに分けて導入すれば、やがて省エネ・省資源に関わる新しい技術や新しい産業も育つというものです。日本人にはその程度の能力や逞しさがあることは、戦後の物資・エネルギー不足の混乱期の乗り切りや2度のオイルショックでのサバイバルで、十分証明されていると思うのです。

繰り返しになりますが、外国にお金を払って排出権を買うためには、そのお金を稼ぎ出すために、今以上に多くの資源を掘り出して、それを加工する為に更なるエネルギーを使わなければならないのです。この大きな矛盾を放っておいて、2012年というホンの目先の議定書約束遵守という目標達成だけのために、安易な排出権取引に流れては絶対にダメです。

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2008年3月10日 (月)

601 休題(IT係数)

確定申告を行うにあたり、自分の経済状態を反省してみました。その結果、驚くべき事実(以前から薄々感じてはいましたが)が判明しました。それは、通信費が異常に大きいのです。通信費の中身は、自宅の固定電話、事務所の固定電話、NTTの光通信、事務所のADSL、自分の携帯電話、Nフティともう1社のプロバイダ契約、とスカパーの基本料金などですが、これを足し合わせて仰天しました。食費の割合を示すのに使われるのがエンゲル係数ですが、もしかするとIT費用もこれと同等レベルにあるようなのです。サラリーマン時代は、銀行引き落としで払っていましたので無意識でしたが、自営になって残高を気にするようになってから、ITに掛かる費用が目立ってきたのでした。そこで、これをIT係数と名づけて削減を図る決意をしました。

中で一番目立つのが、NTTの光ファイバー代でした。確か加入の時は月額4000円くらいでしたが、そういえばこれは1年間限定の割引があっての費用でした。知らないうちに今は7000円強(プロバイダ費含む)なっていたのでした。発覚してしまえば、放っておく訳にはいきません。自宅で使っているのは、メールとこのブログとインターネットが少々。これではコストパフォーマンス最低です。内訳を調べてみると、Nフティのプロバイダ費だけだと300円程度、残りの殆どはNTTの回線費用であることがわかりました。そこで迷わず、光回線を撤去することに決めました。しかしNフティのメアドは長く使っているのでやはりキャンセルする訳にも行きません。そこで、自宅でのメール使用を諦め、事務所のADSLに集約し、同じADSLモデムで2台のパソコンを使うことにしました。これで7千円近く節約できることになります。

次のターゲットは携帯電話ですが、単独で山に登るのが楽しみである投稿者にとって(というより山でフカレた時に家族にとって)これは今のところ止める訳にもいかないようです。当面は契約を維持する事にはなりそうですが、これも殆ど着信専用でしか使っていないので、近い内に整理しないとIT係数の更なる削減が達成できそうもありません。

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2008年3月 9日 (日)

600 節約では届かない

温暖化防止の掛け声のもと、エネルギーの削減の掛け声が日々喧しくなっています。いわく2050年にはエネルギー使用量を半分にするという前首相の掛け声や、それを受けて今年の洞爺湖でもその掛け声の確認がなされるでしょう。しかし、ざっと考えてもエネルギーの使用量を半分にする事は並大抵の努力では達成できないでしょう。技術の力だけでエネルギー効率を今の倍にすることはほぼ絶望的です。確かに、昔の不細工なエアコンや冷蔵庫に比べて、最新のそれはエネルギーの使用が半分以下にはなっているかも知れません。しかし、これらの機器の効率向上はほぼ頭打ちになっている現在、さらにそれを倍にすることは元技術屋としては、「絶対無理」だと断言しておきます。大きく譲って、さらに2割のエネルギーの削減が可能であったとしましょう。残りの3割は「暮らし方」で削減しなければならない計算になります。

さてその暮らし方ですが、やはり節約だけで3割削減することは結構至難の業だと言わなければなりません。たとえば、食べ物の輸入を3割減らし、冷房温度を30℃に暖房温度を15℃位にし、通勤車での複数名乗り合いを義務化し、住宅の断熱工事を義務付け、高速道路の最高速度を「実質」80㎞/時に制限し、宅配貨物の量を3割減らし、コンビニの店舗数を2万店以下に制限する生活に耐えなければ、その数字は実現できません。その結果起こるであろう「景気後退」と「所得の3割減」、「エネルギー価格の3割アップ」に耐える覚悟が必要となります。

実際上、3割削減は「節約」の掛け声だけでは絶対到達できません。必要な行動は、何かの放棄しかないのです。何を放棄して生活するかは、つまりはライフスタイルの選択の問題であるわけです。とは言いながら、人間は「極めて欲張りな動物」なので、一度手に入れたモノを放棄することが全く苦手です。食べ物に関しては、勿論動物一般は貪欲ですが、しかし満腹した後は必要以上の食物には見向きもしないはずです。しかし人間は、食物に関しては量だけではなく味にも貪欲ですし、多くのオモチャ(ガジェット)にも夢中になります。テレビ、車、周囲に溢れる多くの電化製品、携帯電話、ロボット、などなど。必要以上の食物と必要不可欠なオモチャ以外は、殆ど全て捨て去るという決断をする以外に、今の50%レベルまでの省エネルギー達成はあり得ないでしょう。

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2008年3月 8日 (土)

599 太陽生活3

アメリカでの例ですが、大枚をはたいて屋根にソーラーパネルを設置した人が、隣家の立ち木が影を作るとして訴訟を起こし、6年越しの裁判で勝訴したと、あの国らしいニュースがありました。太陽生活には、最低限利用者のもとに太陽光が、一定の時間差し込むことが前提ですから、日照権はこれまで以上に重要な権利となるでしょう。ノッポのビルやマンションが、日時計のように周りの低い家屋への日照をさえぎる事を是とする今の日照権に関わる法令は見直される必要があるかもしれません。

日照時間で言えば、私たちは大きな可能性を忘れています。それは、道路や駐車場のスペースです。東西に走る道路ののり面や、防音壁は太陽光の理想的な受光面として利用できます。また、駐車場には太陽光が射さない方が、車の塗料劣化が無いため、むしろ付加価値は高められます。つまり、全ての駐車場には屋根をかけて、そこを太陽光の受光面として活用すれば良いわけです。郊外の鉄道駅の近くには高い建物が無いため、日当たりが良い駐車場が多い事を、何時も勿体無いと感じながらながめています。同様に、広い売り場面積を持つスーパーマーケットやショッピングセンターも、屋根に広い受光面というエネルギー資源を持っています。

同様に、戸建住宅の屋根も、やはり理想的な太陽光の受光面です。適当な傾斜がありますので、南向きの屋根面は、晴れた日中には、年間を通じて数キロワット~10キロワットに相当する程度のエネルギーが得られます。投稿者の家でも太陽熱温水器を設置してその一部を利用していますが、まだまだ十分な空きスペースがあります。出来れば、温水器をもう1台上げて、冬もガスの追い炊き無しで入浴したいものだと思っています。もしそれを3台に位にすれば、かなりの量の温水が得られるので、暖房目的にも十分使えそうです。今にして思えば、貧乏生活に入る前に増設工事をしておけば良かった、と少し後悔しています。仕方がないので、不細工にはなるでしょうが自作の太陽熱温水器を作って、物置の屋根にでも上げようか、などと思案中です。

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2008年3月 7日 (金)

598 太陽生活2

以前に書いた「太陽生活」に関して、最近の出来事を書いておきます。太陽生活とは、ストックしにくい「エネルギーの流れ」である太陽光を、工夫しながらリアルタイムで利用しようとする生活スタイルのことです。太陽光は、そのままでは精々モノの表面を数十度に温める程度のエネルギー密度しかありませんが、しかしレンズや鏡を使って集めて(集光して)やれば、得られる温度は数百度程度まで高める事も可能です。ぼんやりした記憶ですが、その昔(多分40年以上も前)日本では直径10メートル程度のバラボラ鏡で太陽光を集光し、なんと6000℃程度の高温が得られた、という新聞記事を思い出しました。

何も、そんな極端な温度までいかなくても、たった100℃もあれば普通の煮物料理ができるはずですし、頑張って300℃弱まで高めれば、ベーキング料理も完璧です。実証のため、とりあえず、投稿者はダンボール板とアルミホイルを使って、一抱えほどの大きさの「太陽熱調理器」を設計しました。本当は、放物面に反射板を多数貼り付けた、多面体としたかったのですが、作るのが大変なので、最低限の17面体に留めました。反射材としてはアルミホイルを使いました。これを数回、小学生の工作教室で作らせて見ましたが、夏場だと90℃程度の温度が得られましたので、ジャガイモの澱粉であれば十分アルファ化できます。

そこで、本格的に製品に近いものにしてみようと思い立ち、反射材を蒸着した素材での試作を知り合いの縫製会社に依頼中です。製品版として作るならもっと複雑にして、より高い温度が得られるものもできそうなので、それも併せて設計中です。できれば、分解式にしてキャンプなどに持っていけるものにしよう、などとアイデアがドンドン膨らみつつあります。然るべきスポンサーを見つけて、これまでに温暖化防止の出前授業などに出かけた小学校や中学校に各何セットか贈りたいとも思っています。そしてこれが、彼らの太陽生活の入口にでもなれば良いなあ、とも思っています。

さて人類は、石油や原子力のまばゆい光に目がくらんだ結果、太陽光という無尽蔵のエネルギー源の有効な利用をほぼ完全に怠ってきたとしか言えません。しかしまだ巻き返しは出来そうです。その意味で、資源の無い日本の産業が、今後生き残る道の一つとして、「太陽産業」を興すことが大きな可能性を生み出すことを断言しておきます。

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2008年3月 6日 (木)

597 捨欲

欲という字は、煩悩を連想させ、何故か悩ましい感じがします。それは人間の本能に近い(つまりは制御しづらい)感情だからかもしれません。禁欲や無欲という言葉もありますが、宗教者や悟りを開いた人ならいざ知らず、凡人がこの境地に達することは難しいことだと思います。次善の策としてここでは「捨欲」を提案したいと思います。あまり聞きなれない言葉ですが、たった今思いついたのですから仕方がありません。欲を全部捨てれば無欲になるでしょうし、修行で欲を無理やり押さえ込めば禁欲になりますが、捨欲は凡人が欲の一部を捨て去る行為になります。捨てるに当っては、先ずは種々の欲望に優先順位を振ることが必要になります。生き物としての、人間が生きていくための根源的な欲望はここでは触れません。根源的な欲望以外と言うのは、例えば金銭欲、快適欲?、遊戯(余暇)欲?、名誉欲(出世欲)、物欲、連帯欲(所属欲)、スピード欲?などを指します。

さて、これらの欲望は人間が生きていくためには、絶対不可欠なものではなく、むしろ個々人によってその重要性が大きく異なる曖昧なものだと言えます。従って、個々人に優先順位を振ってもらうと、そのランキングは結構バラツクはずです。それでもよしとしましょう。いずれにしても、何がMustで何がWantなのか各人が優先順位をつければよいのです。その上で、自分としては何が捨てられそうか考えてみれば良いでしょう。

投稿者の場合は、先ずは安定したサラリーマン稼業を捨て、次いで車と冷暖房を捨てました。それらは、環境おじさんとして生きていく上では邪魔になるし、環境負荷も大きいものだったからです。技術屋サラリーマンを辞めたことについては、実際問題として周囲の理解は今でも得られていません。しかし、そのまま会社に残って、製造でも運行でも環境負荷が極端に大きい乗り物である航空機を作り続ける事は、「環境教に改宗?」した心情が許さなかったのでした。いずれにしても、昔からそうなのですが、金銭欲も出世欲も投稿者の中では優先順位は常に低かったことは事実です。

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2008年3月 5日 (水)

596 休題(フェイドアウト)

投稿者は、しばしば人生を山登りや峠道に例えて考えてみます。特に、人生の中で社会人としての活動ピークは何時であるべきか、また人間としての完成度をどう考えるかが最近のテーマです。前者については、50歳と勝手に決めて、長年勤めた企業を退社しました。しかし後者については、人間棺桶に入るまで勉強し続けなければならないでしょうし、もちろん「人間としての完成」などというゴールを見る事は、元々叶わない夢です。しかし、例えそれが30%であっても「完成度」の自己評価を試みる事は必要な行為ではあります。

さて、社会の中での活動ピークが仮に50歳だとして、幸運にも80歳を超える寿命を貰った人の残りの30年は無意味なものになるのかどうかですが、勿論有意義に暮らす道はあります。しかし、人間50歳ともなれば、社会の第一線に立って社会を引っ張る事からは退く事を決心する必要があると思うのです。つまり、その少し前から後進に道を譲ることを始めなければならない時期だということです。その為に是非とも必要なのは、理想的にはかなり歳が離れた「後継者」あるいは「弟子」を持つ事のような気がします。自分としてはフェイドアウトしながら、後継者をフェイドインさせていくわけです。その作業には、たぶん理想的に行っても10年ほどは掛かると見ています。

その意味で、40歳代から始めるべきこの作業を、団塊の世代とその後継者となるべき世代求めるのは、すでに「時遅し」の段階かもしれません。つまり、団塊の世代のノウハウは、彼らの定年とともにかなりの程度消えて無くなる運命だといえます。投稿者としては、それも致し方ない事だと割り切っています。何故なら、団塊世代のガムシャラな推進力は、来るべき環境の時代には、むしろ危険でさえあるからです。彼らが時代背景として持ち続けてきた価値観は、(「大きいことは良いことだ」CMソングに代表される)大量生産・大量消費を「是」とするものだったからです。

これからの社会を担う若い世代が、そのノウハウを受け継ぐべき先輩世代は、実は戦中・戦後のモノの無い時代を切り抜けてきた、今70歳前後の人たちなのかも知れません。彼らこそ、「無ければ無いなりにやり過ごす知恵」を体の中に染み込ませた世代であるからです。さて、既に50歳の大台に載った人たちには、是非一線を退きながら(山を下りながら)、後進のサポート役(あるいは見守り役)に回ってもらいたいものです。勿論、投稿者としてもとっくにその役回りを自覚しながら日々暮らしています。困った事にいまだ弟子には恵まれていませんが・・・。

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2008年3月 4日 (火)

595 漸近線

現象が、ある一定の条件に収束するとき、曲線が直線に寄り添うように近づきます。その直線を漸近線と言いますが、ここではその近づき方を考えて見ます。近づき方には大きく分けて2つが考えられます。上からのアプローチと下からのアプローチです。例を挙げましょう。例えば暖房温度です。暖房の全くない生活から、やっとお金が貯まって暖房器具が買えるようになった場合を下からのアプローチと呼び、エアコンや石油ストーブをバンバン使う生活をしていて、温暖化防止の声がうるさいから暖房温度を下げようとする場合を上からのアプローチを呼んでおきます。さて、この二つのアプローチで、とりあえず快適だと感ずる温度はどうなるのでしょう。多分、前者では15-18℃、後者は20-23℃くらいに落ち着くはずです。つまり、快適さの度合いは、どの様にアプローチするかによってかなり異なる結果になります。

同様のことが、環境負荷増加に関わる人間の行動全てに当てはまるでしょう。徒歩で行ってみようと考える距離、満腹だと感じる食事量、東京から大阪まで行くのに辛抱できる時間の長さ、宅配便を送ったと電話連絡が入ってから届くまで待てる日数、喉が渇いたと感じてから最初に見つかる自動販売機まで「まあまあだ」と感じる距離などなど。

毎日このブログをお読みの方々には投稿者の言いたい結論がご想像願えると思いますが、現在の環境問題の軽減に、高い位置からソフトランディングすべき漸近線を見出すアプローチは成功しないだろうと考えています。近づくべき漸近線は、もし地球上に化石燃料が全く存在しなかったら、一体どの様な暮らしが可能なのか、という最低限の暮らしを定義しておいて、では少しマシな生活はどの程度まで「環境が許すのか」というアプローチで、その線を引く作業を行っていかなければならないと思うのです。分かり易く暖房温度の例で言えば、快適に過ごせる最低温度を探すのではなく、風邪など引かないで、あまり霜焼けも作らないで、何とか健康に暮らせるギリギリの温度を探さなければならないという事です。勿論、同時に私たち自身も、すでにかなり退化してしまった感はありますが、多少の厳しい環境にも耐え得る「動物としての生存能力」を鍛え直すこともまた必要な行動です。

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2008年3月 3日 (月)

594 エコマニファクチャリング

エコマニファクチャリングという言葉があります。環境保全を織り込んだもの造り、というほどの意味です。工場では、原料を加工(形を変えて)し製品として出荷しますが、その過程では原料を、設備を使い、エネルギーを投入して加工します。一方、工程からは不要な物質(産業廃棄物)が必ず排出されます。一時、「ゼロエミッション工場」などと言う言葉が流行りましたが、多くのケースではまやかしが含まれていました。つまり、例えば上流工程で予め不純物を除去した原料を使えば、ある工場の製造工程からは殆ど廃棄物を出さずに済むわけですが、実際には上流工程ではその分の廃棄物を出していたりするというごまかしの事です。

これでは、本物のエコマニファクチャリングとは呼べません。投稿者が提唱するエコマニファクチャリングでは、可能な限りモノの形を変えません。つまりは加工の度合いを下げる事に気を使うわけです。例えば、現在では誰もネジを旋盤で削る、などとは考えません。転造と言う塑性加工技術を使えば、一切の切り粉を出すことなくネジの加工が完了します。更に議論を進めれば、例えば製品からネジ自体を無くす事も可能です。現代の技術を使えば、金属と金属を溶かす事無く、練り合わせて接合する事も可能です(FSW=摩擦撹拌接合のことです)。この接合にはボルトは不要ですから、ネジの加工自体を無くす事が可能となります。部品点数も減って、原料もコストも下がる事になるでしょう。

とは言いながら、現在のもの造り(特に金属部品の加工)には、いまだに多くの切削機械が使われています。統計によれば、金属を削る機械は国内だけでも70-80万台あるそうですが、それぞれの機械からは日夜切り屑が排出され続けているはずです。もの造りを、削らない加工(つまりは塑性加工などの事です)を中心にした加工に切り替えて行けば、日本のモノづくりに関わるエネルギーも資源もまだまだ削減できる余地を残していると思うのです。高度な塑性加工、即ちFSWや冷間鍛造技術や逐次整形技術や肉寄せ鍛造技術の追及は、エコマニファクチャリングへの一つの近道だとは言えそうです。

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2008年3月 2日 (日)

593 バイオ燃料

春なので、今朝からまた朝のアップに戻しました。先日の沖縄マラソンで、サトウキビから作られたアルコール燃料を使った車が先導したことが「ニュース」になっていましたが、記事を読んで思わず鼻で笑ってしまいました。中身を見れば何と使われた燃料はE3だとのこと。この燃料にはアルコールがたった3%しか入っていません。その、原料が沖縄産のサトウキビだったとしても、さも画期的なことが行われたとの報道は、過剰な扱いと言わなければなりません。もっとすごい事が、20年以上前から、地球の裏側ではとっくに実現されていました。それはブラジルでの事です。その頃から既にブラジルでは、ガソリンにアルコールが20%以上も混入されています。投稿者がブラジルに滞在していた2000年前後でも、アルコール燃料で走るワーゲン(懐かしいビートルです)が、キビキビしたガソリン車に混じって、トロトロと走っていました。アルコール燃料がガソリンに比べて、出力が落ちるので、加速は良くないのです。とはいいながら、アルコール混合燃料は、輸入のガソリンに比べて半分近くの値段なので、庶民は迷いなく前者を選択するわけです。

さてブラジルでは、農村地帯に行けば、一辺が数キロ単位のサトウキビ畑とオレンジ畑が市松模様を作っていました。大型の機械でバッサバッサと刈り取り、見上げるほどにサトウキビを満載したトラックが走りまわっていました。ブラジル国内には、規模の大きなアルコール蒸留工場が300個所ほどあり、莫大な量のエタノールを送り出しています。まさに、畑に油田があるようなものです。そのホンの一部はピンガー(焼酎)になって人間さまの胃袋に入りますが、ほとんどの量は車の燃料と日本など海外への輸出に回されます。

ブラジルの車は、ガソリンでもアルコール混合燃料でも走るデュアルモードに設計されています。厳密に言えば点火タイミングは燃料によって変える必要があるのでしょうが、実質問題はありません。それよりも、アルコール燃料の場合は燃料系統の配管の腐食問題への対策が重要です。混合するアルコールは無水エタノールであるのは当然ですが、アルコールは水分を取り込み易いので、通常の鉄やアルミやゴムの部品を使ったノーマルのガソリン車では、短期間のうちに燃料系統でトラブルが発生するのです。最初からアルコール用に設計しておけば、ガソリンでも問題なく使えるはずです。

基本的には、人力で刈り取る小規模な沖縄のサトウキビを、車の燃料にして燃やしてしまうわけにはいかないでしょう。それは、人手で車を押して走らせるのとあまり変わりません。そうではなくて、日本では間伐材や農業残渣あるいは下水汚泥など量的に確保できるバイオマスからエネルギーを得る技術を磨くべきなのです。最初は税金を使って大きな補助金を乗せてでも、バイオ燃料の利用を拡大すべき時期ではあります。

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