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2008年5月11日 (日)

663 排出権ごとき

排出権とは、一義的には二酸化炭素を出す権利を売り買いする制度ですが、問題は二酸化炭素の排出者に課す上限(キャップ)です。つまり、その上限を超えてしまった人は、お金を出してまだ余裕がある人(事業者)から権利を買うことになるわけですが、そのキャップの決め方が大問題です。つまり、世の中に絶対に必要なもの(衣食住関連)を作っている重要な事業所も、レジャー産業やお遊びグッズを作っているそうでない事業所も、一律にキャップを載せられた場合を考えてみると、世の中は大変な事態になることが予想されるからです。かといって、衣食住に関わる基幹産業と、サービス業のキャップの重みに差をつける事は、自由主義経済の社会ではご法度です。それは、最終的には業種によって、環境負荷の色分け(または差別)にもつながるからです。しかも、いくら環境負荷が高くとも、例えば食品産業に重いキャップを義務付けると、食糧価格の値上がりにもつながるでしょう。

排出権取引には、軽いキャップには排出抑制の効果は無いでしょうし、かといって重過ぎるキャップは産業構造を歪める、という難しい舵取りが必要になります。もし排出権取引を、正しく機能させたいのであれば、産業ごとの環境負荷の公平な評価と同時に、社会に対するその産業の重要度も同時に評価しながらキャップの重さを参酌しなければなりません。これは、事実上矛盾だらけの作業に陥り、多分全ての利害関係者からブーイングが噴出するのは間違いありません。それは、たとえば仕事で使っている車と、遊びか暇つぶしでドライブしている車を、区別し、しかも排気量に応じて、それまでの実績としての運行距離の上限を定めるような、ややこしい作業となるからです。

とは言いながら、排出権ごときに環境問題は解決できない事は、全く自明です。何故なら、このブログで何度と無く指摘しているように、権利とかお金とか、色のついていないモノにすり替えた瞬間、実際はその裏でいくら環境に対してあくどいやり方で手に入れたモノであっても、誰も文句を言えないからです。結局はお金で解決しようとする排出権云々の議論ではなく、先ず排出量を減らすための100くらいの多様な方策を立てる事にこそ衆知を集めるべきでしょう。

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