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2008年7月 1日 (火)

714 諦め

少しぼけ気味です。別件が気になって今朝の投稿を忘れていました。

省エネ技術や政策誘導や経済政策では地球規模の環境悪化には立ち向かえないことを縷々書書き綴ってきました。それは、化石燃料の使いすぎで起きた火事(環境悪化)を、ガソリンエンジン付の消防車(科学技術)で、涸れかけてきた水源から水を汲み上げて消化活動をする努力に似てもいます。今行うべきは、人力による「バケツリレー」しかないと思うのです。

化石燃料の消費を減らすには、省エネ技術を開発するのではなく、化石燃料無しで済ます暮らしや社会の仕組みを工夫する必要があります。具体的には、何をするにも消費者は、できる範囲で一汗掻かなければならないシステムにしておくのが良いでしょう。例えば、車の使用について言えば、車は人口当たりに決まった台数が割り当てられた共有制とし、予約しておかないと使えないようにします(カーシェアリングシステム)。自分の家の車庫に行き、鍵を差込、チョイとひねるだけで車が使える様になっている限り、ズボラに流れやすい人間には、車の使用を控えるなどのプレッシャーは働かないのです。そうこうしている内に、面倒くさがりの人たちは車に乗るのを諦め、自分の足で歩くか、自転車を頻繁に利用するようになるでしょう。

人間は、目先の不便には敏感で、もし強制力で不便を強いられると、声を揃えてブーイングを始めるでしょう。しかし、幸いな事に人間には学習能力があり、新たな状況にも順応する潜在力を秘めています。しかも、その状況が長引くと、多くの人は他人に要求することを諦めて、できる範囲内での自助努力を始めることでしょう。諦める能力に乏しい人たちは、来るべき低炭素社会では生き辛くなると思われます。彼らは、手に入れてしまった権利やモノを手放すことを拒み続けます。環境が最早それを許さなくなった状況でも、最後まで利便にしがみ続ける事でしょう。

そうではなくて、先に利便を諦めて、先にそれに代わる工夫を始めた人たちが最後に笑うことになるはずです。方向的に言えば、その人たちの目は、都会ではなく田舎に向かうのが自然です。何故なら、かつては田舎の不便さに我慢が出来ない人たちが都会に向かう潮流が、現在の利便至上社会を作ってきたからです。

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コメント

ご無沙汰していました。
しばらくぶりに時間が出来て、読んでいます。
勉強になります。 (~o~)/


> 方向的に言えば、その人たちの目は、都会ではなく田舎に向かうのが自然です。

●これを実現するには、約600万人の団塊世代が積極的に役割を果たすべきかなと。 団塊世代が全人口の5%近くを占めているわけだから、この意識が社会を変えうる原動力になるのかなと思っています。

投稿: | 2008年7月 4日 (金) 06時32分

団塊世代だけが田舎へ移れば事が済むのではなく、むしろ先ずはその流れを作る先導役になってもらう必要がありそうです。

投稿: 環境坊主 | 2008年7月 4日 (金) 07時28分

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