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2008年7月 2日 (水)

715 カーボンクオタ

表題は、オタクの間違いではなくてクオタです。「基本的人権」は、この国の憲法でも、国連憲章でも明確に書かれています。しかし、そこに欠けているのは、多分「基本的なカーボン排出権」ではないかと思っています。つまり、この権利とは人間として清潔で文化的な生活を送るために許される最低限度のカーボン排出量を指すものです。とは言いながら、熱帯に住む人と、厳寒の地に住む人では、やはり必要とするカーボン排出量は異なりそうな気がします。ですから、大前提として、適切な「カーボン・ハンディキャップ」の設定は必要です。しかしながら、食物に火を通すこと、週に何度かシャワーを浴びて体を清潔に保つ事、夜間に家族が団欒するためや読書のための最低限の照明など、基本的なカーボン排出権は保障されるべきでしょう。それに加えて、気候から受けるストレスを、辛抱できる範囲内まで弱めるためのカーボン量を加えたものを、一人当たりのカーボンの割り当て(=カーボンクオタ)と呼んでおきましょう。

さて、そのカーボンクオタを越えた分に関しては、その原因を作った人に、その量に応じた「累進的なコスト負担」を求める訳です。大金持ちは、しかし湯水の様にエネルギーを使うでしょう。それでも、目の玉が飛び出るくらいのカーボン税の攻撃を食らうわけですから、強い抑制力が働くでしょう。一方、クオタ内のカーボン排出については、基本的な権利なのですから、十分に低いコスト負担が保証されなければなりません。そのためのコストは、カーボン税からの補助金で助成する事に決めましょう。

さて、それで不公平感なく世の中が回って行くかどうかを想像してみると、現状ではやはり否定的な人が大多数を占める事はほぼ目に見えています。何故なら、このカーボンクオタは、神様でもある「環境」だけが決めることが出来るのであって、所詮人間には社会的合意を得ながら決める事は「絶対」に出来ないのは明らかだからです。それこそ、カーボン資源を持つものと、それを持たない人たちの間の利害の衝突で、血で血を洗う争いが起こる事でしょう。とは言いながら、ラッキーに恵まれて、環境が許すカーボンクオタに比べ何倍か、或いは1桁以上過大なカーボン排出量を享受し続けている先進国は、率先して大幅なカーボン減らしに取り組まなければ、途上国への説得は力のないものになり下がるでしょう。

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