« 739 ゼロベースからの発想 | トップページ | 741 休題(HDDが転んだ) »

2008年7月27日 (日)

740 快不快

利便の追求とは、つまりは快の追求及び不快の回避であるわけです。しかしながら、そこに持ち込まれた価値観はあまりにも一面的なものだったといえます。極端な言い方になりますが、これまでの(特にメーカーが押し付けてきた)快とは、一義的に「筋肉と頭を使わない事」であった訳です。それまで人間が自らの筋肉を使って行っていた事を動力(モーターやエンジン)で代用する「動力化」、また、人間が頭を使って考えて実行していたことを機械に行わせる「自動化」がその中身であったのです。

具体例として車についてみれば、その傾向は顕著です。具体的な車の「快」装備としては、パワステ、パワーウィンドウ、パワーシート、電動ミラー、オートエアコン、極めつけはオートマチックシフトでしょうか。他方、自動化についてみれば、上とも重なりますが、エアコン、オートマに加え、ナビゲーション、加えて運転者が決して意識する事のない多数のセンサーとマイクロコンピュータが挙げられます。これらの装備の結果、車の「快適度」は非常に高くなりましたが、車重は普通のセダンでも200-300kg程度は重くなり1トン前後が普通となりました。その結果、パワートレイン(動力系)の大幅な効率向上が達成されていながら、カタログ値ではない実際の燃費で見れば、30年前と殆ど変わっていないと見てよいでしょう。車利用の初期の目的は、運搬や移動に関わる筋肉労働の軽減であり、人力では到達できない場所までの行動半径の拡大であった訳です。それが、何時の頃からか、車は快適さを追求する製品の代表に変貌してきたようです。

家電品でも同様の事態です。炊飯器や電子レンジや洗濯機や掃除機やエアコンやガスレンジなどにもマイコン(マイクロコンピュータ)が埋め込まれ、人間は、スイッチを押すだけの存在になり下がりました。水加減、火加減、洗剤量や洗濯時間、温度調整などで全く体も頭も使わなくて済む時代になったのです。自分で何も考えないうちに体が勝手に動いて行動する人間を、投稿者は「自動人間」と呼んで馬鹿にしていますが、時々自分も「自動行動」をしている事に気がつき苦笑します。

|

« 739 ゼロベースからの発想 | トップページ | 741 休題(HDDが転んだ) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/185422/41980836

この記事へのトラックバック一覧です: 740 快不快:

« 739 ゼロベースからの発想 | トップページ | 741 休題(HDDが転んだ) »