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2008年10月31日 (金)

835 太陽光の徹底利用(水2)

地上の標高の高い場所に降り注いだ氷雪や雨は、必然的に川となって流れ下り、やがては海に流れ込んで、位置エネルギーを失います。その途中で、ささやかに「水の持つ位置エネルギー」を頂戴してしまおうとするのが水力発電です。

水力発電は水車や発電機などの装置が必要で難しそうですが、ものは考えようです。ある程度、水頭(ヘッド)が取れる場所では、中古のインペラポンプを買ってきて、逆から水を流せば結構回転数も稼げる立派な水車に変身しますし、年間何百万台の廃車にされる車には、まだまだ使える発電機が付いたままです。これを適当な減速(増速)率のプーリーとベルトで結合すれば、ミニ水力発電所の完成です。

一方、水量はあるが、落差の小さな流れには、やはり上掛け水車が適当でしょう。ややメカニカルな構造ですが「オルソプター型」水車も、投稿者好みの水車の形態です。この種の水車では、回転数が大きくできない事情があり、増速機を追加するか、或いはやや図体が大きくはなりますが、低速型の発電機を使う必要があります。しかし、残念ながら探してみても小型で低速型の発電機は需要も無いこともあり、なかなか見つからないのが実情です。

いずれにしても、日本の様に多数の短い川や、灌漑用水路が発達している国では、水の流れを場所ばしょの事情に合わせて、まめに利用することを心掛ければ、潜在的にはまだまだ多くの小水力発電所の適地を見出す事ができると思われます。勿論、水量は渇水期や農業用水の取水などの季節的変動がありますので、これらのミニ水力発電所は、発電しない時期や増水期には容易に退避できるような、可動式の仕掛けを持っている必要はあります。

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2008年10月30日 (木)

834 太陽光の徹底利用(水)

太陽光の作用で、最も重要なものの一つは、実は水(淡水=雨)の精製です。海洋として莫大な量が存在する海水は、実は陸上に棲む生物にとっては殆ど役に立ちません。植物は雨や土壌中の水分である淡水を必要としていますし、その植物を餌とする動物も、飲むのはやはり淡水に限られています。しかし親切な太陽光は、海水を温め多量の水蒸気を発生させ、雲を湧かせ、陸上にほぼ純粋な水である雨を降らせてくれます。

これまでは自然に任せて雨を待つだけでしたが、化石エネルギーを使わないで、より多くの淡水を得るシステムの研究には、もっと注目し、もっとお金とマンパワーを注ぐべきだとは思います。具体的には、太陽光ディステラー(蒸留器)のようなものになるでしょう。それは、太陽光で効率よく海水を温め、温度が低い海水でそれを凝縮して淡水を得るプラントです。安価で効率の高い熱交換器の開発が必須ですが、決してハイテクなどは必要なく、ローテクの改良で十分役立つはずです。できた蒸気や水の移送も可能な限り対流や流下など自然の力(重力)に頼りますが、最低限の動力は太陽光発電で得る事になります。このプラントを、砂漠の国の海岸に並べて緑化を行えば、狭い範囲ですが、幅数百メートル程度のグリーンベルトを維持する事は可能と考えられます。できた幅の狭い緑地が海から雲を呼び、自然な降雨量も間違いなく増加するはずです。砂漠に雨が降らないのは、海上で生まれた雲が、乾燥しきった砂漠の上空で、まさに胡散霧消してしまうからで、少しの緑地でもあれば、その緑地の上には湿気があるので、結果として雲を呼ぶ事は十分可能だと考えられるのです。言わば、これはより大量の降雨の呼び水としての淡水プラントとなるわけです。いずれにしても砂漠は、現状のまま放置すれば、永遠に砂漠のままで利用価値の無い土地であり続けるのですから・・・。

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2008年10月29日 (水)

833 太陽光の徹底利用(風)

太陽光が海面や地上に降り注げば、必然的に地形に起因する温度差が生まれ、風が起こります。風力は、非常に古くから使われている太陽エネルギーの一形態です。オランダは、車軸以外は、古くから石と木材で作られた風車で干拓地の水を汲み上げる事によって国土を維持してきましたし、スペインや地中海地方では、木製の骨と布の翼を持つ簡便な風車が使われていました。一方、新大陸(アメリカ)では、主として人間の飲料水や家畜の飲み水を得るために、多翼型の井戸水汲み上げ様の風車が、内陸部の開拓を進める原動力になってきました。このタイプの風車では小規模な自家発電も行われていたことでしょう。

しかし、大規模で近代的な発電風車の開発は、1970年代のオイルショックまで待たなければなりませんでした。長いスパンがスパンを持ち、かつ軽量でありながら強風にも耐える風車の翼を実現するには、構造材としての高強度アルミ(ジュラルミン)や複合材(FRPCFRP)の登場まで待たなければならなかったからです。

国内でも、その当時K社のCFRPの大型翼(三宅島の実験プラント向け)や、船舶の可変ピッチプロペラーの技術を転用したM社の中型風車が開発されましたが、M社が数百基の中型風車をカルフォルニアに立てた以降は、石油が潤沢になりだした逆オイルショックによりそれ以上の展開が止まってしまったのでした。

一方粘り強い欧州人は、地道に風車の開発を続けていましたので、日本国内の大型風車の全ては、スペインやドイツやオランダやデンマークのメーカーの製品を購入しているという情けない状況です。やっと、最近になってM社やF社が中型風車の市場に国産機を投入し始めたものの、遅きに失したと言わざるを得ないでしょう。とは言うものの、技術の改良に一日の長がある日本としても、遅ればせながら、台風にも微風にも対応できる日本型の風車の開発にパワーを注ぐベき時ではあります。

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2008年10月28日 (火)

832 太陽光の徹底利用(熱2)

更に長期間にわたる熱の貯蔵に関しても検討する価値はありそうです。日本の様な四季がはっきりしている地域では、例えば夏に熱を蓄えておいて、冬の暖房に利用するとか、逆に冬に雪や氷を蓄えておいて、夏場の冷房や農作物の冷蔵に応用するとかのアプローチです。

実際、かつてソーラーポンドなる仕掛けが考えられた事がありました。それは、温度が上がれば比重が大きくなる特殊な液体を池に満たしておき、夏場に熱を溜め込むと言う単純な仕掛けです。液体が水より密度が大きければ、表面に水を張っておけば、見かけ上は普通の池として機能もするでしょう。その水の下では、夏の間この液体が強い日光を受け、池の底に熱を蓄え続ける事になります。

冬になって気温が下がると、この池の底に張り巡らしたパイプに水を送りこめば、温まった温水を取り出すことが可能となります。池の大きさと深さを十分に取っておけば、池の周囲の何十軒かの住宅やいくつかのビルの暖房熱を賄う事が可能となるわけです。多分、環境にも安全なこの特殊な液体を見つける事ができなかった様で、このアイデアは現在実用化にいたっておりませんが、最近安全な「塩水」を使ったシステムが実験されているようで、その結果に注目しています。このシステムでは、比重の大きな(濃い)塩水を淡水の下に閉じ込め、蓄熱剤として使うアイデアです。

この他には、温度変化により相変化を起こすGel状の物質に熱を蓄える研究にも有望なものが見つかるかも知れませんが、この種の研究は種々の物質に対する「絨毯爆撃的実験」を必要とするので、手間隙も費用も掛かると想像されます。根気のある研究者と、それをサポートする公的研究費の待たれるところです。

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2008年10月27日 (月)

831 太陽光の徹底利用(熱)

太陽光に含まれる電磁波の内、可視光線より波長の長いものは赤外線と呼ばれます。赤外線を皮膚に受けると、温点が刺激を受けて暖かく感じ、実際皮膚の温度も上がるので「熱線」などと呼ばれることもあります。赤外線の波長は、大気を構成する分子の大きさに近い事もあり、特定の波長の赤外線のエネルギーは、特定の(気体)分子に吸収される(つまりはその分子の運動レベル=温度を上げるのに費やされる)からこそ、大気の温度が現在のレベルに維持されていると言えるでしょう。比較的波長の長い赤外線は、大気中の水分子(水蒸気)にその殆どが吸収され、残りはメタンや炭酸ガスに吸収されます。これらの気体はひっくるめて、温暖化効果ガス(GHG)と呼ばれたりもします。

さて、これらの赤外線を直接利用しようとすれば、艶の無い黒(フラットブラック)の平板を使って、集熱板(ヒートコレクター)を上手く設計すれば、簡単に50100℃前後の温度を得ることができるはずです。(カナダ発の技術ですが「ソーラーウォール」と言うものもあります)これは、暖房や給湯など、比較的低い温度での利用に有効なコンポーネントとなるはずです。一方、パラボラ鏡や多数の反射鏡を使って光を集めれば、数百℃の温度を得ることも可能となります。1960年代には、「太陽炉」の開発も盛んに行われた事がありましたが、投稿者の記憶では確か6000℃程度の超高温が得られたはずです。そこまで行かなくても、数百℃と言えば、タービンを動かす高温の蒸気を発生させることができ、家庭では十分にオーブン料理もできる温度ではあります。

太陽光の熱利用では、安価で有効な集熱器と、集めた熱を上手く伝導する仕掛けである「熱コンダクター」の開発が必要になりそうです。

更には、集めた熱を夜まであるいは数日間蓄えておく、これも安価で安全な蓄熱器の開発も不可欠です。これ無くしては、太陽熱の利用は限定的になってしまいます。最も単純な例は、熱を水に蓄えて温水としておくものです。日中にできた温水は、上手く断熱しておけば夜になってもバスタブに給湯するのに最適な温度を保ちます。

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2008年10月26日 (日)

830 太陽光の徹底利用(光2)

太陽光の持つ光エネルギーの利用は、無機物質を使った電池応用ばかりではありません。最大の、しかも最も重要な利用法は、実は植物に成長して「いただく」ために太陽光を利用する方向なのです。何故なら、それが、私たちが食糧を口にする殆ど唯一方法だからです。私たちは、石油や石炭を原料として、安心して口にできる食べ物を作る技術をまだ編み出していません。しかたなく、人類が地球上に現われて以来、100%植物(可食植物=作物)やそれを食って生きている動物の肉に依存せざるを得ない状態が続いているわけです。

さて、太陽光を植物に有効に利用していただくためには、人間は何をしなければならないのかですが、何は無くても私たちが利用させていただく植物様には、好きなだけ太陽光を浴びていただく必要があります。その為に、私たちは田畑を耕し、肥料を入れ、雑草を始末しながら植物(作物)のご機嫌を伺うしかできる事は無いわけです。しかし、非常にまずい事に、日本では戦後一貫して農地を狭め続け、現在までに大方1/3の農地を潰してしまいました。元々の農地には、いつの間にか建物が建ち、ふと気がついたら道路が拡幅され或いは新しいバイパス道路建設のために埋め立てられていました。

しかし、簡単に諦める必要はありません。太陽光は元農地の上に立っている建物や道路の「のり面」にも分け隔てなく注がれています。これからの時代、私たちは工場やビルの屋根、或いは道路ののり面など、あらゆる場所を植物(作物や樹木)のため明け渡し、私たちの口に入れるための食べ物やエネルギーを作っていただかなくてはなりません。建物の屋根や壁や道路のアスファルトに、太陽光が注がれる必然性は全く無いのですから。

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2008年10月25日 (土)

829 太陽光の徹底利用(光)

化石燃料に頼りっ放しの現代社会から、来るべき持続可能な社会への脱皮を果たすには、事実上永遠のエネルギー源である太陽光にベッタリと頼るしかありません。以下では、太陽光の持つエネルギーを徹底的に利用するための考え方や具体的なプロジェクトにつながる様なアイデアを示して行くことにします。

さて種々の波長を持つ電磁波の束である太陽光の利用に向けては、ある程度波長別に用途を考えていく必要がありそうです。先ずは、目にも見える電磁波である光を考えて見ましょう。光の内でも波長の短い青色の光や紫外光の多くは、地球の大気を構成する分子によって散乱させられ、ごく一部しか地上には到達しません。しかしながら、波長の短い電磁波のエネルギーレベルは非常に高いのです。植物の光合成サイクルでも、葉緑体ではこの短い波長の電磁波を有効に使って分子合成のエネルギー源としています。一方、紫外線による日焼けでも分かる様に、このエネルギーレベルの高い紫外線は、生物にとっては危険な電磁波でもあり、言わば「諸刃の剣」だとも言えるでしょう。

光のエネルギーレベルの高い波長部分を使うのであれば、なには無くとも太陽光発電しかないでしょう。しかし現在主流となっているシリコン電池は、原料の調達に不安が残ります。純粋なシリコンの製造には、原料調達と同時に安価で大量の電力も不可欠であり、日本にはそのどちらも不足しているからです。資源の少ない日本の進むべき道は、多少効率が低くても、「薄膜型」か、シリコンに全く頼らず安価に製造が可能な「色素増感型太陽電池」しかないように思います。それも酸化チタンを使ったものではなく、酸化亜鉛などより安価な物質で実現する必要があります。現在の技術的課題は、集光効率が高く安定な増感色素と、液体ではない(半固体の)電解膜の開発だと言えそうです。

一方、太陽光の光利用については、その直接利用(つまりは昼光の活用)がもっと促進されて然るべきでしょう。晴れた真っ昼間に、煌々と天井灯をつけているビルやコンビニを見るたびに、どうにかならないかと、もどかしく思っています。集光レンズと追尾装置と光ファイバーを使った、凝った仕掛けも提案されてはいますが、コストを考えれば、精々ステンレスやアルミのダクトを使った、安価なものでなければなりません。

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2008年10月24日 (金)

828 草抜きロボット

帰農を「果たした」友人によれば「農業とは雑草との戦いである」との事。さもありなんです。「780雑草の戦略」でも少し触れましたが、彼らは実に多くの戦略を駆使して、ひ弱な作物に先んじて田畑を占領しようと画策します。しかし、その友人の話を聞いて目からウロコが落ちたような気がしました。それは「雑草を含む全ての植物は双葉から始まる」というものでした、確かに、地下茎で勢力を伸ばすスギナなど一部を除けば、ほぼ全ての植物は種から芽を出し双葉を開くわけです。であるならば、茎や葉や根を伸ばし、すっかり蔓延った雑草と戦うのは馬鹿げたことで、双葉の内に取り除いてしまえば、何の苦労もないはずです。問題は、無数の小さな双葉を、腰をかがめてコツコツと引き抜く根気の持続だけだと言えます。つまりこれは、草は刈るものではなく、抜くものだった、と言う小さな発見です。そこで、小さなプロジェクトとして草抜きロボットの開発を提案しておきましょう。

それは多分、幅と高さが100mm前後、長さが300400mm程度の箱型ロボットになるでしょう。動力は箱の上面に貼った小さな太陽光パネル(多分10-20ワットくらいの出力)で、耕して、軟らかく凸凹になった畑地を這いつくばるので、移動のための車輪やキャタピラーは設けず、「ほふく前進」する兵士の如く、短い腕を交互に動かして前進します。先端には、双葉の雑草を目ざとく発見するための目(カメラ)と、それと判別するマイコン、見つけるや否や0.1秒以内に抜き去る「第3の腕」を持っています。畑の四隅には、電波を出す小さな発信機を埋めておき、このロボットには日がな一日、畑の中を這いずり回って草を抜き続けるようにプログラムしておきます。太陽が沈めば、このロボットも眠ることになります。曇りの日は、電池の出力が数分の1になるので、動きが緩慢にはなるでしょうがそれもいたし方ありません。

その友人は、このロボットが5万円以下で売り出されるなら、数台買っても良いと言っていました。それほど、草抜きは退屈で根気の要る、あまりうれしくない仕事の様ではあります。

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2008年10月23日 (木)

827 バベルの塔

中東で1000mを越える超高層ビルが建てられるとか。このニュースを聞いた時、真っ先に頭に浮かんだのは「バベルの塔」の伝説です。天に至る道として建設された螺旋状の塔は、建設途中で崩壊したと語られています。日本でも、バブルが華やかなりし時、同様のビルが計画された事がありますが、これらのバカバカしい「バブルの塔計画」がなくならないのは、やはり人間の持つ「根源的な愚かしさ」故かも知れないと感じています。何の意味があって200階にも上る高さのビルやタワーを作る必要があるのでしょうか。想像するだけでも、エレベータから降りた多くの人は、間違いなく耳に痛みを感ずるはずですし、そのビルを建設し、維持するのに要する膨大な資材やエネルギーを考えるだけで、胸に痛みを感ずるのは投稿者だけではないはずです。それとも、航空機の様に上の階は気密構造にした上で「与圧」でもするつもりなのでしょうか。正気の沙汰とはとても思えません。

バベルの塔らしき計画が無くならない根源には、アステカの神殿やエジプトのピラミッドや万里の長城の例を引くまでもなく、力の誇示が目的であるからに間違いないでしょう。この計画も、中東のオイルマネー長者の最後の仇花になるのかも知れません。

バベルの塔と月面に人を送る事は、実は根の部分では同じなのかもしれません。それは所詮神にはなりえない人間と言う存在が、その知恵や能力の限りを尽くして、神へ近づこうとするあがきの様なものかもしれません。不思議な事に人間は、客観的に見ればそれが明らかに失敗に終わる事が分かっている場合でさえ、構わず突き進むおバカな存在でもあります。結局、人間は、何故それを成し遂げなければならないのかを「説明できない事ほど夢中になれる変な癖」を持つ存在だとも言えそうです。

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2008年10月22日 (水)

826 着陸点

投稿者流のたとえ話では、私たち人類は有限の燃料で飛び続けている航空機の乗客であるとも言って来ました。この喩えでは、直接的な燃料である化石燃料は勿論、資源や食糧に至るまで全て有限ですが、しかし客室の中では毎日子供が産まれ続けて、乗客数が増え続けてもいるわけです。二酸化炭素の排出や、SOxやNOxなど化石燃料起源のガスも増え続けて、視界もますます悪くなってもきています。

そろそろ私たちは、着陸すべき地点を探さなければならない時期にさしかかっているはいるのですが、ここに来てもなお目先の利かないパイロット(指導者)達は、景気の浮揚による経済の活性化論議を繰り返しています。もし、航空機が飛んでいる最中に燃料切れを起こした場合を想定すれば、その航空機は間違いなく墜落し、地上に激突するしかないわけです。(ハードランディングシナリオ) 一方で、着陸地点を頭に置いた、賢いパイロットなら、徐々に高度を下げて、滑らかに着陸する算段(ソフトランディングシナリオ)を考えるはずです。

では具体的に「着陸」とは何を意味するのでしょうか。着陸とは、航空機にとっては文字通り高度がゼロで、静止しており、燃料が必要のない状態を指します。つまり、究極的な着陸とは化石燃料消費ゼロの社会(ゼロカーボン社会)を意味しているのです。この社会では、頼りにできるエネルギー源としては100%の太陽光依存しか考えられません。本当に賢いパイロットならば、今持っている燃料の多くを、将来の太陽光利用のための開発に振り向けるでしょう。 あまり知恵の無いパイロットは、できるだけ燃料を節約しながら、少しでも長く飛び続ける事を考えるでしょうし、愚かなパイロットは、エンジンを吹かして更に加速し、高度を稼いでできるだけ遠くまで飛ぼうと考えるのです。

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2008年10月21日 (火)

825 休題(熟成)

最近殆ど本を読んでいません。特に読みたい本が無いこともありますが、実際のところいくら本を読んでも、それを消化できないと時間の無駄にもなりかねないからです。それよりも、これまでに読んだ本の内容を、改めて反芻しながら自分のものとして消化・吸収しようと考えているこの頃です。それは、さながらワインやウィスキーの熟成にも似ています。例えば、環境問題に関する本は数え切れないほど発刊されており、殆ど毎日に様に追加され続けてもいます。しかし、その多くは警告を発する事やその(表面上の)対策については熱心に説いてはいますが、大元の原因を作った、社会を構成する「私たち自身の生き方」についての指針を示しているものは結構少ない様な気がします。つまり、「どうしたら環境にやさしく暮らせるか」ではなく、「何故環境負荷を小さくして暮さなければならないのか」と言う視点を持たなければならないのです。

何度も書きますが、環境問題の解決(少なくとも今以上の悪化の食い止め)には、5-6%のささやかな省エネルギーやリサイクルの推進、ましてやレジ袋の削減程度では、全く届きません。まずは、私たち自身の価値観の転換から始めるしかないと思います。今の利便性やアメニティを維持したままで、エネルギーや資源の使用量を半減する事は、ほぼ不可能だと断言できます。増してや、温暖化に有効なブレーキが掛けられる1/4レベルまでの削減など夢のまた夢です。

投稿者の中で熟成しつつある生き方の方向としては、精神的な満足に重きを置く社会への移行しかないと思っています。そして、来るべき社会のベースに据えなければならないのは、やはり我々を育んでくれている自然環境への「感謝の心」しか考えられないとも思います。これは、決して「環境原理主義」などではなく、むしろ仏教や古神道などにも通ずる、精神的な安息を求めるココロへのアプローチだと言えます。

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2008年10月20日 (月)

824 帯とタスキ

エネルギーを語る場合、「帯とタスキの使い分け」には特に留意する必要があります。身近な例で言えば、僅か40℃少しあれば事足りる風呂の湯を沸かすのに1000℃以上にもなるガスの燃焼熱を利用する事がすぐ思い浮かびます。

ましてや、何度も繰り返しますが、鉄をも溶かす数千度さえ容易に生み出せるエネルギー源である電気が、なんと情けない使い方をされているかを考えると大きなため息が出ます。特に、冷暖房で使われる10℃を少し下回る程度のブライン(冷媒)と、3040度程度の暖気を、貴重な電力を使って得ているエアコンに至っては涙さえ出そうです。もちろん数千度の「光温度」を持つ照明用途に限って言えば、電力の利用は致し方ないところでしょうが、数十℃の温水や100℃程度の調理のための温度を得るには、先ずは太陽熱や廃熱の利用を考えるのが順番というものです。問題は、ガスや電気と異なり、それらの熱源が100%は当てにはできない不便さです。それに対処するには、簡単な原理で十分だと思いますが、それを貯蔵(蓄熱)することが有効です。しかし、その貯蔵・取り出し効率にまで目くじらを立てる必要まではないでしょう。太陽のエネルギーは、どうせ放っておけば勝手に宇宙に逃げてしまうものだからです。

そのエネルギーが使われる温度と、それを実現するエネルギーレベル(エネルギーのポテンシャル)を上手く組み合わせるだけで、エネルギー効率は格段に向上すること請け合いです。逆に言えば、ある目的を達成するのに必要な最低のエネルギーレベル(温度)があるとすれば、それに一番近いエネルギー源を探せば良い事になります。とはいいながら、間違っても新たな地下資源を探そうなどと思ってはなりません。例えば日本海溝などの深海には、シャーベット状になったメタンハイドレートが眠ってはいますが、それを揺り起こしてはなりません。それを取り出す危険性がまだ十分研究されていないからです。探すべきは、太陽エネルギーだけで実現された、身の周りのエネルギー源でなければならないのです。結局、社会の仕組みが持続的であるためには、帯もタスキも太陽光から手に入れるしかないのですから・・・。

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2008年10月19日 (日)

823 自然に学ぶ

また抽象論に戻ります。科学は、知恵ある先人が自然現象を綿密に観察し、その中からある法則や原理を見つけ出し、それを体系化したものですが、一方工学はその法則や原理をモノづくりに応用して工業化を行うための実学だと言えます。しかし、その中身はと言えば、あくまで自然の真似事に過ぎず、自然が行っている営みそのものが、研究室の中で再現できている訳ではありません。その代表例が、生命活動です。植物は、水と太陽光と二酸化炭素だけを使って、光合成を行い、種々の物質を合成できますが、人間の浅知恵では未だそれを模倣する入口にすら立てていません。精々、遺伝子の中のDNA配列を読み取り、それを切ったりつないだりしてイジクリながら、ヘンテコリンに改変する程度の芸当しかできていないのです。たった4種類の塩基で構成されているDNAですが、生物が数億年の知恵と技を使って造作も無く行っているDNAの複製ですが、例えば短いDNAを試験管内で人工的に合成することさえ科学者にとって、今は夢のまた夢のはずです。

一方、コペルニクスやニュートンやアインシュタインなどが確立した科学で、これまでに実現できたものはと真剣に考えてみても、核力や石油エネルギーを利用した危険な武器や原発、或いは数人の人間を月に送り、或いは可愛らしい自走ロボットを火星に着陸させた程度しか思い当たりません。これらの科学・技術が、一体どのような幸福を私たちにもたらしてくれたかをいくら考えても、その答えは結構虚しいものになりそうなのです。

何は無くても、人間は謙虚になってまず自然に学べば良いと思うのです。間違っても、実験室のなかで自然の仕組みを再現して、人工的な生き物など作ってはならないのだと思います。そうではなくて、自然の仕組みを「ありがたく利用させていただく」と言う態度に立つべきなのです。そこから生まれてくるものは、私たちが自然にできるだけ負荷を与えずに生きていく工夫なのだと思います。

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2008年10月18日 (土)

822 省エネのツボ(ゼロベース)

省エネルギーの極めつけは、やはり投入エネルギーの要不要を「ゼロベース」で再吟味する事に尽きるでしょう。例えば、製造プロセスの中で、ある製品を加熱しているとしましょう。多分それは、製品を加工し易くしたり、或いは移送するために軟らかくしたり、液体製品の粘度を下げたりするための加熱だと想像できます。この場合、加熱が絶対不可欠(Must)なのか或いは加熱した方が好ましい(Better)のかは、立ち止まって再度考えてみる必要があります。

金属鍛錬(鍛造)では、実は低い温度で鍛えた方が強度は間違いなく上がりますから、合金元素を減らす事も可能になるでしょう。昔ながらの熱間鍛造を行っているであれば、冷間鍛造も一度は考慮してみるべきでしょう。また液体の製品の粘度が高くて、ポンプで移送するのが困難である場合でも、適当な可塑剤の混合により常温での移送が可能になるかも知れません。その可塑剤を製品に混入させたくない場合は、移送後に分離して再使用する事を考えます。その結果、加熱炉やヒーターが不要になれば、大幅なエネルギー削減が見えてきます。

上にも関連しますが、省エネルギーの検討には、先ずは「ゼロベース」での思考が最も効果があります。つまりは、今のようにエネルギーが潤沢ではなかった時代、例えば戦前にも製鉄業があり、化学工業があり、機械工業があったはずです。その時代には、全ての工場では知恵を絞って、できる限りエネルギーを使わない方法を編み出していたはずなのです。

別の例を挙げれば、溶接があまり発達していなかった時代には、金属の結合には「リベット」が使われていました。古い鉄橋などを見ると、手作業で「カシメた」とは思えないほど几帳面にリベットが打たれています。投稿者の事務所の近くにある、日本でも珍しい鉄道と道路の併用橋(現在は横に道路専用橋が架けられ鉄道専用になっていますが)は、多分戦前に架けられたものだと思いますが、美しいトラス構造とリベット結合の様式を残しています。別の例ですが、航空機の部品結合にも、新しいスタイルのリベットが使われています。エネルギーのゼロベースを考えるについては、古い(省エネ型の)技術の新しいアプリケーションを真剣に考えてみるのも良いアプローチかも知れません。

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2008年10月17日 (金)

821 省エネのツボ(カスケード)

全てのエネルギーは熱になり、遠赤外線となって宇宙に放散されるのですから、逃げ足の速いエネルギーを捕まえて、もう一働きしてもらおうと考えるのがエネルギーの「カスケード利用」の考え方です。エネルギーの有効利用を、小さな滝(Cascade)が段々になって流下する様子に喩えた表現です。その為には、エネルギーのポテンシャルに順位をつけて、用途別に割り当てていく必要があります。その上で、順位の高いエネルギー利用から出た「廃エネルギー」を、順位が低い用途のエネルギー源として使い回す事を考えます。例えて言えば、木材の加工全てに動力チェンソーを使うのではなく、大木はチェンソーや斧で倒し、手で握れる太さの枝はナイフで削り、鉛筆や楊枝はカッターナイフで削るようにするという考え方です。

まだ分かりにくいかも知れないので実際の例を挙げましょう。身の回りで目に付く最も効率の悪く勿体無いエネルギーの使い方の典型は、電気でお湯を沸かすと言う行為です。深夜電力とは言いながら、数千度の温度を実現できるポテンシャルを持っている電気エネルギーで、僅か数十度の温水を作ると言う馬鹿ばかしさは、一刻も早く止めにすべきでしょう。化石エネルギーも非常に高いエネルギーポテンシャルを持っています。それを酸化させる(燃やす)だけで、容易に1000度を越える温度を得る事ができます。現在のところは、確かに大多数のボイラーには燃料として重油を使わなければならないでしょう。しかし、ではその重油のエネルギーを100%(近く)活用しているかと問われれば、NOと言うしかないでしょう。暖房やプロセス加熱に利用された蒸気は、まだかなりのエネルギーを持っているはずです。温度が低いのでポテンシャルは低いのですが、その代わり量は十分あるはずです。このエネルギーを例えば、ボイラーに供給する水の予熱に使う、或いは乾燥炉に送る空気の予熱に用いるなどの工夫を重ねれば、ボイラーで燃やした重油のエネルギーの殆どを「こき使う」事も可能になります。工場の中で使われているエネルギーを「特に温度に留意して」観察し、図示するだけで、その温度(熱量)の再利用が見えてくるはずです。最終的には熱源の温度が下がり、環境温度とほぼ等しくなった時点で、そのエネルギー源はポテンシャルを失います。大気や海水がいくら多量の熱量を抱えていても、それ自体では熱源として使えないのも同じ事です。

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2008年10月16日 (木)

820 省エネのツボ(熱収支)

あるシステム、例えば工場や事務所ビルなど、のエネルギー管理が適正か否かを見極めるには、総量としての棚卸しは必須としても、更にそのシステムの「熱収支を絵にしてみる」必要があります。エネルギー(=物質の熱振動)の伝導では、ある物質に接する別の物質を振動させながらやがては減衰してしまいます。この絵は、その相関関係を示し、ある瞬間にそのシステムに投入されるエネルギー、製品などそのエネルギーが形を変えたアウトプット、更にはそのシステムから排出される(捨てられる)エネルギーを図示したものになります。例えば、製品の加熱のために過熱炉にエネルギーを投入していながら、一方では工場の作業環境を確保するためにエアコンをガンガン利かしていたりする状況を図に落としてみれば、そのバカバカしさが目に見えてくるでしょう。

熱収支(エネルギー収支)の図を見て考えなければならない事は、エネルギーの有効性(効率)です。そのエネルギーは、何を、どうするために投入されたのか。例えば、暖房をするためにボイラーを使って発生させた熱エネルギーの、一体どの程度が実際の暖房(空気の振動を活発にする事)に有効に使われ、どの程度の熱エネルギーが途中の配管から逃げ出したのか、最後にドレン(凝縮水)となって回収された(或いはドレントラップから捨てられた)エネルギーはどこに行ったのか、じっくりと吟味してみる必要があるのです。そこから見えてくるのは、投入されたエネルギーと有効に使われたエネルギーとの比、「エネルギー効率」です。勿論、それが絶対に1.0にできない事は、マックスウェルさんに聞くまでもなく熱力学の常識です。

そうではあっても、ムダに逃げ出すエネルギーの量を把握すれば、それを最小限に押さえ込むための知恵を生まれてくると言うものです。エネルギー効率を高める方法にはいくつかありますが、代表的なものは1)機器の熱効率そのものを上げる事と、2)逃げ出すエネルギーを断熱材などでブロックする方法、もう一つは3)逃げ出したエネルギーを回収して再利用する事などが有効でしょう。

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2008年10月15日 (水)

819 省エネのツボ(モード)

多くの設備では、制御が複雑になるのを嫌って、ON-OFF制御を採用しています。使うときはONで使い終わったらOFFにします。機械のコントロールも、センサーで検知した上限(または下限)でスイッチを入り切りすれば実用的には十分です。また工場やオフィスでは、通常の勤務時間帯は殆ど全ての機器はONにしっ放しとなっている事でしょう。しかし、昼間と夜間の負荷状態は大きく異なりますし、春夏秋冬の季節によっても設備負荷の状態が変動する事でしょう。

必要なエネルギーと実際に投入しているエネルギーとの差によって生ずる無駄は、絶対に回避すべきでしょう。その為には、運転モードの切替えにより部分負荷へ対応できるようにしておく必要があります。ビルの照明の例で言えば、晴れた日の窓際の照明はかなり消灯できるでしょうし、曇りの日や夜間は、やはり全て点灯しなければならないと思われます。そこで、必要な仕掛けとしては、晴天モードと曇天・夜間モードの切替えができる「モードスイッチ」と言うことになります。できれば、窓際の照度を自動的に検出し、モード切換えを勝手に行ってくれるシステムが理想となります。

もちろん理想形は、インバータによる無段階制御ですが、そこまで凝らなくても、通常の機械設備では、暖機モード、部分稼動モード、フルパワーモード程度の切換えができるようにしていく必要がありそうです。それは、扇風機についているモードスイッチ、例えば微風、弱、中、強などに似ています。モードの切替えによって、ON-OFF制御では、矩形になるパワー強度を、階段状に制御することが可能になります。矩形と階段状のパワー線図を比較した場合、その面積の差が即ち省エネルギーのポテンシャルということになります。

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2008年10月14日 (火)

818 省エネのツボ(断熱)

全てのエネルギーが、物質を振動させて熱を発生させ、最後は遠赤外線となって宇宙に散逸せざるを得ない「運命」にあるのなら、省エネルギーの基本の「き」は、それを遮る「断熱」が有効であることが容易に予想できます。事実、多くの設備では、不十分な断熱によって、エネルギー効率が大きく低下している例も多く観察されます。例えば、製品を乾燥させたり、プロセスのために加熱したりする各種の炉では、製品の処理スピードを優先する結果、熱効率を犠牲にしています。多くの工場では、流れ作業で製品を処理するために炉はトンネル状になっていますが、その入口や出口からは多くの熱が工場の中に漏れ出ています。また、炉の側面の断熱が不十分であると、製品の温度を保持するにはより多くのエネルギーの投入が必要になるでしょう。

断熱が必要な箇所を発見するのに何も精密な計器は必要ありません。1万円弱の放射温度計で十分ですし、それが無い場合でも手をかざしたり、顔を近づけて熱気を感じたりするだけでも容易に発見できるでしょう。何しろ、人間の手や顔や、目(角膜)には熱線(赤外線)を感知する優秀なセンサーが埋め込まれているからです。工場やビルの中を歩いてみて、なにやら熱気を感ずる場所があれば、そこでは間違いなくエネルギーが漏れているはずです。

断熱材には何も100mmもある分厚いグラスウールを使う必要はありません。最近は僅か5-10mmの厚みでも、十分な断熱性能を持つ素材も開発されているのです。熱線(赤外線)を反射する素材の活用も有効です。漏れたエネルギーは、結局設備表面から赤外線となって散逸し、または設備の周囲の空気を暖めるのに消費されるのですから、これを遮断すれば、その分設備に投入するエネルギー量も絞る事ができる事になります。

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2008年10月13日 (月)

817 省エネのツボ(減速運転)

816でのチェックで、どうしても止めることができない場合の対策を考えて見ます。車などでもそうですが、高速運転ではあらゆる摩擦が大きくなります。とりわけ車の場合は80km/時を超えると、空気から受ける抵抗が急激に大きくなります。一方多くの設備では、通常の使用範囲での能力に比べ、かなりのパワー余裕を持っているのが普通です。さらに、アイドル運転状態でも多くの設備は、最低出力状態で「待機」しています。従って、設備が仕事をしていないアイドル状態でも、例えば通常出力の30%程度はエネルギーを消費しているわけです。

多くの機械は、最高速度や最大出力を10%程度下げても、問題なく機能するはずです。また、アイドル状態も、機械が止まらない程度まで下げてもなんら悪影響は出ない訳です。勿論最大出力を下げた場合に、製品品質に問題を起こす恐れがある場合は、事前の評価試験は欠かせませんが・・・。

いずれにしても、もし設備や機械を止める事ができない場合でも、少し回転数を下げる減速運転をすることは可能なはずだと言いたいのです。内燃機関の場合は、スロー回転数を調整ネジやガバナーで下げれば良いでしょうし、原動機が電気モーターの場合は、電源とモーターの間にインバータを入れる必要があります。

設備は、負荷100%稼動を想定して設計されていますので、例えば気の変動で工場の操業が下がった場合でも、通常運転を行っていると、不要な在庫を増やす事にもなりかねません。しかし、予め設備の運転スピードを下げる事ができるように設計しておけば、操業が下がった時には、減速運転をしてエネルギーの消費を抑える事ができるようになります。減速運転状態では、摩擦損失も小さくなりますので、減速した比率以上の割合で省エネルギーが達成できるはずです。

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2008年10月12日 (日)

816 省エネのツボ(間欠運転)

工場や事務所ビルのバックヤードを見回すと、多くの「常時運転機器」が目に付くはずです。送風機、コンプレッサー、エアコン、循環ポンプ、集塵機、保温設備などなどです。しかし、多くの事業所では、これらの機器は日中の8-19時の時間帯に、最もデマンドが集中していると思われます。従業員の多くが帰宅してしまった残業時間帯や少人数の夜勤者しかいない時間帯でも、しかしこれらの機器が自動運転されているケースも多いのではないでしょうか。

814で棚卸しを行ったエネルギー使用量に対しては、実際のデマンドがどうなっているのかを検証してみる必要があります。その結果、デマンドが落ちた時間帯に、通常運転されている機器がリストアップされるでしょうから、それらの機器については、タイマーやプログラマブルコントローラによって、適正な間欠運転に移行させる事ができると考えられます。

多くの設備では、工場や事務所の始業時間に合わせて、その少し前から暖機運転を始める事が通例です。事務所や、化学プロセスの再スタート時には、予熱(予冷)が不可欠なのです。また、たとえば通常の工作機械などの設備でも、適正な精度の確保のためには、機械を余熱して寸法の安定化を図る必要があります。

ある機械なり、設備が常時運転されていることが当たり前であるのか、或いは止まっているのが「自然」で、運転されている状態の方が実は異常な事態であるのか、立ち止まって考えてみる事が必要でしょう。エネルギーが潤沢ではなかった時代には、多分機械や設備は必要な時にしかスイッチを入れなかっただろうと想像しています。ここでのチェックポイントは、その機器の常時運転が「絶対不可欠であるか否か」という事になります。不可欠でない場合には、それを止めておける時間の割合で、省エネルギーが達成できることになります。もし、それがバイタルな設備で止める事ができない場合には次項以降のアプローチになります。

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2008年10月11日 (土)

815 省エネのツボ(棚卸し)

以降の数回では、種々省エネの実例を見聞し、自分でも行ってきた省エネコンサルなどをつき合わせて、「いわゆる省エネ」のツボをまとめてみることにします。これは投稿者のライフワークともなっている分野でもありますが・・・。先ずは企業編です。

さて省エネ活動で、「いの一番」に取り組むべきは、エネルギー消費量を目に見える形にする事です。どのような種類のエネルギーを、どのくらい使っているのかをテーブルに書き出してみましょう。しかも、可能な限り場所別、系統別に分ける努力が不可欠です。ドンブリ勘定の全体把握では、問題点が見えにくくなるからです。計測方法には、電力であれば記録型の電力量計が役立ちます。やや高価な計器ですが、時間を追った記録のためには、清水の舞台から飛び降りたつもりで導入しましょう。面倒ですが、手持ちのクランプメーターでもどうにか計測は可能でしょう。対策は、勿論割合の大きなものから着手するべきです。何しろ効果(見返り)が大きいのですから。エネルギー使用量のテーブル作成作業は、物品在庫の棚卸しにも似ているので、「エネルギーの棚卸し」とも呼ばれます。

できたテーブルをじっくり眺めて見れば、その事業所なりビルなりの特徴(エネルギーパターン)が見えてくることでしょう。最大のCO2排出源となっているエネルギーの種類とその量が重要です。温暖化にブレーキを掛けるためには、電力、石油、LNGなどを一度CO2量に換算して比較する必要があります。同じエネルギー量(例えば熱量換算)した場合、石油(重油)よりはLNGがよりクリーンなエネルギーとは言えますが、勿論「コストの問題」を避けて通る事はできません。加えて、長期的な供給=価格安定性の視点を忘れるべきではないでしょう。この度の、原油価格高騰騒ぎの中でも、石油価格の上昇に比べれば、LNGの価格の変動は小さかったと言えるでしょう。

いずれにしても、エネルギーの棚卸しを行わなければ、省エネの最初の一歩も踏み出す事ができないのです。

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2008年10月10日 (金)

814 エネルギーの本質

抽象論ではない具体的な提案として、以下「省エネルギー」の考え方をまとめてみようと思いますが、手始めにエネルギーとはいったい何であったかを改めて考えてみる事から始めます。

さて、エネルギーと聞いて、アインシュタインの「例の公式」が思い浮かぶ様では、科学・技術病にかなりの程度罹患していると見て間違いないでしょう。投稿者流の定義では、「エネルギーとは物質を振動させ得る潜在力だ」というやや文学的な表現になります。例えば、太陽から発せられる光のエネルギー(電磁波)は、殆ど何もない宇宙空間を突きぬけ、そのうちのホンの一部が地球の大気に当たって僅かに空気や水の分子の振動を激しくし、そこを突き抜けたものは海洋や地面に当たって、それを構成する原子や分子の振動を少し活発にします。しかし、そのエネルギーは物質の表面で赤外線に変化して、逆に宇宙に向かって投げ返されます。大気を構成する気体分子や水分子の大きさに近い波長となった電磁波(赤外線)は、今度は気体分子結構激しく振動させながら宇宙へ消え去る事になります。さて私たちが「温度」と呼んでいるのは、実はこの原子や分子運動の激しさの度合い(振幅)だと言い換えても筋違いではないでしょう。

原子力(熱核反応)であれ、化石燃料を燃やして得られた高温のガスであれ、要は水や気体分子の振動を活発にし、結果として蒸気の発生(蒸発)や気体の体積膨張を得て、それを回転運動や力に変換することに使われている訳です。私たちは、特に20世紀を通じ、物質の振動を活発にさせるために、もっぱら化石エネルギーというエネルギー源を使う技術をせっせと磨いてきたことになります。しかし残念な事にその化石エネルギーの使い過ぎは、エネルギー資源の枯渇ばかりではなく、大気の組成にも影響を与えるほどになってしまったという事です。

さて、エネルギーの本質が物質を振動させ得るポテンシャルだとすれば、それを節約する考え方も、その本質からのアプローチが有効であるはずです。以上のややこしい本質論は取り敢えず横に置き、以下具体論を考えてみましょう。

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2008年10月 9日 (木)

813 債権(借金)

このタイトルでも以前にも少し(かなり?)書いたかも知れません。しかし、「再びの世界大恐慌」の引き金にもなり兼ねない、B国の住宅関連ローン会社や煽りを受けた金融・証券業界の経営悪化・倒産のニュースを受けて、改めてこの問題を考えて見ることにします。さて、債権とは、借金を取り立てる権利の事ですが、これが証券化され複雑な仕組みや経路を経て、いまや世界中に160兆円規模でばら撒かれているとか。日本の国家予算の2倍以上となる金額もさることながら、「経済規模は、実は借金で膨張しているのだ」という思いを改めて強くしました。

実体としての経済は、これまで蓄積されてきたインフラや貯蓄に加え、毎年積み重なる生産量に見合う規模以上には拡大しません。しかし、債権(借金)は、貸し手がいる限り事実上その規模に制限はありません。場合によっては、2世代ローンの様に、将来世代にバトンタッチをするつもりであれば、自分の生涯賃金で返済可能な額を超えて借金をすることも可能です。積極的な借金ではない借金もあり得ます。たとえば、廃棄物を適正な処理をしないまま、どこかの山中に不法投棄した場合を考えて見ます。投棄した業者や、その業者に安く産業廃棄物を処理させた企業は、負担が小さい訳ですから、より多くの利益を享受できる事になります。しかし、それが発覚して、改めて適正な処理をしなければならなくなり、それを掘り返し再処理する費用は、実は見えない借金でもあった訳です。債権は、実は信用という土台の上に成り立っています。信用が無ければ債券はただの紙に過ぎません。その意味で、現在はまだ信用があると思われている優良な「プライムローン」も、信用に対する疑心暗鬼の渦の中では、何時SPLの二の舞になってもおかしくはありません。優良であろうがなかろうが、借金は借金に過ぎないのです。ちなみに底割れが続いている、株券も債権の一種ですから、その実体である額面まで下がる事は勿論、実体がそれ以下に悪化なら額面割れしても当然だと言えます。債権も株も「実体に張り付けば」間違いなく下げ止まるでしょう。

上との類推でいえば、私たちは自然環境の浄化作用を過大に信用し過ぎていたのかも知れません。その信用の上に立って、たとえば大気中にコストを掛けずに投棄された二酸化炭素などの「気体ゴミ」の処理費の負担者(あるいは債権回収者)は全く決まっておらず、取り敢えず投棄する量をホンの少しだけ減らす国際的な約束が京都で結ばれただけです。安易な、化石燃料の燃焼で、将来蒙るであろう甚大な被害には目をつぶり、当面の景気に一喜一憂する、現代の借金世代に、債権者でもある将来世代は、50年後、100年後にどういう評価を下すでしょうか。もしかすると、私たちは「20世紀の借金踏み倒し世代」として歴史的な総括を受けるかも知れません。その意味では、例えば温暖化問題は「10世代ローン」である可能性があります。

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2008年10月 8日 (水)

812 レバレージ2

このタイトルは多分2度目の様な気がします。それほど気になるKWなのですが、もし1回目と同じ中身になったらゴメンナサイです。さて、テコを発明したのはどこの国の誰だったでしょうか。丸太と支点になる石を使って、人力では動かせない大きな石を動かす知恵を考え出したのは、サルから少し進化した猿人だったかも知れません。そのテコが出す力の比率がレバレージです。現代の社会では、化石エネルギーを使って信じられないくらいのパワーを指一本で動かします。例えば、オーストラリアやブラジルの鉄鉱石の露天掘りの採掘現場では、500トン積みの無人リモコンダンプが走り回っています。私たちが日常目にするダンプは10トン積み程度ですから、信じられない巨大さです。

しかし、この超大型ダンプ程度で驚くには当りません。経済の世界では、天文学的レバレージでの錬金術が日夜行われているからです。デイトレーダは、殆ど元手無しで小口の株を売り買いし、短期間で一財産を生み出します。Lドアを作った青年も、雪だるま式に企業を大きくしました。しかし、実業ではなく、電子取引や会社の売買で、生まれたお金が一体どこから生まれたかを考えれば、それは最後に紙となった株券や債権を握っていた株主や投資家が蒙った損害に他ならない事が分かります。「虚業」におけるレバレージとは、テコで動かす場合のように入れた力と動かした荷重の比ではなく、得した少数の人間の投資額と、損を出したその他大勢の人の損失額合計の比である訳です。これは、サイフの中身の合計が増えたのではなく、単に中身が移動しただけなのです。もし、経済規模が実業の規模以上に拡大したと言い張るなら、それは単に誰か目には見えない人の負債が増えた結果に過ぎないはずなのです。

勘違いしてはいけないのは、テコの作用では加えるのは確かに小さな力ですが、それを動かす距離は、テコの倍力と同じ割合で長くなると言うことです。(持ち上げた石の重さ)X(持ち上げた高さ)=(加えた力)X(テコを動かした距離)なので、結局何も得した訳ではないのです。巨大ダンプカーを指先一本で動かすには、何千馬力ものエンジンにドンドン燃料を送る必要がありますし、一人が額に汗して働くこと無しに大金を稼ぐためには、同じ額のお金を失った大勢の人が何処かに存在する必要があるのです。こんな簡単な原理さえ、この時代には見事に忘れ去られているような気がしてなりません。

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2008年10月 7日 (火)

811 休題(耳学問)

自分の事務所にいる時はラジオを点けっぱなしにしています。テレビと違い、ラジオは聞きながら仕事ができます。とは言いながら、面白い話題になるとつい聞き耳を立てるので、やはり能率は下がります。特にスポーツ中継など情景描写を伴うアナウンサーの言葉には、その光景を想像しなければならないので、結局思考が中断してしまいます。

一方で、ラジオは情報の宝庫でもあります。しかも、言葉でその情報を伝えるための種々の工夫がされているため、耳から入った情報はココロに留めて置くことも比較的容易です。言葉の意味や定義に拘る性癖のある投稿者としても、限りなくスタンダードの日本語に近い公共放送の言葉使いは、「毎日聴取していないと意味が掴めない言葉」が氾濫している民放に比べると、心地よいのです。ラジオから得られる経済に関する情報、政局の情報、環境問題に関する動き、それらに関する解説やリスナーの意見やリアクションは、人にものを伝える事を職業に定めた投稿者としても、非常に参考になります。

毎週密かに楽しみにしているのが、落語の聴ける番組と、いくつかの創作ラジオドラマや小説をシナリオ化した朗読の時間です。豊かな日本語の世界を堪能できたときは、まさに日本人である事の喜びを感じる瞬間でもあります。読みのプロであるアナウンサー諸氏の朗読は、流石に登場人物像を具体的にイメージさせるのに十分ですし、落語家が作り上げる世界の中で、大家さんやご隠居が八つぁん・熊さんと交わす会話や江戸の町の風景描写も、やはりすばらしい芸の世界ではあります。

限られたしかし選ばれた言葉で表現され、残りの部分はリスナーの想像力でカバーさせるラジオの世界は、どんな時代になっても生き残っていくのは間違いないところでしょう。目からの情報量は余りにも多過ぎますし、ましてや動画の情報量は、ビット数にすれば天文学的な数字になりますから、とてもいちいち記憶にとどめる事は不可能です。余りにも衝撃的で一生忘れられないシーンもいくつかあるのでしょうが、言葉では、短いキーワードで記憶だけで、それをキーにして物語を再構成する事は、ごく普通の人の能力で実現できるのです。

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2008年10月 6日 (月)

811 価値転換

なにも省エネだ、温暖化防止だとシャカリキにならなくても、最も簡単なアプローチ方法があります。それは個々人の価値観を180度ひっくり返すことです。今の時代の価値は、ほぼモノやカネに置かれています。金持ちは羨望の目で見られ、その金持ちはステータスを誇示するため、広い邸宅を建て、高級品を身に付け、外車を乗り回します。

しかし、価値観を完全にひっくり返すと、今「金持ち」と呼ばれている人の生活スタイルは、最も卑下すべき貧しいものとなり下がるでしょう。転換された価値観では、便利よりは少し不便を、楽よりは肉体的負荷を、モノよりは心の豊かさを、カネよりは友人とのケミュニケーションを、レジャーよりは日々の労働に重きを置くことになります。また、価値観がひっくり返った社会では、なにせカネ(紙幣)やモノ(工業製品)は、直接的には食えませんので、食べ物である農作物を作る能力を持つ農家が、実は最も豊かな人たちである、という事になります。その昔、士農工商と言う言葉を学校で習いましたが、(士族は既にいないので)その様な時代の社会的ステータスは、農>工>商>人の順になり、不労所得で暮す金持ち・物持ちは、さらにその下に置かれる「ココロ貧しい人たち」に分類されるでしょう。そうなりたくなければ、金持ち・物持ちの人たちはせっせと寄付に励み、一日も早くそれらを捨てなければならなくなるでしょう。

価値観をひっくり返すのは、確かにある種の快感を伴うような気がします。そうでなければ、世俗を捨てて仏門や修道院に入る人たちの行動が説明できません。投稿者としても、サラリーマンを辞めた時の快感、技術屋を卒業したと宣言したときの快感は、やはり忘れる事ができません。自分の時間を意に反して「カイシャ」に切り売りすること、倫理や真理からかけ離れた技術屋稼業を続けることからの決別には、古い価値観を引きずったままでは確かにかなりのパワーが必要でしたが、予め価値転換さえできれば、実はハードルはそれほど高くはなかったのでないか、と今は思えるのです。モノ・金の獲得を目指す生活に比べれば、それらに背を向けてココロの生活を目指すのは、さながら坂道を下る時のように容易なはずなのです。もし物欲さえ捨てられれば・・・。

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2008年10月 5日 (日)

810 100kmカーへの道(プロジェクト)

さて、抜けが多少あったかも知れませんが、以上のポイントしっかり詰めていけば、ベースとなる実用的な100キロカーが実現できるはずです。このプロジェクトチームには、メカ屋、金属屋、木材屋、油屋(摩擦屋)、ゴム屋、電気屋、燃焼屋、デザイン屋程度を業界の垣根を越えて集める必要があるでしょう。多人数は必要ありません。兼任も可能でしょうからリーダーも入れて6-7人で十分です。むしろ人数が多いプロジェクトチームは、船頭が多すぎて空中分解するか或いは、核になるコアメンバーと、ただついて回るだけの「ぶら下がりメンバー」に分かれてしまうからです。また、コンピュータを使う様なややこしい強度計算や、耐久性試験などは面倒なのでまとめて大きなメーカーに下請けさせます。

さてこのプロジェクトを受けて立つ、根性のある若手の技術者は今の時代見つかるのでしょうか。このプロジェクトは、しかし単に100キロカーの開発だけを目的とはしません。たった1リットルの石油で、一体何ができるかを徹底的に追求するプロジェクトであると考えれば、そこから派生する技術の横展開には計り知れないものがあります。燃焼技術、軽量化技術、省資源技術、設計に織り込んだリサイクル技術、木材の利用技術などなど、資源やエネルギーに糸目をつけない航空宇宙技術などに比べれば、技術的には雲泥の差があるでしょう。もちろん100キロカーの方が「雲」で、後者が「泥」です。

「雲」の技術は、理想が高いこともありますが、何より多くの知恵や工夫を要求すると思うのです。一方「泥」の技術で、エネルギーや資源を湯水の様に使って、高い性能の仕掛けを作り出す事は、大勢の並みの技術者を組織化すれば比較的簡単に実現できるでしょう。しかし、限られた条件の中で、ギリギリの性能を実現するために要求される知恵や工夫は、それなりの訓練と寝ても覚めても繰り返す熟考と、山に様な試行錯誤の結果でしか生み出せない筋合いのものだとも思います。しかしながら100キロカーにはそれほどの開発費必要はありません。人さえ出してくれれば、中小企業だけで組んだコンソーシアムでも十分だと言えるでしょう。お金の不足分は知恵と熱意と他人の褌を使えば良いのです。何は無くても、実用的に公道を走れる100キロカーを世に送り出せば、放っておいても大メーカーが持てるパワーを使って短期間にそれを改良してくれるはずです。

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2008年10月 4日 (土)

809 100kmカーへの道(電気自動車)

100キロカーへのアプローチとして、原動機への電気モーターの採用に関しても少し言及しておきます。目指すべき課題は、現在の車に比べて1/5以下の燃料(つまりは環境負荷)で走らせることですから、投稿者も電気自動車の可能性を否定するものではありません。最終的な環境負荷が、もしガソリン(或いは軽油)の燃焼より十分に小さいのなら、むしろ積極的に進めるべきでしょう。事実、ハイブリッドに活路を見出したT社に遅れをとったN社や、M社は電気乗車開発に突き進んでいます。しかし、突き進む前に検討しておくべきこともいくつかあるのは確かです。一つは、電気を起こすのにも化石燃料が必要だと言う点です。電気自動車が急激に増えれば、ただでさえ逼迫している夏場の電力需給は、更に危機的になるでしょう。そのため、電力各社は原発や火力発電所の増設を行わざるを得ない羽目に陥ります。また電力を考える上で、送電ロスは無視する事はできません。長い距離の送電によって、発電した電力の半分以上は送電ロス(つまりは電流が熱になって送電線から逃げる)で消えてしまうからです。電気自動車の燃費は、これを織り込んで、需要家での電力量ではなく、発電所で発生させたCO2量で評価する必要があるのです。

二つ目のポイントは、電池です。今後の電気自動車用電池の主流は、日本で開発された「リチウムイオン電池」になると思われますが、人体にとって大いに有害な金属であるリチウムの扱いには、慎重の上にも慎重な対応が必要だと指摘しておきます。製造工場は勿論のこと、交通事故時の電池破損、或いは廃車時のバッテリーの回収・処理に至るまで、綿密なクローズドサイクルの構築無くして、その採用を推し進めるべきではないでしょう。

三つ目のポイントとして、電気自動車については、そのモーターに使われる銅線や磁石に使われる希土類の需給が逼迫する恐れも出てきます。いずれの資源も、最早国内では賄えない資源です。さらに、モーターを制御する電気回路には、シリコンや金やインジウムなど、多くの原料や貴金属類も不可欠です。私たちは過去50年間、石油燃料に依存したインフラを構築し、それを社会の基盤に据えてきたわけですが、電気自動車へのシフトには、多くの課題やインフラの整備が必要なことを改めて肝に銘ずべきでしょう。

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2008年10月 3日 (金)

808 100kmカーへの道(タイヤ)

車の省エネを考える上で、実はタイヤの性能はとても重要です。何故なら路面からタイヤが受ける抵抗は、抵抗全体の3割にも及ぶからです。気がついている人もいるはずですが、T社のPリウスも、ノーマルでは非常に華奢で細いタイヤを履いています。まともな手段ではなかなか燃費が向上しなかったため、最後の手段として苦し紛れに採用したのではないかと、やや意地悪く想像しています。もちろん安全面からは、路面とタイヤ間の大きなグリップ力を要求するでしょう。しかし、路面のグリップ力を多少犠牲にしても、単車のタイヤの様に断面が丸く、路面と「点接触」になるタイヤを採用すべきなのです。100kmカーの最高速度は、多分60km/時+α程度に抑えざるを得ないでしょうから、グリップ力を犠牲にしてもあまり安全面での問題にはなりません。ゴムに加えるコンパウンドの調整で解決できる範囲の小さな課題だといえます。

さて、ホイルの構造を考えて見ましょう。サスペンション下の重量は、結構重要な要素です。路面への追従性や運動性能に大きく影響を与えるからです。現在、軽量化を志向したホイルにはアルニウムやマグネシウムが使われますが、両方ともかなり「ヘビーに合金」する必要があるので、リサイクル性が悪い材料となるので敬遠します。軽くて強くて衝撃吸収性も良いのは、やはり昔ながらの板金リムとスポーク構造でしょう。いまや車輪のスポーク構造は、自転車かクラシックバイクでしか見ることができませんが、それは組立にどうしても人手が必要で、コスト的に見合わないからです。しかしここでの問題は燃費なので多少のコストアップには目をつぶります。100キロカーでは、その軽い車重を考えれば、スポーク構造を採用しても全く問題は生じないはずです。

車輪は、乗り心地や操縦性を重視すれば、幅は細いが比較的大きな直径になるはずです。しかし、単車用の車輪のそのままの流用を考えれば、余分な開発費は不要です。最近は、タイヤからの騒音を抑えて、省エネルギー性を前面に打ち出したタイヤ材料も次々開発されているので、それなりに期待できます。サスペンションは、径の大きなタイヤの採用により、かなり簡素化しても問題ないはずです。特に、重量が大きくなる油圧式のショックアブソーバーは絶対に採用してはなりません。例えば、機械的変形により、エネルギーを熱に変えるような、金属やプラスチック素材などで代用すれば、車体重量も大幅に減らす事ができるでしょう。

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2008年10月 2日 (木)

807 100kmカーへの道(保安装置)

木材と「柔な」純アルミでは、衝突した場合の安全性は確かに十分ではありません。しかし丁寧に探してみると世の中には結構良い材料があるものです。それは例えば「泡金属」です。金属の中に、高い割合(ポーラス率)で独立気泡を抱え込んだ金属です。ベース金属としては、やはりリサイクル性を考えて純アルミを採用しましょう。泡金属を衝撃的に圧縮すると、片面から順序よく気泡が潰れて行きます。つまり、圧縮を受けている間中、一定の加(減)速度割合(G)で衝撃を吸収してくれる、まさに理想的な衝撃吸収材料である訳です。この金属は、今後、例えば車のバンパーや航空機の座席を固定する金具にも採用されることになるでしょう。これによって、衝突時や墜落時の乗客の救命率は格段に向上するはずです。

さてブレーキは、重要な保安装置です。しかし、車を止めるために摩擦ブレーキを掛けて、せっかくの運動エネルギーを何の役にも立たない熱に変えてしまうのはいかにも忍びない話です。ブレーキングの際のエネルギーは、是非まるごと回収したいものです。回収の方法にはいくつか考えられますが、電気に変えるのは投稿者としてはあまり好かないので、コンパクトな蓄圧式か小型のフライホイールを採用する事にしましょう。貯めたエネルギーは、次の発進の際に活用し、非力なエンジンを助けて加速をスムーズにします。

このエネルギーの貯蔵という技術は、単に車だけではなく、あらゆる産業機械や民生品への横展開も可能な、重要なキー技術でもあります。無為に捨てられている「小さなエネルギーの屑」を蓄積しておいて、必要時に再活用する「エネルギー回生技術」は、省エネルギー技術を語る上では絶対不可欠なのです。

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2008年10月 1日 (水)

806 100kmカーへの道(車体)

100kmカーの車体は、とにかく軽量である事が求められます。鉄は材料としては重過ぎますし、かといってリサイクルができないカーボン繊維などは絶対に使うべきではありません。車体の主要構造は、リサイクルの優等生の「純アルミ」と自然物であり国内でも比較的容易に入手できる木材で「なければなりません」。純アルミは何度でもリサイクルが可能ですし、合金のジュラルミンとは違って腐食にも強いのです。また木材はノーマルで使うと強度も低く、腐朽にも弱いので、迷わず蒸気と熱と圧力で圧縮し形状固定した「圧密木材」を採用しましょう。この処理を施すとアルミと同程度の強度は十分実現できますし、密度も1.0を大きくは超えません。(原理上は最大でも1.6程度) 意外な事実ですが、圧密木材の「比強度」は金属以上なのです。この性質は、車体フレームの強度メンバー材として最適ですし、力が掛かった時の可撓性も十分です。アルミは、雨をしのぐボディーの外板(スキン)材料としては最適です。何しろ、アルミ箔の例でも分かる様に極限まで薄くすることも可能ですし、薄く圧延するほど強度を上げることも可能なのです。純アルミは、前述のように腐食にも強いので、航空機の外板用材料(ジュラルミン)の表面には、腐食防止のためにわざわざ純アルミをコーティング(クラッディング)しているほどです。

さて、圧密木材のフレームにアルミのボディーを採用したとしても、窓にガラスを使うのはご法度です。なにしろ重量が重過ぎます。やはりリサイクル性の良い銘柄のプラスチックを使うべきでしょう。耐久性をあまり追及する必要はありません。リサイクルを前提とすれば4-5年程度の耐用年数で満足すべきでしょう。定期的に交換すれば済むからです。座席は、アルミか木材フレームにキャンバス製のシート材を縫い付けたものにしましょう。具体的には、キャンプ用の折り畳み椅子を想像してもらえば良いでしょう。上手くデザインさえすれば、座り心地も結構満足できるはずです。投稿者もその昔、ソーラーカーを作った時にこれを採用しました。

60km/時走行程度では、車体の空気抵抗は、摩擦損失全体ではそれほど大きくはないでしょうが、それでも空気抵抗はバカにはできません。見た目にも愛らしい、丸く滑らかな車体デザインを採用します。

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