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2008年11月30日 (日)

865 車解体産業

自動車産業の減産が顕著になってきました。ガソリン価格は、一時の価格高騰はなんだったのか、と思うくらい下落しているにもかかわらずです。少し前のニュースでも、日本における道路の交通量は数年前にピークを打ったとのこと。これらのニュースは、確かに当事者や解雇される臨時工にとって見れば一大事ではありますが、環境坊主としては思わず頬が緩みます。やっと、本格的な軟着陸の局面に入ったことがたまらなくうれしいのです。このブログでも右肩上がりの経済が決して持続可能でないどころか、破局の到来を加速している事に他ならないことを繰り返し述べてきました。

では、車産業は座してジリ貧を待つだけなのか、と問われれば、それではあまりにも知恵が足りず、情けないと言うしかありません。ここでは車に関わる新しい「環境ビジネス」を一つ提案しておきましょう。それは、「車解体産業」です。現在、廃車は、エンジンやガソリンタンクなどの危険なものを取り除いた上で、巨大なシュレッダーで裁断され、磁石で鉄分と他の金属に分離され、鉄はリサイクルに回されている、と想像しています。ラジエータなど非鉄金属はそれなりに個別にリサイクルされてもいるでしょう。一方では、やり場の無い大量のシュレッダーダストも吐き出し続けています。しかも、これで得られたリサイクル金属は混ざり物も多く、完全なリサイクルシステムであるとは言いがたいのです。そこで、メーカー自身が操業する「車解体工場」が必要となるのです。

この工場では、完全な手作業で、車をボルト1本まで「完全に解体」します。エンジン・ミッション、ドア、バンパー、座席、内装、窓ガラス、電線、電子機器、その他の機器、バッテリー、タンク、オイル、材種ごとのプラスチック類、タイヤやホイル、ゴム部品などなど。何しろメーカーがやるのですから、年式さえ判れば、分解とその分別は完璧にできるはずです。多くの部品は、洗浄や整備を行えば再利用できるかも知れません。それが不可能でも、完全な材種ごとの分別ができているので、金属であれ、プラスチックであれ完全なリサイクルが可能となります。何より、製造に比べて非常に手がかかりますので、多くの雇用も生み出せるでしょう。いま走っている車は、用済みになった暁には、立派な資源として甦るでしょうし、廃車の放置も皆無になるでしょう。ゴミを減らし、資源をリサイクルし、雇用を増やす一石三鳥かそれ以上の提案だとは思いませんか。工場も、減産で余った建屋を流用すれば、設備費も一切掛かりません。

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2008年11月29日 (土)

864 定常社会

環境保全を考える場合、その理想形は「定常社会」というキーワードで表現できます。これは言わば100年変わらず、100年維持できる見込みがある社会構造の別名でもあるわけです。その様な社会構造の実現のために重要なキーワードとして、このブログでは「フロー資源」と「ストック資源」を定義することにします。フロー資源とは、言わば時間を追って変化する資源であり、その源泉は基本的には「太陽光」ということになります。太陽光自身は、言わずもがなですが放っておけば地表を暖め、最終的は長波長の赤外線となって宇宙に放散していきます。その内の極々一部分だけが植物によって固定され、或いはその取り込んだ生物の体内に、バイオマスと呼ばれる有機物となるわけです。

一方、ストック資源とは、地球に元々存在する鉱物や金属資源、上記のバイオマスが数億年間の地殻の変動で地下に蓄積された、いわゆる化石燃料と呼ばれる資源を指します。当然のことながら、ウラニウムなどの放射性資源もこのカテゴリーに含まれます。これらの資源は、一般には非常に多量に存在するため、これまでの採掘・利用規模では、その埋蔵量にあまり気を使ってこなかったのでした。しかし、近年、とりわけ20世紀の最後の四半世紀以降は、BRICSに代表される国々が、大量に消費量を拡大させたこともあり、例えば石油に関して言えば、既に採掘可能な埋蔵量の半分を使ってしまったとも推定されています。(オイルピーク論)

勿論、定常社会のグランドデザインに向けては、資源やエネルギーはもっぱら前者でなければなりません。とは言いながら、そこに軟着陸する過程では、やはり暫くは化石エネルギーや鉱物資源に多くを依存しなくてはなりませんが、悲しむべきは、そのグランドデザインのアウトラインさえ、まだ誰にも描けていない事なのです。つまり、どの様な「フロー資源」をどの程度使えば、どの程度の物質的生活レベルが実現できるのか、その為にはどのようにしてそのフロー資源を「持続的に確保するのか」を、具体的な数字や手法で説明しなければならないのです。これは、採掘可能な残りの化石エネルギーや資源量を推定する事に比べ、何十倍も難しい作業のはずなのです。

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2008年11月28日 (金)

863 熱地図

投稿者が行っている企業やビルの省エネ診断では、設備や建物から発せられる熱輻射に注目します。極端に言い切ってしまえば、熱を発する機械は効率が悪く、熱が壁や窓から自由に出入りするビルは「安普請」なのです。これらの設備やビルは、初期投資は確かに小さかったとは思いますが、その後の長い運用期間を通じてエネルギーを垂れ流す事を覚悟しなければならないのです。

同じように、都市や国を宇宙から観察すれば、効率の悪い都市や国は、周りの自然や十分に発達していない国々に比べれば、莫大な熱が宇宙に向かって放散されているはずです。残念ながら、それらの熱は大気に吸収され、あるいは冷却水の形で水系に放散されますので、直接赤外線カメラなどでは観察できないかもしれません。しかし、航空機などを使った低空の観察(熱探査)では、詳細な「熱地図」を作ることも可能でしょう。熱の源は、石油やガスや電力ですから、結局この熱地図は、エネルギー消費の分布を示すものともなっているはずです。さすがに直射日光が当る時間帯には、太陽からの強力なエネルギー注入があるので、たとえば曇りの日や夜間などの複数のデータを、コンピュータで画像処理する事によって、正確な熱地図が描ける事になります。

宇宙飛行士であったM利さんが紹介して以降よく引き合いに出される、宇宙から見た「夜の地球のパノラマ写真」が、まばゆく輝く先進国と、電力が十分供給できない暗いままの国々とのくっきりしたコントラストを示してくれた以上に、熱画像写真はそのコントラストを更に際立たせる事は間違いありません。この熱地図は、ヒートアイランド現象が著しくなる真夏や、都市部の暖房が行われる真冬に撮影すれば、その対比は更にクッキリ浮かび上がるはずです。

この熱地図をじっくり眺めれば、そこに住む私たちが、その熱レベルを下げるために、今後どの様な手を打つべきかが見えてくると思われます。

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2008年11月27日 (木)

862 タガ

樽や桶はタガが緩むと全く役に立たなくなります。桶や樽の構造(枠組み)がバラバラに崩壊してしまうからです。では、綿密な秩序の上に成り立った、地球環境におけるタガとは一体なんだったのか、改めて考えてみる事にしましょう。

さて少し時代を戻って、戦前のことを想像してみると、国の力には地下資源、とりわけ鉄と石油によって厳しいタガが嵌められていたはずです。このタガを外そうと、無理に海外に侵攻しながらもがいた「この国」は、結局それに成功する事無く、大陸や東南アジアから撤退せざるを得ませんでした。戦後、しかしB国が共産主義とのせめぎあいの場として、朝鮮半島やベトナムでの紛争で降って湧いた特需を足がかりに、海外から資源や石油を潤沢に買うための外貨を溜め込むことができる様になり、同時に「世界のモノづくりセンター」への道を駆け上りました。二度のオイルショックも、少しの間は水を差すことにはなりましたが、その勢いにブレーキを掛ける事はありませんでした。

資源はあるが貧しい国々と、資源は殆ど無いが工業力と外貨を溜め込んだ日本の様な国の縛り(タガ)を外したのは、結局は国際間の自由貿易という20世紀後半の枠組みだったと言うことでしょうか。

この枠組みの中では、カネさえ出せば、殆ど買えないモノは無いとも言えるので、日本の様な資源小国も、見かけ上は中東に石油タンクを持ち、米国には穀物倉庫を確保し、ブラジルやオーストラリアには鉄や石炭の資材置き場を持ち、中国や旧ソ連にレアメタルなどの地下資源の保管場所を持っているとさえ錯覚できる国になったのでした。しかし、海外の保管場所から潤沢にモノを買うだけのお金が足りなくなった暁には、資源の無い日本は一体何にすがって生きていけるのでしょうか。今の内にタガを嵌め直さないことには、この国の未来は暗澹たるものになりそうです。

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2008年11月26日 (水)

861 ロールスクリーン

最近の気づきですが、ロールスクリーンが今後冷暖房を考える上でのキーワードになるかもしれません。人間の暑さ寒さの感じ方(体感温度)はかなりの程度、体表面が受ける(或いは奪われる)輻射熱に左右されると以前に書きました。湿度と風速を固定した場合、(気温+体感輻射温度)÷2という式であらわされます。この場合の体感輻射温度は、壁面や窓面から受ける(奪われる)輻射熱に左右されます。

特に、夏の盛りと真冬には、窓から(或いは窓への体からの)輻射熱が、体感温度大きく支配するでしょう。これを食い止めるのは、お金をかけて窓へのペアガラスを採用するという選択肢もありますが、ここではロールスクリーンを提案しておきます。このスクリーンには特殊なコーティングが施してあり、輻射熱の殆どを遮断します。一方、光の多くを透過させ、外の景色もボンヤリと見える程度には透明度があるものを指します。ある程度の光透過性がありますから、室内も暗くならず、一方では屋外からは完全に目隠しが可能です。

このスクリーンは薄い布製なので、熱容量が十分小さいため、外面は確かに日射を受けてある程度は温度上昇しますが、室内側は室内の温度に近くなっていて、室内への赤外線輻射は限定的です。もし、壁面にもこのロールスクリーンと同様の性能を持つ壁紙を採用すれば、必要な冷暖房のエネルギー格段に小さくなるでしょう。山勘でいえば、2-3割かそれ以上のエネルギー削減は可能だと思っています。もし、投稿者にビジネスの才覚と、少しの資金があれば、すぐにでも事業化したいところですが、あいにく両方とも持ち合わせていないので、ただブログに書き留めておくだけしかできませんが・・・。

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2008年11月25日 (火)

860 借金による豊かさ

この点も繰り返しになるかもしれません。例えばアメリカの豊かさは、ドル本位制の上にどっかりと胡坐をかいた、借金による豊かさにほぼ間違いありません。巨額の貿易赤字と財政赤字と言う双子の赤字を抱えながらも何とか国が回っていくのは、日本を含めた周りの国々からお金が入ってくるからにほかなりません。つまり彼の国は、サイフが空っぽになっても、知らない間に誰かがお札を補充してくれる、お金持ちのドラ息子のような状態だとも言えます。結果、金融工学などと呼ばれる、お金を回し生み出す仕掛けは、強大に膨れ上がりましたが、代わって「モノづくり」と言う国の基盤は、日本やヨーロッパや中国に大部分を依存し、ITに関してもインドなどへの依存度を急拡大してしまいました。アメリカ国内に辛うじて残った産業はと言えば、航空宇宙・軍需産業と大型車を中心とした車産業くらいのものでしょう。コマゴマした(日本やアジアが得意とするような)工業製品などは、何も国内で作る必要性を感じなくて済んできたのです。勿論、この国には非常に大きな農業生産力がありますから、それを日本や途上国などに売りつければ、今後しばらくは曲がりなりにもこの状態を続ける事は可能かも知れません。

しかし、この借金生活は「持続可能性」と言う基準に照らせば、その影が色濃く浮き出てくるはずです。10年後、50年後、100年後、石油燃料が、車にはとても使えないほど貴重品になり、中西部の化石水が枯渇して、ピボット農業(深い井戸から水を汲み上げて半径500mほどのコンパスの様なスプリンクラーで円形農地を灌漑する農業形態)が終わりを告げた時、彼の国は借金だけを抱えて路頭に迷う事になるのでしょうか。どうしても、あの「アリとキリギリス」の話を連想してしまうのは、投稿者だけではないはずです。イソップ童話には実に多くの含蓄があります。

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2008年11月24日 (月)

859 自動車(TA)文明

このブログでの一貫したメッセージですが、今の文明は時間を加速し過ぎてきたようです。時間の加速によって、確かに今生きている人たちは、それを享受しているでしょう。その昔、J.ベルヌが生きていた時代には、いくら頑張っても世界一周には80日間も掛かってしまいましたが、いまやノンストップであれば48時間(2日)もあれば世界一周が可能です。これは40倍の時間の加速に相当します。しかし、多くの場合時間の加速は、より多くのエネルギーの消費を意味します。

今の文明の最大の発明は、多分自動車と航空機になるでしょう。勿論、これらの「時間加速道具(Time Accelerator)」の時間の加速(時間短縮=TA)効果は勿論、量的拡大という点でも群を抜いています。鉄道も、この仲間に入れたいところですが、世界的に見ればその普及は限定的です。

ここではTA文明の代表である自動車文明を取り上げますが、その最大の貢献(罪?)は、動力付馬車の普及を、パーソナルなレベルにまで引き下げた点にあります。鉄道は駅まで行って切符を買い、列車到着まで時間待ちをする必要がある、やや不便な乗り物ですが、車は思い立った時車庫に行ってキーを差し込めば、すぐに走り出す事が可能です。雨にも濡れず、夏の暑さや冬の寒さも感じずに移動する事が可能となったのです。J.フォードによる大量生産技術に、T社のカンバン方式などの洗練された生産手法が加わり、搭載される電子機器などの進歩もあり、運転者は「カーナビ」で道順さえ気にしなくても済むようになりました。

こうして、私たちは馬車や自転車の5-6倍の速さで移動し、時間の短縮ができるようになりましたが、失ったものも大きい様な気がします。多くの交通事故による死者やけが人、道路として埋め立てられた優良な田畑や削られた山林、排気ガスにより汚された大気、郊外に山と積まれた廃車や古タイヤの数々、夜間の静けさ、轢死する動物たちの数々、歩き旅の楽しさ、何より私たちから「歩行能力」と「気候に対する抵抗力」を奪い、代わりに有り余るほどの体脂肪をプレゼントしてくれました。損得を考えるなら、私たちは、今や車離れに向かって、折り返し点を回らなければならないと思うのです。

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2008年11月23日 (日)

858 キーワード集

この環境ブログでこれまで書き継ぎ、これからも多分1000題くらいまで書く予定ですが、これまでの分をキーワードでくくってみると、ざっと次のようなものになりそうです。これらは、多分環境保全を考える上では不可欠なキーワードだと言っておきます。 「資源」:地下資源の事で、使ってしまったものと残量の問題です。 「エネルギー」:とりわけ石炭・石油・天然ガスの使い過ぎが問題です。 「廃棄物(リサイクル)」:20世紀型の使い捨ての文化は終わりを告げています。 「天然自然と人工」:人間は自然を壊し過ぎ、人工物に改変し過ぎました。 「食糧」:今の人口を養うには今後も石油に依存した農業を続けるしかないでしょう。石油が採れる限りは・・・。 「淡水」:淡水、特に化石水の切れ目が食糧の切れ目でもあります。 「気候変動」:気象の過激化と、過激化の日常化が進んでいます。 「温暖化」:気候変動の中でも特に進み方が早いものの一つです。 「生物多様性」:気候変動の結果、生物種の絶滅スピードが加速しています。 「ライフスタイル」:モノ・カネ中心の生き方が問われています。 「価値(観)」:私たちが価値を見出すべきモノ(或いはココロ)が問われています。 「時間の尺度」:石油文明は、確かに時間の流れを加速し、環境悪化の限界をグッと引き寄せてしまいました。 「時代の流れ」:情報過多の時代、私たちのトレンドの揺らぎ幅が年々拡大しています。 「利便・アメニティ」:利便と快の追求が、環境悪化を加速しています。 「太陽力」:今後私たちが頼るべきは、結局お天道様しかないでしょう。 「地球のサイズ」:地球のサイズは有限であり、人間の活動の影響がそのリミットまで達してしまいました。 「人間学」:科学・技術はとりあえず横に置いて、人間の存在そのものを問い、反省する必要があります。 「経済(カネ・モノ)」:モノの売り買いの方便であった経済が、いまや逆にモノづくりや社会を引っ張っています。 「科学・技術と倫理」:科学・技術自体に、それを制御する仕組み(倫理)は包含されていません。 「来るべき社会」:100年後の青写真が誰にも描けていません。 「流通(貿易)」:産業革命以降現在まで続くモノを運ぶ文化の是非が問われています。

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2008年11月22日 (土)

857 休題(戻るべき場所)

年齢を重ねてくると、自分は一体どこの墓に入るかを、時々ですが考えるようになります。とは言いながら、火葬が法律で決まっている(確認した事はありませんが多分そうなっているでしょう)日本では、先ずはしっかり火葬場で焼かれますから、どうせ墓に入るのは燐酸分が燃えてカスカスになった骨格のカルシウムの一部でしかない訳です。

さて、体を構成していた物質は、燃やされて殆どが水蒸気になり、一部は二酸化炭素になり、二酸化窒素や二酸化硫黄などの気体になって、火葬場の煙突から大気中に飛散するでしょう。それらは拡散し、ジェット気流に乗った場合は数日で地球を一周します。しかし、緯度方向の拡散は限定的なので、同じような緯度をグルグル回り続ける事になるでしょう。しかし最終的には、気体の一部は雨水に溶け、再び地上に戻ってきます。それらは、海中のプランクトンに取り込まれ、一部は地上に降り注いで植物の根に吸収されます。更に一部は、植物の葉にある気孔から直接取り込まれ、光合成により固定されるでしょう。プランクトンは魚に飲み込まれ、植物は虫や動物に食われて彼らの命を育みます。魚や、食用の植物はやがては人間に食われて、誰か未来の子孫の体を構成する分子となるはずです。

などと、取りとめもなく考えていると、「輪廻転生」や「循環」などという言葉が頭をよぎります。結局、私たちの戻るべき場所は、自然の有機物を構成する分子群の中しかなく、それらは何億年も繰り返されて来た、自然の中の循環そのものだといえるものです。際限なく環境を汚し続けてきた私たちの戻るべき場所は、やはりその「環境」でしかないわけです。

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2008年11月21日 (金)

856 100年住宅

東京や名古屋の中心部には、見上げる様な高さのビルが林立しています。流れる雲を背景に眺めていると、まさにビルの爪が、空を引っ掻いている様子を表現した「スカイスクレーパー」と言う言葉がピッタリです。一方、電車で少し郊外の方に走ると、低いビルとマンション、更には何の計画性もなく、ひたすらせせこましく建てられた一戸建てが雑然と並んでいます。それらの建物の敷地は、元は間違いなく優良な田畑を埋め立てて造成されたはずなのです。そんな光景を眺める度に、この国の住宅政策はどうなっているのか、そもそもそんなものがあるのかどうかさえ疑問に思えてきます。

そこで、投稿者なりのビルや住宅に関する青写真を示してみる事にします。それを一言で表現すれば「100年住宅」ですが、ココロは何百年でも使える住宅を目指すべきだと思っています。ではどうすればそれが可能になるかです。大分前のタイトルで「コンパクトシティ」の概念を紹介しましたが、間違いなく都市はコンパクトでなければなりません。そうでなければ、全てのインフラが冗長になるからです。水道、ガス、電気、交通(物流)、下水、防災施設などなどです。コンパクトにするには、綿密な都市計画が必須です。公園や学校を核とした住宅エリア、市場(いちば)を核とした商業地区、工業地区などに区分けし、通勤も含めた市民の(徒歩や自転車移動を中心にした)動線をデザインする必要があります。その上で、住宅ビル(多分5-6階建ての中層)、商業ビル、工場建屋に対して、公的な規格を設けます。構造規格、高さの規格、広さの規格などなどです。その建物の躯体(スケルトン)は、100年に一度くらいの災害にも耐えられる頑丈なものにします。住宅としては、住人がそのスケルトンの一区画を買い取り、或いは借りて、自分の好みの内装を施します。

その区画の住人の代が代わった場合には、次の住人は内装だけを手直し、或いは新装して住み続ける事になります。スケルトンは、数百年の耐用年数がありますので、10代くらい代替わりを繰り返しても、改装工事から出る、いわゆる建築廃材の量は最小限にとどめる事ができるはずです。これは何も夢物語ではありません。高度成長期に建てられた住宅は、鉄筋でも50年以上は持ちませんし、ましてや木造住宅の寿命は30-40年しかありません。しかし事実としてヨーロッパの「石のスケルトン」は数百年の寿命を保っています。100年先を見据えた「揺るがない計画」さえできれば、50年後には、上記の都市改造が、かなりの程度は完了しているでしょう。

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2008年11月20日 (木)

855 資産減らし

地産地消の流れを突き詰めていけば、最終的には必要な商品を、必要とする顧客の注文により、必要なタイミングで、必要な量を作る、と言う生産・消費形態となります。その意味で、地産地消の究極的な姿は、実は「自給自足」にならざるを得ません。多分、来るべき社会では、通貨に頼る度合いが極端に減り、物々交換の割合が増えるので、人々は自分で生産した産物(農作物や手工品など)を持っている事が求められるからです。拡大の一途をたどってきたサービス業は、いまその便益を受けている人たちが、その気になりさえすれば、大幅に縮小される可能性を抱えています。つまり、外食産業やIT産業やエンタメ産業や観光産業は、今の顧客が自分で汗をかく覚悟さえできれば、殆どが無用の産業となるかもしれない訳です。

また、来るべき時代には、ものを売り買いするというビジネスは、富山の薬売りではないですが、素人には絶対に作れない希少価値のあるモノなどに限定されるでしょう。その様な時代にあって、最も減らすべきものはたぶん「過剰な資産(=設備など)」になるでしょう。資産は、お金や資源やエネルギーの塊ではありますが、一方では多くの場合、誰かが銀行からお金を借りて投資した「負債」の化身でもあるわけです。投稿者の予測では、今後は多くの資産を抱え込んだ大企業が負け組みになると見ています。その意味で、減速傾向が顕著に見え出したT社をはじめとする「設備型産業」の趨勢には、強い興味こそありませんが横目ながらそれなりに注目しています。一方で資産を持たず身軽で小回りの利く中小零細企業こそが、しぶとく生き残るはずなのです。

その根拠はいくつかありますが、底流には温暖化を含めた環境悪化への懸念、加えて特に石油エネルギーの需給逼迫(油切れ)があるのは間違いありません。大企業の原動力は、設備と石油とお金(資金)しかないわけです。人力で製品を作らなければならない事態に至れば、動力や自動化や大量輸送手段に100%依存している大企業が存続する事はもはや叶わないでしょう。その時こそ、中小零細企業、あるいは家族ビジネスの出番でもあるわけです。

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2008年11月19日 (水)

854 ローカリズム

地球規模の問題を、個人のブログでいくら論じても虚しいものがあります。853を受けて、ではグローバリズムの対極にある、いわば「ローカリズム」を考えた場合、これからの産業はどうあるべきかについてすこし考えて見ます。投稿者が描いているストーリーは非常に単純です。どのような産業であれ、生産者と消費者が「お互いに顔の見えるビジネス」と言う表現に集約されると思っています。(もちろんこれは比喩的表現で、全てが実際に目に見える訳ではありませんので念のため)。通常行われている、マーケティング手法としては、例えばアンケート調査や面談により消費者の動向を把握し、その市場に向けた商品開発を行って生産し、流通させます。しかし、その市場規模があまりに大きいが故に、この場合いくら綿密にマーケティングを行っても、生産者と消費者は互いの顔は見えません。

そうではなくて、例えば街角のコロッケ屋や豆腐屋や肉屋は、対面販売をしますので、生産者と客が互いの顔が見える商売ですし、また農家が野菜を作ってそれをその町の市場で直接販売するなら、それもまた同様で、これらの生業は生産者が販売者をかねている事が最大の特徴なのです。この場合、消費者の反応、美味い、不味い、高い、安い、出来の良し悪し、頑丈、華奢などなど、の意見が直接聞けますし、そうでない場合でも客の表情を見れば、満足か不満足かはすぐ分かるでしょう。結果、販売者兼生産者は、早速帰って材料や製法や次に作付けする作物に工夫を加える事になります。

現在の様に、訳の分からない巨大な市場(マーケット)に対し、大量生産、大量流通で対応するいまの社会システムでは、モノの流れに大きな「慣性」が伴う結果、好不況や在庫調整や、大量リコールと言った望まない変動や、ムダが生ずる事になってしまいます。今後の新しいビジネスを考える場合は、如何にして生産者と顧客の距離を縮め、如何に流通コストを掛けないかに心を砕く必要がありそうです。

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2008年11月18日 (火)

853 グローバリズムの終焉

なにやら大げさなタイトルです。勿論、これは単なる個人のブログなので、大論文を書くつもりは毛頭ありません。しかし、昨今のニュースを見ていると、どう考えてもブローバリズムの行き詰まりを感じてしまいます。グローバリズムとは、投稿者の理解している素人経済学では、国際間の市場開放と金融・為替の自由化により、国際間の物流や人や経済交流を拡大しようとする活動を指していると理解しています。

さて、それがどうして行き詰るかですが、それはこのシステムが上手く機能するためには、輸送のための安価で潤沢なエネルギー(つまりは石油です)の供給と、同時に右肩上がりの経済規模拡大という車の両輪が必須である事に起因します。大量の物流システムをサポートするためには、安価な大量輸送手段が絶対に必要でしょうし、勿論モノが動く事の裏側には、その反対方向に動くカネの流れがなければならないのです。グローバリズムの推進者は、経済規模や国際物流の拡大のためには、産地を偏在させるための「たくらみ」を行っている節が見られます。つまり、農産物産地と工業製品の生産地を意識的に固定化し、両者で農産物と工業製品のトレードを行えば、モノやカネが動き経済は活性化されるはずだからです。ある国が、農産物も工業製品も産出するなら、殆どのビジネスは国内取引で完了してしまう訳です。

しかし、石油の需給が逼迫して値上がりし、国際金融や為替の信頼性が崩れかけている今、その枠組み事態が崩壊しつつあると考えなければならないでしょう。20世紀後期の社会が残した鬼子である、石油の海に漂っているグローバリズム号には、そろそろ退場願わなければならないはずなのです。

その退場を求める罵声は、温暖化という目に見えないものからや、海面上昇、気象現象の激化(干ばつや洪水、ハリケーンの巨大化など)、淡水の逼迫による農産物への打撃、換金作物を作らされている国々、石油産地に絡む国際紛争地域からなどなど枚挙に暇はないほど高まっています。

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2008年11月17日 (月)

852 エコロジカルフットプリント

850の様な事に気がついたのは勿論投稿者だけではありません。1990年代から同様の概念は既に議論されていたのでした。しかし問題なのは、「必要最低限」の定義が、人によって、国によって大きく異なることです。従って、現在の、例えば日本における普通の生活が、エコロジカルフットプリント(以下EF)に照らして、果たして何倍のレベルになっているのか、明確には数値化できない悩みがあります。

またグローバルヘクタール(gha)と言う概念と数字がありますが、これは平均的な食糧生産力をもつ農地の面積単位の意味で、人一人が生きていくには0.23haの面積が必要だとの事ですが、それによると日本人の食生活は、国内にある農地面積の6.4倍に相当する贅沢をしているのだとか。この意味するところは、食糧自給率40%は「非常に控えめな数字」でしかなく、実は農地面積的には6.4の逆数、つまりは15%しか自給できていない事を意味します。残りの85%は直接・間接に「海外の農地」に依存しているという恐ろしい事態なのです。

一方で、国内の森林が吸収する二酸化炭素量と国内で排出している二酸化炭素量を比較すると、後者が7.9倍にもなっていると言う計算になります。つまりは、二酸化炭素について言えば、排出量を90%近く削減しないと、国内吸収量とのバランスは実現できないと言う数字なのです。これは、想像するに、江戸時代の生活にまでは戻らないにしても、明治時代の終わりごろまで位は時計を逆戻りさせないと、日本一国の炭素バランスが実現できない事を意味しています。これは、既に京都議定書だ、ポスト京都だ、COP10だとお題目を唱えている事態ではない事を意味します。

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2008年11月16日 (日)

851 休題(カマキリの卵)

カマキリは、卵を、その年の積雪の最高点より少し上に産み付けるそうです。長年カマキリと気象の観察を続けた人のコメントですから、多分間違いのない現象なのでしょう。確かに、卵嚢が雪に埋まり、水分が進入するとそれが夜間には再凍結して、卵は死んでしまう可能性があります。泡に包まれたカマキリの卵は、雪の上で乾燥状態を続ける事により、寒い冬を乗り切ることができるのでしょう。

さてここで、冬を越せない親のカマキリは、一体どの様な方法でまだ来ない冬の積雪を知るのかが気にかかります。投稿者としては二つの仮説(単なる妄想です)を立ててみました。一つは、何らかの方法で、カマキリ自身がその年の積雪を予測しているというものです。積雪と夏の暑さ、或いは年間の降雨の量やパターン、或いは秋の到来の時期など、カマキリが感知できる気象現象が、降雪量に密接に関連していて、彼らはその指標を本能で処理して、それより高い位置に卵を産み付けるというものです。これは、あり得る妄想ですが、そうであれば人間、とりわけ自然観察に長けた、村の年寄りにもその年の積雪くらいは予測できても良さそうです。直接聞いた事はありませんが、長年その土地で暮す年寄りには、実は「ある程度の予測」はできているのかも知れません。

もう一つの仮説は、植物が積雪量を予測し、秋の内に翌年の春の芽吹きの準備をしているのではないかと言うものです。植物は、気温の情報、土壌の水分の情報、湿度の情報など、葉や根が持つ情報を駆使して、冬季の積雪量の予測をしているのかも知れません。カマキリは植物から何らかの方法、例えば冬芽の位置などで、その情報を貰うという順序です。

それにしても、カマキリ本人?や植物本人?が予測をしているとしても、何かしら気象には確かな法則があるのかもしれません。例えば、北極気団は地球の自転により三つ葉か四葉のクローバ形に歪み、その葉の部分が来ると冷涼(寒冷)になり、くぼみの部分がくると温暖(猛暑)になりますが、その葉の部分は時間と共にずれるのです。そのサイクルは90日前後とも言われますが、葉の枚数によって異なるはずなのです。植物やカマキリには、それを感知するセンサーが備わっているのかも知れません。

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2008年11月15日 (土)

850 ゴールシーク

ゴールシーク(Goal seek)は、逆から見ればバックキャスト(Back cast)とも呼ばれますが、あるべき答えに近づけるように、途中のプロセスを補正する行為を指します。環境問題における究極のゴールは、環境負荷をゼロとして人類や地球上の生物が生き延びる方策を見つける事ですが、それを見つけ出す事は絶望的であるのはほぼ間違いありません。それは、増え過ぎた人口に根本原因があるからです。ある生物(植物や動物)は、環境の許す範囲内でしか繁殖できません。植物の場合は、種や地下茎による陣地の拡大には、環境や他の生物との競争に打ち勝つ必要があるからです。多くの植物は、進化を繰り返しながら、他の植物が生き延びる事ができない環境の隙間(ニッチ)に進出してきたわけです。動物は、植物や他の動物を食糧としていますから、その食糧が得られる範囲内でしか繁殖はできないのです。

何度も繰り返しますが、人間だけが地下から資源や水(化石水)を掘り出して、「本来人間が住めない場所」に住み、「本来増えてはならない数」にまで「繁殖」してしまったわけです。現在も、飢餓や不十分な食糧が原因の疾病が原因で、多くの人々が亡くなっていますが、一方でそれをはるかに越える勢いで人口は増え続けている事実があります。一般に、人類は「他の生物とは存在価値が違うのだ」と考えられていますので、座して環境悪化を受け入れ、自然な人口減少を待つ訳には行かないでしょう。

従って、ここで指すゴールとは、これから先の人口増加も織り込みながら、60数億の人類がそれなりに生き延びていくための、最低限の環境負荷レベルを探す事しかないと思うのです。具体的には、一人当たりの最低限の食料、それを作るための最低限の水、最低限のエネルギー、最低限の資源を算出し、先進国はその「物質的生活レベルを下げ」、途上国は人口を抑制しながら上げていく事を意味します。しかし、結果として「精神的生活レベル」が向上したと皆が実感できない限り、その実現は夢のまた夢でしかありません。

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2008年11月14日 (金)

849 炭素回収の愚

大気中のCO2削減方法として、「炭素回収・固定」の試みがかなりの先進国で試みられています。しかし、その中身を見ると投稿者としては暗たんたる気持ちにならざるを得ません。それらの多くの技術は、つまりはCO2を排気ガスから分離し、圧縮して体積を小さくした上で、地下の岩盤の隙間か油井に押し込んでしまうという「稚拙なもの」だからです。CO2の分離や圧縮には、実のところ膨大なエネルギーが必要です。そのエネルギーを、石油を使った電力で賄おうとすると、発電所からはその分のCO2が余計に発生するという矛盾を抱えているわけです。

もし研究するなら、CO2を太陽光だけを使って固形炭素(つまりは真っ黒なカーボンの塊り)にする技術でなければならないのです。それができれば、「カーボンニュートラルのクリーンな人工石炭」が生まれますので、化石燃料起源の温暖化の問題は一気に解決するでしょう。もちろん、この技術の開発は簡単ではありません。すでにそれを実現している地球の先住民である「植物類」(これは「人類」に対する投稿者の造語です)は、その技術開発?に数億年を要していることからも明らかです。

その意味では、エネルギーを多量に使わなければCO2固定ができない様な、情けない技術の開発は、お金と人材の浪費なので即刻中止すべきです。そんな事にお金と人材を使うくらいなら、それをそっくり、禿山だらけになってしまった途上国の植林事業に振り向けるべきでしょう。何より、炭素回収は、このブログでも散々こき下ろしている後手ごての「対策技術」そのものであることが、投稿者が納得できない最大の理由です。いまお金と人材をかけて懸命に開発すべきは、CO2を元々出さない、あるいは現状より大幅に減らす技術しかないでしょう。

もっともそんな技術を開発するより前に、私たちの生活スタイルを欧米型から伝統的アジア型に引き戻す方が先かもしれませんが・・・。

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2008年11月13日 (木)

848 トンネルの息苦しさ

このブログでは、人口物質や建造物に囲まれた私たちの社会を「トンネル」にも喩えてきました。手付かずの自然を野原に例えてみれば、都会の暮らしは閉塞感のあるトンネル生活に似ています。トンネル内を動く私たちの列車は、しかし電車ではありません。それは、石油や石炭や天然ガスや原子力などの化石エネルギーで動くあまりクリーンではない乗り物なのです。トンネルの中では、スピードを上げよう(景気を良くして経済規模を拡大しよう)と考えた場合、これらのエネルギーをより多く投入するしかありません。何しろ、それが現代社会の原動力だからです。

しかし、列車のスピードを上げようとすればするほど、排気ガスや核廃棄物はトンネルの中に堆積し、息苦しさが高まります。何故ならトンネルの容積(地球の大きさ)は有限だからです。有限のトンネル内での活動は、トンネルの中の環境に影響を与えずには置きません。特にその活動が拡大し続ける場合はなおさらです。

自家中毒という言葉がありますが、私たちは私たち自身の出す廃棄物によって中毒症状を強めている段階を迎えているのです。その代表が、二酸化炭素であり、その他の温暖化効果ガスと言うわけです。二酸化炭素自体は毒ガスではありませんが、勿論大気中でその濃度が高まれば、生物に影響を与えずには置きません。何故なら、今地球上に存在する全ての生物は、ある成分濃度の大気を呼吸することを前提として進化を繰り返してきたからに他なりません。その大前提であるはずの、大気中のCO2濃度が産業革命以降なんと3割以上(100ppm)も急増した事からの、各生物種への影響やそのリアクションについては、私たちの持つ貧弱な知識程度では、とても正確には予測不可能だと思うのです。

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2008年11月12日 (水)

847 フミン質

もう一つの重要な物資のK/Wがフミン質です。フミン質は、植物残滓を生物が分解したもの(腐植)の内、水に溶けないものを指しますが、その多くは川に運ばれてやがては湖の底や海底に沈殿する事になります。それが何万年も数億年も厚く堆積し、やがて地殻の中で変成を受けたものが石油になったのかも知れません。一方、生物分解が不十分なままで地上に堆積したものは石炭になったのでしょう。(これは投稿者の勝手な想像ですから念のため)

そのフミン質の供給は、一にも二にも陸上にある植物の量に左右されます。その意味で、人間が有史以降連綿として森林を伐採し続け、その面積を減らし続けてきた事は、長い地球の歴史の中でも、急速な寒冷化により、氷河が広く地球の表面を覆った時代を除けば、私たちはいま全く特異な地質学的時代を創り出し、その中に佇んでいると言うしかありません。

悲しいかな、激しい地殻変動を繰り返し、断層が多く存在する地域には(割れ目から逃げ出す結果)天然ガスや石油は蓄積されず産出もしません。その意味で、まさに地震国であり「断層列島」でもある日本では、例外的に日本海側の新潟や秋田県にごく僅か産出するだけです。上で説明したように、フミン質で形成された堆積物が緩やかなドーム型の地層を形成し、変成を受けて生まれた石油や天然ガスそのドームに閉じ込められる必然性があるからです。それは、地球上では中東や、北海や、ロシアの一部やアフリカ北部にしか見られない比較的珍しい地殻の特徴となっています。東シナ海にもソコソコの規模の石油層があるようですが、日中が競ってせっせと汲み出せば、すぐに枯れてしまう程度規模だと投稿者は勝手に想像しています。

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2008年11月11日 (火)

846 フルボ酸

フルボ酸も環境問題を考える上で非常に重要なK/Wの一つだと考えています。フルボ酸は水溶性ですが、同時にキレートとして鉄を抱え込む性質があることが重要である所以です。鉄は地球上では大量に存在する元素ですが、大気中や水中では酸化鉄となってしまい、水中では沈殿してしまうのです。

しかし、フミン酸に抱え込まれた鉄イオンは、水溶性となって水中のプランクトンや海草に取り込まれて植物増殖を助けますので、結果として海を肥やします。つまりは、鉄分は植物の主要なビタミン剤でもあるわけです。(実際、某鉄鋼メーカーからは植物活性のための鉄剤も市販されていますが)最近、いくつかの実験サイトで製鉄スラグを混ぜたブロックを海中に沈めて、一旦海草が消えた海を豊かな海に戻した例が報告されています。鉄剤の直接散布も過去には行われてもきましたが、フミン酸とのコンビネーションが抜けていた場合には、それほど成功していないのではないかと思っています。それは、直接散布の場合には、前述の様に沈殿してしまう割合が多くなるからだと想像されます。

地道な方法ですが、山に広葉樹を植え、落ち葉が厚く堆積した林床から浸み出すフミン酸を多く含む水が鉄イオンを抱え込み、やがて海に流れ込んでプランクトンや海草を増やすという、自然のサイクルがじつは最も効果的で持続性が高いといえるでしょう。つまりは、土壌の鉄分を一旦樹木(それは落葉樹でなければなりません)に吸収してもらい、最終的には落ち葉の形で地面に蓄え、そこからフルボ酸鉄の形でゆっくりと川や海に流してもらうわけです。広葉樹林が「魚付き林」として豊かな海を育む事はかなり前から指摘されていながら、しかしその作用を拡大する試みは、市民レベルのささやかな活動にとどまっているのは歯がゆい限りです。林業の活性化と同時に広葉樹林を増やす活動は、税金を投入してでも大規模に行うべき緊急の課題だからです。

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2008年11月10日 (月)

845 都会の鉱山

投稿者は「技術屋を卒業した」などと宣言している割りには、このブログでも相変わらず「~技術」などのタイトルで書いている事に忸怩たる思いがあります。本来は、「技術」の代わりに「わざ」や「工夫」や「知恵」などと書くべきだとは思っていますが、まだ技術屋根性を引きずっているのか知れません・・・。

さて、元々地球上に存在した金属や希土類は、人間が作った物質ではないので、ムダなものではない筈です。多くの金属類、とりわけ鉄、亜鉛、マンガン、コバルト、セレン、ヨウ素、モリブデンなど12種は、極微量ですが体内で、例えば体内組織や血球や酵素やビタミンなどを構成する重要な元素となっていて、その欠乏は重篤な疾病を招きます。

同時に、上記とも重なる希土類や希少な金属は、他の金属の性質を高める「合金元素」として、あるいは金属に特殊な作用を発現させる「希土類」として、産業のビタミンと呼べるほど重要な働きを担っています。マンガンやモリブデンやコバルトなどの合金元素無しには、発電タービンや航空機エンジンの主要部品であるタービン翼などは製造できないでしょうし、コバルトやネオジウムが無ければ強力な磁石やそれを使ったモーターも製造できないでしょう。また、ガリウムや砒素やイットリウムがないと半導体やLEDも作れないのです。

しかし、困った事に、これらの希少金属や希土類は日本の国内では殆ど産出しないので、輸入に頼らざるを得ないのです。とは言いながら策はあります。それは、既に輸入され国内に蓄積されている製品やその廃棄物には、鉱山で産出される原石に含まれる割合とは比較にならない高い含有率でこれらの有用元素が含まれているのです。問題は、それらの廃棄物を厳密に分別し、そこから有用元素を取り出す技術の開発が遅れていることです。上手く扱わないと、これらの金属や希土類には、人体にとっては有害なものも多く含まれているからです。いずれにしても、私たちの身の周り、とりわけ都市部には、既にこれらの資源が多量に蓄積されている訳ですから、都会の鉱山と呼んでも良い状況だといえます。

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2008年11月 9日 (日)

844 捨てるものは無いはず

人間が科学的・化学的に合成した物質にロクなものがないのはほぼ間違いないところですが、一方で自然に存在し、或いは自然の営みで作られた物質には、万に一つのムダはありません。何故なら、現在ある(人間が携わらない)自然環境は、地球上に存在する物質を前提として、何億年かかけて進化した生物に満たされていますし、そこで生じた有機的な物質は、「完全に循環している」からです。この循環を乱してきたのは、地球上では実は人類だけなのです。人間は、毒ガスは別にしても、PCBやフロンなど、結果的には人間や環境に有害な物質を多く創り出してしまいました。新しい物質を作り出した人間は、責任としてそれを安全に分解し無害化するプロセスも同時に開発しなければならなかったのです。

無責任な科学者(化学者)は、意図しないままとはいえ、実に多くの毒物も生み出しました。各種の農薬、PCBなどの超難分解性の物質、フロンなどの間接的な環境毒物或いは環境ホルモンと呼ばれる一連の物質群、それに懲りずにまたぞろPFOS(パーフルオロオクタンスルホン酸)などと言う厄介な物質も作り出して、それが今環境や人間を含めた生き物の体内に蓄積し始めています。体内に入った物質が、分解・代謝されないで蓄積するのは、それらが体にとっては必要の無い異物ではあるが、体が持っている酵素などでは分解できないため、仕方なく内臓や脂肪の中に溜め込むしか手段が無いためです。同じ毒物でも、水銀や砒素などは自然物であり、摂取量さえ少なければやがて髪の毛や汗や排泄物などの形で対外に排出できるのです。

どう考えても、人間が作り出したモノの殆どがロクなものではなく、自然が生み出すものには完全にムダが無い様に見えるのです。なにより自然物は、何億年もの気の遠くなる様な「時間のフィルター」にろ過されて出来上がったほぼ完全な物質だからでしょう。近年の科学・技術で作られたモノの中に、人類が存続している限り残って行くと確信できるモノが見当たらないというのは、投稿者だけの暴論とばかりは言えないと思いますがどうでしょうか・・・。

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2008年11月 8日 (土)

843 微小温度差活用技術

今後の技術で何が重要視されるかを、投稿者なりの視点で考えてみると、それは微小温度差活用技術であると予言しておきます。元々エネルギーポテンシャルの高い、化石燃料や原子力を使うこれまでの技術は、技術レベルが低かった時代には仕方がなかったでしょう。しかし、今後必須の技術は、太陽熱や地熱や深海と海面の温度差など精々数十度の温度差を利用する、微妙なテクニックなのです。まだあまり成功例は見当たりませんが、少し前にCチズンが、体温(35-6℃)と気温(例えば20℃)の10数℃の温度差で動く時計を作りましたが、その好例と言えるでしょうか。

微小な温度差は、探せば至るところに存在します。家の屋根と床下、気温と地下(水)温度、海底と表層水、ボイラーの排気ガスと気温、雪氷の温度と気温などなどです。これらの熱源(冷熱源)が持つ温度差(エネルギーポテンシャル)は、確かに小さいのですが、逆にその量は膨大で、多くの場合無尽蔵である事が特徴でもあります。従って、熱力学の法則に従えば、その温度差を利用した熱サイクル(原動機)で得られる効率は非常に低くはなるのですが、反面その量でカバーする事は十分可能であるわけです。

微小差の温度を活用するのにハイテクは必要ありません。必要な事は、これまでは見過ごされてきた小さな温度差にも注目し、それが活用できそうな「上手い使い道」を考え、熱効率を上げる多くの工夫の積み上げが必要なだけです。例えば時計を動かすには電圧が必要なだけで、電流(=電力)は殆ど必要ありませんが、一方でパワーを必要とする目的のためには、電圧はソコソコでも、大きな電流の取り出しを必要とします。目的によって、利用すべきエネルギー源を細かく使い分けるのが、この分野のコツだと言えそうです。

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2008年11月 7日 (金)

842 節水技術

このブログでも省エネルギー技術などにかなりの項を割いてきましたが、優先順位からすれば圧倒的に高いのは、実は「節水技術」である事は疑いがありません。何故なら、温暖化はある程度我慢して耐え忍べば、かなりの数の生物種の絶滅と言う犠牲は出すにしても、人間様はどうにか生きていく事も可能な程度のものかも知れません。しかし、温暖化の加速と共に頻発が予想される干ばつ(慢性的な水不足)、ひいてはそれが引き起こす食糧不足が本格的になると、間違いなく多くの(人間の)餓死者を出さざるを得ない事態に陥るからです。

このポイントに関しても、これまでそれなりに書いてはきましたが、まだ書き足りない気もしています。とりわけ、見かけ上は水資源には恵まれている様に見える日本に暮らしている限り、地下深くから「化石水」と呼ばれる「もはや追加供給されることの無い地下の溜まり水」に依存して農業を維持しなければならない、世界各地の国々の深刻さは想像すらできないかもしれません。しかし、山が急峻で、川が短くダム1ヶ所当りの貯水量の少ない日本は、比較的短期間雨が降らないだけで、意外に水不足に陥りやすい「隠れ水不足の国」でもあります。とりわけ、雪が殆ど降らない西日本は、夏場や冬季には、頻繁に渇水状態を呈することになります。また、特に戦後の政策で、保水力の小さな針葉樹が植林された地域では、1ヶ月程度雨が降らないだけで、山間に作られた貯水量の小さなダムは空っぽになってしまう有様です。

今は、水不足には鈍感な日本ですが、鳥取県などで地道に行われている「節水型農業」は、今の100倍くらい注目されて然るべき重要な研究だと言えます。少し前、アフガンで犠牲になった青年も、かの国で節水型農業の普及に頑張っていたようです。この分野に、100倍注目し、100倍の人材と予算を注いでも、全世界に波及するであろう効果には計り知れないものがあります。

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2008年11月 6日 (木)

841 木材の徹底利用(燃料2)

木材の主成分の一つはセルロースですが、セルロースの結晶自体はほぼ純粋な炭化水素であり、適当な化学的方法や微生物などで分解すればエタノールやDME(ジメチルエーテル)などの液体燃料を得ることができます。しかしながら、頭の中でプロセスをざっと考えるだけでも、井戸を掘れば簡単に噴出するか比較的楽にポンプで汲み出せる石油に比べれば、その製造コストが大きい事は間違いなく、現在のガソリンのように潤沢に使うような燃料には絶対なり得ないでしょう。しかし、例えば微生物の持つ酵素や分解作用を利用して、安価に、しかも電力などの化石燃料起源のエネルギーを使わない手法が開発されれば、国土の2/3を占めるが、細くて材木にはなり得ない樹木(間伐材など)の有効利用が見えてくるかも知れません。既に藁からの微生物的エタノール製造に関しては、技術的目途が立っており、木材についても急展開が期待されます。

勿論、有用な微生物の探索には膨大な労力が必要である事も間違いありません。例えば秋田で発見された稲ワラの高収率でのアルコール化に優れた微生物の発見には、県内の多くの場所で何千類もの土壌菌を採取し、それを培養し、ワラの分解試験を繰り返したと伝えられています。大変な作業ではあった訳ですが、しかしこれは朗報でもあります。土壌には、私たちがまだその存在を知らず、活用もされていない微生物が、それこそキラ星のごとく潜んでいるという証拠でもあるのです。足りないのは、その探索努力だけだと言えるでしょう。

そうやって、苦労して作る液体燃料ですから、仇やおろそかにしては原料や微生物に申し訳が立ちません。それを有効に使う方法も併せて考えていく必要がありそうです。それは、むかし菜種油や鯨油や魚油を、ランプや行灯用の燃料として、一滴まで有効に使った様な姿勢に学ぶ必要もあるでしょう。

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2008年11月 5日 (水)

840 木材の徹底利用(燃料)

一般に木材は古来より薪炭として、乾燥させて直接燃焼させるか、乾留(蒸し焼き)して炭にするなどの方法で、燃料として大いに使われてきました。勿論、材として使う樹種と、薪炭として使う雑木は明確に区別してもきました。しかし、近年はその燃料としての使い方も多様化し、結果として用途も広がってきています。

大きな流れの方向は、ペレットやブリケットとして圧縮固化し、嵩比重を上げて使いやすくした燃料です。薪は、切断、乾燥、巻き割りなど手数が掛かりますが、この圧縮加工された木質燃料は均質で、燃焼器(ストーブやボイラー)の構造も簡素化でき、また自動化も容易になります。問題は、木材の粉砕や固化に、現状ではそれなりの設備が必要で、加工のためにそれなりの電力も投入する必要があることくらいでしょうか。しかし、投稿者はその動力として水力を使う事を考えており、適当な実証サイトが見つかれば、水の力だけで圧縮木質燃料を作るミニプラントを作ろうと密かに目論んでいます。

もう一つの方向は、ガス化です。木材やバイオマスを蒸し焼きにすると、水素と一酸化炭素などが多く含まれた可燃ガスが出てきます。熱量はLPGなどに比べれば数分の一とかなり低いのですが、上手くプラントを設計すれば、ガスエンジンを回す事は十分可能です。蒸し焼きではなく、更に高い温度や圧力で分解する手法が確立されれば、より高い熱量も確保できると思われ、この種の研究の進捗が待たれます。実は、石油が不足していた戦前や戦中には、木材をガス化ししたものを燃料としてガスエンジンを回し、車を動かす事は、ごく日常的に行われていました。いわゆる「木炭自動車」です。喉元過ぎれば、そんな貴重な経験や技術もあっさり忘れ、捨て去ってしまうのが、じつは私たち日本人の短所でもあります。

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2008年11月 4日 (火)

839 木材の徹底利用(プラ化)

構造材や繊維利用の様に、木材に含まれる材料としての利用形態ですが、化学的なプロセスを加えれば、木材は立派なプラスチックにも変身します。

一つの方向は、製紙工業から多量に出る「黒液」の利用に関わるものです。黒液の成分の多くは、リグニンと呼ばれる有機物ですが、これは木材組織の接着剤の作用を持つ物質で、精製して化学的プロセスを加えれば、プラスチックと同様の性能を持つ物質に加工する事ができます。

別の方向としては、木粉を水蒸気と圧力で処理(蒸煮)すると、木材の成分分子が細かくなり、流動性を持たせる事が可能になります。これを単独で、或いは石油系高分子(いわゆるプラスチック)を少量混合すれば、通常のプラスチックの様な成型により、部品を作る事が可能になります。単に微細化した木粉とプラスチックを同程度の割合で混合する安易な方法もありますが、この場合は結局石油系プラスチックを50%程度加える必要があり、木材の有効利用という点からは、やや「まがい物的な技術」であるともいえます。

木材のプラスチック化で問題になるのは、やはりその工程にありそうです。リグニンや、セルリースやヘミセルロースの分子間をつないでいる水素結合を切り離すためには、高い温度(例えば200℃前後)と圧力(例えば2メガパスカル程度)を一定時間掛ける必要があるのです。その為、現状ではこの条件が実現できるオートクレーブ(つまりは大きな圧力釜です)が必要で、同時にその為の蒸気を発生させるため、ボイラーに多くのエネルギー投入する必要のあるのです。何より、この処理が連続プロセスではなくバッチ処理となる点が、決定的に量産化を阻害しています。これを連続的に行うプロセスをあれこれ考えるのが、目下の投稿者の「趣味」ともなっています。

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2008年11月 3日 (月)

838 木材の徹底利用(繊維)

木材の最も重要な役割の一つは、それが持つセルロース繊維によって実現されます。この繊維は非常に強靭で、高さ100m以上(世界で最も背の高いものは150mにも達していますが)に成長するジャイアントセコイアなどの樹木を支えます。それを、ほぼ純粋な形で取り出して漉いたものが紙です。紙は偉大な発明ですが、かつてはコンピュータの登場により、紙は不要になるとまで言われた事がありましたが、悲しいかなOA化が十分に進んだ現代でも、紙なくしては一日たりとも生活が続けられない社会構造となっています。(第一、紙無くしてはトイレにも入れないのが現代なのです。)

繊維であるセルロースは、一方で化学的に処理すれば透明なフィルムにも加工できます。セロファンなどと呼ばれるフィルムは、ほぼ純粋な自然物で作られているため食品用の、安全なラッピング材として現代の生活には不可欠です。

更に樹木から得られたセルロース(紙)から、糸をとりだす紡績技術もほぼ確立されています。紙糸を紡いだ繊維からは、木綿と同様の風合いの布を織ることが可能です。身近なところでは、紙でできた使い捨てに近いウェディングドレスなどが時々話題に上ります。しかし、最近は使い捨てではない、ジャケットなどの生地として、紙糸を使って織られた布も使われる様になってきました。投稿者も実際に触ってみましたがとても紙とは思えない手触り・風合いです。その意味では、私たちはファイバー原料としてのセルロースの潜在性を、いまだ十分には引き出せていない可能性があるといえます。セルロースは、ほぼ純粋な炭水化物(の重合した繊維)ですから、環境に放置された場合には、生き物(例えばシロアリ)や微生物(不朽菌)よって完全に分解され、水と炭酸ガスに還るのです。

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2008年11月 2日 (日)

837 木材の徹底利用(構造材)

木材は古くから、重要な構造材料として使われていました。現存する最古の木造建築といわれる法隆寺は言うに及ばず、神の国である出雲で発掘された遺跡では、高さ数十メートルにもなる壮大な規模の木造建築の神殿の柱跡が発見されています。木材として利用される部分は、実は樹木では既に死んだ組織です。実際に生きた細胞で構成されているのは、樹皮のすぐ下の表面組織だけなのです。

さて、死んだ組織といえども樹木の中心部は、水分を含みシロアリや菌類の攻撃には辛うじて耐えることができます。切り倒された直後の木材は40-50%程度の水分を含みますが、建材として使うためには製材し、水分率を10%前後まで乾燥させる必要があります。その結果、主としてセルロースの長い繊維とそれを束ねる接着剤の役目を担うヘミセルロースやリグニンなどで構成される材料は、さながら天然の複合材のように強さと軽さを兼ね備えた「材料」となるわけです。

ある建築家の計算によれば、地上で最も高い建造物を建てるには、木材が最適なのだとか。それは木材が、比強度の最も高い材料の一つだからです。鉄は、勿論強度の高い材料ではありますが、いかんせん重過ぎます。つまり、鉄で極端に高い建物を建てると、鉄自身の重さで建物の下部が座屈してしまうのです。従って、例えば1000m前後の高さの建物を建てようとする建築家は、建物の上部構造には、多分何らかの形で木材を採用しなければならないはずなのです。

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2008年11月 1日 (土)

836 木材の徹底利用(5F)

さてここからしばらくは、太陽エネルギーが植物によって固定された形態であるバイオマス、とりわけ木材の利用について考えてみます。

木材(広くはバイオマスですが)の利用に関して投稿者なりに分類すれば、多少語呂合わせ的ですが5つのFとなります。それは、FiberFoodFeedFertilizerFuelの5つになります。Fiberとは植物幹(木材)をそのまま、あるいは繊維にして紙などに利用するもので、古くから行われています。Foodとは人間の口に入るもので、植物の実や樹皮などから食物や薬品(キニーネなど)や甘味料(シロップやキシリトールなど)を得る事を指します。Feedとは、家畜の肥料として植物を醗酵させたもの(サイロ)や木材の繊維(セルロース)を爆砕などによって分離し、家畜の粗飼料とする利用法です。Fertilizerとはバーク肥料などのように、堆積し醗酵させたものをベース肥料として田畑に施肥する利用法となります。Fuelは言わずもがなですが薪炭利用です。近年は、ペレット燃料や藁や木材からエタノールやDME(ジメチルエーテル)などの液体燃料を得る方法も実用段階を迎えています。

上記の様に、木材(広くは植物)を構成する物質には、ムダなものは何一つ含まれていないので、上記の5つの活用方法を駆使して、徹底的に絞り取れば一本の木材が持つポテンシャルは十分に大きいでしょうし、同時にお金も回るビジネスモデルが作れるはずなのです。このようなアプローチを投稿者としては「木材の多面的利用」と呼んでいますが、せっかく成長した木材としても山に徒に放置されるよりは、そのほうが「本望」なのだと思います。

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