« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月31日 (水)

896 年の瀬で

年の瀬という言葉はどこから来たのでしょう。瀬ですから、イメージ的には川の浅瀬の意味であり、その連想から、世の中の動きが絞られる時期を示したのかも知れませんし、あるいは浅瀬で身動きが取れなくなった魚のように、大晦日で借金取りに追い詰められた庶民の状況を皮肉った表現かもしれません。それとも、浅瀬で急に流れの速さが増す様子を、人々の慌ただしさに重ねたものかも知れません。かといって真面目に辞書に当るつもりもありませんが・・・。

さて今年の、世の中の有為転変は、世の中をやや外れた場所から眺めている投稿者には、全くのドタバタ劇に映ります。例えば、Gリーンスパンは、少し前に経済状況の悪化を「100年に一度の事態」と予言し、この老学者がそれを口にした時には殆ど気にも留めなかった社会や政治家は、今や口を揃えてその言葉を合唱しています。しかし、彼は偉大な20世紀の目撃者で、経済指導者ではあるでしょうが、その彼にしても21世紀のあるべき姿は予想できていないでしょうし、明確な青写真も描けてはいないはずです。そうであれば、20世紀の教祖様の言葉に右往左往するのはバカバカしい事で、10年度、50年後はどうあるべきかを、叡智を結集して改めて描いていく作業こそが今必要だと思うのです。

将来の姿が決まっていて、それに向かっていける人間にはブレが無く、無力感に捉われるおそれもありません。いま人々が右往左往するのは、ホンの数年先でさえ見えない事による、言われ無き不安感の為せる技なのです。誰が、将来の雇用保証が全く無い派遣や非正規労働の蔓延を許したのか、誰が額に汗しない金儲け(マネーゲーム)を認めているのか、誰が将来世代への借金(天文学的数字に膨れ上がった国債残高)を前提とした暮らしを望んでいるのか、年の瀬で、世の中の瀬から外れた暖房の無い寒い事務所で、答えの出ない問を吐き続けています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月30日 (火)

895 オセロ景気

景気という言葉について少し考えて見ました。例によって辞書に頼らず、投稿者流の定義で話をすすめます。さて、言葉の中に「気」が入っていますから、景気は多分「気分」の要素があると考えても良いでしょう。

結論から言えば、景気とは、強気の人と弱気の人の差(或いは比)だと言い切っても良いと思っています。問題は、世の中の大多数を占める「普通の人」は、「日和見主義者」であると言う事実なのです。これらの人は、世の中のムード、とりわけマスコミの論調によって気分が大きく揺れ動きます。揺れ動くどころか、フリップ(反転)してしまうと言う困った性質を持っているというわけです。つまり、つい最近まで「イザナギ超え」と評された長期間の、低いけれども安定的な成長の中で、「トラ」のごとく強気に振舞っていたマジョリティが、いまや気弱な「チキン」の大群になり下がったという事なのです。これは、ゲームに例えれば、オセロに似ているかも知れません。つまり、隣の人の行動によって、ある列(たとえばある産業や中流だと思っている人々)が横並びで、一斉に弱気に陥る現象です。つい最近まで、白一色に染まっていた経済活動が、隅に黒を打ち込んだB国の1枚のコマによって、盤の殆どが黒にひっくり返った状態にも似ているのでしょう。

好景気の時期に「必需品」と呼ばれた、高価で便利な商品や贅沢な食品は、これからの時代には「不用品」になり下がるでしょう。しかし、考えてみれば、人々の日々の生活に必要なモノは絶対に必要なのです。健康を維持するための最小限の食糧、冬の寒さをしのぐ最低限の暖房器具や燃料、調理し、夕方の家族の団欒を支える最低限のエネルギー、世の中の動きを伝える最低限のメディアなどですが、オセロ景気でもこれらの産業は、絶対に黒にひっくり返る懸念はありません。例えば、農家の人たちが何時の時代にも泰然としていられる所以です。

さて投稿者のささやかな人生経験から言えるのは、この不可欠な需要を50とすると、世の中の景気は50から100の間で変動するという事です。100(つまりはこの夏までの状態)を通常の状態と考えていた、超楽観的な経営者は、この年の瀬で凍えきっているはずです。50のベース需要に応えていて、60-70の売り上げで満足していた経営者は、ゆったりといつもの年末を迎えていることでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月29日 (月)

894 巨大企業の限界

T社の「僅かな」赤字が大ニュースになっています。しかし、かの企業の長期の利益トレンドを見て気がつくのは、この企業の実力としては精々数千億の利益レベルが妥当なのではないかと思われるのです。この企業の利益は、世紀の変わり目以降、多分PリウスブームやLクサスブームに乗って急激に伸びたように見えます。海外や国内の設備投資で、生産能力を上げ、多くの非正規雇用を使って急速に生産台数を伸ばした(T社を含む)車産業は、実は真の市場ニーズに応えていたのではなく、市場に無理やり製品(車)を押し込んでいたとしか考えられないのです。

ゲップが出ていた市場は、アメリカ発のバブル崩壊にすばやく反応しました。何しろ、本来車などの高額な耐久消費財は、多少我慢しさえすれば、買い替え次期を数年程度延ばすことに何の抵抗も生じないはずの商品なのです。買い替えを含むベースの需要はそれほど落ちてはいないでしょうから、数年経てばある程度の水準には戻るのでしょうが、車産業はここで立ち止まって、自分の足元を確認する必要はあるでしょう。つまり、(マニアではない)普通の人々は、なにも車が欲しいのではなく、快適に移動できる手段が欲しいだけなのです。そう考えれば、何も車を大量に生産して売りつける今のビジネスモデルではなく、例えばカープール(カーシェアリング)システムなども、新たなビジネスモデルとして真面目に検討してみるべきでしょう。このシステムでは、登録したユーザーは、自宅近くのカープールに行き、予約してある車に専用カードをかざせば、自由に乗り回すことができます。料金は、カードに積算され乗った距離の分だけ料金を支払う仕掛けです。ユーザーは、保険や車検やメンテナンスなどの煩わしさからは開放され、タクシーよりは十分に安い金額で車の便利さを享受できるわけです。特に都市部に多数存在する、週末か買い物程度しか使わない車の駐車スペースが多分半分以下にはできるでしょうし、無用な車の運転が減る結果、交通渋滞も緩和されるはずです。

大企業は、古いビジネスモデルの衰退に右往左往するのではなく、大胆に企業を分断し、新たな(小さくきめ細かい)ビジネスモデルを打ち立てるべき時期だと見ています。この国では戦後、戦勝国によって巨大財閥が解体された歴史を持ちますが、いま巨大に膨れ上がった企業サイズが、新たな解体期を迎えているとは言えないでしょうか。それしても、大企業の、いかにも慌てふためいた様子の「当社も赤字です宣言」は、B国からの(儲けすぎへの)文句をかわすためのポーズもかなり入っている様な匂いもプンプンしますが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月28日 (日)

893 公共事業

ラジオから流れてくる国会の論議を聞くともなしに聞いていても、雇用確保と地方の活性化に終始していたような気がします。中でも、地方の活性化は、公共事業(つまりは道路の建設ですが)の増額無しには、あり得ないとのやり取りのようです。しかし地方の疲弊は、公共事業の先細りで生じたのではなく、人口の減少に伴って、地方に地方交付税への依存体質が生まれ、それを固定化した政策にこそ原因があると見ています。正しい政策がどうあるべきであったかを問われれば、それは安易にカネをばら撒くものではなく、地方に特色のある産業を興すことであったはずなのです。地方には、その地方特有の資源があるはずです。一次産品もあるでしょうし、伝統的な地場産業や、あるいは特有の気候や労働力としての県民性も資源になり得るかもしれません。投稿者が住んでいる地方でも、良質の陶土を利用した陶磁器産業や、森林資源を利用した木工や和紙産業、或いは隣県の織物産業に関連するアパレル産業などが、それなりの規模で存在しました。しかし、コストや効率化の追求は、これらの産業の海外逃避を許し、空洞化を加速させました。それが、政府の政策でもあったのです。

地方交付税の一部でも振り向けて、これらの地場産業のテコ入れを行って、地元に残しておくことができていたなら、今の時代になってもこれほど慌てふためくことも無かったはずなのです。グローバリゼーションによる国際分業は、輸送することが是であった過去には良い方向であったかもしれませんが、これからの時代には間違った政策になります。今後の政策は、空洞化した地方の産業を再び充足し、放棄され荒れ果てた農地で再び農耕を始める行動にインセンティブを与えるものでなくてはなりません。絶対にそうでなくてなりません。絶対に・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月27日 (土)

892 強力(ごうりき)産業

投稿者は都会を山小屋に喩えてもきました。山小屋も都会も、全ての物資を、麓からの運び上げ(田舎からの輸送や海外からの輸入)に頼っているからです。さすがに、今の時代、強力に頼って物資を運び上げる山小屋は無く、もっぱらヘリコプターで運び上げます。ヘリコプターで物資を山に上げると(或いはゴミやし尿を運び降ろすと)大体1グラム当たり1円程度のコストが発生します。500mlの缶ビールを山に運んで売れば、自動的に+500円分高くなるわけです。実際には、空き缶(多分重さは50g程度)はゴミとして運び降ろすので、更に50円が上積みされるはずです。

では、都会に運び込まれる物資のコストは、運ぶ事によりどの程度高くなるのでしょう。分かりやすくするために、全ての物資の平均輸送距離を仮に100kmとしましょう(実際は輸入もあるのでこの数倍にはなります)。全ての物資を、例えば10トン車で運ぶ事にしますが、隙間もありますから平均5トンの物資を運んでいると仮定します。更に、往復200km走るトラックの運賃を、燃料と運転手の給料と高速道路料金と運送会社の利益や流通業者の取り分も全部突っ込んで、少し安めかも知れませんが100,000円と仮定しましょう。結果、実際の山小屋での価格アップに比べればささやかですが、都会ではモノの価格が自動的に1kg当たりでは20円ばかり高くなる計算です。実際には、流通経路は非常に複雑ですので、運賃とマージンの合計は、この何倍かにはなっているはずです。たとえば、重さ1kgの大根は、田舎で買う値段に比べれば、多分40-50円程度は上がっているはずです。勿論これには、税金として知らない内に取られているゴミ処理費はカウントしていません。

強力産業は、実際の運送コストや通常のマージンの他に、季節変動や需給バランスを眺めていて、売れるとなれば更に追加の利益も積み増します。いわゆる市場価格を設定するわけです。かくして、田舎の無人販売では100円で買える、立派な太さの大根は、都会のスーパーでは季節によっては軽く200円以上にはなるでしょう。人々は、便利な山小屋生活と引き換えに、田舎の2倍の生活コストを支払っている事になります。都会で高い給料を得ながら、便利な山小屋生活を取るか、給料が半分になってもお金が掛からない、しかしやや不便な田舎の生活を選ぶか、多くの人が選択を迫られる時代に入ってきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月26日 (金)

891 機帆船の復活

「温故知新」こそ、今高く掲げるべき至言だと思っています。大昔の航海はもっぱら帆船で行われた訳ですが、日本でも比較的最近まで、エンジンを持ちながら、一方で帆も備えた「機帆船」が、内航の物流には結構使われていたものでした。帆は、非力なエンジン出力を補って、いくらかでも巡航速度を上げるための工夫ですが、考えて見れば省エネルギーが志向される現代にこそ、これを甦らせるべきではないでしょうか。実際、1970年代の石油危機の時には、鋼鉄でできた「ハードセイル」を持つ機帆タンカーが試作されました。この船では、帆はコンピュータで制御され、燃費は同サイズのタンカーより3割ほどは低かったはずです。

現代の技術を駆使すれば、この差はもっと大きくできることでしょう。帆走に適した船型、新しい船底塗料やマイクロバブルを利用して水の抵抗を小さくした船体、エンジン出力と帆走のバランスを動的にコントロールする制御技術などがあるからです。太陽光発電パネルを搭載した船も作られ始めましたが、新幹線から見えるS社の巨大な「ソーラーアーク」でさえ、700kw程度の出力ですから、船の甲板に目いっぱいパネルを貼っても、せいぜい船内電源が賄える程度の出力しか期待できません。何しろ、大型船は数万馬力のエンジン出力を必要としていますので、太陽電池程度では、殆どツッパリにはならないのです。

それに比べれば、良く設計された帆走システムでは、タンカーの様に「足の遅い船」では、たぶん太陽電池の数倍の動力を得ることも可能ですから、大幅な燃費向上になるはずです。ここでのポイントは、太陽電池パネルの効率は、たった20%弱ですが、帆が受けた風を推進力に変える効率は、100%に近いという点なのです。船が本当に欲しいのは電力ではなく、推進力となる動力だからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月25日 (木)

890 砂漠クルーザ

やや夢物語ですが、長距離トラックに代わる新たな輸送手段の提案です。アメリカ南部やアフリカ、中近東、中央アジアの砂漠地帯は、乾燥地帯であるが故に太陽光には恵まれているはずです。例えば中央アジアですが、その昔は隊商が貴重な香料や絹織物などをシルクロードで交易していたのでした。現代の砂漠にも、現代のシルクロードを作ってしまいましょう。しかし、そこに行きかうのは、ラクダの隊商ではなく、「砂漠クルーザ」です。

砂漠クルーザとは、太陽光で走る、ムカデの様に多数のユニットを連結した道路を走る列車の事です。鉄道の貨車に相当するものは、軽量で重心が低い形状とします。低くするのは、太陽光パネルの面積がかなり大きくなるので、風で吹き飛ばされないようにするためです。屋根には目一杯に太陽電池パネルを貼り付け、容量が小さいバッテリーも搭載します。このクルーザのコンボイは、しかし昔の隊商の様に、日の出から日没までしか走りません。夜は、車も運転手もぐっすり眠ります。太陽電池は、予めコンテナの屋根に張り付く手置くのも良いでしょう。運ばれるコンテナ自身が動力を発生する、究極の地産地消です。

太陽電池の出力が面積で制限されているので、砂漠クルーザの巡航速度は、多分50km/毎時程度になるはずです。これでも、ラクダに比べれば十分に速いと言えるでしょう。しかし、このような仕組みで運べるのは、軽い製品に限られます。つまりは、これからは、作って運ぶ製品自体、「軽少短薄」を目指さなければならないことを意味します。贅沢な生鮮食品は、水分を天日干しで減らし(干物にして)てから、工業製品は可能な限り軽く、小さく設計し、また地域で生産できるものは、コストには目をつぶってもその地域で生産することが求められるでしょう。なるべく運ばない、運ぶ場合は量を少なくする努力です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月24日 (水)

889 ポスト車社会

B国政府が落ち目のビッグ3を支援するとかしないとか。レイオフされた多くの労働者が暮れの路頭に迷わないようにするには、ある程度の支援も必要かもしれません。しかし、問われているのは、目先の大企業の倒産や失業問題ではありません。ダイムラーベンツやフォードや、高度成長期以降は、日本のT社などが連綿と作り上げてきた、20世紀の「自動車文明の是非」が問われていると考えなければならないでしょう。B国にもかつては、立派な鉄道網がありました。しかし、その鉄道を「寄って集って潰した」のは、間違いなく自動車産業にぶら下がるロビイスト達だったはずです。鉄道は、省エネルギーという点で見れば、車のたった1/10程度のエネルギーしか必要としません。かの国では、代わって無料のハイウェイ(フリーウェイ)を、多額の税金をつぎ込んで整備したのでした。考えてみれば、これはビッグ3に対する直接的な政府支援に他ならないでしょう。その車メーカーが今落ち目になっているのです。どこまで税金をつぎ込めば彼らが立ち直るか、全く検討もつきません。それは、自動車文明が作り上げてきたインフラの見直し作業が必要だからです。今の石油文明のインフラ整備には、多分たっぷり半世紀は必要だったはずです。結局、ビッグ3は集約・縮小されて存続するでしょうが、かつての栄光は取り戻せないでしょう。

そうではなくて、必要なのは産業構造の大胆な再構築しかないと考えるべきなのです。では、その最終的な姿はどのようになるかですが、それには社会構造自体の変革も必要とされています。運ばない社会、移動を減らす社会、アメリカンドリーム(=一攫千金)の否定、鉄道の復活や新規路線の建設、金融規模の縮小などなど、かなり痛みを伴うパラダイム変更も必要でしょう。しかし、それでも100年先を見越して、大鉈を振らなければならないのです。自動化の推進に代わって、労働集約型の産業を興すべきでしょう。農業などは人手を掛ければ掛けるほど、安全でより高い収穫が可能になるものです。使い捨て社会ではなく、車などの大型廃棄物を、人手を使って徹底的に分解・分別して資源に戻す産業も絶対に必要です。B国政府がしなければならない事は、この様な産業を興す支援ほかなりません。更に言えば、アーミッシュの人たちが今でも行っている様に、田舎では乗り物や輸送の手段として、馬車や乗馬の復活も真面目に検討すべきでしょう。ヒントは全て過去に見つかります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月23日 (火)

888 ドルを考える2

前回の超円高は、十数年前1990年代の半ばに訪れました。バブルに沸く日本マネーが世界を買いあさった時期に重なります。B国でも、かのロックフェラー財閥の象徴さえ日本マネーに買われました。NYの中心街でも多くのビルが日本企業の所有になったのです。アメリカは自信を失い、アメリカ売り(ドル売り)が一気に進んだのでした。投稿者もこの時期に、部品を海外から買い集めるチームの一員となって、世界中を歩き回っていたものでした。最高値は多分80/ドル台前半まで進んでいたと記憶しています。購買力を失ったドルを抱え、モノが買えなくなったB国は、あらゆるチャンネルを駆使してこれに抗いました。その一部は、「外圧」となってとりわけ日本に厳しく押し寄せてきました。結果として、ドルは実際の実力以上に価値を取り戻し、その後ドル高は見かけ上解消したように見えました。更に、金融工学などと呼ばれる「バブル製造装置」が脚光を浴び、大量の資金が流れ込む様になって、この夏までのB国の繁栄を支えてきたのでした。しかし、その繁栄もバブルか張子の虎であったということでしょう。

今回の円高(ドル安)にも、B国は多分前回と同様の圧力で働きかけるはずですが、とはいいながらその力は弱いでしょう。それは、今回こそドルを利用した「錬金術」そのものが、根底から問われている事態だからです。いまB国がなすべきは、古い戦略を掘り起こして再度外圧をかけて譲歩さたり、ビッグ3に資金を注入して、一息つかせたりするのではなく、開拓時代の精神を思い起こし、持続可能な新たなビジネスを起こすことだと思うのです。勿論、その大部分は「国内で必要とされるものを国内で作る」ベーシックな産業でなければならないでしょう。間違っても、新たなサービス業や、ITや金融工学を駆使した、「楽をして金を生み出す錬金術」の仕掛けであってはならないのです。

とは言いながら、喉元を過ぎると熱さを忘れるのが人間の常です。前回の大恐慌の惨状は、世代が変わったこともあり、今回のカタストロフィックなリセッションには教訓を示さなかったようなのです。また懲りない面々は、悪知恵を駆使して、為替変動を使った新たな儲け話を作り出すのでしょう。かくして、為替の乱高下の歴史は繰り返されるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月22日 (月)

887 イチョウの主張

数日前、泊りがけの出張で東京に出ました。今回は、パック出張を使い八重洲口近くの宿を取りました。気がついてみると東京駅の周りにはノッポビルが林立し、丸の内側には、なんたらフォーラムという巨大な人工空間も出現していました。朝起きて、この息の詰まりそうな人工的な空間を通り、山手線をくぐって、皇居の堀の内側に入るとやはりホッとします。皇居も江戸時代の人工空間ではありますが、なにしろこちらは自然物である、石と土と木材(樹木)と水(堀)で作られている空間で、しかもそれらは人間が並べ、掘り、建築し、植えたものなので、1/fのゆらぎに満ちています。一方、通り過ぎてきた新しい人工空間は、鉄とアルミとガラスとコンクリートで囲まれた、無機的な空間です。その無機物で作られた空間に、有機物である人間がうごめく訳ですから、ストレスを感じないはずがありません。

虎ノ門に「向かうまでの間、日比谷公園も通りました。この公園の周りの歩道には、イチョウの並木がありますが、掃除人の手が回らないのか、歩道の敷石の上にはびっしりイチョウの葉が散り敷かれています。チリ一つ無く掃除された向かいの歩道に比べれば、無機物の上に敷かれたイチョウの枯葉には、確かに「有機物としての主張」を感じます。土を見せない事に徹底的に追求してきた都会のインフラが、行き着いてしまった感のある新宿や東京駅周辺と、ささやかながら土と有機物が見られる皇居や日比谷公園や、代々木公園周辺を比べてみるまでもなく、有機物である人間と無機物の間には、有機物でできたインターフェイスが必要だと思うのです。

山で間伐材が眠っているのなら、例えばそれを加工してウッドブロックにし、都会の歩道に敷き詰めてみたらどうでしょう。またアスファルトや敷石で完全に覆われた歩道には、いくらかの隙間を設け、土を露出させてみたらどうでしょう。その細い隙間には、芝などを植え、ささやかな植物インターフェイスも確保します。イチョウの主張に耳を傾けるだけで、都市の無味乾燥を回避する方法はいくつも考えられるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月21日 (日)

886 アリ・キリ

表題は、実はアリとキリギリスの略です。私たちのご先祖様たちは、間違いなくアリでした。日の出から夕暮れまで野良で働き、雨の日は、納屋でコツコツと手仕事でワラを打ち縄やムシロや蓑を作り、或いは竹細工で籠を作ったりしたことでしょう。年間の一時期は「結い」を組んで、かやぶき屋根を修理したり、農作業の相互扶助に励んだりしたことでしょう。山で暮らすし人たちは、里山を整理しながら炭を焼き、深い山では何十年か後の子孫のために植林に励んだはずです。当時の植林は、近年の様に、材とする目的の針葉樹だけではなく、山間の田畑を潤す目的で、水源涵養のための落葉樹もかなり植えたはずです。結果として、この国の国土の2/3を占める森林の5割は、何らかの形で人の手が加わったものであると言われるほどになったのでした。

さて、現代人は間違いなくキリギリスです。太古に地下に蓄えられた資源を、ガンガン掘り出して、優雅な生活を享受しています。勿論、それは一握りの先進国と呼ばれる国々においての話ですが・・・。私たちが、一体何時からキリギリスになったかですが、それは地下から滲みだしていた黒い「燃える水」を発見した時に始まった事でしょう。この水は、よくよく調べて見ると、キリギリスにとっての甘い草の汁にも似て、それはそれは美味しいものでした。それを汲み上げて売ると、大きなお金を生み出すので、この水が出る土地を持っている人は、それだけで大金持ちになったのです。キリギリスたちは、この水にすっかり頼りきるようになってしまいました。ものを運ぶ乗り物の燃料にも使えますし、夏や冬には、暑さや寒さをしのぐ道具のエネルギー源にも使える事も判ったのです。キリギリスの中には、この水を上手く利用する、科学技術キリギリスも増えて、益々この水から離れることができなくなったのでした。

しかし、気がついてみると周りは冬が近づいていました。地下のタンクを覗くと、燃える水の残りは「半分以下」になっているではありませんか。でも、この水を牛耳っているキリギリスたちは、もっと汲み出して、値段を安くして、そして世の中にお金が回るようにせよ、と騒ぎ立てるのです。続く予定です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月20日 (土)

885 雇用調整3

さて、製造業やサービス業で余った労働力の受け皿ですが、どう考えても1次産業にしか見つかりません。つまりは、農林水産業です。根拠は明確です。何しろ、工業製品そのものは食えませんし、鉄やアルミが寒さをしのぐ焚き木にはなり得ないからです。いまや5%以下にまで落ち込んだ農業人口が、適正なレベルかどうか、食糧の自給率から見れば結論は自明です。額に汗して農地や林地で働くことが、人間本来の姿に近いことを、仕事が見つからない若者やリストラされた人たちに示していかなければならないでしょう。それは誰の役目かですが、始めから政府に振るのも結構ですが、首切りを始めた大企業にも一端を担って貰いたいものです。かつて鉄鋼不況と呼ばれた時期、某大手製鉄所が、農業や畜産に進出したことがありました。いま、前の石油ショック以降最大とも言われる売り上げの落ち込みを経験し、人員整理を始めた車産業が、たとえば農場を経営し、車の技術を転用した農業機械を開発しても何の違和感も無いでしょう。

本来「雇用調整」とは、単に余った労働者を切り捨てることではなく、一方では受け皿を増やして適正にデコボコを均す作業を意味するのです。「大変だ、100年に一度の不景気だ」を繰り返す政治家や、20世紀の祭りの余韻からまだ抜け出せない「年寄りの経営者」に、社会の舵取りを任せておいてはなりません。そうではなくて、21世紀にふさわしい新しい産業を興す起業家の支援制度を作っていく必要があるのです。21世紀のビジネスは、間違いなく多様で、工夫に溢れ、しかも規模の小さいものになるでしょう。したがって、新規の起業にもそれほど大きな資本は不要なはずなのです。たとえば、江戸時代の起業を想像してみるに、たぶん天秤棒と前後にぶら下げる桶か籠が二個あれば、物売り程度のビジネスを始められた事でしょう。少し小金が貯まれば、屋台を買ってソバ屋を始めるか、骨董品を仕入れて、もう少し楽で儲かるビジネスが始められたことでしょう。今でも、落語の中や途上国の繁華街の路上や市場には、そんな「ビジネスモデル」のヒントが溢れ返っていることでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月19日 (金)

884 雇用調整2

サービス業ではどうでしょうか。サービス業の代表選手は多分流通業でしょうか。省エネ・省資源と言うパラダイムのシフトは、運ぶことも抑制します。膨大な物資の輸送を支えているのは、いまや100%石油エネルギーであることがその理由です。今日の経済減速は、実は数年前に始まっていた可能性が高いのです。何故なら、例えば日本の道路における交通量は、実は数年前にピークを打ち、緩やかな減少局面に入ったことが判っているからです。強気の「道路族」がなんと主張しようと、実態経済の数字を塗り替える事はできません。日本での道路を使った輸送は、数年前に間違いなくピークを打ったのです。

サービス業の本質とは、分業により本来個人が行っていた作業を、専門のサービス員に任せることですが、モノを運ぶ事(運送業)もその一つです。各人が行っていた骨の折れるモノの運搬を、専門の業者が引き受けて、遠くまで届けてくれる「サービス」です。小売業も、生産者が市場で直接対面販売として行っていた価値交換を、まとめて引き受ける店やスーパーができて、分業されました。サービス業は、新たなサービス業を次々に生み出しました。サービス業のためのサービス業も現れ、インターネット上でもバーチャルなサービス業が盛んに起業されています。ネット上に貸し店舗を開き、一財産築いた青年も現れたのです。

人々が、多少面倒でも「自分で自分にサービスする」ことを実行するなら、サービス業は間違いなく衰退します。それは、今の社会が余分なサービスで溢れかえっている事への、自然な跳ね返り現象です。1970-80年代がそれほど不便な時代ではなかったことを思い返せば、今労働力の2/3を占めるまでになったサービス業が、今の半分ほどに「調整」されても不思議はなさそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月18日 (木)

883 雇用調整

「人員整理」を柔らかい言い方にすると「雇用調整」となり、ぶしつけな言い方では首切りとなります。今ここに来て、雇用調整が社会現象になっている感がありますが、雇用の範囲外に居て、事態を第三者的に眺めることができる自由業の身として、少し掘り下げてみます。

先ず、製造業ですが、投稿者には最近の雇用調整は一時的なものとは映っていません。そうではなくて、今起こっている現象は製造業の根底に関わるパラダイムが、ついに大きなシフトを始めたとの認識なのです。アメリカの信用不安に端を発する、現在の経済の急激な収縮は、20世紀型のパラダイムを壊し始めたようなのです。このパラダイムは、言わばアメリカ型や北ヨーロッパ型の、清潔で便利で快適な生活スタイルの追及によって作られたものでした。その生活を支える為には、食糧や工業製品やエネルギーが多量に必要なので、日本を含めた発展途上国が、いわゆる先進国に追いつくためには、1960年代以降の原油生産の急拡大が軌道に乗るまで待たなければなりませんでした。当時の先進国とは、B国のような国内油田を持つラッキーな国や、宗主国として海外の油田を牛耳っていた、「セブンシスターズ」と呼ばれる石油メジャーを持っていた国々を指します。

日本も、国内に石油メジャーを育てながら、超大型タンカーを建造する造船技術などで石油経済を支えてきた訳です。その結果、敗戦から立ち上がり、世界でも例を見ない高度成長期を経て、一応「経済大国」の名前を頂戴するに至ったのでした。このブログで再々してきているように、経済規模はほぼ石油消費量に比例しているので、日本は石油大国でもあった訳です。しかし、京都議定書以降、石油のがぶ飲みは悪とみなされるようにさえなってきました。エネルギー消費の抑制は、結局全ての産業にブレーキを掛けざるを得ないのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月17日 (水)

882 ドルを考える

世界の基軸通貨と呼ばれているドルについてすこし考えて見ます。ドルの趨勢は、環境問題にも少なからず影響があると思うからです。ドルは、ニクソンショックまでは、金への交換が保証された兌換通貨でした。しかし、全世界の金の保有量は、エジプト時代に比べてもたった2倍にしかなっておらず、電化製品などへ多量に使われる時代に至って、兌換を補償する役目を放棄せざるを得なかったと思われます。その時代の流れがニクソンショックを起こしたのかも知れません。

さて、ニクソンショック後も、ドルの機軸通貨としての役割は衰えませんでした。それは、アメリカの旺盛な購買力の前に、日本を含めた工業国がひれ伏した結果でもありました。プラザ合意によって、他の国々の通貨に対してドルが切り下がっても、ドルの購買力は一定の力を維持していたのでした。それは一国でB国ほどモノや食糧やエネルギーを消費している国は存在しないからに他なりません。

さて、サブプライムローンの崩壊によって、信用不安が広がっている現在においても、ドルは一定の価値レベルを維持できているのでしょうか。多分それはYESでしょう。何故なら、ユーロはまだまだ基軸通貨として流通するほどの歴史を重ねていませんし、何よりドルの価値を弱める事は、これまでそれに依存してきた国々も、本当にドルが崩壊した暁には、自国内にも取り返しのつかない信用不安を抱える結果となるので、あわててそれにブレーキを掛けるはずなのです。B国べったりの日本やオイルダラーに依存している産油国のみならず、例えばBRICS諸国もやはり実態はドル依存国の同士なのです。しかし、経済に素人の投稿者でさえ心配するのは、価値がかなり切り下がったといえ、今のドルの価値でさえ、まだバブル要素を内在しているのではないか、と言う点です。つまり、言葉を換えれば、それは「消費マシーン」であるB国にモノを買わせ続けるために、今も多くの国々が、ドルの価値を無理やりに支えているのではないかと言う懸念なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月16日 (火)

881 山の維持

先週は、仕事で高山の先まで仕事で出かけました。12月には珍しく暖かい日であったので、列車ではなくバイクを飛ばしていきました。国道41号線は、美濃加茂の先の川辺町辺りで、突然山の中に飛び込む感じになります。飛騨川が刻んだ谷沿いに、国道と鉄道が何度も交差しながら橋を渡り、右岸に行ったり、左岸に戻ったりを繰り返します。道路の両側に迫る傾斜が45度以上もある山々には、過去には見事に植林が行われてきたのでした。しかし、残念ながら川には何箇所もダムが築かれているため、もしこれらの木を伐採したとしても、昔のように川に落とし、イカダを組んで下流まで運ぶと言う最も省エネの運搬方法は取れません。そうかといって、この様な急斜面に林道を切ることもほぼ不可能です。と言う事は、これらの木々は、山に捨て置かれ、寿命が尽きて枯れて朽ち果てるのを待つしかないのでしょうか。勿論、萌芽再生や実生により、森林は自力で再生はするでしょう。しかし、人が植えたこれらの人口針葉樹林の再生は保証されている訳ではありません。戦前の人工林には、必ず人手が入っていたはずですが、放置された人工林のなれの果てがどうなるかは、戦中・戦後の植林事業から60-70年を経て、今後私たちがまさに目撃するのであり、その様な「実験」は過去にも行われていないのです。間伐を行わない人工林は、林地に日が差さないために下草も生えず、土壌がむき出しになっている結果、保水力が無く、少し激しい集中豪雨でも土壌が流出し、根が浅い人工林が壊滅的に倒れる光景は、近年多く報告されています。41号線沿いでも小規模な林地の倒木を見ることができる場所がいくつかあります。少し前、テレビで非常に良く管理された森林の典型である「伊勢神宮の森」の特集番組を流していましたが、人工林と天然広葉林が見事なまでのモザイクを織り成し、計画的に間伐育成されたヒノキは、間近に迫った式年遷宮では自前の木材を自給するまでに育っています。しかし、この森の綿密な育成計画は、なんと80年も前の大正時代に立てられ、専門のスタッフによって連綿と維持されてきた結果だったのです。山を真面目に維持しようとすれば、今都市で余剰となりつつある労働力をそのまま注ぎ込んでも足りないかもしれません。ただ悲しいことですが、その山がお金を生むのは、今手入れを再開しても早くて20-30年後なのです。その間、彼らには給料を払えないかも知れないのです。贅沢な都市生活者からガッポリ環境税を取って、それを回す事でも考えない限り、山は放置され続けるしかないのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月15日 (月)

880 リーディングエッジ

50歳以上の世代が、人口の半分になってきたいま、団塊の世代を中心とした世代の責任がますます重くなってきた感じがあります。投稿者のすぐ上の世代ですが、彼らは常に社会現象を創り出してもきました。ベビーラッシュで生まれ、小中高では校舎の不足を招いて廊下にまで机を並べ、受験地獄に苦しめられ、マンモス大学や駅弁大学を生み、就職時は幸い高度成長期に支えられて無事通過したものの、結婚ラッシュや、大規模住宅団地の抽選で再び狭き門に苦しめられたことでしょう。この住宅難は、安普請の「文化住宅」や、隣家との隙間がたった30cmしかなく辛うじて車1台分の駐車スペースの「庭」しかない「ウサギ小屋」を日本の住宅のスタンダードにしてしまいました。

しかし、彼らは戦後一貫して時代のリーディングエッジ(飛行機翼の風切りエッジ)であり続け、今後しばらくもそうあり続ける筈です。厳しい話ですが、そのリーディングエッジである彼らには、社会の一線で活動する事を止め、年金を貰いながら楽隠居する自由は約束されてはいないようなのです。それは、何も年金収支のソロバンを弾いて見なくても、人口ピラミッドを眺めて見るだけで直感的に理解できるでしょう。頭でっかちの形は安定も悪く、下手をすれば倒れてしまいます。リーディングエッジ(エイジ)である彼ら(50代の投稿者世代もこれに加わる必要がありますが)には、申し訳ないですが、生涯現役で頑張って貰うしか、この国が安定的に社会を営む術は見つからないと思うのです。

さて、生涯現役を保つためには、メタボの腹を抱えて早々と老いぼれてなど居られません。ガンガン筋トレをして、ウォーキングやジョギングや登山で足腰を鍛え、粗食に耐え、子供時代に散々経験したはずの節約生活を実践しながら、後に続く世代に模範を示す必要があるのです。幸いにも、投稿者の事務所近くの河岸の道路や遊歩道にも、ここ1-2年早足ウォーキングを行っている中高年の姿が多く見られるようになり、すこしは心強く感じています。とはいいながら、その彼らが家に帰ってから、日がな一日テレビ番や新聞記事のスクラップやカラオケをしている様では、先が思いやられますが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月14日 (日)

879 ひっつき豆の戦略

少し前ですが、ジョギング中、河原に胡桃の木を数本見つけ、その実を拾うために草むらに入りました。残念ながら既に殆どが拾われた後らしく、数個拾えただけでした。草むらから出てきて足もとを見た時「やられた」と思いました。ズボンの裾からスニーカーまでびっしりと「ひっつき豆(図鑑で調べてみるとアレチヌスビトハギという名前でした)」に覆われていたからです。仕方がないので、歩道の縁石に腰掛けて、長い時間かけてそれを一つ一つ取るしかありませんでした。これらの「ひっつき豆類」は、その種子の動物の毛にしがみつく能力によって、ニッチを広げることができたのでしょう。同じような戦略は、枯れた花が種子を抱えたまま引っ付く「センダイグサ」の仲間や子供達が投げ合って遊ぶ「オオオナモミ」なども採用していて、河原でもよく目に付きます。

彼らがどのような進化の過程を経て、動物に引っ付く能力(鈎針)を手に入れたかは非常に興味深い点ですが、いずれにしてもその進化は、毛のある動物の登場まで待たなければ始まらなかった事でしょう。初期の毛のある哺乳動物は、たぶん地ネズミの類だったかもしれません。植物は、その時登場していた動物に併せて進化をゆっくり進めていけば良かったのです。

最初は、ネズミなどが這い回る地面に近い場所に種子をつけたはずですが、その後大型の哺乳類が登場するに従って、種子をつける場所も高い位置に進化したことでしょう。今は、これらの種子の運び手は、都市周辺では犬か人間様くらいしかいませんから、もしかすると彼らひっつき豆のターゲットは、もっぱら不用意に草むらを歩く「間抜けな人間」に絞られているのかも知れません。まんまと彼らの戦略に乗っかるのも、実は結構気持ちが良いものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月13日 (土)

878 帰農支援

どの様な道筋で考えても、この国を含めた世界の人口は、都市に集中し過ぎているとの結論になるでしょう。この国では、いわゆる高度成長期にその現象がピークを迎えましたが、今や隣の大国でも、インドなどの途上国でも、人々は農村を捨て都市に群れ集まってきています。その中で上手く立ち回った人は一財産を築き、裕福な生活をエンジョイできますが、その他大勢は狭い住宅にひしめいて住み、都市の底辺を形成するしかありません。日本では、都市人口を吸収する手段として、大都市郊外に放射状の鉄道を建設し、大規模団地やせせこましい一戸建て住宅団地や、更には「マンションブーム」などを経て、都市のスラム化を未然に防止しました。しかし、多くの国々では例外なく大都市のスラム化問題を抱えているはずです。投稿者もブラジルではいくつかの悲惨なスラムを目撃しました。

産業が成長する時期は、とりわけインフラの建設のためには、多くの労働者が必要でしょう。しかし、この国のように定常状態に近い状態では彼らを都会に引き止めておく求心力は非常に弱まってしまいます。つまりは、インフラの維持作業くらいしか、仕事はないわけです。それにも関わらず、ある時期に流れ込んだ人口を、永く都市が抱えている状況では、多くの問題点を生んでしまう結果になるのです。日本ではまだ大きな問題としては浮上していませんが、企業の尻尾切りにより多くの失業者が街にあふれる状況に陥ると、この国でも都市のスラム化が進むかも知れません。そこは、他の国々の都市スラムのように、凶悪な犯罪の巣になると想像できます。

これを防ぐには、唯一「帰農支援策」しか無い様に、投稿者には思われるのです。それによって、中山間地の、放棄されつつある(されてしまった)農地を甦らせて、元の農村に少しでも近づけるように、人口の拡散を図る必要があります。必要な仕組みとしては、都市と田舎をつなぐ情報のネットワークと現地でのサポート、当初資金の融資制度でしょうか。都会で職を失った人が、田舎に移るには、当面の食糧さえ確保されれば、そんなに多額の現金は必要無いでしょう。帰農支援のための、融資や援助の大部分は「現物」で十分なのです。現物とは、多少手直しすれば住める低家賃の家、ただで貸して貰える農地、それと最初の作付けに使う種や籾や多少の農機具ということになります。地元のお年寄りは喜んで、新しい住人(親や祖父や親戚がその村の出身であればなお理想的ですが)農業の方法を教えてくれるはずです。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年12月12日 (金)

877 エネルギーのJIT

製造業の世界では、ある時期以降T社のO野さんが提唱したジャストインタイム(JIT)生産が、理想とされ、殆どの工場では彼の著作がバイブルの様に読まれたものでした。その理想とするところは、ピンと張った糸のように生産ラインに弛みを持たせず、中間在庫を悪とするモノづくりでした。販売店で売れた車の台数情報は、瞬時に工場に送られ、生産ラインの出口からラインを引っ張ります。工場の中でのモノの移動は「カンバン」によって制御され、部品が無くなるとそのカンバンが、下請けの部品工場に送られ、補充部品の製造情報となります。この「余裕が無く、せわしい」モノづくりが、20世紀の最後の四半世紀以降の工場の規範とされてきたのでした。急激な生産抑制現象が世界を覆い始めていますので、この20世紀のものづくりバイブルにも、今後大幅な見直しの手が入る事でしょう。

しかし、ここで提唱するのは、このJITの考え方をエネルギーに応用しようというものです。エネルギーには多様な形態があり、それを利用する側もまた同様です。熱、電気、蒸気、圧縮空気、冷気、送風、回転(運動エネルギー)、光などなどです。これまでは、たとえば光は電力を使って発生させるだけでしたが、エネルギーのJITでは、それを「その場所その時点で利用できるエネルギー」へと枠を広げます。光で言えば、晴れた日中には、今は殆ど使われていない昼光を取り入れて、照明のエネルギーとして利用します。加熱用や乾燥用の熱でも、予備加熱や予備乾燥には太陽熱や他の設備からそのとき発生している余熱を上手く利用します。それが利用できなくなった時点で、従来のエネルギー源に切り替えれば良いわけです。システムは少し複雑にはなりますが、得られる省エネルギー効果はそれを補って余りあるはずです。

この考えを、もう少し進めると、そのとき最も環境負荷が小さく手に入るエネルギー源に合わせて、工場の操業時間を決める事になるでしょう。エネルギーのJITで最も頼りになるのは太陽光ですが、お天道様は確かに気まぐれです。しかし、風力や地域の小規模水力なども組み合わせながらシステムを見直し、たとえば曇りや雨の日には、その後の晴れの日に向けて段取りを進めておくなど、仕事の回し方を工夫することもできるでしょう。このようなシステムで脚光を浴びるのは、間違いなく効率の高い「熱交換器」と「蓄熱(蓄エネルギー)」システムとなるはずです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月11日 (木)

876 自販機中毒

少し前のデータですが、この国では26人当たりに1台の割合で自動販売機があるとか。単純に計算しても450万台程度にはなりそうです。飲み物の自販機が圧倒的に多いのでしょうが、スナックやアイスクリームやカップ麺など、結構色んな種類の自販機が目に付きます。かなり昔の話です。投稿者が勤務していた企業では、あまり売れませんでしたが、生めんを湯がいて作る、本格的なうどんの自販機なども作っていました。しかし、これくらい自販機が多くなると、人はついそれに頼り、気がつけば依存症になったりしているものです。自販機が急増した裏では、スチール缶やアルミ缶やPETボトルの消費量(廃棄量)もウナギ上りになってきたはずです。

自販機の罪は、そのエネルギー消費量と、飲み物や食べ物の容器ゴミを増やす事にあります。通常自販機は屋外に設置されますので、季節を問わず、外気温と自販機内の商品との温度差は大きくなります。平均的な自販機でも平均で500w相当、冷凍機を持つ機種では1kw近くの消費電力が発生します。これはたぶん平均的な家庭の1-2軒分程度の電力に相当するでしょう。つまりは少なく見ても500万世帯分の電力量です。

自販機台数を半減しても、自販機の稼働率が上がるので、商品売り上げ自体が半分になることはないでしょうから、困る人は多分自販機を設置して飲料の販売に関わる人たちでしょう。平均的な家庭では、年間ではおよそ2000kwh程度の電力を消費していますので、自販機の半減により、CO2換算では400万トン相当にも上るはずです。工場や大規模ビルを指導して、うんと頑張って、ささやかな省エネでCO2を削減することに比べれば、結構楽な温暖化対策にはなりそうです。この対策で行うことは、ある基準以下でしか売り上げていない「あまり働いていない」自販機を特定し、それを間引きするだけで良いのです。それより何より、先ずは私たち日本人の「自販機中毒」をいかに治療するかが大問題なのですが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月10日 (水)

875 疎外と不満

テロや騒乱やクーデターなど、あまり響きの良くない言葉がニュースのヘッドラインに並ぶ日が続いています。その背景にあると考えられるキーワード二つについて考えて見ます。

まず「疎外」ですが、大多数(マジョリティ)に対する少数派(マイノリティ)が存在する時に顕著になります。B国では、マイノリティが社会の少数派であった時期に、黒人民権運動がピークに達したはずです。しかし、いまや彼らは少数派でもなんでもなく、大統領を輩出する側に回っているわけです。その意味でこの国では、相変わらず社会の底辺に置かれている「元マイノリティ」の人々が多いとは言いながら、従来の意味での民権運動が盛り上がる事は殆ど考えられなくなりつつあると思われます。一方、宗教や価値システムの違いによって少数派に生まれる疎外感は、民族がモザイク模様の様に暮らしていたかつてとは異なり、民族が流動化している今、その軋轢は増大の一途をたどっているように見えます。人間の争いは動物のそれとは異なり、記憶される事によって争いの連鎖を生むという、悲しい側面をもっています。目の前で、親や兄弟を殺された子が成長しどのように行動するかを考えれば、テロの連鎖は少なくとも今後数十年は続くことが懸念されます。二大強国がバランスを保って覇権を競っていた時代が少し懐かしくも感じられるこのごろです。

一方、「不満」は、当然享受すべき権利や機会或いは既得権が大きく損なわれる時に増大します。では、充足は不満を無くすかと言えば、決してそんなことはなく、金持ちが今以上の財産増加を拒否する事は殆ど考えられないはずです。むしろ、中途半端な充足は、新たな飢餓感や不満を増長しさえするでしょう。今の世の中から消えようとしているのは、実はささやかな充足で満足できる「足るを知る」姿勢なのだと思っています。今以上の権益を求める人々は、群れをつくり、今大きな権益をむさぼっている人たち(途上国では政治家や役人)に向けて牙をむきます。メディアなどを通じ、先進国が実現してきた「物質的」に豊かな暮らしを、世界の殆どの人が知ってしまった今、不満のエネルギーも人々の間にますます蓄積していきそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 9日 (火)

874 休題(エピソード記憶)

人間の脳とは一体なんなのか、真剣に考えた時期がありました。100冊ほどの本を読んで、さんざん考えて得た結論は非常にシンプルで、脳は(人間の)次の行動を決めるための「情報処理装置」であるというものです。勿論、人間の脳には計画する、予測する、反省する、泣く、笑う、と言った高次の働きも付与されています。しかし、これらの高次の能力は決して天与のものではなく、生まれた後に、日々の経験の積み重ねで獲得されたものだと言えます。例えば、全くの経験の無い状況に立たされた人間はパニックに陥り、「動物的」に右往左往するしかないのです。怒りも動物脳に起因する機能なので、それをコントロールする事はなかなか困難なのでしょう。極端な例ですが、オオカミに育てられ、人間社会に無理に連れて来られた少女にも、人間らしい感情はついに生まれなかったと想像しています。動物として生きるには、それらの、人間を人間たらしめている感情は無用のものなので、幼児期の早い段階で退化してしまったと思われるのです。

人間を人間らしくしている根拠は、実は記憶です。それも、起こった事態を、時間を追って物語の様に記憶する「エピソード記憶」なのです。その記憶の中で、「何が何してどうなったか」という、物心がついて以降の主要な記憶が固定されていきます。人間が人間らしく行動する規範がその物語の中に、殆ど含まれていますから、新しい非常事態が生じた時にも、人間はどうにかパニックに陥らずに済む事になります。言葉を換えれば、その人の人間性は、そこまでの人生で、如何に人間らしい多様な経験を通過してきたかに掛かっているはずなのです。投稿者は、それを竹の節に喩えます。節の多い、がっしりした竹こそが豊かな人生の象徴だといえます。

エピソード記憶の蓄積期にあたる貴重な子供時代、テレビゲームに多くの時間を費やした子供たちが「ゲーム脳」になるのは、上のような理由により、事の必然だと言えるでしょう。彼らの人生が、さながらシノ竹のように節も少なく、か細くなることを心配しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 8日 (月)

873 文明考

文明に関して少し考えて見ます。社会学者でもなく哲学者でもない投稿者の見方は、もっぱら環境屋の視点になります。環境坊主を自認する投稿者の見方は、少しへそが曲がっているかもしれませんが、「文明とは環境悪化の加速装置である」というものです。

過去の歴史を見ると、多くの古代文明が長いものでも数千年で、忽然とその歴史の幕を下ろしています。文明は、人々が群れ集まること、食糧や富を集積させる事によって維持します。それと忘れてはならない要素は、飲み水や農業を維持する淡水の供給です。先ず文明の胃袋ですが、密度の高い、都市人口の食糧を供給するには、広い面積の農耕地と大量の淡水の確保が欠かせません。その為、その農地では文明が要求する作物を単作する事になります。どの様な作物を持ってくるにせよ、作物の単作では連作障害が避けられません。つまり、ある農地では、作物の収量が急激に低下し、最終的には放棄せざるを得なくなるでしょう。人々は、新しい農地を求めて、周辺の地域の木を焼き払い、そこである期間は農業を行う事になります。しかし、この様な農業形態が持続可能なはずもありません。都市の周りに農業の適地がなくなると同時に、人々はその都市を放棄せざるを得なくなります。

一方で、淡水の供給は毎日の飲食に直接関係しますので、更に重要な要素となります。地表に降った雨は数日で流れ去りますから、継続的に水源を確保するためには、何らかの形で「ダム」が必要になります。寒冷地域では、高山の万年雪がその役目を受け持ちますが、温暖な地域では森林(広葉樹林)の維持が不可欠です。広葉樹の林床は、1-2ヶ月程度雨が降らなくて、蓄えた雨水を少しずつ流し続けてくれるからです。しかし、多くの古代文明は、周辺の森林を伐採し続け、結果として淡水の供給も細っていったと思われます。こうして、多くの古代文明は、その文明の絶頂期を迎えた後、急激に衰退して消えていったのでした。それは、長い歴史の目で見れば、さながら「忽然と」消えていったように見えるのだ、と想像されます。さて、今の「化石燃料文明」の寿命はあとどのくらい残っているのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年12月 7日 (日)

872 竹の繁殖力

週二回勤務している建物の窓からは、ふもとからの高さが50m足らずの小山が見えます。その山のふもとの90%はほぼ竹やぶで覆われています。しかし、地元の古い人に聞いた話では、この竹はタケノコを採るため4-50前にたった数本植えたのが始まりだとか。山の周囲は、目検討で約1kmくらいですから、竹藪は50年弱で500mくらいその長さを広げたようです。平均すれば毎年5-10mくらいの速度になります。

竹は、もし一本の地下茎に5本程度の親竹が付随している時は、地下茎を伸ばす事はないといわれています。しかし、藪が混んできて親竹に十分に日光が当たらなくなると、急激に地下茎を伸ばし始めるのだそうです。したがって、全く間引きが行われない竹薮では、上記のように毎年10mも勢力を拡大する結果になります。この現象は、実は日本の至るところで観察されているのです。いまや、タケノコも殆ど掘られなくなった放置竹林では、親竹は人が通り抜けできないほど密生し、しかもその殆どが日光もろくに当たらないためヒョロヒョロの状態です。

竹は、単位面積当たりの光合成による炭素固定能力で言えば、木材に比べ2倍程度高いので、上手く維持すれば、二酸化炭素吸収源として有望です。竹は、古来より素材として多用されてきましたが、田んぼの葉差がけ、冬囲い、建築補助材、竹垣などの用途が無くなり、放置竹林の激増と、無為な伐採や宅地化・駐車場化などでの竹林面積激減のダブルパンチで、その本来の役目を果たしていません。

考えてみれば、竹の繊維は、純度の高いセルロースでもあり、ファイバーとしての用途も有望です。それを蒸し焼きにすれば、非常に硬く火持ちが良い竹炭にも生まれ変わります。多分石油ではない、天然物由来のプラスチック原料としても活用できるはずです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 6日 (土)

871 地層

投稿者の事務所の近所では、年度予算の「消化」もあるのでしょうか、3月までの予定で道路を掘り返しています。下水管設置と水道管とガス管の交換を同時に行っているようです。掘り下げた場所を見ると、地層は2mまで掘り下げても、真っ黒な土壌のままです。そういえば、甲子園の黒土もこの地方から運んでいるという話を聞いたことがあります。確かに、市内には「黒土買います」の看板を掲げた土砂販売業者があります。この黒い土壌は、想像するに、この場所に比較的近い「御嶽山」が太古から繰り返し噴出してきた、大量の火山灰で形成されたものと思われます。

見掛けの色は真っ黒で、滋養豊かにも見えますが、河川が堆積した土壌とは異なり、作物を植えつける土壌としてはあまり理想的とは言えません。そのため、この地方の主な農産物は、古くからサツマイモにほぼ限定されていたようです。30年くらい前にここに越してきた時は、まだいくつかの悪臭漂うデンプン工場が稼動していました。サツマイモ畑は、デンプン工場が閉鎖された後は、大量の化学肥料を入れてニンジン畑になったのでした。しかし、大量の施肥は、同時に地下水の汚染ももたらしました。この街では、飲料水として地下水を汲み上げていますので、その汚染は深刻な問題を引き起こしました。いわゆる飲料水の「亜硝酸塩汚染」です。その事実が判明して以降は、減肥栽培が奨励され、地下水の汚染レベルは下がりましたが、全く心配が無くなったというわけでもありません。

いずれにしても、コンクリートや住宅で覆われた地下には、長い永い時間かけて蓄積されてきた土壌があり、その土壌を通して地下水が涵養されているわけです。その土壌に、自然の理に反した無理な作付けを行う事によって、新たな歪を生じさせると言う一つの典型的な例を、掘り返した道路の地層からつい連想してしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 5日 (金)

870 温暖化は北から

温暖化の原因は二酸化炭素ではない、太陽の黒点活動が低下しており、今後は寒冷化に向かう、などという議論も盛んですが、このブログでは無視します。大気中の二酸化炭素濃度が、産業革命以前に比べて100ppm程度(約3割)増加したのは疑い様のない事実ですし、各地の氷河の長さや北極の夏場の浮氷面積が急激に減少していることもまた事実だからです。今年の冬は、見かけの上からは急激にやってきて、結構寒いようにも感じますが、それにだまされる訳にはいきません。北極圏では、この100年の間に、平均気温が4℃は高くなっていますし、これらに歯止めが掛かったという明らかな証拠も見つかっていません。

もし、科学的にしっかり評価するなら、季節ごとの北極気団の平均直径のデータになるでしょうか。季節が移って、北極海に日が差さなくなると寒気が蓄積し、北極気団を形成します。その気団の縁を回るのがジェット気流ですが、中緯度の気象にはこの気流が重要な影響を及ぼします。しかし、このジェット気流の流れ(つまりは北極気団の形)は円形ではなく、三つ葉或いは四葉のクローバのような形に歪んでいるのです。この葉っぱが下がってくると、その地域は非常に寒冷化し、葉っぱの間に入ると、温暖化するので話は結構厄介です。この不規則な形の気団の正確な平均径を測る方法が見つかれば、温暖化(あるいは寒冷化?)の明確な証拠にはなり得ます。

しかし、何度も書きますが、問題は正しい温暖化(寒冷化)のメカニズムの解明ではなく、待った無しの資源・エネルギーの温存と、環境悪化への急ブレーキなのです。それ無くして、私たち世代の、次世代に対する責任は、絶対に果たすことができないのです。そして、温暖化は私たちの住む中緯度地域ではなく、北からは足早に、南からジンワリと迫ってきているのです。気候変動には、周期の長い慣性があるので、太陽の活動がやや低下したとしても、ここ数十年の温暖化傾向は変わらないでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 4日 (木)

869 休題(ものの味)

投稿者の父方の遠い祖先は、ブルーベリーに巣食う虫で、一方母方の祖先は多分青シソの葉を常食としていた虫である事を殆ど確信しています。従って、朝食のトーストには365日ブルーベリージャムを塗って食べ、週1回以上大葉の葉を口にしないと禁断症状が出てストレスが溜まります。しかし、ある日、そのブルーベリージャムが切れているではありませんか。心の動揺を隠しながら、仕方がないのでトーストに何もつけないで食べてみる事にしました。その時感動したのは、イースト菌で発酵させただけの小麦粉の味を「発見」したような気になったことです。その味には、ほのかな塩味と少しのバター(ではなくて安いパンなので多分植物性油脂)の味もしました。それが、食材本来の味だという事に気がついたのでした。

そのつもりで、茹でた野菜に何もつけないで口にすると、野菜本来のほのかな甘みや苦味を感ずることもできます。それまでは、自動的にドレッシングをかけ、或いはマヨネーズをつけて食べていたのです。遠い記憶を手繰ると、子供時代に夕方お腹がすいてくると、遊び場でもあった畑からキュウリを一本失敬して、少量の塩をつけて腹に入れたことを思い出しました。さすがに気が引けるので、その畑を作っていたバーちゃんには、時々は堆肥を運んだり収穫などの畑仕事を手伝ったりしたものでした。

その農家は養豚も行っていたので、夕方細い竹の棒を持って、豚のお尻をペチペチ叩きながら、堤防の土手を1キロくらい散歩させるのが、実は結構楽しみでもありました。その豚の餌は、100%近所の家々で毎日出る「生ゴミ」だったのでした。トン糞をたっぷり吸い込んだ敷きワラは堆肥になり、その堆肥で育てた野菜は人々の胃袋に納まり、出た生ゴミを豚が上手そうに食べる「本当の循環型社会」がそこには営まれていました。ある朝の、トーストしただけで何もつけないパンと、茹でただけの野菜は、そんな子供時代の記憶を引き出してくれました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 3日 (水)

868 コンビニ飢饉

石を投げればコンビニの看板に当るこのご時勢、考えて見なければならない事も多いのではないでしょうか。コンビニが生まれて数十年、いまや「コンビニ依存症」の世代は、生まれたときに既にコンビニがあった「コンビニネイティブ」の40歳以下の世代ばかりでなく、一人住まいのお年寄り所帯に至るまで、その幅がグンと広がっています。一人分調理された弁当や惣菜は、確かに便利に買えて、しかも経済的かもしれません。多少ゴミが嵩張るのを辛抱すれば、献立を考えることも、材料の買出しも、調理も時間さえも不要です。

しかし、考えて見なければならない事は、コンビニの食料は、全て絶え間なく動いていると言うことです。毎日(多分日に数回)補充される食品には賞味期限があり、それを過ぎたものはゴミとして廃棄されます。POSシステムで、売れた品目と数量は全てデータして吸い上げられ、補充は必要な数量、必要なタイミングでしか行われません。何か行事があって、日頃よりやや多目の顧客が立ち寄るだけで、食品棚はあっという間に空っぽになるでしょう。この売り切れ現象は、例えば配送トラックのちょっとした事故でも引き起こされます。たった数時間時間、予定の配送がストップしただけでも品切れが起こるはずです。

もし大きな災害が起こった場合は悲惨です。コンビニに日常の食生活を依存している人たちは、間違いなく部屋に非常食をストックしたりはしないでしょう。災害が起こって1週間ほどコンビニが店を閉じるだけで、他の地域から非常食が運ばれるまでの間には、飢えを感じる人が発生する可能性もあります。食糧は、本来手に入りにくく、従って備蓄されるべき類のものなのです。その昔、米と味噌と漬物と干した野菜や魚介類の干物の備蓄があれば、人々は安心して暮すことができました。もちろん、来年の作付けの種籾だけは、死んでも?手をつけなかったでしょう。今は、明日食べるものを心配しないで暮らせる、幸せな時代にあると同時に、しかし、非常に危険な食習慣が蔓延もしている「危うい時代」だとも言えるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 2日 (火)

867 ギャンブル社会

投資と投機の違いについては、繰り返し議論されてきた話題かもしれません。投稿者の見る限りでは、この二つは親子か兄弟の様なものだと言っておきます。投資は慈善事業ではないので、資本家は当然、投資先からの見返り(リターン)を期待しています。投機も同様ですが、こちらの期待度は、投資に比べれば格段に大きい事がその特徴です。極端な場合には、元手の何倍ものリターンを期待する輩もでる始末です。当然、こちらはリスクも大きく、文字通り「元も子も失う」か、最悪の場合には大きな負債を抱える結果にもなりかねません。

失敗した場合、最悪の場合投じたお金の殆どを失うのが投資で、それに留まらず、お金を出した側が事業損失の責任を取らされて、借金まで抱え込む事にもなりかねないのが投機とであるとも言えるでしょうか。投機行為に似たものにギャンブルがあります。両者の違いは、一方が事業であるのに比べ、ギャンブルはゲームであるという点だけです。ギャンブルでは、一握りの勝者がいる一方大多数の負け組みを出し、胴元が予め決められた取り分を懐に入れた分、ギャンブラー全体としてみれば、結局損をしているはずです。

では、ますますギャンブルに近くなっている現代の投資・投機ゲームは、いったいどのような形で収まるのでしょう。歴史を眺める限りは、投資・投機ゲームのブームはあるインターバルを置いて、繰り返し起こり、繰り返し破綻を繰り返しています。そのインターバルは、破綻で痛い目にあった人々が、その痛みを忘れてしまう間での期間という事になるでしょう。

ギャンブルが無くならないのは、その興奮や快感を人々が忘れないからにほかなりません。投資・投機ゲームのブームも、全く同じ理由で、今後も繰り返されることは間違いないでしょう。加えて、年金や保険など社会の基盤となるマネーシステムも殆ど全てが「運用」と言う名の投資や投機を繰り返しているのですからつける薬も見つかりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 1日 (月)

866 炭素絶ち

化石燃料の消費は、薬物依存症によく似ています。私たちは、化石燃料に依存し過ぎ、最早それ無しの暮らしは考えられなくなっています。たとえば、朝起きてからの生活を考えても、冬場であれば、まず起きて(電気・あるいは灯油)暖房のスイッチを入れ、(ガス)湯沸かし器からのお湯で洗顔するでしょう。(電気)トースターでパンを焼き、あるいは(ガス)レンジで朝食を調理し、(電気)テレビのニュースを見ながら、(電気)ドライヤーで髪をなでつけ、(ガソリン)車で出勤するでしょう。(電気)列車を使う人も多いことでしょう。もし、上記の括弧で括ったエネルギー源が、明日から殆ど使えなくなるとしたら、一体どのようなパニックが起こるのでしょうか。全く想像もつきません。

しかし昔なら、母親が早起きしてカマドで飯を炊き、隣のカマドの釜にはお湯を沸かしてくれていました。子供たちは洗面器にお湯を少量取り、水で薄めて顔を洗いました。ご飯と、味噌汁と漬物と納豆か魚の切り身があれば立派な朝食でした。親は、自宅で商売をし、子供たちは雨の日も吹雪の日も1時間近くかけて歩いて学校に通いました。やる気にさえなれば、田舎では低炭素生活は今でも可能なのです。しかし、先祖伝来の土地を捨てて都会に出てしまった人やその子孫はそうは行きません。都市は、大規模に膨れ上がったインフラを通じて、エネルギーや水や食糧を連続的に流し込むシステムを前提に動いていますので、その流れがたとえ1日でも途切れるならば、都市生活はパニックに陥る危険性を包含しているのです。そのインフラの大部分は、石油や天然ガスや原子力などのエネルギーに依存していますので、その維持のためにはやはり二酸化炭素を出し続ける必然性があります。

二酸化炭素排出を極端に減らした、言わば炭素絶ち社会の実現のためには、何は無くてもこの都会への過度の集中を、地方へ分散させることから始めなければならないはずです。言葉を換えれば、数世代の間に都会で暮し始めた人たちの、かなり多くの部分は、元々先祖が暮らしていた地域に戻る必要があるということです。かなりの部分と言うのは、日本の人口は戦前に比べて既に数千万人規模で増えていますので、物理的にそれらの人口を吸収する事は叶わないのです。投稿者の山勘で言えば、しかしそれでも2-3千万人規模ではUターンする必要があるとみています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »