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2009年1月16日 (金)

912 GNH

911の様な事を考えていた時、先日のラジオでGNHGross National Happiness)と言う言葉を耳にして、ハタと膝を打ちました。これはブータンと言う国の国是らしいのですが、なかなかに説得力があります。自由主義経済が行くところまで行くと、勝ち組と負け組に分かれます。ウサギとカメではありませんが、経済の仕組みを熟知してウサギのように素早くしかも上手く立ち回れば勝ち組に、しかしカメのようにコツコツとマイペースを保つ生き方をしている人は取り残され、結果として負け組になってしまいます。それも、経済の仕組み上、必ず一握りの勝ち組と大多数の負け組に分離してしまうのです。

それを、911の「幸せ度」と言う指標を使って表せば、その国の平均値はずいぶん低くなるでしょう。しかし、GNHという指標を導入し、同じ国民総生産レベルでありながら、ほぼ全員がホドホドの幸せを感じる社会が作れるとした場合、国民の「総幸せ度」は最大にできるはずです。K総理の目指した、規制緩和=自由な競争によるGNHの増加は、明確に失敗に終わりました。「お金儲けはそんなに悪い事ですか・・・」などと公然と言い放つ鬼子を生み出し、いまその歪の狭間に多くの失業者を取り残そうとしています。

今では、よっぽど田舎まで出かけないと、痕跡さえ見ることが出来ませんが、資源を持たないこの国の最も優れたコミュニティの仕掛けは、実は「結い」と呼ばれる人々の助け合いだったのです。この仕組みは、高度経済成長で、急激に膨らんだ製造業やサービス業でも「終身雇用」などとなって、形を変えて受け継がれてきたのでした。多くの人々は、単にある職業を就くのではなく、ある結いの形式である「カイシャ」に帰属する事に、収入を得ると同時に精神的な満足感を得ていたのでした。その当時は、多分「カイシャ」としてのGNHは最大となっていたことでしょう。しかし、能力給を導入し、評価する側に立たされた上司と、評価される側になった部下の関係はギクシャクし、企業の業績とGNHは逆比例の悪循環に陥ったのではないかと想像しているのです。根っからの技術屋であった投稿者は、人を評価する立場に立たされたとき、迷い無くそれを放棄したのでした。GNHの追求は、決して古典的な意味での社会主義や共産主義とは同じではありません。経済を離れた場所での、人間の幸福の在りようの追求なのです。

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