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2009年1月17日 (土)

913 コスト効率追求の限界

T社のカンバン方式は、作業効率の最大化を狙い、もってコスト最小を実現するための考え方であり、生産手法です。しかしながら、この路線の効率追求では、勤労者の「幸せ度」向上の追及や、生産における「環境効率」の追求とは、明らかに矛盾します。

先ず前者です。作業を、ストップウォッチを持った同僚が観察し、作業手順のムダを秒単位で記録され、最終的にはそれをそぎ落とすことを要求される場合、作業者の「仕事のやりがい」や「達成感」は一体どこに追いやられるのでしょうか。勿論、作業者の中にはそのムダ取り作業、即ち「カイゼン」に新たな生き甲斐を見つけ出す人もあるでしょう。しかし、多くの場合ムダと余裕の違いについては、意識される事は少ないのです。カンバン方式の考え方では、製品やサービスに付加価値を乗せる作業は「作業」ですが、そうではないものを「ムダ」と定義します。しかし、安定的に運転するためには機械も「遊び」が必要です。例えば、歯車の噛み合いの間の遊びを「バックラッシュ」と呼びますが、これ無しに歯車は全く回りません。増してや、機械ならぬ「ヒト」が持続的に作業を行うためには、余裕や「遊び」が絶対に必要なのです。

一方、後者の「環境効率」とコスト効率の綱引きですが、環境効率はより多くの人力の活用を要求する一方、コスト効率は可能な限り自動化して、人手を掛けないことを最優先におきます。その結果、コスト効率を追求した、究極の自動化工場では、多くの「ロボット様」が忙しく働き、その数を十分に少なく抑えられた作業者(その多くは非正規労働者です)は、ロボット様たちが快適に働けるように、部品を途切れなく供給するお膳立て、いわゆる「配膳」作業に従事する事になります。はてさて、この様な工場では、一体誰が「主」で、誰が「従」なのでしょうか。最近の四半世紀の中で、何らかの望ましくない「価値逆転現象」が起こっているとしか思われません。

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