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2009年2月19日 (木)

946 象

象を知らない盲目のひと数人が、像を撫でて感想を述べ合ったとします。ある人は、鼻を撫でて太い蛇のようだと言いました。別の人は尻尾を掴んで、暖かいロープのようだと言いました。もう一人は、そんな事はない、これは少し軟らかいが木の幹に違いない、と太い足を触りながら言いました。物事には、この例のように多くの側面があるはずです。単純な形のコインでさえ、表面、裏面、側面のギザギザを見出すことが出来ます。

しかし、環境に限って言えば、温暖化問題たった一つにしても、賢い人間達が寄って集って議論しましたが、精々IPCCの不確かな「予測」しか結論できませんでした。環境は、モノではないので、人間の持つ「ささやかな科学の知識」だけでは、正確に観測することすら出来ないでしょう。環境とは、観測したり理解したりするものではなく、結局生物とはその中で育まれ、それを感ずる存在でしかないです。環境とは、地圏、水圏、大気圏、熱圏、有機物圏=生物圏に、可視光、紫外線、赤外線や地磁気などの電磁場、太陽光、宇宙線などが複雑に絡みあったものであり、各分野の専門家程度では、とてもとても全体の理解は出来ないはずなのです。気象の専門家集団の「温暖化の警鐘」は確かに一定の意味はあるでしょうが、本当に警鐘を鳴らすべきは、社会学者や哲学者や宗教家による、人類としての価値観や生き方に対してでなければならないと、言いたいのです。

象が果たして取り返しのつかない病気になったのか、どのように感じているかは、象の尻尾を掴んで「温暖化の危険を叫ぶ」だけでは事足りません。象(環境)に寄り添い、五感を使ってしっかり観察し、その中で何かを感じ、その上で象が喜ぶ方向に少しずつでも踏み出して行動する必要があります。もちろん行動と言っても、何も稚拙な科学・技術を振りかざして前進する事は意味しません。慎重な後退や、何かをきっぱりと捨てる(止める)ことも重要な選択肢なのです。

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