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2009年2月26日 (木)

953 環境の世紀

21世紀が環境(保全)の世紀と呼ばれるのは、環境悪化の状況がもはや一刻の猶予も無く「そうあらねばならない」からです。その意味では、20世紀を一言で総括すれば「環境破壊の世紀」であったと言えます。しかし、環境を保全するのに何かを「する」と考えるのは正しいアプローチとは言えません。特に科学・技術を使って、環境のために何かを「する」と考えるのは、間違いなく自己矛盾に陥ります。それは、例えば膨大なエネルギーを費やして、出してしまったCO2を圧縮して、地下深くの岩盤の隙間に押し込んでしまう暴挙(とは言いながらこれは現実に税金を使った実験が行われている愚挙でもあります)と似ています。液化し、地下に押し込む膨大なエネルギーは、石油を燃やし、あるいは地下からエネルギーを使って掘り出し、濃縮した核物質を使った原発で生み出すしかないわけです。これは、一方でCO2を固定しながら、他方で別の場所からCO2を吐き出すという全くの自己矛盾なのです。

そうではなくて、これからの時代を環境の世紀にするためには、何かを諦め、何かを止めるしかないと思うのです。ハイブリッドカーを作って、これまでの半分の燃料で車を動かすことを考えるのではなく、まずは車を捨ててみて、しかる後に如何にして快適に、健康に暮らすかに知恵を絞る必要があるのです。安易に省エネ家電に買い換えるのではなく、今ある家電を、絶対に必要な場合にしか動かさないという決意を固めるだけで良いのです。例えば、エアコンは、「死にそうに暑い日に」、「死にそうな時間帯だけ」動かすべきなのです。環境のために何をするかではなく、「環境のために何を諦め、何を捨てるか」を考えることこそが、地球環境に100%依存して暮す私たちの責務だと言っておきます。

その意味で、今後の時代を「環境の世紀」などと勝手に呼ぶのは、人間中心の幻想に過ぎず、環境そのもの「は、多くの生物が滅んでも、人間が自分の出した環境毒で苦しんでも、それは依然としてそこに在り続けます。それを「カミ」と呼ぶか、「ほとけ」と呼ぶかは、専ら文化の問題です。

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