979 環境の意味
これまで、「環境」を、種々の喩え話で書いてきましたが、ここで正確な言葉でまとめてみます。しかし実際に始めて見ると、それは結構難しい作業であることが分かります。つまり、環境を議論するためには、「自己」と「環境」の間に線を引く作業が必ず発生するからです。自己の外側にあるものが、即ち環境になります。
ところが、例えば、腸内環境という言葉があります。人間の場合、自己の境界線(面)が皮膚だと仮定した場合、腸は果たして身体の内部であるのか、はたまた外部であるのかを考えると頭がこんがらかります。確かに胃や腸の内部(外部?)にも粘膜という皮膚があり、それは口から肛門まで外部に向かって開放されていると言えなくもありません。
そこで、投稿者としては、少し整理して「自己」と「環境」とその間の「インターフェイス」に3分することを提案したいのです。上の例の腸内とは、まさにそのインターフェイス部分である訳です。そこでは、食物を分解(消化)し、それを体内に取り込むための吸収(同化作用)が行われる特殊な場所になります。これを人間社会と自然環境の関係に敷衍すると、インターフェイス部分に当たるものとしては、例えば「里山」や耕作のされていない「草原地帯」などが挙げられるかも知れません。そこは、自然環境と人間社会の間の直接的な軋轢を緩衝する場所でもあるわけです。しかしながら、全ての「経済的なムダ」を排除する癖のついた今の文明は、これらの本来必要なインターフェイスまで、無駄なものとして切り捨ててきたのでした。里山は、切り開かれて宅地や農地に変えられ、ステップと呼ばれていた草原地帯は、太古の昔に溜まっていた地下水を汲み上げて人工的に潅漑され、農地になってしまいました。
身近な例でも分かるように、木を切り払ったり焼き払って作った農地ではインターフェイスが殆ど無くなっているため、イノシシやシカなど動物の食害を受けたり、保水力の無い土壌故の鉄砲水や短期間の旱魃にも極端に弱くなってしまいます。それは、さながら人間が、点滴で直接体内に栄養素を取り込むような行為にも似て、決して持続可能であるとは言えない状況なのです。
ここでの結論を言えば、通常の意味で言う「環境破壊」とは、投稿者の言葉で表現するなら「インターフェイス破壊」と呼びかえるべきではないかと思うのです。勿論、地球上の多くの場所では、インターフェイス破壊が極端に進んだ結果、自然環境自体も取り返しのつかない破壊を受け始めている現場の多いのも事実ですが・・・。
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