« 999 終わりの前に | トップページ | 1001 ツバメ »

2009年4月14日 (火)

1000 終わりに

このブログでの一応の区切りと考えていた1000題に達しました。途中からは、ブログ投稿をさながら「千日修行」の様に捉えて書き続けてきたつもりです。しかし、これ以上書き続けたとしても、それは中年環境坊主の繰言や愚痴に陥る恐れがあります。それより何より、「環」境と漢字で表現されるように、自然は循「環」し続け、その営みに終わりは無いわけです。一方、人類の歴史には多分終わりがあるでしょう。それは、化石などに見る何億年にもわたる生物の盛衰の歴史が明白に示しています。そのピリオドは、人類自身の出す廃棄物による自家中毒が原因となって打たれるはずです。何故なら、戦争にせよ、環境悪化にせよ、地球規模の害悪には、直接被害を受ける個々の人間はさておき、国際社会や国や地域に歯止めを掛ける力が非常に弱いからです。それは、総論賛成、各論反対と言う「社会的には矛盾の無い主張」を聞くだけで十分でしょう。

めぐる環境の様に、話はめぐり巡って投稿者が環境坊主を目指したスタート点に立ち戻りますが、何回か書いたように、投稿者としては、科学・技術が引き起こした環境悪化は、結局のところ科学・技術には解決できない、との立場を取ったのでした。それは、科学・技術とは「人間だけ」を「物質的」に豊かにする限定的で「欠点の非常に多い手段」だったからです。結果として、科学・技術とは、自然環境を破壊し続ける運命を背負わされた「両刃の刃」であったわけです。一方の刃で、自然を切り開き人類の「科学・技術の恩恵に与る一部の人類」の物質的な豊かさや利便性の向上を図ってきたのですが、返す刃では、地下資源の乱用や自然破壊のスピードを年々上げてきたのでした。

そうではなくて、環境坊主としての見方や立場は、「ココロの豊かさ」あるいは「利他主義」あるいは「利自然主義」なので、科学・技術的視点とは全く次元の違う話になります。このブログで伝えたかった事を一行の文章で書き表すならば、多分次のようになるでしょう。すなわち、この環境坊主が考える、今後私たちの目指すべき方向とは、「環境悪化で荒廃した唯物主義の山を下りながら、ふもとにあるココロの豊かさに近づく行動」、もっと単純に言えば「慎重な時代の巻き戻し」ということになるかもしれません。

さて、ガチガチの環境ブログとしてはここで一旦キーボードを置きますが、日々の思いは、徒然なるままに時々はアップを続けることといたします。ただ今後のアップは不定期になりますので、ここまでお付き合いくださった皆さんには、時々思い出した時にこのブログを訪問していただくだけで十分だと思います。今後は、微力ながら環境保全のお経を唱えながら、一歩でも「ココロの社会」に近づけるように、しっかり修行し汗もかこうと思います。

|

« 999 終わりの前に | トップページ | 1001 ツバメ »

コメント

 千日修行、満願成就おめでとうございます。
そして、たいへんお疲れさまでした。

 仏門の習わしに、修行を終えた修行僧は、こんどはありがたい和尚様となっていよいよ、衆民に向かって、説法に入るわけです。

 環境坊主様も、ありがたい和尚様となって、平易な言葉と、実践によって、民の懐にはいり、生き仏になるまで、再びあらたな修行には入られますよう、祈念して、ありがたく1000件を拝受いたしました。

 本当にお疲れさまでした。

信州の山里は、桜が咲きはじめて、山が笑って待っています。
バイクでゆっくり、巡幸をお待ち申しております。

投稿: ひつじ | 2009年4月15日 (水) 19時58分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 1000 終わりに:

« 999 終わりの前に | トップページ | 1001 ツバメ »