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2009年4月13日 (月)

999 終わりの前に

20世紀後半、日本で言えば昭和時代の後半の出来事が、果たして「歴史か?」と問われれば、それにはまだ少し時間が必要とされるでしょう。確かに、このブログでは、さながらそれを「歴史風」に書き綴ってきました。その時代のレールを引いてきた「昭和一桁」は、殆ど「お隠れ」にはなりましたが、しかし、そのレールの上を、ひたすら物質的豊かさを求めて邁進してきた「D塊世代」が、まだまだ社会のマジョリティとしてデンと座っています。

と言う訳で、昭和を歴史として眺め、それを客観的に反省・評価するには、それを「懐かしがる世代」が存命であるかぎり、やはり時期尚早であると認めざるを得ません。多分D塊世代がフェイドアウトする20年後くらいには、「20世紀史」や「戦後昭和史」がブームとなるかもしれません。しかし、環境の悪化はそれを待ってはくれません。温暖化についてみれば、2040年ごろには、夏場の北極海の浮氷は完全に姿を消すと予測されています。何年も前から、「数年後」には、ゴミの最終処分場が満杯になると騒がれながら、いまだにレジ袋の有料化とごみの分別収集の徹底以外は、有効な対策は打たれていません。

少し早めでしたが、環境坊主を目指して「企業」や「技術屋」から「出家」した投稿者は、このブログを通じて、つたない「お経」を書き綴ってきたつもりです。しかし、1000題のブログを書き連ねても、そこに100万の言葉を並べても、「環境」を明確に言い表すことはできないでしょうし、ましてや「環境保全」に向かって歩き始める人の数を増やすことはなかなかできません。そうではあっても、この環境坊主には毎日お経を唱え続ける義務を負わされているとの思いから逃れることが出来ず、重要な仕事を与えてくれた企業や、それまでの数分の1収入での生活を余儀なくされた家族には大いに迷惑をかけながら、どうにかここまでやってきましたし、これからもいただいている寿命の範囲内でそれを続けることになるでしょう。

もちろん、シャカリキになって走りまわっても、それこそ無駄なエネルギーを消費するだけなので、できるだけユルユルと、あまり力を入れないで、少しずつ前に進んでいくこととします。それは、熱力学で言うところの「準静的な過程」という表現に似ているような気もします。(技術屋卒業生としては、熱力学などという浅知恵を振り回すべきではありませんでした…反省)つまりそれは、誰にも気づかれず、感謝もされないで、しかしなんとなく前に進んでいる「ミヤザワケンジ」の世界に通ずるものかも知れません。

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