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2009年7月31日 (金)

1013 ウルトラ軽自動車

1012で車の軽量化に言及したので、これに関してもう少し追加しておきます。さて、車は鉄で作るものと誰が決めたのでしょうか。もちろん、車の大量生産を始めたBF社です。鉄は、何しろ安く大量に手に入る素材ですから、自然の成り行きだったのでしょう。その後、アルミも同様に安くて大量生産が可能な素材の仲間入りを果たしますが、何故かスポーツカーを除いてついぞ車体の材料としては採用されませんでした。

アルミで車体を作れば、車体の価格は2倍以上になるでしょうが重量は半分にできるでしょう。また純アルミで作れば、リサイクル率もほぼ100%にできます。純アルミは剛性が低いので多少ベコベこするでしょうが、ビード加工や泡金属で補強すれば何とかなるでしょう。

しかし、投稿者の立場は、アルミの車体が是としません。「正解は木材だ」と声を大にして言っておきます。木材は、比重は確かに0.5以下ですが、強度はずいぶん低い材料です。しかも、木の種類や同じ材種でも産地の違い(暑い場所、寒い場所など)で強度もかなりバラつきます。そこで、工業技術の出番となります。木材を熱と圧力を加えながら極限まで圧縮・固定すると、比重は1.6程度まで高まり(つまりは1/3程度まで圧縮すると)、強度はアルミ程度まで高まり、剛性はアルミ以上に高まります。しかも、木材は繊維を持っているので、材料には方向性があります。これは決して欠点ではなく、上手く使えば材料の節約にもつながるのです。

さて、このように作られた比重がアルミの半分でしかも強度が同等の「新しい木材」で車の骨組みを作れば、アルミよりずいぶん軽い車が作れるはずです。最大の問題は、このような木材に加工するのに、オートクレーブ(圧力釜)が必要なことです。つまりは150℃以上に蒸気で蒸して、その状態で強力な圧力で、木材を圧縮する設備が必要で、しかも加工には多大なエネルギーが必要な事です。しかし、近い将来頭の良い人がきっと上手いプロセスを開発してくれて、省エネで圧縮木材が加工できるようになるでしょう。そうなれば、日本の山には、活用されていない木材が腐るほど眠っています。特に、若い間引き材(間伐材)は細くて強度が低いので、新しい用途が開発されれば、伐採・搬出処理が格段に進むはずです。

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2009年7月29日 (水)

1012 家電としてのEV

まだ法人向けとは言いながら電気自動車(EV)が本格的に市場に投入されました。車自体から排気ガスは出さないEVとは言え、発電所の煙突からはしっかり二酸化炭素が排出されます。軽自動車サイズのEVでは、それでもガソリン車に比べてその量は1/3にできるのだとか。ハイブリッド車ではおおむね1/2程度ですから、確かにそれより少しはマシな乗り物ではあります。

しかし、元技術屋としてしみじみ頭をよぎるのは、「車もついに家電になったか」という感慨でしょうか。車を動かすエンジンとそれを動かすための燃料ポンプや発電機やラジエータなどなどのメカニカルな機器や部品(おおむね20000点以上)からなるこれまでの車に比べ、EVは、車体、バッテリー&モーター、車輪、電気回路だけで構成されています。つまり、構成は電気掃除機や洗濯機となんら変わらなく、サイズだけが大きい「大型家電」製品であるとも言えるわけです。これまでの車を走らせるエンジンやミッションやその他の機器は、何百社あるいは数千社かも知れませんが、いわゆる強大なサプライチェーンによって支えられていました。したがって、車体を作り最終的な組み立てを行うのは、その巨大なチェーンをコントロールは、限られた数社の巨大な自動車メーカーにしかできなかったわけです、

しかし、EVはそうではありません。車体をつくる板金技術さえあれば、モーターとバッテリーと電子回路を、たとえば中国あたりから輸入すれば、中小企業にも十分手が届く製品になったとも見ることができます。実際、中国あたりではEV製造のベンチャー企業や中小企業がポコポコと生れ始めているようなのです。この流れは、見方を変えればメカ屋が電気屋に白旗を揚げることを意味します。

さて、その評価ですが、これまでこのブログを読んでこられた方は薄々理解されていると思いますが、投稿者としてはまったく落胆しています。今の車の基準はまったく贅沢過ぎるからです。車は安全性を犠牲にしても、極端な軽量化を図る必要があります。安全性を確保したいのであれば、最高速度や加速性能をぐっと低くすれば済むことですから。自動車業界の技術屋の義務は、先ずは、これまでの1/10以下の環境負荷で走る車の開発にあると言っておきます。これはつまりは、ガソリン1リターで100km以上走る車の実現を意味します。それができればメカ屋としてEVを蹴飛ばすこともできるでしょう。

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2009年7月25日 (土)

1011 HVブーム

HV(ハイブリッド車)ブームの様です。HVはこれまでのガソリン車に比べ、3-4割は燃費が良いため、環境にやさしい車ともてはやされ、車業界では一人勝ちの状況です。しかし、その先が見えていません。何しろいきなり燃料電池車(FC車)が安い価格で量産できるわけではありません。さらに、FC車の燃料である水素をどのようにして調達するかの道筋も全く見えません。石油やLNGを改質して水素を取り出すのなら、これらを直接燃やすのとCO2の排出量は変わりません。車の排気管からはCO2が出ない代わりに、改質装置や水素プラントからは、炭化水素から引きはがされた炭酸ガスが多量に排出されるでしょう。もちろん改質するにもエネルギーが必要ですから、CO2削減に関してみれば、その帳尻には疑問が残るでしょう。

結局HVについて言えば、短期間の「つなぎ技術」に過ぎない事は認めなければならないのです。上で述べたようにFC車も切り札にはなり得ないことも同様に認める必要があります。では何が今の自動車文明を支える切り札技術になり得るのでしょうか。結論から言えば、情けないことですが、そんな技術は何処にも存在しないと言うしかなさそうなのです。どうやら私たちは、安易に移動することに慣れ過ぎたようなのです。人類を、移動する存在=ホモ・モーベンス呼んだのは誰だったでしょうか。遊牧民族ならいざ知らず、土着の文化を大切にしてきたこの国の人たちも、車+高速道路や新幹線の「おかげ様」で、いまやすっかり移動する人種に変貌してしまいました。

投稿者なりの提案はシンプルです。時代を少し巻き戻しすれば良いだけなのです。1970年代の中頃、私たちは一人当たりに消費する化石エネルギーは、今の丁度半分でした。この頃は確かに一家に1台車がある状況が完全に実現されていたわけではありませんでしたが、普通車が買えない人も軽自動車やバイク程度は乗りまわしていました。1950年代に開発され、すでに「世界の名車」となっていたH社のS-パーカブは元気に走りまっていました。

私たちは何もHV車やFC車が欲しいわけではないと思うのです。雨の日でも快適に移動する手段が欲しいだけだと思うのです。であれば、改めていま現在の車の半分を大きく下回る量のエネルギーで快適に走る「ウルトラ軽自動車」や「ハイパーカブ」を開発してみるべきなのです。HV車如きに惑わされて慌てて買いに走る人は、ミーハーのそしりを受けても仕方がないでしょう。

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2009年7月21日 (火)

1010 ヘビ

田んぼ道を歩いていて、1mほどの若い?青大将に出くわしました。とは言いながら、いつ見てもこの動物は好きになれないのです。もちろん、ヘビたちに罪があるわけではなく、これは一種の生活習慣病のようなものではないかと密かに思っています。

投稿者は技術屋として30数年働いてきました。一方で、直線で構成された建物で働き、暮らし、寝起きしています。しかし、彼の生き物たちは決して直線になる事はありません。S字形に身をくねらせながら、スルスルと進みます。残念ながら、そのような動きをする機械や道具を私たちは開発してきませんでした。投稿者が関わって作ってきたモノはと言えば、たとえば、まっすぐな鉄路を進む列車とか、道路上をひたすら疾走する車や巨大な鉄の箱である船舶、決して羽ばたかないアルミ製の鳥(飛行機のことです)などの単純で退屈な乗り物ばかりです。子供の頃は田舎で育ちましたので、ヘビをそんなに毛嫌いした覚えはありません。しかし、数十年の歳月はヘビをすっかり見慣れない生き物に変えてしまったようです。ですからこれは生活習慣病だと思うのです。

というわけで、自営業になって、これまでよりはいくらか自然に触れる「リハビリ」ができるようになってはきましたが、彼のくねくねした生き物を愛らしく感ずるまでには、もうしばらくリハビリ続ける必要がありそうです。いま思いついたのですが、もう少し暇な人生に入ったら、動物園の爬虫類舎に行って、ヘビたちの前で半日くらい過ごせば、少しはリハビリが進むかも知れません。

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2009年7月16日 (木)

1009 景気刺激

景気刺激というKWを少し考えてみます。景気を、人間の体に例えて見ればたぶん「健康状態」に似ているでしょう。体調を崩した場合には、人間の場合寝ているか、医者にかかります。しかし、社会システムの場合はゆっくりと寝ているわけにもいかないでしょうし、病院や医者に当たる仕組みもありません。症状に応じて、これまで使ってきた薬に頼るしかない訳です。経済活動においては、それは軽症の場合は金利誘導でしょうし、少し重症になると財政出動による景気刺激策などがそれに当たります。

しかし、考えてみなければならないのは「年齢」です。今の文明が人間の寿命でいけば何歳に当たるか分かりませんが、投稿者の山勘では還暦はとっくに過ぎているのではないかと思うのです。つまり、人間の体力で言えば、かなりの下り坂に差し掛かっていると見なければならないでしょう。今の文明の血液に当たるものは、大きく見れば石油とお金でしょうか。しかし、老化が進んだ今の社会システムの中には、さながら体脂肪の様に余分なものが蓄積しているように見えます。それは、流通していないだぶついたマネーだと言っておきます。その結果、今の文明は老化に加えて「メタボリック症候群」の症状も呈してきていると思うのです。

さて、体力が落ちてきて動きが鈍くなった今の文明に、昨年決定的に打撃を与えたのが、アメリカ発の不景気風です。それはさながら人間の最悪の病気の一つである「癌」にも似て、不気味な広がりを見せています。癌に立ち向かうのに、今の政治屋や経済学者は外科的手術ではなく、なんと「インシュリン」を処方しているようなのです。これはメタボになり、結果として高血糖になった体に対して、生活習慣を正すのではなく、薬で対処して様なものです。いま私たちの文明が実行すべきは、飽食の食生活(資源やエネルギーの浪費)の矯正と解毒(環境への負荷の軽減)に加えて、乱れた生活習慣を立て直すかないというのに、です。

税金を使って景気を刺激する手法は、成長過程にあったかつての社会システムでは、確かに有効だったでしょう。体(経済規模)が成長している時代には、実際どんな手を打とうが、打つまいが、その成長は止まらないのです。しかし、今後の社会には、最早この手は効きません。それどころか、間違いなく急速に「寿命を縮める」ことになるでしょう。20-30年後には間違いなくお隠れになっているはずの「20世紀型のロートル」に、今後の社会の舵取りを任せる危険性を日々強く感じています。

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2009年7月14日 (火)

1008 サクランボ

昨日は平日なのにポッカリと時間が空いたのでジョギング日に当てました。いつもの通り、木曽川左岸を犬山城から上流に向かって10km余りを走りました。蒸し暑い日が続き、つる性の夏草が歩道の手すりにも巻きついて勢力を伸ばそうと競い合っています。

ふと上を見上げると、桜の木に小さな実がついていました。どうやらサクランボの様です。もちろん店で売っているような大きな実ではなく、大きなものでも直径5mm程度しかありません。しかし、なかなかに美味しそうな色艶ではあります。色もきれいで、同じ木になっているにも関わらず、黄色、赤、紫とグラデーションを見せています。手の届く枝を引っ張って、いくつかの実をもぎ取ってみました。紫色でよく熟れている実を口に含むと、何とちゃんとサクランボの味がします。ご先祖様たちは、きっとより大きな実がなる木を見つけてそれを増やし、今手に入る様な生食用のサクランボに改良してきたのでしょう。

それにしても、植物の進出戦略にはいつもながら感心させられます。桜の場合。小型の鳥に丁度食われやすい大きさの実をつけ、その種は鳥の胃袋に納まって運ばれて、然るべき場所で肥料となる排泄物ともに地上に落とされ、そこで新たな芽を出すのです。桜は、鳥に食糧としても実を提供するだけで鳥に利用されているようにも見えますが、実はしっかり鳥たちを利用しているわけです。恐竜の子孫とも考えられている鳥たちは、植物の種をできるだけ遠くまで運べるように、植物によって空を飛べるように「進化させられた」のかも知れません。勿論地球上には、先ず鳥たちが存在したのではなく、順序としては植物が進化し、追って鳥たちが「共進化」したに違いありませんから・・・。

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2009年7月13日 (月)

1007 サステナブルのソムリエ

「サステナビリティ」ですが、これは環境保全などの「対策」に比べて数段上の重要な概念だと思っています。

それは自明です。私たちが今あるのは、もちろんご先祖様の不断の努力の結果であるわけで、食料供給や社会システムや科学技術の成果や、何より社会の共通の「価値観(これを文化とも呼びますが)」そのものが、ご先祖様の遺産だと言えます。ご先祖様の多くは貧しく、自分たちの日々の暮らしに追われていたはずですが、一方で自分たちの子孫のことも思いやってくれていたとも思われるのです。その証拠は、現代でも日本の山々にも残されています。例えばそれは、日本の森林の約半分程度は、人間の手が入った山であるという事実からも想像できます。ご先祖さまは、食うや食わずの生活をさらに切りつめて苗木を育て、それを担いで急峻な斜面にコツコツと植林を続けてきたわけです。水源を涵養するために、知恵のない今の世代がしてきた様に安易にダムをつくるのではなく、困難で時間が掛かりますが、人力だけで実現が可能な、山に広葉樹を植える戦略を編み出し、それを地道に実行したのでした。投稿者の故郷でも、ご先祖様が大変な苦労の末、数十キロもある長い海岸に、砂防のために松林を育てました。松がまだ苗の時期は、竹や葦で風よけを築き、その列を増やしていったことでしょう。その松林は、幅の広い場所では100メートル以上にも及びます。(少し前病気か塩害か分かりませんが多大な被害を受けたようですが・・・。)

それもこれも、まだ見もせぬ未来世代の幸福を考えての自己犠牲的な行動だったことでしょう。彼らにとっての最大の関心事であり、最もプライオリティの高いことは、孫子の世代が自分たちの世代よりいくらかマシな生活が送れることだったと想像しています。

その意味で、投稿者の今後の夢は「サステナブルのソムリエ」などと呼ばれる存在になることでしょうか。つまり、私たちの取り得るどのような行動が「より持続可能なのか」を即座に判断し、より良い方向を助言できるような存在のことです

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2009年7月10日 (金)

1006 ○○実業

荷台に「○○実業株式会社」と書かれたトラックの後ろをバイクで走りながら、考え込んでしまいました。言葉としての「実業」があるのなら「虚業」もあるはずです。そう考えれば、金や債券を転がして儲けている人や企業は、果たして実業を営んでいると言えるのかどうか。ましてや、情報を操作して濡れ手に泡を掴んでいる輩においておや、です。

そこまで考えると、いわゆる「バブル期」は社会全体が虚業の海に浮かんでいた時代と言えなくもありません。その意味で実業とは、手で実際に掴めるモノを作り、又はそれを扱い、適正な手段で、適正な利益を上げる行為でなければならないでしょう。投稿者のスタンスで、これを拡大すれば、その実業の結果として自然に与えるインパクトは、持続可能性に照らして十分に低いレベルでなければならないと付け加えたいところです。これさえ守っていれば、どんな時代になっても経営者は慌てることもないでしょう。売上が景気の陰りで低下しても、食うに困ることもないはずです。もちろん、そのためには「無借金経営」は必須ですが。

さて、今「実業」を営んでいながら窮地に陥っている企業は、きっと借金があり、出荷している製品が「虚業に絡むもの」なのかも知れません。虚業に絡む製品とは、それ自体が新たな価値を生まないものを指します。例を挙げるなら、単なるレジャーのためだけの製品や、暇つぶしのための製品などになるでしょうか。それが、単なる道具ではなく、レジャー用の車やジェットスキーなどのように、遊びのためだけの、資源やエネルギーの浪費につながる「機械」である場合には、虚業とあまり変わらない産業と言えるかも知れません。

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2009年7月 2日 (木)

1005 エネルギーの本質

以前にも書いた様な気もしますが、忘れるのが投稿者の特技ですので、改めてエネルギーの本質を書いておきます。色々な言い方はあるのでしょうが、投稿者の言葉では「エネルギーとは、分子・原子を振動させるポテンシャルだ」という表現になります。正しく言えば、実はこの表現の中には「電子を動かすポテンシャル」は含まれていないのですが、今問題となっている二酸化炭素の放出に関して言えば、現在使われている後者のエネルギー(電力)も、殆どが火力や原子力の熱エネルギーで起こされているのですから、結局は上の表現に含めても構わないでしょう。

さて、エネルギーの本質がそうであるとすれば、それを節約するための方策も、考え直さなければならないはずです。それは、1)無為な原子・分子の振動を抑制し(エネルギーの入力抑制)、2)現在の振動状態を維持し(これを保温とも言います)、さらには、3)一度振動を始めた原子・分子には最後までしっかり働いてもらう(熱のカスケード利用とも言います)ことだけで十分なのです。

一つ目は、不要な不急なエネルギーの入力を抑制する話ですから、今盛んに行われている「省エネ論議」の延長線上のはなしです。まずはチマチマした節約、次いで更新時の省エネタイプ機器への転換(省エネ家電やハイブリッド車のことです)、さらには不要な(あまり役に立っていない)電灯や機器の停止や撤去、最終的には生きていくのに不可欠なエネルギー以外をゼロベースで見直すなどの優先順位になるでしょう。

二つ目の点は、熱(エネルギー)や輻射(電磁波の一種)の無駄な伝搬を遮断・抑制することだと考えらますから、関連する技術をしっかり確立していく必要があります。この目的のためには、少し前まで盛んに使われていた、魔法瓶の構造(反射面と真空スペースの組み合わせ)が、実は理想的です。

三つ目の点は、高温(激しい分子振動)のエネルギーでガスタービンを回し、その排熱で蒸気を作って蒸気タービンを回し、その余った熱で給湯を行い、その余った熱で床暖房を行い、その余りで温室を温めるなどといった、多段階の熱利用の追及がその例となるでしょう。エネルギーの「お下がり利用=カスケード利用」です。

上の意味では、現在の省エネ論議は、ひとつ目の点だけ、それも待機電力削減などチマチマした節約や省エネ家電やハイブリッド車だけに殆どの焦点が当てられている、まったく片手落ちのものに過ぎません。

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2009年7月 1日 (水)

1004 温暖化論議の不毛

A新聞に、温暖化人間のCO2排出源説(IPCC報告の立場)と、温暖化は長期の変動振れ幅の範囲内であるとの立場を取る学者の論争が取り上げられていました。なぜこのような意味の無い論争が繰り返されるのか、投稿者には全く理解できません。

現在の温暖化傾向(あるいは気候変動)が、科学的に見て、あるいは気象統計学的に見て、CO2起源であれ、太陽活動の長期的サイクルの結果であれどちらでも良い話で、それは理論にこだわる事が仕事の人=学者の飯の種に過ぎない話なのです。いま私たちが抱えている問題の本質は、20世紀から続く、地下から掘り出した資源やエネルギーに頼り切った社会システムが、今後とも「持続可能なのか否か」という点に還元できるはずです。話を温暖化の問題だけに単純化してはならないでしょう。ましてや目先の不景気の対策に終始し、進むべき道の選択を見失ってはならないのです。

温暖化は、原因はどうであれ、確かに数十年のスパンで見れば大きな問題であることは認めなければなりません。しかし、その前に考えるべきは、たとえば水資源(多くの場合は地下の化石水)の枯渇により大量の飢餓難民の発生の問題、あるいは石油エネルギーに浮かんだ現代文明の是正の問題だと言えます。

仮に、温暖化が人為的な原因でないとしましょう。しかし、一方では事実として何十万年もの間、最高でも280ppmであった大気中のCO2濃度が、化石燃料の燃やし過ぎで、今や380ppmに達していること、その石油はすでに可採埋蔵量の半分を消費してしまったこと、陸地にあって水源を涵養すべき森林が、毎年毎年、日本の東北地方にも匹敵する面積が伐採されあるいは焼き払われている事は忘れてはならないでしょう。これらは、持続可能性の立場から見るとただちに修正すべき愚行に他ならないでしょう。

いま為すべき議論は、科学者だけによる温暖化の真の原因云々といったものではなく、政治家、(社会)学者、行政、産業、市民などすべての社会の構成員を巻き込んで、100年後も持続可能となる社会の実現に向けての合意を形成することなのです。その結果、もし資源やエネルギーの消費レートが、今の1/4でなければ100年後の社会が破局的な状況に陥るのであれば、そこに向けて、たとえば産業の規模を1/4に落とす筋書きを描かなければならないはずです。法律さえ作られれば、今の1/4程度の燃料で走る車は、現代の技術を駆使すれば絶対に実現可能です。手っとり早く、数年以内にそれを実現したいのであれば、その開発のベース車としてS-パーカブを持ってくれば良いだけの話です。この「二輪の車」は、たった今でも1リッターで100km走る実力を持っているわけですから。問題解決への対策は、初期段階ではむしろ大袈裟なほど効果が期待できるのです。

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