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2009年9月 8日 (火)

1021 積極的中毒

B国で、某有名歌手が変死した「事件」は、たぶん氷山の一角なのでしょう。鎮痛剤や睡眠薬に依存するか、あるいは覚醒剤に手を出すかはホンの偶然に過ぎないのかも知れません。別に、芸能界のゴシップに興味はありませんが、今日は、もしかしてこれは今の社会に敷衍できる現象かも知れないと、つい考え込んでしまいました。

私たちが、モノやエネルギー中毒になっているかもしれない事は、このブログでも度々書いてきました。それらから得られる快感を維持するためには、何しろ景気が常に右肩上がりになっている必要があるでしょう。明日が今日より豊かだろうとの確信が、人々をさらにモノやエネルギーに走らせる原動力になるからです。しかし、逆に右肩下がりがますます顕著になってきた近年、人々の消費意欲はすっかり減退してしまいました。いわば、景気の「うつ」状態だとも言えるでしょう。「うつ」状態に速効で絶大なる効果を発揮するのが覚せい剤ですが、内向的で「うつ」傾向の人が多い作家などにこの薬をたしなむ人が多いのは故無しではありません。締め切りに追われ、書き続けるためにこの薬物の中毒になってしまった作家の何と多いことでしょう。

さて、私たちの社会です。うつ傾向の景気を刺激するために今打たれている手の多くは「覚せい剤的対策」に過ぎません。快感が得られる時期を過ぎると、それ以前にも増した虚脱感に襲われることでしょう。それを回避するためには、さらに強い効果のある刺激が求められるでしょう。これは、まさに「景気覚せい剤中毒」症状に他なりません。中毒を回避するには、やはり辛くても薬を遠ざけなくてはなりません。そのためには、明日が今日より物質的に貧しくなって、エネルギーにも不自由する時代になるにしても、その何倍も精神的に豊かになる術を、私たちは会得する必要があるのです。新しい車や、家電製品を買って得られる幸福は1週間も持続しませんが、会心の俳句をひねった時の幸福は、それを読み返すたびに蘇る幸福感なのだろうと想像しています。薬物中毒の対極にあるのは、実は自分が努力しで得られた結果に対する幸福感への中毒なのかも知れません。これは、もちろん受動的な中毒ではなく、「積極的中毒」と呼ばれる状態に他なりません。

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