« 1021 積極的中毒 | トップページ | 1023 削減目標 »

2009年9月10日 (木)

1022 畏れと感謝

現代の社会に最も欠けているのは、実はこの二つかもしれません。古の時代、ご先祖様たちは自然を畏れ敬い(奉り)、毎年の収穫に対しては感謝の祈りを捧げてきたはずです。災害が起こるのは自然の怒りの結果であり、収穫を手に出来るのも自然の恵みであると考えてきたわけです。日本には八百万もの神々が存在するゆえんです。しかし、作物が石油(化学)やどこか遠くの土地(多くは海外)を使っての大型機械農業で大量に作られ、消費者の目に触れない流通システムに乗って、忽然とスーパーの店先に並ぶこの時代、食べ物対する感謝は「ほぼ完全に失われました」。増してや、自然災害の起こった地域の当事者は除けば、風水害や地震などの自然の脅威に対する畏れの意識は、極端に希薄になっているのでしょう。その僅かな畏れさえも、表面上のインフラが復旧するにつれて、数か月後には忘れてしまうのが人間の常ではあります。

これは何より、私たちが自然の移ろいにあまりにも鈍感になってしまった事にその原因がありそうです。つまり、人工的に管理された「環境」に暮らすことに、あまりに慣れ過ぎてしまった結果だと思うのです。人間を含む生き物は、実は環境との相互関係やそれとの戦いを潜り抜けて来たからこそ、高度な進化を重ね得たのだと想像しています。原種と呼ばれる植物が、人間の改良した作物に比べ逞しいのも、厳しい環境に晒されてそれに適応してきた結果だと言えます。時々想像するのは、収量が多く、味も良いという理由で、現在広く栽培されている作物が、実は今後予想される気候変動や、あるいはある種の昆虫やそれが媒介する微生物に決定的に弱い性質を内在している場合、ある年に突然にそれらが壊滅的な被害を蒙る悪夢です。そこで生き残るのは、荒れ地でひっそりと生きのびている原種だけという恐ろしい夢です。残った原種を再度改良して、今ある様な作物の性質レベルまで改良を加えるのに一体何年掛かり、その間にどれほどの人が飢えて死んで行くのか、想像すらできません。

キーワードは、多様性の確保だと思われます。遅まきながら、来年名古屋でそのための会議が開かれますが、果たして人間の力で何ができるのか、できるとしてそれが間に合うのかどうか、真剣に心配しています。

|

« 1021 積極的中毒 | トップページ | 1023 削減目標 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 1022 畏れと感謝:

« 1021 積極的中毒 | トップページ | 1023 削減目標 »