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2009年9月18日 (金)

1026 生き物としての地球

地球を一つの生命体(ガイア)としてとらえる見方があります。確かに、良くよく考えてみれば地球上の生物は個々に独立して生きているのではなく、密接な相互作用や食物連鎖を繰り返しながら、太陽光をエネルギー源としながら「全体として生きているように」も見えます。無機の地球はもちろん生きてはいませんが、海洋(特に表層)や岩石が風化した結果としての土壌(表土)は微生物の塊であるとも言え、それ自体生きていると言ってもそんなに誇張ではありません。

とは言いながら、地球自体が一つの生命体であるとの言い方は極論です。しかし、たとえば人間の体とのアナロジーで言えば、やはり限りなく生命体に近いと認めざるを得ないでしょう。人体で言えば血液に当たるものは、地球で言えば水になるでしょう。というより、地球の水を血液やリンパ液として取りこんだのが生物や人間である、という順番になるのですが・・・。水は、量を別にすれば、地球上のいかなる場所(砂漠にさえ)にも運ばれます。それを運ぶポンプ、動物の心臓に当たるものは太陽光です。日射により水が蒸発し、雲になり、霧や雨や雪になって地上に降り注ぎます。それはさながら、毛細血管で人体の隅々まで運ばれる血液にも似て、その場所で多くの生命を育みます。死んだ植物や動物は、はやがて朽ちて分解され、風や雨に運ばれて再配分されます。

その大切な水を、人類だけが自然の分け前をはるかに超える量を独占し、本来それを必要とする生き物へ分け与える事を拒否してきました。近年はそれでも飽き足らず、化石時代に地下に浸み込んだ水(化石水)さえも汲み上げて使い込んでいる始末です。毛細血管が閉塞した場合、人体では実は決定的な異変が起こります。脳の血管が詰まれば脳細胞が破壊され、体の毛細血管が機能しなければ「細胞の壊死」が起こります。この場合の細胞の死は「不可逆」です。つまり一度死んだ細胞は決して元の状態には戻らないのです。

振り返って、水がほとんど循環しなくなって「壊死した土壌」とも言える場所である砂漠は、果たして再生可能なのでしょうか。確かに、水を汲み上げて送ってさえやれば、ある種の植物を育てる事は可能のように見えます。中東のお金持ち国は、海水を真水に変えて都市の緑地を灌漑し、維持しています。しかし、それは決して持続可能な生物圏とは言えないシロモノだと言うしかありません。もし庭師が数週間水やりを怠れば、殆どの植物は枯れて砂漠に戻り始めるからです。本当に砂漠を緑化するためには、現在はまだ植物相が残っている地域の面積を、「本当に徐々に」広げ続ける気の遠くなるような努力が必要なのだと思います。その結果、「生きている土壌」の面積が徐々に広がり、その上に植物相が戻り、それに依存する昆虫や動物相も回帰するという順序で再生するはずなのです。

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