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2009年9月30日 (水)

1030 山栗

久しぶりに週末のジョギングコースを変え、これまでの川沿いのコースから、元使っていた自宅近くの裏山から続く山道にしました。東海自然歩道の一部ともなっているこの道は、ちょっとした峠道になっており、身体的にはかなりの負荷になります。

ジョギングの途中で数本の山栗の木を見つけました。通常走っている時は気づきにくいのですが、何しろこの季節は道路上に栗のイガが転がっているので、見つけるのは容易です。早朝ではなかったものの朝まだ早い時間だったこともあり、夜の間に落ちた栗は誰にも拾われずにゴロゴロ転がっていました。ズックでイガの裂け目を広げながら、小粒ながら艶々した栗をポケット一杯になるまで拾いました。それ以上拾うと重くて走れなくなるので、残りはリスに譲ることにしました。

さてそういう目で見ると、この里山には結構栗やドングリの実を付ける木が多いことにも気が付きました。これらの木は、人間を含めた動物の胃袋を満たすのにも役立ってきたでしょうし、コナラやクヌギの木は、薪炭の材料にもなったことでしょう。そういえば、小学生の頃は秋になると、町内の一家総出でその冬の薪を集めるために、数キロ離れた近くの入会林までリヤカーを引いて向かった事を思い出しました。その頃は実家の周辺で切り倒されて薪になったのは、殆どがマツだったような気がします。

しかし、現在の里山はとみれば、どこの地域でも、長い間適切な手入れ(間伐)が行われ来なかった結果、遠くから見ると確かにうっそうと茂っているようにも見えますが、中身はと見れば細い木々が込み合って生えており、それぞれは背が高くヒョロヒョロに伸びきっていて樹冠に少しだけ葉をつけているだけです。したがって地面には日も差さず下草も生えていません。林床にはフカフカの腐葉土も見当たらず、結果として土壌の保水力も弱いので、少しの雨でも河川が一気に増水し、一方少し雨が降らない日が続くと、小さな河川は水が枯れてしまいます。里山は、農業用水の確保、薪炭や食糧の「倉庫」という役割を外されて、ただひっそりと生き続けているだけの存在になってしまったようです。山栗のしっかりと固い実を味わいながら、同時に寂しさも感じてしまいました。

ところで、同じコースでアケビのツルも一本見つけました。しかし、ツルにまだぶら下がっている実も、多くは鳥に先を越されたようで空っぽになっており、昔の味を懐かしむ事はできませんでした。

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