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2010年4月 8日 (木)

1124 念仏

今回のタイトルは、バイクの「成仏」の連想かも知れません。さて、修行の浅い環境坊主が唱える念仏なので、誰かが聞いていようがいまいが、とにかく何度も唱えるだけです。念仏には、それを唱え続けるだけで、さながらそれが真実であり、それを糧にして生きて行けそうな感じが生まれる不思議な効果があります。そういえば、田舎の念仏講の年寄りたちが、手のひらに余るほど大きな数珠玉の数珠を皆で繰り回しながら、無心に念仏を唱えていた姿を、子供ながらに不思議な感覚で見ていた事を思い出します。その時の年寄りたちは、多分無心で幸福な恍惚状態に入っていた様な気がします。日常の人間的なトラブルも、きつい労働も何もかも忘れる事が出来る時間を、念仏を唱える事によって得ていたのだろう、とぼんやり想像しています。

さて、この環境坊主の念仏の特徴は、とにかく色んな角度から、数多くの言葉を織り交ぜて、繰り返し、繰り返しクドクドと書き続け、唱え続ける事です。もちろん、偉人達は凝縮された短い言葉で、真実(に近い教え)を語ってきました。そんな事が出来ない修業の身では、万の言葉を重ねて、やっと真実の縁の部分を語る事が出来るレベルでしょう。投稿者が考える唯一の真実とは、「持続可能性が他の全てに優先する」というものです。言い換えてみれば、持続可能性こそが「唯一の神」でなければならない、という思い込みなのです。漢字ばかりで取っつきにくい、持続可能性という言葉を、もっと単純な言葉に置き換えるなら、「いつまでも変わらないこと」という表現になります。ヒトが誕生する以前から続く悠久の大地や海、何億年も隆起や浸食を繰り返してきた山塊などの大自然、そしてそこにへばり付いて生きてきた生物群たちこそ、小さな進化を繰り返しながらも、全体としては変わらずに「神」であり続けた本質だと思うのです。それを高々数百年程度の人間の活動で、メチャクチャにしてはいけないよ、というメッセージがこのブログで繰り返し書き続けていることなのです。勝手に環境坊主を名乗っている投稿者としては、言葉を変えながら毎日まいにち念仏を唱え続け、坊主臭くなる事に生き甲斐を感じているこの頃です。

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