« 1133 栄養塩類 | トップページ | 1135 エアロゾル »

2010年4月28日 (水)

1134 循環の原動力

この数回の投稿で書いた「循環シリーズ」の、サイクルを回している原動力は、いわずもがなですが「お天道様」です。彼の国の太陽神ではありませんが、何しろこの太陽系では一番偉い存在ですので、やはり「様」を付けざるを得ません。北の島のたった一個の小さな火山の活動で、右往左往させられるこの地球上で、お天道様が、多少の黒点活動の消長はあるにしても、地球を含む惑星たちを、機嫌良く照らし続けてくれている事に関しては、感謝以外の何物も湧いてきません。初日の出ではなくとも、やはり手を合わせたくなります。農業が主要な産業であった、戦前のこの国で、村々の人たちが、村の東にある(朝日が昇る)山に、神様が鎮座ましまして、太陽を毎日引っ張り上げて?くれている事に感謝し、東の方角や山の頂に社を建てて崇めたとしても、何の不思議もありません。

その行動や感情を、シャーマニズムといった宗教的な言葉で切り捨てるべきではないでしょう。それはお天道様に生かして貰っているという内面の感謝のココロであり、宗教以前の、例えば子供が母親に持つ感情にも近いと言えるかも知れません。自分たちの先祖を育み、自分達を生かし、あるいは自分達の子孫を守ってくれるであろう、お天道様や自然に感謝し、それを崇めるのは、むしろ自然の子である人間としては、極々自然の行動なのだと思っています。

それにつけても、自然の循環に使われる物質の、なんとありふれている事でしょう。HNCPKFeMgAlなどなど。というよりも、これらの地球上にありふれた物質を上手く使いこなすように、気の遠くなる様な長い年月を掛けて、植物が進化し、それに100%依存する形で、我々動物も「共進化」してきたとしか思えないのです。

数日前の新聞に、太陽の表面で時々観察される、炎の環の写真が掲載され、その環の中に地球が何十個も入る大きさである事が紹介されていましたが、地球は確かの太陽の何番目かの子供であり、私たちはその地球に育まれ、その上に一瞬だけ生きる事を許された、はかない存在だと思えば、人類が高々数千年の短い年月で作ってきた文明の誇りや奢りなどというものは、大自然から見れば実はチリ・アクタの類でしかないのかも知れません。少なくとも、この環境坊主はそう考えています。

|

« 1133 栄養塩類 | トップページ | 1135 エアロゾル »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 1134 循環の原動力:

« 1133 栄養塩類 | トップページ | 1135 エアロゾル »