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2010年5月30日 (日)

1150 贅沢エネルギー

途中に、北海道レポートとジョギングシリーズを挟みましたが、民生向け「エネルギー仕分け」の続きです。ここでは、そのエネルギーが必要かどうかではなく、逆の立場から見て、それでは何が「贅沢エネルギー」なのかを考えてみます。実は、この定義が可能であれば、温室効果ガスの排出にかかる問題の半分以上は解決したのも同じだとも言えます。つまり、毎日入浴する事が贅沢ならば、では2日に1回では、3日に一度は贅沢ではないのか。生まれてから殆ど風呂に入った事が無い(というよりバスタブなど見た事もない)人たちに比べれば、1週間に一度の入浴も贅沢の極みだとも言えるかも知れません。民生部門の必要不可欠と贅沢の境界線は、実は企業活動に関連して述べたBEに比べれば、はるかに幅が広いと考えなければならないでしょう。

そうではありますが、私たちは無理やりにでも、不可欠エネルギーと贅沢エネルギーの間に境界線を引かざるを得ません。ここでは、先人が不可欠としていたものを一応「不可欠エネルギー」と定義し、私たちの子孫が使えると思われるエネルギーレベルを超えるものを「贅沢エネルギー」と考えてみます。しかし、では何時頃時代を基準に取るのか、ここでも議論が巻き起こるでしょう。なぜなら、江戸時代を基準に取るなら、99%の人たちは数日で悲鳴を上げるでしょう。数日とは、つまりはキャンプ場で過ごす日数程度を指します。現実的なところでは、例えば1970年代の半ばの生活を知る世代であれば、あの時代のエネルギー消費が現在の丁度半分であった事実が参考になるでしょう。とりあえず、それを基準と仮定すれば、一家に1台の車は一応不可欠でしょうし、居間についているエアコンや居間のテレビは一応セーフとなります。

一方、将来世代がどれほどのレベルでエネルギーを使えるかを想像してみると、再生可能エネルギーを最大限活用しても、現実的な数字としては、現在の1/4以下となる筈です。これを超える、エネルギーの消費は贅沢と考えなければ、世代間の格差が大きくなり過ぎるのです。現在の1/4のレベルだと、私たちは多分、1960年代の生活を思い出さなくてはならないでしょう。それは多分「三丁目の夕日」の時代に戻ることを意味するのでしょう。

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