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2010年6月29日 (火)

1163 進化と劣化

とは言いながら、一方で生命の営みや形ある生物が、時間とともに進化するという事実は、「劣化の法則」と矛盾するのでは?という突っ込みが来そうですが、それももっともな事です。それについては、禅問答的にはなりますが、「全ての進化は、個体の老化と死という犠牲の上に成り立っている」、あるいは「全ての進化は、環境の劣化の犠牲に上に成り立っている」と答えるしかなさそうです。もし、老化と死が無ければ、地上には生物が満ち溢れ、生物そのものが存続できない困った状態に陥るはずですし、同じ時代に祖先と、進化を果たした子孫が「博物館の様に並んで存在する」滑稽な光景が見られるからです。バクテリアの様に無性生殖する、進化を諦めた生物は、例えば高温シアノバクテリアの様に、火山水(つまりは温泉です)が湧き出る泉に、何億年もの間、変わらぬ姿で「生き続ける?」事が出来る訳です。生き続ける、と表現しましたが、個体レベルで行けば、当然劣化して、死んでしまう事は避けられません。遺伝情報は、「新たに」二つに分裂した新しい個体に引き継がれる事になります。

では、生命の進化が何にとっての質の低下につながるのか、と考えてみると、それは結局は環境にとっての劣化の加速につながる、言えそうです。生命が進化する事は、一般的に考えれば、その生命体の存続のためにより多くの環境資源を消費する事につながるでしょう。水中のバクテリアの存続に必要な環境資源は、水と太陽光と酸素と僅かなミネラル分だけだと想像していますが、一方クジラは大量の海洋小生物(オキアミや小魚等)を摂食しなければ巨大な個体を維持できません。私たち人類に至っては、地上の植物や動物だけでは事足りず、生き物を飼ったり、地下資源を大量に掘り出したりして、贅沢な暮らしを支えています。クジラがそれほど環境の劣化を加速しているとは言えないでしょうが、人類の経済活動や飼育されている大量の家畜からの環境負荷が、地球規模の環境劣化を加速している事は、今や否定しようがありません。

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2010年6月27日 (日)

1162 劣化の法則

「全ての形あるものは必ず劣化する」は、法則になり得る真理だと思っています。もちろんこんな当たり前の事は、洞察力の鋭い先人が、きっともっと気のきいた表現で、格言などにしている事でしょう。さて劣化の定義は結構あいまいですが、ここではとりあえず質の低下としてみます。もっとも、これでは「それは一体誰にとっての質か」という根本的な問いにはなかなかすっきりとは答えられないのでしょうが…。私たち人類は、かなり身勝手なので、この質を「人間にとっての質」と勝手に解釈して、環境悪化(劣化)問題などと声高に叫んでいる訳です。しかし、岩石が風化して礫や砂に崩壊していく「岩石の劣化」は、それらに依存して生きている植物や生き物にとっては、ありがたい質の高い劣化ではあります。

そこで、もう少し表現を変えて、劣化とは「形あるものが、よりエントロピーの低い方向に変化する現象である」と言い直してみます。エントロピーの低下というのは、平たく言えば、逆らわずより楽な方向に流されて行く現象だとも言えるでしょう。例えば、質の高いエネルギーは、その使用によって、エントロピーが低い熱に変化して、宇宙に逃げ去ってしまうでしょうし、形のある存在はやがて風化や紫外線によって形が崩れ、色褪せてしまうことでしょう。しかも、この変化は放っておけば決して後戻りする事はありません。

多くの自然現象中で、生物や生命現象だけがこの例外の様にも見えます。つまり、植物は無生物である環境の栄養素を吸収して、芽を出し、枝葉を茂らせて実を付けます。動物は、それらの植物を餌にして生殖を繰り返してして子孫を残します。たった一個の胚が、分裂を繰り返して種々の器官になり、やがて親と同じ形態に成長する過程は、さながら劣化の過程のフィルムを逆回ししている様な錯覚にもとらわれてしまいます。しかし、投稿者としてはこの法則には例外はあり得ないのでないかとも感じています。続きます。

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2010年6月25日 (金)

1161 無極灯

最近「無極灯」という言葉を人生で初めて耳にしました。蛍光灯の一種ですが、蛍光灯とは異なり、フィラメントを熱して熱電子でグロー放電させる原理ではなく、二つのコイルの電磁誘導により蛍光管内の電子を動かし、蛍光灯と同じように発光させる原理の様です。インバーター制御された二つのコイルだけでどの様にして放電を起こすのか、その辺りが特許なのでしょうが、中国発の技術である事は、一面驚きでもありました。というより、かつての日本の様に、外国の技術を導入して、安いコストで、大量に生産するのが、中国のもの造りの特徴であると単純に考えていた事に忸怩たる思いなのです。この話を聞いた時は、環境カウンセラーを天職と思いこみ、省エネルギー説法を当面の仕事と定めた投稿者にとっては、「まだまだ修行が足りないな」と思い知らされた瞬間でもありました。

この電灯は、蛍光灯とは異なりフィラメントを熱しませんので、同じ照度を得るのに要するエネルギーは、蛍光灯の半分~1/5以下になる様ですし、フィラメントを使わないので、当然球の寿命もかなり長くなる筈です。LEDは確かに、省エネの発光体ではありますが、蛍光灯の様に面で発光出来る訳ではないので、全体照明の様に広がりのある照明器具の目的には不向きです。つまり、蛍光灯の代用のためには、何十個も並べて発光させる必要があるからです。省エネ型面発光素子の希望の星でもある、有機EL照明に適した安価でありふれた、しかも無害な物質が見つかるまでは、この技術が今後のある期間の照明市場をつないで行きそうな予感がします。

勿論、環境坊主としては、これは「つなぎの技術」と見ており、最終的には、少なくとも昼間は、太陽光だけで屋内を照明するという理想の姿を棚上げする積りは毛頭ありませんが・・・。

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2010年6月23日 (水)

1160 情報飢餓

2週間の旅行中、ほぼ毎日メールを受信していました。どのホテルでも、それなりにネットはつながりましたし、日本にあるデスクトップパソコンからのメール自動転送機能でメールも開けましたし返事も書けました。もっとも、途中で誰かの巨大な添付データがついた不用意なメールで、メールボックスがブロックされて受信ができなくなりましたが・・・。また、E国内でも、つれあいからの細かな買い物に関する情報要求も地図や関連情報付きで随時検索できました。

これほど便利な仕掛けですので、ネット社会が世界中に爆発的に拡大したのも当然でしょう。しかし、それに付けても私たち人類は、「常に情報に飢えている存在」ではないかと考えたくなります。巨大に発達した私たちの脳は、学校での詰め込み教育や社会生活で多少考え込んだくらいでは、とても使いきれないくらいの余裕(Redundancy)を持っていますので、脳は常に情報を要求している筈なのです。それを好奇心と呼ぶ事もありますが、刺激の無い状況に置かれ、情報遮断された脳が、短期間のうちに情報飢餓状態に陥り、それを通過すると次には精神異常を起こす事は、過去の実例や模擬実験でも確認されてもいます。

さて振り返って、投稿者自身が情報飢餓状態にあるかどうかですが、今のところ必要な情報を必要の都度入手するためにネットを使う程度で、幸いにもネットサーフィンにはまる様な飢餓状態はありません。それは、このブログで情報発信(といより自分の頭の中の整理)をしている事もありますが、一方で仕事の中で日々新しい人と会って話をする中で、好奇心のかなりの部分が満たされているからではないか自己分析しています。

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2010年6月21日 (月)

1159 井戸枯れ

E国では、E国資本の石油会社が引き起こした海底油田からの油漏れ事故のニュースが一日中流れ続けていました。ところで、E国が産油国の一つである事は意外に知られていません。北海そのものが、かなり枯れてきたとは言え大きな油田(北海油田)なので、その縁に当たるE国で石油が採れても不思議はありません。事実、E国の国内にいくつかの油田が存在します。もちろん規模は小さく、一日にタンクローリー数台分しか採れない油田もあります。その採掘の様子は、かつてブレークした「水飲み鳥」がコップをつっつく姿に似ています。モーターで駆動されるクランクが、天秤となっているポンプの「つるべ」を上下に動かし、地下深くに吊り下げられたポンプのバケットを引き上げます。バケットには逆止弁が付いていますので、石油が少しずつ汲みだされる事になります。自墳しなくなった古い石油井戸では、動力を使ってシコシコ汲み上げるしかない訳です。

この光景はアメリカ中西部でも見ましたし、日本でもかつては新潟や秋田などでも普通に見られた光景でした。その意味では、日本もかつては「産油国だった」と言えます。もっとも日本ではその光景は30年ほど前には姿を消し、辛うじて少量の天然ガスを産出する井戸が残っているだけです。

ここで言いたかった事は、井戸はやがては枯れると言う原則です。何千年も枯れない井戸はあるかも知れませんが、それはむしろ例外で、多くの古代文明は井戸の水枯れで崩壊していきました。石油の井戸が枯れる事は、それに過度に依存してきた「この文明」も危うくなる事を意味します。少なくとも、石油や天然ガスやそれらから得られる電力を消費すべく運命づけられている「近代文明」は停止せざるを得ないでしょう。残るのは、昔ながらの「伝統的」な自然エネルギーに依存する生活です。江戸時代の生活を想像すれば、イメージとしてはほぼドンピシャでしょう。井戸枯れ=文明枯れとなる所以です。

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2010年6月19日 (土)

1158 Dイソンの国

帰国してからの投稿です。現在のEギリスで有名な発明家といえば、現代ではJ.Dイソンでしょうか。サイクロンのアイデアは、B国人が発明したようですが、紙パックの要らない掃除機にこだわり続け、今や押しも押されもせぬ、E国を代表する発明家、実業家になりました。サイクロンは、実は多くの工業製品や設備に使われていますが、あまりにも普遍的な技術なので、それを家電に採用するという発想を、Dイソンまで誰も持たなかったのかも知れません。具体的には、空気と粉体(粉塵など)の分離、同じく空気と水分や油分の分離には、サイクロンは不可欠の設備です。圧縮空気を使えば、超小型のサイクロンで、低温の空気を作る事も可能で、製鉄所の溶鉱炉近くで作業する人の防熱服などにも使われています。ついでながら脱線すると、個人が身につける究極の「携帯冷房機」などというものも、サイクロンを使えば実現できるのかも知れません。

Dイソンは、その後も羽根の無い扇風機や、手の切れるような風が出て、瞬間的に乾燥できる「ハンドドライヤー」など、空気力学の原理を利用した家電品を次々に開発して、モノづくりでは今や小国になってしまったE国を元気づけています。そう思って見回すと、実はE国には独創的な発明家や実業家が結構多い様な気がしてきました。良い例はすぐには思い付きませんが、進化論を発想したダーウィンの生まれた国でもある一方、例えば摩擦撹拌接合(FSW)の特許を持っている企業もE国にありますし、コンピュータの発明家として知られるシンクレアなども思い浮かびます。

独創性が何から生まれるのか、平均的な知能しかないと自認する投稿者には想像もつきませんが、気候や風土の他に、教育システムも勿論影響があるに違いありません。今回の訪問でも大英博物館を含む複数の博物館を訪問しましたが、幼稚園から中学生くらいまでの、学校関係の見学グループが非常に多かった上に、単なる見学ではなく、展示物の前で、細かく説明したり、感想を求めたりしている光景に出合いました。博物館には、非常に古い発掘物も最新のサイエンスを展示している科学博物館もありますが、それらの雑多なものからの強烈な刺激を与え続ける教育が、情操に与える影響が悪かろうはずはありません。それらの子供たちの中から、ダーウィンやDイソンに続く様な人が生まれるのかも知れません。

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2010年6月17日 (木)

1157 チューブの合理性?

世界で初めて地下鉄が建設されたのは、まだ蒸気機関車の時代で、たぶんこの国の首都だったと思います。現代の地下鉄は「チューブ」と呼ばれ、その名の通り円形のトンネルと、ほぼ同じ形に断面が丸く作られた電車が、壁と30センチほどの隙間しかない状態で走り回っています。電車が空気を押して進むので、駅のホームでは、強い風が起こり、電車が近付くのが遠くからでもわかります。隙間が余りにも狭過ぎるので、電車が押す空気が常にトンネルの壁との摩擦を起こすので、日本の地下鉄に比べると、エネルギー的には少し損をするかも知れませんが、何しろ地下鉄の建設費や電車の重量=製作費は最低限で済むでしょうし、乗客が少し窮屈に感じることを除けば、それはそれで合理的だと感じてしまいます。

電車の重量は、電車の製作費の節約に留まらず、日々の運航エネルギー=費用にも直接リンクしています。すなわち、運航エネルギーのたぶん3割程度は、電車の加速に使われますので、目検討で、重量が日本の地下鉄の2/3程度で作られていると思われ、電車の運航エネルギーもほぼ比例的に少なくなっている勘定です。

合理的とは言いながら、作られて長い年月を重ねているチューブのシステムは、古い上に制御系統もツギハギだらけと思われ、短い運休や、路線ごとの週末の終日の運休は日常茶飯事です。これを補完する意味もあるのでしょうが、地上では必要以上に多いと感じるバスが、狭い道路に溢れていて至るところで、交通渋滞を引き起こしている状態です。もう少し、路線を整理して、合理的な運航方法を採用すれば、公共交通機関で消費するエネルギーは、たぶん3割は削減できそうに思えます。合理的なチューブと非合理なバスが同居している変な街ではあります。

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2010年6月15日 (火)

1156 ここでもエコ

10年近く前にDイツとEギリスを同時期に訪問した時に、両国の環境に対する姿勢には大きな差があると感じたものです。今回も、その思いはあまり変わってはいませんが、それでもEギリスとしても、遅まきながらエンジンをかけ始めたような雰囲気もあります。スーパーでは、レジ袋を減らそうと、麻布で作ったようなエコバッグが普通に売られていますし、生物資源の保全が配慮されている魚介類には、その旨の表示も付いています。また、地下鉄の壁に掲げられている広告も、温暖化防止のためのカーシェアリングの推奨をするものや、環境保全を企業のイメージアップに使っているものが多く見受けられます。名物の2階建てバスも、最近は更新が進み、以前に比べて、排気ガス公害もかなり緩和されたような気がします。なにしろ前回の訪問時は、一日市内を歩き回ると、鼻の中が真っ黒になったように記憶しています。

今回もレンタカーを借りて、湖水地方や牧歌的な田舎を3日ほど走り回りましたが、今回借りた車はDイツ車のディーゼル車でした。それとなく燃費を計算すると、1リットルで十分30km程度は走る勘定になりますので、日本のPリウスと遜色ない性能です。しかも、高速道路は平均7080マイルで飛ばしての平均燃費なので、十分に及第点がつけられる性能ではあります。

とは言いながら、ゴミの分別や捨て方、路上のゴミやタバコの吸い殻の散乱の多さには、この国もまだまだ環境保全途上国であることは間違いなさそうです。

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2010年6月13日 (日)

1155 樹木の戦略

樹木は地球上でもっとも普遍的な植物です。しかもその進化の歴史は非常に長いと想像されます。何しろ、太古の昔に倒れた樹木が、石炭などの「化石」になって出土していますし、投稿者が住む地域の河原では、樹木が立ったまま化石になった「珪化木」も観察できます。ついでながら、この近くの河原では、日本で最古の岩石と特定されている岩石も採取されているのですから、地層の古さも半端ではありません。

では樹木がこれほどの繁栄を勝ち取ったのはどの様な戦略が使われたからなのでしょうか。第一には、頑丈な樹幹を発達させ、重力に打ち勝って枝葉を広げる事が出来るようになった点が挙げられそうです。その結果、太陽光を利用した光合成が効率良く出来やすくなり、雑草やコケ類などの背の低い植物の「上」に君臨する事が出来たのでしょう。

さて、旅行中のこの北の島は、北緯で言うと北海道よりかなり北になるはずなので、公園や街で目にする樹木の種類も全く異なります。何しろ樹形が大きく異なります。また樹高も非常に大きくなっているようですし、葉の形も日本なので見られる様に上からの太陽光を受けやすい上向きの形とは異なり、プラタナスやエルムのように大きな葉を下に垂れさせた形のものが多く見られます。これは、一にかかって短い夏の斜めから差す弱い日光を集めるために、北国の樹木が数億年かけて開発した戦略なのでしょう。緯度が高い地方では、円錐形をした針葉樹が多く観察されますが、しかし、メキシコ湾流の影響で、冷涼ではあっても寒冷ではないこの国では、とくに南部では、針葉樹はあまり見ることがありません。針葉樹は、たぶん長い期間氷点下にさらされる地域での戦略だと思われます。

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2010年6月 8日 (火)

1154 フロートシステム

旅行先からの投稿で、1153の続きです。海水温度はどの様にモニターされているかと言えば、実はかなり大がかりに(国際的に)、しかも正確に観測されている事は意外に知られていません。それは、例えば「アルゴフロート」と呼ばれる海洋観測ロボットに代表されます。これは、予めプログラムされたサイクルにより、海表面と2000mの深海を往復しながら、海水温度を含むデータを収集し、浮上した時に衛星通信でそれを送信する観測システムです。このほかにも、タオシステムやトライトンブイと呼ばれる、固定されたブイでも同様の計測が行われています。しかもそのデータは、ネットで公開もされているのです。例えば、次のURLがあります。

http://www.pmel.noaa.gov/tao/

http://www.jamstec.go.jp/jamstec/TRITON/

これらの信頼できるデータからも、海水温度の継続的上昇は動かし難い事実となっています。

しかしながら、問題は「海洋学者」は必ずしも気候変動の専門家ではなく、「気象学者」は主に大気の現象を扱っているため、海洋(とりわけ深い海)の状況には比較的疎いという、「学際レベル」の低さではないかと感じています。海洋は、あらゆる意味で大きな「バッファー」である事は論を待ちません。生物の揺りかごであり、蓄熱槽であり、種々の物質を溶かしこんだ複雑な溶液であり、沈殿物質の堆積場所であり、加えてCO2を含む気体濃度の調節装置でもあります。このほかにも、投稿者の浅い知識では、想像すらできない奥が深く複雑な機能も秘めていそうな気もします。いま気象観測に割いている予算とマンパワーの、例え10%でも海洋観測に回し、「海洋・気象・環境学」といった「学際学」を学ぶ人々を、少なくとも今の10倍にはする必要があると、この素人学際学人は感じています。

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2010年6月 4日 (金)

1153 海水温度

明日から2週間程日本におりませんが、もしインターネットがつながって、アップできれば旅先からも投稿する予定です。今回は、つれあい孝行として、彼女の「専任ツアコン」を引き受けてしまったのです。行き先はイギリスなどですが、全て自分でセットしたので、パック旅行に比べれば安くは上がりそうですが、結構ツアコンの「お仕事」はキツそうです。

さて、最近の研究で、全地球的な規模での海水温度の上昇が再確認されたとか。この種の研究は、気温上昇(温暖化)の研究ほどではないにしても、地道に行われてきたものです。しかし、投稿者としては、気温上昇以上に海水温の上昇の問題は深刻で、かつ対策に急を要する事態だと感じています。それは、大気と海水の圧倒的な比熱の差が頭に浮かぶからです。比熱とは、一定の熱量を加えた際に、どの程度温度が上昇するかの指標です。空気と海水では、単位重量当たりでは後者が3倍程度大きいだけですが、密度が何しろ数千倍なので、3桁以上異なる訳です。つまり、気温の0.1℃の上昇と、海水温の0.1℃では、そこに蓄えられている熱量と、その影響が数千倍程度異なる可能性がある事を意味します。

100年掛って、平均気温が1℃あまり上昇した大気と、同じ期間に同程度上昇した海水では、表面上の影響が数千倍になるかも知れないのですが、実は、これはまだ海の深さを勘定に入れていない「表面上の」議論なのです。もし、大気を凝縮して液体空気に戻すと仮定した場合、それは多分地球表面に1mあまりの浅い海を作る程度の量に過ぎないでしょう。一方、海洋は1万メートルを超える深さの場所もあるわけですから、平均深度を数百メートルと仮定しても、その影響は更に2桁程度大きくなる可能性を秘めていると考えなければなりません。

深海までの海水循環(熱塩循環)を考慮した場合、現在の海水温上昇の本当に恐ろしい影響は、数百年後にしか出てこない可能性もありますが、現実問題として、海水温上昇は大気中の水蒸気量を増加させ、結果として最近のインドネシアやガテマラの例を引くまでもなく、局地的な降雨量の増加や、逆に少雨化の現象も顕著になっており、対策の緊急度が急激に高まっている様に見えます。

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2010年6月 2日 (水)

1152 生物一様性?

各地のブランド牛が実は、その多くがM崎県産の子牛から育てられたものである事が、今回の事件で露呈しました。別に隠していた訳ではないのでしょうが、何しろブランド牛ですから、育てられた地域の地名を冠する事が必須です。中国に商標をパクられた隣県のブランド牛も、やはりその典型の様です。そのブランドに群がる消費者もどうかと思いますが、ここでも「コシヒカリ症候群」が観察されます。コシヒカリは、確かにおいしいコメではありますが、病気や高温や風に弱いという欠点も多く抱えています。おいしいから高く売れ、従って農家はこぞってコシヒカリを植え、地域の名前を冠した「○○産コシヒカリ」として売り込みます。しかし、他の米では殆ど影響の無い小さな気候変動や、病気や害虫によって、その地域のコシヒカリが壊滅的な被害を受ける事は十分想定できます。

同様に、同じ遺伝子を持つM崎牛の子孫が、ある種の口蹄疫ウィルスに極端に攻撃され易い場合、今回の様な早いスピードでの壊滅的な感染も、実は予想されても然るべきだったと言えるでしょう。事実、今回猛威を奮っているウィルスは、数十頭の優良種牛にも牙をむいています。感染した牛は、彼らの血を(遺伝子)を引き継いでいる筈ですから感染の急拡大も当然の話です。COP10のテーマは生物多様性ではありますが、現在栽培されている作物も多く飼育されている家畜も、全く逆の方向を向いている事に、私たちはもっと敏感になるべきでしょう。

その意味で、家畜、穀物、果物、養殖魚介類、そして最終的には人類(の文化)や経済までも、一様性のレール上をばく進している様に見えてしまいます。地域の特性に応じた、多用な生物を利用しながら、基本的には地産地消の仕組みの上で動くシステムこそ、今後も永く維持可能な(持続可能な)仕組みだと断言できます。学者にばかり任せるのではなく、私たち自身が(やや不便で)多様なライフスタイルを実現しなくては、結局は「一様性」の流れを引き戻す事は出来ないと思うのです。

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2010年6月 1日 (火)

1151 断熱・遮熱

エネルギーを使う話や節約する話を縷々書いてきましたが、実はエネルギーを逃がさない工夫こそ、もっともっと真剣に考えられて然るべきだとも感じています。何度も書いている様に、エネルギーの最終形態は熱(赤外線放射)であり、それは、放っておけば結局は宇宙に逃げて行く事になります。

一般に流通している断熱材(例えばグラスウール)は、繊維状の物質の中に多くの空気を抱え込んでいる、いわば綿状のものが殆どです。確かに、ある厚みを持たせれば、空気層の中では、温度が徐々に変化する結果、例えば外気と室内の温度差を保つ事が出来ます。しかしながら、この種の断熱材は、輻射熱の貫流(つまりは遠赤外線の透過です)には、殆ど無力であるのと、内外の温度差が大きい場合には、その厚みを極端に大きくする必要があり、結局はコストアップになってしまいます。それは本州では50-100mm程度で済む家屋の断熱材が、北海道では150-200mm程度かそれ以上必要な事からも分かるでしょう。次善の策は、通気性の断熱材ではなく、独立気泡を抱え込んだ断熱材(ウレタンフォームの様なもの)を使う事ですが、この種の断熱材は、しかし環境には優しくありません。リサイクルも難しいですし、発泡剤にフロンなどの温暖化原因ガスを使っている場合も多いのです。

実際のところ、理想的な断熱材は「真空層」で、しかも温度の高い側に向けて、反射膜が付加されているものが最強です。昔の、保温ポットの内壜が、二重のガラスでできていてその中が真空になっており、しかも内側に向いた面が鏡になっていましたので、保温性能は非常に高かった筈です。投稿者が見つけた最強の断熱材は、非常に細かいセラミック粉をまぶしたセラミック繊維でできた断熱材です。これは、真空断熱並みの性能を発揮する優れモノですが、残念ながらまだまだ高価です。

とは言いながら、ペアガラスの例の様に、非常に狭い空間の中に閉じ込められた空気は、対流を起こしませんので、真空層並みの断熱性能を示す筈ですし、それに加えて可視光は透過させるが、赤外線の多くをブロックする反射膜を組み合わせれば、ほぼ理想的な断熱窓や断熱壁を、実現する事も可能です。しかも、この断熱材は十分に薄くすることが可能なので、既存の建物にも簡単に適用できる筈です。

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