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2010年9月29日 (水)

1209 空気の値段

ほとんどのモノには値段があります。目に見えるモノに値段があるのは、たとえ原料の原価がゼロのモノでも、それを採取し、加工し、梱包して運搬する手間を考えれば、いくばくかの値段が付けられてもそれなりに納得はできます。モノの値段は、理想的に考えれば需要と供給のバランスによって決まるはずですが、現実の場合では、売り手側や問屋の思惑や、投機対象か否かなど複雑な過程で決まるのでしょう。さて、空気の様に、その場で全くの無代価で入手できるモノはどう考えたら良いのでしょう。空気は基本的には、世界中どこでも無料なので、化石燃料など空気(中の酸素)で燃やせる燃料を手に入れることができた人は、誰に断る事なしに、勝手に車のエンジンに取り入れたり、ガス風呂のバーナーで使ったりしても、これまでのところどこからも文句は出ませんでした。

しかし、いまや燃やした後にできるCO2には、値段が付き始めています。排出権取引で、CO2として排出されたカーボンに、トン当たり数千円の値段が付けられて取引され始めたのです。結果としてみれば、これは燃やすために取り入れる空気(酸素)に値段がついている事と同じ意味になります。いわば目には見えない空気に、お金という「札」をつけて、可視化しようとする試みでもあるでしょう。これは、遅かれ早かれ「環境税」として、空気消費に対して、より大きな額の値段が付けられる前の試行段階とみる事も出来るでしょう。何であれ、目に見える様にさえすれば、ヒトはそれに注目し始めます。ヒトとは、視覚情報とそれを処理する脳の部分が、異常に発達してしまった存在でもあるので、見えるものには何であれ注目してしまうクセがあるからです。

匂いは無いにしても、もし、化石燃料を燃やした排気ガスに、濃い色が付いていたと仮定すれば、街は車の排気煙?で、全く見通しが効かない事態になり、ヒトは車の使用を自粛し始める事でしょう。しかし、残念ながら、空気も排気ガスも殆ど無臭で眼にも見えません。永いながい地球の歴史がプレゼントしてくれた、酸素21%を含む大気は、本当に得難い自然の恵みだと思うのです、この貴重な資源である空気にもできるだけ高い値段をつけて、その重要性をヒトに意識させるしかないのでしょうか。

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2010年9月27日 (月)

1208 雨季・乾季

熱帯地方には、雨季と乾季という二つの季節しかありません。理由は簡単で、偏西風が吹かない熱帯地方で、季節を支配するのは、基本的には日射量しかないからです。太陽が、赤道を越えて北回帰線側に入ってくる頃になると、北半球の側の日射量が増える結果、赤道付近により多くの熱が溜まり、熱帯性の低気圧の発生が活発になって、アジアでは、いわゆるモンスーンの季節(雨季)に入ります。逆に、お天道様が南半球に旅に出ている間は、北極や中緯度の大陸性気団が勢力を盛り返してくるので比較的乾燥して涼しい季節である乾季に入ります。

さて、日本付近での近年の季節変化は、何やらこの熱帯地方の気候に似てきたような気がしてなりません。理由としては、夏季に吹く偏西風の緯度が高くなっている事が疑われます。偏西風はとは、北極気団の南の端を取り巻く西向きで高速の気流で、ジェット気流などとも呼ばれます。偏西風の流れは、実のところ日本付近ではヒマラヤ山脈の地形に支配されます。北極気団が強く、偏西風が、ヒマラヤ以南で流れていると、日本付近は冬の季節になり、ヒマラヤ以北を流れていると夏になります。春秋は、偏西風がちょうどこの山塊にぶつかるので、蛇行したり渦(つまりは低気圧や台風です)を発生させたりすることになります。

今年の夏は、どうやら偏西風が殆ど期間ヒマラヤのかなり北側を流れていたようなのです。従って、モンスーンの北の境である梅雨前線は北海道辺りまで北上する事になり、梅雨のないはずの北海道でも、多量の雨が降る結果につながりました。その一方、本州以南は、さながら熱帯性の気候になり、夏場は日照時間が長い分だけ、連日35℃を超える様な、「熱帯以上」の記録的な猛暑となったようなのです。偏西風の北上は、実のところ北極圏の気温上昇が起因していると思われます。夏場に北極海の浮氷が広い面積で消滅してしまっている近年では、北極海を照らす「沈まない太陽」が、海水温度をこれまで以上に高くしてしまっているはずなのです。この推論は、ヨーロッパやロシア辺りでも同様の猛暑となった事でも、裏付けられている様に見えます。どうやら、この気候の傾向は既に定着してしまっているようなので、猛暑の夏は年毎の振れはあるにしても、右肩上がりに激しくなると思われます。日本の熱帯化が、いよいよ現実のものとなりつつあります。

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2010年9月25日 (土)

1207 PONR

PONRとは、Point of no return(もう後戻りの効かないポイント)の略です。山によく登りますが、投稿者は、日帰り登山の場合、必ず遅くも正午まで山頂に立つ事を目標にします。1100までに登頂できれば更に理想的です。その時間に届くように、時間を逆算して、登り始めの時間を決める訳です。それが、例え0400であっても、その様に計画します。つまり、時間的に見れば1200が日帰り登山のPONRという事になります。その時間まで届かなければ、無理はしないで次回に再挑戦する事にします。実際に、そんな事態になった事は、かつて一度しかありません。その時はバスで下駄履きでも登れる乗鞍に、あえて裏側(南側)の一合目から登っていて、8合目付近からは10メートル先が見えないほどのガスに巻かれ、闇雲な行動が危険となってしまったのでした。(というより、今となってはクマに遭遇しなかった幸運に感謝するだけですが・・・)更に少しずつルートを確認しながら登りましたが、ついにルートを示すペンキマークも見失ってしまいました。ガスが薄くなるのを1時間ほど待ったのですが、昼になっても状況が変わらないため、頂上まで500mほどの地点から仕方なく撤退したのでした。この地点が、この登山でのPONRだった訳です。

さて、ここでPONRを引き合いに出したのは、もちろんこのブログの主題である環境問題に敷衍するためです。環境におけるPONRとは、環境悪化による影響が更なる環境悪化を招く、いわゆる「悪循環」に陥るポイントを差します。温暖化で言えば、温暖化の結果、広大なシベリアの凍土が夏場に解けて沼地になり、そこからCO2より一ケタ以上強力な温暖化効果ガスであるメタンが多量に湧きだし、更に温暖化を加速する、といった現象です。余り考えたくもなく、言いたくもありませんが、投稿者のカンでは、どうやら温暖化に関しては、PONRを超えてしまった様な気がしてなりません。もちろん、かといって明日から原始時代の暮らしに戻る訳にもいかないでしょうから、私たち人類は、文字通りこの地球に骨を埋める覚悟で、前進するしかないのでしょう。どうせヒトは、何時かは死んで骨になるのだから、それが早いか遅いかの違いだけだ、という様な「諦観論」もあるのでしょうが・・・。

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2010年9月23日 (木)

1206 百年製品

1204での「百年」という年月からの連想です。この題で以前にも書いたような気もしますが、別の言葉を使って繰り返しておきます。百年製品とは、10年以内に買い替える事を前提に設計され、結果として廃車というゴミを増やすイビツな製品である今の車や、それを後押しするエコカー減税のような悲しい制度ではなく、走行距離で言えば例えば30万キロ以上、あるいは使用期間では30年以上にわたって、快適に走る性能を持つ、「超長寿命製品」を意味します。住宅でいえば、僅かな内装の模様替えだけで、何世代にもわたって住み続けられる、いわゆる「百年住宅」がこれに当たります。

勿論、何の手入れもなく100年も使い続けられる製品は、初期コストが掛り過ぎて現実的ではないという突っ込みもあるでしょう。そうではなくて、百年製品でも、実は綿密なスケジュールに従った「メンテナンス」や「修理」が必要なのです。かつて街にはそれを実現してくれる職人さんが沢山いました。電化製品を売るだけの電気屋ではなく、ハンダの匂いがする「ラジオ屋」や目に拡大鏡を嵌めた「時計屋」、ブリキでできた容器などを修理する「鋳掛屋」、建具を直す「指物師」、刃物ならなんでも新品同様に蘇らせる「砥ぎ屋」、洋服の破れを見事に直す「カケツギ屋」、客が望むオリジナルのリヤカーなど中古部品を使って簡単に作ってしまう「自転車屋」等などです。これらはホンの一例で、実のところ製品の種類だけ修理屋が存在したと言っても過言ではありませんでした。

投稿者のサラリーマンとしてのキャリアも実は、修理屋で始まりました。それは、大型船のエンジンを保守や修理を行う、造船所の技師という仕事でした。10年ほどの、修理屋修行で身に付けた教訓は「直らない故障はない」というものでした。例えば、鋳物製品が割れてしまうと、本体ごと交換してしまうしかないと考えがちですが、「Mタロック」という技術を使えば、ほころびをミシンで縫うように、脆い鋳物をくっつけてしまう事も出来るのです。その他、最初は頭を抱えてしまうような、故障やトラブルを数多く経験しましたが、不眠不休の修理作業の結果、全ての船が何事もなかった様に船出していく姿を見送りながら、上の人生訓を得た訳です。メーカーの設計者にモノ申したいのは、ぜひ修理のし易い百年製品に挑戦してもらいたいという一点だけです。そのためには、徹底的に壊れたモノを見て、壊れた原因を追究し、それを修理する方法を考え続ける事です。その結果、ほぼ自動的に壊れにくく、直し易い製品の姿が見えてくるはずです。

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2010年9月21日 (火)

1205 人工林

連休の中日、1年ぶりの本格登山で、南アルプスのど真ん中にそびえる、3000mの山のピークに立ちました。山に登って何時も感じるのは、人のちっぽけさです。山の頂上には、だれも引っ張り上げてくれませんから、自分の足で、一歩一歩自分自身を高みに上げていかなければなりません。3000mといえども、水平距離にすればたった3kmです。平地では歩いても、1時間もかかりませんが、山だと往きだけで6時間以上も掛りました。日帰りでしたので、都合10時間以上は蟻ンコの様にひたすら歩いていたことになります。

しかし、今回は人の力の大きさも感じた山登りでした。というのも、今回は塩見岳でしたが、登山口からピークの肩にある山小屋まで、5時間ほど樹林帯の中の道を歩いたところ、その殆どが針葉樹の「人工樹林」だった事に気がつきました。その大部分が、あるパルプ会社の社有林である事が、何箇所かに掲げられた古い看板で分かりました。植えられているのは「ツガ」か何かのパルプ用の針葉樹なのでしょうが、標高の低い部分は、しっかりと間伐などの手入れが行われている様で、素人が見たところでも、十分な太さで成長している様です。全く余計な事ですが、この山の木を切る段になったら、一体どのようにして運び出すのか、という心配が湧きおこりました。値段の高い立派な住宅用材であれば、ヘリコプターを使って一本吊りしても費用が捻出できるのでしょうが、パルプ用材では、そうはいかないでしょう。今回登った登山口までは、舗装された立派な林道が建設されていましたので、この山のパルプ材を切る時になったら、やはり多額の税金を使って、その林道を延長することになるのでしょうか。

塩見岳のケースは、実のところ特殊ではないと想像しています。データで見ても、日本の国土のほぼ6割は森林で覆われていますが、その半分は人工林か、あるいはかつて人の手が入った、半人口林であるとされています。人間は確かにちっぽけな存在ではありますが、そのちっぽけな祖先たちが束になって、しかも長いながい年月をかけて、背中に苗木を担ぎ、腰にオニギリを下げて、ろくな道も無かった標高2500m近くの高みにまで植林をし続けたのでしょう。その結果であるこの山の様子を見るにつけ、この膨大な祖先からの財産をどのように受け継いで、維持管理すべきなのかを、既に山を放棄してしまった今の世代に問いかけても、答えは見つからない気もしました。

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2010年9月19日 (日)

1204 百年の計

1203の続きです。以前にも書いたのですが、かつて(西部劇以前の話です)のアメリカ原住民の決めごとの基準は、その決めごとが「7世代後の子孫の幸福につながるか否か」であったと言われています。つまりは、その決定が100年後の子孫が振り返っても正しかったと言われるように行われなければならない、という事を意味します。さて、この国で100年ほど前に行われたであろう決定を振り返ってみたいのですが、残念ながらその間に数回の戦争や紛争が起こっているので、歴史も人々の価値観も不連続になっています。そこで、このブログでは投降者の記憶も残っている、過去60年ほどの後半(戦後)について書いている次第です。

さて、戦後のこの国の政策は、首尾一貫していました。一言でいえば、脇目もふらずに経済立国への道を突っ走る事だったのです。そのために、国はその方向に資すると判断した場合には、公共事業は勿論、産業や企業への直接的な補助金や利子補給(つまりはほぼ無利子で金が借りられる制度)等の形で多額の税金も使い、官民一体となって産業を鼓舞してきたのでした。しかし、その一方で急速な経済の拡大は、多くの歪みや軋轢も生みだしました。多くの公害に始まり、拝金主義やモノ依存、不労所得への期待等、人心も荒れてきものだと、振り返っています。何より、青写真無き経済規模だけの拡大は、行先を定めないまま(明確な将来像が描けないまま)、前進だけを続けていただけなのではないか、という反省が否めません。それは、私たちは日本株式会社の構成員として、何も考えずに前に進むだけしか能がない馬車馬だったのかも知れない、言う反省です。

投稿者は、他人よりは多少早くこの馬車馬のハーネスから抜け出した訳ですが、だからこそなお一層、馬車馬の悲哀がココロにしみてきます。百年の計を描くのは実は容易でもあるし、難題でもあります。容易であるという理由は、物事の決断を下す時に「ところでこれは100年後も正しいと評価されるものかどうか?」という問いにYesと言えるかチェックすれば良いだけなのですが、一方難題であるという理由は、私たちは歴史上、今以上の難題(地球規模の環境の悪化)に遭遇した経験が無く、従って何から手をつければ良いか、途方に暮れて佇んでいるのが実情だからです。

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2010年9月17日 (金)

1203 近代化

相変わらずの鳥の目で見た投稿者の感慨です。産業革命は、近代化の黎明期であり、それを鵜呑みにして移入した明治初期が、日本の近代化のスタートラインだと言われます。確かに明治は西欧制度の移入期ではありますが、実際には戦後こそが、この国にとっての本当の近代化が始まった時期だとも思っています。というより、戦後の体験しか持たない投稿者が、明治期の産業の変革について深くは語れないというのが実際のところですが・・・。さて、戦後急加速して再近代化(というより米国化)に突き進んだこの国ですが、これをまさに体感している投稿者としても語る資格があると思っています。とは言いながら、東北の田舎町で育った投稿者の体験は、実際のところ中央から見れば数年~10年程度のタイムラグはあった事でしょう。それは、例えば電化製品の普及や車の保有台数が急増加する勢いなどの差として観察された事でしょう。

しかし、この国の本当の近代化は、戦後の製鉄や造船業が牽引した重厚長大産業の隆盛と、それを世界中に売りまくった、商社パワーに象徴されているのではないかと感じています。それは、まさに国策でもあり、実際にも国が、あるいは利権に群がる政治屋などが、表でも裏でも金をばらまいて、近代化=欧米化を鼓舞していたわけです。それは、多くの疑獄事件も生みだしましたが、「所得倍増」という魔法の言葉や、熱病のような産業拡大の大河の前には、3月も経てば忘れ去られてきたのでした。少し遅れて、電機や電気産業、さらにはロボット産業や半導体産業なども花開きましたが、お隣の国や、Bトナムでの戦争特需にも加速されて、奇跡とも呼ばれる経済規模の急拡大を実現したのでした。

結果として、確かにこの国は、一度は世界第2位のGDP大国に座る事が出来たのです。しかし、その過程で失ったものも非常に多かった事も否めません。例えば、伝統的な暮らしの知恵、手入れの行き届いた里山、バイパス工事で埋め立てられた美田、食糧自給の仕組み、助け合いの精神などですが、何より若者たちの将来への希望が失われた事が最大の損失かもしれません。満腹で満ち足りた人間は、決して夢を見る事は出来ないからです。上の意味での近代化は、実のところこの十数年は煮詰まってしまい、停滞しています。私たちは、今後どの方向を向いて、社会の歩を進めていくべきか(あるいは少し後戻りすべきか)、ここで立ち止まって考えてみる必要があると思うのです。このブログも、その振り返りの場として、クドクドと書き続ける積りです。

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2010年9月15日 (水)

1202 エコ・カーの矛盾

車は、航空機と並んで20世紀を代表する工業製品の一つですが、どう贔屓目に見てもエコではありません。殆どの人が一人で乗って動く乗り物の割には、自重が1トンもあって、しかも冷暖房付きで、まさに動く居間でもあります。従って、「エコ・カー」などと言う流行り言葉も「矛・盾」という熟語と同様に「・」の前後で全く矛盾する言葉だとも言えるでしょう。体に楽をさせる「機械」は、ほぼ例外なく、資源やエネルギーを沢山消費する仕掛けですので、エコではありません。運転者自身の体重の十数倍もある乗り物を、移動させる事とは、深く考えてみるまでもなく、資源とエネルギーの浪費以外の何物でもありません。

一方、自転車はその対極の例となりますが、体重の数分の1の重量の乗り物を、自分の出すエネルギーだけで移動させるわけですから、これほど環境負荷の小さい乗り物は他に見当たりません。徒歩は勿論同様にエコですが、同じ距離を移動する事を考える場合、何度食事をし、何回呼吸して、肺から二酸化炭素を排出しなければならないかを計算に入れれば、自転車の方が環境負荷は断然小さいと思われます。

さて、エコカー補助が終了して、投降者はほっとしています。何故なら、この制度は最大の補助を得るためには、今まで乗っていた(まだ十分に乗れる)車を廃車(スクラップ)にする必要があったからです。廃車にされた車は、自動車処分場でグシャッと潰されて、事前に取り外したエンジンなどの非鉄部品と車体の鉄は再利用されますが、それ以外は細かく砕かれたシュレッダーダストにされてしまいます。シュレッダーダストの行先は、最終処分場呼ばれる埋め立て処分場です。つまりは、大気への環境負荷であるCO2の排出量を僅かに減少させるために、大地への環境負荷である大量の埋め立てゴミを増加させるのがエコカー補助の本質だったとも言えるからです。車メーカーに言いたいのは、カンフル剤かあるいは覚せい剤的な効果しかないエコカー減税や補助金による「駆け込み需要」など当てにせず、地道に廃車を自社の工場に持ち込み、部品1個まで丁寧に分解し、完全リサイクルができる「車分解工場」を建設して、社会に貢献しながら同時に雇用を生み出すべき時が来ているという事を言いたいのです。同時に、今の車の重量を半分して、車の製造に掛る資源量と、車の燃費を共に半分にするプロジェクトにお金を使って欲しいのです。

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2010年9月13日 (月)

1201 竹の利用

団扇の事を書いていて、竹の有用性を改めて考えてみる事にしました。竹は、かなり特異な植物(材料)の一つです。何より、あんなに見事に幹が中空になっている植物(天然素材)はそんなに多くはありません。それに数多くの節です。その成長のスピードは驚異的で、タケノコとしての若竹は、数日で周囲の樹木の高さを凌駕し、いち早く枝葉を広げる結果、短期間のうちに樹林を押さえつけて竹林に変えてしまう能力を持っています。地下茎に至っては、年間に数メートル横に伸ばす勢いで、竹林のテリトリーをグングン拡大していきますので、そのCO2固定能力は、樹木の2倍以上あると言われています。

竹の成長能力はさておいても、材料としての竹材も(木材などと比べて)特徴的です。縦には容易に割ける竹材も、曲げに対しては非常に柔軟で、かつ強靭です。竹材は、管状の特徴を利用して半割れの樋や丸のままのパイプとして、あるいは軽く弾力があって、容易には破断しない特徴を利用して、足場材などとしても利用されてきました。ちなみに、竹の節を抜くには水を使います。節の間に水を入れて、固い石の上で上下にトンと突くと、水撃(ウォーターハンマー)によりあっけなく節が抜けます。これも先人の知恵です。

さて竹は、各地で多くの民芸品や日用品にも加工されています。玩具やオーナメントなどはもちろん、竹かごや提灯の類、更にはスダレや敷物に至るまで、その種類は非常に多様です。それほど、竹は普遍的な素材で、それを確保すべく遣唐使の時代に中国から移植され、日本全国至るところに植えられてきたとも言えるでしょう。しかし、今や「放置竹林」は百害あって一利もない厄介者になり下がってしまいました。近年、竹炭などして、竹の利用の多様化の努力も見られますが、やはり竹はその特性を利用して、材料として活用すべき、類のない自然素材だと思うのです。

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2010年9月10日 (金)

1200 団扇

この夏に大活躍してくれた手元にある団扇を眺めていて、その作りの巧みさにしみじみ感じ入りました。柄と骨は一体で削りだされ、その上半分ほどを30数本に割いて、それを広げて骨を形成しています。竹の節の部分は肉厚になっていますが、その厚い部分に正確に錐で横穴を開けて、別の竹ヒゴを通して曲げ、下側を補強しています。骨は、薄く割いていますので、それ自身では柔らかく、頼りないものですが、両面に少し厚手の紙を貼る事によって、しっかりとした弾力を得ています。これは、カーボン繊維をエポキシで補強するCFRPと同様、竹と紙の「複合材」だと言えます。団扇が、いつの時代から作られてきたかは良く分かりませんが、紙が高価であった時代にも、紙の代用として、例えば藁を打ったものなどを使って、それをノリで固め、同様のものを作っていた事が想像されます。自然素材だけで作った複合材が、もっと見直されて然るべきでしょう。例えば、鉄筋ではなく「竹筋」コンクリート等も考えられますね。

どういう産業の歴史があったのかは知りませんが、投稿者が若い頃10年ほど住んでいた、香川県の街の近くには、日本全体の9割ほどの生産量を誇る、団扇の一大産地がありました。デパートだったかイベント会場だったか忘れましたが、団扇を作る職人さんが、手際良く団扇を作る手品の様な職人技に、まだ小さかった子どもと一緒にしばらく見とれていた事を思い出しました。今は、射出成型で作られたプラスチックの骨に、大量に印刷された紙が、自動機械を使って、目にも止まらぬスピードで大量生産されるのでしょうが、そんな団扇は何の魅力も無い量産品の一つになり下がっています。そういえば、今住んでいる岐阜にも「水団扇」と呼ばれ、水に濡らして使う、風情のある団扇がありました。

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2010年9月 9日 (木)

1199 断熱ビジネス

来るべき社会を展望する中で、絶対に右肩上がりのビジネス規模になると断言できる分野があります。それは、熱の流れをコントロールする(可能な限り遮断する)技術を使ったビジネスです。例えば、ビルや工場や住宅の光熱費の大きな部分を占めるのは、今や冷暖房に関わるエネルギーとなっています。しかし、現状を見れば、単なる鉄筋コンクリートのビルやスレート屋根・壁の工場や、安いグラスウールを100㎜厚み程度しかない住宅の天井や壁などを見回す時、目いっぱい外から熱を入れてしまってから冷房するムダ、あるいは冬場に内部の熱をドンドン外に逃がしながら、一方でガンガン暖房するムダを考えない訳にはいきません。

まして、お国が旗を振って、2020年までに25%という省エネ基準を達成するためには、魔法瓶の様に、断熱性の高い建物や、遮熱性能の高い設備ブース構造を、実現する必要があると思うのです。ボイラーなどの熱源や、冷凍・冷房機等のヒートポンプなどのハードウエアの効率向上は、間違いなく頭打ちになるでしょう。何しろ、熱力学上の理論効率は絶対に上回る事は出来ないからです。少し考えれば分かる様に、効率を低下させる最大の要因は、熱(エネルギー)の漏れなのです。

熱機関やシステムの効率を高めるためには、高熱源と低熱源の差を最大に取る(つまりは熱源の温度を上げる)しかない訳ですが、当然のこととして、高い温度の熱源を閉じ込めるためには、より性能の高い断熱壁が必要となります。何故なら、熱(エネルギー)が逃げる(侵入する)量は、断熱壁の性能(熱貫流率)と、壁の内外に作られた温度差だけに依存するからです。この、システムから逃げ出す(あるいは勝手に入ってくる)熱量を最小限にとどめる仕事が「断熱ビジネス」です。ここに関わって行けば、この先飯のタネに困る事はないと言っておきます。

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2010年9月 7日 (火)

1198 ソーラータワー

道を歩いていたら、数百メートル上空に何やら変なものが漂っていました。よく見ると、どうやら農業用のビニールシートの様です。多分、外されて畑の横に積まれていたものが、突然のつむじ風によって上空に吹きとばされ、強烈な日射による上昇気流も乗ってなかなか地上に降りてこられない状態になっていたものと思われます。その姿は、竜か何かの生き物がもがいている姿にも見えて、しばらく見とれていました。

上昇気流からの連想で、かつてオイルショックが起こった時代に工夫された、いくつかの発明を思い出しました。その内の一つがソーラータワーです。これは、100mほどの高さの黒く塗った煙突状の仕掛けです。これを、砂漠などの直射日光が強烈な場所に立てておくと、煙突の外部は日中7-80℃に熱せられて、煙突の内外部に強烈な上昇気流が生まれます。特に、煙突内部には秒速十数メートルの安定した上昇気流が形成されます。もし、煙突内に直径と同じサイズの風車を設置しておけば、風のない日中にも安定的に動力が得られる事になります。もちろん、この煙突の形状は、通常の様に少し上が細くなった様な形状ではなく、上昇気流が起こり易い様に上が少し膨らんだ曲面としておく必要があります。

これを逆手にとれば、夏の暑い盛りほど、より大きなエネルギーを得る事が出来る仕組みも考えられそうです。そのエネルギーで冷房を行い、一方で強力な上昇気流を使って建物内の通風も行えば、この夏の様な酷暑さも少しは過ごしやすくなるかも知れません。しかも高温の日程高い出力が期待でき、しかも石油エネルギーは一切必要ありません。商社や建設業界は、海外から輸入した風車を建てるための基礎工事ばかりに精を出していないで、こんな夢のある建造物を作ってみてはいかがでしょう。

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2010年9月 5日 (日)

1197 異常高温

113年ぶりの異常高温の夏だそうです。まだ続いていますが・・・。さて、この高温が100年に一度の特異現象なのかどうかですが、投稿者としては温暖化への通過点ではないかと見ています。理由は、エルニーニョやラニーニャ等の「振動現象」に加えて、今年の場合は「北極気団の弱体化」も顕著だからです。北極や南極の気団(高気圧)の形成には、一にかかって極地方が地球上の中で特異的に低温である事が寄与しています。低温の場所には下降気流が蓄積し、結果として高気圧団(気団)が形成されます。南極の場合は、数千メートルの厚さの陸氷で夏もしっかり冷やされていますが、海である北極海の場合には、低熱源としては厚さが精々数メートの浮き氷(海氷)しかないので、夏場には沈まない太陽に照らされて、それが結構薄くなり、あるいは完全に解けて海面が顔を出します。そうなると、海では光合成ができる様になるため、急激に植物ブランクトンが増加します。その結果、海面の太陽光の反射率(アルベド)が変化して、より太陽光を吸収し易くなってしまいます。結局、海水温が上昇し、海氷を更に解かす悪循環に陥る事になります。少し前の予測では、2040年頃には、夏場には北極海の海氷は殆ど消滅する事が指摘されています。

そうなると、夏場には、北極海では日射により気温が上昇して、低気圧が多数生まれても不思議ではなくなります。これまでは北極気団と偏西風にブロックされていた、低緯度地方の熱量が、更に北極深くに攻め入る事になります。結局夏場には、シベリアの冬将軍は完全にダウンする事になるでしょう。さすがに、秋分の日以降は、極点には日が射さなくなり、また氷が張り始めるでしょうが、海水温が上昇しているので、その氷も薄いものしかできないと予想されます。薄い氷は、翌年夏には急速に解けるでしょうから、結果としては日本などの中緯度地域は、春秋が殆ど無くなり、酷暑の夏と余り気温の下がらない冬しかない、味気ない二つの季節しか残らない事になります。以上の素人予測が杞憂に終われば、と願ってはいますが・・・。

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2010年9月 3日 (金)

1196 熱中症考

熱中症で命を失う人のニュースが引きも切りません。理由は、異常な熱波ですが、熱中症について少し考えてみます。恒温動物である人間は、体の中で熱を作り出していますが、基本的にはこの能力は、元はといえば「寒さに耐えるため」に編み出された筈です。もっとも最近の氷河期を、ヒトが生き抜いたのもこの能力によるところが大でしょう。

さて、体温が36℃余りに設定されているのは、地球の平均気温である15℃前後と比べると、絶妙な温度であると言えます。つまり、平均20℃の差が、この地球環境を(裸で)生き抜くに丁度良い体温なのでしょう。もっと寒い地域に適応している動物は、厚い皮下脂肪かフカフカの毛皮でガードを固めています。しかし、例えば平均気温40℃を超える様な高温地域に適応している生物は非常に少ないと想像しています。砂漠に棲む一握りの生物種といえども、日中は砂の中や岩陰に身を潜めて、暑さをやり過ごしている筈です。体温を超える様な気温には、そもそも恒温動物は適応できないと思うのです。何故なら、いくら動物の様に効率の高い熱機関で動いているとは言いながら、外部への放熱無しには出力を出し得ないのは、熱力学の超えられない基本法則だからです。

さて、連日36℃や37℃といった気温に晒される時、仕方が無いのでヒトは発汗で、体温を維持しようと努力します。しかし、日本の夏の高い湿度はこれも妨げます。高湿度により汗が、蒸発して気化熱で体温を下げる事が邪魔されるのです。加えて、ヒートアイランド現象と呼ばれる、道路面や建物の蓄熱があります。これらからは、例えば夜間でも35℃を超える様な温度に相当する赤外線放射が続きます。最低気温が27℃だったとしても、「体感」温度は結局(27+35/231℃を超えてしまう事になります。波長の長い赤外線は、皮膚表面からかなりの深さまで侵入しますから、皮膚表面にある「温度センサー(温点)」を突き抜けて、直接血液を暖めてしまう現象も起こっている事でしょう。結局、温度に鈍感になっている年配者を中心に、それと気づかず寝ている間にも重い熱中症に陥る事になってしまいます。気温ばかりではなく、高い湿度や、部屋環境の赤外線放射温度も含んだ、総合的な熱中症注意報が必要な所以です。

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2010年9月 1日 (水)

1195 熱流計

熱の流れを図る計器、熱流計を入手しました。何度も書くように、エネルギーとは、基本的には電磁波の流れを意味しますが、これはそれを直接計る事が出来る計器です。電磁波(赤外線)の流れに、熱流計のセンサーをおくと、そこに熱流束密度に応じた起電力が発生します。それを、センサーの感度に応じた係数で処理すると、W/㎡という単位のエネルギー流束の大きさが算出できるというものです。これを使えば、例えば断熱材の性能が評価できますし、ある建物の壁や設備から(へ)のエネルギーの流入/流出が直接測定できるのです。

以前から使っている熱画像カメラでは、熱(エネルギー)の流れが画像として可視化できますが、熱流計はその量の数値化が可能となる訳です。これが何の役に立つかですが、ある省エネ設備を投資する場合に、その費用対効果が数値(金額)化できる事になります。建物やサッシに断熱工事を施工して省エネを図ろうとする場合、いくらの費用を掛けたら、季節毎にどの程度の冷房・暖房負荷(電気代やエネルギー代)が削減できるか、より厳密に計算可能なのです。結果、「何年で元が引けるのか」が、例えば投資を決断する経営者の背中を押す事(またはブレーキを掛ける事)が出来ると言う事になります。入手に大枚をはたきましたが、今後せいぜい有効に活用するつもりです。

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