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2010年10月31日 (日)

1225 申し訳なさ

20世紀後半に生まれて、曲がりなりにも生きてきた投稿者としては、十分にラッキーな人生を歩んできたと振り返っています。それなりの規模の二流会社に技術屋として勤務し、人並みに家族を持ち、家も買って、十分ではないけれど老後に向けての蓄えもできました。しかし、世紀が一つ進むというポイントに立って、越し方を振り返ってみて、実はこれら全てのささやかなラッキーも、何かの犠牲に上に成り立っていたのではないかとの、「大きな疑問」にとらえられたのでした。投稿者の年代以上の世代のこれまでの行いを、焼き魚料理を食べる状況にたとえてみると、私たちは既に魚の上半分をペロリと平らげてしまったようなのです。ひっくり返しても、身はもう半分ほどしか残っていません。人口ツリーで太い塊となっている世代は、もう殆どが退役し、悠々自適の生活に入ろうとしています。モノづくり人口が減る事は、資源やエネルギーの温存という点では、それほど悪くない方向なのかも知れませんが、悠々自適生活にも、資源やエネルギーが相当程度必要です。その人たちの蓄えを、その人たち自身が使う事に何の問題も無さそうに見えますが、そこに今回の題である「申し訳」の出番があると思うのです。

投稿者自身の僅かな財産や蓄え、上の世代が持っている膨大な蓄えが、何によってもたらされたか、元を質してみれば、それは途上国で地下資源やエネルギーを掘り出したものを安く輸入し、それでモノを作り、せっせと輸出して生みだしたおカネであった事は間違いないところです。モノを作る過程、あるいはそれを消費して捨て去ったゴミは、誰かがうまく処理してくれた訳でも何でもなく、目には見えない形で環境に蓄積され続けてきたはずです。日本ではかなりの固形ごみを燃やして、CO2を含む気体ゴミに替えていますが、B国の様に砂漠に埋めるだけの国では、そこを掘り返してみれば、ここ数百年のゴミの山が、そのまま発掘できる事でしょう。貝塚ではなく、まさしく現代の「ゴミ塚」という訳です。資源やエネルギーの消費による減少と、CO2を含む多量の有形・無形の廃棄物の蓄積という、後世への負の遺産を残す事によって、投稿者以上の世代の繁栄が成り立ってきたというしかありません。

私たち、20世紀人は、もっともっと「申し訳なさ」感、もっと言えば「後ろめたさ」を強める必要があると思うのです。誰に申し訳なく、後ろめたいかは、このブログでも縷々書き連ねてきましたが、改めて書くと、それは大きくはヒト属を育んでくれのに、その子からひどい仕打ち(破壊)をうけている母なる自然であり、ヒト属に限った狭い意味では将来世代の、きっと裏さびしくなるであろう未来の生活に対してです。投稿者の行動の原動力は、いまや完全にこの申し訳なさになっています。

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2010年10月29日 (金)

1224 スクラップ&ビルドではなく

現代のモノづくりと消費社会は、使い捨てを前提として回っている様に見えます。安価な電化製品は、間違いなく修理を前提には設計されてはおらず、修理を頼もうものなら新品と同等か、下手をすればそれより高い見積もりを突き付けられます。修理を頼んだとしても、たぶんブラックボックス化した中身の基板を、そっくり入れ替えるだけなのでしょう。結局、送り賃と故障の状況をチェックする作業者の手間の分だけ、新品より高くなってしまうのだと想像しています。

電化製品は、相対的に非常に安くなっています。一方で、デザインや見栄えはますます美しくなってきており、相対的に、中身より見かけにより多くのコストを掛けている事が明らかです。かつて、電化製品の色は殆ど白か灰に決まっていました。台所で使われる製品群は、俗に白物家電と呼ばれてもいました。これは、修理やリサイクルには、理想的な状況だと言えます。種々の色を取りそろえた製品には、数多くの部品の在庫を置く必要がありますし、一方でリサイクルする場合、プラスチックの色の混合(つまりは材料の劣化です)が起こり、リサイクル材の用途が荷役パレットや車止め等にしか使えないからです。加えて、使われる素材の多様化があります。

例を挙げれば、見栄えが良くて加工性の高い合金とその装飾方法(例えばメッキ方法)や新しいプラスチック素材が開発されるや否や、メーカーは飛びついて新製品にそれを採用します。結果、プラスチックだけを取って見ても、その種類は日々増え続け、同じプラスチックでもそのグレード(硬度や強度区分)は増え続け更には、ますます多様になる(とメーカーが言っている)ユーザーの嗜好によって、色のバリエーションも加えると、すぐに何百種類にも枝分かれする訳です。

これでは、製品のたった一つの部品が壊れても、その部品を生産終了後も長い期間在庫しておくことは、殆ど現実的ではありません。メーカーとしては修理代を高く設定して、新品を買ってもらうしかない事になります。そのトレンドを、私たち消費者は、メーカーの口車に乗って、よしとしてきたわけです。ですから、この流れをメーカーだけの責任に帰すわけにはいかないでしょう。つまりは、メーカーは消費者の(「消費は美徳」というキャッチフレーズに乗った)ワガママ心を育て、消費者はそれを良いことに、この国にたっぷりとあったはず「つつましさという美徳」を捨て去ってしまったからです。

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2010年10月27日 (水)

1223 ターニングポイント

このブログを書き続けている目的は、20世紀、とり分け戦後のこの国の行状への反省を真剣に考えてみるというものです。サラリーマンを卒業しようと決意してから実際に辞めるまでの間に考えたこと、その後に考えた事どもがかなり溜まったのですが、年のせいか考えた事がすぐ頭の中から消え去りますので、ある時何らかの形で書き留めておきたいと考えたのでした。ある日、何気なく始めたブログですが、よくもまあこんなに続いているものだと、書いている投稿者自身も呆れているこの頃です。

さて、いまこの国が大きなターニングポイントに差し掛かっている事は、どの側面で眺めても間違いないところです。いま、産業構造、それを支える経済面、労働事情、環境面、何より社会を構成する私たち自身の価値観が揺らいでいます。このような、言わば歴史の大地震の揺れの中で行く末を見定めるとき、古い20世紀型の価値体系を振りかざす政治家もエコノミストも、机上でモノを考える学者先生たちも無力に見えてしまいます。何より、彼らに国家百年の計のビジョンの提案が見られないからです。70%の人々が、いわゆるサービス産業(人が人への便益や快適さの提供のためだけに働く産業)で生計を立てているこの国の現状を、何か異常な事として感じなければ何も変わらないでしょう。そう書いている投稿者自信も、実のところ今は何も作り出してはいませんが、少なくともモノ作りを行っている企業を環境保全という視点でサポートし、市民に欲望を弱めるためのお説教をする、「環境坊主」の行を行っているという意識は常に持っていますし、今後の道筋はこのブログを通じて、キーボードを叩く指が痛くなるほど発信し続けてきました。

さて20世紀の総括ですが、まずは20世紀型の価値観や価値体系の根っこに対する強い反省に立って、その清算に着手する必要があると思うのです。結論から先に言えば、今のようなモノとカネに重心がある価値体系ではなく、ココロとイキガイに価値の重点を移す必要があると思うのです。食うや食わずの生活が日常であった古の時代、人々はある年にひどい冷害ににおそわれたとしても、神仏への畏敬の念を捨てるどころか、ますますそれにすがったことでしょう。それは、自然相手の農林業に軸足を置く限り、神である自然環境を畏れ敬う以外の価値観が見つからなければならなかったからでした。先ずは、モノとカネへの「信仰」を捨てなければ、清算の「せ」の字も始まらない事ははっきりしています。

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2010年10月25日 (月)

1222 ガラパゴス化

江戸期を通じ、日本は「文化のガラパゴス島」でした。しかし、一方では鎖国により、外国からの文化の流入が殆ど絶たれると、文化は独自に開花し、やがては結実するものの様です。

さて現代社会で、自虐的にガラパゴス化と呼ばれているのは、各種の工業規格や製品規格が、日本国内だけで有効であり、多くの製品が諸外国では使えない状況を指す意味としてです。例えば携帯電話や液晶テレビやカーナビが引き合いに出されます。その意味するところはかなりネガティブだと思われます。しかし、江戸期は確かに行き過ぎだったにしても、ガラパゴス化を裏返して、あるいは側面からみればそれほど悪くはないとも言えないでしょうか。つまり、ガラパゴス化は文化の場合と同じように、しばらくすれば大陸では考えられないような、独自の進化を遂げると予想されます。携帯電話が好例でしょう。日本の携帯電話ほど、小型で多機能で、しかも多様な機種が揃っている市場は世界にも類を見ない事でしょう。

市場が限られているだけに、色んな機能も、サービスも試してみやすいという事情もあるでしょう。今は、携帯電話も過渡期だと思われますが、見渡せば世界標準にもなりそうなものもボチボチ現れてきたような気もします。携帯電話フリークではないので、あくまで横目で見た感想ですが・・・。

ところで、投稿者が考えているガラパゴス化は、実は別の意味においてなのです。それは、外部から隔離された環境(閉環境)においては、その環境における問題点も際立つと思うからです。特に、資源の調達限界や廃棄物処理という点においては、間違いなく鮮明になることでしょう。つまり、レアアースの様に、「島」で調達できない資源は、それまでのストックが尽きるともはや手に入らなくなります。廃棄物に至っては、「島」のゴミ捨て場が一杯になったかどうかは、そこに行って直接見さえすれば、即時に理解できるはずです。この国の場合で考えれば、例えば製品や食品の原材料や使用エネルギーを、国産材料・エネルギーと、輸入されたものの割合を、パイグラフで色分けして表示すれば良いのです。そうすれば、この国がC国などとの国際競争に負け、いよいよ輸出するものも減って、従って輸入するお金も稼げなくなった時(本当にガラパゴス化した時)一体何が起こるか、誰の目にも明らかになる事でしょう。私たちは、この島で手に入る資源やエネルギーや食糧の余りの少なさに、愕然とする事でしょう。

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2010年10月23日 (土)

1221 省レア

レアアースの禁輸騒ぎがホットな話題です。待てよ。そういえば同じような状況が前にもあったよな。と古い人たちは思い出すでしょう。近くは、POECの石油の輸出禁止(抑制)で起こった、石油危機でしょうか。その結果、この国でも原油輸入価格が4倍に、石油製品価格が2倍に跳ね上がり、当時バイク少年であった投稿者も、ガソリンを1リットル単位で入れていた事を思い出しました。これに懲りた政府は、石油の備蓄基地を整備する事を決め、九州の喜入や国内各地に、概ね3か月分相当の消費量に当たる量を備蓄したのです。もっとも、その後は石油の消費量が増えたので、今は2か月分位に下がっている可能性もありますが・・・。この方法でも、短期的なショックを和らげる効果はあるでしょうが、長期レンジでの石油価格の上昇には、焼け石に水でしょう。

さて、レアアースです。鉄やアルミが産業のコメで、石油を味噌汁に、半導体や特殊合金をオカズに喩えると、レアアースは産業の調味料でしょうか。醤油や塩やダシや香辛料が手に入らなければ、私たちの食生活はそれこそ味気ないものになるはずです。金属の強度は低下し、半導体産業は競争力を失い、電池やモーターの性能向上に100%依存している電気自動車も、その普及が止まることでしょう。この国は、戦後一貫してB国の傘の下での平和が続いた事もあり、平和ボケがかなり進んでいると指摘され続けてきました。それゆえ、危機管理に関してもピントがズレている感がぬぐいきれません。危機に突入してから行動するのは、地震が揺れ始めてからうろたえて、何をすべきか考えるのと何も変わりません。バナジウムだ、ネオジウムだ、ガリウムだ、○○ウムだと言った材料を、国内でも調達できる材料か、あるいは世界のいくつかの国で産出している手に入れ易い材料で代替できる技術を磨かなければなりません。実は、そのためには膨大な組み合わせを試す必要があるので、非常に金もお金も時間のかかる作業となる筈なのです。

省エネを進めれば、石油はダブつき価格も下がるでしょう。同様に、レアアースの使用量を「省レア技術」を磨いて減らすか、既に使われている製品の含まれるものをリサイクルで取り出すか、他のレアでない元素で代替するか、あるいは裏ワザ的ですが海水にイオンとして溶けているものを取り出すか等の手段で、早急に省レアを達成しなければ、C国に首根っこを押さえられている状況からは脱出できないでしょう。(ちなみに原理的には海水からは金も抽出できます)いまやレアアースは、産業の「人質」になってしまった感があります。

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2010年10月21日 (木)

1220 欲望と夢

どんな人間も、やがては墓石の下に入らなければなりません。許された寿命を何事もなく全うできる人は幸せなのでしょうが、予期せず、望みもしないで事故や生活習慣病などで早々とお隠れになる人もそれなりに多いことでしょう。死んで墓石の下に抱えて持っていけるのは、賽の河原で取られる渡し舟の船賃「六文銭」程度でしょうから、残りはこの世に残していくしかありません。そうであれば、私たちは欲を出し過ぎて、この世の日々の暮らしに、必要でかつ十分なレベル以上のモノやエネルギーを求めるべきではないでしょう。欲張った望みを「欲望」と呼びます。

戦後、世界に門戸が開かれた時、戦中・戦後の貧しい生活を経験した投稿者以上の年配の人たちの夢は、三食腹いっぱい食事をすること、「文化住宅」で良いから家に住む事、兄弟や親せきのお下がりではなく、卸したての衣服を身につけることだった様な気がします。しかし、そんなささやかな夢も、欧米の(特にB国の)文化に(テレビや映画で)触れるにつれて、Aメリカンドリームで大金持ちになり、高級住宅街や億ションと呼ばれた、高層住宅の屋上階に住む事などという欲張った夢が膨らみ、実際株や債券などを転がして、それを実現する人たちも結構増えてきたのでした。右肩上がりの時代は、経済規模がどんどん拡大していく訳ですから、そのパイ拡大のおこぼれを集めて儲けるのは許されたかもしれませんが、パイが縮小しつつある、バブル崩壊後の現代社会では、一人の儲けは、他の多くの人々からの搾取無くしては成り立ちません。つまり、現在の社会では、一人の欲望の満足は、他の多くの人々の苦難の上にしか成立しない状況に至った事を改めて考えてみなければなりません。

欲望は、快適・快楽に対する欲求から生じ、満足されてもそれがますます増大するという、強い依存性があるようです。それが急に断たれると、禁断症状も現れる点、麻薬やドラッグと類似点も多いと感じています。人々は、歩いての移動に疲れると自転車を手に入れ、さらに遠くに出かけるためにバイクを買い、雨の日も、寒い日も快適に移動するために、相対的に値段がドンドン下がって行った車に飛びつきました。しかし一家に一台の車では満足できず、今や一人一台の時代に立ち至った訳です。この欲望にも、環境問題という、外的要因でブレーキは掛かって来てはいますが、では人々が一度手に入れた快適さ(車)を実際に手放すかを考えてみれば、当面それは期待できないものと思われます。むろんタバコ税の大幅値上げの様に、その快楽を享受することに、今の何割増しかのコストが掛かるようになれば、少数の人はそれを手放すかもしれません。実のところ、私たちに今一番必要とされているのは、「欲望を抑制する薬」かも知れません。今の時代、そのような薬も作れるのかもしれませんが、たぶん90%以上の人は、それを望んではいないのでないかとも想像しています。欲望のごく弱いものを、私たちは「夢」と呼んだりしていますので、それが殆どなくなった生活ほど味気ないものもないような気もしますので・・・。たぶん続きます。

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2010年10月19日 (火)

1219 軽小短薄速(即)

よく見ると、軽小短薄の語順が重厚長大と何故か入れ替わっているのは御愛嬌です。投稿者は、語呂は悪くなりますがそれに「速(あるいは即)」を加えてみました。軽小短薄速(即)の動きは、実のところエレクトロニクスの伸張に支えられてきたものでした。真空管がトランジスタに置き換わり、そのトランジスタはICに、ICは更にLSIへと集積度が上がり、小型化(マイクロ化)されてきました。この時期の日本の失敗は、CPUの開発において、B国に先を越され、単純で値段の安いメモリの製造に甘んじた事でしょうか。

一方、産業を支える素材としてみれば、鉄はアルミニウムに、アルミニウムはチタンや複合材へと進化し、強度と剛性を格段に上げましたが、軍事用はいざ知らず、それらが民生品の主材料になる事はありませんでした。速の代表である旅客機は確かに、ほぼ100%アルミの機体に変わりましたが、車の主材料は相変わらず鉄のままに留まっています。JRが打ち上げた、Rニア新幹線にしても、確かに旅客機同様のアルミボディーで軽量化ははかられるのでしょうが、南アルプスを貫くトンネル工事の環境負荷、時速500kmの高速走行を可能にする超伝導磁石の電力や強大な空気抵抗に打ち勝つ推進力を出す「仕掛け」は、とても環境に優しいとは言えない代物です。

さて、今後の社会で軽小短薄速(即)の動きが今以上進展するのかという点ですが、投稿者は否定的です。何故なら、軽小短薄速(即)の動きは、決して環境負荷を下げる方向に働かないからです。例えば、ボーキサイト(主成分はアルミナです)からのアルミの精錬(還元)には、1g1円(日本では約2円)と言われるほどの電力が必要ですし、複合材はと言えば、リサイクル上は最も質の悪い劣等生です。エレクトロニクスは、確かに小型で高速で消費電力も小さくなる方向に今後もズンズン進むのでしょうが、しかしコンピュータ自身がモノを製造してくれる訳でもなく、やはりモノを作るのは、電力を消費する工作機械でありそれらをオペレートするのは、やはり人間であり続けるでしょう。ヒトを機械を監視するだけのつまらない仕事に追いやって、一方で多大なエネルギーを使う自動化・省人化(これは人を「省く」という怖い言葉です)を推進する世の中の動きには、どこかで歯止めが掛かって然るべきだと日々感じています。

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2010年10月17日 (日)

1218 重厚長大

重厚長大は、近代化を象徴する熟語でもあります。戦後の日本の大改革は、農地改革、財閥解体、新憲法発布、シャウプ税制の施行などでしょうが、金融業としての財閥解体やその資本で大きく成長した重厚長大産業の解体は、実は完全には行われなかった様なのです。解体が終了する前に朝鮮戦争が勃発し、アメリカは戦線の後方支援のため大量の物資が必要となり、日本の重厚長大産業に対して、急速な復興と生産量拡大を要求したからです。結局、戦後5-6年ほどで、日本は戦前のピーク時の生産量を回復し、更に増産するため、信じられないほどの勢いで設備投資も行ったのでした。投稿者が生まれた頃の昔の話です。

結果としてみれば、朝鮮戦争や、その後勃発したベトナム戦争などの地域戦争が、アジアの奇跡とも呼ばれる、日本の戦後復興とその後の経済の高度成長を後押しし、加速してくれたのでした。B国は、実は駐留軍を(講和条約後に)縮小して、速やかに撤退する計画だった様ですが、きな臭いアジア情勢と世界を支配した(キューバ危機から始まる)冷戦ムードのなかで、B国軍隊の日本駐留を固定化せざるを得なかったというのが、戦後史から読めるこの国の時代背景なのでした。B国とこの国は、S連崩壊という千載一遇のタイミングでの、軍備縮小と国内基地撤退のチャンスを逃してしまったのかも知れません。

さて、重厚長大産業を下から支えたモノは鉄で、カネは経産省などが旗を降る種々の助成金だったと言えるでしょう。ヒトは、田舎が空っぽになるほどの、都市流入で賄いました。結果として、高度成長のベースには、1億トンまで伸びた、製鉄業の拡大があったはずです。鉄は、船となってあらゆる資源(石油、石炭、鉄鉱石自体など)を輸入する輸送手段となり、また一方では工作機械や車となって、外貨を稼ぎまくる産業のコメとなって拡大の推進力となってきました。鉄は、実際環境にはありふれた原材料でもあります。クラーク数でも地球では4番目に多い元素で、全体の5%弱の割合となっています。その分、例えば砂鉄などの形で、古くから人々に認識され、利用されてもきました。近代製鉄の発展によって、鉄のか還元が木炭からコークスに置き換わり、大規模工業的に行われる様になって以降は、急激にその生産(還元)量が増加しましたが、更にそれを加速したのは、イデオロギー戦争や各地の宗教紛争だったと言えます。戦争は鉄を消費します。艦船、戦車、砲弾等を作っては、一方で戦線ではそれらを惜しげもなく破壊してきたわけです。もちろんあの核爆弾は世界戦争こそ抑制はしてきましたが・・・。たぶん続きます。

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2010年10月15日 (金)

1217 パソコン退院・再入院

入院していたパソコンがやっと退院してきました。入院以前の症状は、パソコンを立ち上げて、デスクトップ画面が出た途端に、電源が勝手に落ちてしまうというものです。セーフモードでは問題なく立ち上がるのですが、何度やっても同じ症状なので、諦めて入院させました。マザーボードと電源装置を換えたとかで、新品を買うより少し安い金額の請求書とともに、無事退院してきました。

喜び勇んで、面倒なソフトウエアの再インストールと各種の初期設定を行い、なんとか元通りに戻った様でした。が、数日後以前と全く同じ症状でダウンしてしまいました。注意して画面のコメントを読むと、どうやら何かのソフトがリソースを馬鹿食いしているとのこと。結局犯人は、無料でダウンロードできるデスクトップ常駐ソフトである「G-グル・デスクトップ」などのようです。試しに、それを削除してみると、どうやら元気を取り戻してくれたのでした。つまりは、パソコン君は、立ち上げ時にデスクトップ画面を表示しようとして、パワーを出し過ぎで、毎朝ストレスを溜めていたようなのです。教訓:タダほど怖いものはない。

やっと直ったと思ってのぬか喜びも1日だけでした。翌朝パソコンを起動したら、パソコンがまたまた修理以前とまったく同じ状態に逆戻りしてしまいました。結局、問題はソフトウェアなどではなく、修理がしっかり行われていなかった事の様なのです。ちなみに請求書だけはしっかり届きましたので、とりあえずは怒りの電話を入れて、再修理を依頼しました。教訓:病気は全快までしっかり治しましょう。

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2010年10月13日 (水)

1216 遠赤ビジネス2

光(可視光)も同じですが、遠赤の本質は「電磁波」です。実のところ電磁波自体も、果たして電波なのか磁波なのか、見当もつかない存在?ではありますが、実際テレビやラジオや携帯電話を使い、電子レンジのお世話になっている私たちとしては、確かにそれが在る?事は認めざるを得ないでしょう。何より、焚き火に手をかざすと、確かに私たちの手に「それ」が届いている事は実感することが可能です。電磁波は、方向性も持っています。だからこそ、「それ」は空間を突き抜けて、エネルギー源から、エネルギーの受け手に向かって、エネルギーを伝えることができるわけです。

しかしながら、実のところ「それ」をコントロールするのは、至難のワザだと言うしかありません。というのも、「それ」は電気などと違って直接蓄えておく事はできませんし、集めたり、反射させたり、止めたりするのも、かなり厄介です。「それ」は、電波でも同様ですが、発生源からあらゆる方向に、広がりますので、集めるにはパラボラ型をした鏡の様なものを使うしかありません。しかし、首尾よく集められたとしても、「それ」の波長は変化しませんので、「使いで」は向上しません。つまり、100℃の物質から出た赤外線で、別のものを100℃以上に熱する事は叶いません。

しかし、考えてみると、私たちは素晴らしい、赤外線の発生源を持っています。お天道様です。お天道様の表面温度は、6000℃程ありますので、これを集めると原理的には数千度の温度を得ることが可能です。実際、3000℃程度の温度が、太陽光反射炉で得られています。凸レンズで集めても、紙が焦げる温度(約300℃)程度には加熱することができます。問題は、そのエネルギー密度です。虫眼鏡で集めた程度では、300℃が得られるのは直径数ミリの円形の中に限られますし、量にしても真夏の昼ごろの直射日光でさえ、平米当たりでも1kw程度のエネルギーしか得られません。100%集められたとして、調理に使うためには、最低でも1㎡程度の面積を有する、凹面鏡が必要となる計算です。でも、それは可能なのです。

いずれにしても、遠赤ビジネスのエネルギー源としては、お天道様以外には考えられません。あとは、それを蓄える、反射させる、食い止める、集めるなどのテクニックを磨いて、それを組み合わせることが必要なだけです。具体的に言えば、蓄熱材、反射材、断熱材、集光装置などの要素技術を磨く事になりそうです。さらに続きそうです

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2010年10月11日 (月)

1215 遠赤ビジネス

遠赤外線(以下遠赤)は環境に溢れている量が多くて、しかも多様なエネルギーだと言えます。問題は、目には見えない事と、どこかに溜めて置くことができない事、更には波長範囲が広すぎて、コントロールできない事くらいのものでしょうか。とは言いながら、人間にとっては暖を取る時や、食糧を調理する時くらいしか使っておらず、お世辞にも有効に活用しているとは言えない状態なのです。赤外線や遠赤は、太陽光に多く含まれる事、焚き火やストーブなどの暖房、焼く(ベーキング、ローストなど)という調理法で利用されている事は、すぐに思い浮かびますが、実のところ、温度を持つすべての物質から、遠赤が放射されている事は思い起こす必要があります。宇宙空間の平均温度は、絶対零度に限りなく近いので、もし太陽が暗くなり、地球内部のマグマが完全に冷えてしまうと、地球の平均温度も絶対零度(0°K=マイナス273℃)近くまで下がってしまうはずです。今、全球の平均気温は15℃(288°K)程度ですから、私たちは絶大な太陽光のパワーと、豊富な地球内部からの熱(地熱)伝達に、文句なしに感謝しなければなりません。

さて、遠赤ビジネスです。それぞれの物質の温度に対応した波長で、それぞれの物質が放っている赤外線や遠赤ですが、実際のところその利用は大変困難です。人間が、今行っているビジネスで、図らずも遠赤を多量に利用しているのは、唯一農林業だけであると言っても言い過ぎではないでしょう。植物は、短い波長の光を使って光合成を行いますが、実は赤外線や遠赤もうまく利用しています。その証拠は、植物の葉の緑色です。植物の葉は、可視光線の赤色に近い赤外線や遠赤を効率よく吸い取ってしまうので、結果として不要な緑色だけを反射しているだけなのです。その巧妙な光合成の仕組みや赤外線や遠赤を利用する仕組みは、だいぶ解明はされては来ていますが、人工葉緑素の合成にさえ成功していない現状の研究レベルは非常に低いと言わざるを得ません。先ずは、植物が何億年も掛けて開発してきた、光や赤外線や遠赤の利用のテクニックに、徹底的に学ぶべきなのでしょう。光や遠赤の利用とそのビジネスは、その先に無限大に広がっています。続きます。

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2010年10月 9日 (土)

1214 RGE25%

また勝手な略語を作ってしまいますが、RGEとはRe-generative Energyの事です。日本語では、再生可能エネルギーや自然エネルギーとも呼ばれます。エネルギーの削減に関して、チームマイナス6%などと、いつまでも誤魔化しては行けません。まずは、チームマイナス50%を結成して、その分科会としてRGE25%が必須となりつつあります。再生可能エネルギーを25%にするのは、そんなに非現実的な提案でもありません。そもそも、エネルギーを半分にする訳ですから、現在のRGEレベルが5%であっても、エネルギーのマイナス50%が達成されれば、自動的にRGE10%に跳ね上がるからです。10%を25%にするには、さらに2倍以上にする必要がありますが、現在のままのエネルギー使用レベルでは、RGE5倍にしなければならないことに比べれば楽なものです。

さてRGE25%へのプロセスですが、まずは太陽熱の最大限の活用が求められでしょう。熱の形で、使われるエネルギーの割合は、非常に多いのではないかと想像しています。家庭生活に限ってみても、炊事・給湯、入浴、冷暖房などが思い浮かびます。その他は、光や洗濯機や掃除機などの動力、加えて冷蔵庫やテレビなどの家電の電力などがあるでしょう。まずは、これらの内の半分でも太陽熱で賄うことができれば、RGE25%は結構近い将来にも実現できそうです。風呂などで使う50℃前後の温水と、調理にも使える100℃を超える温度が得られる太陽熱集熱器(ソーラーコレクター)が必要です。前者は、我が家にもある太陽熱温水器をやや大型化するだけで十分でしょう。通常の容量の太陽熱温水器では、夏場の入浴には十分過ぎますが、冬場では入浴に必要な湯量の1/3程度しか得られません。現在よく目にする太陽熱温水器の2倍程度の容量があれば、晴れた日には、ほぼ十分な量の給湯が可能となるはずです。

問題は、調理に使う熱です。食物の中の澱粉がアルファ化する(米が飯になるには)90℃以上の温度が必要です。平面型のソーラーコレクターでは、60-70℃が目いっぱいなので、何らかの形で、太陽光を何倍かに集光する必要があります。実際にも、凹面鏡(パラボラ)で集光するタイプの、ソーラークッカーも市販されていますが、実用化にはまだ距離があります。南向きの窓の下で太陽光を集める集光器と、集めた熱を台所の調理器に導く、何らかの導熱ダクトの開発が必須です。光ファイバーの様な高価なものでも、火事を出す様な危険なものでも使えません。金属製のパラボラや、内部をピカピカに磨いた金属パイプなどがその候補になるでしょう。給湯と、調理が、太陽熱だけで可能であれば、年間の1/3程度の日数は、現在の半分程度のエネルギーで暮らせる生活が見えてくるでしょう。これでRGE15%以上が実現できるはずです。現在の太陽光発電が主体の路線で5%程度は確保できるとして、残りの5%は小水力なり風力なり、バイオマスなりを、地域の特性に応じて取り入れる事になります。

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2010年10月 7日 (木)

1213 環境の値段

空気やエネルギーや水の値段を突き詰めて考えていくと、結局「環境の値段」を考えてみなくてはなりません。一方では、自然が与えてくれた命や環境に、おこがましくもヒトが値段など付けられるものだろうか、との疑問もあるでしょう。しかし、事実としてこれまで私たちは、環境を殆どただ同然に「消費・浪費」してきた事を思い出す必要があります。水や空気の無節操な使用、あるいは材料やエネルギー源としての過度の森林伐採、焼畑農業などに見られる土壌の濫用など、枚挙にいとまがありません。環境を消費して手に入れた、いわゆる資源や食糧は、殆ど「運び賃+儲け」だけの値段で取引され、消費されてきました。「環境からの収奪」という厳しい表現もありますが、これは、この国の伝統的な態度、「食べ物や材料は自然からの賜り物」という考え方とは、180度ほども異なるアプローチだと言えます。

自然からの収奪では、奪いっぱなしで知らんふりを決め込むのでしょうが、賜り物をありがたく「いただく」ためには、いただいた後に自然を元の状態に戻す努力が不可欠なのです。木を切った山に、元と同じような種類の樹木を植林する、米を収穫した田んぼに、山土やたい肥を補う、自然が増やしてくれる範囲以上には魚介類も採取しないなどの努力を、ご先祖様たちはコツコツと続けてきたのでした。それが、自然から恵みをいただくための、あるいは神としての自然を崇める「唯一で絶対のルール」だったからです。そのルールを破る事は、自然に100%依存する社会では生死を分けるご法度でもありました。

さて、環境に値段をつける事とは、お金を払って環境を取引する事ではありません。環境から、資源や食糧をいただくためには、相応のお金を支払い、そのお金を自然を修復するための活動資金として還流させる事を意味するのです。その意味で、今後必要とされる産業は、農林業でも、工業でもなく「自然環境維持業」、あるいは「自然環境修復業」というカテゴリーの、古くて新しい産業だと言えます。この分野に関わってさえ行けば、100年後も絶対安泰な超優良企業になり得る、と断言しておきます。

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2010年10月 5日 (火)

1212 化石エネルギー半分

1210で提案した、化石エネルギーを半分にカットする、具体的な方法ですが、いくつかにまとめる事が出来ます。

1)頻度を下げる。今、エネルギーを使って、当たり前の様に繰り返している毎日の行動や習慣(Routine)を見直せば、間違いなく大幅な省エネが可能です。例えば、通勤です。一人しか乗っていない車を転がして通勤している人の、ほぼ90%は20㎞以内の通勤距離ではないかと想像しています。多くは10㎞前後でしょう。そうであれば、天気の良い日を選んで、踏ん張って週に数回は自転車通勤を実行すれば、車の燃料は半分にできるでしょう。また例えば、風呂です。夏場は週に数回はシャワーだけで済ませれば、風呂のガス代は半分になるでしょうし、冬場は入浴を一日おきにすれば年間を通じて、半分にできるでしょう。

2)必要性を見直す。いわゆる、エネルギーの仕分けです。企業活動に、あるいは生活を行う上で、どうしても必要なエネルギー(不可欠エネルギー)は、実は3割程度しかありません。残りの7割は、無駄使いしているエネルギーと、自動化や利便性・快適性向上に使われている部分だと言えます。例えば、最近のマシニングセンターなどの工作機械でも、直接金属の加工に費やされているエネルギーはまさしく3割ですし、日常生活でも今の3割のエネルギーで暮らすことは十分可能です。電気掃除機での掃除は週1にし、他の日はホウキで済ませる、あるいは主婦車を止めて、買い物には自転車で行ことで、車は一家に1台にするなどを実行すれば、今の半分のエネルギーでも十分暮らせます。実際にも、エネルギー消費が現在の半分以下で暮らしていた、1970年代半ば以前の暮らしは、決して原始生活でも、不便で我慢が出来ない暮らしでも無かったと振り返っています。

3)手動に戻す。2)にも関連しますが、無くても済むものは、思い切って捨ててしまいましょう。特に自動移動車(車の事です)、電気~機、自動~機などの「機械」を捨ててしまい、自分の手や足で動かす「道具」に戻す訳です。私たちは、便利なモノどもに飛びつき、あまり手足を使わなくなって以降、健康や器用さや工夫する能力など、失ったものがいかに多いか、考えると情けなくて、勿体なくてため息しかでません。

結局、何も面倒な事を考えたり、実行したりする必要はないのかも知れません。必要な事は、進んでしまった時代を、少し巻き戻しをして、かつてのつましい生活を思い出して、少しでも実行するだけで良いのでしょう。追加の削減アイデアが浮かべば、また投稿します。

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2010年10月 3日 (日)

1211 水の値段

最近は、バーチャルウォーターというキーワードが、マスコミにも頻繁に登場しています。水の消費は、日常の炊事に使ったり水まきや風呂や洗濯などのために、蛇口から使う水だけではなく、加えて輸入食糧や輸入製品を作るために使われた、目には見えない農業用水・工業用水(バーチャルウォーター)が、食糧や工業製品と一緒に輸入されたとみなす考え方です。例えば、1トンの穀物を作るためには、乾燥地帯であるアメリカ中西部などでは、1000トンから2000トンほどの灌漑用水が使われている事は事実です。世界の多くの穀倉地帯は、半乾燥地帯(ステップ地帯)と重なっていますので、降雨量は非常に少なく、農業用水のかなりの部分は、実は地下からの汲み上げ水に頼っています。現在の農業用水は基本的にはただで、せいぜい地下からポンプでくみ上げる電力料金が、水の値段だと言っても良いでしょう。

しかしこの地下の水脈の多くは、その地方が盆地か湖だった太古の昔に貯金された水(化石水)であり、補給はほとんど無い事は頭に置いておく必要があります。今はどうにか汲み上げている地下水も、降雨や山脈からの伏流水による補給が無ければやがて涸れてしまいますので、現在の農業は「持続可能性」に照らせば、やがて破局を迎えると考えなければなりません。つまり、どんなにポンプをブン回しても、地下水が最早一滴も上がって来なくなれば、現在の豊かな農場はただの砂漠に戻ってしまうのです。一方、石油井戸はたとえ自噴しなくなっても、別の古い井戸から海水を押しこめば、どうにか石油を絞り出す事が可能です。この点で、石油と真水は入手量の推移において全く異なる性質をもっている訳です。つまり、ジワジワ無くなる石油と、ある日突然出なくなる水、の比較となる訳です。石油には既に値段がありますが、投機的な値段の吊り上げがなければ、徐々に値上がりするでしょう。しかし、もし農業用水にも相応の値段をつけたと仮定すれば、同じ水脈を共有している地域では、水の値段は突然上がるのではなく「いくらお金を積んでも買えなくなる」訳です。突然の、しかも後戻りできない変化を、日本語では「破局」と呼んでいます。

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2010年10月 1日 (金)

1210 エネルギーの値段

エネルギーにより高い値段をつける意味は、空気に値段をつける事と重なる部分もありますが、そうではない意味も大きいとも言えます。同じ部分とは、いわゆる温暖化防止に向けて、エネルギーの大量消費にブレーキを掛けるという事においてです。そうではない部分とは、資源の温存(Preservation)というほどの意味においてです。誰が、作って残しておいてくれた訳でもない地球からの贈り物である化石燃料を、たまたま自国の中にある井戸から湧きだすという理由だけで、市場経済の求めるままに、それを掘り出して売るという行為に歯止めをかけてくれるのは、今のところはエネルギーにより高い価格をつける手段しか無さそうなのです。

前者については、国際間の話し合い(Post京都議定書)に待つところ大ですが、国同士の利害の対立で大きな進展は望めません。後者については、例えば石油資源の枯渇の小さな兆しでもあれば、世界中がパニックに陥り、短期間のうちに投機マネーがどっと動いて、石油価格をぐいと押し上げる可能性はあります。投稿者の期待は、結局は後者のパニックが、急速にしかしどうにか制御可能な(つまりは戦争が起きない)範囲内で発生する事です。

その事態に予め対応する事が、結局は逆立ちしても化石エネルギーが産出できないこの国が、今後の世界で生き残る道なのだと思います。具体的には、ささやかな省エネ行動では全く事足りず、今後必要な姿勢は「脱化石エネ行動」でなければなりません。石油を中心とする化石エネルギーから脱するためには、どう考えても、数十%程度の大幅なエネルギーの削減と同時に、再生可能エネルギーへの依存度を高める事を意味します。それも、急速に事を進める必要があると見ています。まずは、10年もかけない期間で化石エネルギーの比率を半分までカットする必要があるでしょう。いまそれを行わなければ、10年以内にもエネルギー価格が2倍に跳ね上がり、原産の結果、量的にも現在の半分しか輸入できない事態を、手をこまねいて待つ事になると見ています。減らした化石エネルギー分の半分程度は、再生可能エネルギーで賄うのですが、残りの半分は、正味の省エネつまりは脱エネ分となる訳です。

結局、理想的にいえば2020年までに、国の言うようにエネルギー使用を25%減らすのですが、化石エネルギーを半分に減らし、再生可能エネルギーの比率を、25%まで増やし、今の75%レベルまで抑え込むという比率になりそうです。本当に可能かと問われれば、とにかくパニックを避けるためには、やるしかない、という答えになるでしょう。その具体策は、追って提案することとします。

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