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2011年4月30日 (土)

1364 環ビジ65(熱電併給車)

1355で太陽光の熱電ハイブリッドを提案しましたが、エネルギーを熱に変えるシステムでは、ほとんどの場合、熱電併給が有利です。理由は単純で、熱を利用する場合、必ず廃熱が発生するからです。車の場合、燃料をエンジン内のシリンダで爆発的に燃焼させて、その膨張する力だけを利用していますが、排気管やラジエータから捨てられる排熱は、まだかなりのポテンシャルを持っているはずです。ガソリンの燃焼によって生ずるエネルギーの、1/4以下しか車を前進させる事には使われていませんが、排熱を利用すれば家庭用の風呂を何杯も沸かす事が出来るでしょう。今は、それを徒に大気中に捨て、一方では別にガスや電気を使って給湯を行っている訳です。

T社がハイブリッド車に、非常時にも家庭用の電化製品をつなげる100Vコンセントを設けるとか。どうせなら、ラジエータにホースをつないで、風呂が沸かせるコネクターも設けていただきたいものです。災害時には、被災地の避難所にこの種の車を並べれば、数日間くらいなら停電とガス供給停止にも対応可能でしょう。逆に言えば、なぜこの地震の災害大国にこのような目的の熱電併給車が、例えば1000台くらい装備されないのか不思議です。電源車はかき集めれば、この程度はあるのでしょうが、電気を起こせば多量の廃熱も発生するのですから、それで風呂を沸かせば、1か月も風呂に入れない被災者の不幸を無くせるはずなのです。

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2011年4月29日 (金)

1363 環ビジ64(サーモクロミック)

ある種の色素は、温度変化によって色調を変化させます。これをサーモクロミック現象と言いますが、これをペイントの顔料として混ぜ込むと、色が変化するペイントが作れます。このペイントは、寒い冬は太陽光を吸収する様に、黒色に近い色調ですが、逆の太陽の強い夏は、白色に「衣替え」するようにできます。その結果、このペイントを塗った家では、冬暖かく、夏涼しい環境を、エネルギーを使わないで実現できるでしょう。サーモクロミック色素の耐久性は未知数ですが、車の屋根部のペイントにも、その効果が十分期待できます。

これを繊維に混ぜ込むと衣服やカーテンなども、同様に遮熱と吸熱を切り替える事も可能ですし、意匠に使えば、同じ生地の模様をいくつかのパターンに切り替える事も可能でしょう。つまり、冬と春秋と夏に、福野模様が変わるという面白い生地も作れます。投稿者の様に、衣服の手持ち枚数手持ちが少なく面倒くさがりの輩は、ぜひ年中「着た切りスズメ」で済ましたいところです。

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2011年4月28日 (木)

1362 環ビジ63(ハイブリッド鉄道)

これは、ハイブリッドカーの鉄道版です。動力は、基本的動力としては電気モーターか、またはディーゼルエンジンにはなりますが、何とハイブリッドするのかと言えば、それはフライホィールが適当と考えています。鉄道にしても、車にしても、動力の1/3以上は加速時に費やされます。回生ブレーキを追加し減速時にブレーキを掛ける代わりに、フライホイールに動力をか加えれば、それを加速時に「使い回し」できますから、原理的には30%の省エネが実現できるはずです。もちろん、摩擦など機械損失がありますから、実際には20%程度で頭打ちになるかもしれませんが、これまでと同じ走り方をして、丸々20%のエネルギーが削減できれば、これはもうやるしかないでしょう。

同じような仕組みは車や加減速を繰り返す路線バス等でも同様に有効なはずです。一定速度走行の距離が長い超距離トラックには、車体重量が増すデメリットがあるので、あまり有効とはならないとみています。

HVを始め、ハイブリッド化するメリットは、欠点を持つ2つかそれ以上のシステムを、組み合わせる事によって、お互いの弱点を補完し合う点にあります。エネルギーは、基本的には力や熱や電磁波の「流れ」ですから、それを蓄えて置くことは結構難しく、エネルギー効率的にも決して有利とは言えませんが、だからこそそれが出来れば、メリットも非常に大きくなる訳です。

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2011年4月27日 (水)

1361 環ビジ62(リヤカー配送)

今回の震災でも、発災初期には支援物資の配送で、大きな混乱がありました。原因は、被災地で大量に発生した瓦礫の山です。津波による瓦礫は、震災による瓦礫の量とは比べるべくもありませんが、例えば、流された材木や柱がたった1本道を塞いだだけでも、車による配送では先へは進めません。そこで活躍するのは、実のところは人力しかないのです。どうにか、道がつながっていれば、そこまでは車で、そこから先はリヤカーに積み替えます。このリヤカーは、車いすの仕組みを活用して収納時はコンパクト畳めるもので、簡単に車に積めます。これを広げて、物資を小分けにして、車が進めない被災地に分け入ります。さらに瓦礫が邪魔をするようであれば、そこから先は背負子に荷物を括りつけて、いよいよ足で歩くしかないでしょう。この仕組みは、実は都市でも有効です。実際、ビル街や狭い商店街などでは今でもリヤカー配送がかなり行われていますが、もう一段進めても良いでしょう。具体的には、中心市街地の外側に配送車が駐車できるスペースを確保して、そこから先は配送車が立ち入らないゾーンを設定します。宅配便は、ここで荷物を積み替えて、中心市街地の店舗やオフィスに配送を行う仕組みとします。住宅地でも、その地域を担当する主婦や高齢者が、時間を掛けて地域の宅配を引き受ける様にすれば、その地域の騒音や排気ガスも少なくなり、住宅地としてのクオリティも向上するでしょう。

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2011年4月26日 (火)

1360 環ビジ61(鉄道トラック)

これも、かなり以前に、長くながく連なった鉄道コンテナ列車の通過を踏切で待ちながらボンヤリ考えたアイデアです。鉄道コンテナは、想像するに各地にある鉄道コンテナ駅にある引き込み線のあるコンテナヤードで、フォークリフトなどを使いながら、積み込みと積み下ろしが行われているのでしょう。しかし、これではあまりに非効率で、固定的な大口荷主(メーカー間の部品のやり取りや大規模問屋への配送等)にしか使えない硬直化したシステムになります。

そうではなくて、鉄道は最も効率的な輸送手段の一つなのですから、この国の鉄道網はもっともっと活用されて然るべきなのです。具体的には、どの駅でも鉄道コンテナの積み下ろしができるように、システムを変えてしまいましょう。現在のホームを少し延長し、コンテナの積み下ろしにも使います。そのホーム横には、道路が引き込んであり、台車だけのトラックが横付けできるようになっています。ホームにはコンテナを列車から短時間(数分)で積みおろしできるような、自動化されたクレーンを設置しておきます。ローカルの駅では、たぶんコンテナ数個程度の積み下ろししかないでしょうから、列車運行を乱すこともほとんどないでしょう。

つまり、これは30m間隔でつながる高速道路のトラックコンボイの替わりに、コンテナだけをぎっしりと数百個積んだ長いトラックだと考えれば良いのです。運転手は助手も入れて二人で済みます。高速道路の渋滞も、連休時などを除けばほとんど問題無くなるでしょうし、定時性も格段に向上するでしょう。

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2011年4月25日 (月)

1359 環ビジ60(水上トラック)

10年ほど前に高速道路を走っているときに発想したアイデアです。その時は夜間でしたが、気が付くと周りは全て長距離トラックに囲まれていました。数十メートルの間隔で、夜の高速道路を疾走するトラック軍団(コンボイ)を眺めながら、何かが間違っていると感じました。考えてみると、高速道路網が整備される以前のこの国は、鉄道と海運大国であったはずです。高速道路は、高度成長期の波に乗ろうとした建設業界(ゼネコン)と国土・交通運輸族議員の努力の産物です。T首相の「列島改造計画」に基づいて、結局は四国には3本もの橋が掛かり、列島の隅々まで高速道路が延びました。

しかし、何度も書きますがゴムタイヤを使う輸送システムは、1トン当たりの貨物に換算すれば鉄道より一桁多いエネルギーを消費しますし、船に比べればさらに一桁跳ね上がる非効率な輸送手段なのです。ここでの提案は、ほとんど規格的に見える「トラックのアルミバン」を、完全に規格化して、しかも取り外し式にするというものです。外したコンテナは、専用のコンテナ船に積んで都市間を移動させれば、今の何十分の1かのエネルギーで、モノの移動ができる事になります。鉄製の舶用コンテナと異なり、アルミコンテナは強度が低いので、平積みにはなりますが、却ってその方が、自動化して短時間で積み下ろしを完了させたいという目的には好都合です。夕方にコンテナを港に集めて積み込み、夜間に船を走らせ、翌朝には目的地に着いているでしょうから、地元のトラック台車に乗せると想定しても、今と同じ程度の宅配スピードを確保できるでしょう。時には低気圧や台風の通過を待つために1日か2日程度の遅延は起こるかもしれませんが…。それは、省エネのためのささやかな代償だと割り切るしかないのです。

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2011年4月24日 (日)

1358 環ビジ59(マイクロ水力補足)

1532に質問的コメントが付いたので、少し補足しておきます。エネルギーの地産地消において便利さや安定性を追求しては本末転倒になります。何時でも、スイッチを入れさえすれば、全ての需要家で、好きなだけ電力が使える、という理想を追求した結果が、化石燃料を多量に燃やし、それでもまだ足りなくなり、原発を多数建設しなければならなかったという現在の事態を招いたのだ、と見方を変えるべきでしょう。電力の様に便利なエネルギーを手に入れるためには、本来大変な努力を要するはずなのです。なぜなら、熱を熱として利用するのであれば、方法にもよりますがほぼ100%利用可能です。しかし、熱を電力に変えるためには、高熱源から低熱源に「半分以上の熱を捨てる」事によってのみ可能だからです。事実、火力発電所の熱効率(石油や石炭の持っている熱量を電力に変える効率)は40%を少し超える程度しかありません。残りの熱量は、煙突や冷却水に捨てられ、無為に大気や海水を暖め続ける事になります。

使うのに便利で、作るのに大変な電力を地産地消しようとする場合、その供給がやや不安定でも辛抱しなければならないでしょう。負荷を掛けすぎると電圧が下がって、モーターの回転数が下がり、或いは電灯が暗くなる事によって、需要家はエネルギーの使い過ぎを「実感」できる訳です。水力の場合、確かに渇水期には発電能力が下がるでしょう。一方、渇水期には逆に太陽光が元気なはずですから、補完的に太陽光を利用すれば良いのです。ただし、水力や太陽光で電力を作り、その電力でお湯を沸かす、などという愚行は絶対避けなければなりません。T電が強力に進めるAール電化なんかはくそくらえです。電力は、作るのには最も不便で、最も効率の悪いエネルギーの形態だと再認識した上で、遠慮しながら慎ましく使用すべきです。

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2011年4月23日 (土)

1357 環ビジ58(ソーラーポンド2)

このブログでも、かなり以前にソーラーポンドの紹介をしたような気がします。夏の間に大きな池の底に、季節を超えて多量の熱を蓄えておき、冬にその熱で暖房をしてしまおうという目論見です。日本でもこの目的で、北海道に実証施設が作られているようです。ここでは、晴れた日の昼間にエネルギーを蓄えておいて、夜間や雨天の日にも安定的に発電が可能となるシステムを提案しておきます。

発電効率は、高熱源と低熱源の温度差が大きいほど高くなります。したがって、例えば5-60℃の温水と、環境温度である20℃前後との温度差では、その効率はずいぶん低くなるので、実用的ではありません。この目的のソーラーポンドでは、蓄熱媒体としては、たぶん比較的低い温度で融ける溶融塩が有望です。最近、効率の高い蓄電池の電解液としてナトリウム溶融塩が注目されていますが、同様のものが使えそうです。この溶融塩は、理想的には数百℃程度には加熱したいものです。そのためには、太陽光をある程度集光する必要もありますが、それも反射鏡などを使えば、比較的簡単に実現できるはずです。小さな池の上に桁が掛かっており、その上に反射鏡を乗せて、池の周りの反射鏡で集めた光を池の中の液体に照射する、というイメージです。

対流によって表面から無為に逆放射のエネルギーロスが生じないように、溶融塩には透明で断熱性の液体の蓋をしておきます。溶融塩を、200℃以上に加熱できれば、この熱を使った熱機関の効率はかなり大きくできます。その熱を使った、熱機関に関しては別の機会に提案する事にします。

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2011年4月22日 (金)

1356 安全性と経済性

技術屋を卒業してしみじみ感じるのは、技術屋とは安全性を削って、経済性を成り立たせるために、しこしこ努力しなければならない辛い存在だという事です。例を挙げれば、例えば航空機の製造があります。もし、乱気流に巻き込まれようが、宙返りをしようが壊れない飛行機を設計しようと目論む技術屋には、絶対に実用的な旅客機の設計はできないでしょう。それは、戦闘機の様な頑丈さになるでしょうから、大きな機体でも数人の乗客しか乗って貰えない代物になるからです。そこで、恐るおそる安全率を削り、それなりの理屈をこねた試験を繰り返し、なんとか通常の気象条件であれば飛べると考えた仕掛けが、今飛んでいる旅客機の姿だと言えます。それは、身近なものに例えるなら、さながら「アルミの張子」であると言っても良いでしょう。もちろん、格好をつける技術者は、それを「経済性と安全性の絶妙なバランス」などと、ノタマウかもしれませんが…。

さて原発です。有史以来の天変地異だけでも、この国や世界のそここそでは、台風やハリケーンなどの風水害や地震や津波や磁気嵐や、隕石落下などなど、数えきれないほどの天変地異があったはずです。それ以前に遡れば、大陸が移動してくっついたり離れたりしてきたはずです。そんな物騒で頼りない陸地に建設された建物が「絶対に」安全であるはずはありません。少なくとも、隕石が原子炉を直撃しない保証はありませんし、過激派が旅客機を乗っ取って突入しないという保証もありません。

では少なくとも津波や高波の心配が無いように、小高い山でも削ってその上に原発を建設すれば良さそうなものですが、それでは大量に必要となる冷却水を、「安いコスト」で調達できなくなります。たぶん毎秒数十トンも必要となる冷却水(海水)を、50mの高台に送る動力を考えれば、原発で作った電力の例えば5%を犠牲にしなければならないでしょう。これでは、電力会社の「経済性」を著しく損ねます。また、放射能を帯びた燃料や、燃えカスを運搬するにも、陸路を通るより、専用の岸壁に船を横付けする方が、「経済的」で通常の場合は安全です。したがって結果としては、国内の全ての原発が、いざという時にも「避難民が最少となる様な過疎地域」の臨海に立地している訳です。フクシマが、安全性より経済性の方に過度に傾いた、やばい施設であったかどうかの総括は、いずれ明らかにされるはずです。

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2011年4月21日 (木)

1355 環ビジ57(光・熱ハイブリッド)

太陽光の利用において、ひたすら太陽光発電だけを追求するのは、片手落ちです。地球に届く太陽光のスペクトルは、非常に幅広くなっていて、チリやオゾンや水蒸気によって、歯抜けの様にギザギザにはなっていますが、それでも十分に多様性に富んでいます。

太陽からの光(一般化して言えば電磁波)は、紫外線から可視光、遠赤外線まで幅が広いので、その活用も波長に応じて太陽光発電の1段だけではなく、多段階に活用すべきなのです。多段階で使うには一応のルールがあります。それは、光の波長が短い(エネルギーレベルが高い)順に使う、という単純なものです。紫外線は、非常に高エネルギーレベルの電磁波ですが、他方で非常に減衰し易く散乱もし易いという弱点も持っています。したがって、大気中の小さい分子であるオゾンやチリで、かなりの部分が減衰してしまいます。そこで、先ずこれは太陽光発電など、高いエネルギーレベルの光を要求する用途に使います。また光触媒を使った、汚れ物質の分解や水の触媒分解による水素発生などにも使えるでしょう。

一方で、赤外線や遠赤外線などの波長の長い電磁波は、水蒸気の様な大きな分子にはある程度吸収されてしまいますが、場合によって物質中を、波長を変えながらも透過し伝播もします。例えば、建物の鉄板やスレートでできた屋根などは、苦も無く通過してしまう訳です。そこでハイブリッドです。上記の紫外光を使う用途には、「半透明の素子」を使い、赤外線の多くを透過させます。赤外光は、その下で黒色の太陽熱利用機器でしっかり受け止め、熱としても最大限利用します。この結果、太陽光の総合的なエネルギー利用効率は、50%近くに跳ね上がる事になります。

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2011年4月20日 (水)

1354 何かが違う

フクシマの原発事故を承けて、各地の原発でも津波対策が計画されています。いわく、非常用電源車を高台に設置する、また高さ15mの防波堤を建設する、緊急時に冷却水を供給する消防車を配置するなどなど。しかし、何かが間違っている様な気がします。電源喪失は確かに非常用発電機や電源車で対策はできますが、ポンプを動かすモーター自体が水没した場合には、現在考えられているどんな対策も無力です。

良い例を挙げましょう。原油タンカーには原油を移送するための大きなポンプが設置されていますが、ポンプ室には実はポンプを動かすための原動機(多くの場合は蒸気タービン)は設置されていません。原動機は、隔壁を隔てた機関室内にあり、ポンプ室に水や油が充満しても、ポンプは動かし続ける事が出来るようになっているのです。

さて原発です。15m以上の津波対策を施しても、16mの津波が襲来したら、防波堤は無力です。通常低い場所に設置されているポンプのモーターも冠水し、フクシマの二の舞になる筈です。そうではなく、ポンプはそのままで良いので、台を作ってモーターを20m以上高い場所に設置すれば良いのです。ポンプとモーターは、長いながいシャフトでつなぎます。理想的には、モーターは水密区画に入れ込んでしまうのが良いでしょう。モーターさえ健全なら、外部電源をつなげば直ちに原子炉内に送水できるでしょう。今回のフクシマでも、外部電源をつないだ後で、モーターの絶縁が低下している事が判明し、結局は動きませんでした。今各地で行われようとしている津波対策は、根本策にはなっていません。

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2011年4月19日 (火)

1353 環ビジ56(木材複合材)

複合材とは、例えば引っ張り強さに優れる繊維と、圧縮強度に優れるエポキシ樹脂を組み合わせて、あらゆる方向の荷重に強い材料とすることを指します。繊維としてカーボン繊維を使ったものをCFRPと呼びますが、しかし使用済みのCFRPは、無為に燃やしてしまうしか処理方法がありません。しかも有害なガスが出やすいエポキシ樹脂を含んでいます。

では、木材を繊維として使った複合材は考えられるでしょうか。木材は、実は繊維方向の引っ張り強度に加え、圧縮強度も十分あると考えても良い材料なのです。細くて高い塔を建設する場合、比重と圧縮の比強度を考えれば、実は鉄よりも木材に利があるとの建築家の試算もあるくらいです。つまり鉄を使った塔では、自重により根元に使われた材料に座屈が生ずるため、仕方なくピラミッドの様に土台部分を広くしておく必要があるからです。

さて、木材複合材ですが、せっかくの天然材料の結合に石油系の接着剤を使うわけにはいきません。天然素材から作った「ノリ」を検討すべきでしょう。水に溶けるノリだからと言って、出来た複合材が水に弱いものとなると考えるのは早計です。ある程度の温度を掛けて、水分子を追い出すと、最早水分にはフヤケない性質を持つノリはいくつか存在します。木材は、(鉋屑の様に)薄く剥いでランダムな方向に積層し、このノリで固めます。この材料で、合板と柱や梁を造れば、少なくとも骨組みだけは津波や水害でも流されない強固な建物を作ることも十分可能でしょう。その材料は、日本の山に豊富に賦存します。復興のついでに、新しい産業も興してしまいましょう。

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2011年4月18日 (月)

1352 環ビジ55(マイクロ水力)

原発を全廃すると仮定した場合、今のエネルギー使用水準が維持できるはずもありません。それをカバーするほどの火力発電所を建設すれば、大気中への二酸化炭素排出を加速するだけでなく、石油の需給状態も逼迫する事になるでしょうから、世界の経済秩序も乱しますからもちろん大幅な省エネ行動は必須です。その上で、エネルギー源の多様化を急いで進める必要もあるのです。それは、省エネ行動には矛盾する様にも見えますが、何よりエネルギーのある内に、次のエネルギー源を開拓しなければならないという台所事情があるからです。原発や火力発電所が電気の力で建設されたものでない事は小学生でも理解できます。それらは、重機と呼ばれる建設機械を動かすため、多量の石油を使って作られたはずです。

それはさておき、ここでは、少しでも水の流れが利用できる地域で、その流れからささやかでも電力や動力を取り出す仕掛けである「マイクロ水力利用」について少し書いておきます。1本の直径が10mもある導水管で、1台あたり100万kwの発電能力がある発電機が19基もある、ブラジルのイタイプダムはさておいて、この国では直径3mもあれば、結構大きな発電設備だと思われています。つまりは、10万kwの出力の発電タービンは大きい部類に入る訳です。マイクロ水力発電とは、厳密な定義がある訳でもないのでしょうが、100kw以下の出力、投稿者的には数kw程度の出力をイメージしています。

この程度であれば、ちょっと水量のある堰でもなんとかなりますし、ゴミが引っかからない下掛け水車を採用すれば、たとえ農業用水でも利用可能です。水路を堰き止めてヘッド(水頭)を作ったり、面倒な導水管を設置したりするのではなく、ここでは水路の上に梯子を渡して、その上に発電機が載っている、というイメージの小型水車を、投稿者なりのマイクロ水車と呼んでおきます。1台の出力は数kwでも、これを100台も並べれば数百kwの立派な小規模発電所になります。つまり、立地条件の厳しい小水力発電ではなく、多数のマイクロ発電により「エネルギーの地産地消」を実現する訳です。雪解け水のない太平洋側の地域では、もちろん太陽光発電でカバーします。

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2011年4月17日 (日)

1351 環ビジ54 放射能固定植物

原発のお膝元である福島県や近隣県では、農地の放射能汚染が深刻になりつつあります。放射能の除去には、格納容器や冷却プールに残された燃料棒を含め、まずはそれらを除去して隔離する、拡散したものは洗い流して薄める、自然減少(半減期)をひたすら待つなどが考えられますが、より前向きな方法としては1350でも書いたバイオレメディエーション(bioremediation)が最有力です。これまでに知られていた、放射能除去に有用な植物もすでに見つかっているのでしょうが、投稿者の提案は、新たな植物の探索です。

少し別の方向ですが、例えば原油流出現場やダイオキシン濃度が高い地域、或いはPCBに汚染された土壌などでは、間違いなくそれらの汚染に強く、逆にそれらを利用する様な、微生物や植物の突然変異体が見つかるはずなのです。放射性物質は、低濃度ですが自然に広く分布しているものなのですが、原発事故や原水爆から放出される「人工放射能」に関しては、既に人工放射能が放出されてしまった、事故現場や実験現場に当たってみる必要があります。そこで見つかるであろう、根や葉や体内に放射性物質をしっかり抱え込む性質を持つ植物や微生物を探して、汚染地域で試験栽培(培養)してみる必要があります。

同時に、放射能除去は、塩害除去よりはさらなる長期戦を覚悟する必要がありますので、産官学が、海外の人材も頼んで、しっかりした態勢を構える事も求められるはずです。仮に、ある企業がそれを高い連ベルで成し遂げる事が出来たと仮定すれば、間違いなくそれは「環境ビジネス」の大きな柱の一つになる筈です。

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2011年4月16日 (土)

1350 環ビジ53 津波被害農地の脱塩

津波被害を受けた農地は、海水をたっぷり被っているため、今後長く塩害に悩まされる事になります。しかしながら、オランダやこの国には、長い干拓の歴史があり、干上がった干拓地での農業開始時には、塩害との厳しい戦いの歴史もあったはずなのです。その知恵のエッセンスを使えば、比較的短期間のうちに、塩害から抜け出すことも可能でしょう。もちろん、淡水を導いて塩分を洗い流す基本的な手法も行われるでしょう。

より深い土壌中の塩分を取り除くには、塩分に強く、土壌から塩分を根から吸い上げてくれる植物の栽培が必要かもしれません。乾燥地で栽培がおこなわれる様な作物は一般的には塩害に強いと思われます。乾燥地では、河川水や地下水による灌漑の結果、灌漑水中に含まれる塩分が濃縮し土壌の塩分濃度が高くなっているからです。もちろん、食料などとして利用できる作物が栽培できればベストですが、収穫は無くとも、塩分吸い上げ能力が高い植物を数年間栽培するのも一方法です。それらは、たとえ食料には出来なくとも、パルプか燃料くらいには使えるでしょう。塩素を含んでいるので、この燃焼ガスからは多少のダイオキシンが出るかもしれませんが、短期間の話なので、多少の事には目をつぶりましょう。まずは農地を回復させて、食料を確保する事が先決ですから。

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2011年4月15日 (金)

1349 地熱発電としての原発

原発は、いわゆる化石燃料とは異なり、温暖化に無関係な「クリーンなエネルギー」であると言われ続けてきました。しかし、原子力も実は立派な化石エネルギーである事は疑いがありません。地殻の中には、多くの天然の核物質が埋め込まれています。そのいくつかは、億年という単位でみれば天然の原子炉となって、核分裂反応を繰り返してもきたでしょう。(例えば、アフリカのオクロ鉱床に実例あり)日本でも、岡山の人形峠でのウランの鉱山跡や、各地のラジウム温泉などの付近では、天然の放射能や放射性物質が観察されるはずです。多くの場所での地熱の源となっているエネルギーのかなりの部分は、実は地底の天然原発(放射性物質の崩壊熱)の贈り物でもあるのでしょう。

一方、今ある原発は、化石として薄く分布してその影響が最小限に弱めていた放射性物質を、わざわざ地底から掘り出して、何万倍にも濃縮したうえで、地上で改めて「地熱発電」を始めたシステムだ、とも言えるでしょう。濃縮した核物質が引き起こす猛烈な核分裂のエネルギーを、薄い鉄の圧力容器と精々数メートル厚さのコンクリート如きの二重のバリア程度で封じ込める事が出来ると考えたのは、技術屋の不見識(あるいは事務屋との経済性の議論に負けた結果?)であったと素直に認めなければならないと思います。さらに言えば、発生させた蒸気を冷やして水に戻すためとはいえ、復水器に海水を導入し易さだけを考え、安易に標高の低い海岸部に原発建設を許した責任は、原発技術者に加え、地質学者や津波を含む災害の専門家も免れ得ません。

化石燃料の多量消費の結果としてのCO2増加(CO2汚染)によると言われる温暖化と放射性物質による大気や土壌や水の放射能汚染の、どちらが深刻な汚染であるかは言うまでもありませんが、その差は実は50歩と1000歩程度の差かもしれません。つまり、その悪影響が数年間に集中的に出るか、或いは数十年スパンでジワジワ出てくるかの、長い時間のスパンで見れば、ホンの僅かな違いだとも言えるからです。放射性物質様には、元の地底に戻っていただき、ジワジワ地熱を出して貰って、私たちはお裾分けの温泉くらいで我慢しましょうか。

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2011年4月14日 (木)

1348 地震の巣

3.11地震の震央を中心とする南北500㎞の範囲内での余震が治まりません。一昨日は東京へ日帰りで往復しましたが、運の悪い事に朝夕の往き返りとも余震の影響を受けて、それぞれ15分程度の停電停止に遭遇し、初めて新幹線の「カンヅメ」を経験しました。往きは、車中でラジオを聴いていたのですが、NHKの緊急地震情報が出てすぐに減速が始まり、その数秒後に停電停止が起こりましたから、確かに新幹線の地震P波による「緊急停止システム」は正常に機能していることを、身を以て確認できました。

さて余震です。私たちの暮らしている陸地が載っている地殻そのものは極々薄いもので、精々100㎞程度しかないでしょう。さらに、地殻の下に地殻(プレート)が潜り込んでいる様な、日本近海の地殻の「エッジ」では、その厚みは削り取られて楔の様になりさらに薄くなっているはずです。したがって、その摩擦面で発生する地震震源の深度も精々数十㎞となっているのです。しかも、プレートは三陸沖からすぐに潜り込んでいるのではなく、日本列島の下をしばらく進んでから、徐々に沈降していきます。その間の強烈な地殻運動のエネルギーは、地殻の底でマグマを造りだし、そのエネルギーが東北の各地の火山や温泉となって地表に噴出してきます。例えば、岩手県でも岩手山は立派な活火山で、山麓には新しい溶岩流が観察されます。投稿者の故郷である日本海側でも、鳥海山は現在活動を休んでいますが代表的な火山です。極端に例えるなら、日本列島は地殻のエッジにできた、細長いシワであると言ってもそんなに間違いではないでしょう。

また、三陸のリヤス式の海岸線は、北欧のフィヨルドを彷彿とさせる一方で、多くの「溺れ谷」の集合である様にも見えますが、太古から数十メートルの地殻陥没を含む活発な地殻運動が起こっていたのかもしれません。まさに、三陸は地殻と海洋プレートのせめぎあいの最前線であったという事なのでしょう。地震の巣に棲む「ナマズ大王様」も、地殻と海洋プレートの「収まり」が良くなれば、また数百年の眠りに入るのでしょうが、ここ1年くらいは、さらに地震の巣の中をモゾモゾと蠢くのかもしれません。

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2011年4月13日 (水)

1347 環ビジ52(コンクリート延命)

コンクリートは、砂や砂利(骨材)と石灰岩を原料とするセメントで作られた「複合材」だとも言えます。しかも、その原料は環境にありふれたものだけで作られている事もあり、人工材料でありながら、限りなく「環境材料」に近いものだと言っても良いでしょう。

しかしながら、コンクリートの建造物にも寿命があるように見えます。例えば、高度成長期に雨後の竹の子のように作られた、鉄筋コンクリートのアパートなどは、その多くが建て替え時期と「判断」され、スクラップ&ビルドの対象となっています。ではなぜ建て替え要と判断されたかと言えば、それは鉄筋の腐食とそれに伴うひび割れでしょう。ただしこれは、単なる素人の推測です。鉄筋の腐食は、実は結果であって、原因は酸性雨によるセメント成分の溶出にあると言われています。つまり、本来アルカリ性であるコンクリートが、酸性雨により鍾乳洞の様にCa成分が溶かし出されて、結果として鉄筋が酸性に傾いた水に晒される結果、急激に腐食が進むというメカニズムです。腐食した鉄分(酸化鉄)は、体積が拡大する結果、コンプリートを内から破壊します。もう一つのコンクリートの寿命短縮の要素は、高度成長期の建設ラッシュで、供給が間に合わなくなった川砂に替えて、大量に手に入る海砂が使われたことがあります。コンクリート中の塩分は、鉄筋の腐食をかなり加速させたことでしょう。

さて、コンクリートの延命アイデアです。一つには、鉄筋の腐食を遅らせる方策でしょう。鉄さびには赤さびと黒さびがあります。ややこしい話はさておいて、赤さびは進行しますが、黒さびは安定化している事を利用します。例えば、赤さびが発生した鉄筋に対して、黒さび化させる薬剤を、コンクリートを通して浸透させる方法が考えられます。もう一つは、コンクリートの脱灰を防ぐ手立てです。これは、単にコンプリート表面に水を通さないコーティングを施すだけでは足りません。コンクリート中のCaを安定化させる薬剤を内部まで浸透させる必要がある訳です。それを浸透させるルートは、実は雨水が侵入した経路を探せば見つかるでしょう。コンクリートの脱灰、鉄筋の腐食を早期に発見する手法の開発も重要です。サーモグラフィによる水侵入の経路観察や鉄筋の腐食による発熱観察、超音波探傷技術を利用したコンクリート内部の密度・ポーラスの測定などが有効でしょう。

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2011年4月11日 (月)

1346 文明の転換点

今回の震災・津波・原発災害の、初期のショックは静まり収まりありますが、ここにきて20世紀型の文明(化石燃料=石油文明、ここ数十年は原子力文明)への見直し論が盛んになりつつあります。高度成長期までは、この国は石炭と石油エネルギーで乗り切ってきました。しかし、産油国の反乱の結果ともいえる、オイルショックの勃発とその影響に懲りた先進国は、原子力発電拡大に向けて急速に舵を切ったのでした。石油が採れず、E国やB国の石油メジャーの動きにも乗り損ねたF国は、なんと全電力の80%を原発だけで生み出すことになった訳です。

考えてみれば1970年代中盤までは、産業向けのエネルギー量としては。水力+火力でほぼ足りていたはずなのですが、その後数多く建設された原発から送られる事になった電力は、専ら私たちの暮らしの利便や快適さを追求するために費やされたとみても、そんなに見当違いではないでしょう。原子力の拡大に伴って、火力発電に回されていた石油は、一家に2-3台にも増えた乗用車や委託した翌日には配送される「過剰に便利な宅配便」の増便やさらにはプラスチックの原料など多用され、さらに余裕のできた電力を使っては、工場やオフィスや住宅の、過度な電化や冷暖房が行われる事になったのでしょう。

しかし、今回の地震や津波や原発事故は、これらの20世紀人の思い上がりを強烈に打ち砕いた、と言っても過言ではないでしょう。その意味では、厳しい見方にはなるのでしょうが、今日の状況は「災いを転じて、文明の見直し」につなげる好機だと捉え直すべき時かもしれません。見直すべき方向は明らかです。それは、より環境やヒトを含む生物に安全でしかも持続可能性高い方向しかないでしょう。このブログも、そんな提言だけを日々書いているのだ、と言っておきます。

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2011年4月10日 (日)

1345 白黒二値

環境汚染を考える時、安全と危険という、いわゆる「白黒二値」では説明できません。何故なら、汚染度を計測して数値化した場合、汚染の拡散の度合いにより、白と黒の間には、限りない明度差を持つ「灰色」領域が広がっているからです。限りなく白い灰色は白、同じく濃い灰色は黒とすることができるでしょうが、例えば全く中間の明度を持つ灰色は、白なのでしょうか黒なのでしょうか。算数であれば「四捨五入」で割り切って、0.51であると言い切り、0.4はゼロであるとするのでしょうが、では放射能の暫定基準を仮に0.45とした場合、これは全くシロで、隣町で計測された0.51はクロと決めて良いのか、という疑問に苛まれます。それは、微妙なグラデーションを持った写真を、データ量を圧縮するために、白黒二値でスキャンした場合の画像を見る違和感と同じ種類のものでしょう。

暫定基準は決して安全基準ではない事を改めて認識すべきでしょう。かつて、公害問題が「華やかなりし頃」いくつもの、公害対策法が施行されました。それらで採用された安全とされた基準は、報道されている放射能の暫定基準とレベル的に違うものではなく、いくつかの動物実験や、健康被害調査結果などを、適当に組み合わせた「暫定値」でしかないと想像しています。もちろん、汚染はゼロが理想ではありますが、一方では「それではモノが作れない」、それでは「コストが掛かりすぎて現実的ではない」という技術屋や経済界との「妥協の産物値」を決める必要があった訳です。

その妥協は、四捨五入とすべきか、業界の意向をくみ取って三捨四入とすべきか、或いは消費者の安全をより重視し五捨六入とすべきか、は全く妥協点の探り合いの中から生まれた数字のはずです。いわゆる四大公害に代表される、水質、大気汚染などに比べれば、地域拡大性、重大で長期に亘る健康被害を考えれば、白黒二値の境界は、可能な限り人間に安全な側に設定すべきでしょう。事故後、原発から80㎞以遠圏への避難を指示したB国や、日本からの脱出を指示したヨーロッパの国々の指示を、大げさ過ぎると笑うことはできないでしょう。

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2011年4月 9日 (土)

1344 モノ金に頼らない幸せ

お金もそうですが、モノに関しても、このブログでは何度も書いてきました。たどり着いた結論は、モノ(や金)の追及は、結局は人を不幸に導くという、単純なものです。しかし、それは決して霞を食って生きろ、という極端で短絡的な結論ではありません。そうではなく、必要最小限のモノ(やそれを得る手段としての金)で満足する、慎ましさを身に着けるという事で実現できる幸福の話なのです。

人間は「最低限」何があれば幸福に生きられるか、について時々考えます。前にも書いた気もしますが、この年齢まで生きてきて得た結論は、それは「必要かつ最小限の食物」と、「人々と絆で繋がって、出来れば周りに頼りにされて生きる満足感=生きがい」の二つだというものです。美食に楽しみを求める人は、生きがいの意味をはき違えている、としか言えません。動物は、生きるために食物を探し、しかし餌場のエサを決して食い尽くさない程度に留めて、慎ましく食事をします。振り返って、食料に事欠かない生活を送っている動物園の動物の幸福度を誰が推し測っているでしょう。オリの中で自由度を奪われた生活代償としては、食料が食い残すほど与えられても、野山での生活での幸福感を代替はとてもできないと想像しています。

さて、食料と生きがいがあれば、モノは要らないのか、と問われれば、それはYESと答えておきます。江戸時代の長屋生活は、落語の中でしか詳しくは語られませんが、柳梱に入る程度の少ない数の着物や鍋釜、薄い布団以外は、たぶん殆どが「借り物」で済ませていたと想像しています。同じように先代からの寺を「預かっている」住職以外で僧職に入ったお坊さんも、モノを持たない生活を実行している「見本」と言えるでしょう。モノを持たず、檀家に慕われてその喜捨で暮らしている坊さんの幸福度は、かなり高いのではないかと、密かに羨んでいます。所詮モノとは、生きている間だけの「借り物」であると考えれば、モノに固執する気も起きないでしょう。

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2011年4月 8日 (金)

1343 農業の工場化

1342で、不用意に農業の工場化という言葉を使いましたが、少し補足が必要でしょう。現在でも、葉物野菜に限定すれば、人工照明を使った密閉空間で無菌栽培がおこなわれており、「野菜工場」などと呼ばれて注目されています。しかし、本来工場とは原料の形や性質を、工業的な技術を使って改変し、付加価値を付ける場所であるとの投稿者の定義からすれば、上記の野菜工場は、決して「工場」などではなく、温室(エネルギーや資源を使って季節に関係なく農業をする農地)と何ら変わるものではありません。

一方、投稿者が「農業の工場化」と呼んだのは、工場経営や品質管理といった、企業の製造に関する手法を農業に持ち込む、という意味に限定されます。工場化されても、農業の本質、即ち植物が土壌に根を張り、そこから微量の栄養塩を吸い上げながら、水と太陽光を使って、光合成をおこなう営みを、人間が少しだけアシストする、というベースの部分は何千年も前の農業と何も変わってはいないのです。

それにつけても、放射能に汚染された土壌を、今後どの様に利用可能な農地に戻していくのでしょうか。私たちは、チェルノブイリ事故が、実のところ今日でも深刻な影響、とりわけ農業への悪影響を引きずったままであることに思いを馳せなければならないでしょう。

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2011年4月 7日 (木)

1342 環ビジ?企業の農業参入

少し前の報道になりますが、石油暖房機器のC社が農業に参入するとか。この種のニュースは実は結構最近耳にするようになりました。投稿者の情報の多くはラジオからなので、ニュースは「耳」にする訳です。これは、つまりは大企業の農業参入の動きです。大企業であれ、若者であれ、新規の農業への参入は、この時代においては歓迎すべきトレンドだと言えるでしょう。とにかく、モノ(工業製品)を大量に安く作って、大量の消費・輸出する時代は、終わりつつあるからです。土や太陽に頼る産業は、何より持続可能が格段に高くもなります。

耕作放棄地が、再度農地に戻すことが、荒れ果てたまま、雑草や灌木に覆われ再度農地に戻すのに骨が折れるようになる前に行われれば、かなり楽でしょう。雇用も、それなりに吸収できるでしょうから、この面からも歓迎されるはずです。しかし、考えなければならないのは、農業では食えるけれども儲からないという現実です。農業を、手間暇を省いて(つまりは省力化して)行おうとすれば、まずは圃場整備が必要なことに加えて大型の農業機械を入れ、化学肥料と農薬を多用しなければならないのです。つまりは、これは「農業の工場化」を意味します。これは先進農業国で行われていて、コスト競争力も十分です。

しかし、これはこの国の事情には全くマッチしません。高低差が大きく、しかも細切れの農地が多い条件の悪い耕作放棄地を、どれだけ集めても事情は変わらないでしょう。農業に新規参入する企業には、ここのところを十分に検討して貰いたいのです。つまりは、日本の上記の事情に合致した作物を、有機肥料を使いながら、手間暇をかけて作る覚悟が必要でしょう。あるいは、企業の社会的責任と割り切って、思いっきり環境に優しい農業を展開し、それを企業のイメージアップに利用すると割り切った方が、よっぽど正直な態度かもしれません。

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2011年4月 6日 (水)

1341 多様性の縮小

環境の悪化や変化を別の言葉で表現すれば、多様性の縮小とも言い直せそうな気がします。例えば、多様な性質の環境を維持している地域が、今回の様な津波による農地の塩害や放射能の一様な拡散により、同じレベルで汚染される結果、放射線に弱い生き物は淘汰され、太陽などからの自然の放射線が高かった太古の時代に繁栄した古生物の子孫が復活するかもしれません。少なくと、私たち「ヒト属」は、森や草原などが育む、多様な環境と、そこに反映した多様な動植物の恩恵に与って生かされている存在だと言えます。

人工的な環境は、多様性がひどく矮小化されています。田舎でさえも、手入れの行き届かない元山林や元里山、コンクリートで固められた水路や川、ほとんど商業作物単作の農地といった、単純で境界のはっきりしたモザイク状の環境です。しかし真に必要な環境は、徐々に変化するグラデーションだと思うのです。その様な環境では、例えば数メートルも移動すると、微生物相が変化し、そこに蠢く小動物や植物相も変化しているものです。かつての里山と農地の境界、土手や河原と市街地との境界などは、豊かな動植物の天国だったと回想しています。

つまり、環境の悪化とは、多様性の破壊=単純相の拡大だと、投稿者なりに定義しておきます。多様性の縮小は、環境への工業的な働きかけで起こりますが、逆に多様性の回復には、人手や生物の助けを借りなければならない点が、圧倒的に異なる点だと言えます。生物多様性と環境の多様性は、どちらが先とは言えない、相互作用の「微妙な関係」にある点も非常に重要です。

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2011年4月 5日 (火)

1340 5年、10年、20年

今回の東日本のトリプル震災の復興には、長い期間が必要でしょう。その中でも地震の被害は結構短い期間でどうにかなるでしょう。地上の建物は5年程度もあれば、見かけ上の形は取り戻すでしょう。やや長い期間が必要なのは、地面に埋められている下水道などの掘り返しが必要な工事です。

しかし、津波の被害が大きかった地域の復興にはもっと長い時間、たぶん10年程度のスパンが必要だと想像しています。なぜなら、まず復興住宅や公共施設を造るにしても、果たして元あった場所に立て直すべきか、それとももっと高台に土地を造成して街を移転すべきか、立ち止まっての慎重な判断が必要だからです。場合によっては、地域のゾーンニング(より狭い意味で、都市計画や、土地利用計画等と呼ばれる事もあります)をやり直して、広域的視点でコミュニティの集約や再編が必要となるかもしれません。低い場所に立て直すなら、10m以上の津波にも流されない避難拠点を、例えば100mおき程度に配置図すべきかもしれません。これらを組み入れた本格的な復興までには少なくも10年程度は覚悟しなければならないかもしれません。

しかし、最も困難で時間が掛かりそうな復興は、放射能汚染からのリカバリーでしょう。放射能汚染の縮小には、ひたすら自然現象による拡散を待ちながら、一方では放射能物質自体の半減期に頼るしかないからです。X線写真撮影やCTスキャンで受けるγ線被ばくからの健康被害は最小限(ほぼ影響が無い)とは言いながら、日常的にこれらの検査を繰り返しても何も問題が無いとは誰も断言できないでしょう。しかも、原発からの飛散物質が出す放射線は、α線、β線、γ線、中性子線と多様です。これらの相乗的な健康被害に関しては、ロシアやアメリカあるいは、この国の被爆者からの数少ない統計的なデータ程度しか頼りになるものがありません。つまりは、フクシマの健康被害データが積み上がるまでには、少なくとも20.年以上の長い期間の観察が必要であることを意味します。

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2011年4月 4日 (月)

1339 アイデアは頭の中には…

アイデアは、実は頭の中にはありません。事実かどうかは別にして、というのが投稿者の持論です。ではアイデアは何処にあるかですが、それは外から入ってくる情報(というよりは刺激)にあると思っています。もちろん、アイデアを出そうと必死に何かを考え続ける事は重要です。そのための、個々のエレメント(種)も必要でしょう。

でもそれらを全て貫いて、瞬時にアイデアにするのは、やはり外からの刺激しかないと思っています。当然の事ながら、その刺激をしっかり受け止める「アンテナ」も重要です。しかも、そのアンテナにはしっかりした「指向性」が無ければなりません。指向性を別の言葉で具体的に説明するなら、それはそのアイデアを求めているニーズであり目的が明確になっている事だと言っておきます。

さて、東日本の地震・津波・放射能のトリプル災害の話になりますが、放射能の抑え込み、或いは被災地の復興に関しては、この国の叡智の全てを傾けなければならないでしょう。被災地や原発の中に閉じ込められたスタッフのアイデアは、どうしても閉塞的で悲観的なものになりがちです。そうではなくて、制約を一切無にして考え、世界中の叡智や、機器をかき集めて事に当たる必要があるとみています。そういった目で世界を見回せば、戦争に使う目的で開発された、高価で凝った機械や装備も数多く存在します。例えば、無人偵察機、被爆地域での活動服や車両、上陸用舟艇や補給艦などなど。まずは、バラエティに富む人々が、額を寄せ合ってアイデアを出す必要があります。過去の事例や法律から出発するお役人や、過去の書物や論文からしか出発できない学者や、彼らに頼りっぱなしの政治屋先生からは、そんなアイデアは出ないでしょう。今求められているのは、まさに阪神淡路大震災の事例を超える復興アイデアであり、さらにはこれまで全く経験した事がないレベルの放射能汚染の抑え込みや津波による地域悉皆被害への対応アイデアなのです。

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2011年4月 3日 (日)

1338 情報による環境汚染

時々グローバル化やネット社会の拡大に伴う「情報による環境汚染」を危惧します。グローバル化や情報開示は、これまでほとんど疑問を差し挟む余地なく「是」とされてきました。しかしその結果、何が起こったかと言えば、世界の各地では、地学的な境界(山脈や川や海)に囲まれた狭い地域で、伝統的なスタイルにしたがって、モザイク模様の様に暮らしていた人々の生活を、情報や工業製品が、グチャグチャにかき混ぜる結果にもなった訳です。伝統的な生活スタイルは、地産地消が基本的で簡単には揺るがない、どっしりとしたものなのですが、一度その中に近代的な要素(例えば、化石エネルギーや電化製品や車、ITやネット環境など)が入り込むと、ひどく脆いものに変質してしまいます。

別の最近の例ですが、良く噛み砕かない、放射能汚染情報などは、情報による汚染の一つのサンプルにもなるでしょう。人体に危険を及ぼす可能性もある重要な汚染情報は、吟味できていないポイント情報ではなく、面の広がり情報、加えて時間的な変化情報をセットとする必要もあります。さらに、私たちにも出来る簡単な「自衛策情報」を併せて送らなければ、単にパニックを煽るだけの「汚い情報」になってしまうでしょう。それは、避難地域や屋外待避の勧告に関しても全く同様です。見通しが効かない状況にあっても、少なくとも高い可能性で想定される事態や、避難指示を出すにも「期間情報」なくしては、これも避難者を当惑させるだけの「混乱情報」に陥ります。

もう一つ考えなければならないのは、情報の偏った方向性です。マスメディアや情報発信を商売とする側からは、大量のしかし時にはバイアスの掛かった情報が流されます。私たちは、どうしても一方的な情報の受け手に甘んじてしまいがちです。その結果、発信者の恣意によっては、意識しないままにかなりの有形無形の影響を受けてしまいます。私たちに必要なものは、感度の良い「情報フィルター」だけです。これがあれば、情報の津波にも、情報による汚染にも負けない人格が形成できるはずです。投稿者は、この情報フィルターの事を「確かな価値観」などと呼ぶこともあります。

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2011年4月 2日 (土)

1337 レジャー義援

大震災・津波被害は甚大なものですが、事の重大さに立ちすくんでいるだけでは、日本全体が沈没しかねません。各地の観光地やレジャースポットには閑古鳥が鳴いており、さらなる景気の落ち込みや震災の外側での新たな失業や悲劇を生みかねません。そうではなくて、「可能な限り平常な暮らし」は維持しなければなりません。そんな中レジャーに出かけるのが「後ろめたい」のなら、客は費用を5%余分に支払い、レジャー施設側も5%値下げし、併せて10%分の義援金を捻出して災害復興資金に回せば良いでしょう。これをしないで、例えば日銀でお札を増刷して復興資金に回すなどという、一部の政治家が考える安易な手段は、石に噛り付いてでも絶対に避けるべきです。それは、この国の通貨を含む信用を大きく失墜させてしまい、国民や産業が将来に亘って長く苦しみ続ける事を意味するからです。

同じ様な支援は、世の中の全ての楽しみに広く薄く適用できるはずです。例えば、レストランでやや贅沢な料理を頼んだ時、甘党がケーキや甘味を楽しんだ後、ゲームや音楽を楽しんだ時は、被災者の苦難を思いやりながら、ささやかな(しかし、しっかり寄与できるレベルの)支援を続ければ良いのです。9月末日までの寄付期間?だけで、支援活動を一段落させてはならないでしょう。避難生活をしなくても済む幸せな人は、その幸せに感謝しつつ、無理なく楽にできる支援を、復興が終わるまで長く続ける必要があるでしょう。

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2011年4月 1日 (金)

1336 ミン・サフ

これは、投稿者が勝手に作ったミニマム・サフィシェント(Minimum Sufficient)の略語です。その意味するところは、「必要かつ最小限」というほどになるでしょう。これは非常に重要な概念なのですが、残念ながら軽視され続けてきました。国の経済政策でも、企業経営にしても、家庭生活にしてもとてもとても必要かつ最小限からは程遠いのが現状です。つまり、国が、企業が、人間が最低限に存続、生存できる条件の見極めが出来ていないと思うからです。この見極めさえできれば、それを超えるすべてのものは、無くてもどうにか生きていける訳です。最低ギリギリの国家予算、企業のBudget、或いは家計費は一体いくらなのかの見極めは、この豊かな時代の中で見極めるのは、全く至難の業だと言えるでしょう。何より、命をつなぐのに、ギリギリのカロリーなど、この時代に実証することも叶いません。しかし、一歩外に目を転ずれば、多くの途上国で、栄養失調状態の人々を多く目撃できるでしょう。

一方で、この国には「一汁一菜」やつましい暮らしや、さらには「清貧」などという好ましい言葉もあります。しかし、清貧という言葉については、10年ほど前ある本により流行語となりましたが、今や死語になりつつあるとも言えそうです。あの本は、「清貧」という言葉が消え去る前の、さながら線香花火が燃え尽きるまでの様な、一瞬の輝きだったのでしょうか。ミン・サフは語呂があまり良くないのであまり流行らないとは思いますが、その意味だけでも汲み取って貰ってもらいたいものです。

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